Reason 5
「むりぃ!」
籐派セラが音を上げるまでに、丸一日とかからなかった。
「聞いてたでしょ? モモさんは私と話なんてしたくないんだよ!」
籐派セラは根気強く頑張ったと思う。
よく話しかけて、同じ数だけ素っ気なく返されていた。
籐派セラの声が綺麗かどうか以前に、モモは聞くつもりが無いらしかった。
また一人で出かけて、ルイと二人になった途端にこうなのだから、籐派セラは相当まいっているようだ。
モモは、このエリア27は他のブルースフィアから切り離されて放棄されるから、巨大なゴミ箱と同じだと言っていた。
病気持ちたちの跋扈するこの場所は言わば病巣のようなものだ。切除は同然の判断だろう。
ルイはモモが言うことはもっともだと思った。ただ、籐派セラにはピンとこなかったのか、『私たちの住んでいた場所をゴミ箱だなんて言うのやめて下さい!』、と憤慨していた。
それにモモは『そう、分かった』と答えていたが、その後、躊躇いなく簡易キットを投げ捨てていた。
モモはきっと集団生活に慣れていないのだ。人を不快にさせないための上手い舵の切り方を知らないのだろう。
もちろん、ルイはちがう。
端の方にそっと食べ終わった簡易キットを置いておいた。
「モモさんが、なに考えているのか、私、わかんないよ」
首を振る彼女の声はいつもよりも元気が無い。
どちらかと言えば、元気な声の方が好きだ。もちろん、今の籐派セラの声も綺麗だと思うけれど。
「どうしてルイくんを連れてこうとしたのかも、教えてくれなかったし」
そんなことわかりきっているじゃないか。
人は一人では生きていけないとカリキュラムで言っていた。孤独ではたったの一人分の生活すら賄えない。だから人は手を取り合って行かなければならない。
そのために健全な社会の維持こそが重要なことなのだと。
モモだって誰かと一緒にいたかったに決まっている。一人がイヤだったに決まっている。
「私達、モモさんについて行ってだいじょうぶだよね?」
籐派セラはモモに不信感を募らせているようだ。だが、忘れている。彼女は口数こそ少ないが勤勉に自分の仕事をやってくれているのだ。ルイ達がカリキュラムに打ち込んでいたように。
「それってちょっと残酷だ。モモさんは、いまだって一人で頑張ってくれているんだから」
彼女がいなければ病気持ちの処理をルイ達でやらなきゃいけなくなる。ルイはそんなことしたくない。だから、進んでそれをしてくれるモモを尊敬しているのだ。
「……ねえ、ルイくん分かってる? モモさんはね、ルイくんを一人だけ危険にしようとしたんだよ? 私、もっとルイくんは怒っていいって思ってる」
「それでもボクは、モモさんにありがとうって思っているよ」
もし、モモが誘ってくれなければ不衛生な状況中の集団行動によるストレスで、ルイはどうにかなってしまっていたかもしれない。
「私、わかんない……。考えてよ。自分の事を蔑ろにする君を、私がどんなふうに考えるのかとか。私はルイ君を幸せにしたいのに」
「ボクは幸せだよ」
不満なんて無い。
カリキュラムで言っていた。一番に言っていた。
カリキュラムは、人がより幸福を得るために必要なプロセスだ。
必要な知識を得て、自分に最適な未来を知るためのプログラムだ、と。
きちんとカリキュラムを勧めてきたルイが不幸だなんてそんなことあるはずがない。
その証拠に、いつも綺麗だなって思ってた籐派セラの綺麗な声をこんなにも近くで聞けている、それも二人きりで。
「ここにセラさんがいて、こうして声を聞けている。それが、いまのボクの幸福だよ」
「ルイくん……。私は、君が分からなくなるときがある。嘘じゃないって分かる。でも、私は君のその優しさを正しくないものに感じてしまう」
言ってから、籐派セラは顔を背けた。
「ごめん。あんまり良い言い方じゃないよね」
彼女はきっと疲れている。
カリキュラムで行き詰まった生徒が攻撃的になるのと同じだ。
「気にしないで」
だからルイはこう言ってやるのだ。
「いまは休んで、そうしたら、もう一回チャレンジしてみよう」
「……うん」
籐派セラは一度だけルイを見た後にうつむいて、壁際で断熱毛布を羽織り、座り込んだ。
やはり疲労が溜まっていたのだろう。すぐにと小さな寝息が聞こえてきた。
もしかしたら、昨夜はあまり眠れなかったのかもしれない。
カリキュラムがまだいまの半分も進行しない頃、エリア54の農場プラントに研修に行ったときのことを思い出す。
ガラス越しの人口芝生の上をメンタルカリキュラムでしか見たことがない、大きな四足動物たちが悠々と草を食んでいた。
厩舎では、防腐マスクを着た清掃員が動物の散らかした住処を、ぐおんぐおんと呻る吸引パイプとモーターブラシを使って片付けていた。驚くべきはマスクだけつけて素手で作業をしていた労務者がいたことだ。
最悪だと思った。
素肌に土色のソレが地肌に付着して乾いていても構わず作業をする彼らを見て、ルイは愕然とした。
出発する前も目が冴えて眠れなかったが、帰ってきてからの方が酷かった。カリキュラムをしっかり進めようと再度決意した、ルイにとっては大きな出来事だった。
一体彼らはどんな気持ちであの仕事に打ち込んでいたのだろう。あの反射板のマスクの裏でどんな顔をしていたのだろう。
ルイは彼らの仕事を軽んじているわけではない、それでも生理的嫌悪感というものは拭えなかった。
思案に耽っている内に時間が経っていたらしい。
リリィッ
扉の備え付け端末からのコール音でルイは我に返った。
パネルに表示されたアクセスしてきた人物のIDをタップすると、モモの仏頂面がアップされて思わず苦笑いしてしまう。
認可を出して解錠すると、全く同じ仏頂面が目の前にあって、すかさずにルイは「お疲れさまです」と労った。
モモはやっぱりなにも応えずルイの横を抜け、そこで寝息を立てる籐派セラに気付いて立ち止まった。
「寝てるのね」
「うん、きっと疲れたんだよ」
モモにとっては独り言のつもりでも、ルイは構わなかった。
しかし、意外にも、モモは振り返ったのだ。
「……で? アンタはいったいどういうつもり?」
「セラさんのこと? なにが?」
眉間が寄った。聞き返されたことにイライラしているようだ。
ご飯はちゃんと食べているのだろうか。
「このヒトのなにが特別?」
「とっても綺麗な声をしていると思わない?」
「それだけ?」
「それ以外になにがいるのさ?」
ああそうだ、ちょうど良いから勧めてみよう。
「モモさんも聞いてみてよ」
「……」
黙ってはいるがモモは、セラを見ていた。
興味を持ってくれたならとても嬉しい。やはり、自分の好きなものはたくさんの人に好きだと言って欲しい。
それからモモはもう一度ルイに訊ねた。
「……このヒトとどうしたい」
「隣で声を聞けたらそれ以外なんにも望まないよ」
モモはまた黙りこくって、じっと、ルイを見てから、
「やっぱりアンタはマトモよ」
「もちろん」
どこもおかしくなんか無い。病気だって持っていない。
「ボクはきちんとした人間だよ」
「あっそ」
視線を切ったモモは、籐派セラとは反対の壁まで行って座り込み、腕を組んで瞳を閉じると動かなくなった。
「おやすみなさい」
だからルイも扉の横に背を預けて眠った。




