『シエラの、名前』
食堂はいつもの平和な賑やかさに戻っていた。
シエラが踏破くん二号を肩に乗せてパンをちぎっていた。アイリスはいつもの席で蜂蜜のかかったオートミールをゆっくり食べている。ルルは煤のない顔で黒パンをこりこりと噛んでいた。
エレーナは今日もまだ起きてこない。昨夜、占星台でまた何かを見ていたらしい。
レオンは四人分のお茶を注いだ。
平和な朝だった。昨日までの激動が嘘のような静けさ。
「お兄ちゃん」
シエラがふと口を開いた。
「うん?」
「今日、シエラ、ちょっと街、行ってきてもいい?」
「うん、もちろん。何か買い物?」
「糸を買いたいの。刺繍の糸」
「刺繍?」
「お母さんが昔やってた刺繍。シエラもやってみたいなって」
シエラはほんの少し頬を染めた。
「お母さん、生きてた時、シエラに教えてくれるつもりだったらしいんだ。でも、結局、教わる前にいなくなっちゃったから」
「そうか」
「だから、自分で習ってみようかなって」
レオンはしばらくシエラを見ていた。
シエラの母親の話を、彼女の口からはっきりと聞いたのは初めてだった。
以前、ぽつりと「お母さんが、いなくなってから、朝にごはんの匂いがする家じゃなかった」と漏らしたこと。それから、自分の姓を訊かれた時に「姓は、大きくなったら自分で決めなさい、ってお母さんが言ってた」と答えたこと。
語ったのは、その二つだけだった。それ以上のことはシエラ自身、語らなかった。レオンも訊かなかった。
けれど今、彼女は自分から刺繍の話をしている。
「付き合ってもいい?」
レオンが訊いた。
「え?」
「いや、刺繍の糸とか、僕、よく分からないけど、重い荷物があったら運ぶよ」
「糸、重くないと思うけど」
「僕も街、用事があるからさ。乾物屋のおばさんにお礼、まだちゃんと言えてないし」
シエラはしばらく目を伏せていた。それから、ちょっとだけ笑った。
「うん。じゃ、お兄ちゃん、一緒に行こう」
アイリスがふと口を開いた。
「私も行く」
「え、お姉ちゃん?」
「糸屋なら私も何度か行ったことがある。良い店、知ってる」
「本当?」
「『天界の盾』時代に、制服の肩当ての糸を補修するのに世話になった店だ」
「わぁ、行きたい!」
ルルがぽくぽくと頷いた。
「ルルは留守番でいい」
「ルル姉ちゃんは行かないの?」
「女三人で糸を選ぶのは、ルルの領分ではない」
「合理的だな」
アイリスが苦笑した。
「ルル、だんだん自分の領分、分かってきたな」
「合理的な自己理解、だ」
シエラがふふと笑った。
「じゃ、午前中、出かけるね、ルル姉ちゃん」
「気をつけて」
「うん!」
---
午前十時。ルミナリアの街路。
レオンとアイリスとシエラは、三人で坂道をゆっくり下った。
秋の青空。風が街路樹のライムの葉をさわさわと揺らしている。市場の賑わいはいつも通り。
シエラは二人の間にはさまれて、嬉しそうに歩いていた。
「お姉ちゃんとお兄ちゃんと、三人で街、出るの初めてかも」
「そうだったか」
「うん、いつも、誰か一人と二人だった」
「では貴重な機会だな」
「うん、貴重!」
シエラは両手をふんわりと組んで、ぴょこんと跳ねるように歩いた。栗色の三つ編みが揺れる。
彼女はステラ・レギアに来てから、随分と変わった、とレオンは思った。
最初の頃の彼女は、こんな風に街を跳ねるように歩いたりはしなかった。あの臆病さ、人混みへの怖さは、まだ完全には消えていない。けれど今日は、二人の隣で彼女は確かに楽しそうだった。
アイリスがふと、ある店の前で足を止めた。
「ここだ」
通りに面した小さな店構え。木の看板に『マルディン服飾店』と墨書きで書かれている。窓に色とりどりの糸玉が並べられていた。
「わぁ、綺麗」
シエラが目を輝かせた。
ベルがちりりんと鳴って、三人は店の中に入った。
店の中はこぢんまりとしている。壁際の棚には、絹糸、麻糸、刺繍糸、毛糸、あらゆる種類の糸が整然と並んでいた。
カウンターの向こうから、一人の年配の女性が顔を上げた。
七十歳ほどの白髪。背は小さく、丸い眼鏡をかけている。手には繊細な針仕事の途中の布切れ。
「いらっしゃ……」
彼女の声が途中で止まった。
レオンとアイリスを見て、それからシエラを見て、ぱちんと目を瞬いた。
「あら」
老婦人はゆっくりと立ち上がった。
「あら、あら——」
カウンターから出てきて、シエラの前にゆっくり近寄ってきた。
シエラは戸惑った顔でアイリスの袖を引いた。
「お、お姉ちゃん——」
老婦人はシエラの目の前で足を止めた。そして、ゆっくり訊いた。
「あなた、もしかして、アンナの子?」
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シエラの息が止まった。
「お、お母さんを、知ってますか?」
「ああ、ああ——」
老婦人の目に涙がにじんだ。
「あの子、あの子の子……」
「——」
「わたし、マルディンよ。あなたのお母さんの、昔、針仕事の師匠だった」
「師匠……」
「あの子は糸の扱いに、ほんとうに繊細でね。わたしの店で、十年以上働いてくれていた」
シエラは息を呑んでいた。
レオンは静かに二人のやり取りを見ていた。アンナというのが、シエラの母親の名前らしい。
シエラは両手をぎゅっと握って、唇を震わせていた。何か言いたい。けれど、何を言ったらいいか分からない。そんな顔だった。
マルディンがシエラの頭をそっと撫でた。
「そう。生きていてくれたのね、あなたが」
「——」
「アンナが亡くなって十年。わたしはずっと、彼女の子がどこに行ったか分からないままで」
「——」
「シエラ。名前、シエラだったかしら」
「はい」
「髪の色、お母さんと同じ栗色」
「——」
「目元も、本当に似ている」
シエラの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。
声を立てずに、ぽろぽろとこぼれた。
レオンは静かにシエラの肩を、後ろからそっと抱いた。
アイリスは一歩退いて、それを見守った。
---
マルディンは店の奥の、小さな応接間に三人を案内してくれた。
紅茶を淹れてくれた。
シエラが少しだけ落ち着くまで、誰も何も言わなかった。
やがてマルディンがゆっくり口を開いた。
「シエラ。わたしの店に来てくれて、ありがとう」
「いえ——」
「お母さんのこと、わたしからお話してもいいかしら」
「はい。お願いします」
シエラは両手で紅茶のカップを包んだ。
マルディンはしばらく目を伏せた。それから、静かに語り始めた。
「アンナは、あなたのお母さんは、本当に優しい人だった」
「——」
「若い頃、ある事件で夫を亡くしてね。あなたのお父さんよ」
「お父さん」
「あなた、お父さんのこと、覚えていない?」
「うん。会ったことない、ってお母さん、言ってた」
「そう。あなたが産まれる前に亡くなったのよね」
「——」
「アンナはそれでも、あなたを産むって決めた。シングル母親で産んで育てる、って覚悟して」
「——」
「わたしの店に雇ってほしいって来たのは、あなたがまだお腹にいた時よ」
「——」
「彼女は本当によく働いてくれた」
マルディンは淡く微笑んだ。
「刺繍の腕、上品で、お客さんから本当に好かれて、うちの店の看板の職人さんだった」
「——」
「あなたが産まれて、アンナは本当に本当に嬉しそうに、毎日、店にあなたを連れてきてた」
「——」
「シエラ、シエラ、可愛いシエラ、ってずっと呼んで——」
シエラの目から、また涙がこぼれた。
マルディンは優しく続けた。
「でも、病気が見つかって——」
「——」
「あなたが五歳の時よね」
「うん」
「アンナはわたしに何度も頼んできた。『シエラをよろしくお願いします』って」
「——」
「でもわたしはその頃、夫を亡くしたばかりで、自分の生活で精一杯だった」
「——」
「あなたを引き取る、と約束できなかった」
「——」
「アンナが亡くなった後、あなたは孤児院に行ったのよね」
「うん」
「わたし、ずっと後悔してた」
マルディンの瞳が潤んでいた。
「あの時わたしが、あなたを引き取っていれば——」
「——」
シエラはしばらく無言で紅茶を見つめていた。
それから、ゆっくり首を振った。
「ううん」
「——」
「マルディンお婆さん、それは、ありがとう、なのです」
「——」
「シエラ、孤児院で頑張って、それからステラ・レギアに拾ってもらって。今は、お兄ちゃんとお姉ちゃんとルル姉ちゃんとエレーナお姉ちゃんと、踏破くんたちと、みんなで暮らしてる」
「——」
「とっても幸せです」
「——」
シエラはにこっと笑った。
「だからお婆さん、後悔しなくてもいいんだよ」
マルディンの頬を涙が伝った。
「あなた、アンナに本当に似ているわ」
「——」
「優しいところが一番似てる」
シエラはぱあっと明るく笑った。
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しばらくして。
マルディンが奥の戸棚から、一冊の布張りの小さなノートを取り出してきた。
「これ、アンナの刺繍の図案集よ」
「え」
「彼女が亡くなる少し前、わたしに預けていったの」
「——」
「『もしシエラがいつか刺繍を習いたくなった時、これを渡してあげて』って」
シエラはそっとノートを受け取った。
布張りの表紙は淡い桜色。糸で丁寧に縫い付けられた小さな星の刺繍が、表紙にちりばめられていた。
「お、お母さんの——」
「シエラ、あなたに渡せてよかった」
「——」
シエラは両手でノートを抱いた。頬にノートを寄せた。
お母さんの十年前の手仕事の温度が、まだそこに残っているような気がした。
レオンはその姿を見て、少しだけ涙が出そうになった。けれど、こらえた。ここで自分が泣くべき場面ではない。これは、シエラとシエラのお母さんの、再会の瞬間だった。
「マルディンお婆さん」
シエラが顔を上げた。
「はい」
「シエラ、刺繍を習いたいです」
「——」
「お母さんの図案集を見ながら、できるようになりたい」
「——」
「教えてください」
マルディンはふっと微笑んだ。
「もちろんよ」
「——」
「シエラ、いつでも店に来てちょうだい」
「うん!」
「わたしができる限りで、アンナの続きを教えるわ」
「ありがとうございます!」
シエラは深く深く頭を下げた。ノートをぎゅっと抱いていた。
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帰り道。
三人で坂道をゆっくり登った。
シエラは新しく買った刺繍糸の束と、母親の図案集を、両手でしっかり抱えていた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん」
「うん」
「シエラ、今日、街、来てよかった」
「うん」
「お母さんが、近くにいる気がした」
「——」
「刺繍の店に行ってみたいって思ったの、たぶんお母さんが、こっちに来なさい、って呼んでくれたのかな」
「たぶん、そうだね」
「うん」
シエラはゆっくり歩いた。しばらく無言で歩いた。
それから、ぽつりと言った。
「お母さん、『姓は大きくなったら自分で決めなさい』って言ってたんだ」
「うん」
「昔、ステラ・レギアの登録の時、シエラ、姓ない、って答えた」
「——」
「でも、本当はね」
シエラは足を止めた。両手で図案集をぎゅっと握った。
「シエラ、もう、決めたいと思う」
「——」
レオンはしばらくシエラを見ていた。アイリスも足を止めて彼女を見た。
「どんな姓にするんだ?」
アイリスが訊いた。
シエラはちょっと頬を染めた。
「『マルディン』ではない」
「うん、それはお婆さんの姓だね」
「でもね、お母さんの刺繍に、一つよく出てくる模様があるの」
「模様」
「図案集の中に、『星』の模様がたくさんある」
シエラは図案集を開いた。
ページをめくると、確かに無数の星の刺繍の図案が描かれていた。小さな五角の星。大きな八角の星。流れ星の軌跡を模した線。星座のような配置の星々。
「お母さん、星が好きだったんだって」
「——」
「スターフォール・アビスの夜空、見るの好きだったって、マルディンお婆さん、さっき言ってた」
「——」
「だから、シエラ、『星』に関係する姓にしたい」
「うん」
「『ステラ』でいいかな」
「——」
「『ステラ・レギア』の『ステラ』」
シエラはふんわりと笑った。
「シエラ・ステラ。お母さんの好きだった星と、シエラの家族のギルドの名前と、両方入ってる」
「——」
レオンはしばらく無言だった。それから、ゆっくり頷いた。
「いい名前だね」
「うん」
「お母さんも、きっと喜ぶと思う」
「——」
「シエラ・ステラ、よろしく」
レオンは軽くお辞儀をした。
シエラはぱあっと顔を明るくして、両手をぎゅっと組んでお辞儀を返した。
「よろしくお願いします、お兄ちゃん!」
アイリスはしばらく二人を見ていた。それから、ふっと笑った。
「ステラ・レギアのシエラ・ステラ、か」
「うん」
「重ねすぎて、ちょっと座りが悪いような気もするが」
「あ、そうかな」
「いや、いいだろう」
アイリスは頷いた。
「よろしく、シエラ・ステラ」
「よろしく、お姉ちゃん!」
秋の午後の風が坂道を撫でていった。シエラの栗色の三つ編みがふわりと揺れた。
母の好きだった星に繋がる姓。それが、彼女が自分で選んだ名前だった。
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ギルドに戻ると、中庭で零式がずんと立っていた。
その足元では、ルルがしゃがみこんで何やら調整作業をしていた。
「お、おかえり」
ルルが顔を上げた。
「ルル姉ちゃん、ただいま!」
シエラがぱたぱたと駆け寄った。
「何してるの?」
「零式の縮小モード、一段進んだ」
「え、本当?」
「理論上、いける。テストはこれから」
ルルは零式の胸元に付けた小さな銀色の装置を、軽く叩いた。
「『縮約魔石』と名付けた。零式の魔力を一時的に圧縮する装置」
「おお」
「これで街中歩く時、ちっこくなる」
「どれくらいちっこく?」
「身長、五十センチ程度になる予定」
「え、そんなに?」
「合理的なサイズ。子犬と同じくらい」
「うわぁ、見たい、見たい!」
ルルはぽくぽくと頷いた。
「では起動」
ルルが装置をぽちっと押した。
零式の胸元の宝石がきゅぃぃぃぃんと高い音を立てた。光がふわっと零式を包んだ。
そして光が収まった時。そこには身長五十センチ程度の小さな零式が、ちょこんと立っていた。
頭部のレンズも、胸の宝石も、そのまま縮んだ形。ただ、可愛らしくぷにっとしている。
シエラの目が見開いた。
「可愛い! 可愛い! ルル姉ちゃん、超かわいい!」
「合理的なサイズ」
「合理的じゃなくて可愛い!」
零式がちょこんとお辞儀した。
レオンも思わず笑った。
「零式、ぷにってる」
「——」
零式は新しいサイズの自分の体を、ぐるりと見回した。それからゆっくりルルの方を向いて、ちょこちょこと走り寄ってルルの足元にぴたっとしがみついた。
「——!?」
「零式、安心を表現している」
ルルはちょっとだけ頬を染めた。
「ルル、抱っこする?」
「大型機が抱っこを——いや、論理的に可能だ」
ルルは小さな零式を、両手でひょいと抱き上げた。零式はルルの胸元にちょこんと収まった。
ルルが零式を抱き上げる、その姿。それはもう、彼女の家族の姿だった。
シエラがにまっと笑った。
「ルル姉ちゃん、お母さんみたい」
「——」
「零式くん、ルル姉ちゃんの子供だもんね」
「合理的には孫」
「情緒的には子供」
「——情緒的、ね」
ルルは零式を抱きしめながら、静かに頷いた。
「確かに、情緒的だな」
---
その夜。
食堂で夕食だった。
エレーナが今夜はちゃんと起きていた。
「おう、騒がしい一日だったみたいじゃないか」
ワインを片手に、彼女はにやりと笑った。
「情報の回収」
ルルが簡潔に報告した。
「シエラの母上の針仕事の師匠と再会。図案集を入手」
「——」
「シエラの姓を決定。『ステラ』」
「——」
「零式の縮小モード、テスト成功。現在、ルルの膝の上で待機」
確かに、食卓の下で小さな零式がルルの靴の横にちょこんと座っていた。
エレーナはぽかんと口を開けた。それから、ぷっと噴き出した。
「あんたら、一日で随分進んだねえ」
「合理的に進めた」
「合理的の域を超えてないかい、これ」
レオンが笑った。
「それで、シエラちゃん、姓決まったの、報告です」
「シエラ・ステラ」
シエラがぴょこんと頭を下げた。
「よろしくお願いします、エレーナお姉ちゃん」
エレーナはワインをぐいっと呷って、ふと目を伏せた。
「シエラ」
「はい」
「いい姓だ」
「——」
「お母さん、喜ぶよ」
「うん」
エレーナはにっこり笑った。
「明日から新しいシエラとして頑張りな」
「うん!」
食卓にいつもの賑わいが戻った。踏破くんたちが給仕を続けていた。零式はテーブルの下でちょこちょこと動き回って、踏破くんたちと何かコミュニケーションを取っているようだった。
家族がまた一段、深まった夜だった。
---
夜遅く。
シエラがレオンの部屋を訪ねてきた。
「お兄ちゃん、まだ起きてる?」
「うん」
「ちょっといい?」
「もちろん」
シエラは寝間着にガウンを羽織って、両手に母の図案集を抱えていた。ベッドの端にちょこんと腰掛けた。
「あのね」
「うん」
「今日ね——」
シエラはぽつりと言った。
「お兄ちゃんに、お礼言いたかったの」
「お礼?」
「マルディンお婆さんと出会ったの、お兄ちゃんがシエラに付き添ってくれたから」
「あれは偶然だよ」
「でも、お兄ちゃん、『一緒に行こう』って言ってくれた」
「——」
「シエラ、もし一人で街に行ってたら、お婆さんに会えても、たぶんちゃんとお話できなかったと思う」
「——」
「シエラ、お兄ちゃんが隣で肩、抱いてくれて、だからお話できた」
「——」
シエラはちょっと頬を染めた。
「だから、ありがとう」
レオンはしばらくシエラを見ていた。それから、穏やかに笑った。
「どういたしまして」
「——」
「シエラちゃん、よかったね、お母さんの図案集、もらえて」
「うん」
「大切にするんだよ」
「うん。ずっと一緒にいる」
シエラはぎゅっと図案集を抱いた。そして、そっと頁を開いた。
「お兄ちゃん、見て」
「うん?」
「この星の模様、気に入ってるの」
シエラが指差したページに、中央に大きな八角の星。その周囲に小さな五角の星が七つ。さらにそれらを繋ぐ細い線が流れるように描かれていた。
「きれいだね」
「お母さんの最後の図案らしいの」
「——」
「マルディンお婆さん、教えてくれた。『これ、彼女が亡くなる少し前に考えた図案で、とても特別なものなのよ』って」
「特別?」
「『家族』を表してるんだって」
「——」
「大きな星はお母さん。周りの小さな星はシエラと、シエラを囲む人たち」
「——」
「お母さん、シエラに『大きくなったら、たくさんの家族に囲まれて欲しい』って願って描いた図案だって」
「——」
レオンはしばらくその刺繍の図案を見ていた。
中央の大きな星。それを囲む七つの小さな星。
アイリス、ルル、エレーナ、レオン、ガロン爺さん、踏破くんたち、零式——いや、もっともっとたくさんの。シエラを囲む人たち。
「シエラちゃん」
「はい」
「お母さんの願い、叶ってるね」
「——」
シエラの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。笑顔のままでこぼれた。
「うん」
「叶ってる」
「——」
シエラは図案集をぎゅっと胸に抱いた。そして、レオンにぴたっと寄り添った。
もう、何も言わなかった。ただしばらく、二人で月明かりを見つめていた。
窓の外でスターフォール・アビスの青白い光が夜空に輝いていた。
その空のずっと遠くで、シエラのお母さんがどこかから見ていてくれるような気がした。
「お兄ちゃん」
「うん」
「シエラ、シエラ・ステラとして、明日からちゃんと頑張るね」
「うん」
「シエラの家族のために」
「うん」
「お兄ちゃんのためにも」
「うん、ありがとう」
シエラはこっくりと頷いた。それからぴょこんと立ち上がって——
「おやすみなさい、お兄ちゃん!」
「おやすみ、シエラちゃん」
ドアがぱたっと閉まった。
レオンはしばらく月明かりを見ていた。
『家族』を表す星の図案。シエラのお母さんが、彼女に残した願い。それは今、確かにステラ・レギアの中で形になっていた。
レオンは胸元の三つの形見を撫でた。
『約束の少女』のお守り。『天界の盾』の紋章。『ヴェスパー』の布切れ。
そして心の中に、もう一つ加わった——『家族』の星の図案。
「おやすみ、みんな」
ぽつりと呟いた。
夜が、静かに、温かく更けていった。
---
第十三話 了




