どうやらここは魔境でした
ルシオンたちの旅立ちです
火事の現場を離れた俺は、予定通り書店へ向かった。
さっきまでの豪雨が嘘だったかのように、王都の大通りは乾いている。
やっぱり、あの辺りだけに降ったらしい。
「珍しいこともあるんだな」
あれだけ都合よく雨が降ってくれたおかげで、女の子も犬も無事だった。
それで十分だ。
俺はそれ以上考えることなく、目的の書店へ入った。
店内には天井近くまで本が並んでいる。
王宮の書庫ほどではないが、思っていたより品揃えはいい。
「地方の地図は……こっちか」
王国全土が描かれた地図を広げる。
今いる王都は、王国のほぼ中央。
ここから東へ行けば大きな港町があり、西には穀倉地帯。
南にはいくつもの貴族領が広がっている。
北は――
「山と森ばっかりだな」
地図の大部分が緑色だった。
小さな村はいくつかあるが、その先にはほとんど何も書かれていない。
俺が探している条件には近い。
土地が広く、静か。
そして、人が少ない。
川もありそうだ。
「この辺り、いいかもしれないな」
王都から北東へかなり離れた場所。
地図には大きな森林地帯が描かれている。
近くには川も流れていた。
その地図を購入し、待ち合わせ場所へ戻る。
ちょうどリゼットとミネットも戻ってきたところだった。
二人とも両手に大量の荷物を抱えている。
「お待たせしました、ルシオン様」
「ずいぶん買ったね」
「必要最低限です」
ミネットが平然と答える。
その横で、リゼットは俺を見た途端に眉を寄せた。
「ルシオン様」
「ん?何?」
「なぜ髪が濡れているのですか?」
「え、ああ、ちょっと雨が降って」
「雨……ですか?」
リゼットが空を見る。
空を見ると雲一つない快晴だ。
「あの、どこでですか?」
「向こうの方」
「私たちもあちらの方にはいきましたが降っていませんでしたよ?」
「俺がいたところでは降ったんだよ。ものすごい雨だった」
ミネットも俺を見る。
「局地的な雨でしょうか」
「たぶんね。ちょうど火事があってさ、そこだけめちゃくちゃ雨が降ったんだ。女の子が取り残されてたから助けてきたんだけど珍しい体験をしたよ」
「…………」
双子が同時に黙った。
「えっ、何?」
「……火事?助けてきた?」
ミネットが荷物を置いた。
「私たちは、ほんの一刻ほど離れていただけですよね?」
「そうだね」
「なぜその短時間で火事に遭遇して、人助けをしているのですか?」
「俺に言われても」
「お怪我はないのですか?」
リゼットが俺の身体を確認し始める。
「ないない。雨のおかげで火もほとんど消えてたから」
「本当に?」
「本当だって」
ようやく納得したらしい。
リゼットが胸を撫で下ろした。
「次からは私たちが戻るまで待っていてください」
「火事って待ってくれるものなの?」
「では火事を見つけないで頂きたい」
「無茶言うなよ」
ミネットが小さくため息をついた。
「今後は、なるべくルシオン様を一人にしない方がよさそうですね」
「俺、もう十七だよ?大人だって」
「年齢の問題ではありません」
どういう意味だ。
「それより、住む場所の候補を見つけたよ」
俺は買ってきた地図を広げた。
「ここ」
二人が地図を覗き込む。
「王都から北東ですね」
「森もあるし、川もある。王都からもだいぶ離れてる」
「かなり離れていますね」
「だからいいんだよ。これだけ離れたら人もいなさそうだし」
王宮では、いつも誰かの目があった。
食事をする時、勉強する時、外へ出る時も。
第九王子として生まれた以上、それが当たり前だった。
でも、もう王子じゃない。
「せっかくだからさ。静かなところで暮らそうよ」
リゼットは嬉しそうに頷いた。
「私はルシオン様と一緒なら、どこでも構いません!」
「ありがとう」
「姉さんは少しくらい考えてから答えてください」
「ミネットはここは嫌?」
「いいえ、そうではありません」
ミネットは地図を見つめる。
「まず近隣の村で情報を集めてから決めるべきだとは思います。候補として見てみることには賛成です」
「じゃあ決まりだね」
こうして俺たちは王都を離れた。
生まれてから十七年間。
何度か地方へ行ったことはある。
だが、その時は必ず王族用の馬車だった。
護衛も大勢いた。
だけど、今回は違う。
移動するのに小さな馬車を一台買った。
そして、必要な荷物を積み込む。
御者は俺、馬術は得意だったんだ。
隣にはミネット。
後ろにはリゼット。
「なんか楽しいな、ワクワクするよ」
「そうですか?」
「こんな風に自分で行き先を決めて旅するの、初めてだから」
王子だった頃なら、目的地も日程も全部決められていた。
寄り道だって自由にはできない。
だけど、今は違う。
「腹が減ったら止まればいいし、眠くなったら寝ればいい」
「最低限の予定は立てます」
「うっ……はい」
ミネットがいる限り、完全な自由というわけにはいかなそうだ。
王都を離れてから数日。
俺たちは北東へ進み続けた。
町を通り。
村を抜け。
次第に人の姿が減っていく。
そして目的の森林地帯に最も近い小さな村へ到着した。
「今日はここで泊まろうか」
「賛成です」
宿を取り、夕食を済ませる。
そのついでに、俺は宿の主人へ地図を見せた。
「この辺りについて聞きたいんだけど」
「どれどれ……」
主人が地図を見る。
俺が指差したのは、例の森林地帯だ。
すると――
「…………」
主人の顔が固まった。
「ここへ行くのか?」
「そのつもりだけど」
「何しにこんなところに行くんだ、やめておいた方がいい」
「どうして?」
「どうしてって……」
主人が俺たち三人を見る。
「こんなとこには何もないぞ」
「何もない?」
「ああ。村も町もない。ずっと森だ」
それを聞いて、俺は思わず笑った。
「最高じゃないか、だからいい」
「……え?」
「いや、こっちの話」
人がいない。
つまり静か。
理想通りだ。
「他には?」
「他?」
「川とかある?」
「あ、ああ。あるにはある。森を抜けた先に大きな川が流れている」
水もある。
さらにいい。
「土地は?」
「いくらでも余ってる」
「完璧だな」
「…………」
なぜか主人が変な顔をしている。
「ルシオン様」
ミネットが俺の袖を引いた。
「それは地図で確認しました。もう少し詳しく聞いた方がよいかと」
「そう?」
「はい」
ミネットが主人を見る。
「その森には――」
「ミネットー!」
主人の声を掻き消しリゼットが声を上げた。
「どうしたの?」
「お肉のおかわりを頼んでもいい?」
「今?」
「もちろん!」
「いいけど」
「ありがとうございます!」
リゼットが店員を呼ぶ。
ミネットが額を押さえた。
「姉さん……」
「ミネットも食べる?」
「後でね」
ミネットが小さくため息をつき、主人へ向き直る。
「失礼しました。それで、その森には何が?」
「いや……魔獣が多いって話だ」
「魔獣ですか」
「ああ。かなり危険な奴もいる。冒険者でも近づきたがらねえ」
「なるほど」
ミネットは森の位置を地図で確認した。
「ルシオン様。その点も考慮して――」
「リゼットとミネットがいるなら大丈夫じゃない?」
「…………」
「二人なら倒せるだろ?」
「まあ……おそらくは倒せますが」
「じゃあ一度見に行ってみようよ」
結局、その日は早めに休むことにした。
翌朝、村を出発する。
宿の主人は最後まで、
「本当にあんな場所に行くのか?」
と心配していた。
何もない場所へわざわざ行こうとする物好きが珍しいのだろう。
馬車を走らせること数時間。
森へ入る。
道は細くなっていったが、馬車が通れないほどではない。
「綺麗なところだな」
木漏れ日が地面へ落ちている。
空気も王都とは比べものにならないほど澄んでいた。
鳥の鳴き声も聞こえる。
「静かだし」
「逆に静かすぎる気もしますが」
ミネットが周囲を警戒している。
「そう?」
「先ほどから人どころか、動物の姿もほとんど見ません」
「たまたまじゃないの?」
「…………」
さらに奥へと進む。
やがて森が途切れた。
「おお……」
思わず声が出た。
目の前に広大な草原が広がっていた。
遠くには山々。
少し離れたところには森。
そして地図に描かれていた通り、大きな川が流れている。
「ここだ」
俺は馬車から降りた。
風が草原を吹き抜ける。
王都の喧騒なんて欠片もない。
建物もない。
人もいない。
あるのは広い土地だけ。
「いいじゃん」
「本気ですか?」
ミネットが尋ねる。
「うん。気に入った」
「周囲の調査を先にした方がよいと思います」
「じゃあ、それは二人にお願いしていい?」
「承知しました」
「任せてください!」
リゼットとミネットが森の方へ向かう。
二人とも俺の護衛になる以前は、王国の暗部で暗殺を専門としていた。
正面から敵を叩き潰すのを得意とするリゼットと、気配を消して仕留めることを得意とするミネット。
戦い方こそ違うが、周辺の危険を調べることに関しては俺なんかより遥かに慣れている。
「さて」
二人の姿が森の中へ消える。
俺も俺でやることを始めよう。
「まずは家の場所からかな」
いつまでも野宿するわけにはいかない。
幸い、木材ならいくらでもある。
工具も途中の町で買ってきた。
王宮にいた頃、建築の本を読んだこともある。
「やってみるか」
俺が呑気に家を建てようとやり始めた頃。
森へ入ったリゼットとミネットは、早くも異変に気づいていた。
「姉さん」
「うん」
二人の足が同時に止まる。
地面には巨大な足跡が残されていた。
人間の頭ほどもある。
ミネットがしゃがみ込み、足跡へ指を触れる。
「新しい」
「きっと近くにいるね」
「おそらくは」
ミネットが立ち上がる。
視線だけを動かし、周囲を確認した。
「一体ではありません」
「どのくらいいそう?」
「少なくとも三体はいそう。別種の痕跡もあります」
「多いね」
「ええ、村からそれほど離れていない森なのに異常です」
リゼットは腰に下げた武器へ手を伸ばした。
「じゃあ、ルシオン様のところに行く前に倒しておこうか」
「そうですね。あちらへ近づかれても面倒です」
二人にとっては、害虫でも駆除するような会話だった。
その直後。
ガサッ。
茂みが大きく揺れた。
現れたのは、リゼットの身長を優に超える巨大な狼型の魔獣だった。
大きい、三体が姿を現した、
さらに奥から二体。
鋭い牙の隙間から涎を垂らし、五体の魔獣が二人を取り囲む。
「五体ですね」
「ミネット、三体お願い」
「姉さんが三体です」
「えー」
「私は先ほどから痕跡を調べています。姉さんは何もしていません」
「はーい、分かったよ」
リゼットが一歩前へ出た。
その瞬間、一体の魔獣が飛びかかった。
巨大な顎がリゼットの首を狙う。
しかし――
「遅いかなー」
リゼットは避けなかった。
踏み込みながら魔獣の顎へ拳を叩き込む。
鈍い音が森に響いた。
巨体が地面から浮き上がり、そのまま数メートル先の木へ激突する。
幹が大きく揺れた。
残る魔獣が一斉に動いた。
「姉さん。次右ね」
「分かってる!」
リゼットが振り向きざまに一体を蹴り飛ばす。
その背後。
死角から別の一体が飛びかかる。
だが、その牙がリゼットへ届くことはなかった。
魔獣の首筋に細い刃が突き刺さっていた。
「ギャッ……!」
短い悲鳴。
いつ移動したのか。
魔獣の背後には、すでにミネットが立っている。
刃を引き抜く。
魔獣が地面へ崩れ落ちた。
「じゃあまず一体」
淡々と呟く。
もう一体がミネットへ飛びかかる。
ミネットの姿が消えた。
魔獣の爪が空を切る。
次の瞬間には、その懐へ潜り込んでいた。
急所へ一撃。
無駄な動きは一つもない。
二体目も静かに倒れる。
「はい二体ね」
「相変わらず地味だね、ミネット」
「暗殺者に派手さを求めないでくださいよね」
そう答えている間に、リゼットも最後の一体を地面へ叩き伏せていた。
––––ギャンッ!!
「はい、終わりっと!」
「ではもう先へ進みましょうか」
「ちょっとくらい褒めてよ」
「はいはい。さすが姉さんです」
「雑ー!」
二人は何事もなかったかのように森の奥へ進んでいく。
しかし。
さらに奥へ進んだところで、ミネットが再び足を止めた。
「……姉さん」
「今度は何?」
「これを」
一本の木。
その幹に深い爪痕が刻まれている。
先ほどの狼型魔獣とは比較にならないほど大きい。
リゼットの表情からも、先ほどまでの軽さが消えた。
「うわこれ、結構大きいね」
「ええ」
さらに地面には別の魔獣の足跡。
木の枝には巨大な鳥型魔獣のものと思われる羽。
少し離れた場所には、何かが争った跡まで残されている。
「どう思います?」
「そうね、強い魔獣がいっぱい住んでる?」
「簡潔に言えばそうですね」
「でも、この程度なら大丈夫じゃない?」
「私たちにとっては、です」
「あっルシオン様だね」
リゼットがようやく気づいた。
「普通の人、ここ住めない?」
「だから周辺に誰もいないのでしょうね」
二人は顔を見合わせた。
「ルシオン様、気に入ってたよ?」
「非常に気に入っていらっしゃいましたね」
「ルシオン様になんて言う?」
「…………」
ミネットは少し考えた。
「ひとまず戻りましょう」
「だね」
二人が草原へ戻る。
すると――
「……何をしているのでしょう?」
ミネットが呟いた。
さっきまで何もなかった場所に、木材が並べられている。
その中心でルシオンが汗を流していた。
「ルシオン様!」
「おかえり」
「何をしているのですか?」
「何って、家を作ってるよ」
「もうですか?」
ミネットが驚いた顔をする。
「住むって決めたから」
「まだ周辺の調査結果を報告していません」
「危ないところでもあった?」
「…………」
ミネットが黙った。
リゼットを見る。
「どうする?」
リゼットの服には、先ほどの戦闘でついた土埃が残っている。
「リゼット、服汚れてるけど」
「少し魔獣がいたので倒してきました!」
「怪我はしてないの?」
「ありません!」
「ならよかった」
「…………」
ミネットが何とも言えない表情でルシオンを見る。
「ん、何?」
「いえ。それが少々、魔獣の痕跡が多いようでして」
「そりゃ、魔獣くらい森ならいるだろ?」
「その魔獣の種類が問題なのですが……」
「強いってこと?」
「はい、それなりには」
「二人なら倒せる?」
「私たちなら倒せます、しかし––––」
「じゃあ大丈夫じゃない?」
「…………」
ミネットが黙り込む。
「ルシオン様」
「ん?」
「普通は、強力な魔獣が生息する土地には住まないものです」
「でも、ここには人がいないんだろ?」
「はい」
「川もある」
「はい、あります」
「土地も広い」
「非常に」
「だったら理想通りじゃん」
「…………そうですね」
ミネットはしばらく何か言いたそうにしていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「分かりました。ただし、当面は私と姉さんが交代で周囲を警戒します」
「そこまでしなくても」
「します」
「はい」
こういう時のミネットには逆らわない方がいい。
「それより手伝ってよ」
「家作りをですか?」
「三人で住むんだから」
「もちろんです!」
リゼットが真っ先にやってくる。
地面に置いてあった大きな丸太を軽々と肩へ担いだ。
「これをどこへ運びますか?」
「……やっぱりリゼット連れてきて正解だったな」
「お任せください!」
「私も手伝います」
ミネットも上着の袖を捲った。
こうして三人で家を作り始めた。
この時の俺たちは、まだ知らない。
俺が「静かでいい場所だ」と気に入ったこの土地が、近隣の住民たちから決して近づいてはならない場所として恐れられていることを。
強力な魔獣が数多く生息し、冒険者ですら滅多に足を踏み入れない――魔境であることを。
そして––––
今は三人しかいないこの場所に、遠くないうちにもう一人。
すべてを失った公爵令嬢がやって来ることを。
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よろしくお願い致します。




