『鉄槌、砕ける』
ステラ・レギアの古城は、まだ夜の静けさに包まれていた。
レオンは、自分の部屋で、装備の最終確認をしていた。
肩当ての裏に、ユーリス先生の銀色の魔道具。胸元のポケットに、四つの形見。腰のベルトに、組合公式の護衛確認書を入れた革のファイル。エプロンの胸ポケットに、ちび。
階段を降りて食堂に行くと、すでに四人が揃っていた。
アイリスは銀の肩当てを着用し、愛剣プロミネンスを腰に差していた。シエラは動きやすい灰色のローブ姿。ルルはツナギの上に長い革のジャケット。零式の縮小モードを肩掛け鞄に収めていた。エレーナは占星術師の正装姿で、ガラス製の伝書鳩を一羽、机に置いていた。
「全員、調子はどうだ」
アイリスが訊いた。
シエラがぴょこんと頷いた。
「シエラ、寝たよ! ちゃんと!」
「私は二時間ほど寝た」
ルルが淡々と答えた。
「合理的な睡眠時間」
「二時間で、合理的なのか」
「ルルにとっては、合理的」
エレーナは、伝書鳩の翼を確認しながら言った。
「あたしは占星台に詰める。街道の星の動きをずっと監視する。何か変化があればこいつを飛ばす」
「お願いします」
レオンは食卓に簡単な朝食を並べた。乾燥茸のスープと、黒パン、それから蜂蜜のかかったオートミール。戦いの前は、温かいものを胃に入れておくのが大切だった。
「いただきます」
四人が同時に言った。
朝食は、いつもより静かだった。けれど、緊張だけが支配しているわけではなかった。
それぞれが、自分の役割を分かっている。だから、無駄な言葉がいらない。そういう静けさだった。
食後、レオンが立ち上がった。
「では、街道の出発地点に向かいます」
「了解」
「エレーナさん、ご加護を」
「気をつけてな、皆」
エレーナは伝書鳩の籠を持って、占星台へ上がっていった。
レオン、アイリス、シエラ、ルル、そして肩掛け鞄の零式と十四体の踏破くん。一行は古城を後にした。
夜明け前の坂道を、ゆっくり下っていった。
---
街の北門。
メリオン交易会の集合地点に、すでに荷馬車三台と商人六人が待機していた。
そしてその脇に、『斜陽の盾』のザッシュと部下五名、『虎牙の商隊』のグラントと部下四名。総勢、商人六人と冒険者十五人と踏破くんたち、零式。
ザッシュがレオンの姿を見て、にっと笑った。
「来たな、ステラ・レギア」
「お早うございます」
「商隊長への挨拶は、もう済ませてある。今日の指揮は、お前らだ」
「お任せいただきます」
商隊長が、レオンの前に進み出てきた。先月、初めて会った時の商人だった。
「レオン殿、本日もよろしくお願いします」
「先方に、状況はお伝えしましたか」
「はい。襲撃の可能性があること、護衛体制を強化したこと、すべて承諾済みです。荷の配置も、変更しました」
「変更?」
「絹と香辛料の高価品は、三号馬車に集中させてあります。一号と二号は、おとり用の安価品」
「お見事です」
「商人の知恵です」
商隊長は穏やかに笑った。
レオンは全員を集めて、最終配置を確認した。
「先頭、一号馬車。アイリスさんが先導。剣士団のザッシュ殿と部下二名が並走」
「了解」
「中央、二号馬車。僕が並走。踏破くん八体を周囲に展開。零式は中央馬車の屋根に大型化して待機」
「了解」
「最後尾、三号馬車。ルルちゃんが指揮。シエラちゃんが防御召喚で結界。グラント殿の射手四名が後方警戒」
「了解」
「ザッシュ殿の部下三名は、馬車間の遊撃。何かあったら、最も近い馬車を支援」
「分かった」
ザッシュが頷いた。
レオンは商隊長を見た。
「予定通り、出発時刻は午前五時。順路はルミナリア—メルシェ街道。途中の関所まで二時間半、メルシェまで五時間です」
「はい」
「襲撃が来るとすれば、最も可能性が高いのは出発から一時間後。ルミナリアの森を抜ける曲がり角の手前」
「ザッシュ殿、グラント殿、その認識でよろしいですか」
「合致する」
「俺もそう読んでた」
レオンは、空を見上げた。
東の空が、ようやく薄く明るくなり始めていた。
「では、出発します」
商隊長が手綱を握った。三台の荷馬車が、ゆっくりと動き出した。
---
街を出て、街道を進むこと、一時間。
森林帯に差し掛かった。
両側に高い木々が並ぶ、薄暗い区間だった。落ち葉が地面に厚く積もり、馬車の車輪の音をいつもより柔らかくしていた。
レオンは胸ポケットの中の、ちびの動きを感じていた。
ちびは、いつもよりずっと頻繁に、ぴょこんと顔を出しては引っ込んだ。何かを察知している。
「アイリスさん」
レオンは小声で先頭に伝えた。
「ちびが、活発です」
「来るか」
「もうすぐ」
その瞬間、レオンの肩掛け鞄の中で、零式の宝石が、ぼうっと強く光った。
「索敵反応、前方百メートル、生体反応、複数」
零式の機械音声が、淡々と告げた。
「数」
「八。さらに、後方からも、二」
「合計十」
「呪術系反応、二」
エレーナの予測通りだった。
「全員、配置! 襲撃来ます!」
レオンが声を上げた。
ザッシュが剣を抜いた。グラントの射手たちが弓に矢をつがえた。シエラが両手を組んで、詠唱を始めた。
「水の鯨さま、馬車に結界を」
シエラの足元に、青色の魔法陣が広がった。柔らかな水の波紋が三台の馬車を覆い、薄く青い結界が形作られた。
レオンが肩掛け鞄から、零式の縮小モードを取り出した。装置を切り替えると、零式が一気に大型化した。中央馬車の屋根の上に、二メートルの銀色の巨体が乗った。馬車が一瞬大きく沈んだが、商隊長が手綱で立て直した。
森の前方の茂みが、ばさっと動いた。
黒い外套を身に着けた男たちが、八人。先頭は、見覚えのある巨体だった。
『鉄槌のバドル』。
「——よう、管理人殿」
バドルが、ゆっくりと歩み出てきた。手には大棍棒。雨の日の玄関先と同じ顔だった。
「今度は、こっちから出向いた、と聞いたぜ」
「お久しぶりです、バドルさん」
「組合のガレッリから、聞いてる。お前ら、独自の動きをした、ってな」
「街の店主たちが、困っていたので」
「下々(しもじも)の心配を、Eランクの管理人がするのか」
「下々ではない。街の隣人です」
バドルはふっと鼻で笑った。
「綺麗事を言うな、若造」
「綺麗事ではない。事実です」
「ステラ・レギアも、これで終わりだ。今日、お前らを潰す。ガレッリの指示で、組合の中央本部にも、『新興のEランクが、街道で混乱を起こした』と、報告される予定だ」
「面白い予定ですね」
「面白い?」
「ええ。私たちは、組合の支部長から、月曜の護衛任務の公式確認書をすでに受け取っています」
レオンは腰のファイルから、書類を取り出して、見せた。
バドルの目が、わずかに細くなった。
「ガレッリ副支部長のサイン付きです。あなたの後ろにいる方の、サイン」
「——」
「今日、現場で何が起きるか、組合本部は、全部、書類で把握しています」
バドルの後ろの男たちが、ざわついた。
ガレッリのサイン入り公式書類。それは、後で『新興ギルドが街道で混乱を起こした』という報告を出しても、その報告自体が公式記録と矛盾することを意味していた。
バドルは、低く笑った。
「だからどうした。書類なんて、後で潰せる」
「潰せる、と思うのは、あなたの上司の認識です。組合中央本部の認識ではない」
「——」
「私たちは、あなたを生かして連れ帰るつもりです。あなたから、ガレッリ副支部長との通信記録を、押収します」
「押収、だと?」
「『鉄槌の牙』とガレッリ副支部長の癒着の、決定的な物的証拠を」
バドルは、しばらくレオンを見つめていた。
それから、棍棒を担ぎ直した。
「面白い。やってみろ」
「分かりました」
レオンが、後ろに合図した。
戦闘が、始まった。
---
『鉄槌の牙』、八人。後方から二人。
『鉄槌の牙』の構成は、バドル(剣・棍棒)、剣士四名、射手二名、そして呪術師二名。後方の二名は、後詰めの遊撃手だった。
『斜陽の盾』のザッシュが、先頭で剣を構えた。
「俺ら、剣士組が、敵の剣士を抑える。射手はグラント殿が頼む」
「了解」
グラントの部下たちが、矢をつがえた。狙いは、敵の射手二名。先制で、敵の遠距離戦力を削ぐ作戦。
「放て」
四本の矢が、同時に放たれた。
敵の射手二名は、矢を弓で受け止めようとしたが、距離が近すぎた。一人の右肩に、矢が突き立った。もう一人は弓を弾き飛ばされた。
「先制成功」
グラントが頷いた。
同時に、敵の呪術師二名が、両手を上げて詠唱を始めた。
紫色の魔力が、彼らの手のひらから渦巻き、こちらに向かって伸びてきた。
レオンは、間髪入れずに合図した。
「零式、相殺!」
中央馬車の屋根の上の零式が、胸の赤い宝石を、ぶわっと光らせた。
呪術師たちの紫色の魔力と、零式の赤い光が、空中でぶつかった。
しゅう、と音を立てて、紫の魔力が弱まった。
「呪術、無効化」
零式の機械音声が淡々と告げた。
呪術師たちが、目を丸くした。明らかに、想定外の事態だった。
レオンは続けた。
「シエラちゃん、馬車の結界、強化!」
「うん!」
シエラの『水の鯨』が、青く広がっていた結界を、さらに濃くした。馬車三台を完全に覆う水の壁ができた。
「ルルちゃん、踏破くんを左右に展開!」
「了解」
ルルが指示を出すと、十四体の踏破くんが二手に分かれた。七体ずつが左右の森林に駆け込み、敵の遊撃を撹乱し始めた。小さな金槌で敵の足を叩いたり、滑り止め粘着のロープを足首に巻いたり、地面に小さな煙幕を撒いたり。
敵の剣士たちが、足を取られた。
「アイリスさん、剣士組、突破!」
「うむ」
アイリスが先頭で剣を抜いた。プロミネンスの刃に、赤い炎が灯った。
「『紅蓮の剣星』」
詠唱が短かった。今朝までの数日間で、彼女は紅蓮の剣星をさらに圧縮させていた。三秒で発動する形に。
赤い光の星が、五個。アイリスの剣から放たれた。
敵の剣士四名のうち、二名がそれぞれ星を直撃して吹き飛ばされた。残り二名が辛うじて回避した。
ザッシュと『斜陽の盾』の剣士たちが、回避した二名に正面から斬り込んだ。剣の打ち合いが始まった。
レオンは、戦場全体を見ていた。
呪術師二名は、零式の相殺で動けない。射手二名は、グラントの先制で無力化。剣士四名は、二名が倒され、二名がザッシュたちと交戦中。
残るのは——
「バドル本人」
レオンは小さく呟いた。
巨体の男は、混戦の只中で、大棍棒を肩に担いだまま、こちらをじっと見ていた。
そして、ゆっくりと、レオンの方に歩いてきた。
---
「管理人殿」
バドルの低い声が響いた。
「お前、ずいぶん成長したな」
「皆さんのおかげです」
「雨の日の、肉壁の若造とは、思えん」
バドルは大棍棒を、地面に重く突き立てた。
「あの時、俺は、お前一人を、潰そうとした」
「はい」
「今日は、お前のギルド全部を、潰そうとした」
「はい」
「結果は、——逆だ」
「残念ですが」
「いや」
バドルは小さく笑った。
「面白い。この十数年、こういう逆転は、初めて見る」
レオンは静かに、バドルの目を見ていた。
「バドルさん」
「ん?」
「降伏してください」
「俺は降伏しない」
「ガレッリ副支部長との通信記録を出してください。あなたの罪は、組合の正規の手続きで、裁かれます」
「俺はそういう手続きで動く側じゃない」
「ええ、知っています。だから、お願いではない」
レオンが、後ろに合図した。
「アイリスさん!」
アイリスが、剣士団の戦闘を抜け出して、レオンの隣に駆けつけた。
「私の出番か」
「はい」
「指示は」
「バドルさんを、捕縛します。生きて」
「了解」
アイリスが、剣を構え直した。
バドルは、二人を見て、ふっと笑った。
「紅蓮のアイリスと、不死身の管理人。この組み合わせか」
「あなたには、過剰戦力かもしれません」
「ハッハ、言うじゃねえか」
バドルは大棍棒を担ぎ直した。
「来い、若造」
「行きます」
レオンは、両腕を広げた。
肉壁の体勢。
ただし、雨の日と違って、今日は背中で誰かを庇う形ではなかった。
正面から、バドルの一撃を受け止めるための、囮の姿勢。
バドルが、地を蹴った。
棍棒が、唸りを上げて、レオンの胸を、横に薙いだ。
レオンは、避けなかった。
ばがん、と、鈍い音。
レオンの肋骨が、四本、確実に砕けた。
体が宙を、二メートルほど飛んだ。
地面に背中から落ちた。激痛が、全身を走った。
「レオン!」
シエラの悲鳴が、後ろで聞こえた。
レオンは咳き込みながら、上体を起こした。肋骨の砕けが、ちりちりと音を立てて、再生し始めていた。
——一回、倒れた。
「もう一回、立てる」
ぽつりと呟いた。
その時、——
バドルの背中で、銀の閃光が走った。
アイリスのプロミネンス。
『紅蓮の剣星』、——ではなかった。
もっと、繊細な、剣技。バドルの大棍棒の、柄の中央を、正確に斬り裂く一刀。
棍棒が、真っ二つに折れた。
バドルが、目を見開いた。
「な——」
アイリスは、すでに、バドルの背中の真後ろに回り込んでいた。
剣の柄頭で、バドルの後頭部の急所を、軽く叩いた。
ほんの軽く。
しかし、その一打で、バドルの巨体は、ぐらりと膝をついた。
「気絶した」
アイリスが、淡々と告げた。
「捕縛、完了」
ザッシュたちが、敵の剣士二名を制圧した。グラントの射手たちが、後方の遊撃手二名も矢で足を射抜いて動けなくしていた。呪術師二名は、零式の相殺と踏破くんたちの粘着ロープで完全に動きを封じられていた。
戦闘は、終わっていた。
開始から、十分も経っていなかった。
---
レオンが立ち上がった頃には、肋骨の傷はほぼ塞がっていた。
「アイリスさん、お見事でした」
「お前のおかげだ」
「僕、ただ、棍棒を受けただけです」
「あの一撃を、自分の体で全部、受け止めたのが大事だ。バドルが棍棒を振り切った瞬間、姿勢が、ほんの僅か崩れた」
「——その隙、ですか」
「そう」
「今のは、肉壁の正しい使い方、というやつですか」
「正しい使い方、だ」
アイリスはふっと笑った。
「お前を消耗品扱いしているわけではない。お前の不死身を、戦術として、信頼している」
「それは、ありがたいです」
レオンは、にっこり笑った。
ザッシュとグラントが、近づいてきた。
「ステラ・レギア、見事だ」
「ありがとうございます」
「『鉄槌の牙』の主力、これでほぼ壊滅、と見ていい」
「捕縛者、計七名。気絶したバドル、剣士四名、呪術師二名」
「射手二名は、組合に引き渡した後、医者に見せる必要がある」
レオンは頷いた。
「次は、証拠の押収です」
ザッシュの部下たちが、気絶したバドルの懐を探り始めた。
そこから、出てきたものは、——
封蝋付きの羊皮紙が、三通。
レオンが、それを丁寧に開いた。
一通目。『鉄槌の牙』とガレッリ副支部長との、襲撃計画の詳細。日時、場所、ターゲット、襲撃手順、報酬の分配比率。
二通目。組合内部の輸送計画から、ガレッリが抜き取った輸送日程の写し。
三通目。ガレッリ副支部長の自筆の指示書。「メリオン交易会の月曜輸送、襲撃許可。ステラ・レギアの妨害があった場合は、現場で排除のこと」
レオンは、震える手で、その三通目を、もう一度読んだ。
『現場で排除のこと』。
つまり、レオンを含めた、ステラ・レギアの全員を、街道で殺す指示が、組合の副支部長から、闇ギルドに対して、書面で出ていた。
アイリスが、横から覗き込んで、低く言った。
「これは、ガレッリの完全な失脚案件だ」
「はい」
「組合中央本部は、これを見たら、即日でガレッリを解任する」
「ブランドル支部長に、すぐ届けます」
「うむ」
グラントが、唸るように言った。
「街全体に、これを共有させてくれ。商人ギルド十二、全部、知る権利がある」
「もちろんです」
レオンは、書類を慎重に革のファイルに収めた。
護衛確認書と、押収した三通の手紙。
これで、すべて、揃った。
---
メリオン交易会の商隊長が、馬車から降りて、こちらに歩いてきた。
「レオン殿、無事ですか」
「はい、皆、無事です」
「素晴らしい護衛でした」
「商隊の方々の、機転のおかげでもあります。荷の配置の変更、あれは助かりました」
「いえいえ。我々は、命を守っていただいた」
商隊長は、深く頭を下げた。
「契約料の十二万ルナに加えて、危険手当として、別途十万ルナを上乗せさせていただきます」
「そんな、それは——」
「これは、商隊の規定です。襲撃を受けた場合、護衛側に追加報酬を支払う」
「ありがとうございます」
「来月以降の固定契約も、ぜひ継続でお願いします」
「もちろんです」
レオンは深く頭を下げた。
シエラが駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん!」
「シエラちゃん、お疲れさま」
「水の鯨さま、ちゃんと馬車守れた!」
「うん、すごかったよ」
「お兄ちゃん、骨折れたんでしょ。痛くなかった?」
「痛かったけど、もう治ったよ」
「もう、無茶しないでよぉ」
「肉壁の正しい使い方、だったらしい」
「アイリスお姉ちゃん、教えてくれた」
「うん、とてもよく分かった」
シエラは、ぎゅっとレオンの腕を握った。
ルルが零式と踏破くんたちと一緒に、敵の捕縛と戦場の整理を進めていた。
「マスター、敵の捕縛と整理、終わった」
「ありがとう、ルル」
「捕縛した呪術師二名、——『煤色の呪紋』の元構成員」
「やはり、そうか」
「カインの事件で、職を失って、バドルに雇われていた」
「合理的な、仮説の検証だ」
「合理的、な、検証結果」
ルルはぽくぽくと頷いた。
エレーナからの伝書鳩が、空から降りてきた。レオンが受け取って、開いた。
『状況、確認した。ガレッリ動いてる。組合本部、向かってる。急げ』
短い、けれど明瞭な伝言だった。
「アイリスさん、エレーナさんが街でガレッリの動きを掴んでます。たぶん、ガレッリが組合に戻ってきて、状況の操作を始めようとしている」
「すぐ、戻ろう」
「商隊は、——」
商隊長が、横から答えた。
「ザッシュ殿の部下に、メルシェまで護衛を引き継いでもらえれば十分です。お二人は、街にお戻りください」
「私の部下、二名で同行する」
ザッシュが頷いた。
「俺自身は、レオンと一緒に街に戻る。捕縛したバドルを組合に引き渡す必要がある」
「私も、戻ります」
グラントも頷いた。
「商人ギルド連合に、即時、共有する」
「ありがとうございます」
レオンは、四人と十四体の踏破くんと零式に声をかけた。
「ステラ・レギア、街に戻ります」
---
街に戻る道、ザッシュとグラントの部隊が、捕縛した『鉄槌の牙』を連行していた。気絶したバドルを担ぎ、意識を取り戻した剣士たちには両手を縛り、呪術師たちには封術の腕輪を嵌めていた。射手二名は治療を受けてから、後で組合に届ける手筈になった。
レオンとアイリスは、先頭で歩いた。手には、押収した三通の手紙と組合の確認書が入った革のファイル。
街の北門に着いた時、すでに正午を過ぎていた。
街では、エレーナの読み通り、何かが動き始めていた。
組合の表玄関の前に、人だかりができていた。商人ギルドの代表たち、一部の冒険者たち、街の住人たち。何かを知っているような顔ぶれだった。
その中に、エレーナの姿があった。
「お、戻ったね、皆」
エレーナは、いつもの占星術師の正装姿で、街の人々の中央に立っていた。
「全員、無事か」
「無事です」
「ガレッリは、組合の中だ。中央本部から急遽派遣された監察官二名と、面談中らしい」
「監察官」
「ブランドル支部長が、土曜の夜、王都に緊急の使者を出した。それが今朝、王都からの応援の監察官として、ルミナリアに到着した」
ブランドル支部長は、レオンたちの想像以上に、迅速に動いていた。
「ガレッリは、まだ、自分の状況を正確に把握できていない。中央本部の監察官が、なぜ朝から組合に来たのか、彼にとっては想定外だ」
「では、——」
「決定的な物証を、お前らが、本人と監察官の前に、突きつけられる、最高のタイミングだ」
エレーナはふっと笑った。
「あたしの占星台の星読みは、——『当たりすぎないように、半分だけ視る』だが、今日は、全部視えた」
「全部、ですか」
「今日は特別だ。お前らが今日の半分を自分の力で動かしたから、残りの半分がはっきり視えた」
レオンは深く頷いた。
「ありがとうございます、エレーナさん」
「礼は後だ。組合に行け」
レオンとアイリスは、捕縛したバドルと『鉄槌の牙』の構成員たちを、ザッシュ、グラントの部隊と共に、組合の表玄関から、堂々と入っていった。
街の人たちが、ざわめきながら、一行を見送った。
---
組合の支部長執務室。
ブランドル支部長と、王都から派遣された二名の監察官が、ガレッリ副支部長と向かい合っていた。
ガレッリは、明らかに動揺していた。何が起きているか、彼自身、分かりかねていた。
そこへ、扉が大きく開かれた。
レオンとアイリスが入ってきた。手にファイル。後ろに、捕縛したバドルと『鉄槌の牙』の構成員たち。さらに、ザッシュとグラントが立ち会いとして同行。
ガレッリの顔から、血の気が引いた。
ブランドル支部長が、ふっと頷いた。
「ステラ・レギア、無事のお戻りで」
「はい」
「街道での襲撃は」
「ありました。撃退しました。捕縛者七名、押収物三通」
レオンはファイルから、三通の手紙を取り出して、机の上に並べた。
監察官二名が、ぱっと身を乗り出した。
一通目。襲撃計画の詳細。二通目。輸送日程の写し。三通目。ガレッリ副支部長自筆の指示書。
『メリオン交易会の月曜輸送、襲撃許可。ステラ・レギアの妨害があった場合は、現場で排除のこと』。
監察官の一人が、書類をしばらく読み込んだ。それから、ガレッリを見た。
「ガレッリ副支部長、これは貴殿の筆跡、で間違いないですか」
「い、いえ、これは——偽造の可能性が」
「我々は、貴殿の組合への提出書類をすべて把握しています。直近半年分の自筆書類と、この指示書の筆跡を照合する必要があります」
「——」
「現時点では、貴殿を一時的に職務停止とし、王都の中央本部への移送、調査の実施を決定します」
ガレッリの体が、椅子の上で、がくりと崩れた。
ブランドル支部長が、低く言った。
「ガレッリ。あなたが半年前から動いていたことを私は半分把握していた。けれど、決定的な証拠がなかった」
「——」
「今日、ステラ・レギアが、それを持ってきた」
ガレッリは、レオンを、ぎろりと睨んだ。
その目には、もはや威厳はなかった。ただの、追い詰められた人間の目だった。
レオンは、その視線を、まっすぐに受け止めて、丁寧に頭を下げた。
「ガレッリ副支部長」
「——」
「あなたが街にしてきたことを、街は、忘れません」
「——」
「街は、組合を信頼しています。その信頼を、あなたは利用しました。これは、街全体への裏切りです」
「——」
レオンは、それ以上、何も言わなかった。
監察官たちが、ガレッリを連行していった。
ブランドル支部長が、深く頷いた。
「ステラ・レギア、これで終わりです。あなた方の仕事は、見事でした」
「ありがとうございます」
「『鉄槌の牙』のバドル以下、捕縛者は組合が引き取って、王都への移送を手配します。報酬と賞金は、近日中に振り込みます」
「お願いします」
ブランドル支部長は、最後に、レオンとアイリスを見つめた。
「ステラ・レギアは、今日、街を救いました」
「いえ、私たちは——」
「街を救った、と、言っているのです」
ブランドル支部長の声は、静かだったが、確かな重みがあった。
「組合の腐敗をEランクの新興ギルドが、街全体の力を結集して撃ち砕いた。これは、ルミナリアの組合の歴史に残る出来事です」
「——」
「アイリス・エスフィア殿」
「はい」
「ユーリス殿が、もし生きていれば、——必ず、誇りに思います」
アイリスは、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
レオンも、深く頭を下げた。
---
組合を出たのは、夕方近かった。
街の中央広場には、すでに事の顛末が伝わっていた。商人ギルド連合への共有を、グラントが迅速に進めていた。
街の人々が、ステラ・レギアの一行を見て、自然と道を空けた。中には、拍手をする者もいた。乾物屋のおばさんが、店の前から手を振っていた。ガロン爺さんが、職人組合の入口で、煙管を吹かしながら、にやりと笑った。
レオン、アイリス、シエラ、ルル、エレーナ。それと踏破くんたちと零式。
一行は、ステラ・レギアの丘を、ゆっくり登った。
シエラが、両手を組んで、ぴょこんと跳ねた。
「シエラ、今日、頑張った!」
「うん、頑張ったね」
「水の鯨さま、最後まで結界張れた!」
「すごかったよ」
ルルが、零式の頭を、軽く撫でた。
「零式の宝石の相殺機能、想定通り稼働した。合理的な勝利」
「ルルちゃん、ありがとう」
「合理的な貢献」
エレーナが、ワインボトルをいつのまにかどこから持ち出していた。
「家に帰ったら、祝杯だ」
「祝杯ですね」
アイリスが、レオンの肩を、軽く叩いた。
「お前、今日も肉壁を立派に務めたな」
「アイリスさんの剣のおかげで、あれで済みました」
「ふん」
アイリスは、ぷいっと顔を背けた。
けれど、その口元は、ほんのり笑っていた。
レオンは、空を見上げた。
夕暮れの空に、スターフォール・アビスの青白い光が、ぼんやりと浮かび始めていた。
雨の日の玄関先から、約三週間。
『鉄槌のバドル』が残した、「覚えとけ、管理人殿」という言葉。
その答えを、今日、レオンたちは、出した。
肉壁だけのギルドではない、と。
街の人々と、友好ギルドと、組合の正規の力と、すべてを動かして、答えを出した。
「ただいま」
ステラ・レギアの古城の門をくぐった時、レオンは静かに呟いた。
「ただいま」
四人の声が、自然と重なった。
---
その夜。
食堂で、簡単だが温かい祝勝会が開かれた。
エレーナが二本目のワインを開けた。アイリスが今夜は二杯付き合った。シエラがぶどうジュースで何度も乾杯した。ルルが珍しくジュースを一杯飲んだ。
レオンも今夜は、麦酒を一杯だけ飲んだ。
「ステラ・レギアに」
エレーナがグラスを掲げた。
「ステラ・レギアに」
四人が同時に応えた。
ガラスの音が、食堂に響いた。
食後、レオンは自分の部屋に戻った。
机の上に、組合公式の護衛確認書を、丁寧にしまった。
それから、肩当てから銀色の魔道具を取り出した。
ユーリス先生の形見。
今日、二度目の稼働をしていた。バドルとの正面対決のとき、肋骨が砕けた瞬間、かすかに発動していた。完全に痛みを消したわけではないが、致命的な骨片が肺に刺さるのを防いでくれた。
魔道具の表面に、ほんの小さな亀裂が入っていた。
機能は、もう、終わりに近かった。
レオンは、それを丁寧に布で包んで、机の引き出しに入れた。
胸元の四つの形見を、そっと触れた。
「先生、ありがとうございました」
ぽつりと呟いた。
ノックの音がした。
「レオン、いいか」
アイリスの声だった。
「どうぞ」
アイリスが入ってきた。今夜は寝間着姿。手には何も持っていなかった。ただ、レオンの顔を見たくて来た、という顔だった。
「お疲れ」
「アイリスさんも、お疲れさまでした」
「先生の魔道具、——どうなった」
「もう、機能は、終わりに近いです」
レオンは机の引き出しを開けて、布に包まれた魔道具を見せた。
アイリスは、しばらくそれを見つめた。
それから、ふっと小さく息を吐いた。
「役目を、果たしたな」
「はい」
「お前を、二度、守ってくれた」
「はい」
「先生も、満足しているだろう」
「——」
「明日、街の魔道具職人に修理可能か聞いてみる」
「修理、できますか?」
「分からない。けれど、聞くだけは聞く」
「——」
「もし直らなくても、形見として残しておけ」
「はい」
アイリスは、机の上の確認書を、ちらりと見た。
「組合からの賞金、いくら入る予定だ」
「正式な金額は、明日、組合からの通達で分かります。たぶん、五十万ルナ前後」
「五十万」
「『鉄槌の牙』の捕縛、組織犯罪の摘発、街道の安全への貢献。それぞれに賞金がついて、合計でそれくらいになります」
「ふん」
「使い道は、また、皆で相談しましょう」
「うむ」
アイリスは、ふっと笑った。
「お前、本当に管理人として板についてきたな」
「アイリスさんに、認めてもらえると、嬉しいです」
「認めてる、もうずっと」
「——」
「ただ、口に出すかどうかは別だ」
「分かりました」
アイリスはくるりと踵を返した。ドアの前で一度振り返った。
「レオン」
「はい」
「お前、明日はゆっくり寝ろ」
「はい」
「お前の不死身も、心の方は休まないと、もたない」
「アイリスさんも、ゆっくり寝てください」
「私は、いつも通り剣を振ってから寝る」
「——」
「おやすみ」
「おやすみなさい、アイリスさん」
ドアが閉まった。
廊下の奥から、しばらくして剣の素振りの音が、かすかに聞こえてきた。
レオンはベッドに横になった。
肋骨の傷は、もう完全に治っていた。けれど、今日一日の重さが、全身に残っていた。
『鉄槌のバドル』との決着。ガレッリ副支部長の摘発。組合の腐敗構造の打破。メリオン交易会の月曜の輸送の防衛。商人ギルド連合への共有。街の人々の信頼。
そして、——ユーリス先生の形見が、二度の稼働で、ほぼ役目を終えたこと。
レオンは胸元の四つの形見を、そっと撫でた。
「もう、ここまで来ました」
ぽつりと呟いた。
『約束の少女』のお守り。『天界の盾』の紋章。『ヴェスパー』の布切れ。心の中の『家族の星』の図案。
スターフォール・アビスの青白い光が、窓の外で静かに輝いていた。
その底へ向かう旅は、まだ遠い。
けれど、また一歩、進んだ。
確実に、進んだ。
勝利の余韻と、深い静けさを抱えて、ゆっくり更けていった。
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第十七話 了




