『白い、本部の夜明け』
ラ・レギアの食堂で、五人と踏破くんたち、零式が静かな朝食を取っていた。
シエラが今朝は丁寧に三つ編みを結い直していた。ローブも新しいものを下ろしていた。淡い水色、母の図案集から選んだ星の刺繍を、襟の縁に三つだけ縫い付けていた。
ルルはツナギの上から長い革のジャケット。零式の縮小モードを肩掛け鞄に。十四体の踏破くんは、それぞれ小さな鞄に収納されて、シエラとルルの背後に並んでいた。
エレーナは黒のロングドレスに、占星術師の正装。胸に水晶の首飾り。手には伝書鳩の籠を一つ。
アイリスは『天界の盾』時代の制服ではなく、ステラ・レギア独自の正装を新調していた。深い赤の上着に銀の縫い取り。腰にはプロミネンス。背筋がいつも以上に伸びていた。
レオンは紺の上着。胸ポケットに四つの形見。左肩にユーリス先生の信念の腕章を、丁寧に巻いていた。
「全員、揃ってるな」
アイリスが食卓を見回した。
「揃っています」
「では、行こう」
エレーナがぽつりと言った。
「あたしの占いは、今朝も半分しか視えない」
「半分は何が視えるんですか」
「『今日、ステラ・レギアの誰一人として、命は失わない』」
「それは、心強い」
「半分のもう半分は、視えない。けれどあたしの占いは『悪い結末は、星に出ない』が原則だ」
エレーナはふっと笑った。
「だから皆、行ってこい」
「行ってきます」
五人は立ち上がった。
玄関で踏破くんたちが整列して見送った。
ちびがレオンの胸ポケットの中で、ちょこんとお辞儀した。
「ちび、今日は静かにしててね」
ちょこん。
レオンはちびの頭を指先で軽く撫でた。
ステラ・レギアの古城の門を、五人と零式と踏破くんたちが、ゆっくり下りていった。
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『天界の盾』本部。
街の中央北側、白い大理石で建てられた、ルミナリア最大のギルド舎。正面には翼を広げた金の紋章。屋根に銀の風見鶏が四つ。広い前庭には、噴水。
午後一時半。祝賀会開始の三十分前。
ステラ・レギアの五人と零式と踏破くんたちが、本部の正面玄関に到着した。
玄関の前に、すでに数組の客たちが集まっていた。商人ギルド連合の代表三名。組合のブランドル支部長。街の主要ギルドのマスターたちが、ぽつぽつと到着し始めていた。
そして玄関の扉の前に。
アルフレート・ノーランドが立っていた。
四十代後半。背の高い、銀髪の男だった。『天界の盾』の正装、白の長衣に金の縁取り。胸に執行部筆頭の徽章。穏やかな微笑、けれど目は冷たかった。
その隣に、リーゼ・ヴェラント。
『天界の盾』の制服姿。事務的な顔。アイリスとは目を合わせなかった。けれど一瞬、微かに頷いた。打ち合わせ通りという合図だった。
「ステラ・レギア、ようこそお越しくださいました」
アルフレートが穏やかに頭を下げた。
「アルフレート殿、お招きありがとうございます」
レオンも丁寧に頭を下げた。
アルフレートの目が、レオンの左肩の腕章に留まった。
ほんの一瞬、彼の表情が固まった。
『天界の盾』の紋章。けれど、ユーリス・リドル特製の、信念の腕章。十年前、執行部の前でユーリスが意見を述べる時に必ず着けていた、あの腕章。
それが、若い管理人の左肩にあった。
アルフレートはすぐに、表情を整えた。
「珍しい腕章をお持ちですね」
「はい。ユーリス殿の遺品を、アイリス殿からお預かりしました」
「ユーリス殿の」
「公式の場でのお守りとして、お預けくださいました」
「なるほど」
アルフレートはちらりとアイリスを見た。
アイリスは静かに、まっすぐ彼の目を見返した。
「アイリス、久しぶり、だな」
「ご無沙汰しております、アルフレート殿」
「三年ぶりか」
「三年ぶりです」
「『天界の盾』に、戻る気は?」
「ありません」
アイリスは即答した。
「私は、ステラ・レギアの一員です」
「そう、か」
アルフレートはふっと小さく笑った。
「では、皆様、中へ。祝賀会の準備が整っております」
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本部の大広間。
天井の高い、白を基調とした空間。中央に長い円卓。すでに二十人ほどの客が着席していた。
ステラ・レギアの一行は、円卓の中央付近に席を案内された。アルフレートはその正面、上座。リーゼはアルフレートの隣。ブランドル支部長は円卓の端、観察に適した位置。
午後二時。
アルフレートが立ち上がって、グラスを掲げた。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます」
会場が静まった。
「本日は、ステラ・レギアの先日のご活躍を、街全体で祝う場として、この祝賀会を主催いたしました」
『天界の盾』らしい儀礼的な開会の辞が、続いた。
「『鉄槌の牙』の組織犯罪の解決。組合の腐敗構造の摘発。ルミナリアの治安維持に対する、ステラ・レギアの貢献。これらは、街の全ギルドの誇りであります」
拍手が上がった。
「そして、本日この場で、私からステラ・レギアに、一つの提案をさせていただきたい」
会場が、再び静まった。
リーゼがアイリスを、ちらりと見た。打ち合わせの通り。
「『天界の盾』とステラ・レギアの間で、『協力協定』を結ぶことを、ご提案申し上げます」
執行部の若い職員が、書類を持って前に出た。アルフレートの隣に立ち、書類を上座の机に広げた。
ブランドル支部長が眼鏡を上げた。
「協力協定、ですか」
「はい。組合の支部長、ブランドル殿に立会いをお願いし、書面で正式に交わしたい、と存じます」
「内容は?」
「『天界の盾』が、ステラ・レギアの今後の活動を全面的に支援する。それに伴い、ステラ・レギアの主要な意思決定について、『天界の盾』が事前に承認権を持つ」
会場が、ざわめいた。
商人ギルドの代表たちが顔を見合わせた。
事前承認権。それは事実上、傘下化に等しい条件だった。
レオンは円卓の上に両手を置いた。書類が、自分の前に滑らされてくるのを、静かに見つめた。
書類を読み始めた。
ディアナ殿が予測した通り、『協力協定』の中には、いくつもの条項が並んでいた。
第三条、ステラ・レギアの新規依頼受託は、月例で『天界の盾』への報告を義務とする。
第五条、ステラ・レギアの装備調達は、『天界の盾』の指定業者を優先する。
第七条、ステラ・レギアの構成員の異動は、『天界の盾』の事前承認を要する。
第九条、ステラ・レギアが収集した『始原の民』に関する情報は、『天界の盾』に優先共有する。
レオンはゆっくり書類を閉じた。
それからアルフレートを真っ直ぐに見た。
「アルフレート殿」
「はい」
「この協定書、署名できません」
会場が、再びざわめいた。
アルフレートの目が、ほんの一瞬細くなった。
「理由を、お聞かせいただけますか」
「内容が、対等ではありません」
「対等ではない、と」
「形式は『協力協定』ですが、実態は事実上の傘下化条項を含んでいます」
「事実上の傘下化、という表現は、強すぎませんか」
「強くありません。第七条の構成員の異動への事前承認権、第九条の情報の優先共有、第三条の月例報告義務。これらは、組織として独立しているとは言えない条件です」
レオンは穏やかに、けれど明確に言った。
「ステラ・レギアは、独立したギルドとして活動を続けます」
会場が、しん、と静まった。
アルフレートはしばらく沈黙した。
それから、ふっと小さく笑った。
「では、ステラ・レギアからの対案を、お聞きしましょう」
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レオンは、革のファイルから、自分が用意してきた書類を取り出した。
『情報の対等の交換に関する協力提案書』。
ディアナ殿との相談を踏まえて、昨夜まとめた、ステラ・レギア側の対案だった。
「我々ステラ・レギアは『天界の盾』との協力関係を、否定するものではありません」
「ほう」
「ただし、関係の形は、対等であるべきと考えます」
レオンは書類を、円卓の上にゆっくり広げた。
「対等の協力関係の中核は、『情報の対等の交換』とします」
「情報」
「ステラ・レギアは、過去一月の間に、迷宮第十五階層『沈み鐘』の調査、第八階層の零式実戦、第三階層の精霊召喚事例など、複数の独自情報を蓄積しています」
会場のざわめきが、変質した。
商人ギルドの代表たちが、興味深そうに身を乗り出した。
「これらの情報の一部を、対等の協力関係の枠組みの中で、『天界の盾』と共有する用意があります」
「条件は」
「『天界の盾』からも、貴ギルドの独自の調査情報を、対等に共有していただく」
「具体的には」
「『天界の盾』が過去半年の間に、何らかの古代遺物に関する独自調査を進めておられると、こちらは把握しています。その内容を、対等に共有していただきたい」
アルフレートの目が、わずかに細くなった。
レオンは続けた。
「組織の傘下化は、長期的に見て情報の質を落とします。組織の意向に縛られた研究者は、自由な判断で情報を生み出せない」
「ふむ」
「対等の協力者は、それぞれが独自の判断で情報を生み出し続けます。長期的に、貴ギルドにとっても、利益が大きいはずです」
会場が、しばらく沈黙した。
アルフレートは書類を、しばらく読んでいた。
それから、ゆっくり顔を上げた。
「興味深い、提案です」
「ありがとうございます」
「ですが」
アルフレートの声が、低くなった。
「『情報の対等の交換』を、『協力協定』の枠組みの中に組み込む形では、いかがですか」
レオンは予測通りの返答に、内心で頷いた。
リーゼの読み通りだった。アルフレートは、結局『協力協定』の枠組みを保ったまま、情報共有条項を追加する形で、傘下化を維持しようとする。
「『協力協定』の枠組みでは、結局、対等にはなりません」
「と申しますと」
「協定に組み込まれた瞬間、情報共有は『義務』になります。義務化された情報共有は、対等の交換ではない」
「義務化を望まない、と」
「望みません。我々が望むのは、独立したギルド同士の、自由意思に基づく協力関係です」
「自由意思、ですか」
アルフレートは、しばらくレオンを見つめていた。
その視線に、わずかに冷たいものが混じり始めていた。
「レオン・ヴェスパー殿」
「はい」
「あなたは、『天界の盾』の規模を、ご理解いただいているでしょうか」
「組合のAランク最大規模、と存じております」
「Cランクのギルドは、五つ、当ギルドの傘下にあります。Dランク二つ、Eランク一つも、同様です」
「存じております」
「Eランクの新興ギルドが、対等を申し出るのは、——常識的には、無礼にあたります」
会場が、しん、と静まった。
レオンは静かに頭を下げた。
「無礼、と感じられたなら、お詫びいたします」
「——」
「ですが我々ステラ・レギアは、独立したギルドとして、街に貢献し続けたい。それが、街全体の利益にもなる、と信じています」
「ほう」
アルフレートの声が、さらに低くなった。
「では、こうしましょう」
彼は、立ち上がった。
「本日は、祝賀会の場です。協定の合意に至らないなら、今しばらく、皆で、話し合いを続けるのが、よろしいのでは」
会場のざわめきが、固まった。
『天界の盾』の幹部数名が、立ち上がった。彼らは、円卓の周囲に、ゆっくり配置を変え始めた。ステラ・レギアの一行を、自然な動きで、囲む形に。
事実上の、軟禁の開始だった。
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リーゼが、立ち上がった。
「アルフレート様」
「リーゼ、座っていなさい」
「お話があります」
「後にしなさい」
「いえ、今、お話しします」
リーゼの声が、はっきりと、響いた。
会場が、しん、と静まった。
リーゼは、自分の椅子の脇から、革張りの分厚いファイルを取り出した。
「ブランドル支部長」
「はい」
「組合の正式な記録として、提出したい書類があります」
ブランドル支部長が、眼鏡を上げた。
「内容は」
「『天界の盾』、執行部筆頭、アルフレート・ノーランド殿の、過去十年の組織運営における、組織犯罪に関する物的証拠」
会場が、凍りついた。
アルフレートの顔から、血の気が引いた。
「リーゼ、何を、言っている」
「ユーリス・リドル先生の死亡事故、五年前」
「——」
「現場の安全装置を、事故の前日に、外す指示が出されました。指示書は、アルフレート様の自筆です」
リーゼは、ファイルから、一枚の羊皮紙を取り出した。
「現場の責任者、当時の整備班長、ヘンリー・カラム氏の証言記録、署名入り」
二枚目の書類。
「事故直後、アルフレート様の指示で、現場記録の改竄が行われました。改竄前の原本記録、私が密かに保管しておりました」
三枚目。
「過去三年、『天界の盾』が傘下化した六つのギルドのうち、四つで、同様の事故が発生しています。いずれも、アルフレート様の指示書が確認されています」
四枚目から七枚目。
リーゼは、書類を一つずつ、円卓の中央に置いていった。
会場のざわめきが、もはや収拾不能になっていた。
アルフレートが、震える手で、書類を取り上げようとした。
その瞬間、ブランドル支部長が、立ち上がった。
「アルフレート殿」
「ブランドル殿、これは——」
「組合の正式な記録として、これらの書類を、私が預かります」
ブランドル支部長は、書類を全て、自分の手元に集めた。
「リーゼ・ヴェラント殿、あなたの提出された証拠は、組合中央本部にも、即日、転送いたします」
「お願いします」
「アルフレート殿、貴殿の身柄については、組合の中央本部からの正式な通達があるまで、組合の管理下に置かせていただきます」
「私は、執行部筆頭だ。組合の管理下に置く権限は、——」
「組織犯罪の容疑者となった瞬間、執行部筆頭の特権は停止されます。これは組合の規定です」
会場の入り口の扉が、ばあん、と勢いよく開いた。
そこに立っていたのは、——
ディアナ・ヴェント、『翠緑の風』のマスター。
ザッシュ・ドルム、『斜陽の盾』のマスター。
グラント・ヴェルス、『虎牙の商隊』のマスター。
そして、それぞれの部下、合計二十名。
「ブランドル支部長、ご連絡いただきました」
ディアナが、穏やかに告げた。
「組合の正式な手続きが行われる場合、立会い証人として、街の主要ギルドのマスターが、複数同席するのが、慣例です」
ザッシュが、頷いた。
「俺らも来た」
グラントが、商人らしい鋭い眼で、会場全体を見渡した。
「商人ギルド連合からも、見届けに来た」
『天界の盾』の幹部たちが、立ち止まった。彼らがステラ・レギアを軟禁の形で囲もうとした動きは、もはや、機能しなかった。
会場全体が、ステラ・レギアの側の証人で、満たされていた。
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### 6
アルフレートは、しばらく、何も言わなかった。
それから、ゆっくり、椅子に座り込んだ。
その目から、執行部筆頭の威厳が、消えていった。
「リーゼ」
「はい、アルフレート様」
「いつから、私を、——調べていた」
「先生がお亡くなりになった、五年前から」
「五年」
「先生の最期の言葉が、『組織より、人を選べ』、でした」
「——」
「私は先生の言葉を守って、組織の中から、組織を変えようとしました」
「変えるために、私を、——」
「アルフレート様、あなた個人を変えることは、不可能だと、五年で分かりました」
リーゼの声は、静かだった。
「だから、組織の外から、組織を変えるしかなかった」
「——」
「ステラ・レギアが、Eランクから、街を変える力を持つギルドに育つ可能性を、私は半年前から見ていました」
「半年前」
「ステラ・レギアに移籍打診、という今日の計画を、私が知った瞬間、私は決意しました。今日、すべてを終わらせる、と」
アルフレートは、しばらく、リーゼを見ていた。
それから、ゆっくり、目を閉じた。
「私は、組織のために、——人を消費しすぎた」
「——」
「先生の言葉を、——私は、忘れていた」
「——」
「私は、もう、終わりだ」
ブランドル支部長が、静かに言った。
「アルフレート殿、組合中央本部の処分が下るまで、自宅謹慎を、お願いします」
「分かりました」
アルフレートは、立ち上がった。
『天界の盾』の幹部の二人が、彼の両脇に、立った。連行ではなく、案内の形で。
会場を出る直前、アルフレートは、一度、振り返った。
「レオン・ヴェスパー殿」
「はい」
「ステラ・レギアは、——『天界の盾』の傘下に、ならないで、よかった」
「——」
「私の組織は、もはや、——独立したギルドの、模範ではない」
「——」
「街のために、独立を、保ってください」
レオンは、深く頭を下げた。
「アルフレート殿」
「はい」
「あなたの十年の経歴の中には、確かに街への貢献も、あったはずです」
「——」
「全てが、無であったわけでは、ない」
アルフレートは、しばらくレオンを見つめていた。
それから、わずかに頭を下げた。
「ありがとう、若い管理人殿」
そして、彼は会場を出ていった。
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会場には、まだ、緊張の余韻が残っていた。
ブランドル支部長が、円卓の中央に立った。
「皆様、本日のこの出来事を、組合の正式な記録に残します」
会場が、頷いた。
「ステラ・レギアと『天界の盾』の間で、本日、『協力協定』の合意は、成立しなかった」
「——」
「『天界の盾』、執行部筆頭、アルフレート・ノーランド殿は、組織犯罪の容疑により、組合中央本部の調査対象となった」
「——」
「『天界の盾』の今後の運営については、組合中央本部からの正式通達を待つ」
「——」
「ステラ・レギアの独立は、組合として、引き続き保証する」
会場の客たちが、一斉に拍手をした。
商人ギルドの代表たちは、特に大きな拍手を送った。彼らにとっても、『天界の盾』の組織的圧力からの解放は、大きな利益だった。
ザッシュが、レオンの肩を、ぽんと叩いた。
「やったな、レオン」
「皆さんのおかげです」
グラントが、にやりと笑った。
「街が、変わるな」
「Eランクのギルドが、Aランクの執行部筆頭を、引きずり下ろした」
ディアナが、レオンの隣で、穏やかに微笑んだ。
「あなたが、賭けに勝った」
「ディアナ殿の戦略のおかげです」
「いえ、戦略は、実行する人間がいて、初めて意味を持つ」
ディアナはふっと笑った。
「あなたたちは、実行できた」
リーゼが、ステラ・レギアの席に、ゆっくり歩いてきた。
アイリスが立ち上がった。
二人は、しばらく、無言で見つめ合った。
それから、お互いに、ぎゅっと抱きしめあった。
「リーゼ、——お疲れ」
「アイリスさん、——終わりました」
「先生も、満足しているだろう」
「はい」
「これから、——どうする?」
リーゼはゆっくり、目を上げた。
「アイリスさんが昨夜、おっしゃったお誘いに、——甘えても、いいですか」
「もちろん」
レオンが、二人の隣で、深く頷いた。
「ステラ・レギアに、ようこそ、リーゼさん」
「——」
リーゼの目から、涙が、ぽろりと、こぼれた。
シエラが、両手を組んで、ぴょこんと跳ねた。
「リーゼお姉ちゃん、シエラ、お部屋にお花、飾ったよ!」
「お花?」
「うん、シエラのお母さんの図案集の、星の花、刺繍した、布」
「——」
「お姉ちゃん、よろしくね!」
リーゼは、シエラの手を、そっと握った。
「ありがとう、シエラちゃん」
ルルが、ぽくぽくと頷いた。
「合理的な、家族の追加」
エレーナが、ワインボトルをどこからか取り出した。
「占星台で、入隊式だ。今夜は、新しい家族の祝杯」
会場全体に、温かい笑いが広がった。
街の主要ギルドのマスターたちが、ステラ・レギアの席に、次々と挨拶に来た。商人ギルドの代表たちも、グラスを掲げた。
ステラ・レギアは、もう、Eランクの新興ギルドではなかった。
街の独立した、誇り高い、もう一つの中核だった。
---
午後四時。
祝賀会が、自然に解散の流れに移行した。
ブランドル支部長が、退出前に、レオンの前に立った。
「レオン殿、——本日の働き、感服しました」
「ありがとうございます」
「ところで、Dランク昇格の件ですが」
「——」
「組合中央本部に、本日の出来事を含めて、報告いたします。中央本部からの判断にもよりますが、——近日中に、Dランクへの昇格が、正式に通達される可能性が、極めて高い」
「——」
「ステラ・レギアの『仕組み』は、もう、Cランクの基準すら、満たしている」
「——」
「ですが昇格の時期は、レオン殿のご判断に、お任せします」
レオンはしばらく、考えた。
それから、丁寧に頭を下げた。
「ブランドル支部長、——昇格は、お受けします」
「——」
「ただし、Dランクから、です」
「Cランクに飛び級ではなく」
「はい。一段一段、昇りたい」
ブランドル支部長は、ふっと笑った。
「アイリス殿の影響、ですか」
「ステラ・レギアの方針です」
「分かりました。Dランクへの昇格を、組合として、正式に推薦いたします」
「ありがとうございます」
ブランドル支部長は、深く頷いて、会場を出ていった。
レオンはアイリスを振り返った。
「アイリスさん」
「うん」
「Dランク、決まりそうです」
「うむ」
「『仕組み』の昇格、ですね」
「そう。お前が積み上げた仕組みの、自然な結果だ」
アイリスは、穏やかに笑った。
「ステラ・レギアは、——次の段階に進む」
「次の段階」
「ええ、レオン」
レオンは、深く頷いた。
『再会の祭壇』までは、まだ遠い。
けれど、Eランクから、Dランクへ。一歩、確実に進んだ。
---
夕方。
ステラ・レギアの古城。
レオン、アイリス、シエラ、ルル、エレーナ、そして新しく加わったリーゼ。
六人が、占星台に上がった。
スターフォール・アビスの青白い光が、夜空に静かに輝き始めていた。
エレーナが、ワインボトルを開けて、グラスを六つ並べた。シエラの分はぶどうジュース、リーゼの分も今日はぶどうジュースだった。
「リーゼ・ヴェラント、ステラ・レギアの新メンバーに」
「乾杯」
六人の声が、占星台に響いた。
ガラスの音が、夜空に溶けていった。
リーゼがグラスを置いて、深く頭を下げた。
「皆様、本当にありがとうございます」
「礼はいい」
アイリスが、ぷいっと顔を背けた。
「家族に、礼はいらない」
「——」
「お前は、私の妹のような後輩だ」
「——」
「ステラ・レギアでは、お前は、シエラのお姉さんだ」
シエラが、ぴょこんと跳ねた。
「リーゼお姉ちゃん、シエラ、お姉ちゃんが、二人になった!」
「うん」
「でね、お部屋、隣にしたから、いつでも、お話できるよ!」
「ありがとう、シエラちゃん」
ルルが、ぽくぽくと頷いた。
「合理的な配置」
「ルル姉ちゃんはいつも合理的」
「観察結果に、忠実」
エレーナが、ワインを傾けた。
「リーゼ、——あんたの占いも、視させてもらおう」
「私の?」
「あんたの十年は、——『組織より人を選んだ十年』だ。それは、占星術師の眼から見ると、——非常に、強い、星の流れだ」
「——」
「ステラ・レギアにとって、あんたは、——大事な、星の一つになる」
リーゼは、深く頷いた。
「精一杯、お役に立てるように、務めます」
レオンが、占星台の手すりに、両手をついた。
スターフォール・アビスを、見下ろした。
街の灯りが、夜空に向かって、ぽつぽつと輝き始めていた。
「皆さん」
「うん」
「——今夜で、終わりです」
アイリスがレオンの隣に立った。
「終わり、と言うより、始まりだ」
「始まり」
「ステラ・レギアの、本格的な進撃の、始まり」
「はい」
「迷宮の、もっと深い階層へ。『始原の民』の、もっと深い謎へ」
「『再会の祭壇』、まで」
「一歩、ずつ」
「一歩、ずつ」
レオンは、胸元の四つの形見と、ユーリス先生の信念の腕章を、そっと撫でた。
『約束の少女』のお守り。
『天界の盾』の銀色の紋章ピン。
『ヴェスパー』の銀糸の布切れ。
心の中の『家族の星』の図案。
そして、ユーリス先生の信念の腕章。
それぞれが、誰かの想いを、レオンの旅に、重ねている。
「皆さんと、——どこまでも」
ぽつりと呟いた。
シエラが、レオンの腕に、ぴたっと寄り添った。
ルルが、零式の縮小モードを、両手で抱いた。
エレーナが、ワインボトルをもう一本開けた。
リーゼが、占星台の手すりから、夜空を見上げた。
アイリスが、レオンの隣で、静かに立っていた。
ステラ・レギアの、三十二日目の夜が、新しい家族の灯りと共に、ゆっくり、けれど確かに、更けていった。
---
夜、深く。
レオンは、自分の部屋で、机の上に、新しいノートを開いた。
『ステラ・レギア:仕組みと進捗』のノート。最後のページ。
そこに、彼は、こう書いた。
—— 一月前。借金三十万ルナ。Fランク。一人。
—— 今夜。月次収入二十万ルナ超。Dランク推薦。家族六人。
—— 友好ギルド三、組合の信頼、街の支持。
—— 形見、五つ。
—— 『再会の祭壇』、までは、まだ遠い。
—— けれど、確実に、近づいている。
レオンはノートを閉じた。
胸元の形見たちを、丁寧に、机の引き出しに移した。今夜だけは、彼らも、休ませた。
ベッドに横になった。
窓の外で、スターフォール・アビスの青白い光が、夜空に、静かに、けれど力強く、輝いていた。
その底に、——
夢の少女が、いる。
『大きくなったら、会おうね』。
『指切り』。
『約束』。
「待っててください」
ぽつりと呟いた。
「皆と一緒に、必ず、辿り着きます」
ステラ・レギアの第一章が、静かに、温かく、閉じていった。
明日からは、新しい章。
『再会の祭壇』への、本格的な旅の、始まりだった。
---
第二十話 了 第一章 完結




