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元王子と公爵令嬢

ヴィオレッタを説得します

「ここに住んでるから」


「…………」


 意味が分からなかった。


 ここは魔境だ。


 強力な魔獣が数多く生息し、冒険者ですら滅多に近づかない場所。


 それなのに。


 目の前の元王子は――普通に家を建てていた。


「……ここに?」


「うん」


「住んでいるのですか?」


「えっ、そうだけど」


 ルシオンは当たり前のように答えた。


 ヴィオレッタは周囲を見回す。


 広大な草原。


 遠くに見える森と山。


 近くを流れる大きな川。


 そして目の前には、まだ建築途中の家。


 どう考えても王族が暮らすような場所ではない。


「どうして?」


「どうしてって、住む場所が必要だから」


「そういう意味ではありません。どうしてよりによって、こんなところに住んでいるのですか?」


「人がいなくて静かで土地が広くて川が近くて住むのに最適だから?」


「…………ここがどこなのか知っています?」


「魔獣がたくさんいるところだね」


「魔境です!」


「ああ、近くの村ではそう呼ばれてるみたいだね」


「知っているのですか!?」


「住み始めてから知った」


「…………」


 ヴィオレッタは額へ手を当てた。


 何を言っているのだろう、この人は。


 魔境だと知らずに住み始めたこともおかしいが、知った後もそのまま住み続けているのはもっとおかしい。


「それより」


 ルシオンがヴィオレッタを見る。


「なんで君がここにいるの?」


「…………」


 今度はヴィオレッタが答えに詰まった。


「確か、レオンハルト兄上の婚約者だったよね?」


 胸の奥が僅かに痛む。


「……元です」


「ん?」


「元、婚約者です。婚約は破棄されました」


「ああ、そうなんだ」


「…………」


 随分と軽い反応だった。


 ヴィオレッタは少しだけ眉を寄せる。


「それだけですか?」


「何が?」


「婚約を破棄されたと言ったのですけれど」


「聞いたよ」


「でしたら、もう少し何かないのですか?」


「そうだな……」


 ルシオンが少し考える。


 そして――


 笑顔で、


「よかったじゃん」


「…………」


 ヴィオレッタは固まった。


「……はい?」


「よかったじゃん」


「聞こえています!」


 思わず声が大きくなる。


「どうして婚約を破棄された人間に、よかったなどと言えるのですか!」


「だって相手、レオンハルトだろ?」


「そうですけれど!」


「あんな男と結婚しなくて済んだんだから、よかったじゃん」


「…………」


 あまりにも迷いのない答えだった。


「あなた……実のお兄様でしょう?」


「兄だからって、尊敬できるわけじゃないよ」


「それは……」


 否定できなかった。


「婚約者がいるのに他の女の人と仲良くしてたんだろ?」


「……ええ」


「昔からそういう人だったよ。女の人にはすぐ声をかけるし、人の失敗を見つけると嬉しそうにするし。俺が魔法を使えないことも散々馬鹿にされたしね」


「…………」


「俺だったら絶対に結婚したくない」


「あなたは男性でしょう!」


「たとえ話だよ」


「分かっています!」


 声を荒らげてから、ヴィオレッタは我に返った。


「…………」


 何をしているのだろう。


 つい先ほどまで、死んでも構わないと思って森を歩いていた。


 なのに今は、目の前の元王子に腹を立てている。


「そんなにレオンハルト兄上と結婚したかった?」


「…………」


 その質問に、ヴィオレッタは答えられなかった。


「私は……」


 レオンハルトと結婚したかったのだろうか。


 考えたことすらなかった。


「分かりません」


「分からない?」


「幼い頃から、あの方と結婚するものだと言われて育ったので」


 第一王子の婚約者。


 未来の王妃。


 それが自分に与えられた役目だった。


「そのために勉強しました。礼儀作法も、政治も、経済も、外交も。王妃になるために必要だと言われたことは全部」


「うん」


「それが突然、全部なくなったんです」


「…………」


「それだけではありません」


 話しているうちに、胸の奥に押し込めていたものが再び溢れてきた。


「学院では、私がロザリアさんを虐めているという噂を流されました」


「ロザリア?」


「レオンハルト殿下と一緒にいた女性です」


「ああ」


「学院の本を大切にしてほしいと注意しただけなのに、怒られたと言われて。目が合っただけなのに睨まれたと言われて……」


 ルシオンは何も言わず聞いている。


「花瓶が落ちてきた時だって、私が助けたんです」


「花瓶?」


「ロザリアさんの頭に落ちそうだったから突き飛ばしました。そうしたら、いつの間にか私が階段から突き落とそうとしたことになっていて……」


「それは酷いな」


「そうでしょう!?」


 思わず即答した。


 ヴィオレッタ自身が驚く。


 初めてだった。


 事情を説明して。


 言い訳だとも。


 自分の正しさを押しつけるなとも言われず。


 そのまま信じてもらえた。


「父も母も話を聞いてくれませんでした」


「…………」


「婚約を破棄されて、それで……家からも追い出されました」


 そこまで話すと、先ほどまでの勢いが消えた。


「もう公爵家の名前も使うなって」


「…………」


「妹にも会わせてもらえなかった」


 エレオノーラ。


 あの子は今頃どうしているのだろう。


 自分がいなくなったことを、もう知っただろうか。


「私、本当に何もしていないのに……」


 声が震えた。


「婚約者も、家族も、家も……全部なくなりました」


 ヴィオレッタは俯く。


「だから、ここに来たんです」


「どうして魔境に?」


「…………」


 言いたくなかった。


 けれど、もう隠す意味もなかった。


「死んでもいいと思ったから」


 ルシオンの表情が変わった。


「どうせ誰にも必要とされていないなら、どこで死んでも同じでしょう?」


「同じじゃないよ」


「…………」


「少なくとも俺は、目の前で死なれたら嫌だけど」


 ヴィオレッタが顔を上げた。


「……何ですか、それ」


「そのままの意味だけど?」


「私のことなんて、ほとんど知らないでしょう?」


「ああ、知らないよ」


 あっさり認められた。


「だったら――」


「だけど知らない人なら死んでもいいってことにはならないだろ?」


「…………」


 何も言えなかった。


 ルシオンは抱えていた木材を地面へ置いた。


「それに、俺も似たようなものだよ」


「あなたが?」


「うん」


 ルシオンが自分を指差す。


「王子じゃなくなった」


「……それは知っています」


「あ、知ってた?」


「王宮で会った時、大きな荷物を持っていたでしょう。その後で噂を聞きました」


「そっか」


「魔力がなかったから……でしたよね?」


「ああ、父上に王族として必要ないって言われて追い出された」


「…………」


 ヴィオレッタはルシオンを見る。


 あの日。


 王宮ですれ違った彼は、あまりにも普通だった。


 むしろ少し楽しそうにすら見えた。


「辛くなかったのですか?」


「辛かったよ」


 ルシオンはあっさり答えた。


「父親から必要ないって言われたんだから、そりゃ傷ついた」


「だったら……どうしてそんなに平気そうなのですか?」


「追い出されたものは仕方ないし」


「…………」


「それにさ」


 ルシオンが建築途中の家を見る。


「もう王子じゃないなら、これからどうするかは俺が決めていいだろ?」


「自分で……?」


「そうさ、住む場所も、何をするかも、誰と暮らすかも」


 風が草原を吹き抜ける。


「だから、自分の住む場所を作ってる」


「…………」


 ヴィオレッタも家を見る。


 王宮とは比べものにならない。


 公爵家の屋敷とも違う。


 まだ完成すらしていない、小さな家。


「帰る場所がなくなったから?」


「ちょっと違うかな」


「違う?」


「ここを帰る場所にしようと思ってる」


「…………」


 ヴィオレッタは何も言えなかった。


 帰る場所がなくなった。


 自分はそこで、すべてが終わったと思った。


 でもルシオンは違う。


 なくなったなら。


 新しく作ればいい。


 そんな単純なことを、本当にやっている。


「ルシオン様ー!」


 遠くから女性の声が聞こえた。


 振り返ると、二人の少女がこちらへ向かって歩いてくる。


「リゼット、ミネット」


「なかなか戻ってこないので、何をしているのかと――」


 リゼットがヴィオレッタを見て足を止めた。


「……どなたですか?」


「ヴィオレッタだよ」


「ヴィオレッタ……?」


 ミネットもやってくる。


 ヴィオレッタの顔を見ると、すぐに気づいたらしい。


「アーデルハイド公爵令嬢ですね」


「……元、です」


「元?」


「婚約破棄されて、家も追い出されたんだって」


「ちょっと!」


 ヴィオレッタがルシオンを見る。


「なんでそんな簡単に言うんですか!」


「分かりやすいかなと思って」


「もう少し言い方があるでしょう!」


「ああ、ごめん」


「軽い!」


 リゼットとミネットが顔を見合わせる。


「それで」


 ミネットがヴィオレッタを見る。


「なぜ、この森へ?」


「それは……」


 ヴィオレッタが言葉に詰まる。


 するとルシオンが代わりに答えようとする。


「死んでも――」


「それは言わなくていい!」


「はい」


 ヴィオレッタは大きく息を吐いた。


「……もう」


 不思議だった。


 さっきまであれほど苦しかったのに。


 今は別の意味で頭が痛い。


 するとルシオンが何でもないことのように言った。


「じゃあ、ここに住めば?」


「…………」


 ヴィオレッタは瞬きをした。


「今、何て?」


「ここに住めばいいじゃん」


「いや……どうしてそうなるんですか?」


「帰る場所がないんだろ?」


「そうですけど」


「だったら、ここに一緒に住もうよ」


「…………」


 ルシオンが草原を指差す。


「土地ならいっぱいあるよ」


「土地の問題ではありません!」


「じゃあ何が問題なの?」


「何がって……」


 言葉が出てこない。


 ルシオンが首を傾げる。


「俺も帰る場所なくなったから、ここに作ってるんだよ」


「…………」


「だからヴィオレッタも、ここを帰る場所にすればいいじゃん」


 また。


 あまりにも簡単に言った。


「でも、私は……」


「嫌なら無理にとは言わないよ」


 ルシオンは笑う。


「でもここ、広いからさ」


 どこまでも続く草原へ視線を向ける。


「一人くらい増えても全然困らない」


「…………」


 ヴィオレッタは何も言えなかった。


 王家には必要ないと判断された。


 婚約者には拒絶された。


 両親からも家を追い出された。


 もうどこにも、自分の居場所などないと思っていた。


 それなのに。


 こんな魔境の真ん中で。


 元王子が、まるで昼食にでも誘うような気軽さで言った。


「一緒に住もうよ」


「…………」


 目頭が熱くなる。


 泣きたくなかった。


 ヴィオレッタは慌てて顔を背ける。


「……本当に変な人」


「そう?」


「そうよ」


「……あれ?」


 ルシオンが首を傾げる。


「何?」


「喋り方、変わった?」


「…………」


 ヴィオレッタ自身も気づいていなかった。


 いつの間にか。


 公爵令嬢として身につけてきた言葉遣いが消えていた。


「もう、公爵令嬢じゃないから」


「そうなの?」


「そうよ」


 ヴィオレッタは目元を拭う。


「だから……これでいいの」


「そっか」


 ルシオンはそれ以上何も言わなかった。


「それで?」


「何?」


「住む?」


「…………」


 ヴィオレッタは建築途中の家を見る。


 次にリゼットとミネット。


 最後にルシオンを見た。


「本当に、私がいてもいいの?」


「もちろん」


 迷いのない返事だった。


「……そう」


 ヴィオレッタは小さく笑った。


「じゃあ――」


 ほんの少しだけ迷ってから。


「しばらく、お世話になろうかな」


「決まりだね」


「ただし!」


「ん?」


「何もしないで住まわせてもらうつもりはないから。私にもできることがあったら言って」


「じゃあ早速」


「早速?」


 ルシオンが地面に置いた木材を指差した。


「家作り手伝って」


「…………」


 ヴィオレッタは木材を見る。


 ルシオンを見る。


 もう一度、木材を見る。


「私、昨日まで公爵令嬢だったんだけど?」


「今は違うんだろ?」


「さっき自分で言ったけど!」


「じゃあ大丈夫だね」


「何が大丈夫なのよ!」


 リゼットが吹き出した。


 ミネットも口元を僅かに緩めている。


「もう……」


 ヴィオレッタは呆れながらも。


 久しぶりに笑った。


 こうして。


 三人しかいなかった魔境の家に――


 四人目の住人が加わった。


 この時はまだ誰も知らない。


 四人で暮らすために作り始めたこの小さな家が。


 その周りに人が集まり。


 村となり。


 町となり。


 いつの日か、一つの大きな街へと変わっていくことを。

いつも読んで頂きありがとうございます!


面白いと思って頂けたらコメント、評価や⭐︎を頂けると、とても喜びます。


よろしくお願い致します。

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