『和装の、剣士』
朝、午前六時。
ファルテン村の入口の古い祠の前で、ステラ・レギアの五人が静かに立っていた。
朝靄が、村と山の境界を白く覆っていた。気温は低く、息が白い。秋の終わりの山間の冷たさが肌に染みた。
レオンは左肩のユーリス先生の信念の腕章を、丁寧に整えていた。胸ポケットに四つの形見。革のファイルに、銀の指輪。
「来るかな」
シエラがぽつりと訊いた。
「来るか来ないか、彼女次第だ」
アイリスが穏やかに答えた。
ヴァースル村長が、入口近くの家から、温かい飲み物の入った木の椀を五つ運んできた。
「お疲れでしょう。林檎の汁を温めたものです」
「ご親切に」
レオンが両手で椀を受け取った。林檎の甘い香りが、霧の中にふわりと広がった。
「奥の家内が、毎朝、村の皆に作っているもので」
ヴァースル村長はふっと笑った。
「シズカ様も、冬になると山小屋の冷えがきついらしくて、よく村で求めて持ち帰られます」
「シズカさんも」
「お互い様、というやつです」
ヴァースル村長はゆっくり頷いて、自分の家に戻っていった。
朝靄の中で、五人は静かに椀を傾けた。林檎の汁は、体の芯まで届くような優しい温度だった。
シエラが小さく身震いした。
「シズカお姉ちゃん、こんなに寒い山で、四年も暮らしてたんだね」
「うん」
レオンは、村の北の山を、ぼんやり見上げた。
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午前七時を過ぎた頃、朝靄がゆっくり晴れ始めた。
レオンの視線の先、村の入口から伸びる山道の向こうに、人影が一つ、こちらに歩いてきた。
肩までの黒髪が、朝の光に揺れていた。紺色の和装、腰に長い反った刀。歩く姿に、無駄がなかった。
シエラがレオンの袖を、そっと引いた。
「お兄ちゃん」
「うん。来たね」
アイリスも、静かに彼女の姿を見ていた。リーゼは、姿勢をわずかに正した。ルルは、ゴーグル越しの瞳で、彼女の歩行のリズムを観察していた。
人影が、祠の前で足を止めた。
そこに立っていたのは、二十五、六くらいの若い女剣士だった。色白の肌に、切れ長の黒い瞳。表情はほとんど動かないが、目元に静かな知性が宿っていた。
シズカ・コウサカは、しばらくステラ・レギアの五人を、無言で見ていた。
その視線が、レオンの左肩で止まった。
ユーリス先生の信念の腕章。
シズカの瞳が、ほんの一瞬、揺れた。
それから、ゆっくり口を開いた。
「あなたが、新しい管理人」
低く静かな声だった。
「はい。レオン・ヴェスパーと申します」
レオンは丁寧に頭を下げた。
「シズカ・コウサカ」
シズカも、わずかに頭を下げた。
「ご存知だと思いますが、九年前からステラ・レギアの所属です。組合の記録上は、今も」
「お調べさせていただきました」
シズカの視線が、アイリスに移った。
「あなたが『紅蓮のアイリス』」
「はい」
「セレナ様から、ユーリス先生が赤毛の若い弟子を可愛がっていると、お聞きしていました」
「ご存知でしたか」
「先生のこと、お悔やみ申し上げます」
「ありがとうございます」
アイリスは、深く頷いた。
シズカの視線が、リーゼに移った。
「あなたも、先生の」
「リーゼ・ヴェラントと申します。先日、ステラ・レギアに加入いたしました」
シズカは、しばらく沈黙した。
「先生のお弟子さんが、揃って、新しいステラ・レギアにいらっしゃるのですね」
「はい」
シズカの視線が、シエラに移った瞬間、その目元がほんの少しだけ和らいだ。
シエラが、ぴょこんと一歩前に出た。
「初めまして! シエラ・ステラと言います!」
「シエラちゃん。召喚師、と聞いています」
「うん! 白狼さまと、風の雄鷹さまと、水の鯨さま、呼べます!」
「素晴らしい才能ですね」
「えへへ」
最後に、シズカはルルを見た。
「あなたは」
「ルル・メカニス。古代機工士」
「合理的な観察を、お好みですね」
「合理的、です」
ルルがぽくぽくと頷いた。
「あなたの歩行リズム、観察しました。重心の制御が極めて高度」
「お褒めいただき、光栄です」
シズカは、ふっと笑った。その笑みは控えめだったが、表情の動かない顔に、わずかな温度を運んできた。
「面白い方ですね」
「合理的観察結果」
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シズカは、しばらく五人をもう一度ゆっくり見回した。
「ステラ・レギアが、もう、こんな家になっているとは」
その声には、明らかな感慨があった。
「四年前、私が街を離れた時とは、違う」
シエラが両手で椀を抱きしめたまま、シズカを見上げた。
シズカの視線が、ふと遠くなった。
「エレーナは、お元気ですか」
「お元気です」
レオンが答えた。
「古城で、待っています」
「——」
「『あの子が、ただいま、と言える場所をちゃんと用意しておく』と仰っていました」
シズカは、しばらく目を伏せた。
それから、ゆっくり目を開けて、淡く笑った。
「エレーナらしい言葉」
「はい」
「あの子は、四年、私を待ってくれていた」
「——」
「私も、四年、外で待ちました」
レオンは、深く頷いた。
「組合からの依頼、と伺っております」
シズカが、続けた。
「形の上では、そうです。けれど、私たちにとっては、家族の確認です」
「ヴァースル村長から、昨日のうちに書状が届きました」
「村長が」
「『お一人でも皆さんとお会いになるか、村でお決めください』と」
「ご親切に」
「あの方は、いつも私の判断を尊重してくださる」
シズカは、ふっと笑った。
「だから、自分で決めて、降りてきました」
「ありがとうございます」
レオンは、深く頭を下げた。
シズカは、しばらく彼を見ていた。
「ただし、これは、ステラ・レギアに戻ると決めた、という意味では、まだ、ありません」
その声は穏やかだが、明確だった。
「お会いして、お話して、それから、考えます」
「もちろんです」
レオンは、ゆっくり顔を上げた。
「私たちは、シズカさんの選択を、尊重します」
「——」
「『押すな引くな、ただいてやれ』、と、エレーナさんからの伝書鳩にありました」
シズカが、ぱっと目を上げた。
「エレーナが、そう」
「はい」
「あの子らしい」
シズカは、もう一度、ふっと笑った。
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シズカが、レオンの左肩の腕章を、もう一度見た。
「その腕章、ユーリス先生の信念の腕章ですね」
「お分かりになりますか」
「セレナ様が、若い頃のユーリス先生のお話を、何度か、私にしてくださいました」
シズカの声が、少し懐かしげになった。
「『あの腕章を、自分の左肩に、堂々と着けて、執行部の前で意見を述べる男は、ユーリス・リドルだけだ』と」
「——」
「あなたが、それを、着けている」
シズカは、レオンをまっすぐに見た。
「アイリス殿から、お預かりなのですか」
「はい」
「腕章一つで、その人の覚悟は、伝わるものです」
レオンは、深く頭を下げた。
シズカは、視線をヴァースル村長の家の方に向けた。
「ヴァースル村長」
「はい」
家の窓から、ヴァースル村長が顔を出した。
「集会所の二階を、お借りしてもよろしいですか」
「もちろんです、シズカ様。家内に、お茶の準備をさせます」
シズカは、ステラ・レギアの五人を見渡した。
「集会所で、お話、よろしいでしょうか」
「もちろんです」
シズカは、わずかに先頭を切って集会所へと歩き始めた。
その足音は、本当にほとんど立たなかった。
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集会所の二階の客間。
ヴァースル村長の妻が、温かいお茶と、林檎の砂糖煮を、丁寧に並べてくれた。それから、彼女は、静かに下に降りていった。
長い木のテーブルを挟んで、片側にステラ・レギアの五人、向かい側にシズカが座った。
シズカは、お茶を一口啜って、しばらくカップを見つめていた。
「九年前、私は海を渡って、この大陸に来ました」
食卓が静かになった。
「故郷は、東方の島国の山間の小さな村でした」
シズカの声は、低く、淡々としていた。
「ある年、内乱が起きました。村が、焼かれました」
「——」
「私は、ただ一人、生き延びました」
シエラがそっと、両手でお茶のカップを包んだ。
シズカは、続けた。
「海を渡って、たどり着いた港町で、セレナ様に拾われました」
「九年、ステラ・レギアで暮らしました」
シズカは、ふっと目を閉じた。
「家、でした」
しばらくの沈黙があった。
「四年前、セレナ様が半分引退されることになりました。家が、形を失いかけました」
「——」
「私は、家が壊れていく姿を、見たくなかった」
「——」
「だから、外に出ました」
シズカは、目を開けた。
「外で剣を磨きながら、いつか家がもう一度形を取り戻す日を、待つ」
「——」
「四年、待ちました」
「——」
「その間、私のような流れ者を受け入れてくれる小さな村に巡り会いました。それが、ファルテン村です」
レオンは、しばらくシズカの目を見ていた。
「お話、ありがとうございます」
「重い過去を、お話くださって」
シズカはわずかに頭を下げた。
「皆様が、私を、家族として迎える気持ちで、来てくださった。ならば、私も、自分の過去をお伝えするのが礼儀」
シエラが、ふと自分の鞄から、淡い桜色の図案集を取り出した。
「シズカお姉ちゃん」
「はい」
「シエラのお母さんの図案集、見てくれる?」
「お母さんの」
「うん。シエラのお母さん、刺繍をしてた人で、形見にもらったの」
シズカは、丁寧に手を伸ばして図案集を受け取った。
頁を、ゆっくりめくり始めた。
中央の大きな星を、小さな星たちが囲む『家族の星』の図案を、彼女が見つけた時、その目がわずかに潤んだ。
シズカは、しばらく図案を見つめていた。
それから、丁寧に図案集を閉じた。
「シエラちゃん」
「うん」
「お母さん、優しい方だったのでしょうね」
「うん、優しかった」
「あなたが、こんなに温かい子に育っているのは、お母さんの賜物」
シズカは、丁寧に図案集をシエラに戻した。
「大事にね」
「うん、大事にする」
シエラは、ぱあっと顔を輝かせた。
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シズカが、お茶のカップを置いて、ふと言った。
「皆様、午後はいかがお過ごしですか」
「シズカさん次第、と考えていました」
シズカは、しばらく考えた。
「私の山小屋に、お招きしたい」
食卓が、静まった。
「私の四年間の暮らしを、お見せします」
シズカは、続けた。
「家族として戻るかどうかを考えるためには、お互いを知るのが礼儀」
「ぜひ」
レオンは、深く頷いた。
「では、午後二時に、村の入口でお待ちしております」
シズカは、わずかに頭を下げた。
「山小屋は簡素です。皆様、ご了承ください」
「もちろんです」
シズカは、立ち上がった。
階段を降りる足音は、来た時と同じく、ほとんど立たなかった。
## 7
シズカが集会所を出た後、五人は、しばらく無言でお茶を啜っていた。
シエラが、ぽつりと口を開いた。
「シズカお姉ちゃん、優しい人だね」
「うん」
アイリスが、頷いた。
「お前の腕章への向き合い方を、ずっと、観察していた」
「うん」
「ステラ・レギアが、本当に家になっているか、自分の目で確かめていた」
リーゼが、横で穏やかに微笑んだ。
「人柄が、本当に丁寧な方です」
ルルが、ぽくぽくと頷いた。
「合理的観察結果として、シズカ殿は、新しい家族として、受け入れていただける可能性が高い」
「ただし、結論はまだだ」
アイリスが、お茶を一口啜って言った。
「彼女自身が、午後の山小屋訪問で、何を確かめるか、——それ次第」
「うん」
レオンは、しばらく左肩の腕章に、そっと触れた。
ユーリス先生の信念。セレナ叔母の家への愛。エレーナの待つ四年。
それぞれの想いが、今、ステラ・レギアという家を、形作っている。
その家を、シズカに、午後、見せに行く。
「午後、行きましょう」
レオンは、ゆっくり言った。
「皆で」
ファルテン村の午前は、静かに、温かく、閉じていった。
午後の山小屋への訪問が、もうすぐ始まろうとしていた。
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第二十三話 了




