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13/25

『シエラの、名前』

食堂はいつもの平和な賑やかさに戻っていた。


シエラが踏破くん二号を肩に乗せてパンをちぎっていた。アイリスはいつもの席で蜂蜜のかかったオートミールをゆっくり食べている。ルルは煤のない顔で黒パンをこりこりと噛んでいた。


エレーナは今日もまだ起きてこない。昨夜、占星台でまた何かを見ていたらしい。


レオンは四人分のお茶を注いだ。


平和な朝だった。昨日までの激動が嘘のような静けさ。


「お兄ちゃん」


シエラがふと口を開いた。


「うん?」


「今日、シエラ、ちょっと街、行ってきてもいい?」


「うん、もちろん。何か買い物?」


「糸を買いたいの。刺繍の糸」


「刺繍?」


「お母さんが昔やってた刺繍。シエラもやってみたいなって」


シエラはほんの少し頬を染めた。


「お母さん、生きてた時、シエラに教えてくれるつもりだったらしいんだ。でも、結局、教わる前にいなくなっちゃったから」


「そうか」


「だから、自分で習ってみようかなって」


レオンはしばらくシエラを見ていた。


シエラの母親の話を、彼女の口からはっきりと聞いたのは初めてだった。

以前、ぽつりと「お母さんが、いなくなってから、朝にごはんの匂いがする家じゃなかった」と漏らしたこと。それから、自分の姓を訊かれた時に「姓は、大きくなったら自分で決めなさい、ってお母さんが言ってた」と答えたこと。

語ったのは、その二つだけだった。それ以上のことはシエラ自身、語らなかった。レオンも訊かなかった。

けれど今、彼女は自分から刺繍の話をしている。


「付き合ってもいい?」


レオンが訊いた。


「え?」


「いや、刺繍の糸とか、僕、よく分からないけど、重い荷物があったら運ぶよ」


「糸、重くないと思うけど」


「僕も街、用事があるからさ。乾物屋のおばさんにお礼、まだちゃんと言えてないし」


シエラはしばらく目を伏せていた。それから、ちょっとだけ笑った。


「うん。じゃ、お兄ちゃん、一緒に行こう」


アイリスがふと口を開いた。


「私も行く」


「え、お姉ちゃん?」


「糸屋なら私も何度か行ったことがある。良い店、知ってる」


「本当?」


「『天界の盾』時代に、制服の肩当ての糸を補修するのに世話になった店だ」


「わぁ、行きたい!」


ルルがぽくぽくと頷いた。


「ルルは留守番でいい」


「ルル姉ちゃんは行かないの?」


「女三人で糸を選ぶのは、ルルの領分ではない」


「合理的だな」


アイリスが苦笑した。


「ルル、だんだん自分の領分、分かってきたな」


「合理的な自己理解、だ」


シエラがふふと笑った。


「じゃ、午前中、出かけるね、ルル姉ちゃん」


「気をつけて」


「うん!」


---


午前十時。ルミナリアの街路。


レオンとアイリスとシエラは、三人で坂道をゆっくり下った。


秋の青空。風が街路樹のライムの葉をさわさわと揺らしている。市場の賑わいはいつも通り。


シエラは二人の間にはさまれて、嬉しそうに歩いていた。


「お姉ちゃんとお兄ちゃんと、三人で街、出るの初めてかも」


「そうだったか」


「うん、いつも、誰か一人と二人だった」


「では貴重な機会だな」


「うん、貴重!」


シエラは両手をふんわりと組んで、ぴょこんと跳ねるように歩いた。栗色の三つ編みが揺れる。


彼女はステラ・レギアに来てから、随分と変わった、とレオンは思った。


最初の頃の彼女は、こんな風に街を跳ねるように歩いたりはしなかった。あの臆病さ、人混みへの怖さは、まだ完全には消えていない。けれど今日は、二人の隣で彼女は確かに楽しそうだった。


アイリスがふと、ある店の前で足を止めた。


「ここだ」


通りに面した小さな店構え。木の看板に『マルディン服飾店』と墨書きで書かれている。窓に色とりどりの糸玉が並べられていた。


「わぁ、綺麗」


シエラが目を輝かせた。


ベルがちりりんと鳴って、三人は店の中に入った。


店の中はこぢんまりとしている。壁際の棚には、絹糸、麻糸、刺繍糸、毛糸、あらゆる種類の糸が整然と並んでいた。


カウンターの向こうから、一人の年配の女性が顔を上げた。


七十歳ほどの白髪。背は小さく、丸い眼鏡をかけている。手には繊細な針仕事の途中の布切れ。


「いらっしゃ……」


彼女の声が途中で止まった。


レオンとアイリスを見て、それからシエラを見て、ぱちんと目を瞬いた。


「あら」


老婦人はゆっくりと立ち上がった。


「あら、あら——」


カウンターから出てきて、シエラの前にゆっくり近寄ってきた。


シエラは戸惑った顔でアイリスの袖を引いた。


「お、お姉ちゃん——」


老婦人はシエラの目の前で足を止めた。そして、ゆっくり訊いた。


「あなた、もしかして、アンナの子?」


---


シエラの息が止まった。


「お、お母さんを、知ってますか?」


「ああ、ああ——」


老婦人の目に涙がにじんだ。


「あの子、あの子の子……」


「——」


「わたし、マルディンよ。あなたのお母さんの、昔、針仕事の師匠だった」


「師匠……」


「あの子は糸の扱いに、ほんとうに繊細でね。わたしの店で、十年以上働いてくれていた」


シエラは息を呑んでいた。


レオンは静かに二人のやり取りを見ていた。アンナというのが、シエラの母親の名前らしい。


シエラは両手をぎゅっと握って、唇を震わせていた。何か言いたい。けれど、何を言ったらいいか分からない。そんな顔だった。


マルディンがシエラの頭をそっと撫でた。


「そう。生きていてくれたのね、あなたが」


「——」


「アンナが亡くなって十年。わたしはずっと、彼女の子がどこに行ったか分からないままで」


「——」


「シエラ。名前、シエラだったかしら」


「はい」


「髪の色、お母さんと同じ栗色」


「——」


「目元も、本当に似ている」


シエラの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。


声を立てずに、ぽろぽろとこぼれた。


レオンは静かにシエラの肩を、後ろからそっと抱いた。


アイリスは一歩退いて、それを見守った。


---


マルディンは店の奥の、小さな応接間に三人を案内してくれた。


紅茶を淹れてくれた。


シエラが少しだけ落ち着くまで、誰も何も言わなかった。


やがてマルディンがゆっくり口を開いた。


「シエラ。わたしの店に来てくれて、ありがとう」


「いえ——」


「お母さんのこと、わたしからお話してもいいかしら」


「はい。お願いします」


シエラは両手で紅茶のカップを包んだ。


マルディンはしばらく目を伏せた。それから、静かに語り始めた。


「アンナは、あなたのお母さんは、本当に優しい人だった」


「——」


「若い頃、ある事件で夫を亡くしてね。あなたのお父さんよ」


「お父さん」


「あなた、お父さんのこと、覚えていない?」


「うん。会ったことない、ってお母さん、言ってた」


「そう。あなたが産まれる前に亡くなったのよね」


「——」


「アンナはそれでも、あなたを産むって決めた。シングル母親で産んで育てる、って覚悟して」


「——」


「わたしの店に雇ってほしいって来たのは、あなたがまだお腹にいた時よ」


「——」


「彼女は本当によく働いてくれた」


マルディンは淡く微笑んだ。


「刺繍の腕、上品で、お客さんから本当に好かれて、うちの店の看板の職人さんだった」


「——」


「あなたが産まれて、アンナは本当に本当に嬉しそうに、毎日、店にあなたを連れてきてた」


「——」


「シエラ、シエラ、可愛いシエラ、ってずっと呼んで——」


シエラの目から、また涙がこぼれた。


マルディンは優しく続けた。


「でも、病気が見つかって——」


「——」


「あなたが五歳の時よね」


「うん」


「アンナはわたしに何度も頼んできた。『シエラをよろしくお願いします』って」


「——」


「でもわたしはその頃、夫を亡くしたばかりで、自分の生活で精一杯だった」


「——」


「あなたを引き取る、と約束できなかった」


「——」


「アンナが亡くなった後、あなたは孤児院に行ったのよね」


「うん」


「わたし、ずっと後悔してた」


マルディンの瞳が潤んでいた。


「あの時わたしが、あなたを引き取っていれば——」


「——」


シエラはしばらく無言で紅茶を見つめていた。


それから、ゆっくり首を振った。


「ううん」


「——」


「マルディンお婆さん、それは、ありがとう、なのです」


「——」


「シエラ、孤児院で頑張って、それからステラ・レギアに拾ってもらって。今は、お兄ちゃんとお姉ちゃんとルル姉ちゃんとエレーナお姉ちゃんと、踏破くんたちと、みんなで暮らしてる」


「——」


「とっても幸せです」


「——」


シエラはにこっと笑った。


「だからお婆さん、後悔しなくてもいいんだよ」


マルディンの頬を涙が伝った。


「あなた、アンナに本当に似ているわ」


「——」


「優しいところが一番似てる」


シエラはぱあっと明るく笑った。


---


しばらくして。


マルディンが奥の戸棚から、一冊の布張りの小さなノートを取り出してきた。


「これ、アンナの刺繍の図案集よ」


「え」


「彼女が亡くなる少し前、わたしに預けていったの」


「——」


「『もしシエラがいつか刺繍を習いたくなった時、これを渡してあげて』って」


シエラはそっとノートを受け取った。


布張りの表紙は淡い桜色。糸で丁寧に縫い付けられた小さな星の刺繍が、表紙にちりばめられていた。


「お、お母さんの——」


「シエラ、あなたに渡せてよかった」


「——」


シエラは両手でノートを抱いた。頬にノートを寄せた。


お母さんの十年前の手仕事の温度が、まだそこに残っているような気がした。


レオンはその姿を見て、少しだけ涙が出そうになった。けれど、こらえた。ここで自分が泣くべき場面ではない。これは、シエラとシエラのお母さんの、再会の瞬間だった。


「マルディンお婆さん」


シエラが顔を上げた。


「はい」


「シエラ、刺繍を習いたいです」


「——」


「お母さんの図案集を見ながら、できるようになりたい」


「——」


「教えてください」


マルディンはふっと微笑んだ。


「もちろんよ」


「——」


「シエラ、いつでも店に来てちょうだい」


「うん!」


「わたしができる限りで、アンナの続きを教えるわ」


「ありがとうございます!」


シエラは深く深く頭を下げた。ノートをぎゅっと抱いていた。


---


帰り道。


三人で坂道をゆっくり登った。


シエラは新しく買った刺繍糸の束と、母親の図案集を、両手でしっかり抱えていた。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん」


「うん」


「シエラ、今日、街、来てよかった」


「うん」


「お母さんが、近くにいる気がした」


「——」


「刺繍の店に行ってみたいって思ったの、たぶんお母さんが、こっちに来なさい、って呼んでくれたのかな」


「たぶん、そうだね」


「うん」


シエラはゆっくり歩いた。しばらく無言で歩いた。


それから、ぽつりと言った。


「お母さん、『姓は大きくなったら自分で決めなさい』って言ってたんだ」


「うん」


「昔、ステラ・レギアの登録の時、シエラ、姓ない、って答えた」


「——」


「でも、本当はね」


シエラは足を止めた。両手で図案集をぎゅっと握った。


「シエラ、もう、決めたいと思う」


「——」


レオンはしばらくシエラを見ていた。アイリスも足を止めて彼女を見た。


「どんな姓にするんだ?」


アイリスが訊いた。


シエラはちょっと頬を染めた。


「『マルディン』ではない」


「うん、それはお婆さんの姓だね」


「でもね、お母さんの刺繍に、一つよく出てくる模様があるの」


「模様」


「図案集の中に、『星』の模様がたくさんある」


シエラは図案集を開いた。


ページをめくると、確かに無数の星の刺繍の図案が描かれていた。小さな五角の星。大きな八角の星。流れ星の軌跡を模した線。星座のような配置の星々。


「お母さん、星が好きだったんだって」


「——」


「スターフォール・アビスの夜空、見るの好きだったって、マルディンお婆さん、さっき言ってた」


「——」


「だから、シエラ、『星』に関係する姓にしたい」


「うん」


「『ステラ』でいいかな」


「——」


「『ステラ・レギア』の『ステラ』」


シエラはふんわりと笑った。


「シエラ・ステラ。お母さんの好きだった星と、シエラの家族のギルドの名前と、両方入ってる」


「——」


レオンはしばらく無言だった。それから、ゆっくり頷いた。


「いい名前だね」


「うん」


「お母さんも、きっと喜ぶと思う」


「——」


「シエラ・ステラ、よろしく」


レオンは軽くお辞儀をした。


シエラはぱあっと顔を明るくして、両手をぎゅっと組んでお辞儀を返した。


「よろしくお願いします、お兄ちゃん!」


アイリスはしばらく二人を見ていた。それから、ふっと笑った。


「ステラ・レギアのシエラ・ステラ、か」


「うん」


「重ねすぎて、ちょっと座りが悪いような気もするが」


「あ、そうかな」


「いや、いいだろう」


アイリスは頷いた。


「よろしく、シエラ・ステラ」


「よろしく、お姉ちゃん!」


秋の午後の風が坂道を撫でていった。シエラの栗色の三つ編みがふわりと揺れた。


母の好きだった星に繋がる姓。それが、彼女が自分で選んだ名前だった。


---


ギルドに戻ると、中庭で零式がずんと立っていた。


その足元では、ルルがしゃがみこんで何やら調整作業をしていた。


「お、おかえり」


ルルが顔を上げた。


「ルル姉ちゃん、ただいま!」


シエラがぱたぱたと駆け寄った。


「何してるの?」


「零式の縮小モード、一段進んだ」


「え、本当?」


「理論上、いける。テストはこれから」


ルルは零式の胸元に付けた小さな銀色の装置を、軽く叩いた。


「『縮約魔石』と名付けた。零式の魔力を一時的に圧縮する装置」


「おお」


「これで街中歩く時、ちっこくなる」


「どれくらいちっこく?」


「身長、五十センチ程度になる予定」


「え、そんなに?」


「合理的なサイズ。子犬と同じくらい」


「うわぁ、見たい、見たい!」


ルルはぽくぽくと頷いた。


「では起動」


ルルが装置をぽちっと押した。


零式の胸元の宝石がきゅぃぃぃぃんと高い音を立てた。光がふわっと零式を包んだ。


そして光が収まった時。そこには身長五十センチ程度の小さな零式が、ちょこんと立っていた。


頭部のレンズも、胸の宝石も、そのまま縮んだ形。ただ、可愛らしくぷにっとしている。


シエラの目が見開いた。


「可愛い! 可愛い! ルル姉ちゃん、超かわいい!」


「合理的なサイズ」


「合理的じゃなくて可愛い!」


零式がちょこんとお辞儀した。


レオンも思わず笑った。


「零式、ぷにってる」


「——」


零式は新しいサイズの自分の体を、ぐるりと見回した。それからゆっくりルルの方を向いて、ちょこちょこと走り寄ってルルの足元にぴたっとしがみついた。


「——!?」


「零式、安心を表現している」


ルルはちょっとだけ頬を染めた。


「ルル、抱っこする?」


「大型機が抱っこを——いや、論理的に可能だ」


ルルは小さな零式を、両手でひょいと抱き上げた。零式はルルの胸元にちょこんと収まった。


ルルが零式を抱き上げる、その姿。それはもう、彼女の家族の姿だった。


シエラがにまっと笑った。


「ルル姉ちゃん、お母さんみたい」


「——」


「零式くん、ルル姉ちゃんの子供だもんね」


「合理的には孫」


「情緒的には子供」


「——情緒的、ね」


ルルは零式を抱きしめながら、静かに頷いた。


「確かに、情緒的だな」


---


その夜。


食堂で夕食だった。


エレーナが今夜はちゃんと起きていた。


「おう、騒がしい一日だったみたいじゃないか」


ワインを片手に、彼女はにやりと笑った。


「情報の回収」


ルルが簡潔に報告した。


「シエラの母上の針仕事の師匠と再会。図案集を入手」


「——」


「シエラの姓を決定。『ステラ』」


「——」


「零式の縮小モード、テスト成功。現在、ルルの膝の上で待機」


確かに、食卓の下で小さな零式がルルの靴の横にちょこんと座っていた。


エレーナはぽかんと口を開けた。それから、ぷっと噴き出した。


「あんたら、一日で随分進んだねえ」


「合理的に進めた」


「合理的の域を超えてないかい、これ」


レオンが笑った。


「それで、シエラちゃん、姓決まったの、報告です」


「シエラ・ステラ」


シエラがぴょこんと頭を下げた。


「よろしくお願いします、エレーナお姉ちゃん」


エレーナはワインをぐいっと呷って、ふと目を伏せた。


「シエラ」


「はい」


「いい姓だ」


「——」


「お母さん、喜ぶよ」


「うん」


エレーナはにっこり笑った。


「明日から新しいシエラとして頑張りな」


「うん!」


食卓にいつもの賑わいが戻った。踏破くんたちが給仕を続けていた。零式はテーブルの下でちょこちょこと動き回って、踏破くんたちと何かコミュニケーションを取っているようだった。


家族がまた一段、深まった夜だった。


---


夜遅く。


シエラがレオンの部屋を訪ねてきた。


「お兄ちゃん、まだ起きてる?」


「うん」


「ちょっといい?」


「もちろん」


シエラは寝間着にガウンを羽織って、両手に母の図案集を抱えていた。ベッドの端にちょこんと腰掛けた。


「あのね」


「うん」


「今日ね——」


シエラはぽつりと言った。


「お兄ちゃんに、お礼言いたかったの」


「お礼?」


「マルディンお婆さんと出会ったの、お兄ちゃんがシエラに付き添ってくれたから」


「あれは偶然だよ」


「でも、お兄ちゃん、『一緒に行こう』って言ってくれた」


「——」


「シエラ、もし一人で街に行ってたら、お婆さんに会えても、たぶんちゃんとお話できなかったと思う」


「——」


「シエラ、お兄ちゃんが隣で肩、抱いてくれて、だからお話できた」


「——」


シエラはちょっと頬を染めた。


「だから、ありがとう」


レオンはしばらくシエラを見ていた。それから、穏やかに笑った。


「どういたしまして」


「——」


「シエラちゃん、よかったね、お母さんの図案集、もらえて」


「うん」


「大切にするんだよ」


「うん。ずっと一緒にいる」


シエラはぎゅっと図案集を抱いた。そして、そっと頁を開いた。


「お兄ちゃん、見て」


「うん?」


「この星の模様、気に入ってるの」


シエラが指差したページに、中央に大きな八角の星。その周囲に小さな五角の星が七つ。さらにそれらを繋ぐ細い線が流れるように描かれていた。


「きれいだね」


「お母さんの最後の図案らしいの」


「——」


「マルディンお婆さん、教えてくれた。『これ、彼女が亡くなる少し前に考えた図案で、とても特別なものなのよ』って」


「特別?」


「『家族』を表してるんだって」


「——」


「大きな星はお母さん。周りの小さな星はシエラと、シエラを囲む人たち」


「——」


「お母さん、シエラに『大きくなったら、たくさんの家族に囲まれて欲しい』って願って描いた図案だって」


「——」


レオンはしばらくその刺繍の図案を見ていた。


中央の大きな星。それを囲む七つの小さな星。


アイリス、ルル、エレーナ、レオン、ガロン爺さん、踏破くんたち、零式——いや、もっともっとたくさんの。シエラを囲む人たち。


「シエラちゃん」


「はい」


「お母さんの願い、叶ってるね」


「——」


シエラの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。笑顔のままでこぼれた。


「うん」


「叶ってる」


「——」


シエラは図案集をぎゅっと胸に抱いた。そして、レオンにぴたっと寄り添った。


もう、何も言わなかった。ただしばらく、二人で月明かりを見つめていた。


窓の外でスターフォール・アビスの青白い光が夜空に輝いていた。


その空のずっと遠くで、シエラのお母さんがどこかから見ていてくれるような気がした。


「お兄ちゃん」


「うん」


「シエラ、シエラ・ステラとして、明日からちゃんと頑張るね」


「うん」


「シエラの家族のために」


「うん」


「お兄ちゃんのためにも」


「うん、ありがとう」


シエラはこっくりと頷いた。それからぴょこんと立ち上がって——


「おやすみなさい、お兄ちゃん!」


「おやすみ、シエラちゃん」


ドアがぱたっと閉まった。


レオンはしばらく月明かりを見ていた。


『家族』を表す星の図案。シエラのお母さんが、彼女に残した願い。それは今、確かにステラ・レギアの中で形になっていた。


レオンは胸元の三つの形見を撫でた。


『約束の少女』のお守り。『天界の盾』の紋章。『ヴェスパー』の布切れ。


そして心の中に、もう一つ加わった——『家族』の星の図案。


「おやすみ、みんな」


ぽつりと呟いた。


夜が、静かに、温かく更けていった。


---


第十三話 了

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