Reason 4
翌日、三人で泳葬場のシャッターの間から出て行くときまで睨みつけてきた長髪のことを、ルイは最後までキライなままだった。
シャッター付近に目立ったものは無かったが、血痕が散らばっていて、凄く汚かった。籐派セラも嫌悪感のあまり顔を引き攣らせ、それをやったモモを責めるように凝視していた。
だけど、ルイはそれは筋違いだと思う。もし、責めるとしたらそもそもこんな事態を越こしている病気持ちの孔世ユウヤ達と、次点で、片づけるならきっちりやらなかった救助隊の彼らだろう。
「行くわ」
モモに促されて籐派セラは頷いたけれど進もうとしないから、ルイも「行こう」と後押した。こんな不衛生な景色とは即刻オサラバしたい。
「ルイくん、私たち、だいじょうぶなのかな?」
分かる、その気持ち、よく分かる。
この先、こんな不衛生な場所を歩いて行かなければならないとしたらステーションに辿り着く前に病気になってしまいそうだ。不安な気持ちはルイだって全く同じだ。
「でも、行かないと」
籐派セラはことあるごとにルイに触れてくる。もしかしたら、彼女の衛生管理はずぼらなのではと疑っていたが、安心した。
彼女が人並みにきちんと衛生面を気に掛けることが出来るのならば、お互いに気を利かせることができるだろう。
「二人で協力しよう、そしたらきっと大丈夫だから」
健康体でステーションまできっといけるはずだ。
「そう、だよね。一人っきりじゃない。ルイくんが居てくれる」
胸に手を当て、籐派セラは自分を説得するみたいに呟き、ようやく歩き出した。
同時に、背後でシャッターが閉まりはじめた。
泳葬場フロアはこのエリア27の中で、外の景色を見ることが出来る唯一のスポットだ。ついに消えてしまったその景色に背を向けて、ルイは二人を追いかけた。
永葬場を離れ、端末にインストールされたルートを通って、中間フロアに到着するまで長い時間歩き続けた。
エレベータ施設周辺を避けているから、かなりの遠回りをしなくてはならなかったし、たびたび、モモがルイ達を空き部屋に押し込めて一人で何処かへ消えるからだった。
扉の向こうから聞こえてくる音や、通る途中に端の見えないところから流れてきたモノを見れば、彼女がどんな用事をしているのかは検討がついた。籐派セラはそれを見たり聞いたりする度に身体を小さく跳ねさせ、耳を塞いで頭を振っていた。
ルイだって似たようなものだ。
思わず口と鼻を覆ってしまい、同時にモモへの労りの気持ちが溢れて止まなかった。
彼女の奉仕の精神は社会生活を維持するために必要な尊いモノだ。そういう尊敬すべき行いに対する感謝の心を忘れてはいけない。カリキュラムでそう言っていた。
ルイは道中に何度も彼女に「ありがとう」を言った。
謙虚なモモは一回も返事をしなかった。
非常コードの発令中に非常扉を通行する権限は、ほとんどだれでも持っている。
しかし、ルイの人生の中で非常コードが発令したことなんて無かったから、こうして一般フロアをつなぐ中間フロアに足を踏み入れるのは初めての経験であった。
大小何本ものパイプからごうんごうんと音が反響し、どことなくつんとした匂いが漂っている。
配慮された色彩のタイルの道や道路ばかりに見慣れたルイにとって、足下のむき出しの白っぽいコンクリートが平淡に続くだけの床は落ち着かない。
「こんなふうになってたんだ、フロアの間って」
籐派セラにとっても珍しいものだったようで、あっちこっちを見ていた。
モモだけはこういう場所にも慣れているようで、手帳端末に一度だけ視線を落とすと、すぐに歩き始めた。モモが履いているブーツは重そうなのに彼女の足取りは疲れ知らずだ。
「モモさんって、変わった人だよね」
「そう、かな?」
「そうだよ! だって、だって……」
籐派セラはどうしてそんなに必死になっているのだろう。まるでモモがおかしくないといけないみたいじゃないか。
「そうじゃなきゃ、あんなに簡単に、できない……」
ああ、なるほど、ようやく理解出来た。
籐派セラはモモのプロフェッショナルさに驚いているのだ。それはそうだ、ルイだって同じ事をしろと言われたら間違い無く青い顔で首を横に振る。あんな不潔なこと、生理的に受け付けない。
でもそれは決して嫉妬するようなことじゃない。
「そういうふうに生きてきたんだよ。ボクらはカリキュラムをやって、モモさんも自分に必要なことをやってきたってことだよ」
「ルイくんは、……モモさんが怖くないの?」
「モモさんが?」
それは、もちろん、
「こわい」
モモは出会ったあのときにルイにそれを伝えてきたのだから。
「……どうして笑っているの?」
籐派セラにそう言われて、頬に手をやっていた。
「わらってた?」
こくりと、ルイを両目に映したまま籐派セラは頷いた。
「そっか、なんでだろうね」
なんでもないのに笑うなんてまるきりおかしいヤツだ、気をつけないと。
「だけど、セラさんでも近寄れない人っているんだね」
ルイがいままで見てきた限り、籐派セラが悪く言う人も、避けようとする人間も見たことが無かった。
「セラさんって来る者拒まぬで、それどころか引っ張り込むヒトってイメージがあった」
「私が?」
それを不快にさせずに出来る魅力を持っている。相手が欲しいものを籐派セラはいつだって持っていた。
「その言い方ってすごくイジワル」
唇を尖らせた籐派セラが言う。
そういうものなのだろうか。
たしかに勝手に人柄を決めつけてしまうのは、本人にとっては不快を感じるものかもしれない。
ルイは他人を貶めるワルイ人間なんかでは決して無い。ここは挽回のためにもモモとの関係に悩んでいる籐派セラに有用なアドバイスを送ることで喜んで貰おう。
ルイからすれば簡単なことだ。なにしろ、籐派セラの一番の魅力を理解しているのだから、それをあげればモモだって籐派セラと仲良くなりたいと思うはずだ。
「ねえ、セラさん」
自信たっぷりと、ルイは教えてやったのである。
「話してみたら良いよ。そしたらきっと通じるから」
そのとってもキレイな声の魅力がきっとモモにだって届くはずだ。
「でもモモさんは、みんなとはぜんぜんちがって……」
「セラさんなら出来るよ」
むしろ籐派セラにしかできない。
「なんか無責任」
「だったら保証する」
ルイが好きな綺麗な声なのだ、それを悪くなんて言わせるものか。そんなこと言うヤツがいたら頭がおかしいに決まっている。
「……なんで、ルイくんはそんなに言うの?」
怪しむ口調。
「最初のときもそうだったけど、モモさんが気になるの? どうして? 私にはそれを知る権利があると思うのだけど?」
まるで尋問ではないか。
そもそも、権利とはいったい何のことだ?
そこまで考えてはっとした。
籐派セラはルイよりもカリキュラムを進めていた。だとすると、教員の補助をするためにクラスメイトを質疑する権利を得ていたのかもしれない。そうであるならば、尊重されるべきだ。
「セラさんにやってみてっていうのは、……好きだから」
ルイは良いものを独り占めしたいなんて考えない。むしろ、自分の好きなものだから、人にも教えて上げたい。籐派セラは有名人で、ルイが宣伝なんてする必要すら無かったが、モモはちがう。だったら教えて上げるべきだ。
「セラさんの魅力を伝えられないって、それは悲しいなって、そう思った。ボクもセラさんが隣に来てくれて、声を聞かせてくれて嬉しかったから」
こんなところだろうか。きちんと籐派セラの権利を尊重して正直に答えられたはずだ。
「……」
籐派セラは俯いて黙り込んでしまった。
足りないということだろう、では、他にはなにを伝えれば良いのだろう。
少しだけ考えてから、ルイは再び口を開いた。
「それから……」
「もういいからっ!」
どうしたのだろう、大きな声を出したりして。
「セラさん?」
「だから、そういうのがズルイって……。とつぜん、好きとか、魅力とか、嬉しかったとか……私だって、その……」
次には、籐派セラはルイに背を向けた。
「……分かった。話してみる。……ルイくんに幻滅されたくとかないし」
「そう」
まあ、彼女が権利を全うする事が出来たというのなら、それでいいだろう。
「ねえ」
こんこんと、細長い通路に音が響く。
ルイ達が足を止めている間も、モモは構わず進んでたらしい。もうずっと先まで行っていたモモは、一つの扉の前でノックをしていた。
「はやくきて、ここに入って」
相変わらず愛想がない。ちゃんと着いてきていないことにいらだっているのだろうか。
そんなモモの催促に籐派セラは首だけでルイを振り返り、引き結んだ唇を震わせたのだ。
「……ちゃ、ちゃんと話してみるから」
「うん」
やる気は十分のようだ。
是非ともモモに彼女の綺麗な声を聞かせて上げて欲しい。




