武将 島津義弘 第28話 民の疲労と不安の把握
天正二年(1574)初夏。
薩摩の山々には湿り気を含んだ風が流れ、
谷には薄い靄が残っていた。
この年は春先の雨が少なく、
虫害の報せも各地から届いていた。
義弘は、前日の巡察に続き、
飢饉気味と伝えられた村へ向かった。
供は地頭と郷士を数名。
いずれも軍役帳を扱える者たちで、
背には郷中名の記された帳面を負っていた。
外城制の薩摩では、
村の力を読むには郷中単位の把握が欠かせない。
村の入口に入ると、名主が深く頭を下げた。
背後には地頭仮屋へ続く細道が伸び、
村の行政の線がそのまま見える。
周囲の田畑は色が薄く、耕作が遅れているのが一目でわかる。
谷田は上流の山の保水力に左右されるが、
今年は雨が少なく、土の乾きが早い。
義弘は畦に足を置き、沈み具合を確かめた。
土は軽く、湿りが浅い。
田畑を回る。
稲の丈は揃わず、葉色も弱い。
畦の崩れ、用水路の詰まり──
どれも、村の疲れをそのまま映していた。
本来なら水番が見回るはずだが、
今年は人手が足りず、管理が追いついていないという。
川筋の水量も少なく、
谷の奥から吹く風が乾いている。
義弘は川面を見つめ、
上流の山の保水が落ちていることを読み取った。
名主の家に入り、備蓄の俵を確認する。
保管場所は土間の奥。
俵の数は例年の半分ほどで、
古米の割合も多い。
薩摩米は粒が小さく、
古米になると味が落ちやすい。
兵糧に回せる量を尋ねると、
名主は言葉を濁した。
義弘はうなずき、地頭に記録を取らせた。
次に、若者の流出を聞く。
村に残っている若者はわずか。
隣村だけでなく、
日向や大隅へ“出作り”に出ている者が多い。
薩摩では農繁期に働き手が不足しがちだが、
今年はとくに深刻だった。
働き手が減れば、
兵として出せる人数も減る。
村の家々を回る。
屋根の傷み、家畜の数、薪の積み方──
生活の線が、そのまま戦の線につながる。
家畜は少なく、
荷運びは人足に頼るしかない。
家の荒れ具合から、
働き手の不足がどれほどかが見えてくる。
義弘は家々の前に立ち、
残された者たちの顔を静かに見た。
名主に病人の有無を尋ねる。
疱瘡(赤斑)が出た家があるという。
村の外れには疱瘡神を祀る小祠があり、
供え物が新しい。
風土病の熱に倒れた者もいるらしい。
病は、兵の質と量を直接削る。
義弘は短く息を吐き、
地頭に詳細を記録させた。
村の外れに出て、地形を確かめる。
川筋は細り、
山道は湿地と乾きが入り混じっている。
古道の石畳がところどころ顔を出し、
かつての往来の多さを物語っていた。
補給路として使えるかどうか、
義弘は足裏の沈みと風の向きを頼りに判断した。
尾根道は乾いているが、
谷道はぬかるみが残っていた。
村に戻り、義弘は家臣に命じた。
「兵糧と兵の数、あらためて点検せよ」
地頭が軍役帳を広げ、
郷中ごとに出せる兵の数を整理していく。
一郷一騎の原則がある以上、
村の力を見誤れば戦の線が崩れる。
日が傾き始めるころ、
義弘は記録をまとめさせた。
備蓄の不足、耕作の遅れ、若者の流出、病の広がり──
どれも、薩摩の足元が疲れていることを示していた。
次の村の位置と道筋を確認し、
義弘は歩を進めた。
耳川へ向かう坂は、
まず“民の線”を読むところから始まる。




