Reason 6
「なにしてるんですか?」
籐派セラは目覚めて一番にそう言った。
「おきたのね」
彼女の目の前で膝を立てて、モモは言う。
二人のつま先はほとんどくっつきそうで、モモが前のめりになっているものだから、目鼻の距離だって三十センチもない。
「まってたわ、トークしましょう」
起きがけに眼前いっぱいのモモからそう誘われた籐派セラは首を傾けて、ルイに視線を向けて来た。
だから、ルイは「おはよう」と言っておいた。
「あ、うん……おはよう」
起きがけで本調子じゃないのだろう、アクセントに曖昧さがある。
そんな籐派セラにお構いなしに、モモは「ねえ」と繰り返した。
「わたしとトークをしましょう?」
「あの近いので離れてもらって良いですか?」
「トークしないの?」
ずいぃと、モモが二人の鼻先がくっつくぎりぎりにまで接近する。
「だだ、だ、だから、近すぎるんですって!」
身体を捩り、横から抜け出した籐派セラは、逃れるようにルイの元まで来た。
「なにかしたでしょ? ルイくん」
トーンを落として訊ねてくる。
「セラさんの声を聞いてって言った」
どうやら興味を持ってくれたらしくてなによりだ。
「……ルイくんの言葉はちゃんと聞いたんだ」
せっかくモモが乗り気になったというのに、眉を寄せたセラの声は、気のせいじゃなければ不機嫌そうだ。
「ねえ、わたしはあなたとトークがしたいのだけど」
「私は籐派セラです」
「そう、トークしましょう?」
「ちゃんと聞いてますよね?」
「聞いてるわ、それよりトークしましょうよ」
「……」
閉口した籐派セラはルイに視線を向けてきた。
言わんとしていることは分かってる。こんなにも積極的になったモモをみて感激し、ルイの仕事ぶりに感謝しているのだ。
気にしないでいいよ。
そう言う意図を込めて笑顔で返しておいた。
籐派セラは小さく息を吐いて「わかったよぉ」とこぼした。
「モモさん、私の話、ほんとに聞いてくれるんですか?」
「いままでだってシカトなんてしなかったわ」
「でもまともに答えてくれなかった」
「いつだってわたしは必要なだけやってきた。あなたにだってわたしはわたしがやらなきゃいけないだけ答えてきたわ」
「それなら私の欲しいだけの答えはだれがくれるんですか?」
「わたし以外のダレか」
さあ、トークしましょう?
繰り返して、モモは籐派セラにそう求めた。
そこまでのやりとりをして、籐派セラは口を噤んだ。
これはモモが悪い。
他人と言葉を使ってやりとりするときは語彙を意識しなければならない。
カリキュラムの進行に差がありすぎる者同士が好き勝手に話をしても互いに不快な印象しか抱かないことからも分かるように、言葉選びは大切なのだ。
ギャグや詩のような、エンターテイメントでも無い限り同じフレーズの繰り返しは相手を不快にさせる。
「……コミュニケーションって、お互いが歩み寄って、そしてお互いが受け入れない限り成立しないんですよ?」
「ええ、そうね、そうおもうわ」
「モモさんは私を受け入れるつもりがあるんですか?」
「ええ、もちろん。あなたがわたしの感性まであゆみよってくれるのなら」
「ならどうして、私の名前を呼んでくれないんですか?」
「なまえ?」
はたと、モモは顎に手を添えて考え出した。
そして、
「なんだったかしら、あなたのなまえ?」
またしても、モモが悪いことをした。
人間は名前に一種のアイデンティティを備えている。
名前を呼ばれることで他者に自分が認知されている事実を確認して満足感を覚えるのだ。
だからこれから仲良くなろうとしている人間の名前は一度できちんと覚えなければならない。大事なコミュニケーションの基本だ。
「……やっぱり、モモさんは私を受け入れるつもりなんてないんですよ」
咽を詰まらせたみたいに口を数回ぱくぱく開いた後に、籐派セラは、さっきまでよりもずっとか細くなった声で言った。
「ルイくん、ごめん、無理」
とうとう、籐派セラはモモから視線を切ってしまった。
相当ショックだっただろう。
籐派セラのこれまでからしたら、名前を覚えて貰えていないなんてきっと初めての経験だったに違いない。
「外に行くの? わたしはまだ休憩していたいわ」
ドアハンドルを掴んだ籐派セラは一度足を止めたが、そのまま外へ行ってしまった。
カタン
オートロックがかかって、籐派セラが完全に外に行ってしまってから、モモは傾けていた顔をルイへと向けたのだ。
「あのヒト、ヒドいわ。わたしはトークしたかったのにいってしまったわよ?」
モモが何にも分かっていないで、首を振りながら言うものだから、ついルイは「悪いのはモモさんの方だよ」と口に出していた。
「セラさんはサインを出していたんだから」
「サイン?」
「そうとも」とルイは頷いた。
「いいかい? 『ちょうだい』だけをすることは健全なコミュニケーションとは言えないんだ。だってそれじゃあ利益の交換が成立しないんだから」
「わたしはあのヒトにプレゼントをしなきゃトークできないの?」
通常ならもちろんそうだ。
だけど、今回の場合はかならずともそうとは言い切れない。なぜなら、モモはセラよりもカリキュラムの進行が未熟なのだから。
知識の未熟さを原因に他人を軽蔑することは健全な社会を構成する一人としては相応しくない。ときに、自分の知識を分け与えることもまた、大事な役割なのだとカリキュラムで言っていた。
「モモさんが用意しなきゃいけないのは『まごころ』だよ」
「まごころってなに?」
「『どうぞ』や、『ありがとう』、『ごめんなさい』のことさ」
情報の交換には不要に思える言葉の装飾は、実は関係構築のための大きな役割を担っている。
『あなたを必要としている』と、伝えることが出来るからだ。
承認欲求や自己顕示欲を満たすことは、カリキュラムの上位者に教えを請う対価になる。
「『どうぞ』や『ありがとう』や『ごめんなさい』を言えば、あのヒトはわたしとトークするの?」
「もちろん。でもね、ただ言うだけじゃダメなんだ」
そう、これが難しいところだ。
もちろん、常識と良識を備えているなら、それらの言葉が無くともカリキュラムの上位者は教えてくれるはずである。しかし、適切に用いることで、より多くの教えを得ることが出来る。
「どうすればいいの?」
「まずは、『どうぞ』がいいよ。『どうぞ教えて』って言うんだ。それで相手が話し終わったら『ありがとう』を言って、『ごめんなさい』はちょっぴり難しいけど、相手が黙ってしまったときに使えば、だいたい合ってる」
他にも絶妙なタイミングがあるけれど、それはカリキュラムを進めてきたルイにも難しいことだから、モモに、『さあ、やってみて』と言ったって難しいことだろう。
「そう、分かったわ」
「ああ、それからもう一つ」
大事なことを忘れちゃいけない。
「彼女の名前は籐派セラだよ。ファミリネームじゃ無くてパーソナルネームの『セラ』に『さん』をつけて呼ぶといいよ」
これがコツだ。
アイデンティティを尊重してあげること、もちろん丁寧さも忘れてはいけない。
「『せらさん』って言ったらいいのね、じゃあそうするわ」
「うん、次はきっとうまくいくよ」
ルイも健全な社会を支える一人としての役目を全うできて、何よりだと思う。
欠伸をしてから座り込んだモモを見て、ルイは満足して頷いた。
「僕は出かけてくるね」
ドアハンドルに手を掛ける。
籐派セラのケアに行かなければいけない。
女王様だった彼女は自分が優先されないことに慣れていない。その未知にきっと困惑している。だれかのアドバイスを必要としている。
いまそのアドバイスが出来るのはルイだけだ。
もちろんルイはその役割を全うする。
とても綺麗な声をしている彼女は、ルイにそれだけで利益をもたらしてくれる、大切な友達だ。
籐派セラは久瀬ユウヤみたいなイカレとは違って、健全な社会を立派に担うパートナーだ。パートナーは助け合うべきだとカリキュラムで言っていた。
モモは毛布を頭から被って小さく寝息を立てていた。
仕事をして疲れて寝ているヒトは起こすべきじゃ無い。だってそれは次も仕事をきちんとやるための準備なのだから。
「おやすみなさい」
小さく言って、ルイは音を立てないように外へ出て扉を閉めた。




