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全てを失った悪役令嬢

ヴィオレッタは絶望してしまいます

 王宮から公爵家へ戻る馬車の中。


 ヴィオレッタは窓の外を眺めていた。


 向かいには父と母が座っている。


 誰も口を開かない。


 王都の景色だけが、ゆっくりと後ろへ流れていく。


「…………」


 ヴィオレッタは膝の上で両手を重ねた。


 婚約はなくなった。


 幼い頃から決められていた未来も。


 王妃になるために積み重ねてきた努力も。


 すべて無駄になった。


 それでも――


 不思議と涙は出なかった。


 悲しくないわけではない。


 悔しくないわけでもない。


 ただ、まだ実感がないのだ。


 レオンハルトのことを愛していたのかと聞かれれば、自信を持って頷くことはできない。


 幼い頃から婚約者だった。


 だから将来結婚するのだと思っていた。


 それだけだったのかもしれない。


「お父様」


 ヴィオレッタが沈黙を破った。


「なんだ」


「先ほど、帰ったらお話があるとおっしゃいましたわね」


「ああ」


「わたくしからも、お話ししたいことがございます」


「…………」


「ロザリアさんについてです」


 父はヴィオレッタを見る。


「先ほどのお話には、事実とは異なる部分がいくつもございました」


「ヴィオレッタ」


「学院の本についても、わたくしは注意しただけです。階段での件も――」


「もういい」


「……え?」


「その話は終わった」


「終わってなどおりません」


 思わず声が強くなる。


「わたくしは一度も、きちんと事情を聞いていただいておりません」


「聞いたところで何が変わる」


「何が……?」


「婚約はすでに解消された」


「だからといって、わたくしがしてもいないことまで認める理由にはなりませんわ」


「そういうところだ」


「…………」


 父が深く息を吐く。


「自分の正しさばかり主張する。その態度が問題なのだ」


 どこかで聞いた言葉だった。


 レオンハルトだ。


「では、間違っていることを認めればよろしいのですか?」


「言葉尻を捉えるな」


「そうではありません!」


 ヴィオレッタの声が馬車の中へ響いた。


「わたくしは知りたいだけです!なぜ誰も、わたくしの話を聞いてくださらないのですか?」


「声を抑えなさい」


 母が冷静に言った。


「外へ聞こえたらどうするのです」


「…………」


 ヴィオレッタは口を閉じた。


 それから屋敷へ到着するまで、誰も話さなかった。


 公爵家へ戻る。


 いつもと変わらない屋敷。


 幼い頃から暮らしてきた家。


 使用人たちが玄関に並び、一斉に頭を下げる。


 だが。


「…………」


 いつもとは違った。


 誰もヴィオレッタと目を合わせない。


 すでに王宮で何があったのか伝わっているのだろうか。


「ヴィオレッタ。来なさい」


「……はい」


 父に連れられ、執務室へ入る。


 母も一緒だった。


 扉が閉じられる。


 ヴィオレッタは両親と向き合った。


「それで、お話とは何でしょう?」


「今後のことだ」


「今後?」


「ああ」


 父が机の前に立つ。


「お前と第一王子殿下の婚約は解消された」


「先ほど伺いました」


「これは我が家にとって非常に大きな問題だ」


「…………」


「お前は、第一王子妃となることを前提に育ててきた。公爵家としても、そのために多大な時間と金を費やしている」


「存じております」


「それがすべて無駄になった」


 胸の奥が僅かに痛んだ。


「……申し訳ございません」


「謝って済む話ではない」


「あなた」


 母が父を見る。


 しかし止めるつもりではないらしい。


「学院での醜聞も王都中へ広がり始めている。このままでは公爵家全体の名誉に関わる」


「ですが、あれは――」


「事実ではないと言いたいのだろう?」


「……はい」


「仮にそうだとしても、だ」


 父はヴィオレッタを真っ直ぐ見る。


「噂はすでに広がっている」


「…………」


「王家との婚約を解消された令嬢。第一王子の想い人へ嫌がらせを繰り返し、階段から突き落とそうとした女。実の妹すら虐げている姉」


「エレオノーラの話は完全な嘘です!」


「分かっている!」


 初めて父が声を荒らげた。


 ヴィオレッタが息を呑む。


「お前がエレオノーラを大切にしていることくらい、私たちも知っている」


「でしたら!」


「だからこそだ!」


 父が机を叩いた。


「エレオノーラまで巻き込むつもりか!」


「……え?」


「今後、社交界でお前がどう呼ばれると思う?」


「…………」


「悪女だ」


 ヴィオレッタの指先が僅かに震えた。


「そして、その悪女の妹というだけで、エレオノーラまで同じ目で見られる」


「そんな……」


「縁談にも影響するでしょうね」


 母が静かに言った。


「エレオノーラには何の非もありません。それなのに、あなたの姉妹というだけで悪評に巻き込まれる可能性があります」


「では、わたくしにどうしろとおっしゃるのです?」


 答えはすぐには返ってこなかった。


 その沈黙が。


 何よりも怖かった。


「お父様?」


 父が目を閉じる。


 そして――


「公爵家から籍を外す」


「…………」


 何を言われたのか理解できなかった。


「……はい?」


「本日をもって、お前をアーデルハイド公爵家から除籍する」


「…………」


「今後、アーデルハイドの名を名乗ることも許さない」


 ヴィオレッタは父を見つめた。


 冗談を言っているようには見えない。


「わたくしを……」


 喉が震える。


「勘当なさる、ということですか?」


「そうだ」


「…………」


 頭の中が真っ白になった。


 婚約を失った時とは違う。


 足元が崩れていくような感覚。


「待ってください」


 ようやく出た声は、自分でも驚くほど小さかった。


「わたくしは……この家の娘ですわ」


「今日まではな」


「お父様」


「決定は覆らない」


「お母様……」


 母を見る。


 助けを求めるように。


 だが母は目を逸らした。


「家を守るためです」


「…………」


「理解しなさい、ヴィオレッタ」


「理解……?」


 何を。


 何を理解すればいいのだろう。


「わたくしは何もしておりません」


「…………」


「ロザリアさんを虐めてなどおりません。エレオノーラを虐げたことなど一度もありません」


 声が震える。


「それなのに、どうして……」


「ヴィオレッタ」


「どうしてわたくしが、この家を出なければならないのですか?」


 誰も答えなかった。


「お父様は……」


 ヴィオレッタは父を見る。


「わたくしを信じてくださらないのですか?」


「信じる信じないの問題ではない」


 その答えが、一番聞きたくなかった。


「公爵家当主としての判断だ」


「…………」


「お前一人のために、公爵家全体を危険に晒すことはできない」


 ヴィオレッタは俯いた。


 唇を噛む。


 泣くな。


 まだ。


 泣いてはいけない。


「……分かりました」


 震える声を必死に抑える。


「では、一つだけお願いがございます」


「なんだ」


「エレオノーラが戻るまで、待っていただけませんか?」


「…………」


「二週間だけです」


 父の表情が曇る。


「戻ってきたら、わたくしから説明します」


「ならん」


「……どうして?」


「エレオノーラにはこちらから説明する」


「そうではありません!」


 ヴィオレッタが顔を上げた。


「わたくしが話したいのです!」


「必要ない」


「あります!」


 今まで抑えていた声が溢れた。


「何も言わずにいなくなったら、あの子は心配します!今日だって、何かあったら手紙を送れと……!」


 そこまで言って、言葉が詰まった。


 約束した。


 何かあったら手紙を送ると。


 ほんの数時間前に。


「お願いします」


 ヴィオレッタは父を見る。


 公爵令嬢としてではない。


 ただの娘として。


「せめて、エレオノーラに会わせてください」


「…………」


「戻ってくるまででいいのです。それから出ていきます」


「駄目だ」


「お父様……」


「これ以上、あの子を巻き込むな」


「巻き込むって……」


「お前が残れば、エレオノーラは必ずお前を庇う」


「当然です。あの子は――」


「だから駄目なのだ」


「…………」


「エレオノーラには未来がある」


 その言葉が胸へ突き刺さった。


「では……」


 ヴィオレッタの口から、小さな声が漏れる。


「わたくしには?」


 父は答えなかった。


 母も。


 誰も。


「…………そう」


 それだけで十分だった。


 ヴィオレッタは背筋を伸ばした。


「承知いたしました」


 先ほどまでの震えが嘘のように、声が静かになる。


「ヴィオレッタ」


「今まで育てていただき、ありがとうございました」


 深く頭を下げる。


「失礼いたします」


 踵《きびす》を返す。


 扉へ向かう。


「荷物については――」


「結構です」


 父の言葉を遮った。


「わたくしのものではありませんもの」


「…………」


「公爵家から与えられたものは、すべて置いていきます」


 扉を開ける。


 そしてヴィオレッタは、一度も振り返らなかった。


 自室へ戻る。


 扉を閉める。


 いつもと同じ部屋だった。


 大きなベッド。


 机。


 本棚。


 ドレス。


 宝石。


 幼い頃から使ってきたものが、いくつも置かれている。


「…………」


 もう自分の部屋ではない。


 ヴィオレッタは小さな鞄を一つだけ取り出した。


 私物と言えるものを最低限詰めていく。


 その途中。


 机の上に置かれていたものが目に入った。


 小さな髪飾り。


 エレオノーラから去年の誕生日にもらったものだった。


「…………」


 手に取る。


『お姉ちゃんに似合うと思って選んだの』


 嬉しそうに笑っていた妹の顔が浮かんだ。


「エレオノーラ……」


 初めて。


 涙が一滴だけ落ちた。


「ごめんなさい」


 約束を守れなかった。


 何かあったら手紙を送ると言ったのに。


 手紙を書けば、エレオノーラは戻ってくる。


 きっと何も考えずに飛んで帰ってくる。


 そして両親と喧嘩するだろう。


 自分を庇って。


 だから――書けなかった。


「……元気でね」


 髪飾りだけを鞄へ入れた。


 それから間もなく。


 ヴィオレッタは十七年間暮らした屋敷を出た。


 誰も見送りには来なかった。


 門が閉じる。


「…………」


 行く場所はない。


 婚約者はいない。


 家族もいない。


 家もない。


 名前すら失った。


「これから……どうしましょう」


 答えてくれる者はいなかった。


 ヴィオレッタは歩き始めた。


 行き先など決めていない。


 ただ、この場所から離れたかった。


 王都の大通りを歩く。


 幸せそうな家族とすれ違った。


 楽しそうに話す恋人たち。


 買い物をする親子。


 自分だけが、どこにも属していないように感じた。


 気づけば、王都の門まで来ていた。


「…………」


 この先へ行けば王都を出る。


 振り返る。


 生まれ育った街。


 もう一度戻れば。


 もしかしたら父が考え直しているかもしれない。


 母が追いかけてくるかもしれない。


 そんな期待が、一瞬だけ浮かんだ。


 だが……


 誰も来なかった。


「……そうですか」


 ヴィオレッタは前を向いた。


 そして王都を出た。


 どれほど歩いただろう。


 街道を進み、途中で小さな町を通り過ぎた。


 夜は安宿へ泊まり、翌朝になればまた歩いた。


 どこへ向かっているのか、自分でも分からない。


 ただ、人の少ない方へ。


 誰も自分を知らない方へ。


 歩き続けた。


 やがて。


 ヴィオレッタは小さな村へ辿《たど》り着いた。


「…………」


 村の向こうには、大きな森が広がっている。


 その森を見た瞬間。


 少し前に聞いた話を思い出した。


 近隣でも有名な危険地帯。


 強力な魔獣が生息し、冒険者ですら滅多に近づかない場所。


 ――魔境。


「……ちょうどいいですわね」


 ヴィオレッタは小さく呟いた。


 自分でも驚くほど、穏やかな声だった。


 帰る場所はない。


 待っている人もいない。


 これから何をしたいのかも分からない。


 なら。


 どこへ行ったって同じだ。


 ヴィオレッタは森へ向かって歩き出した。


 村人が慌てて声をかける。


「お、お嬢さん!そっちは駄目だ!」


「危ないぞ!森へ入るつもりか!?」


「戻ってこい!」


 声は聞こえていた。


 それでも足を止めなかった。


 森の中へ入る。


 木々が陽光を遮り、辺りが薄暗くなる。


「…………」


 怖くない。


 不思議なくらいに。


 魔獣に襲われるかもしれない。


 死ぬかもしれない。


 そう考えても、足は止まらなかった。


「わたくしがいなくなった方が……」


 誰にも迷惑をかけない。


 そう思った瞬間。


 胸の奥に溜め込んでいたものが、とうとう耐えきれなくなった。


「……どうして」


 足が止まる。


「どうして……わたくしだったの……?」


 声が震えた。


 ロザリアを虐めていない。


 エレオノーラを虐げてもいない。


 花瓶から助けた。


 間違っていることを注意した。


 それだけだった。


「わたくしは……そんなに悪いことをしましたの?」


 返事はない。


「ちゃんと頑張ってきたのに……」


 王妃になるために。


 公爵家の娘として恥じないように。


 妹の見本になれるように。


「ずっと……頑張ってきたのに……」


 涙が頬を伝う。


 もう拭う必要もなかった。


 見ている人などいない。


「もう、すべてお終いでいいですわよね」


 ヴィオレッタは一人、森の奥へ歩いていく。


 もう帰るつもりはなかった。


 その先に何がいるのかも知らずに。


 そして――


 森を抜けた先。


 広い草原に、一軒の建物が見えてきた。


「…………?」


 ヴィオレッタが足を止める。


 こんな場所に家?


 魔境と呼ばれる土地の奥深く。


 人がいるはずのない場所だ。


 目を凝らす。


 家の前に誰かいる。


 一人の少年が、木材を抱えて歩いていた。


「……え?」


 見覚えがあった。


 少し前。


 王宮で大きな荷物を持って歩いていた少年。


「ルシオン……殿下?」


 その声に、少年が振り返った。


「ん?」


 二人の視線が重なる。


「…………」


「…………」


 しばらく沈黙が続いた。


 先に口を開いたのはヴィオレッタだった。


「……何をなさっているのですか?」


 ルシオンは自分が抱えている木材を見る。


 そして当たり前のように答えた。


「見れば分かるだろ」


 木材を軽く持ち上げる。


「家を作ってる」


「…………」


 ヴィオレッタは瞬きをした。


 もう一度、建物を見る。


 そしてルシオンを見る。


「どうして……こんなところで?」


「ここに住んでるから」


「…………」


 意味が分からなかった。


 ここは魔境だ。


 強力な魔獣が徘徊《はいかい》し、人が寄りつかない場所。


 なのに。


 目の前の元王子は――


 普通に家を建てていた。

いつも読んで頂きありがとうございます!


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よろしくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
 一番悪いのはロゼッタでしょうけど、ヴィオレッタも王妃教育にかまけて王子と絆を深める努力をしていなかったように思います。  あと、ヴィオレッタが他人の悪意に対して気付いてなかったというか、他人に悪意が…
わくわく
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