敵は人間
「さてさて、次は……これです!」
「は? もう!?」
休む暇すら与えられなかった。
前回、上位十名に入れなかった者たちは、ゴブリンとの戦いで負った傷からまだ血を流している。
一人の男は立っているのがやっとで、別の男は裂けた腹を手で押さえていた。
だが、そんなことは誰も気にしていない。
【試練3】
【目的:戦ってください】
【制限時間:―】
試練のフィールドが消えた。
次の瞬間、俺は馬に轢かれかけた。
慌てて後ろへ飛び退き、そこでようやく自分たちがどこにいるのか気づく。
周囲には、何百もの騎兵が静止していた。
黒い鎧。
角。
牙。
剣と長い槍。
悪魔のような異形の騎兵たちが、俺たちを取り囲んでいる。
それなのに、辺りは不気味なほど静かだった。
馬は前脚を上げたまま。
マントは風になびいたまま。
舞い上がった砂埃さえ、空中で静止している。
時間が止まっていた。
「皆さんには、参加者の半数が死亡するまで最前線で戦っていただきます」
俺の視線が教官に止まる。
汚れ一つない服。
傷一つない腕。
血もない。
傷もない。
(待てよ)
ついさっきまで、こいつの身体には十人分の傷が刻まれていたはずだ。
(……どこに消えた?)
「半分だと!?」
群衆から上がった叫びに、思考を遮られた。
「それと、もう一つ」
男は人差し指を立てる。
「国家への裏切りには、罰が与えられますのでご注意を」
「どこの国だよ!?」
「それでは、頑張ってください!」
「待て、クソ野郎!」
男の姿が消えた。
同時に――世界が動き出した。
凄まじい蹄の音が耳を打つ。
「下がれ!」
遅い。
馬が俺の身体すれすれを駆け抜けた。
すぐ近くにいた誰かは避けきれず、地面に弾き飛ばされる。
その身体を、後続の騎兵たちが次々と踏みつけていった。
悲鳴はすぐに途切れた。
悪魔たちが隊列を詰める。
俺たちは強制的に前へ押し出されていった。
「押すな!」
「このままじゃ潰される!」
「どこに行けってんだよ!?」
答えはすぐに現れた。
前方に、もう一つの軍勢が見えてきた。
俺は剣を構え――固まった。
人間。
普通の人間だ。
角もない。
牙もない。
見たことのない紋章を掲げ、その槍先をこちらへ向けている。
(俺たちの敵が……人間?)
背後では悪魔たちが咆哮を上げる。
前方では人間たちが槍を構える。
そして、その間にいるのが俺たちだ。
(なんだよ……これ)
ようやく分かった。
この世界は、本物の地獄だ。
俺たち人間が、少しずつ悪魔になっていく地獄。
俺たちは化け物の軍勢に放り込まれ、人間を殺せと命じられている。
拒めば、味方であるはずの連中に踏み潰される。
「玲司!」
聞き覚えのある声。
数メートル離れた場所に、弓を手にした葵がいた。
「どうするの!?」
「生き残る!」
それ以外の答えなんてなかった。
二つの軍勢が激突した。
まるで巨大な壁同士が正面からぶつかったような衝撃だった。
金属が鳴り響く。
馬がいななく。
誰かが叫ぶ。
血が宙を舞う。
そして俺たちも、その中へ飲み込まれた。
一騎の騎兵が俺へ向かってくる。
人間だ。
若い。
俺より少し年上くらいか。
手には槍。
俺は反射的に少しでも弱そうな相手を探し、その中でも小柄な馬に目をつけた。
(くそっ)
剣を両手で握り直す。
(徒歩で馬に挑むなんて、自殺行為だろ)
だが、他に選択肢はない。
一歩下がれば、悪魔の騎兵に踏み潰される。
前へ進めば、人間を殺すことになる。
なら、人間側につく?
【国家への裏切りには罰が与えられます】
そもそも、何をすればシステムに「裏切り」と判断されるのかすら分からない。
騎兵が迫る。
十メートル。
七メートル。
五メートル。
男が槍を下げた。
(考えるのは後だ)
俺は横へ飛んだ。
穂先が顔のすぐ横を通り過ぎる。
そのまま馬の前脚へ剣を振り抜いた。
刃が肉に食い込む。
馬が甲高い悲鳴を上げた。
巨体が前へ崩れ落ち、騎手が鞍から投げ出される。
男は俺のすぐ近くに叩きつけられた。
目が合った。
人間だ。
怯えた、一人の人間。
さっきまで殺していた化け物たちとは、まるで違う。
男が剣へ手を伸ばした。
俺も剣を構える。
(……最悪だ)
【スキル『罪悪感抑制Ⅰ』を使用しますか?】
【使用料金:銅貨5枚】
俺は数秒間、その表示を見つめた。
(……ふざけんな)
上段から斬りつける。
男は剣で受け流した。
横から振るう。
また防がれる。
もう一度。
外れた。
(なんなんだ、こいつ!?)
そこでようやく気づいた。
俺がゴブリン相手に戦えていたのは、あいつらが俺より弱く、頭も悪かったからだ。
こいつは違う。
この男は剣の使い方を知っている。
俺は――知らない。
最初の傷が肩に走った。
次は脇腹。
数秒後には、もう攻撃なんてしていなかった。
ただ生き残ろうとしていた。
身体に一つ、また一つと傷が増えていく。
そしてついに――
剣が俺の首元まで迫った。
その刃が、止まる。
「……は?」
男も。
馬も。
飛び散った血も。
すべてが再び静止していた。
【試練3 クリア】
【報酬:銅貨7枚】
「また一分もかかりませんでしたね~。皆さん、本当に優秀です!」
「お前、ふざけてんのか!? 俺たちは虫みたいに死んでんだぞ! 何がおめでとうだ!」
傷だらけの男が教官の胸ぐらを掴んだ。
「さて、そろそろ功績ランキングを発表しましょうか」
だが教官は、男の言葉など聞こえていないかのように無視した。
【功績ランキング】
【1位:黒川玲司】
【2位:高橋美咲】
【3位:水瀬 葵】
【あなたは1位です】
【追加報酬:銅貨15枚】
【1位連続獲得ボーナス:銅貨1枚】
(……また?)
前回は、まだ分かる。
俺はゴブリンを何匹も斬った。
だが今回は?
あの男一人すら殺していない。
(なのに、なんで俺が一位なんだ?)
当然、何を基準に「功績」と判断しているのかなんて説明はない。
しかも今回は、三位までしか表示されていなかった。
システム側の制限なのか。
それとも、四位以下には「功績」と呼べるものすらなかったのか。
分からない。
「おお、また一位じゃん」
葵がこちらへ駆け寄ろうとした。
だが彼女より先に、教官が俺の目の前に立つ。
「また一位ですか。素晴らしいですね」
教官は親指を立てると、再び俺の手に触れた。
痛みが消えていく。
傷と一緒に。
いや。
消えたんじゃない。
別の誰かへ移っただけだ。
俺の胸の傷が閉じる。
同じ傷が教官の胸に開いた。
俺のものより深い。
続いて腕の切り傷が消える。
教官の腕が裂けた。
俺は目を逸らさなかった。
「どうしました?」
「別に」
男が笑う。
「私のことが心配ですか?」
「死ね」
「ひどいですねえ」
そう言って、教官は美咲のもとへ向かった。
俺はその背中を見続けた。
前回、あれだけあった傷は一分もしないうちにすべて消えていた。
自分の手を見る。
『鑑定』を使えば、システムは金を奪う。
治療をすれば、こいつは自分の身体で代償を払う。
(なら……こいつは傷を消すために、何を払った?)
【あなたは呪われています。あなたは死にます】
【試練3】
【レベル:3】
【筋力:15】
【敏捷:15】
【生命力:10】
【魔力:1】
【スキル:―】
【所持金:銅貨30枚】
(……は?)
もう一度、表示を見る。
【魔力:1】
(魔力……?)
確か、前はゼロだった。
いや。
(……本当にゼロだったか?)
「さあ! それでは試練四に進みましょう!」
誰も文句を言わなかった。
少し前まで、あれだけ教官に怒鳴っていたのに。
今はただ、静まり返っている。
俺も何も言わなかった。
諦めたわけじゃない。
ただ――
もう怒る気力すら残っていなかった。
【試練4】
新しいウィンドウが目の前に現れる。
「……またかよ」
【試練4】
【目的:戦ってください】
【制限時間:―】




