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『踏破くん、起動しました』

レオンが目を覚ました時、枕元に、小さな、不思議なものが、立っていた。


身長、十センチほど。


鋼の板を丁寧に叩いて組み上げたらしい、小さな小さな、二足歩行のゴーレム。頭部に該当する部分には、真鍮の小さなレンズが二つ、覗き穴のように嵌まっている。胸の中央には、ルビーのように赤い石が埋め込まれていて、脈打つように、ゆっくりと明滅していた。


そいつが、レオンの枕元で——


ちょこん、と、お辞儀を、した。


レオンは、しばらく、毛布の下から、そいつを見つめた。


瞬きを、一回。


二回。


三回。


「……おはよう?」


ちょこん、と、もう一度、お辞儀。


「……ルルちゃん?」


小さなゴーレムは、返事の代わりに、くるり、と向きを変えて、枕元の机から、ぴょん、と床に飛び降りた。そして、とたとた、と軽い音を立てて、閉まっている扉の方へ、歩いていった。


扉の前で、また、立ち止まった。


振り返って、もう一度、ちょこん、と、お辞儀。


「……ついて来い、ってこと?」


ちょこん。


「——分かった。今、起きるね」


レオンは、毛布をめくって、起き上がった。


---


寝間着のまま、ゴーレムに先導されて、レオンは、階段を降りていった。


途中で、シエラの部屋の前を、通りかかる。中から、まだ、すうすう、という寝息が聞こえた。朝五時。彼女は、まだ眠っていい時間だった。


アイリスの部屋の前も、通り過ぎる。こちらは、もう起きているらしく、中から、剣を素振りする、微かな音が、聞こえた。


一階のホールまで来ると、小さなゴーレムは、食堂の方ではなく、ホール奥の、古い木製の扉の方へ向かった。


地下工房。


レオンが、管理人になって五日——まだ一度も、足を踏み入れたことのない、ルルの城である。


「……お邪魔して、いいのかな」


ゴーレムは、扉の下の隙間に、するり、と体を押し込んで、消えた。


しばらくして、扉の向こうから、ルルの、ぼそり、とした声が聞こえた。


「——入れ、マスター」


レオンは、扉を、開けた。


地下への、石の階段が、広がっていた。壁に取り付けられた古い魔道具のランプが、青白い光を、階段の段差に、ぼうっと落としている。


階段の奥から、金属の匂いと、油の匂いと——ほんの少しだけ、焦げたパンのような匂いが、混ざり合って、立ちのぼってきた。


「……焦げたパン?」


首を傾げながら、レオンは、階段を降りていった。


---


地下工房は、思っていたより、ずっと、広かった。


石造りの大広間。天井は高く、壁の四方には、ずらりと、工具棚が並んでいる。中央には、巨大な作業台。傍らには、半分組み立てかけの、奇妙な機械——車輪がやたらに多い荷車のようなもの、翼のような板が生えた樽のようなもの、触角のついた鉄の箱——が、所狭しと、転がっている。


そして、その作業台の真ん中に。


ルルが、大きなゴーグルを下ろして、ぽかん、と、口を開けたまま、座っていた。


机の上には、焼きパンの切れ端と、半分飲みかけの冷めたミルクと、そして——


小さなゴーレムが、六体。


さっきの「案内役」と同じ意匠の、小さな鋼のゴーレムが、作業台の上で、わらわら、と動き回っていた。


「——おはよう、ルルちゃん」


ルルは、ゆっくり、レオンの方を向いた。


ゴーグルのレンズ越しに、目を瞬いた。


「……マスター」


「うん」


「事件だ」


「見れば、分かる」


「説明するのに、言葉が、追いつかない」


「ゆっくりで、いいよ」


ルルは、こく、と頷いた。


そして、作業台の上の、一体のゴーレムを、指差した。


「——これが、踏破くん一号」


「うん」


「——ただし、縮小版」


「縮小版?」


「本来、踏破くんは、身長二メートル。迷宮探索用の、大型ゴーレムだ」


「二メートル」


「昨夜、ついに、制御機構の、最終設計が、完成した」


ルルは、作業台の隅の、巨大な設計図を指差した。そこには、人型の、大きなゴーレムの、精密な図面が描かれていた。


「完成を記念して、プロトタイプとして、十分の一サイズの、テスト機を、作った」


「うん」


「ところが」


ルルは、小さなゴーレムたちを、指先で、ちょんちょん、と突いた。


「起動、成功した」


「それは、よかったね」


「成功、しすぎた」


「……うん?」


「昨夜、一号機を、起動テスト。起動した」


「うん」


「一号機が、自分で、二号機を、組み立て始めた」


「……うん?」


「二号機が、完成して、起動した。二号機が、三号機を、組み立て始めた」


「……うんうん?」


「三号機が、四号機を。四号機が、五号機を。五号機が、六号機を」


作業台の上の、六体のゴーレムが、わらわら、と、動き回っていた。一体が、机の端の焦げたパンを、両手で、大事そうに抱えている。一体が、冷めたミルクを、何かの容器に、ちびちび、注ぎ分けている。一体が、ルルのゴーグルの紐を、ちょん、ちょん、と、指先で、引っ張っている。


「増殖、している」


「増殖!?」


「ルルの、寝てる間に」


「ルルちゃん寝てたの!?」


「午前三時に、力尽きた」


ルルは、ぺちん、と、自分の額を叩いた。


「あと、二時間、起きてれば、増殖に、気づけたのに」


「二時間、あなた寝てたんだね」


「ただし、起動原理に、謎が、ある」


ルルは、ぴん、と、指を立てた。


「本来、このゴーレムは、起動に、『特殊な触媒』が、必要だ」


「触媒?」


「マスターの、血」


「あ、そうなんだ」


「さもありなん、という、顔をするな、マスター」


「いや、ルルちゃんが前に、そういう話してたから」


「——だが、問題は、そこ、だ」


ルルは、立ち上がった。


そして、作業台の下の、小さな鉄箱を開いた。


中には、赤い液体の入った、小さな試験管が、一本。


「これが、マスターの血。一週間前、わずかに、分けてもらった分」


「……え、分けてもらった覚え、ある?」


「昨日、マスターが、バドルの棍棒で、吹き飛ばされた時、床に、こぼれた分を」


「ルルちゃん、床の血を、回収してたの!?」


「合理的、だ」


「合理的じゃない!!」


ルルは、試験管を、揺らした。


「この血は、一号機の、起動にしか、使っていない」


「うん」


「残りの、五体——二号機から、六号機は、何の触媒で、動いている?」


「……」


ルルは、ゴーレムたちを、じっ、と、見つめた。


「分からない。理論上、動くはずの、ないものが、動いている」


「マッド・サイエンティストが、理論上、動かないって言ってるの、珍しいね」


「ルルは、マッドサイエンティスト、じゃない」


「違うの?」


「ルルは、合理的サイエンティスト、だ」


「……うん」


作業台の上で、六体のゴーレムたちは、わらわら、と、動き続けていた。


よく見ると、彼らは、何かの『作業』を、しているようだった。


焦げたパンを、一体が運んでは、作業台の片隅に、きれいに、積み上げていた。冷めたミルクを、別の一体が、試験管に小分けにして、棚の一列に、几帳面に、並べていた。ルルの散らかしたネジや歯車を、三体が、サイズごとに、きちんと、仕分けしていた。


——地下工房が、少しずつ、綺麗になっていく。


「……あの、ルルちゃん」


「なんだ」


「踏破くんたち、もしかして」


「……うむ」


「掃除、してる?」


「——」


ルルは、しばらく、沈黙した。


それから、ぼそり、と、言った。


「——掃除を、している」


「起動原理の、謎は?」


「——不明」


「でも、悪いことは、してないね」


「——していない」


二人は、しばらく、作業台の上の、小さな働き者たちを、眺めていた。


やがて、ルルは、ぽつりと、言った。


「マスター」


「うん」


「この、謎の現象の、原因を、特定するまで」


「うん」


「この、六体を、活用しても、よいか」


「家事の手伝いに?」


「合理的、だ」


レオンは、しばらく考えて、小さく、笑った。


「いいよ。増えすぎないうちは」


「七号機は、作らない」


「うん、それ、頼む」


「シエラが、起きた時に、——たぶん、面白い、反応を、する」


「うん、それは、目に浮かぶ」


---


朝食の時間。


シエラが、寝ぼけ眼で、食堂に降りてきた。


「——おはよう、お兄ちゃ……」


そして、彼女の言葉は、途中で、止まった。


食卓の、中央に。


小さな鋼のゴーレムが、六体。


一体一体が、それぞれ、パンの切れ端を運んだり、小さなカップにコーヒーを注いだり、スプーンを並べたりしていた。


「——」


シエラは、しばらく、食卓を、凝視した。


瞬きを、一回。


二回。


「きゃああああああああああ、お兄ちゃん、食卓にちっちゃい、ちっちゃいロボットがいっぱいいるよぉおお!!」


「うん、おはよう、シエラちゃん」


「え、え、え、な、な、な、なんで!?」


「ルルちゃんの、新作」


「ルル姉ちゃん、こんなに作ったの!?」


「作った、は、半分」


ルルが、食卓の端の席から、ぼそりと答えた。


「一体だけ、作った。残りは、勝手に、増えた」


「勝手に!?」


「起動原理、不明」


「不明!?」


シエラは、ぱちぱち、と、目を瞬いた。


食卓の上のゴーレムの一体が、とたとた、と、シエラの席の前に、歩み寄ってきた。そして、ちょこん、と、お辞儀をした。


小さな手に、蜂蜜の壺の蓋が、抱えられていた。どうやら、シエラのパンに、蜂蜜をかけてあげたい、らしかった。


「——わ、わわ、わ、かわいい」


シエラの、震えていた声が、一気に、甘くなった。


「——なに、この子、かわいい、かわいすぎる、ちょっと、ちょっと、手のひら、乗ってくれる?」


ちょこん、とゴーレムが、頷いた。


とたとた、と、シエラの、差し出した手のひらに、乗った。


シエラは、ぽっ、と顔を赤くして、両手で、ゴーレムを、そっと、包んだ。


「——かわいいぃぃぃ!!」


「愛玩用、ではない」


ルルが、ぼそり、と訂正した。


「家事の、補助機構、だ」


「ルル姉ちゃん、これ、愛玩用でもあるよ!」


「——そう、か」


「絶対、そうだよ! あ、この子、名前ある?」


「一番、小さいゴーレムだから、『ちび』と呼んでいる」


「ちび!」


シエラは、もう、目の中に、星が、入っていた。


食卓に、パンを運んでいた別の一体が、そのやり取りに、興味を持ったのか、とたとた、と、シエラの近くに、歩いてきた。


「この子も、かわいい! この子、なんて名前?」


「二号機」


「それ、名前、雑じゃない!?」


「合理的、だ」


「合理的でも、雑!」


それを、遠くの席から、じっと、眺めている者が、一人、いた。


アイリスである。


彼女は、既に、席について、朝食のパンを、ゆっくりと、ちぎっていた。


真紅の瞳で、食卓のゴーレムたちを、じっ、と、観察している。


「——アイリスさん、大丈夫ですか?」


レオンが、声をかけた。


アイリスは、しばらく、無言で、ゴーレムたちを見ていた。


それから、ぽつりと、言った。


「——動いている」


「はい」


「増えている」


「六体です」


「——これは、ギルドの、防衛戦力に、なるのか?」


「ならない。合理性の、話ではない」


ルルが、即答した。


「彼らは、家事要員だ」


「——そうか」


アイリスは、無言で、パンを、ちぎった。


それから、小さな、ゴーレムの一体が、彼女の前に、とたとた、と歩いてきた。


両手で、蜂蜜の壺の蓋を、抱えている。


ちょこん、と、お辞儀。


アイリスの、真紅の瞳が、そのゴーレムを、じっ、と、見つめた。


ゴーレムは、小さな手で、蜂蜜の蓋を、ぱか、と開けた。そして、スプーンに、蜂蜜を、ちびちび、と、すくい、アイリスのパンに、垂らした。


とろ、と、琥珀色の蜜が、パンに、落ちた。


ゴーレムは、スプーンを、壺に戻し、蓋を、ぱた、と閉めて、ちょこん、と、またお辞儀をした。


「——」


アイリスは、無言で、蜂蜜のかかったパンを、見ていた。


しばらく、見ていた。


それから、ごく、ごく、小さな声で——


「……可愛い、じゃないか」


ぽつりと、呟いた。


その瞬間。


ゴーレムが、くるり、と向きを変えて、アイリスの膝に、ぴょん、と、飛び乗った。


「——!?」


アイリスの、硬い肩が、一瞬で、溶けた。


「ちょ、ちょ、おまえ、私の、膝、に——」


「懐いた」


ルルが、ぼそり、と観察結果を、報告した。


「ゴーレムが、ここまで愛着を示すのは、初めてだ。データとして、貴重」


「何が、データだ!!」


アイリスは、ぷい、と顔を背けた。


けれど、ゴーレムを、膝から、払いのけはしなかった。


小さな鋼の体が、彼女の膝の上で、とたとた、と、動き回っていた。時々、レオンの方を、ちらり、と見て、ちょこん、とお辞儀する。アイリスは、顔を背けながら、けれど、ゴーレムを、見つめていた。


その頬が、じわじわと、赤くなっていった。


「——あの」


レオンが、恐る恐る、声をかけた。


「その、たぶん、その子、アイリスさんの膝の上を、自分の基地にする気、です」


「そ、そんなこと、私は、許可した覚えは、ない」


「はい」


「許可した覚えは、ない、が」


「はい」


「——まあ、いいだろう」


アイリスは、ぷい、と顔を逸らした。


ゴーレムが、ぴょん、と、もう一度、嬉しそうに、彼女の膝で、飛び跳ねた。


食卓に、賑やかな、朝の時間が、流れた。


---


朝食の後、レオンは、ルルと一緒に、地下工房に、戻った。


シエラは、ゴーレムを三体、肩と頭に乗せて、はしゃぎながら、ぱたぱたと、自室に引き上げていった。アイリスは、膝の一体を、結局、連れて、中庭の修練場に向かった。「別に、これは、ついてくる、と言っているから、連れていくだけだ」と、早口で言い訳しながら。


「——ゴーレムは、懐くのが、仕事なのか」


階段を降りながら、ルルは、首を傾げた。


「本来は、迷宮を踏破する、機能特化型のはずだ」


「そうなんだけど、縮小版だから、機能も、縮小したのかもしれないね」


「家事用に」


「うん、家事用に」


「——許容する」


ルルは、ふん、と頷いた。


工房に降りてみると、残っていた二体の踏破くんたちは、作業台の散らばった部品を、きれいに整頓している最中だった。


片方の踏破くんが、振り返って、ちょこん、とお辞儀をした。もう片方は、ルルのゴーグルの予備を、工具箱の中から発掘して、うれしそうに、ぴかぴかに磨いていた。


ルルは、しばらく、無言で、それを、眺めていた。


それから、ぽつり、と、呟いた。


「——これは、本当に、ルルが、作ったのか?」


「作ったんじゃ、ないの?」


「作ったのは、一体目だけだ」


ルルは、作業台に、腰掛けた。


「残りの、五体は、一号機が、勝手に、作った」


「うん」


「だから、正確には——これは、ルルの、『孫』みたいなものだ」


「孫?」


「ルルが、一号機を、作った。一号機が、二号機を、作った。つまり、二号機は、ルルの、孫」


「うん」


「三号機は、曾孫」


「……うん」


「四号機は、玄孫」


「そう、なるね」


ルルは、工具箱を磨いている、一体の踏破くんを、じっ、と、見つめた。


「——これ、玄孫だ」


「玄孫だね」


「——ルル、まだ、十七歳、なのに」


「若くして、玄孫が、生まれたね」


「——戸惑う」


ルルは、珍しく、ぐるぐる、と、頭を抱えた。


工具箱を磨いている玄孫の、踏破くんは、ちょこん、と、ルルの膝に、上ってきた。そして、ルルの頬を、小さな手で、よしよし、と、撫でた。


「——」


ルルの、ゴーグル越しの瞳が、ほんの少しだけ、潤んだ気がした。


「——ルル、泣いてないか?」


「泣いては、いない。ただ、ゴーグルの、視界が、曇っただけだ」


「それ、泣いてるやつだよ、ルルちゃん」


「——」


ルルは、しばらく、膝の玄孫を、そっと、撫でた。


それから、ぼそり、と、呟いた。


「——マスター」


「うん」


「ルルの、両親は、死んでいる」


「——そうなんだ」


「幼い頃、研究の、事故で」


「——うん」


「だから、ルルは、『家族』という、概念が、よく、分からない」


「——」


「けれど、今朝、踏破くんたちが、食堂で、家事を、しているのを見て」


ルルは、膝の玄孫を、そっと、両手で、抱き上げた。


「——『家族』というのは、たぶん、こういう、ことなんだ、と」


「——」


「初めて、分かった、気がした」


ルルの声は、淡々と、していた。


けれど、その淡々とした声の中に、確かに、温かい、何かが、滲んでいた。


レオンは、少し、考えた。


そして、静かに、言った。


「ルルちゃん」


「なんだ」


「ルルちゃんは、踏破くんたちの、お祖母ちゃん、なんだね」


「十七歳で、祖母」


「うん」


「——合理的、では、ない」


「合理的じゃ、ないね」


ルルは、ぷす、と、ほんの少しだけ、笑った。


それは、レオンが、ルルが、『笑顔らしい笑顔』を、見せた、最初の瞬間だった。


---


昼前。


レオンが、二階の廊下の掃除を、再開しようとしたところに、ルルが、息を切らせて、階段を駆け上がってきた。


「マスター」


「どうしたの、ルルちゃん」


「——良くない事態」


「また!?」


「アイリスの、膝の上の、七号機が」


「……え、『七号機』?」


「いつのまにか、アイリスの、懐で、六号機を、増殖させた」


「増殖したの!?」


「八体、目だ」


「ルルちゃん、ゴーレム、作らないって言ったよね!?」


「作って、いない。——また、勝手に、増えた」


二人で、中庭に駆けていくと、アイリスが、修練場の真ん中で、困惑した顔で、立っていた。


彼女の肩、腕、腰のベルトのあたりに、ちょこちょこと、八体の小さなゴーレムが、しがみついていた。


最後に生まれた、八体目の踏破くんは、彼女の、銀髪の三つ編みを、小さな手で、真剣に、結い直していた。


「——どうすればいい、これは」


アイリスが、降参した顔で、言った。


「私の、剣の修練に、支障が、出る」


「でも、その子たち、ちゃんと、お役目を、持ってるみたいですよ」


「役目?」


「見てください」


一体は、アイリスの頭の寝癖のような跳ねを、丁寧に、撫でつけていた。


一体は、アイリスの肩の、埃を、はらはらと、払っていた。


一体は、アイリスの、制服のボタンの、曲がっていたのを、直していた。


一体は、膝の上で、アイリスの、ふくらはぎを、優しく、とんとん、と叩いて、マッサージのような仕草を、していた。


「——アイリスさんの、身なりと、疲労を、整えてます」


「——」


アイリスは、しばらく、沈黙した。


そして、ぽつりと、言った。


「……悪くない」


「悪くない?」


「悪くない」


「でも、八体は、多いな」


「多いが」


「多いが?」


「——外せない」


アイリスは、困った顔で、レオンを見た。


「三つ編みの、小さいのが、『まだ途中だから動かないで』と、言っている」


「小さいのが、喋ってるの!?」


「いや、喋ってはいない。ただ、目が、そう、言っている」


「アイリスさん、すごいな、ゴーレムと、意思疎通してる」


「——」


アイリスは、ぷい、と顔を逸らした。けれど、肩の上の踏破くんを、払いのけは、しなかった。


ルルが、ぼそり、と、呟いた。


「……ルルは、この事態を、どう、記録すれば、良いのか」


「『アイリスが、身だしなみチームを、獲得した』って、書けばいいんじゃないかな」


「合理的、ではない」


「でも、正確だね」


ルルは、珍しく、頭を、抱えた。


---


その日の午後。


ギルドは、最終的に、踏破くんたちを、十二体、抱えることになった。


さらに四体が、お昼過ぎに、ホールの柱の陰で、ひっそりと、追加で起動していたのだ。


「また、増えたぞ、ルル!」


「分かっている」


「何が、原因だ!」


「——」


ルルは、十二体の踏破くんたちを、食堂の長テーブルの上に、整列させた。そして、一体ずつ、試験管を差し向け、検査を、始めた。胸の赤い石の、発光パターン。関節の、動作テスト。重量。反応速度——。


しかし、どれを調べても、答えは、一つだった。


「——全員、正常、に、起動している」


「で、原因は?」


「不明」


「ルルちゃんが、分からないって言うんなら、もう、仕方ないね」


「マスター。ルルは、責任を、痛感している」


「大丈夫、みんな、働いてくれてる」


実際、十二体の踏破くんたちは、それぞれ、ギルドのあちこちで、自主的に、仕事を、見つけていた。


二体は、中庭で、洗濯物を、畳んでいた。


二体は、玄関ホールの、蜘蛛の巣を、小さな羽根箒で、丁寧に、払っていた。


三体は、地下工房で、ルルの散らかした部品を、整理し続けていた。


一体は、アイリスの三つ編みの、メンテナンスを、担当していた。


三体は、シエラの肩と頭に乗って、シエラの幸せな表情を、見守り続けていた。


そして、最後の一体は。


レオンの、エプロンのポケットの中に、ちょこん、と、座っていた。時々、ポケットから顔を出して、ちょこん、とお辞儀しては、また、中に、引っ込む。


「——なぜ、そいつは、マスターの、ポケットにいるんだ」


ルルが、訊いた。


「入ってきちゃって」


「それは、観察対象だな」


「観察対象?」


「『踏破くんシリーズの、愛着行動の、発生メカニズム』。ルルの、新しい論文の、題材になる」


「論文、書くの」


「冒険者ギルドは、業績、積んで、ナンボ、だ。ランクアップの、審査に、学術業績は、加算される」


「おお、ルルちゃん、ちゃんと、ギルドのこと、考えてる」


「合理的、だ」


「合理的、だね」


---


夕方。


食堂には、普段より、少しだけ、多い人数が、集まっていた。


四人の人間と、十二体の、小さな鋼のゴーレム。


長テーブルの上には、踏破くんたちが、それぞれ、器用に、小皿を、運んでいた。シチュー。パン。野菜のピクルス。大人用のチーズ。そして、デザート用の、焼き林檎の蜂蜜がけ——今日、街で安く手に入った、お買い得の素材だった。


アイリスの三つ編みの中の踏破くんは、まだ、三つ編みの編み方の研究中だった。膝の上の一体は、もう、『アイリス専属』になりつつあった。


シエラは、頭に二体、両肩に二体、膝に一体、という、完全装備で、食卓についていた。彼女の頭は、もはや、踏破くんの遊び場と化していた。


「——いただきます」


いつものように、四人——と、十二体——で、夕食が、始まった。


エレーナは、今日もいなかった。昼頃、「占星台の修理が、遅れていてねえ」と、ワインボトル片手に、街へ、ふらりと、出ていったきりだった。


「——ルル」


アイリスが、シチューを口に運びながら、何気なく、訊いた。


「で、結局、この子たちの、『勝手に増える』原因は、分かったのか?」


「——」


ルルは、スプーンを、ぴた、と止めた。


「マスター」


「うん?」


「実は、一つだけ、仮説が、ある」


「おお、聞きたい」


ルルは、スプーンを置いて、ぽつり、と、続けた。


「——ルルの、研究ノートを、読み返していて、気づいた」


「うん」


「踏破くんの、起動回路の、設計の元になったのは、——迷宮で、ルルが、拾った、『古代遺物の、カケラ』だ」


「古代遺物」


「二年前、ルミナリアの冒険者組合で、オークションに、出されていたもの。安かったから、買った」


「うん」


「それを、解析して、起動回路の、理論に、仕立てた」


「うん」


「——ところが」


ルルは、眉を、寄せた。


「踏破くんが、『勝手に増える』現象は、ルルの設計には、ない」


「つまり?」


「元の、古代遺物の、カケラに、もともと、そういう性質が、あった、可能性」


「……ほう」


アイリスが、身を乗り出した。


「その、古代遺物の、元は、どこから?」


「——オークションの、出品者の記録を、今日の昼、組合で、調べた」


ルルは、懐から、一枚のメモを、取り出した。


「出土地、不明。ただし、出土層は——」


全員が、ルルを、見た。


ルルは、メモを、読み上げた。


「——『スターフォール・アビス、六十二階層』」


食卓に、短い沈黙が、流れた。


アイリスが、ぽつりと、言った。


「……深層の、遺物か」


「深層」


「百階層のうちの、六十二。かなり、深い」


「うむ」


「そんなものが、なぜ、組合のオークションに、出ていた?」


「不明」


「出品者は?」


「匿名」


「——匿名」


アイリスの、真紅の瞳が、すう、と、細まった。


「それは、少し、気味が悪いな」


「合理的に、違和感がある」


ルルは、頷いた。


レオンは、エプロンのポケットから、ちょこんと、顔を出している、踏破くんを、見た。


小さな鋼の体。ちゃんと動く関節。胸の赤い石の、ゆっくりとした明滅。


深層の、古代遺物。


何者かが、匿名で、出品した。


それを、ルルが、偶然、拾った。


彼女の研究に、役に立つ形で、偶然、存在していた。


——偶然?


レオンは、ほんの少しだけ、思った。


けれど、口には、出さなかった。


今は、まだ、だ。


この、小さな、働き者の踏破くんたちは——今、ギルドにとって、かけがえのない、家族になりつつある。


その『家族』の背後に、どんな謎が、潜んでいるにせよ、それを、今日の食卓で、語る必要は、ない。


「——まあ、とりあえず」


レオンは、ぽん、と手を叩いた。


「踏破くんたちは、今、僕らのギルドの一員です。大事にしよう」


「異議、なし」


ルルが、頷いた。


「異議なし」


アイリスが、膝の一体を、そっと、撫でながら、答えた。


「異議なし!」


シエラが、頭に乗った二体を、落とさないように、片手で、押さえながら、元気に答えた。


食卓の上の、踏破くんたちは——


一斉に、ちょこん、と、お辞儀をした。


---


その夜。


自分の部屋に戻ったレオンは、ベッドの端に腰かけて、エプロンのポケットから、小さな踏破くんを、取り出した。


十二体のうちの、一番小さい、『ちび』だった。手のひらに乗せると、ちょこん、と座って、レオンを、見上げてくる。


「——今日は、一日、ありがとうね」


ちょこん、とお辞儀。


「——明日も、よろしくね」


ちょこん。


レオンは、しばらく、小さな踏破くんを、眺めていた。


胸の赤い石は、生きているかのように、ゆっくりと、脈打っている。


——深層、六十二階層、の、遺物。


ルルの言葉が、耳の奥で、響く。


この小さな、働き者の中に、本当はどんな、秘密が、眠っているのだろう。


けれど、今のレオンには、それを、急いで暴く理由は、なかった。


この子たちは、今朝、ギルドの朝食を、手伝ってくれた。アイリスの三つ編みを、整えてくれた。シエラを、笑顔にしてくれた。ルルに、『家族』という言葉を、教えてくれた。


それで、充分、だった。


「——君も、家族ね」


レオンは、ちびの、小さな頭を、指先で、そっと、撫でた。


ちびは、それに応えるように、ちょこん、と、深いお辞儀を、した。


廊下の向こうから、シエラの、楽しそうな笑い声が、聞こえてきた。「ちょっと、そこ、くすぐったいってば、二号さん!」と、ひとしきり、騒いでいる。


アイリスの部屋からは、時々、「——三つ編み、もう、やめていいだろう?」という、困惑した声が、漏れてくる。


地下工房からは、ルルの、「踏破くん祖母、就任、記念の、観察日誌、第一日目」という、珍しく、弾んだ独り言が、聞こえた気がした。


ギルド『ステラ・レギア』の、五日目の夜が、賑やかに、更けていった。


——どこかで、エレーナが、いつの間にか戻っていて、この賑やかさを、酒を片手に、にやにやと、笑いながら、見ていたかもしれないが。


それは、また、別の話、である。


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第五話 了

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