水が必要
水をどうにかしたいところ
魔境で四人の生活が始まってから、数日が経った。
家の前には小さな畑ができた。
まだ植えたばかりで、当然ながら収穫できるものは何もない。
それでも。
「なんか、それっぽくなってきたな」
ルシオンは満足そうに畑を眺めていた。
「何が?」
「生活」
「家と畑ができただけよ」
隣に立つヴィオレッタは呆れたように答える。
「十分じゃない?」
「全然足りない」
「厳しいな」
「当たり前でしょ。これからずっとここで暮らすつもりなんだから」
ヴィオレッタは手元の紙を見る。
そこには、必要なものがいくつも書き出されていた。
食料。
保存庫。
薪。
薬。
生活用品。
そして――
「一番面倒なのが水ね」
ヴィオレッタは川へ目を向けた。
水そのものは豊富にある。
問題は距離だった。
家を建てた場所から川までは、それなりに離れている。
飲み水。
料理。
洗濯。
身体を洗うための水。
そして畑。
暮らしてみれば、想像していた以上に大量の水が必要になる。
「ただいま戻りました!」
声が聞こえた。
リゼットが両手に大きな桶を持って歩いてくる。
水がいっぱいに入った桶を左右に一つずつ。
「おかえり」
「今日は多めに汲んできました!」
「ありがとう」
ヴィオレッタが桶を見る。
「でも毎回これじゃ大変ね」
「私は平気ですよ?」
「リゼットが平気かどうかじゃないの」
リゼットなら一日に何往復でもできるだろう。
だが、それを前提にした生活はよくない。
「畑が大きくなれば、もっと水が必要になる」
「じゃあ、もっと持ってきます!」
「そういう解決方法はやめましょう」
「駄目ですか?」
「駄目」
即答した。
「昨日話した水路を作るのが一番いいと思う」
ヴィオレッタは地面へ簡単な図を描く。
「川からここまで水を引くの」
「結構距離あるよ?」
「だから勾配を調べる必要があるのよ。水は低い方へ流れるんだから」
「なるほど」
「問題は――」
ヴィオレッタが周囲を見る。
「かなり大掛かりな作業になることね」
家から川まで溝を掘る。
それだけではない。
途中の地形も確認しなければならない。
水量の調整も必要になる。
適当に作れば、雨で溢れたり、逆に水が流れてこなかったりするだろう。
ただ掘ればいいというわけでもない。
「でも必要なんだろ?」
「いずれはね」
「じゃあ作ろう」
「だから簡単に言わないの」
「四人いれば何とかなるんじゃない?」
「一人は何でも力で解決しようとするのよ」
「呼びました!?」
少し離れた場所で薪を割っていたリゼットが振り返った。
「呼んでない!」
「分かりました!」
リゼットが再び薪を割り始める。
バキンッ!
薪どころか、その下に置いていた丸太まで割れた。
「…………」
「…………」
ルシオンとヴィオレッタが黙って見つめる。
「……あの力を上手く使えば早そうだね」
「水路じゃなくて渓谷ができそうだから怖いのよ」
そこへミネットが戻ってきた。
「何の話ですか?」
「水路」
「なるほど」
ヴィオレッタが描いた簡単な図を見る。
「確かに必要ですね。ですが、川から直接引くとなれば事前に地形を調べた方がよいでしょう」
「やっぱり?」
「はい。明日から私が確認します」
「お願い」
話がまとまったところで、四人はそれぞれの作業へ戻った。
ルシオンは家の補修。
リゼットは薪割り。
ミネットは周辺の地形を記録する。
ヴィオレッタは畑だった。
「よいしょ……」
桶から小さな容器へ水を移す。
それを畑へ運ぶ。
少しずつ苗へ水をやる。
そして戻る。
また水を汲む。
「…………」
数回繰り返したところで。
「やはり面倒ね……」
思わず本音が漏れた。
「だから水路作るんだろ?」
近くで木材を削っていたルシオンが笑う。
「分かってるわよ」
ヴィオレッタは額の汗を拭った。
「でも、できるまで毎日これでしょ?」
「そうなるね」
「せめて家の近くに泉でもあればよかったのに」
「泉か」
「そう。ここから水が湧いてくれたら最高なんだけど」
ヴィオレッタが地面を指差す。
「そんな都合よくいかないか」
「そりゃね」
ルシオンも笑った。
それから、畑を見る。
まだ小さな苗。
ヴィオレッタが何度も水を運んでいる。
これから畑を広げれば、さらに大変になるだろう。
「…………」
ルシオンは何となく地面を見た。
ここに水があれば。
ヴィオレッタもリゼットも、毎日川まで往復しなくて済む。
畑にもすぐ水をやれる。
料理にも使える。
飲み水にも困らない。
生活がずっと楽になる。
「本当に、ここから何もしなくてもいいきれいな水が出てくれたらいいのにな」
心の底から、そう思った。
その時だった。
ピシッ。
「ん?」
小さな音がした。
ルシオンが足元を見る。
「どうしたの?」
「今、何か音しなかった?」
「音?」
ヴィオレッタも近づいてくる。
二人で地面を見る。
「何も――」
ピシッ。
再び音がした。
地面に細い亀裂が走る。
「……何これ?」
「分からない」
次の瞬間。
亀裂の隙間から、何かが滲み出した。
「水?」
ヴィオレッタがしゃがみ込む。
間違いない。
地面から水が出ている。
「ルシオン」
「うん」
「これ、水よね?」
「水だね」
二人が見つめている間にも、水は少しずつ増えていく。
滲み出す程度だったものが、やがて小さな流れになった。
「ミネット!リゼット!」
ヴィオレッタが二人を呼ぶ。
「どうしました?」
「何ですかー?」
二人がやってくる。
そして。
「…………」
「…………」
四人で地面から湧き出す水を見つめた。
「泉……ですか?」
ミネットが呟く。
「多分」
「こんなところにありました?」
「なかったわよ」
「昨日も通っていますが、私は見ていません」
「俺も」
水は止まらない。
むしろ勢いを増している。
しかし周囲を濁流にするほどではなく、地面の窪みに自然と溜まり始めていた。
「地下水が通っていたのでしょうか」
ミネットが地面を調べる。
「偶然、地盤が崩れて地表へ出てきた……?」
「そんなことあるの?」
「ないとは言えませんが」
ミネットも困惑している。
ヴィオレッタは水を手ですくった。
「綺麗……」
「飲めそう?」
「待ってください」
ミネットが止める。
「まず調べましょう。見た目が綺麗でも安全とは限りません」
「それもそうね」
リゼットが嬉しそうに泉を見る。
「でも、これが使えたら水汲みに行かなくていいんですよね?」
「安全ならね」
「やった!」
「まだ決まってないから!」
リゼットはすでに喜んでいる。
「それにしても」
ヴィオレッタがルシオンを見る。
「すごい偶然ね」
「そうだね」
「さっき泉があればって話してたばかりなのに」
「…………」
ルシオンが泉を見る。
確かに。
あまりにも都合がいい。
けれど。
「まあ、地下水があったんじゃない?」
「あったとしてこんな都合よく?」
「ミネットも可能性はあるって言っただろ?」
「ないとは言えない、と言っただけです」
「じゃあ可能性はあるって事だよね」
「ものすごく強引ですね」
ミネットが呆れる。
ヴィオレッタも少し考えたが。
「まあ……使えるならありがたいわね」
「だろ?」
「水路を作る手間も減るし」
「よかったじゃん」
「その言い方、なんか腹立つ」
「なんで?」
「思い出すからよ」
ヴィオレッタが睨む。
「何を?」
「婚約破棄されたって言った時!」
「ああ」
「ああ、じゃない!」
ルシオンが笑う。
その日の午後。
ミネットが鑑定スキルで水を確認した。
するとそのまま口にしても害がない清らかな水だと判明。
四人は驚いたが、まずは泉の周囲を整えることにした。
水が溢れないように小さな流れを作り、畑へ向かうようにする。
「こっちを少し掘って」
「任せてください!」
「リゼットは少しだけよ!」
「はい!」
ドゴンッ!
「掘りすぎ!」
「すみません!」
騒がしい声が草原に響く。
夕方には。
家の近くに、小さな泉ができていた。
そこから流れ出した水が、畑の横を通っている。
「すごい……」
ヴィオレッタは満足そうに眺める。
「これなら畑を広げられるわ」
「よかったね」
「うん」
ヴィオレッタが笑う。
「これで、かなり暮らしやすくなる」
「じゃあ次は?」
「次?」
「他に欲しいもの」
「そうね……」
ヴィオレッタは少し考える。
「保存庫でしょ。お風呂も欲しいし、畑も広げたい。できれば家畜も――」
「待って待って」
「何よ」
「一気に増えた」
「あなたが聞いたんでしょ」
「そうだけど」
「ここで暮らすなら必要なの」
「はいはい」
「返事は一度」
「はい」
少し離れたところでは、リゼットとミネットが泉を眺めている。
「便利になりましたね」
「うん!」
「…………」
ミネットはふとルシオンへ視線を向けた。
雨。
あの火事の日。
ルシオンが巻き込まれた直後、局地的な豪雨が降ったという話は聞いている。
そして今回。
水が欲しいと話した直後に、今までなかった泉が湧いた。
「…………」
「ミネット?」
「何でもありません」
考えすぎだろう。
偶然が二度重なっただけ。
ミネットはそう結論づけた。
一方。
ルシオンも泉を見ていた。
「…………」
雨が降ってほしいと願ったら、雨が降った。
水があればいいと思ったら、泉が湧いた。それも願い通りの何もしなくてもいいほどの清らかな水……
「まさかな」
「何か言った?」
「いや、何でもない」
そんなはずはない。
自分には魔力がない。
魔法だって一度も使えなかった。
願っただけで何かが起きるなど、あり得ない。
そう思いながら。
ルシオンは足元に落ちていた石を拾った。
「…………」
試しに。
頭の中で念じてみる。
丸くなれ。
「…………」
石は……
何も変わらなかった。
「だよな」
「何が?」
「何でもない」
ルシオンは石を放り投げた。
やっぱり偶然だ。
そう簡単に納得して、家へ戻っていく。
まだルシオンは知らない。
石が変わらなかった理由は、力が存在しないからではない。
雨を願った時。
水を願った時。
そこには、自分以外の誰かを想う心からの願いがあった。
けれど今の彼は。
ただ試しただけだった。
世界を書き換えるほどの願いではなかったのだ。
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