『踏破くん零式、ただいま起動』
地下工房から、いつもとは、違う種類の、音が、聞こえていた。
普段の、爆発音や、金属の打撃音ではない。——どちらかというと、**足音**、だった。
どすん。
どすん。
二階の、レオンの部屋まで、その音は、はっきりと、届いた。
「……なんだろう、今日の、音」
レオンは、ベッドから、降りて、着替えた。エプロンの内ポケットの中で、踏破くん『ちび』が、ちょこん、とお辞儀をした。最近の、ちびの定位置は、レオンの、胸ポケット、だった。
階段を降りて、一階ホールに、着いた時——。
ドン、と、地下工房の扉が、勢いよく、内側から、開いた。
そして、大柄な、何かが、ホールに、ぬっ、と、現れた。
「——」
レオンは、しばらく、固まった。
身長、二メートル。幅も、一メートル近い、鋼の、巨体。磨き抜かれた銀色の外殻。関節の付け根には、赤い水晶の、照明が、ぽう、と、灯っている。
頭部に該当する部分には、大きな、レンズが、二つ。胸の中央には、直径十センチはありそうな、巨大なルビー——あるいは、それに似た、宝石——が、ゆっくりと、脈打つように、明滅していた。
そして、その巨体の、肩から、ちょこちょこ、と、小さな踏破くんが、四体、身を乗り出していた。まるで、親の肩に、しがみつく子供、のように。
「——完成した」
扉の奥から、ルルの、ぼそり、とした声が、した。
疲れきっている、けれど、どこか、誇らしげな声だった。
大柄な踏破くんの、後ろから、ゴーグルを額に上げたルルが、よろめきながら、歩いてきた。
「マスター。紹介する。——踏破くん零式、起動、完了」
レオンは、しばらく、ぽかん、と、見上げていた。
二メートルの、鋼の巨体。その胸元の、赤い宝石の、明滅。ずん、と床に伝わってくる、重量感。
「……あの、ルルちゃん」
「なんだ」
「——これ、本当に、動くの?」
「動いている」
零式が、ゆっくり、首を、傾けた。
その動作は、滑らかで、重量感があって、——そして、意外なほど、穏やかだった。まるで、初対面の相手を、観察するような、そんな、優しげな仕草だった。
レオンは、ちょっと、近づいた。
零式は、二メートルの高さから、じっと、レオンを、見下ろした。
そして——
ゆっくり、膝を、折った。
体を、ずしん、と、屈めて、レオンの目の高さに、大きな頭部を、合わせた。
それから、胸元の、赤い宝石を、こつん、と、レオンの、胸に、軽く、触れさせた。
「——?」
「——観察、記録」
ルルが、ぼそり、と、解説した。
「零式は、ルルの血と、マスターの血、両方が、起動触媒になっている」
「あ、そうなんだ」
「だから、零式にとって、マスターは、——もう一人の、『親』、だ」
「——親」
「そういう、認識、らしい」
レオンは、しばらく、無言で、零式の、胸元の、赤い宝石を、眺めた。
零式は、屈んだまま、動かなかった。
それから、レオンは、ふっ、と、笑って、零式の、鋼の頭を、ぽん、と、軽く、撫でた。
「——初めまして、零式」
零式は、ほんの少しだけ、頭を、下げた。
肩の上の、小さな踏破くんたちが、同時に、ちょこん、と、お辞儀をした。
「——この子、懐いたな」
ルルが、満足そうに、頷いた。
---
食堂に、事態が、持ち込まれた。
アイリスが、朝食の席で、零式を見て、真顔で、黙った。シエラが、零式を見て、「わああ、大きいちっちゃい子!」と、訳の分からないことを、叫んだ。エレーナが、ワインボトルと一緒に、食卓に降りてきて、「ふうん、ついに、大型版、できちゃったねえ」と、にやりと笑った。
「——ルル」
アイリスが、パンをちぎる手を止めて、言った。
「はい」
「これは、迷宮探索用、だったよな」
「そう、だ」
「——戦闘力は?」
「あるが、特化では、ない」
ルルは、コップを、持ち上げた。
「零式の、設計思想は、『索敵・探査・補助』。戦闘は、副次的な、機能だ」
「副次?」
「打撃力は、成人男性の、三倍程度。ただし、装甲が、厚いので、耐久は、高い」
「それで、戦えるのか」
「前線の、タンク役としては、有効」
アイリスは、零式を、じっ、と、見た。
零式は、食堂の隅の、壁際に、静かに、立っていた。人間用の椅子に座るには、大きすぎる。だから、立ったまま、所在なさげに、時々、首を傾げている。
肩の、小さな踏破くんたちが、時々、零式の頭の、埃を、掃除している。
「——可愛いな」
アイリスが、ぽつりと、言った。
「——え」
「——いや、言ってない」
アイリスは、ぷい、と顔を背けた。
レオンは、笑いを堪えて、スープをすすった。
「——それで、ルル」
「はい」
「——この、零式の、実地試験は、どうする?」
「——そこ、相談がある」
ルルは、懐から、一枚の羊皮紙を、取り出した。
「昨日、組合で、もらってきた依頼票。Dランクの、迷宮探索依頼、だ」
「Dランク」
アイリスの、眉が、少しだけ、上がった。
「依頼内容は」
「——迷宮第八階層、『浅き獣の巣穴』。ブラッドフェザー——小型の、翼持ち魔物の、群れの、間引き」
「ブラッドフェザー」
「六階層から、八階層にかけて、群れで、繁殖する。冒険者には、嫌われている。素早く、しつこく、そして、数が、多い」
アイリスは、頷いた。
「ブラッドフェザーは、私も、知っている。『天界の盾』時代に、何度か、相手にした」
「倒せる、か?」
「倒せる。ただし、群れは、面倒だ。五、六羽なら問題ないが、二十羽以上、来ると、魔法の詠唱が、追いつかない」
「——そこで」
ルルは、ぽん、と、ニヤリと笑って、零式を、指差した。
「零式の、出番だ」
「零式?」
「零式の、索敵機能で、群れの位置を、事前に把握。——壁際に、誘い込んで、一網打尽」
「ほう」
「零式は、タンクとして、前衛。ルルは、中衛で、補助。アイリスは、後衛で、範囲魔法。レオンは、ルルの補助。シエラは——」
「シエラは、守護精霊で、護衛」
レオンが、継ぎ足した。
ルルは、頷いた。
「——役割分担、明確。実戦テストとして、最適」
アイリスは、しばらく、考えた。
「——報酬は?」
「十五万ルナ」
「悪くない、依頼だな」
「悪くない」
「——ルル」
「はい」
「お前、自分で、迷宮に、入るのか?」
アイリスの、口調が、少しだけ、柔らかくなった。
ルルが、しばらく、黙った。
それから、ぽつりと、言った。
「——零式の、初実戦テストは、ルルが、見届ける必要がある」
「——」
「設計者の、責任、だ」
「——」
「不測の事態が、起きた時、ルル以外、対処できない」
「——分かった」
アイリスは、頷いた。
「——今日、準備をして、明日、出発する。シエラ、お前も、いいな」
「は、はい! シエラ、がんばります!」
「お前は、もう、Dランクには、充分、対応できる。自信を、持て」
「——はい、お姉ちゃん!」
シエラは、ぐっ、と、拳を、握った。
レオンは、微笑んで、頷いた。
——新しい、冒険だった。
そして、ルルが、初めて、迷宮に、入る日、だった。
---
出発前日の、午後。
ルルは、地下工房で、最後の、調整作業を、していた。
レオンは、差し入れのお茶を、持って、地下に、降りていった。
「——調子、どう?」
「——まあまあ」
ルルは、零式の、後頭部の、小さな点検パネルを、開いて、中の、配線を、弄っていた。踏破くんたち、十四体が、工房のあちこちで、彼女の、手伝いを、していた。
「明日、初めて、迷宮に、入るね」
「——うむ」
「ルルちゃんは、迷宮、初めて?」
「一度も、入ったことが、ない」
「——そうなんだ」
「ルルは、『外』が、苦手だ」
ルルは、ぽつりと、言った。
「工房が、一番、落ち着く。——大勢の人が、いるところ、苦手」
「うん」
「でも——」
ルルは、零式の、後頭部のパネルを、ぱちん、と、閉じた。
「——零式を、連れていくなら、ルルが、同行する」
「——」
「零式は、ルルの、子だ。責任を、取る」
レオンは、しばらく、ルルを、見ていた。
それから、穏やかに、言った。
「——ルルちゃん」
「なんだ」
「明日、僕、ずっと、ルルちゃんの、横に、いるね」
「——」
「慣れない、場所だと、思う。人混みも、嫌だと思う。——ずっと、横に、いるから」
「——」
ルルは、しばらく、黙っていた。
それから、ぽつりと、頷いた。
「——合理的な、提案、だ」
「うん」
「助かる、マスター」
「うん」
レオンは、お茶の入った、小さなカップを、ルルに、差し出した。
ルルは、それを、両手で、受け取った。ゴーグル越しの、瞳が、少しだけ、笑った気がした。
---
九日目の、朝。
迷宮都市ルミナリアの、中心。
スターフォール・アビスの、縁。
ギルド『ステラ・レギア』のパーティーは、吊り橋の、手前に、集合していた。
その、大掛かりな、編成を、周囲の、他の冒険者たちが、ちらちらと、見ていた。
四人の人間。そして、身長二メートルの、巨大な、銀色のゴーレム。肩には、小さな踏破くんが、四体。さらに、大きな背嚢の中には、追加で、六体の踏破くんが、詰まっていた。残りの、四体は、留守番。
エレーナだけが、ギルドで、「あたしは、今日は、寝てる方の、占星術師だ」と、ワインを一本、持って、寝室に、逃げ込んでいた。
「——なんだ、あれ」
「ステラ・レギアが、なんか、でっかい、機械、持ってきたぞ」
「ああ、あのボロギルドか。——Dランク、受けるらしい」
「おい、あれ、紅蓮のアイリスだぜ。今日は、銀の鎧、着てる」
「あの、ちっちゃい、召喚師の子、シエラだろ? この前、オルトロスを、倒したって、噂の」
「——あの、ゴーグルの、変人は?」
「——知らん、顔見るの、初めてだぞ」
街の冒険者たちが、ひそひそ、と、話していた。
ルルは、その視線に、背中が、少しだけ、緊張していた。レオンが、隣で、優しく、彼女の肩に、手を、置いた。
「大丈夫」
「……マスター」
「うん」
「ルル、人に、見られるの、苦手」
「うん、知ってる」
「——気持ち悪い」
「うん」
「——なぜ、あの人たち、こっちを見るのか、理解できない」
「ルルちゃん、可愛いし、零式が、目立つから」
「——」
ルルは、少しだけ、顔を赤くした。
「——マスター、今の発言、合理的では、ない」
「合理的じゃ、ないね」
「でも、嫌では、ない」
「よかった」
アイリスが、先頭に立ち、手を、叩いた。
「——行くぞ」
パーティーが、吊り橋に、踏み出した。
零式の、重たい足音が、石橋に、どす、どす、と、響いた。
---
迷宮第八階層。
一層とは、違う、世界だった。
空気は、湿って、冷たい。壁は、一層の、整った石造りではなく、ぎざぎざの、岩肌。天井は、高く、暗い。壁際には、何かの、古い石像が、半ば崩れた姿で、ぽつぽつ、と、並んでいた。
「——ここは」
シエラが、小さな声で、呟いた。
「空気が、重い」
「六層を越えると、空気が、変わる」
アイリスが、頷いた。
「——油断するな。ブラッドフェザーの、鳴き声がしたら、すぐに、位置を、確認しろ」
「はい」
ルルは、零式の、胸元に、手を、当てていた。
零式の、赤い宝石が、ゆっくりと、明滅する。
「——零式、索敵、開始」
ルルが、命じた。
零式の、頭部の、大きなレンズが、すう、と、絞られた。まるで、望遠鏡の、焦点を、合わせるような、動き。
それから、零式の、赤い宝石から、ひとすじの、細い光の線が、放射状に、広がり始めた。
「——脈動探査。生体反応、索敵」
ルルが、解説した。
「零式の、胸の宝石は、生体の、魔力を、感知する。群れの、位置を、特定できる」
「おお、すごい」
「——北北東、三百メートル先、生体反応、二十七体。——高度、地上より、三メートル上空。——飛行型、群れ、確認」
零式の、口元の、発声機構から、低く、響く、機械音声が、流れた。
初めての、零式の『声』、だった。
シエラが、ぱあ、と、目を輝かせた。
「零式くん、喋れるの!?」
「喋るが、情報伝達のみ」
ルルが、訂正した。
「雑談は、しない」
「え〜、残念」
「合理的、ではない、機能は、搭載していない」
「ルル姉ちゃん、それ、悲しいよぉ」
シエラは、それでも、零式の、腰のあたりを、ぺちぺち、と叩いた。零式は、じっと、彼女を見下ろして、——ほんの少し、頭を、下げた。
シエラが、ぱあっ、と、顔を明るくした。
「——お、お、お、お辞儀、してくれた!」
「——可愛がられる、機能は、搭載している」
ルルが、ぼそり、と、補足した。
アイリスが、首を、横に振って、苦笑した。
「——おしゃべりは、後にしろ。位置を、確認するぞ」
「はい」
レオンが、ルルの手元の、小さな地図を、覗き込んだ。
「壁に、群れを、押し付ける隊形は、どこで?」
「——そこ」
ルルが、地図の一点を、指差した。
「巣穴を、出た群れは、狩り場に、向かう。狩り場の、手前の、広い通路。そこが、ポイントだ」
「左右に、逃げ道が、あるな」
アイリスが、頷いた。
「アイリス、右の逃げ道を、火の壁で、塞いでほしい。左は、踏破くんたちで、煙幕」
「——了解した」
「レオンは、ルルの、後ろの、補助。——ルルは、中衛で、踏破くんの、指揮。シエラは、守護精霊で、側面から、群れを、追い込む役」
「はい!」
「零式は、正面の、タンク。突っ込んできた群れを、受け止める」
「——了解」
零式の、機械音声が、短く、応答した。
---
狩り場、手前の、広い通路。
パーティーは、所定の位置に、散開した。
アイリスが、右の、暗い横穴の、前に、立った。細身の剣の、刃に、赤い光が、ぽう、と、灯る。詠唱は、短く、押し殺した声で、始まった。
「——炎よ、並び、壁と、なれ——」
左の、横穴では、踏破くんたちが、煙幕の、小瓶を、投げる準備を、していた。
シエラは、通路の奥、二十メートルの、少し開けた場所に、陣取った。両手を、胸の前で、組み、小さな声で、詠唱を、始めていた。
「——風の、雄鷹さま、——どうか、力を」
ルルは、零式の、隣に、立っていた。
零式は、通路の、真ん中に、仁王立ちになっていた。
二メートルの、鋼の巨体が、魔物の、来る方向を、じっ、と、見据えている。
レオンは、ルルの、後ろに、立った。
「準備、できた?」
「——できた、マスター」
ルルは、懐から、小さな、筒状の、発明品を、取り出した。
「これは?」
「——爆裂筒。小規模の、爆発を、起こす、投擲武器」
「爆発するの?」
「合理的な、範囲で」
「——それ、ルルちゃんが、振り回したら、こっちも、巻き込まれる、やつじゃ、ない?」
「信管を、二段階にしている。ルルの、指の、熱で、第一段階。投擲後、三秒で、第二段階。——近接では、爆発しない」
「おお、ちゃんと、考えてあるんだね」
「合理的、だ」
その時。
——ぎゃっ。
——ぎゃっ、ぎゃっ、ぎゃっ。
通路の、奥から、甲高い、鳴き声が、聞こえてきた。
複数。——多数。
「——来るぞ」
アイリスが、剣を、構え直した。
「——全員、配置!」
---
それは、黒い、嵐のように、飛来した。
翼長六十センチほどの、黒い鳥型の魔物——ブラッドフェザー。鋭い嘴。赤い、狂的な瞳。鋭利な、鉤爪。そして、何よりも——**数**。
飛び出してきた群れは、パーティの予測通り、——二十七体。
先頭の五体が、真っ直ぐ、零式に、突っ込んだ。
零式は、動かなかった。
ただ、腕を、胸の前で、交差させて、——受け止めた。
最初の一体の、嘴が、零式の、胸元の、装甲に、ぶつかった。硬質な金属音が、響いた。魔物の、細い首が、勢いを、受け止めきれずに、跳ね返った。
零式は、その魔物を、素早く、両手で、掴んだ。
そして、ぐしゃり、と、握りつぶした。
黒い、破片が、床に、散った。
「——打撃力、成人男性の、三倍」
ルルが、ぼそり、と、観察した。
「装甲強度、想定通り」
二体目、三体目。——零式は、まるで、虫を、払うように、魔物を、掴んでは、握りつぶしていった。
その巨体が、前衛として、完全に、機能していた。
後続の、群れが、左右に、分かれようとした。
「——アイリス、右!」
ルルが、叫んだ。
「——承知!」
アイリスの、赤い剣が、空を、薙いだ。
右の横穴の、入り口に、ぼう、と、赤い火の壁が、立ち上がった。突っ込んだ三体が、炎に、触れて、ぎゃっ、と、悲鳴を上げて、引き返した。
左の、踏破くんたちが、小瓶を、投げた。
もくもく、と、白い煙が、横穴の、入り口に、広がった。魔物たちは、煙に、怯えて、左にも、行けなくなった。
——挟み撃ち、完了。
群れは、零式の、正面の、通路に、押し戻された。
「——シエラ、側面から!」
レオンが、叫んだ。
シエラが、ぎゅ、と、両手を、握った。
「——風の、雄鷹さま——!」
シエラの足元の、魔法陣から、巨大な、蒼い翼の、鷹が、ぐわっ、と、飛び出した。
翼の一振りで、通路に、強烈な、風が、吹き抜けた。
魔物たちの、飛行が、乱れた。
「——ルル、投げろ!」
「了解」
ルルは、爆裂筒を、三本、同時に、引き抜いた。両手で、二本、口で、一本。
親指の、熱で、第一段階の、信管が、発動する。
彼女の小さな手が、ひょい、ひょい、ひょい、と、三本を、投げた。
三秒後——
ばん、ばん、ばん、と、群れの、中央で、小規模の、爆発が、連続した。
魔物たちの、陣形が、完全に、崩れた。
「——いま、だ、アイリス!」
ルルの、号令。
「————紅蓮の、剣星!」
アイリスの、最大出力の、魔法が、放たれた。
赤い光の、星が、十個——
正面から、バラバラになった群れを、——次々と、撃ち抜いた。
---
群れの、大半が、倒れ伏した、後。
通路には、生き残りが、五体。
それらは、戦意を失い、奥の狩り場の、暗がりに、一斉に、逃げ始めた。
「——追うか?」
アイリスが、剣を下ろしながら、訊いた。
「不要」
ルルが、首を振った。
「間引きの、依頼だ。群れが、半分になれば、繁殖サイクルが、崩れる。——依頼、達成」
「——」
アイリスは、頷いた。
そして、零式を、見た。
零式は、通路の、真ん中で、立ったまま、——微動、していなかった。
胸の、赤い宝石は、まだ、ゆっくり、明滅していた。
しかし、その、明滅の間隔が、少しだけ、おかしかった。
時折、——不規則に、瞬く。
ルルの、ゴーグル越しの、瞳が、すう、と、細まった。
「——マスター」
「はい」
「——零式の、宝石が、不安定、だ」
「——え」
「——過負荷」
ルルは、素早く、零式に、駆け寄った。
「零式、——システム状況、報告」
零式が、ゆっくり、振り向いた。
機械音声が、少しだけ、歪んで、聞こえた。
「——索敵、戦闘、継続中——魔力消費、七十八パーセント——残り、二十二パーセント——」
「——」
ルルの、顔色が、変わった。
「——マスター、零式の、胸の宝石、予備電源が、足りない。——初回の、戦闘で、想定以上に、魔力を、消費している」
「——つまり?」
「——このまま、帰還まで、持たない可能性が、ある」
「帰還、って、迷宮から、出るまで?」
「——そう」
「——」
「——零式は、動力停止すると、自重で、歩行不能になる。ここから、運び出すのは、——ルルたちの、力では、不可能」
「——」
「——最悪の場合、零式を、この場に、置いていく、ことに、なる」
ルルの、声が、少しだけ、震えた。
シエラが、駆け寄ってきた。
「——零式くん、大丈夫?」
「——シエラ、大丈夫。ルルが、判断する」
「——ルル姉ちゃん、顔、青いよ」
「——」
ルルは、しばらく、零式を、見上げた。
それから、ぽつりと、言った。
「——マスター」
「はい」
「——お願いが、ある」
「なに?」
「——マスターの、血を、少しだけ、零式に、供給、してもいいか」
「——」
「——零式の、補助動力は、ルルの血と、マスターの血、両方で、動く。——ルルの血は、もう、ほとんど、出してある。——マスターの血が、——少量で、復旧、できる」
ルルは、顔を、上げた。
「——無理は、させない」
レオンは、頷いた。
「うん、いいよ。——少しなら」
---
アイリスが、周囲の、警戒を、担当した。
シエラが、踏破くんたちに、指示を出して、後方の、守りを、固めた。
ルルは、懐から、小さな、注射器状の、道具を、取り出した。
「——マスターの、指先から、五十ミリリットル、だけ、抜かせてもらう」
「うん」
「痛い、かもしれない」
「大丈夫、僕、痛みには、慣れてる」
「——」
ルルは、レオンの、指先に、針を、そっと、刺した。
レオンは、大きく、息を、吐いた。
ルルは、素早く、採血を、終え、それを、零式の、胸の宝石の、下部に、ある、小さな、挿入口に、注入した。
しばらく、反応は、なかった。
数秒後——
零式の、胸の宝石が、ぼう、と、強く、脈打った。
機械音声が、はっきりと、戻ってきた。
「——補助動力、回復——残り、四十五パーセント——」
「——帰還まで、充分な、数値」
ルルは、ほっ、と、息を、吐いた。
そして——
零式の、鋼の胸に、ぽふ、と、額を、寄せた。
「——ごめん、零式」
「——」
「——初めての、実戦で、——無理させた」
零式は、しばらく、動かなかった。
それから、ゆっくりと、大きな手を、上げて——
ルルの、小さな頭を、そっと、撫でた。
「——」
ルルの、目が、ほんの少しだけ、潤んだ気がした。
「——データ」
彼女は、ぽつり、と、呟いた。
「零式、予想以上に、繊細な、動作が、可能。——愛着行動、発現、確認」
「ルル姉ちゃん、今のは、データじゃないよ。——家族だよ」
シエラが、後ろから、言った。
「——そう、か」
ルルは、頷いた。
「——家族、だな」
そして、零式の、胸元の、宝石に、もう一度、そっと、手を、当てた。
「——帰ろう、零式」
「——了解——マスター」
零式は、ずし、ずし、と、重たい足音で、歩き始めた。
肩の上の、小さな踏破くんたちが、一斉に、ちょこん、と、お辞儀をした。
---
ギルドへの、帰り道。
戦利品の、魔物の、翼と、爪は、組合で、売却する予定だった。今夜中に、換金すれば、依頼報酬の、十五万ルナと合わせて、二十二万ルナ。
ルルは、零式の、隣を、ずっと、歩いていた。
時々、零式の、手に、軽く、触れていた。
——彼女は、迷宮の、帰り道では、もう、周囲の視線を、気にしていなかった。
「——ルル」
アイリスが、ふと、口を、開いた。
「なんだ、アイリス」
「——お前、零式の、ことを、『家族』って、言ったな」
「——」
「——ルルの、家族って、——これまで、誰も、いなかったのか?」
ルルは、少しだけ、黙った。
それから、ぽつりと、言った。
「——両親は、ルルが、七歳の時に、研究の、事故で、亡くなった」
「——」
「以降、ルルは、一人で、工房を、回していた。ルミナリアに、来て、『ステラ・レギア』に、拾われたのは、——三年前」
「——三年前」
アイリスが、小さく、呟いた。
「——アイリスと、同じ、時期」
「——そうか」
「ルル、孤児院にも、行けなかった。——機械の、修理ばかり、していたから。——人との、距離感が、分からなかった」
「——」
「でも、セレナ殿が、——お前の、叔母さんだな、マスター」
「うん」
「——セレナ殿が、『あんた、工房、好きでしょ? ウチの地下、使いな』って、言ってくれた」
「——叔母さんらしい」
「——それから、ずっと、ここに、いる」
ルルは、零式の、鋼の手に、もう一度、触れた。
「——でも、『家族』という、概念は、——よく、分からなかった」
「——」
「昨日、昨日じゃない、一昨日、踏破くんたちが、食堂で、家事を、手伝ってくれた時——『ああ、こういうものか』、と、初めて、思った」
「——」
「そして、今日——」
ルルは、零式を、見上げた。
「——零式が、ルルの、補助動力を、気遣って、動いてくれた」
「——」
「——失うかも、しれない、と、思った時、——ルル、初めて、胸が、苦しかった」
アイリスは、しばらく、黙った。
それから、静かに、言った。
「——それが、『家族』、だ」
「——」
「——失いたくない、と、思うものが、家族、だ」
「——そう、か」
ルルは、少しだけ、顔を、上げた。
「——合理的、ではない、けど、——分かる気が、する」
アイリスは、ふっ、と、笑った。
「——なら、いい」
その時、シエラが、ルルの手を、ちょん、と握った。
「——ルル姉ちゃん」
「——なんだ、シエラ」
「——シエラも、ルル姉ちゃんの、家族、だからね」
「——」
ルルの、ゴーグル越しの、瞳が、ほんの少しだけ、揺れた。
「——合理的、には、違うが」
「——でも?」
「——気持ち的、には、同意」
シエラが、ぎゅ、と、ルルの、手を、強く握った。
ルルは、握り返さなかったが、——振り払いも、しなかった。
レオンは、その光景を、少し、後ろから、見ていた。
今日、ルルは、初めて、迷宮に、入った。
そして、初めて、——誰かの「家族」に、なった。
---
夕方。
組合で、換金を、済ませた後。
ギルドへの、帰り道、パーティーは、皆、疲れた、けれど、満足げな、顔を、していた。
零式は、ルルの、隣で、ずん、ずん、と、歩いていた。周囲の、通行人が、びっくりして、道を、避けていた。
「——街中で、歩くの、ちょっと、目立つなあ、零式」
レオンが、呟いた。
「——目立つ機能は、搭載している、らしい」
ルルが、答えた。
「——目立ちたくない、ので、今後は、街中では、縮小モードに、する」
「縮小モード、あるの!?」
「これから、作る」
「今、ないんだ」
「合理的、には、必要だ」
「作ってから、出せばよかったじゃん」
「——忘れてた」
ルルは、珍しく、ぽくぽく、と、頭を、掻いた。
そんな、賑やかな、一行が、ギルドの丘を、登っていった。
「——お、帰ってきた!」
ギルドの玄関先で、エレーナが、今朝と同じ、ワインボトル片手に、待っていた。
ただし、寝巻きではなく、きちんと、ガウンを、着直していた。
「——生還したかい、四人と、一体」
「無事に、ただいま戻りました」
レオンが、頷いた。
「なに、これ。大きい」
エレーナは、零式を、目を丸くして、見上げた。
「——ルル、あんた、こんなもの、ずっと、地下で、作ってたのかい?」
「——そうだ」
「——まあ、ねえ」
エレーナは、ひゅ、と、口笛を吹いた。
「これは、これは」
そして、——ふと、彼女の、視線が、零式の、胸元の、大きな、赤い宝石に、止まった。
しばらく、無言で、じっ、と、見つめた。
「——ルル」
「なんだ」
「——この、宝石——」
「——零式の、動力源、だ」
「——ふうん」
エレーナの、切れ長の瞳が、すう、と、細まった。
「——ルル。この、宝石、どこで、手に、入れた?」
「——二年前、組合の、オークション」
「——ふうん」
「——出土地、不明」
「——ふうん」
エレーナは、しばらく、宝石を、見つめた。
それから、ワインを、一口、ゆっくりと、啜った。
「——」
何か、言いたそうだった。
けれど、結局、彼女は、何も、言わなかった。
ワインボトルを、ひょいと、肩に、担ぎ直した。
「——まあ、いい。——今夜は、祝いの、夕食、だね?」
「はい」
「あたし、ワインの、二本目を、開けちまおう」
「どうぞ」
エレーナは、にっこり、笑って、ギルドの、奥へ、歩いていった。
——歩き去りながら、彼女は、一度だけ、肩越しに、振り返って、零式の、胸の宝石を、見た。
その眼差しは、——レオンにも、アイリスにも、気づかれないほど、——短かったけれど。
確かに、何か、別の、色を、していた。
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夜。
食堂で、いつもの、夕食。
祝いの、夕食だった。
零式は、食堂の隅の、一番広いスペースに、静かに、立っていた。壁に寄りかかるような、姿勢で。肩の上の、踏破くんたちも、今夜は、静かだった。
食卓には、今夜も、エレーナが、いた。
「——乾杯」
エレーナが、グラスを、掲げた。
「ルルの、初めての、迷宮任務に」
「——今日、零式くんに」
シエラが、続けた。
「——家族に」
レオンが、続けた。
「——家族に」
アイリスが、続けた。
ルルは、しばらく、グラスを、見ていた。
それから、ゆっくり、顔を、上げた。
「——ルルの、家族に」
その、短い、一言が、一番、重かった。
ガラスの、きゅ、という音が、食堂に、静かに、響いた。
食後。
エレーナが、ふらり、と、ルルの横に、座った。
「——ルル、少年」
「なんだ、エレーナ」
「——さっき、零式の、宝石、見た時」
「うん」
「——気づいたこと、一つだけ、伝えようと、思って」
「——」
食卓の、笑い声が、ほんの少しだけ、止まった。
エレーナは、ワイングラスを、ゆっくり、回しながら、続けた。
「——あの宝石、出土層、深層、かい?」
「——六十二階層」
「——ほう」
「——組合記録、に、そう書いてあった」
「——ふうん」
エレーナの、目が、またも、細くなった。
「——六十二階層の、宝石が、二年前に、オークションに、出る、というのは」
「——」
「——ちょっと、不自然、だよ」
「——どう、不自然、だ?」
「——当時、この街で、六十二階層に、到達できる冒険者は、——ほとんど、いなかった」
「——」
「つまり、誰かが、——それを、どこかから、持ち込んだ」
食卓が、静かになった。
アイリスが、わずかに、眉を、寄せた。
ルルも、頷いた。
「——不自然さ、論理的に、認識していた」
「——ふむ、そうかい」
「——でも、宝石は、もう、零式の、動力源になっている。分離するのは、不可能、だ」
「——だろうね」
「——」
「——ルル、少年。——あんた、あの宝石を、いつ、買ったか、正確に、覚えてるかい?」
「——二年前、秋、九月二十二日、午後、三時十八分」
「——ああ、合理的、だねえ」
「——」
エレーナは、ワインを、一口、啜った。
そして、ぽつりと、言った。
「——三年前、『天界の盾』で、事件が、起きたね、アイリス」
「——」
アイリスの、肩が、ほんのり、強ばった。
「なんの、話だ」
「——三年前、『天界の盾』が、二十一層で、事故を、起こした、のを」
「——なぜ、それを」
「——覚えておきな」
エレーナは、意地悪く、笑った。
「——二年前に、六十二階層の、宝石が、オークションに、流れた」
「——」
「——その、一年前に、——『天界の盾』で、あんたの、師匠が、亡くなる、大事故が、あった」
「——」
「——偶然、かも、しれないけどねえ」
アイリスは、しばらく、黙って、ワインのグラスを、見ていた。
それから、ぽつりと、言った。
「——『天界の盾』が、当時、深層への、遠征計画を、立てていた、という話は、——聞いた、ことがある」
「——」
「——幻の、計画と、言われていた。——アルフレート殿が、秘密裏に、進めていた、らしい」
「——アルフレート殿、か」
「——執行部、筆頭」
「——で、そいつは、まだ、生きて、『天界の盾』に、いるのかい?」
「——いる。三年前の、事故の、責任は、追求されなかった」
「——ふうん、そうかい」
エレーナは、もう一度、ワインを、啜った。
「——じゃあ、あの宝石の、出所、少しだけ、頭の、片隅に、置いておきな、アイリス、ルル、少年」
「——」
「——今日、解決できる、話じゃ、ない」
「——」
「——でも、いつか、繋がってくる、話かも、しれない」
エレーナは、そう、言って、——立ち上がった。
「——あたし、ちょっと、酔っぱらいすぎた、ねえ」
「エレーナさん」
「——占星術師の、戯言、だ。忘れて、くれていい」
彼女は、ふらり、と、自分の、部屋の方へ、歩いていった。
食卓に、静けさが、残った。
やがて、ルルが、ぽつりと、言った。
「——マスター」
「うん」
「——零式の、動力源が、——もしかしたら、——『天界の盾』で、死んだ、アイリスの、師匠に、関係している、かもしれない、と」
「——」
「——そう、聞こえた」
「——うん」
アイリスが、ワインのグラスを、じっ、と、見つめた。
「——分からん。まだ、何も、分からん」
「——」
「——でも」
アイリスの、真紅の瞳が、ふっと、上がった。
「——もし、繋がっているのなら——」
「——」
「——その、糸は、いつか、全部、引っ張り出す」
「——」
「——先生の、死の、真相を、知るためにも」
レオンは、頷いた。
——第4話のバドル。
——第6話の、リーゼ。
——そして、第8話の、零式の、宝石。
何かが、静かに、繋がり始めている。
けれど、今日は、まだ、——ここまでだった。
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夜、遅く。
レオンは、自分の部屋で、窓の外を、見ていた。
スターフォール・アビスの、青白い光が、夜空に、静かに、輝いていた。
——六十二階層。
ルルが、二年前に、偶然、買った、古代遺物の、かけら。
——それが、どこから、来たのか。
誰が、なぜ、それを、手放したのか。
まだ、分からない。
けれど、——いつか、迷宮の、底で、その答えに、出会う日が、来るのかもしれない。
「——ねえ」
レオンは、胸元の、二つの、お守りを、取り出した。
幼い日の、顔のぼやけた、少女から、貰った、古びた円環。
そして、昨日、アイリスから、受け取った、『銀色の誓い』、『天界の盾』の、紋章。
二つの、小さな、金属が、月明かりに、静かに、光った。
「——ひとつずつ、進むね」
レオンは、そっと、呟いた。
「——君たちの、ところに、たどり着くまで」
窓の外で、秋の夜風が、アザミを、そっと、揺らした。
ギルド『ステラ・レギア』の、九日目の夜は、静かに、けれど、新しい謎を、ひとつ、胸に抱いたまま、更けていった。
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第八話 了




