お金がない
マネマネマネー
「みんな、大変よ。お金がないわ」
朝食を終えた直後。
ヴィオレッタの一言で、四人の動きが止まった。
「…………」
ルシオンがパンを持ったままヴィオレッタを見る。
「なくなったの?」
「まだあるわよ、完全になくなったわけじゃない」
「じゃあ大丈夫じゃない?」
「大丈夫じゃない」
「どうして?」
「なくなってから考えてたら遅いからよ」
ヴィオレッタの前には、ミネットから借りた帳面が広げられていた。
王都から持ってきた資金。
旅の途中で使った金。
食料。
工具。
建築資材。
その他の生活用品。
すべて確認した。
「今すぐ困るほどじゃない。でも、このまま使い続ければ確実になくなる」
「畑があるよ」
「まだ何も収穫できないでしょ」
「泉もできた」
「水を売るつもり?」
「…………」
「それに、自分たちで作れないものは買わないといけないの。塩もそう。布もそう。薬だって全部この辺りで手に入るとは限らない」
「なるほど」
「分かった?」
「分かった」
「本当に?」
「多分」
「不安になる返事しないで」
ヴィオレッタはため息をついた。
「だから、収入が必要」
「それでしたら」
ミネットが立ち上がる。
「売れそうなものがあります」
「何?」
「魔獣の素材です」
ルシオンが首を傾げた。
「この前の猪?」
「それもあります」
ミネットは家の外へ出る。
三人も後を追った。
家の裏手。
そこには魔獣から回収した素材がまとめて置かれていた。
毛皮。
牙。
爪。
角。
魔石。
「こんなにあったの?」
ヴィオレッタが驚く。
「周辺を警戒していると、頻繁に襲われますので」
「それを普通に言うのもどうかと思うわ」
「姉さんが倒しすぎるのです」
「向こうから来るんだから仕方ないよ!」
リゼットが答える。
「それにしても」
ヴィオレッタは素材を見る。
「売れるの?」
「種類によりますが」
ミネットが一つの魔石を拾う。
「これは特に高値になると思います」
手のひらほどの魔石だった。
「そんなに?」
「魔石は魔道具の動力源として使われます。質がよいものほど価値が上がりますから」
「これ、質がいいの?」
「かなり」
「へえ」
ルシオンも魔石を覗き込む。
「じゃあ売ればいいじゃん」
「問題は、どこで売るかです、それだけではなくこの場所でも動力源としても使用できるので売る量も考えないと」
「近くの村じゃ駄目なの?」
「あの規模の村では買い取れないでしょう」
「じゃあ町?」
「はい、やはり小さな村より大きな町で買い取ってもらった方がいいでしょう」
ミネットが地図を広げる。
「ここから南西へ向かったところに、それなりの規模の町があります。冒険者ギルドもありますので、魔獣素材なら買い取ってもらえるはずです」
「どのくらいかかる?」
「馬車なら一日ほどでしょうか」
「じゃあ行こう」
「決断が早いわね」
ヴィオレッタが呆れる。
「お金が必要なんだろ?」
「そうだけど」
「だったら売りに行けばいい」
「本当に単純ね」
「褒めてる?」
「褒めてない」
結局。
その日のうちに町へ向かうことになった。
全員で家を空けるわけにもいかないため、リゼットが残る。
「任せてください!」
「魔獣が来ても家まで壊さないでね」
「……大丈夫です!」
「今の間は何?」
「気のせいです!」
「不安なんだけど」
ヴィオレッタが心配そうに家を見る。
ミネットは魔獣素材を馬車へ積み込んでいた。
「ヴィオレッタ、こちらをお願いします」
「分かった」
「俺も運ぶよ」
ルシオンも牙の入った袋を持ち上げる。
その時。
「ルシオン様」
「何?」
「それではなく、こちらを」
ミネットが小さな袋を渡した。
「軽いけど?」
「薬草です」
「俺だけ扱い違わない?」
「護衛対象ですから」
「もう大丈夫だって言ってるじゃん、俺だって荷物くらい運べるよ」
「では魔石をお願いします」
「分かった」
「落とした場合、かなりの損失になります」
「…………」
ルシオンが薬草の袋を抱えた。
「やっぱりこれにする」
「賢明です」
ヴィオレッタが吹き出す。
「笑わないでよ」
「ごめん。でも自分から諦めるの早すぎ」
「損失になるって言われたから」
「素直でよろしい」
「なんで上からなの?」
三人を乗せた馬車が魔境を出発した。
森を抜け。
街道へ出る。
久しぶりに人の行き交う道を進んでいると、ヴィオレッタは無意識に外套のフードを深く被った。
ルシオンがそれに気づく。
「顔、隠したい?」
「……一応ね」
「そっか」
それ以上は聞かなかった。
ヴィオレッタは少しだけ安心した。
まだ公爵家から追放されて、それほど時間は経っていない。
噂も残っているだろう。
できれば今は、知っている人間に会いたくない。
「ルシオンは平気なの?」
「何が?」
「あなたも元王子でしょ」
「俺は九番目だったし、そんなに顔知られてないよ」
「王都ならともかく、地方なら確かにそうかもしれないわね」
「それに、もう王子じゃないから」
「……そうね」
その言葉を聞くと、不思議と自分も少し楽になった。
自分ももう、公爵令嬢ではない。
なら。
これからどう生きるかは、自分で決めればいい。
夕方前。
三人は町へ到着した。
「結構大きいね」
「この周辺では一番大きな町でしょう」
商店。
宿屋。
武器屋。
防具屋。
通りには冒険者らしき人々も多い。
「まずはギルドへ行きましょう」
ミネットの案内で、三人は大きな建物へ向かった。
扉を開ける。
中は多くの冒険者で賑わっていた。
受付。
依頼掲示板。
酒場のような一角。
「冒険者ギルドって初めて来た」
ルシオンが辺りを見回す。
「王子が来るような場所ではありませんからね」
「もう王子じゃないよ」
「だから来られたんでしょう」
「なるほど」
ヴィオレッタは周囲の視線が自分たちへ向いていることに気づいた。
旅装とはいえ、三人とも冒険者らしくはない。
「素材の買い取りをお願いしたいのですが」
ミネットが受付へ声をかける。
「はい。では、素材をこちらへ――」
「馬車にあります」
「量が多いのですか?」
「多少」
「でしたら裏の買い取り口へお願いします」
三人は馬車を建物の裏へ回した。
職員が数人やってくる。
「では確認しますね」
「お願いします」
最初に出したのは猪型魔獣の牙だった。
「…………」
職員の手が止まる。
「どうしました?」
「これ……どこで手に入れました?」
「森で」
ルシオンが答える。
「森?」
「家の近く」
「家?」
職員が不思議そうな顔をする。
ミネットが小さく咳払いした。
「買い取り可能でしょうか?」
「あ、はい。ただ、少々お待ちください」
職員が別の男を呼んできた。
年配の鑑定担当らしい。
「こいつは……グランドボアの牙だな」
「グランドボア?」
ルシオンが聞き返す。
「知らないのか?」
「大きい猪だと思ってました」
「…………」
男がルシオンを見る。
「こいつは討伐推奨等級Bの魔獣だぞ」
「B?」
「熟練の冒険者が複数人で挑む相手だ」
「へえ」
「へえ、じゃないでしょう」
ヴィオレッタが小声で突っ込む。
「ミネット、一人で倒してたよ?」
「…………」
鑑定担当の視線がミネットへ移った。
「あなたが?」
「はい」
「一人で?」
「はい」
「…………」
男は何も言わなくなった。
「他にもあります」
ミネットが次の素材を出す。
狼型魔獣の毛皮。
「…………」
男の眉が動いた。
「こいつはブラッドファングウルフだ」
「それも強いの?」
ルシオンが尋ねる。
「C上位。群れならB相当だ」
「群れだったよね?」
「はい」
「…………」
男が再び黙る。
「まだあります」
「まだあるのか?」
次。
角。
爪。
魔石。
一つ出すたびに。
鑑定担当の表情がおかしくなっていった。
そして。
「ちょっと待て」
ついに止められた。
「はい?」
「お前たち、これをどこで集めた?」
「だから家の近くです」
「その家はどこにあるんだ?」
「森の奥」
な
「どこの森のことだ?」
ルシオンが大まかな場所を説明する。
「…………」
鑑定担当の顔が引きつった。
「そこ……魔境じゃないか」
「そう呼ばれてるみたいですね」
「みたいですね、じゃない!」
突然声を上げられた。
「どうしてそんなところに家がある!?」
「俺がここに住みたかったから」
「そういう意味で言ってるんじゃない!」
「…………?」
ルシオンが本気で分かっていない顔をする。
ヴィオレッタは額を押さえた。
「すみません。この人、こういう人なんです」
「ヴィオレッタ、それどういう意味?」
「そのままの意味」
鑑定担当はしばらく三人を見つめていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「とにかく査定する。少し時間をくれ」
「お願いします」
三人は待合所へ戻った。
「そんなに強い魔獣だったんだ」
「今さら?」
ヴィオレッタが呆れる。
「ミネットたちが普通に倒してたから」
「姉さんと私は、一般的な冒険者を基準にされても困ります」
「やっぱり二人ともおかしいのね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「褒めてないわよ」
しばらくして。
三人は再び呼ばれた。
「査定が終わった」
鑑定担当が金額を告げる。
「全部で――金貨四十三枚だ」
「…………」
ヴィオレッタが固まった。
「四十三?」
「ああ」
「金貨?」
「そうだ」
ルシオンがヴィオレッタを見る。
「多いの?」
「多いわよ!」
思わず声が大きくなった。
「普通の家庭なら、かなり長く暮らせる金額よ!」
「へえ」
「だから『へえ』じゃない!」
ヴィオレッタは頭を抱える。
しかし。
すぐに何かに気づいた。
「待って」
「何?」
「これ……全部、家の近くで取れたのよね?」
「うん」
「まだいる?」
「いっぱいいると思う」
「…………」
ヴィオレッタの目が変わった。
「ミネット」
「はい」
「魔獣って、定期的に襲ってくるのよね?」
「そうですね」
「倒せる?」
「問題ありません」
「素材は売れる?」
「今回を見る限り、かなりの収入になりますね」
「…………」
ヴィオレッタは考える。
食料を買える。
工具も。
衣服も。
種も。
家畜だって手に入る。
それだけではない。
今後、人が増えたとしても――
「ヴィオレッタ?」
「ルシオン」
「何?」
「私たち……」
一度言葉を切る。
「ものすごく価値のある場所に住んでるんじゃない?」
「魔境だけど?」
「だからよ」
誰も近づかない。
強力な魔獣が大量にいる。
だからこそ。
手つかずの資源が残されている。
「これ、魔獣だけじゃないかもしれない」
「どういうこと?」
「薬草もあった。普通の森では見かけない植物もあった。それに、魔力の濃い土地なら――」
ヴィオレッタの頭の中で、王妃教育と領地経営で学んだ知識が繋がっていく。
「珍しい鉱石や植物があってもおかしくない」
「へえ」
「だからその反応やめなさい!」
ルシオンが笑う。
ミネットも少し考えてから頷いた。
「一度、周辺資源を詳しく調査する価値はありそうですね」
「でしょう?」
「ただし」
ミネットの表情が少し厳しくなる。
「価値があると知られれば、人も集まります」
「…………」
「善良な者だけが来るとは限りません」
ヴィオレッタの表情も変わる。
「そうね」
金になる場所。
それを知れば。
奪おうとする者も出てくる。
「じゃあ秘密にする?」
ルシオンが尋ねる。
「今はね」
ヴィオレッタは答えた。
「まだ私たちは四人しかいないもの」
家が一軒。
小さな畑。
小さな泉。
それだけだ。
「まずは自分たちがちゃんと暮らせるようにする」
「その後は?」
「その後は、その時考える」
「了解」
「ただし」
「ん?」
「今日のお金、全部使わないでよ」
「使わないよ」
「本当に?」
「俺を何だと思ってるの?」
「お金の管理を全部ミネットに任せてる人」
「…………」
「反論は?」
「ありません」
ミネットが金貨の入った袋を受け取った。
「では、私が管理します」
「お願い」
「俺のお金だったはずなんだけどな」
「今は四人の生活費でしょ?」
「そうだけど」
「なら無駄遣い禁止」
「はい」
ルシオンは素直に頷いた。
ヴィオレッタはそんな彼を見て、小さく笑った。
魔境。
誰も近づかない危険な土地。
昨日までは、それだけだと思っていた。
けれど。
見方を変えれば。
誰にも使われていない資源が眠る土地でもある。
ヴィオレッタはまだ知らない。
今日売った魔獣素材など、この土地が持つ価値のほんの一部にすぎないことを。
そして――
四人が暮らし始めたこの魔境が。
やがて商人たちさえ目を疑うほどの富を生み出す土地へ変わっていくことを。
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