武将 島津義弘 第31話 伊東氏の敗走と亡命の報せ
天正四年(1576)晩夏。
日向国境の山道に、
土埃をまとった一行がゆっくりと姿を現した。
薩摩側の番所に立つ兵が目を凝らすと、
先頭の男がかすれた声で名乗った。
「伊東義祐、落ち延びて参った」
番所の兵は息を呑み、
名簿を照らし合わせて身元を確認した。
義祐の衣は泥に汚れ、
従う家臣は十数名。
都城から高原、小林、加久藤を経て、
命からがら薩摩へ逃げ込んだ姿だった。
兵は急使を早馬で鹿児島へ走らせ、
義祐の一行を外城の“客人宿”へ案内した。
亡命者を受け入れるための、
薩摩独自の仕組みである。
鹿児島城下では、
急報を受けた義弘が家臣に迎えの支度を命じていた。
「義祐殿が落ち延びたと申すか」
家臣が頷く。
伊東氏の没落は噂として届いていたが、
当主自らが薩摩へ逃げ込むとなれば、
日向の戦局はすでに崩壊寸前である。
義弘は指定された屋敷へ向かった。
屋敷の前には、
疲れ切った馬と、
荷をほとんど失った従者たちが立っていた。
義祐は痩せ、
顔には深い疲労が刻まれていた。
義弘は静かに挨拶し、
座に迎えた。
「日向を追われた経緯、
詳しくお聞かせ願いたい」
義祐は息を整え、
都城が落ちた日のことから語り始めた。
「都城は、兵糧が尽き申した。
三方より攻められ、
兵も民も散り散りに……」
北から島津、
東から北郷、
南から伊集院の軍勢が迫り、
補給線は完全に断たれたという。
「高原も小林も、
もはや支えきれませなんだ」
義弘は家臣に記録を取らせ、
城名と日付を確かめた。
そこへ、
別の急使が泥まみれで駆け込んだ。
「都城、完全に落城。
高原城の兵、昨夜退きました。
小林も間もなくと」
早馬の息は荒く、
報告は切れ切れだったが、
伊東領の崩壊が刻一刻と進んでいるのがわかった。
義弘は地図を広げ、
落城した城と残っている城を照合した。
都城、高原、小林──
伊東氏の中枢が次々と抜け落ちている。
補給線は断たれ、
逃散した民は山道を通って薩摩へ流れ込んでいる。
義祐の証言と急使の報告は、
ほぼ一致していた。
「義祐殿の保護は、
外城の客人宿にて行わせよ」
義弘は家臣に指示した。
伊東家の家臣団がどれほど薩摩へ流れ込むか、
受け入れの準備も必要だった。
薩摩では亡命者を“客将”として扱うことがあり、
その処遇も決めねばならない。
「明日、軍議を開く。
伊東領の情勢をまとめておけ」
家臣たちは、
義祐の証言、
急使の報告、
城の状況を帳面にまとめた。
都城の飢え、
高原の退去、
小林の崩れ──
日向の地図は、
一夜にして色を失っていく。
義弘は帳面を閉じ、
静かに息を吐いた。
伊東氏の崩壊は、
薩摩にとって好機であると同時に、
日向全土が戦火に包まれる前触れでもあった。
夜風が屋敷の障子を揺らした。
その風は、
日向から吹き込む“外界の激変”を
はっきりと告げていた。
耳川へ向かう坂は、
この亡命の報せから始まる。




