『白い、招待状』
街道戦の翌朝、ステラ・レギアの食堂は、いつもより遅い時間まで静かだった。
レオンは、皆が起きてくるのを待つ間、帳簿を広げて、昨日の収支を整理していた。
メリオン交易会からの護衛報酬十二万ルナ、危険手当上乗せ十万ルナ。組合からの賞金は、まだ正式通達が来ていないが、ブランドル支部長の見立てでは五十万ルナ前後。合計で七十万ルナを超える、ステラ・レギア史上最大の一日の収入になる予定だった。
「お兄ちゃん、おはよう」
シエラが眠そうな顔で食堂に降りてきた。寝間着にガウン姿。三つ編みは結い直されておらず、栗色の髪がぼさぼさと頬にかかっていた。
「おはよう、シエラちゃん」
「今朝は、みんな、ゆっくりだね」
「昨日、頑張ったから」
「うん。シエラ、夢の中でも、水の鯨さま呼んでた」
「お疲れさまだったね」
「えへへ」
シエラは、レオンの手元の帳簿を覗き込んだ。
「すごい数字が並んでる」
「うん、昨日の収入」
「シエラ、お金のこと、よく分からないけど、——たくさん?」
「たくさん」
「じゃ、お兄ちゃん、今度、市場のおばさんに、たくさんお礼買ってあげようね」
「うん、そうしよう」
その時、玄関の扉が、こんこんと叩かれた。
「失礼します。冒険者組合の使者ですが」
レオンが立ち上がって、玄関に向かった。
組合の若い使者が、革袋を提げて立っていた。
「ステラ・レギア、レオン・ヴェスパー殿宛の、組合からの公式通達と、もう一通、お預かりしております」
「もう一通?」
「『天界の盾』からの、書状です」
「——」
レオンは、しばらく沈黙した。
それから、丁寧に頭を下げた。
「お預かりします」
「組合からの賞金は、革袋の中です。金額は、添付書類でご確認ください」
「ありがとうございます」
使者が下がった。
レオンは、玄関の扉を閉めた。
革袋を持つ手が、組合からの通達よりも、白い封蝋の押された別の封筒の方を、強く意識していた。
『天界の盾』。
封蝋には、翼を広げた金の紋章。
書状の表書きは、流麗な達筆で書かれていた。
『ステラ・レギア、ギルドマスター、レオン・ヴェスパー殿』
差出人は、——『天界の盾』、執行部筆頭、アルフレート・ノーランド。
---
食堂に戻った時、アイリスとルルとエレーナも、すでに揃っていた。
レオンは机の上に、組合からの通達と、『天界の盾』の書状を、並べた。
アイリスの目が、白い封筒を見て、わずかに細くなった。
「アルフレート殿か」
「はい」
「内容は」
「まだ、開けていません」
「開けてくれ」
レオンは、慎重に封蝋を割って、書状を取り出した。
達筆で、丁寧な、しかし極めて事務的な文体だった。
『ステラ・レギア、レオン・ヴェスパー殿。
先日のメリオン交易会護衛における、貴ギルドの活躍、ならびに『鉄槌の牙』の組織犯罪解決への寄与。誠に、感服の至り。
ルミナリアの治安維持に対する貢献を称し、『天界の盾』として、貴ギルドのご一同を、明後日(三十二日目)午後二時より、当ギルド本部にて開催される祝賀会にご招待いたします。
ルミナリアの主要ギルドのマスターたちが集まる、内輪の祝賀の場とご理解ください。商人ギルド連合の代表諸氏も、参列予定です。
何卒、ご出席を賜りたく、お願い申し上げます。
『天界の盾』、執行部筆頭、アルフレート・ノーランド』
レオンが書状を読み終えた時、食堂は静かだった。
アイリスが、ぽつりと言った。
「祝賀、か」
「はい」
「アルフレートが、自ら、祝賀会を主催する、というのは——」
「珍しいことですか?」
「『天界の盾』では、執行部筆頭が直接、他ギルドへの祝賀を主催することは、まずない。普通は、別の幹部が代わりに動く」
「では、これは」
「向こうからの、何かの意思表明だ」
ルルが、ぽくぽくと頷いた。
「合理的に、解読すると——」
「うん」
「文面、すべて事務的。形式通り。にもかかわらず、執行部筆頭が、直接署名している。これは、相手に対する『公的な敬意』を示しつつ、『自ら出てくる重さ』を、こちらに認識させる狙い」
「敵意ではない、と」
「敵意では、ない。しかし、警戒対象として、明確に意識している、ということ」
エレーナが、ワインボトルを傾けて、ぽつりと言った。
「あたしの占星術の方からも、補足する」
「お願いします」
「今朝の星、——『天界の盾』の方角に、北の冷たい星座が、強く出てる」
「冷たい星座?」
「『鋭利な計画』の星だ。アルフレートは、ステラ・レギアを、何らかの形で『動かそうとしている』」
「動かす」
「招待の真意は、単なる祝賀じゃない。何かを、こちらに『提案する』、もしくは『要求する』場として、彼は祝賀会を設定している」
レオンは頷いた。
「招待を、断ることはできますか」
「できる。けれど、後で必ず、別の形で接触してくる」
エレーナはふっと笑った。
「断っても、避けられない流れ、ということだ」
「では、行くしかない」
「行くしかない」
アイリスがしばらく沈黙した。
それから、ぽつりと言った。
「私が、行く」
「アイリスさん」
「『天界の盾』の本部に、私が、もう一度、足を踏み入れる」
「——」
「三年ぶり、だ」
アイリスの声は、淡々としていた。けれど、わずかに重みがあった。
レオンは、彼女の真紅の瞳を見た。
そこには、迷いはなかった。覚悟だけがあった。
「一緒に、行きます」
「うん」
「全員で行きましょう」
「シエラとルル、エレーナも?」
「はい。『天界の盾』が、ステラ・レギアの一行として、私たちを招待している。なら、ステラ・レギアの一行として、皆で行くのが筋です」
ルルが頷いた。
「合理的な判断」
シエラが、両手をぎゅっと握った。
「シエラも、行く!」
「うん、頼んだよ」
エレーナは、ワインを一口啜って、にやりと笑った。
「あたしも行く。占星術師の正装を着る、楽しい日になりそうだ」
レオンは、しばらく、四人を見回した。
それから、書状をもう一度、机の上に広げた。
その時、——封筒の中から、もう一枚、別の小さな紙片が、ぱさり、と落ちた。
---
紙片は、白い小さな便箋だった。
折り畳まれていて、一見、書状の付属品のように見えた。けれど、便箋の角に、小さな鉛筆書きの文字があった。
『紅蓮のアイリス様 へ』
「リーゼ、か?」
アイリスが、紙片を手に取った。
便箋を開くと、走り書きの、丁寧だが急いで書かれた文字が並んでいた。
『アイリスさん。
この手紙、本来の書状の中に、こっそり忍ばせています。アルフレートさんに見つからないように。
祝賀会への招待は、表向きの理由ですが、——アルフレートさんは、その場で、ステラ・レギアに何かを「申し出る」つもりです。
私が立ち聞きで、断片的に拾った内容は、こうです。
一、ステラ・レギアの管理人、レオン・ヴェスパー殿に、『天界の盾』への移籍を打診する。
二、もし応じない場合、——『何らかの組織的な圧力』を、ステラ・レギアにかける。
アルフレートさんは、ステラ・レギアの急成長を、——警戒、というより、利用しようとしています。
詳しくは、祝賀会当日、私からも、何かお伝えできるかもしれません。
アイリスさんに、よろしくお伝えしたい、です。
リーゼ・ヴェラント』
食堂が、長い沈黙に包まれた。
アイリスが、便箋を、ゆっくりと机の上に置いた。
ルルが、ぽくぽくと頷いた。
「合理的な、補足情報」
「リーゼ、よくこれを送ってくれた」
「アルフレートさんに見つかれば、——リーゼ自身が、危険な立場になる」
「うん」
レオンは、便箋を、もう一度ゆっくり読んだ。
「移籍の打診」
「お前個人を、引き抜く」
「断った場合、組織的な圧力」
「ステラ・レギア全体を、潰す動き」
「——」
「これは、敵意ですね」
「敵意、と言うより、——侮辱だ」
アイリスの声が、低くなった。
「我々を、『使えるなら使う、使えないなら潰す』対象としか、見ていない」
「——」
「アルフレートらしい、と言えば、らしい」
エレーナが、ワインを傾けながら、ぽつりと言った。
「『天界の盾』の中で、アルフレートは、——ある種、組織のためなら手段を選ばないタイプだ」
「ご存じなんですか」
「アスラクス家の蔵書には、ルミナリアの主要ギルドの幹部の、過去の動きの記録もある。あいつの名前は、——あちこちで出てくる」
「悪名」
「そうとも言えるし、——『組織を維持してきた手腕』とも言える」
「立場による解釈」
「そうだ」
レオンはしばらく考えた。
「アイリスさん」
「うん」
「アルフレートさんの『移籍打診』、——僕は受けるつもりはありません」
「当然だ」
「ですが、——どう断るか、は、考えないといけない」
「ふむ」
「断り方によって、『組織的な圧力』の規模が、変わるはずです」
ルルが、ぽくぽくと頷いた。
「合理的な、外交的判断が必要」
「全面拒絶では、向こうが本気で潰しに来る。けれど、曖昧な拒絶では、こちらが弱腰と見られる」
「うん」
「明確に、けれど『天界の盾』の面子を立てる形で、断る」
「具体的には」
レオンは、しばらく目を伏せた。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
「『移籍はしない。けれど、ステラ・レギアと『天界の盾』が、対等のギルドとして、協力関係を持つことを提案する』」
「対等」
「Eランクのギルドが、Aランクの『天界の盾』に、対等を申し出る」
「常識的には、無礼にあたる」
「はい。けれど、リーゼの手紙にあった『何らかの組織的な圧力』を回避する唯一の道です」
「正面突破、か」
「正面突破、です」
アイリスが、しばらくレオンを見ていた。
それから、ふっと笑った。
「お前、——本当に、何でも、正面から行くな」
「五浪したので」
「ハッハ、もういい」
ルルが、ぽくぽくと頷いた。
「合理的な、提案。賛同する」
エレーナが、ワインを掲げた。
「あたしも、賛同。占星術師としては、『その提案の星筋は、五分五分』と言わせてもらう」
「五分五分」
「アルフレートが受け入れるか、激怒するか、半々だ」
「半々なら、賭けるしかない」
「賭ける価値はある」
シエラが、両手をぎゅっと握った。
「シエラも、お兄ちゃんの提案、賛成!」
「ありがとう、シエラちゃん」
レオンは、深く頷いた。
二日後の祝賀会への、ステラ・レギアの方針が、決まった。
---
午後。
アイリスがガロン爺さんのところへ、ユーリス先生の魔道具を持っていった。修理が可能か、見立てを聞きに行く約束だった。
レオンは、その間、組合のブランドル支部長に会いに行った。
事前のアポイントなしの訪問だったが、組合の事務員は今日のレオンを、すぐに支部長執務室に通してくれた。
「レオン殿、いかがされましたか」
「ブランドル支部長、お時間ください」
「もちろん。座ってください」
レオンは、机を挟んで支部長の前に座った。
そして、机の上に『天界の盾』からの招待状を、丁寧に置いた。
「これが、今朝、届きました」
ブランドルは書状を読み、すぐに眼鏡を上げた。
「アルフレート殿から、貴ギルドへの祝賀会の招待」
「はい」
「執行部筆頭が直接、ですか」
「はい」
ブランドルはしばらく沈黙した。
「これは、——珍しい」
「そう、聞いています」
「アルフレート殿の意図は、何でしょうか」
「——」
レオンは、リーゼからの私的な手紙の存在は、明かさなかった。リーゼの立場を守るため、これは秘密にしなければならない。
代わりに、別の角度から訊いた。
「ブランドル支部長、組合として、最近の『天界の盾』の動きを、どうご覧になっていますか?」
ブランドルは眼鏡を外して、ゆっくり机の上に置いた。
「組合として、公式には、申し上げられないことが、あります」
「はい」
「ですが、個人として、——気になっていることは、あります」
「お話しください」
「ここ半年、『天界の盾』は、Bランクとそれ未満のギルドの『買収』ないし『吸収合併』を、複数件進めています」
「買収」
「具体的には、Cランク三ギルド、Dランク二ギルド、Eランク一ギルド」
「合計六ギルド」
「彼らは、表向きには『協力関係の強化』と称していますが、実態は、傘下ギルドとして組織化している」
「——」
「『天界の盾』は、組合のAランクの中でも、最大規模のギルドですが、——半年前から、さらに『下』を取り込み始めている」
「目的は」
「分かりません。組合の管轄外の動きですから」
「——」
「ですが、この動きが、街全体の冒険者ギルド構造を、徐々に変えつつあります」
レオンは、深く頷いた。
「ステラ・レギアも、——その対象になりかけている、かもしれません」
「可能性は、あります」
ブランドルは、低く言った。
「お気をつけて」
「はい」
「ステラ・レギアは、街にとって、貴重な『独立したギルド』です。組合としても、その独立性は、できる限り守りたい」
「ありがとうございます」
「祝賀会で、——もし何かあれば、組合に正式な記録として、相談ください」
「はい」
レオンは丁寧に頭を下げて、執務室を出た。
『天界の盾』が傘下ギルド網を作っている、という情報。それは、リーゼの手紙の『組織的な圧力』が、決して脅しではないことを、裏付けていた。
---
ギルドに戻った時、アイリスはちょうど街から帰ってきたところだった。
「ガロン爺さん、何と言ってましたか」
「魔道具は、——もう、修理は難しいだろう、と」
「そうですか」
「ただし、——『お前の手の中で、二度、人を守った魔道具なら、それは、もう道具じゃなくて、形見だ』、と」
「——」
「『直さなくていい。亀裂があっても、それが、お前の戦いの記録になる。布で包んで、大事にしまっておけ』、と」
レオンはゆっくり頷いた。
「ガロン爺さんらしい、お話ですね」
「うん」
「お師匠様の魔道具、形見として、もう、僕の引き出しにあります」
「そう、しよう」
アイリスは、ふっと小さく息を吐いた。
レオンは、組合での話をアイリスに伝えた。『天界の盾』の傘下ギルド網のこと。半年前から進められている『買収』の動き。
アイリスの真紅の瞳が、すうっと細くなった。
「半年前」
「はい」
「半年前と言えば、——」
「『沈み鐘』の宝石が、組合のオークションに出た時期と、ほぼ重なる」
「合理的な、観察」
「もしかしたら、『天界の盾』の傘下化の動きと、——『始原の民』の遺物の動きは、繋がっている、かもしれない」
レオンはしばらく考えた。
「あの宝石が、二年前に組合に流れた。けれど、半年前から、『天界の盾』が組織を拡大し始めている」
「タイムラグはあるが、繋がりは、可能性としては、ある」
「——」
「アルフレートが、何を企んでいるか、——祝賀会の場で、何を申し出るか、——慎重に、聞き出さねば」
アイリスはレオンを真っ直ぐに見た。
「レオン」
「はい」
「祝賀会、お前は、ステラ・レギアの管理人として、堂々と振る舞え」
「はい」
「私は、——アルフレートの、目を離さない」
「——」
「三年前、私は、あの男に、何も言えずに、ギルドを飛び出した」
「——」
「今度は、違う」
アイリスの目に、確かな光があった。
それは、復讐の光ではなかった。
『先生の死を、無駄にしない』、という、決意の光だった。
---
夕方。
ステラ・レギアの食堂に、エレーナの占星台からの呼び出しがあった。
「皆、ちょっと、上がってきてくれ」
レオン、アイリス、シエラ、ルル、四人が古城の屋根の上の小さな八角形の占星台に上がった。
エレーナは、水晶玉を手のひらに乗せて、夕方の空を見ていた。
「夕方の星、変化があった」
「どんな?」
「『天界の盾』の方角に、——別の、影の星が、出てきた」
「影?」
「アルフレート以外の、誰かが、ステラ・レギアに関心を持っている」
「『天界の盾』の中の、別の人物?」
「それは分からない。ただ、複数の影が、こちらを見ている」
「敵か味方か」
「半々」
エレーナはふっと笑った。
「あたしの占いは、いつも、半分しか視えない」
「半分でも、貴重な情報、です」
「祝賀会には、複数の人物が、ステラ・レギアに対して、別々の意図を持って、接近してくる、と覚えておきな」
レオンは深く頷いた。
「了解」
「リーゼも、その『影』の一つだ。けれど、彼女以外にも、ある」
「——」
「全員が、敵じゃない。けれど、全員が、味方でもない」
「分かりました」
エレーナは、占星台の手すりに肘をついて、夕陽を見つめた。
「あたしは、明日、占星台で、もう一度視る。明後日の朝までに、できる限り情報を整理しておく」
「ありがとうございます」
「——少年」
「はい」
「アルフレートは、お前を、ただの肉壁の若造とは、もう見ていない」
「——」
「組合での書類仕事、街道での組織犯罪解決、ガレッリの摘発。これらは、全部、王都の中央本部にも報告される」
「——」
「アルフレートは、組合の中央本部とも、繋がっている」
「——」
「だから、あいつは、——お前を、敵か味方か、見極めようとしている」
エレーナは、振り返って、レオンを見た。
「祝賀会の場で、あいつは、お前を、試す」
「試す、ですか」
「お前が、自分の組織の傘下に入る器か。それとも、——独立の道を選ぶ覚悟があるか」
「——」
「どちらを選んでも、お前は、ステラ・レギアの命運を、その選択に賭けることになる」
レオンはしばらく、夕陽を見つめていた。
それから、ゆっくり頷いた。
「賭けます」
「ステラ・レギアを?」
「ステラ・レギアの、独立、を」
エレーナは、ふっと笑った。
「お前は、そう答えると、思った」
「——」
「あたしの、占い、当たった」
「半分」
「全部だ、今のは」
二人は、夕陽の中で、ちょっと笑いあった。
---
夜。
レオンは、自分の部屋で、明後日の祝賀会への準備を進めていた。
机の上に、『ステラ・レギア:仕組みと進捗』のノートを開いた。
新しいページに、明後日の方針を、項目別にまとめた。
【祝賀会、出席の方針】
一、ステラ・レギアの代表として、五人全員で出席。
二、アルフレートからの『移籍打診』は、明確に拒絶する。
三、代替提案として、『対等のギルドとしての、協力関係』を提示する。
四、アルフレート以外の『影』の人物にも、注意を払う。
五、リーゼに、感謝の意を、自然な形で伝える。
六、暴力沙汰は避ける。万一の場合、シエラの『水の鯨』で防御を最優先。
七、その場で何かの書類にサインさせられそうになったら、必ず、『ギルドに持ち帰って検討する』と答える。
八、撤収のタイミングは、午後四時を目安。
九、帰路で襲撃の可能性も想定。零式と踏破くんの携行装備、最優先。
十、——アルフレートの『何らかの組織的な圧力』が現実化した場合の、対抗策。
最後の項目、十。
これだけが、レオンの中で、まだ確定していなかった。
組合のブランドル支部長は、組合として動く可能性を、示唆してくれた。けれど、組合は中立の機関であって、ステラ・レギアの完全な味方ではない。
『斜陽の盾』のザッシュと、『虎牙の商隊』のグラントは、友好関係にある。しかし、彼らも、Dランクのギルドであって、Aランクの『天界の盾』を相手に直接対抗できる立場ではない。
『翠緑の風』のディアナ殿は、——独立したCランクのギルド。彼女なら、もしかしたら、——
レオンは、ノートに、新しい項目を加えた。
『十、明日中に、ディアナ殿に、相談に伺う』
ディアナ殿は、昇格式の時、レオンに「『仕組み』が要る」と教えてくれた人物だった。Cランクを二十年維持してきた経験。彼女なら、こういう状況での「独立の維持の仕方」を、教えてくれるかもしれない。
ノートを閉じた時、ノックの音がした。
「レオン、いいか」
アイリスの声だった。
「どうぞ」
アイリスが入ってきた。今夜は寝間着姿で、何も持っていなかった。
ベッドの端に、そっと腰掛けた。
「明後日のこと、考えてたか」
「はい。明日、ディアナ殿に相談に行こうかと」
「『翠緑の風』の」
「彼女の経験を、聞きたい」
「いい考えだ」
アイリスは、頷いた。
「私も、明日、——リーゼに会いに行こうかと、思っている」
「リーゼさんに?」
「祝賀会の前に、もう一度、状況を確認しておきたい」
「危険ではないですか」
「リーゼは、街の南の小さな茶屋に、月曜の夜、来る習慣がある。三年前、私と二人で行った店だ。そこで、自然な形で、会えるはずだ」
「『天界の盾』の人に見られないように」
「うん」
「——」
「お前は、ディアナ殿を、私はリーゼを。役割分担だ」
「分かりました」
アイリスは、しばらく黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「レオン」
「はい」
「明後日、——『天界の盾』の本部に入ったら、私は、たぶん、心がざわつく」
「——」
「三年ぶりに、先生の声が聞こえた廊下を歩く。先生の修練場だった中庭を見る」
「——」
「お前が、隣にいてくれると、助かる」
「もちろん、隣にいます」
「うん」
アイリスは、ふっと小さく笑った。
「これは、別に、特別な意味では、ない」
「——」
「ステラ・レギアの管理人と、紅蓮のアイリスが、共に動く、というだけだ」
「はい」
「変な意味じゃ、ない」
「分かっています」
アイリスは、ぷいっと顔を背けた。
その耳の先が、ほんのり赤かった。
「それから」
「はい」
「お前の、銀色の魔道具、もう機能しない、と思っているだろう」
「ガロン爺さんが、形見として残せ、と」
「うむ」
アイリスは懐から、小さな別の包みを取り出した。
「これを」
「これは——」
「先生の、もう一つの形見、だ」
包みを開くと、——薄い、銀色の、布製の腕章だった。
『天界の盾』の紋章が刺繍されている。けれど、紋章の翼が、かすかに違っていた。色が、微妙に違う。
「ユーリス先生が、執行部の前で、自分の意見を主張する時、必ず、これを着けていた」
「——」
「『天界の盾』の正式な紋章ではなく、先生が個人的に作らせたもの、だ。先生の信念の象徴」
「——」
「明後日、——お前に、これを着けて、本部に入ってほしい」
「アイリスさんの大切な——」
「お前に、託す」
「——」
「ガレッリの時の魔道具とは、違う。これは、ステラ・レギアの代表として、お前が公式の場で身につけるもの。アルフレートが、これを見て、何を感じるか、——それも、見極めの一部だ」
レオンは、布の腕章を、両手で受け取った。
ガロン爺さんが言った言葉が、頭の中に響いた。『お前の手の中で、二度、人を守った魔道具なら、それは、もう道具じゃなくて、形見だ』。
これは、形見ではなく、——託された、戦いの旗だった。
「お預かりします」
「うむ」
「明後日、ちゃんと、着けます」
「うん」
アイリスは、立ち上がった。
ドアの前で、一度振り返った。
「レオン」
「はい」
「お前と、——明後日、共に行ける」
「——」
「それが、私には、——少しだけ、嬉しい」
そう言って、彼女はドアを閉めた。
廊下の奥から、しばらくして剣の素振りの音が、かすかに聞こえてきた。
---
レオンは、しばらく、布の腕章を見つめていた。
『天界の盾』の紋章。ただし、ユーリス先生が独自に作らせた、信念の象徴。
机の上に、丁寧に置いた。
それから、胸元の四つの形見を取り出した。
『約束の少女』のお守り。『天界の盾』の紋章ピン。『ヴェスパー』の布切れ。心の中の『家族の星』の図案。
そして、新しく加わった、五つ目。
ユーリス先生の信念の腕章。
「明後日、——『天界の盾』に、行ってきます」
ぽつりと呟いた。
窓の外で、スターフォール・アビスの青白い光が、夜空に静かに輝いていた。
『鉄槌の牙』との戦いは終わった。
次の戦いは、——剣の戦いではなく、心の戦いだった。
明後日への静かな決意を抱えて、ゆっくり更けていった。
---
第十八話 了




