武将 島津義弘 第30話 高原城の情勢確認
天正四年(1576)初夏。
日向国境の山々には薄い靄がかかり、
霧島火山帯の火山灰土が風に乗って舞っていた。
谷を抜ける風は湿りを帯び、
道の土は崩れやすい。
義弘は家臣を連れ、
高原城の情勢を確かめるため南麓の街道を進んでいた。
街道はところどころ狭く、
馬の通行が難しい箇所が続く。
谷に入ると道幅はさらに細り、
シラスの斜面は足を置くたびに崩れた。
湿地が点在し、
荷駄隊が通るには心許ない。
義弘は馬を止め、
「ここは荷駄が詰まる。野尻筋の道も見ておけ」
と家臣に命じた。
伊東氏は都城から野尻を経て高原へ補給する。
その線を押さえることが、
戦の初手となる。
高原城の北側に回り込むと、
深い谷が城を守るように走っていた。
谷底には細い川が流れ、
渡河点は限られている。
家臣が水量と川幅を測り、
渡れる場所を地図に記した。
南側には湧水の湿地が広がり、
足を踏み入れると沈む。
義弘は湿地の端を歩き、
足裏の沈み具合を確かめた。
「ここは攻め口にはならぬ」
東西の街道が交わる地点では、
見張っていた家臣が報告した。
「東から荷駄が三度、
西からは兵が二度通りました」
伊東方が補給に使う道筋が、
少しずつ浮かび上がる。
尾根筋には狼煙台があり、
都城方面と小林方面を結んでいる。
家臣がその位置を地図に書き込んだ。
城の近くで、
先に派遣していた偵察役が駆け寄った。
「伊東方、城内の兵は百五十ほど。
昨日、五十が交代で入城しました」
伊東氏の兵は足軽主体で、
交代が頻繁だ。
補給に使う村の名、
見張り台の位置も報告させ、
家臣が地図に記した。
次に補給路の状態を確かめる。
高原城へ続く主要道は、
雨でぬかるんだ跡が残り、
馬の足取りが重い。
荷駄隊が通るには厳しい。
途中の村に立ち寄り、
井戸と水場の位置を確認させた。
水場の確保は補給線の生命線である。
城下に入ると、
家々の戸数が減っているのがわかった。
名主を呼び、
避難した民の人数、
残っている者の人数を聞く。
「北の焼畑の村へ三十ほど逃げました。
残りは老人と子どもばかりです」
焼畑農耕の村は山側に多く、
避難しやすい。
物資の流れも確認する。
米は不足し、
薪は山から運ぶ者が減っているという。
避難先の村の位置を地図に記し、
補給線との関係を確かめた。
城の外郭も調べる。
外堀は浅いが幅があり、
湿りが強い。
木戸と柵は古く、
一部が歪んでいた。
高原城は連郭式で、
南側の斜面は急で攻めにくい。
家臣が傾斜を測り、
攻めやすい場所を探した。
すべての調査を終えると、
義弘は地図を広げた。
谷、湿地、街道、補給路──
それぞれの線を重ね、
伊東方の兵数と補給線を照合する。
弱点はどこか。
どの道を押さえれば、
伊東方の動きを封じられるか。
義弘は静かに指を置いた。
「明日は西の街道筋をさらに調べる。
荷駄の通り道を確かめよ」
家臣が記録をまとめ、
翌日の調査範囲を整えた。
高原城を囲む山風は冷たく、
戦の気配を含んでいた。
耳川へ向かう坂は、
この城の“外界の線”を読むところから始まる。




