『Fランクの、卒業式』
食堂のテーブルの上に、一枚の、公的な封書が、置かれていた。
蝋の、青い、印章。冒険者組合の、紋章。封筒の、厚手の、羊皮紙は、まだ、新品の香りが、した。
レオンは、それを、両手で、持って、じっと、見ていた。
「——開けないのか?」
アイリスが、食卓の、向かいの席から、スプーンを動かしながら、訊いた。
「——開けます」
「迷ってる、顔、してるぞ」
「……緊張、してます」
「ふん」
アイリスは、少しだけ、笑った。
「——昨日、組合の、担当官が、届けに、来たものだ。内容は、ほぼ、分かっている」
「でも、正式な書面で、読むのは、違う気がして」
「——まあ、分かる」
アイリスは、ちぎったパンを、スープに、浸した。
踏破くん六号が、隣の席の上で、ぴょこん、と跳ねて、封書を、小さな手で、ちょいちょい、と、突いた。
「急かすね、六号」
「踏破くんたち、皆、待っている、らしい」
ルルが、食卓の端から、解説した。
食堂には、今朝も、いつもの面々が、揃っていた。アイリス、シエラ、ルル。そして、エレーナが、珍しく、朝から、ワインボトルではなく、普通の紅茶のポットを、前に置いて、座っていた。
「——少年。さっさと、開けな」
エレーナが、にやりと、笑った。
「占星術師として、言わせてもらうと、今朝の、あんたの、運勢は——」
「は、はい」
「——めでたい方向、だ」
「はい」
レオンは、息を、吸った。
そして、封書を、丁寧に、開いた。
中からは、重厚な、一枚の、羊皮紙が、出てきた。
金泥で書かれた、表題。
そして、その下に、達筆で、こう、記されていた。
『冒険者ギルド協会、ルミナリア支部より、 ギルド『ステラ・レギア』に、通達。
貴ギルドの、過去一か月の、活動実績、債務返済状況、 及び、直近のDランク依頼の、達成評価を、総合的に、勘案した結果。
——ギルドランクを、FランクからEランクへ、昇格する。
正式な、承認式典を、本日、昼過ぎ、組合大広間にて、執り行う。 ギルドマスター、並びに、幹部冒険者の、ご出席を、願う。
冒険者組合、ルミナリア支部長、ブランドル・ヘイワード』
レオンは、しばらく、その文字を、見つめていた。
それから、ゆっくり、顔を、上げた。
「——昇格、しました」
食堂の、空気が、一瞬、止まった。
それから、シエラが、一番最初に、ぴょこん、と、立ち上がった。
「——や、やったあああ! Eランク! Eランクだよお兄ちゃん!!」
「おおー、昇格、か」
ルルが、ぽくぽくと、頷いた。
「合理的な、進歩、だ」
アイリスが、ふっ、と、笑った。
「——一か月も、経たずに、F→E、か」
「——はい」
「——この街で、史上、何番目の、速さだろうな」
「調べる?」
「いや、いい。別に、記録を、作りに来たわけじゃ、ない」
アイリスは、穏やかに、スープを、すすった。
エレーナが、紅茶のカップを、軽く、掲げた。
「——まあ、座って、朝飯は、先に、済ませな。式典は、昼過ぎだろう」
「はい」
レオンも、席に着いた。
けれど、パンを、ちぎる手が、少しだけ、震えていた。
——ギルドランクの、昇格。
それは、ただの、等級の、変化、ではなかった。
『ステラ・レギア』が、この街に、ひとつの、場所として、認められた、ということ、だった。
---
朝食を、食べ終えて。
シエラが、食器を、踏破くんたちと一緒に、片付け始めた時、ルルが、ふと、テーブルの、別の一枚の、書類を、レオンに、差し出した。
「マスター」
「うん?」
「式典には、『登壇者の、正式な氏名』を、事前登録する、決まりがある」
「——あ、そうなんだ」
「ここに、ギルドマスターと、幹部冒険者の、名前を、書いて、午前中に、組合に、届けなければ、ならない」
「幹部冒険者」
「アイリス、シエラ、ルル、レオン、エレーナ——五人、だ」
アイリスが、頷いた。
「——私は、銀級の登録、そのままで、いい。アイリス・エスフィア」
「シエラは?」
「シエラ、だよぉ。姓は、——ないの」
彼女は、ちょっと、目を、伏せた。
「昔、お母さんが、姓は、大きくなったら、自分で、決めなさい、って、言ってた、だけ」
「——そうか」
「だから、今は、シエラ、だけで、いいよ」
「——分かった、シエラ」
ルルが、書類に、シエラ、とだけ、書いた。
「ルルは、ルル・メカニス」
「メカニスは?」
「両親の、工房の、名前」
「——両親の、形見か」
アイリスが、静かに、頷いた。
「そうだ」
エレーナが、ふわり、と、紅茶を、啜った。
「あたしは、エレーナ・アスラクス」
「アスラクス、って?」
「古い、氏名だ。——深くは、訊くな」
「——うん」
エレーナは、にっこり、笑った。
そして、ルルが、羽ペンを、レオンに、差し出した。
「——マスター」
「はい」
「——あんたの、欄だ」
レオンは、羽ペンを、受け取った。
そして、書類の、最後の、空欄を、見つめた。
『ギルドマスター、氏名: _______________』
しばらく、ペンを、動かすのを、ためらった。
昨日まで、彼は、ただの、『レオン』、だった。姓は、ない。母が死んで、父が消えて、親戚を転々として、王都の下宿屋にたどり着いて——『レオン』、それだけで、二十年、生きてきた。
けれど、今日からは、違う。
一昨日、アイリスが、ユーリス先生の、形見を、そっと、差し出してくれた、あの夜から。
レオンは、ふっ、と、息を、吐いた。
そして、羽ペンを、走らせた。
『レオン・ヴェスパー』
その文字を、書き終えた時、——アイリスが、そっと、彼の、指先を、見ていた。
視線が、合った。
アイリスは、何も、言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ、頬を、赤くして、目を、伏せた。
レオンも、何も、言わずに、書類を、ルルに、差し出した。
ルルが、書類を、受け取って、綺麗に、折り畳んだ。
その時——
シエラが、ぴょこん、と、顔を、出した。
「——お兄ちゃん、姓、あったの?」
「——昨日、もらった」
「誰に?」
「——アイリスさん」
「——!?」
シエラが、ぱちぱち、と、目を、瞬いた。
それから、ぱあ、と、顔を、輝かせた。
「えええっ、お姉ちゃん、そんな、大事なこと、教えてくれなかった!」
「——大事な、ことじゃ、ない」
アイリスが、ぷい、と、顔を、背けた。
「大事だよぉ、お姉ちゃん、すごい大事!」
「うるさい、シエラ」
「お兄ちゃんに、姓を、あげるって、——ねえ、それって、もしかして——」
「うるさい、シエラ、黙れ」
「——!」
シエラが、ぱたぱた、と、口を、押さえた。
ルルが、ぽくぽく、と、頷いた。
「合理的に、解釈すると、——親族登録、と、同義」
「ルル、お前も、黙れ!」
アイリスの、耳の先が、真っ赤だった。
エレーナが、ふわふわ、と、笑った。
「いやあ、紅蓮のアイリスも、すっかり、大人だねえ」
「エレーナ、お前もだ!」
食堂に、朝の、賑やかな、笑い声が、響いた。
踏破くんたちが、食卓の周りで、ちょこちょこ、と、働いていた。
レオンは、『レオン・ヴェスパー』と書いた、指先を、ちょっと、見つめた。
『夜明けの星』、という、意味。
その文字の、形が、彼の、胸元に、そっと、灯りを、点したように、——温かかった。
---
正午。
冒険者組合の、大広間。
式典の、会場は、普段の、事務的な、受付カウンターとは、まったく違う、顔を、していた。
石造りの、広い空間に、紅白の幔幕が、張り巡らされている。中央には、白い絨毯の、短い花道。奥には、組合紋章の入った、大きな演壇。そこに、支部長ブランドル・ヘイワードを、始めとする、組合の幹部たちが、ずらりと、並んでいた。
そして——
会場の、両脇の、椅子席には、街中の、冒険者ギルドの、ギルドマスターたちが、集まっていた。
『天界の盾』。『黄金の狼』。『翠緑の風』。『鉄槌の牙』。『煤色の呪紋』。『青き磁石』——。
ざっと、三十ギルド、以上。
「——ほう、随分と、盛大、だな」
アイリスが、会場に、足を、踏み入れながら、ぽつりと、言った。
「Fランクからの、昇格、こんなに、注目される、ものなんですか?」
「通常は、ここまで、人が、集まらない」
「では、なぜ」
「——あのボロギルドが、一か月で、E昇格、だ。珍しい事例は、冒険者たちの、酒の肴に、される」
「——ああ」
「——覚悟しろ、レオン」
アイリスは、短く、諭した。
「——酒の肴とは、祝われる側でもあり、——笑われる側でもある」
「——はい」
「だが」
アイリスは、レオンの、胸元を、ちらり、と、見た。
「——お前の胸には、『銀色の誓い』がある」
「——はい」
「——堂々と、しろ」
「——はい」
レオンは、頷いた。
胸元のポケットで、『天界の盾』の紋章の、銀のお守りが、そっと、重みを、持っていた。
隣で、シエラが、少しだけ、緊張した顔で、ひそり、と、レオンの、袖を、握った。
「お、お兄ちゃん、ひ、人が、いっぱい」
「うん」
「シエラ、いつも、群衆、苦手、なの」
「僕も、苦手だよ」
「え、お兄ちゃんも?」
「うん、試験会場で、五回、同じ場所に、来たからね。でも、いつまで経っても、慣れなかった」
「——なんだ、僕も苦手、って、そういうこと」
「うん」
シエラは、ちょっと、笑った。
ルルは、ずん、と、顔を、堅くして、レオンの、反対側に、立っていた。
「——マスター」
「うん」
「——合理的に、逃げたい」
「あはは、ダメですよ、ルルちゃん」
「——ルルは、ここで、一番、着飾ったことが、少ない、自信がある」
確かに、ルルは、いつもの、ゴーグルこそ、額に上げているが、ツナギの上に、少しだけ、きれいな、紺のローブを、羽織っただけの、シンプルな、いでたち、だった。
「——ルルちゃんのは、働く人の、正装だから、カッコいいですよ」
「——合理的、な、慰めだ」
「違います、本気」
「——」
ルルの、頬が、ほんの少しだけ、赤くなった気が、した。
最後に、エレーナが、一行の、後ろから、現れた。
今日の、彼女は、いつもの、だらけた、ガウンではなかった。
黒い、上質な、ロングドレスに、銀糸の、刺繍。髪は、きちんと、結い上げ、耳には、細い、銀の飾り。手にも、ワインボトルではなく、普通の、黒い、革張りの、書物を一冊、抱えていた。
「——エレーナ、さん」
レオンが、目を丸くした。
「——別人、みたい」
「ふ、たまには、占星術師も、仕事着、着るのさ」
「これが、仕事着なんですか」
「——あたしの、『アスラクス』って、姓の、家の、正装だ」
エレーナは、にやり、と、笑った。
アイリスが、ちょっと、驚いた顔で、エレーナを、見た。
「——『アスラクス家』、聞いたことが、ある」
「——そうかい」
「——古い、占星術師の、一族だと、聞いている」
「——まあ、そういう、ところもあるねえ」
エレーナは、小さく、頷いた。
それ以上、何も、言わなかった。
ただ、会場の、奥を、じっ、と、見ていた。
レオンは、その視線の先を、追った。
——会場の、左側の、最前列。
純白の、『天界の盾』の制服を着た、三人組が、いた。
その、一番手前に、栗毛の、リーゼが、ちょこん、と、座っていた。
そして、その、隣に——
五十絡みの、銀髪の、背の高い男性が、腕を、組んで、座っていた。
威厳のある、風貌。鷹のような、鋭い、瞳。胸には、三重の、金のバッジ——執行部筆頭の、徽章。
『天界の盾』、現・執行部筆頭。
アルフレート・ノーランド。
アイリスの、かつての、上司。ユーリス先生の、死を、『無謀な突出』と、記録した、その張本人。
アイリスは、アルフレートの姿を、見て、——一瞬、目を、細めた。
---
式典は、淡々と、始まった。
支部長ブランドルが、開会の挨拶を、述べた。
「——諸君。今日、我々、冒険者組合、ルミナリア支部は、ひとつの、新しい、Eランクギルドの、誕生を、祝う」
会場に、ぱら、ぱら、と、拍手が、響いた。
「——ステラ・レギア。かつての、栄光のギルドが、長い、休眠の後、新たな、管理人を、得て、わずか、一月で、復活の、狼煙を、上げた」
「——」
「——ここに、ステラ・レギアの、ギルドマスター、並びに、幹部冒険者を、お招きする」
ルルが、硬い顔で、レオンの背を、少しだけ、押した。
「——マスター、前へ」
「——はい」
レオンは、息を、吸った。
五人で、並んで、白い絨毯の、花道を、歩いた。
アイリス、シエラ、ルル、エレーナ、レオン。
整列の、順番は、一番、経験の浅い者から、最後に、マスター、というのが、ルミナリアの、慣習だった。
会場の、両脇の、視線が、一斉に、彼らに、集まった。
ひそひそ、と、話し声が、流れた。
「——ほんとに、若いマスターだな、ステラ・レギア」
「——女の子ばっかり、連れてやがる」
「——あの、ゴーグルのは、見たことないぞ。新人か?」
「——エレーナ・アスラクス、——おい、あの女、『占星術師の塔』から、出てきたのか?」
「——何年ぶりだよ、あの女の、正装姿」
ざわめきの中を、レオンは、一歩、一歩、歩いた。
胸元で、踏破くん、ちびが、ぴょこん、と、姿を、見せた。レオンの、ジャケットの、胸ポケットから、顔だけ出して、会場を、じっと、観察している。
演壇まで、来た。
支部長、ブランドルが、五人を、見下ろした。
「——『ステラ・レギア』、ギルドマスター、氏名を、名乗られよ」
レオンは、背筋を、伸ばした。
そして、はっきりとした、声で、名乗った。
「——レオン・ヴェスパー。よろしくお願いします」
会場に、短い、どよめきが、走った。
「——『ヴェスパー』?」
「——知らんな、そんな家」
「——新興のギルドマスターが、勝手に、名乗ってるだけか?」
「——いや、あれは、正式に、姓を、受け取ってる顔だ」
ざわめきは、続いた。
しかし。
——会場の、右側の、一番奥の、列で。
一人の、冒険者が、静かに、顔を、上げた。
それは——
『鉄槌のバドル』、だった。
雨の日の、玄関先で、レオンを、大棍棒で、吹き飛ばした、あの大男。
今日の、彼は、正装していた。闇ギルドの、末端ではあるが、『鉄槌の牙』は、一応、表の組合にも、登録されている、非合法スレスレの、準ギルド、である。だから、彼も、こういう公式の場に、出て、くる、資格は、あった。
バドルは、レオンを、見て、——小さく、口の端を、上げた。
けれど、声を、発することは、しなかった。
ただ、腕を、組んだまま、じっと、観察していた。
——覚えとけ、管理人。
雨の日の、あの、言葉。
レオンは、バドルの視線に、気づいた。
けれど、表情を、変えなかった。
ただ、もう一度、支部長の、前に、頭を、下げた。
「——『ステラ・レギア』、一同、Eランクの、承認を、拝命いたします」
---
承認式は、淡々と、進んだ。
支部長ブランドルが、正式な、承認状を、レオンに、手渡した。
彼は、続けて、会場に、向かって、告げた。
「——『ステラ・レギア』の、直近の、活動実績は、Eランクの、昇格基準を、はるかに、超える。特に、先日の、第八階層、ブラッドフェザーの、間引き依頼は、迷宮機動部隊の、新たな、編成方法として、記録に値する」
ざわめきが、少しだけ、小さくなった。
「——迷宮機動部隊?」
「——聞いたことがあるぞ。最近、ルミナリアで、新しい編成が、試されてる、って」
「——まさか、あの、大型ゴーレムか」
支部長は、続けた。
「——また、管理人レオン・ヴェスパー殿は、法務にも、明るく、先日は、闇市場経由の、不正な、移籍違約金債権の、譲渡契約を、商法二十三条を、もって、無効化した、との、報告も、受けている」
この、一節で、会場の、ざわめきは、——一気に、広がった。
「——え?」
「——不正な、移籍違約金?」
「——あのステラ・レギアが、そんな、闇市場の話に、首を?」
バドルの、肩が、ほんの少しだけ、動いた。
レオンは、少しだけ、目を、開いた。
支部長ブランドルは、それ以上、詳細は、口にしなかった。
けれど、『ある事件』が、組合の、公的な、記録に、残った、ということは——
明言された。
それは、アイリスへの、救済であり、
バドルのような、闇ギルドへの、警告、でもあった。
アイリスの、目が、ほんの少しだけ、潤んだ。
そして、彼女は、小さく、頷いた。
---
式典の、後半で。
支部長ブランドルが、ステラ・レギアの、一同に、正式な、Eランクの、ギルドプレートを、手渡した。
——真鍮の、小さな、金属の、板。
Eランクを、示す、一つの、星の、刻印。
それが、ギルドの、看板の、横に、取り付けられる、ことになる。
「——『ステラ・レギア』の、今後の、活躍を、祝して」
ブランドルは、重厚な、声で、締めくくった。
「——乾杯」
会場に、ぱら、ぱら、と、拍手が、広がった。
全てが、終わった。
——式典は、二十分も、かからなかった。
しかし、その、二十分で、
レオンと、『ステラ・レギア』は、公的に、『存在を認められた』。
---
## 7
式典の、後。
会場の、片隅で、軽い、立食の、歓談の時間が、設けられた。
各ギルドマスターが、三々五々、談笑を、始める。
レオンと、一行は、会場の、端の方に、立っていた。
「——あの、お兄ちゃん、お腹、空いたあ」
シエラが、ぽそり、と、呟いた。
「うん、立食だから、食べていいんだよ」
「——ちっちゃいパンが、あるぅ。あれ、食べたい」
「食べよ、食べよ」
シエラが、ぱたぱた、と、食卓に、駆けていった。
ルルは、会場の、天井の、シャンデリアを、じっと、観察していた。
「——あの、機構、古い時代の、魔道具だ。合理的」
エレーナは、ワインボトルこそ、持っていなかったが、しっかり、赤ワインの、グラスを、もう、一杯目、を、空けていた。
その時、——
一人の、女性が、ゆっくりと、レオンたちの、前に、歩み寄ってきた。
四十絡み。深緑色の、ギルドマスターの、ローブ。細い、金縁の眼鏡。銀混じりの、灰色の髪を、きっちり、結い上げていた。
「——こんにちは、『ステラ・レギア』の、皆様」
女性は、穏やかに、笑った。
「——『翠緑の風』、ギルドマスター、ディアナ・オルシアと、申します」
レオンは、丁寧に、頭を、下げた。
「はじめまして、レオン・ヴェスパーです」
「はい、先ほど、拝聴しました。——まずは、ご昇格、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ディアナは、穏やかに、けれど、どこか、観察するような、視線で、レオンを、見た。
「——Eランクまで、一月」
「はい」
「——そして、近い将来、Dランクに、手をかけるかと」
「目標としては」
「——」
ディアナは、一瞬、目を、細めた。
「——良い目標、です」
「ありがとうございます」
「——ただし、これからが、本番ですよ」
「——はい」
「——Fランクから、Eへは、『やる気』だけで、進める。けれど、EランクからDへは、——『仕組み』が、要ります」
「——仕組み」
「——運で、昇格は、しない。方針、収支管理、人材育成、依頼の、質の、選別——そういう、『ギルドを、続ける仕組み』が、要る」
ディアナは、ゆっくり、レオンの、背中を、見た。
そこには、アイリスが、静かに、立っていた。
「——紅蓮のアイリス殿」
「——ディアナ殿」
「——お久しぶりですね」
「——ご無沙汰、しております」
「——あなたが、ステラ・レギアに、居着いたこと、は、——私は、賛同します」
「——」
「——あなたに、ふさわしい、ギルドに、成長するかどうかは、——これから、管理人殿の、仕組み作り、次第です」
「——」
「——紅蓮のアイリスの、剣で、支えるだけの、ギルドに、——戻してはいけませんよ」
ディアナの、言葉は、穏やかだった。
しかし、その、言葉の中には、明らかに、——『アイリスの剣に、おんぶするだけの、ギルドに、なるな』、という、警告、が、含まれていた。
レオンは、ゆっくりと、頷いた。
「——肝に、銘じます」
「——よろしい」
ディアナは、にこり、と、笑った。
「——また、迷宮で、お会いしましょう」
そう、言って、彼女は、踵を、返した。
背中で、エレーナが、ぽつりと、呟いた。
「——厳しいけど、親切な、おばさまだねえ」
「——そうなんですか」
「『翠緑の風』は、この街で、最古の、ギルドのひとつ、だよ。——Cランクを、二十年、維持してる」
「二十年」
「一度も、Bに、行かず、一度も、Dに、落ちない」
「——安定」
「ディアナの、言う、『仕組み』ってのは、その、二十年の、積み重ね、の、ことだ」
「——なるほど」
「あの人の、言うこと、聞いとけ。少年」
「——はい」
---
会場の、もう一方の、隅で。
リーゼが、栗毛を、揺らしながら、一行に、駆け寄ってきた。
「——アイリスさん! レオンさん!」
「——リーゼ」
「——おめでとうございます、本当に、おめでとう、ございます!」
彼女は、にこにこ、と、嬉しそうに、言った。
「もう、うちのギルド中で、話題なんですよ、『ステラ・レギアが、一月で、E昇格』って」
「——そうか」
「アルフレートさんは、ちょっと、不機嫌そうでしたけど」
リーゼは、小声で、笑った。
アイリスの、目が、すう、と、細まった。
「——不機嫌、な」
「——はい」
「——そうか」
リーゼは、それ以上、アルフレートの話は、しなかった。
代わりに、ポケットから、小さな、銀色の、ブローチを、取り出した。
「——アイリスさん、これ」
「——なんだ、それは」
「——私、今朝、『天界の盾』の工房で、作ったんです」
リーゼは、少しだけ、顔を、赤くした。
「——小さい、翼の、ブローチ。——あの、『天界の盾』の紋章、のやつじゃなくて、——私の、個人の、工作」
「——」
「——贈り物、です。——ステラ・レギア昇格、祝いに」
アイリスは、ブローチを、受け取った。
片方の、翼は、少しだけ、曲がっていた。初心者の、細工の、ぎこちなさ、だった。
アイリスは、それを、じっと、見つめた。
そして、ふ、と、微笑んだ。
「——ありがとう、リーゼ」
「——お役に、立てれば」
「——大事に、する」
「——えへへ」
リーゼは、ぺこり、と、お辞儀して、『天界の盾』の、同僚のところへ、戻っていった。
アイリスは、しばらく、ブローチを、手のひらで、包んでいた。
それから、レオンに、差し出した。
「——お前に」
「——え?」
「——お前に、渡す、方が、似合う気がする」
「——でも、これ、リーゼさんからの、贈り物で——」
「——リーゼなら、許す」
「——」
「——お前の、制服の、襟元に、つけておけ」
レオンは、少し、躊躇ったが、——頷いた。
そして、ブローチを、制服の、襟元に、そっと、留めた。
片方の翼が、少しだけ、曲がった、小さな、銀の、ブローチ。
アイリスは、それを、見て、小さく、笑った。
「——似合う」
「——ありがとうございます」
---
会場の、一番奥。
アルフレート・ノーランドが、ちらり、と、こちらに、視線を、送った。
レオンは、それを、受け止めた。
目が、合った。
——数秒。
アルフレートの、鷹のような、鋭い瞳が、レオンを、じっと、観察した。
そして、彼は、ゆっくりと、席を、立って、こちらに、歩み寄ってきた。
「——」
アイリスの、肩が、強ばった。
アルフレートは、レオンの、三歩前で、足を、止めた。
「——『ステラ・レギア』、ギルドマスター」
「——はい、レオン・ヴェスパーです」
「——『天界の盾』、執行部筆頭、アルフレート・ノーランドです」
丁寧な、挨拶、だった。
けれど、その声は、どこか、冷ややかだった。
「——先ほどの、支部長の、ご発言——『闇市場経由の、不正な、移籍違約金債権の、譲渡契約、無効化』——の件」
「——はい」
「——あの、紅蓮のアイリス殿に、関わる、件と、伺っておりますが」
「——そうです」
レオンは、穏やかに、答えた。
「——その、契約書の、譲渡元は——『天界の盾』のご出身、と、伺いました」
「——はい」
「——それは、どういう、ことか、——我が、『天界の盾』として、正式に、調査いたす所存です」
アルフレートの、声は、丁寧だった。
けれど、言葉の端々に、——警告が、滲んでいた。
『勝手に、我がギルドの名を、持ち出すな』——と。
しかし、レオンは、ひるまなかった。
「——それは、ありがたいです」
レオンは、にこやかに、頭を、下げた。
「——『天界の盾』の、名前を、闇市場で、勝手に使われるのは、——貴ギルドにとっても、不名誉なことかと」
「——」
「——正式な、調査の結果を、お待ちしております」
アルフレートの、鷹のような、瞳が、——ほんの、ごく僅か、細まった。
それは、『こいつ、やるな』、という、目だった。
「——ふむ」
彼は、ゆっくりと、頷いた。
「——分かりました。——調査結果は、組合を通じて、ご報告、いたします」
「——よろしくお願いします」
アルフレートは、もう一度、丁寧に、頭を、下げた。
そして、踵を、返した。
去り際に、——ちらり、と、アイリスを、見た。
アイリスは、真っ直ぐに、アルフレートを、見返した。
二人の、視線が、一瞬、交差した。
どちらも、口を、開かなかった。
けれど、その沈黙は、——三年分の、重さを、持っていた。
アルフレートは、何も、言わずに、元の席へ、戻っていった。
アイリスは、長い息を、吐いた。
「——レオン」
「はい」
「——お前、今、あの男を、挑発したな」
「——少しだけ」
「——大したものだ」
アイリスは、ちょっとだけ、笑った。
「——戦ってるじゃないか、お前は」
「——肉壁以外の、仕事も、時々は、します」
「——ふん」
アイリスは、ほんの少しだけ、誇らしげに、鼻を、鳴らした。
---
式典の、会場を、出る前に。
レオンは、一度だけ、——会場の、隅の、バドルを、見た。
バドルは、もう、レオンを、見ていなかった。
ただ、手のワイングラスを、ゆっくりと、回しながら、——壁を、見ていた。
彼の、横顔は、——静かに、燃えていた。
『覚えとけ、管理人殿』
雨の日の、言葉は、まだ、生きていた。
いつか、また、彼らは、会うことになる、だろう。
けれど、——それは、今日では、ない。
レオンは、踵を、返した。
---
夕暮れ。
ステラ・レギアの、丘。
レオンと、一行は、ギルドの、玄関の、前に、立っていた。
手には、真鍮の、小さな、ランクプレート。
Eランクの、星の、刻印が、ひとつ、刻まれた、小さな、金属の、板。
ギルドの、古い看板の、右下に、取り付けるための、細い、釘が、一緒に、添えられていた。
「——誰が、取り付ける?」
ルルが、みんなの顔を、見回した。
「——全員で、だよ」
レオンが、笑った。
「みんなで、釘を、押さえて、みんなで、金槌を、持って」
「合理的では、ない」
「合理的じゃ、ないけど、——ちゃんと、そうしたい」
「——分かった」
踏破くん四号が、小さな金槌を、運んできた。
レオンが、プレートを、看板の、下に、当てた。
シエラが、釘の、頭を、指先で、軽く、支えた。
アイリスが、金槌を、受け取った。
ルルが、全体の、位置を、確認した。
エレーナが、その隣で、ワイングラスを、掲げていた。
「——行くぞ」
アイリスが、金槌を、持ち上げた。
そして、軽く、こん、と、釘の、頭を、叩いた。
釘が、半分、入った。
「——もう一度」
こん。
釘が、三分の二、入った。
「——最後」
こん。
釘が、完全に、打ち込まれた。
真鍮の、小さな、Eランクの、プレートが、ステラ・レギアの、古い看板の、下に、しっかりと、固定された。
夕日が、看板を、金色に、染めていた。
レオンは、そっと、看板の、プレートの、表面を、指で、なぞった。
一つの、星の、刻印。
『ギルド・ステラ・レギア——Eランク』
「——Fランク、卒業、だね」
ぽつり、と、呟いた。
シエラが、手を、ぱちぱち、と、叩いた。
「——卒業、おめでとう、ステラ・レギア!」
ルルが、頷いた。
「——合理的な、昇格、だ」
アイリスが、小さく、笑った。
「——まあ、よく、頑張った」
エレーナが、ワインを、すす、と、啜った。
「——次は、Dランクか」
「——はい」
レオンは、頷いた。
「——『ギルドを、続ける仕組み』を、作りながら、一歩、ずつ、進みます」
「——それで、いい」
アイリスは、穏やかに、言った。
「——慌てず、一歩、ずつ、だ」
夕日が、ステラ・レギアの、古城を、橙色に、染めていた。
スターフォール・アビスの、青白い光が、空の、東側に、ぼんやりと、灯り始めていた。
ギルドの、十日目の、夕暮れが、静かに、過ぎていった。
---
その夜。
食堂で、小さな、祝宴が、開かれた。
レオンの、心づくしの、料理。
いつもより、少しだけ、奮発した、豪華な、食卓。
踏破くん十四体が、わらわらと、給仕を、していた。
エレーナが、いつもの、ワインを、開けた。アイリスが、今日は、一杯、付き合った。シエラが、甘いジュースで、乾杯した。ルルが、——珍しく、自分で、一杯、ワインを、口にして、「——苦い」と、小さく、呟いた。
「——乾杯」
五人の、声が、重なった。
「——Eランクの、ステラ・レギアに」
「——Eランクの、ステラ・レギアに」
ガラスの、軽い、響きが、食堂に、広がった。
食後。
ルルが、ぽつりと、言った。
「——マスター」
「うん?」
「——今日、アルフレートに、何か、宣戦布告の、言葉を、言ったな」
「——少しだけ」
「——相手は、『天界の盾』の、執行部筆頭」
「——うん」
「——合理的には、勝てる相手、では、ない」
「——うん」
「——しかし」
ルルは、真剣な、ゴーグル越しの瞳で、レオンを、見た。
「——ルルは、勝つ側で、戦う」
「——」
「——踏破くんたちと、零式と、ルルの、発明品で、——勝つ側で、戦う」
アイリスが、頷いた。
「——私は、もとより、逃げ場がない」
「——うん」
「——私の、『銀色の誓い』は、先生の、魂と、共にある」
「——うん」
シエラが、小さな声で、言った。
「——シエラは、みんなが、戦うなら、シエラも、戦う、よ。お兄ちゃんが、前に、立つなら、シエラは、呼ぶの」
「——」
エレーナが、静かに、微笑んだ。
「——あたしは、星を、読む。——どの星が、誰を、裏切るか、——あんたたちに、教えるよ」
「——エレーナさん」
「——少年。これは、もう、あたしの、『占星術師の、戯言』じゃ、ない」
「——」
「——ステラ・レギアの、仕事、だ」
レオンは、五人を、見回した。
そして、深く、頷いた。
「——ありがとうございます、みんな」
「——礼は、いらん」
アイリスが、ぷい、と、顔を、背けた。
「——ただ——」
「——はい」
「——Eランクに、なったからと、いって、——慢心するな」
「——はい」
「——私たちは、まだ、この街で、一番、小さな、家族、だ」
「——はい」
「——でも、——一番、強くなる」
アイリスは、真紅の瞳で、レオンを、見た。
「——お前の、『夜明けの星』の、名の、下に」
食堂の、ランプが、小さく、揺れた。
窓の外で、スターフォール・アビスの、青白い光が、Eランクプレートを、つけた、ステラ・レギアの、小さな看板を、静かに、照らしていた。
小さな、家族の、新しい、一日が、——そう、更けていった。
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第九話 了




