『二段目の、階段』
ラ・レギアの古城は、四日前の祝賀会の余波から、ようやく日常に戻りつつあった。
レオンは食堂で帳簿を広げていた。
リーゼ加入後の調整を加えた数字。新しい部屋の家具代、彼女の装備の整備費、月次の食費の増額。出費は増えるが、リーゼ自身が持ち込んでくれた『天界の盾』時代の貯金が、当面の運用余力を増やしていた。
「おはようございますレオンさん」
リーゼが食堂に降りてきた。
加入から四日。彼女はもう『天界の盾』の制服ではなく、街で求めた淡い灰色のチュニックに、紺のスカート、革のブーツ姿だった。腰には私物の細身の剣が一本。
「おはようございますリーゼさん」
「お茶淹れますね」
「ありがとうございます」
リーゼは慣れた手つきでお茶を淹れて、レオンの前にカップを置いた。
「シエラちゃんにお茶の淹れ方もう教わりました」
「シエラちゃんがお師匠さんですか」
「お茶に関しては彼女の方がずっと先輩なので」
リーゼは静かに笑った。
加入後、彼女はすでにギルドの家事の一翼を担い始めていた。占星台の掃除、洗濯、踏破くんたちの手入れ。シエラと一緒に過ごす時間が多く、二人は実の姉妹のように打ち解けていた。
「リーゼお姉ちゃーんおはよー」
シエラがぱたぱたと階段を降りてきた。今朝も丁寧に三つ編みを結っている。
「おはようシエラちゃん」
「今日はね、今日はね、昇格式!」
「うん」
「ドキドキするね!」
「シエラちゃんの方が、私よりドキドキしてるのね」
「えへへ」
アイリスとルル、エレーナも、順次降りてきた。
ステラ・レギアの六人と踏破くんたちが、朝食の食卓を囲んだ。
「今日の段取り確認していい?」
レオンが訊いた。
アイリスが頷いた。
「組合の昇格式、午前十時。Dランクの正式通達と街の主要人物の前での披露」
「全員で出席」
「うん」
「昇格式の後、街の主要な店舗に簡単な挨拶回り」
「ガロン親方、マルディン老婦人、乾物屋、薬師ギルド」
「正式にDランクのギルドとして報告」
ルルがぽくぽくと頷いた。
「合理的な、関係維持」
エレーナはワインボトルを傾けながら言った。
「あたしは占星台で午前中待機する。昇格式と挨拶回り、それぞれの星の動きを観測しておく」
「お願いします」
シエラが両手を組んだ。
「シエラ新しいローブで行く!」
「うん頼んだよ」
リーゼが少し緊張した顔で訊いた。
「私もご一緒してよろしいでしょうか」
「もちろんです」
レオンは穏やかに笑った。
「リーゼさんはもうステラ・レギアの一員です」
「組合にもリーゼさんの所属を正式に登録します」
リーゼは深く頷いた。
「ありがとうございます」
「今日はDランクの六人で昇格式に臨みます」
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午前十時。
冒険者組合の大広間。
会場の中央に、ステラ・レギアの六人と踏破くんたち、零式の縮小モード。
その周囲に、街の主要ギルドのマスターたちが集まっていた。ディアナ・ヴェント、ザッシュ・ドルム、グラント・ヴェルス。商人ギルド連合の代表三名。職人組合のガロン親方も、煙管片手に立っていた。
そして奥の上座に、ブランドル支部長と、王都から派遣された組合中央本部の監察官が一名。
会場の入口側に、街の常連の人々が、見学を許されていた。乾物屋のおばさん、八百屋のミコさん、油屋の主人、マルディン老婦人。それから、初めて見る顔も多かった。
ブランドル支部長が、紋章の入った演壇に立った。
「皆様本日はお集まりいただきありがとうございます」
会場が静まった。
「冒険者組合ルミナリア支部より、ステラ・レギアにDランク昇格を正式に通達いたします」
会場が拍手に包まれた。
「ステラ・レギアのEランク昇格からDランク昇格までの期間は約三週間」
「これは組合の記録上、史上最短に近い昇格速度です」
会場のざわめきが、感嘆に変わった。
「短期間での昇格は通常、危険を伴います。実績は急ごしらえで、組織としての基盤が脆い場合が多い」
「しかしステラ・レギアは違いました」
ブランドル支部長は、レオンを見つめた。
「メリオン交易会との月一固定契約、薬師ギルドとの週次納品契約、複数の友好ギルドとの連携、組合の魔道具研究部門との協力協定」
「ステラ・レギアはEランクの活動期間中に、Cランク以上のギルドに匹敵する『仕組み』を、すでに構築していました」
「だからDランク昇格は組合の判断として、極めて自然な結論です」
ディアナがレオンの隣で、小さく頷いた。
ブランドル支部長は続けた。
「ステラ・レギアは今後Dランクのギルドとして、迷宮第二十階層から第五十階層への活動を、組合として正式に推奨いたします」
「また本日この場で、ステラ・レギアの新メンバーとして、リーゼ・ヴェラント殿の所属登録を組合の正式な記録として承認いたします」
リーゼが一歩前に出た。深く頭を下げた。
「ステラ・レギア、リーゼ・ヴェラント。本日よりステラ・レギアの一員として、街への貢献に努めます」
会場が再び拍手に包まれた。
ガロン親方が煙管を吹かしながら、にっと笑った。
「あんちゃんいいギルドに育ったな」
レオンも丁寧に頭を下げた。
「皆さんのおかげです」
「俺らのおかげじゃねえよ」
ガロン親方が低く笑った。
「お前さんの五浪のおかげだ」
会場に、温かい笑いが広がった。
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昇格式の後。
会場の片隅で、ステラ・レギアの一行は、街の主要な人々から、次々と挨拶を受けていた。
乾物屋のおばさんが、レオンの両手を取った。
「あんた本当に立派になってねえ」
「おばさんのおかげです。最初の街の情報、おばさんからでした」
「私はただ世間話をしただけだよ」
「世間話が街を救った」
「うふふそう言ってくれると嬉しいねえ」
おばさんは、シエラの頭を撫でた。
「シエラちゃんもますます綺麗になって」
「えへへ」
マルディン老婦人が、シエラに小さな包みを差し出した。
「シエラ刺繍の練習用の糸を新しく仕入れたから持ってきたよ」
「ありがとうお婆さん!」
「次の店休日にまた来てちょうだい」
「うん!」
ザッシュとグラントが、レオンの肩をそれぞれ叩いた。
「Dランクおめでとうレオン」
「これからも合同任務頼むぞ」
「もちろんです」
「うちの『斜陽の盾』Dランクからもう何年も上に行けてない。お前らにそろそろ追い抜かれそうだな」
ザッシュが苦笑した。
「追い抜いたら、追い抜き返してください」
「お言うじゃねえか」
ディアナが穏やかに微笑んだ。
「Dランクおめでとうレオン殿」
「ディアナ殿の戦略のおかげで、ここまで来れました」
「私の戦略はもうあなたたちに必要ない」
「あなたたちはもう自分の戦略で進んでいける」
ディアナはふっと笑った。
「『翠緑の風』とはいつでも対等の友好関係でいられる。それが嬉しい」
「ありがとうございます」
ブランドル支部長が、レオンに歩み寄ってきた。
「レオン殿、少しお時間いただけますか」
「はい、もちろん」
「会場の脇の応接間でご相談したいことが」
「分かりました」
レオンはアイリスとリーゼに目で合図して、ブランドル支部長と一緒に応接間に向かった。
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応接間は、組合の執務室の隣にある、小さな部屋だった。
ブランドル支部長が、机を挟んで向かいに座った。
「Dランク昇格とリーゼ殿の加入登録おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「実はあなたに新しい依頼の相談があります」
「依頼」
「組合に街の北の山岳地帯から、不思議な相談が届いています」
ブランドル支部長は、机の上に一通の書状を広げた。
「ファルテン村という街道から外れた山間の小さな集落です」
「ファルテン」
「人口二百名ほどの農村です」
「はい」
「最近その村の周辺で、盗賊団が複数消えています」
レオンは眉を上げた。
「消えてるというのは」
「字義通りです。盗賊団が村を襲う前に何者かに撃退されている」
「組合の冒険者の誰かが」
「組合に登録されていない流浪の剣士らしいのです」
「流浪の剣士」
「村人たちの証言によると、肩までの黒髪、紺色の和装、刀身が長く反った剣を腰に差した若い女剣士だそうです」
その瞬間。
アイリスが、机の脇で眉を寄せた。
リーゼも、目を細めた。
レオンは二人の様子を見た。
「アイリスさんリーゼさん、何か」
アイリスが、ゆっくり口を開いた。
「『天界の盾』時代に聞いた話だが、ステラ・レギアの古いギルド員に、抜刀術の使い手が、一人いた」
「——」
「セレナ殿の時代の在籍者だ」
リーゼも頷いた。
「私も同じ話を、ユーリス先生から聞いた覚えがあります」
「先生も、ご存じだったのですか」
「セレナ殿とユーリス先生は、若い頃に一度だけ合同任務に出たことがあります。その時にセレナ殿が連れていた弟子の一人が、和装の抜刀術士だったと」
「名前は」
「シズカ・コウサカ、と聞いていたかと」
レオンは息を呑んだ。
ブランドル支部長は、眼鏡を上げてしばらく沈黙した。
それから、ゆっくり頷いた。
「ステラ・レギアの名簿は、組合に提出されています。確認いたしましょう」
ブランドル支部長は事務員に指示を出した。事務員が組合の書庫から、ステラ・レギアの名簿の写しを持ってきた。
ブランドル支部長はそれを開いた。
数ページめくった先に、確かに、その名前があった。
『シズカ・コウサカ。所属、ステラ・レギア。在籍、九年前。最終活動記録、四年前』
「四年前から、活動記録なし」
「ええ、組合の名簿上は『休眠ギルド員』扱いです」
「セレナ殿は、彼女のことを、何か」
「セレナ殿が引退される際、組合に提出された引き継ぎ書類には、シズカ殿の項目が、こうあります」
ブランドル支部長は、別の書類を取り出した。
『シズカ・コウサカについて。当人は数年前から街を離れて旅に出ている。連絡を取る手段はないが、いつか戻る意思を、出立の際に伝えてきた。所属だけは残しておきたい』
レオンは、しばらく書類を見つめていた。
「シズカさんは、ステラ・レギアの、——元々のギルド員だったのですね」
「ええ、組合の記録上は、現在も、ステラ・レギアの所属です」
アイリスがぽつりと言った。
「彼女が今、ファルテン村の周辺で動いている」
「街に戻ってきている、と考えるのが、自然だ」
リーゼが頷いた。
「ステラ・レギアが街で評判になって、彼女の耳にも届いたのかもしれません」
「だから様子を見に、戻ってきている」
ブランドル支部長は、深く頷いた。
「これは、依頼の性格が変わります」
「変わる?」
「『流浪の女剣士の説得』ではなく、『休眠ギルド員の復帰確認』になります」
「——」
「組合からの依頼料は、変わりません。ただし、会いに行く側のステラ・レギアにとっては、これは仕事ではなく、家族の確認になる」
レオンはしばらく沈黙した。
それから、ゆっくり頷いた。
「お受けします」
「ありがとうございます」
「いつから出発を」
「明後日の朝を想定しています」
「分かりました。準備します」
ブランドル支部長は、深く頷いた。
「ステラ・レギアの、Dランクとしての、最初の依頼が、——家族の確認、というのは、良い門出だ」
レオンも深く頷いた。
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組合を出て、ステラ・レギアの一行は、街の主要な店舗への挨拶回りに向かった。
ガロン親方の工務店、マルディン老婦人の刺繍店、街の薬師ギルド、メリオン交易会のルミナリア支部。それぞれにDランク昇格の正式な報告と、今後の継続的な取引の確認。
ガロン親方の工務店に立ち寄った時、レオンはガロン親方に、シズカのことを訊いた。
「ガロン親方、セレナ叔母の頃のステラ・レギアに、シズカ・コウサカという、抜刀術士が所属していたと聞きました」
ガロン親方は、煙管をくわえたまま、目を細めた。
「シズカちゃんか、懐かしいな」
「ご存じなんですか」
「セレナ嬢ちゃんが連れてきた、最後の弟子だ。九年前、まだ十六、七だったか」
「どんな方ですか」
「無口で、男嫌いで、剣の腕は街でも一、二を争うくらいだった。セレナ嬢ちゃんが、目をかけて、可愛がってた」
ガロン親方は煙を吐いた。
「五年くらい前にセレナ嬢ちゃんが半分引退しかけてな、シズカちゃんも、それで街を離れた」
「離れた理由は」
「直接は聞いてない。ただシズカちゃん、出立の前に、俺んとこに来て、こう言ったんだ」
ガロン親方の声が、低くなった。
「『ステラ・レギアが、もう一度、誰かの手で、ちゃんとした家になる日が来たら、——その時に戻る』、と」
「——」
「だから、お前さんが、ちゃんとした家を作れたら、シズカちゃんも、——戻ってくるかもな」
レオンはしばらく、ガロン親方の言葉を、噛み締めていた。
「ありがとうございます、ガロン親方」
「明後日、ファルテン村に行くんだろ」
「はい」
「シズカちゃんに会えたら、——俺の名前出していいぞ。『ガロン爺がよろしくと言ってた』、ってな」
「お伝えします」
ガロン親方は、にっと笑った。
挨拶回りが終わったのは、夕方近かった。
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ギルドへの帰り道、レオンはアイリスの隣を歩いていた。
「シズカ・コウサカ、——」
「うん」
「ガロン親方の話を聞くと、ますます、彼女が今戻ってきているのは、ステラ・レギアが街で評判になったから、と思える」
「『ちゃんとした家になる日が来たら戻る』、——ガロン親方の言葉だ」
「うん」
「お前は、それを、——叔母さんと、シズカさんに、認めさせる、立派な家を、作ったんだな」
レオンはちょっと頬が熱くなった。
「皆さんのおかげです」
「お前は本当に時々」
アイリスはぷいっと顔を背けた。
シエラが、両手を組んでぴょこんと跳ねた。
「シズカお姉ちゃん、——どんな人かな」
「無口で男嫌い、と聞いた」
「シエラ女の人だよ?」
「だから大丈夫だ」
「えへへ、シエラ仲良くする!」
ルルがぽくぽくと頷いた。
「合理的な役割分担。シズカ殿が男嫌いなら、女性陣からの接触の方が警戒される度合いが低い」
「合理的ですね」
リーゼが横で頷いた。
「私も、——シズカさんとは、初対面ですが、お話してみたいです」
「『天界の盾』時代の、若い頃のお師匠様の合同任務の話、お聞きしたい」
「うん」
夕陽が、ステラ・レギアの古城の屋根を、ぼんやり染めていた。
ステラ・レギアの古いギルド員、シズカ・コウサカ。
家族が、一人、戻ってくるかもしれない。
「忙しいですね、ステラ・レギア」
レオンがぽつりと呟いた。
アイリスが、ふっと笑った。
「忙しいのはいいことだ」
「Eランクの頃の暇な日々、思い出すか?」
「ちょっとだけ思い出します」
「うむ」
「でも今の方が楽しいです」
「うむ。私もそう思う」
二人は、坂道をゆっくり登っていった。
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### 7
その夜。
ステラ・レギアの食堂で、簡単な打ち合わせが行われた。
ファルテン村への、明後日からの出発の編成。
レオン、アイリス、シエラ、ルル、リーゼの五人が、現地に向かう。エレーナは占星台で待機し、伝書鳩で連絡を取り合う。零式は縮小モードで、ルルが携行。踏破くんは六体だけ、シエラとリーゼが分担して携行する。
ファルテン村までは、街道で半日。山岳地帯の入口にあたる、こじんまりとした集落だった。
打ち合わせの途中、エレーナがワインボトルを置いて、ぽつりと言った。
「シズカちゃんのことだが」
レオンが顔を上げた。
「エレーナさん、シズカさん、ご存じなんですね」
「ご存じも何も、——あたしと同期だ」
食堂が、しん、と静まった。
エレーナは少し懐かしそうな顔で、グラスの中の赤いワインを見つめた。
「あたしがセレナ嬢ちゃんに拾われたのが、八年前。シズカちゃんが入ったのは、その一年前」
「同時期に在籍してた」
「ああ、四年近く、同じ屋根の下で暮らしてた」
「どんな方ですか」
エレーナは、ふっと小さく笑った。
「無口で、男嫌いで、剣の腕は化け物級。けどな、——」
「けど?」
「内心は、——めっぽう、優しい子だった」
「優しい」
「賊を倒しても、必ず生かす。怪我をした奴は、自分で薬を塗ってから組合に引き渡す。子供と猫には弱い。——そういう子だ」
シエラが、ぱっと顔を輝かせた。
「猫、好きなんだ?」
「子猫見ると、もうメロメロでな。あたしと一緒に、街の路地裏で、子猫の世話してた時期もあった」
「うわー、シズカお姉ちゃんと、シエラ気が合いそう!」
「合うと思うよ、シエラちゃん」
エレーナは、ワインをゆっくり啜った。
「四年前の春、シズカちゃんが、あたしに言ったんだ」
食堂が、もう一度、静かになった。
「『エレーナ、あたし、しばらく旅に出る』、——と」
「理由は」
「直接は、言わなかった。けど、あたしには、なんとなく分かった」
「分かった」
「セレナ嬢ちゃんが、半分引退しかけてた頃だ。ステラ・レギアが、——もう、家としての形を、保てなくなりかけてた」
「——」
「シズカちゃんは、家を、——大事にする子だ」
「大事に?」
「ステラ・レギアは、シズカちゃんにとって、——故郷を出てから初めて出来た、本当の家だった」
エレーナの声が、少し柔らかくなった。
「だから、家が形を失う前に、あの子は、——自分から、距離を取った」
「壊れていく家を、見たくなかった」
「そう。残って、家の終わりに立ち会うより、——いつか帰れる日のために、外で待つことを選んだ」
レオンはしばらく、ワインボトルの脇で揺れる蝋燭の炎を見ていた。
「『ちゃんとした家になる日が来たら戻る』、——ガロン親方が、シズカさんから聞いた言葉です」
「あの子らしい言い方だ」
エレーナは、ふっと笑った。
「あたしは、ステラ・レギアに残った。占星術師として、街と古城を、見守る役目があると、自分で決めたから」
「——」
「シズカちゃんは、剣士として、外の世界で、——自分の腕を磨きながら、戻る日を、待ってた」
アイリスが、静かに頷いた。
「四年、待たせたな」
「お前のせいじゃない」
「いや、ステラ・レギアの一員として、責任の一端は、私にもある」
「お前は三年前まで、『天界の盾』にいた。ステラ・レギアの責任は、お前にはない」
エレーナは、軽く首を振った。
「責任があるとすれば、——あたしと、セレナ嬢ちゃんだ」
「——」
「あたしは、シズカちゃんが旅立つのを、止められなかった」
「止めようとしたんですか」
「一度だけ、口に出した。『一緒に、家を保とう』、と」
「——」
「シズカちゃんは、首を振った。『二人で保てる家じゃ、ない』、と」
エレーナは、グラスの底を見つめた。
「あの子の判断は、正しかった」
「——」
「あたし一人では、家を保てなかった。——けど、お前さんが、来た」
エレーナは、レオンを見た。
「四年で、シズカちゃんが望んだ形を、お前さんが作った」
「皆さんのおかげです」
「だから、お前さんが、迎えに行く番だ」
レオンは、深く頷いた。
リーゼがそっと訊いた。
「エレーナさん、ご一緒に、ファルテン村に行かなくて、よろしいんですか」
エレーナは、しばらく沈黙した。
それから、ゆっくり首を振った。
「あたしは、占星台で待つ」
「ですが、シズカさんの同期で——」
「だからこそ、待つ役目だ」
エレーナの声は、穏やかだった。
「シズカちゃんが古城に帰ってきた時、——『おかえり』と、迎える役目が、誰かに必要だ」
「——」
「あたしが、それをやる」
「四年ぶりの再会、——」
「四年ぶり、だ」
エレーナはワインを掲げた。
「あの子が、——『ただいま』、と、言える場所を、ちゃんと用意しておく」
レオンは、しばらくエレーナを見ていた。
「分かりました」
「お前さんたちは、行ってこい。——あの子を、連れて、帰ってきな」
「はい」
シエラが、両手を組んで、ぴょこんと跳ねた。
「シエラ、シズカお姉ちゃん連れて帰ってくる!」
「うん、頼んだよ、シエラちゃん」
ルルがぽくぽくと頷いた。
「合理的な、家族の再集結」
「合理的、ですね」
エレーナは、ふっと笑った。
「合理的の前に、——情緒的、な、再集結だ」
「両立、します」
「両立する」
食堂に、温かい空気が、流れていた。
レオンは深く頷いた。
「皆さん、明後日、よろしくお願いします」
「うん」
「家族を、迎えに行きます」
家族の一員、リーゼ・ヴェラント。
そして、戻ってくる、ステラ・レギアの古い家族、シズカ・コウサカ。
街の北、山岳地帯の小さな集落、ファルテン村。
新しい旅が、確かに始まろうとしていた。
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夜遅く。
レオンは自分の部屋の机で、新しいノートを開いた。
『ステラ・レギア:仕組みと進捗』、新しいページに今日の記録を書いた。
【三十六日目、Dランク昇格】
【月次収入見込み】
- メリオン交易会、月一固定:十二万ルナ
- 薬師ギルド、週次納品:月四万ルナ
- 組合からの依頼、月平均見込み:二十万ルナから三十万ルナ
- 計、約三十六万ルナから四十六万ルナ
【家族(現役)】
- レオン・ヴェスパー(マスター)
- アイリス・エスフィア(剣士、副指揮)
- シエラ・ステラ(召喚師)
- ルル・メカニス(古代機工士)
- エレーナ・アスラクス(占星術師、八年在籍)
- リーゼ・ヴェラント(剣士、元『天界の盾』幹部)
【休眠ギルド員】
- シズカ・コウサカ(抜刀術士、九年前加入、四年前から街を離れて旅、現在ファルテン村周辺で活動中の可能性)
【友好ギルド】
- 『翠緑の風』(Cランク、ディアナ)
- 『斜陽の盾』(Dランク、ザッシュ)
- 『虎牙の商隊』(Dランク、グラント)
【次の一手】
- ファルテン村への依頼、明後日出発
- シズカ・コウサカへの、復帰の呼びかけ
ノートを閉じた時、ノックの音がした。
「レオンいい?」
リーゼの声だった。
「どうぞ」
リーゼがそっと入ってきた。手に小さな布包みを持っていた。
「お疲れさまですレオンさん」
「リーゼさんもお疲れさまでした」
「明後日からの依頼の前にお渡ししておきたいものがあって」
リーゼは布包みを机の上に丁寧に置いた。
「これは」
「ユーリス先生のもう一つの形見です」
レオンの手が止まった。
「先生は、複数の形見をお持ちだったのですね」
「先生は大切な人にだけ形見を残すことを、生前から決めておられました」
「アイリスさんに銀色の魔道具と信念の腕章。私には別の形見です」
リーゼは布包みを開いた。
中に入っていたのは、薄い銀の指輪だった。
シンプルな、装飾のない、滑らかな銀の輪。中央にごく小さな赤い宝石が一つ、嵌まっていた。
「これは」
「先生が私にお亡くなりになる前の年にくださったものです」
「『リーゼ。お前が組織より人を選ぶ、その時に、お前の決意を支える指輪だ』と」
「私はこの指輪を五年間アルフレート様に気付かれないよう、私服の時にだけ、左手の薬指に着けていました」
「証拠を集めながら決意を保ち続けるための、お守りでした」
レオンはしばらく銀の指輪を見つめていた。
「リーゼさんの大切なお守りでは」
「もう私の役目は終わりました」
リーゼは静かに微笑んだ。
「先生の最期の言葉を守りました。ステラ・レギアという、組織より人を選ぶ家族にも辿り着きました」
「だからこの指輪は、次に決意を支えるべき誰かに託すべきだと思いました」
「レオンさん」
「はい」
「あなたは先生の信念の腕章をすでにお預かりです」
「はい」
「腕章は組織の中で自分の意見を貫く時のお守り」
「指輪はもっと個人的な決意のためのお守りです」
リーゼは指輪をレオンの手のひらにそっと置いた。
「ステラ・レギアの旅は、これからもっと深いところへ向かいます」
「『再会の祭壇』、迷宮の最深部」
「その途中でレオンさんは何度も自分の決意を問われる場面に出会うはずです」
「その時、この指輪があなたを支えてくれます」
レオンはしばらく銀の指輪を見つめていた。
「リーゼさん」
「はい」
「お預かりします」
「ただしこの指輪はリーゼさんの五年間の決意の証でもある」
「使う時は必ずリーゼさんの決意を思い出します」
リーゼの目がぱっと潤んだ。
「ありがとうございます」
「先生にもリーゼさんにも感謝します」
レオンは指輪を机の脇の引き出しに丁寧に仕舞った。胸元の四つの形見と、信念の腕章とは、別の場所に。
長い旅の、いつか必要な瞬間まで、この指輪は休ませる。
「明後日よろしくお願いしますリーゼさん」
「はいレオンさん」
リーゼは深く頭を下げて部屋を出ていった。
---
レオンは、しばらく机の上の指輪のあった場所を見つめていた。
引き出しを開けて、銀の指輪が静かに布の中で休んでいるのを確認した。
それから、胸元の四つの形見を取り出した。
『約束の少女』のお守り。
『天界の盾』の銀色の紋章ピン。
『ヴェスパー』の銀糸の布切れ。
心の中の『家族の星』の図案。
そして、左肩のユーリス先生の信念の腕章。
五つの形見、そして引き出しの中にもう一つ、銀の指輪。
「皆さんと、どこまでも」
ぽつりと呟いた。
窓の外でスターフォール・アビスの青白い光が、夜空に静かに輝いていた。
明後日からのファルテン村への旅。
エレーナが古城で、『おかえり』と迎える役目を待っている。
シエラが「シズカお姉ちゃん」と呼びたがっている。
アイリスが、四年待たせた家族の責任の一端を、自分も負おうとしている。
ルルが、合理的な家族の再集結を、楽しみにしている。
リーゼが、加入したばかりのステラ・レギアで、もう一人の仲間を迎える準備を、している。
そして、レオンは、——四年前に旅立った彼女が、ガロン親方に言った言葉を、思い出していた。
『ステラ・レギアが、もう一度、誰かの手で、ちゃんとした家になる日が来たら、その時に戻る』
「シズカさん」
レオンは静かに呟いた。
「家、——できました」
「会いに、行きますね」
Dランク昇格の余韻と、家族を迎えに行く決意を抱えて、ゆっくり、温かく更けていった。
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第二十一話 了




