武将 島津義弘 第33話 出陣準備
天正四年(1576)九月下旬。
都之城の朝は、霧が薄く漂い、
山の冷えがまだ城下に残っていた。
霧島山系の風が谷を抜け、
外城の村々から集まった人足の声が遠くに響く。
夜明けとともに城内の動きが増え始め、
兵の声、馬のいななき、
荷駄の積み込みの音が重なって響いた。
耳川方面の情勢が急を告げるなか、
都之城はすでに出陣の空気に包まれていた。
義弘は広間へ入り、
家久、十郎太を呼び寄せた。
前節で受けた大友軍南下の報せが、
まだ広間の空気に残っている。
地図と帳面が広げられ、
昨夜から続く議論の跡がそのまま残されていた。
都之城は北郷氏の旧領で、
地形の把握には慎重を要した。
家臣たちは早くから集まり、
兵の到着状況をまとめていた。
「薩摩・大隅の兵、
到着は七割ほどにございます」
家臣が帳面を開き、
各隊の位置を指で示した。
都城筋から来る隊は遅れ気味で、
装備の点検が必要な者も多い。
槍の柄の緩み、
弓の弦の張り替え、
鉄砲の火皿の欠け──
島津軍は弓・槍・鉄砲の混成比率が高く、
遠征前の点検は欠かせない。
義弘は地図を広げ、
高原城周辺の地形を確かめた。
「この丘を押さえよ。
街道沿いの押さえどころはここだ」
谷、湿地、尾根筋──
これまでの巡察で得た外界の線が、
地図の上に重ねられていく。
高原城は伊東氏の補給線の要で、
大友軍が南下すれば、
まず押さえるであろう地点を
先に占める必要があった。
次に荷駄隊の編成を決める。
兵糧、飼葉、火薬──
耳川の戦は長期化の可能性が高く、
補給の確保が勝敗を左右する。
薩摩は山地が多く飼葉が不足しがちで、
馬の疲弊が早いのが常だった。
「荷駄隊は二組に分けよ。
護衛は二十ずつ付ける」
家臣がうなずき、
荷の種類と順番を帳面に記した。
薩摩の山道は狭く、
荷駄が詰まれば全軍が止まる。
荷駄隊の動きは、
戦の流れそのものを決める。
補給路の確認も急務だった。
都城〜高原〜薩摩へ続く線は、
雨でぬかるんだ箇所が多く、
荷駄が通るには厳しい。
「道の悪いところを修繕させよ。
名主に知らせ、
人足を集めさせるのだ」
外城制により、
村々は軍事動員の仕組みを持っていた。
家臣が走り出し、
外ではすでに村人たちが
道具を持って集まり始めていた。
伝令の配置も決める。
「この地点に一人ずつ置け。
交代は二刻ごと。
緊急時の合図は狼煙とする」
耳川方面は山が多く、
伝令の遅れが命取りになる。
狼煙台は伊東氏時代からの施設で、
島津軍もそのまま利用していた。
伝令には早駆けの若者を選び、
交代間隔を細かく決めることで、
戦中の情報の流れを確保した。
進軍路の最終決定に移る。
「主道はここだ。
予備の道も確保しておけ。
渡河点は三つ、
浅瀬の位置を再確認せよ」
耳川は増水しやすく、
渡河点は限られている。
大友軍が先に渡れば、
島津軍は不利になる。
渡河の順番と隊列を
ここで決めておく必要があった。
義弘は全体を見渡し、
出陣の時刻を定めた。
「申の刻に出る」
島津軍は薄暮戦を得意とし、
夕刻の出陣は敵の視界を乱す効果があった。
家臣たちが一斉に動き、
各隊へ伝令が走った。
城内はさらに慌ただしくなり、
兵が整列し、
荷駄が積み込まれていく。
馬のいななきが響き、
甲冑の擦れる音が重なった。
義弘は甲冑を整え、
家久、十郎太が控える前へ進んだ。
出陣前、義弘は必ず馬の脚を確かめる習わしで、
その動きに家臣たちは静かに従った。
外界の風は冷たく、
山の気配が耳川の方角から流れてくる。
「行くぞ」
短い言葉だったが、
広間の誰もがその重さを理解した。
出陣の号令とともに、
都之城の軍勢が動き出し、
耳川へ向かう行軍が始まった。




