『煤色の、呪縛』
冒険者組合の、応接室。
石造りの、質素な、小さな部屋だった。中央の、楕円の木の机を、挟んで、向かい側の席に——
一人の、痩せた、若い男が、座っていた。
黒い、フードつきの、ローブ。フードは、下ろしている。見えているのは、病的に白い、頬。紫がかった、細い、瞳。薄い唇。黒髪は、肩に、乱雑に、流れている。
年齢は、二十六、七といったところか。アイリスと、同世代。
彼の、両手の指には、合わせて、八つの、銀の指輪。それぞれに、小さな、黒い、宝石が、嵌まっていた。呪術師の、象徴的な、装備、だった。
『煤色の呪紋』、ギルドマスター、カイン・モーラン。
「——『ステラ・レギア』の、ご一同」
彼は、にこりとも、笑わずに、口を、開いた。
声は、乾いていた。
「——貴殿らの、『三条件』を、拝見、させて、いただきました」
「——はい」
レオンが、丁寧に、答えた。
こちら側には、レオンと、アイリスの、二人。他の幹部は、ギルドで、待機、という形に、した。交渉は、小規模な方が、動きやすい。
カインは、ローブの袖から、一枚の羊皮紙を、取り出した。レオンたちが、昨日の夕方に、組合経由で送った、三条件、の、書面、だった。
彼は、それを、机の上に、広げた。
そして、指で、一条ずつ、なぞりながら、読み上げた。
「——一、古代遺跡の、場所の、事前明示」
「はい」
「——二、戦闘中の、指揮系統は、ステラ・レギア幹部の判断を、尊重」
「——」
「——三、報酬の、参加ギルドごとの、均等配分」
カインの、細い唇の端が、ほんの少し、上がった。
「——若き、管理人殿は、ずいぶんと、慎重、であられるようで」
「——」
「——『呑まないなら、受けない』、という、最後の一行も、拝見、いたしました」
「はい」
「一月前まで、借金まみれだった、Fランクの、ギルドの、新任マスターが、——天下の『煤色の呪紋』に、条件を、つけて、くる、とは」
「——」
「良い、度胸、ですね」
皮肉、だった。
明らかに。
アイリスの、肩が、ほんのり、強ばったのが、レオンには、分かった。
けれど、アイリスは、何も、言わなかった。
レオンが、先に、穏やかに、口を、開いた。
「——光栄です」
「——」
「『天下の、煤色の呪紋』様が、我らの、条件を、書面で、わざわざ、読み上げてくださる。——我らの、ギルドの、名誉です」
カインの、紫の、瞳が、すう、と、細まった。
「——ふむ」
しばらく、彼は、レオンを、観察するように、見ていた。
そして、ゆっくりと、羊皮紙を、机に、置いた。
「——条件、一について、お答え、いたしましょう」
「はい」
「——古代遺跡の、場所は、十五階層の、『沈み鐘』。——お伝え、いたします」
「——ありがとうございます」
「——二、について」
「はい」
「——『戦闘中の、指揮系統は、ステラ・レギア幹部の判断を、尊重』——これは、呑みかねます」
「——」
「——合同任務の、指揮権は、主催ギルドに、あります。これは、組合の、原則」
カインは、机の、真鍮の、コインを、指先で、くるくる、と、回した。
「——ただし、『紅蓮のアイリス』殿の、判断を、——我々は、敬意をもって、聴く」
「——」
「——『命令』、ではなく、『助言』として、扱わせて、いただく」
レオンは、少し、考えた。
そして、アイリスを、ちらり、と、見た。
アイリスは、わずかに、頷いた。
——呑める範囲、だった。
合同任務の、指揮権を、完全に、譲るのは、カインの、面子上、無理だろう、というのは、想定内。『敬意をもって聴く』と、公式に、書面化されれば、充分だった。
「——呑みます」
レオンは、頷いた。
「ただし、書面に、『敬意をもって、聴く』という、一文を、明記、していただきたい」
「——それは、構いません」
「——報酬、三について」
「はい」
「——均等配分、で、結構です」
カインは、あっさりと、頷いた。
「当方の、参加ギルドは、『ステラ・レギア』のみ。他、二つの、Dランクギルドが、同行します。合計、四ギルド。報酬六十万ルナを、四等分。——各十五万ルナ」
「——承知、いたしました」
「——以上で、よろしいか」
「はい」
レオンは、頷いた。
そして、ゆっくりと、頭を、下げた。
「——よろしくお願い、申し上げます」
カインは、しばらく、レオンを、観察した。
それから、ふっ、と、笑った。
——笑みは、冷ややかだった。
「——管理人殿」
「はい」
「——『肉壁の若造』、という、巷の、渾名、ご存じですか?」
レオンは、にっこりと、笑った。
「——存じています」
「——」
「——不死身の、肉壁、であることは、事実、ですので」
「——」
「——渾名は、事実を、褒めて、いただいている、と、受け取らせて、いただいています」
カインの、瞳が、ほんの少しだけ、揺れた。
それから、彼は、静かに、頷いた。
「——出発は、明後日の、朝、六時。迷宮入口、集合、です」
「了解、いたしました」
カインは、静かに、立ち上がり、ローブの裾を、翻して、応接室を、出ていった。
扉が、閉まった後。
アイリスが、ふう、と、長い息を、吐いた。
「——レオン」
「はい」
「——お前、今の返しは、よかった」
「——ありがとうございます」
「『渾名は、事実を、褒めて、いただいている』、か」
「——」
「——思いついたのは、いつ、だ」
「さっき、思いつきました」
「——」
「そうですね、五年かけて、今、開花した感じです」
「五浪も、無駄じゃ、なかった、ってことか」
「——そう、思いたいです」
アイリスは、ふっ、と、笑った。
---
ギルドへの、帰り道。
坂道を、二人で、登りながら、アイリスが、ぽつりと、言った。
「——カインは、まだ、何か、隠してる」
「分かります?」
「——あの、紫の、瞳」
「はい」
「——あれは、呪術師の、目ではない」
「——違うんですか」
「——呪術師は、相手を、『呪う』視線を、持つ」
「——」
「——カインの、目は、——『観察する』目、だ」
「観察?」
「我々を、品定め、している。——『使えるか、使えないか』、ではない。もっと、別の、何か」
「——」
「——分からない。勘、だ」
アイリスは、少しだけ、眉を、寄せた。
「——とにかく、明後日、迷宮で、——気を、抜くなよ」
「はい」
「——ルルにも、零式にも、万全の、準備を、させておこう」
「——はい」
---
その夜。
食堂の、円卓で、作戦会議、が、開かれた。
踏破くん、十四体は、いつも通り、給仕と、片付けを、しながら、時々、会議の、テーブルの上に、ひょい、と、乗って、耳を傾けている、ような、仕草を、した。
アイリス、レオン、ルル、シエラ、エレーナ。
そして、食堂の、隅には、巨大な、零式が、壁に、寄りかかるように、静かに、佇んでいた。
ルルが、懐から、折り畳まれた、羊皮紙を、取り出して、広げた。
「——迷宮十五階層、『沈み鐘』、の、地図」
テーブルの上に、広げられたのは、ルル謹製の、ステラ・レギア独自の、調査資料、だった。
「え、ルル姉ちゃん、こんなの、持ってたの!?」
シエラが、目を、丸くした。
「——組合の、公開資料を、元に、ルルが、過去の記録を、再構築した。二日前に、完成した」
「二日前!?」
「——『煤色の呪紋』が、『沈み鐘』の、名を、出さなくても、——合理的に、推定した」
「推定?」
「——十五階層の、古代遺跡は、二つ。『螺旋廊』と、『沈み鐘』。——大人数の、合同任務を、組むのは、『沈み鐘』側。——内部空間が、広いから」
「——なるほど」
アイリスが、頷いた。
「——論理的な、推定、だ」
「——合理的、だ」
ルルは、ぽくぽくと、頷いた。
「で、『沈み鐘』とは、どんな場所なんだ?」
レオンが、訊いた。
ルルは、地図の、中央の、円形の、広間を、指した。
「——巨大な、吊り鐘、型の、石造構造物が、中央にある。直径、三十メートル、高さ、四十メートル。内部は、空洞」
「大きい」
「——古代、『始原の民』の、祭祀施設、と、されている」
——『始原の民』。
その、名前が、出た時。
レオンの、胸元の、お守りが、ほんの一瞬、静かに、震えた。気がした。
レオンは、顔色を、変えずに、聞いていた。
けれど、エレーナが、ちらり、と、視線を、レオンに、送った。
『始原の民』——第2話で、エレーナが、レオンに、言った、言葉。
彼女だけが、——その、意味を、知っている。
ルルは、続けた。
「——伝承では、『沈み鐘』の、地下に、何かが、封じられている、と、される」
「何か?」
「——『その名を、呼べば、世界が、揺れる、もの』」
「——だいぶ、物騒だな」
「——伝承、だ。信憑性は、低い」
「——でも、古代遺跡の、調査、ってのは、それを、確かめる、って、ことだろう?」
「——そう、解釈、するのが、合理的」
アイリスが、小さく、頷いた。
「カインの、狙いは、何だ」
「——不明」
ルルは、首を、振った。
「——『煤色の呪紋』が、十五階層の、古代遺跡の、調査を、することで、得られる、利益が、——通常の、報酬以上、に、ある、はず」
「組合の、依頼料以外に」
「——たぶん、副次的な、狙いが、ある」
アイリスは、テーブルに、指を、置いた。
「副次的な、狙い、が、『沈み鐘』の、地下の、封じられたもの、——だとしたら」
「——危険、だ」
「私たちは、それを、知らずに、連れて行かれる」
「——」
食卓が、静かになった。
エレーナが、ワインを、ゆっくり、啜って、口を、開いた。
「——占星術師として、一言、言わせて、もらえるかい」
「どうぞ」
「今夜、——『沈み鐘』の、方角の、星が、ざわついている」
「ざわつく、とは」
「——何かが、動き出す、予兆、だ」
「——」
「あたしの、占い、半分しか、視えないけど」
「はい」
「——あたしたちが、関わらなければ、『動き出す、はずだった』、ものが、——『あたしたちが、関わる、ことで、違う動きをする』、かもしれない」
アイリスが、ふっ、と、目を、細めた。
「——良い動き、悪い動き?」
「——そこまでは、視えない」
エレーナは、肩を、すくめた。
「ただ、——強い、何かだ。半端じゃ、ない」
「——」
しばらく、食卓が、沈黙した。
やがて、レオンが、静かに、口を、開いた。
「——皆さん」
「うん」
「——僕らは、今回の、合同任務を、『受ける』側、です」
「——」
「——でも」
レオンは、ゆっくりと、言った。
「——『受ける』というのは、『カインの、駒になる』、ということじゃ、ないです」
アイリスが、頷いた。
「——ステラ・レギアとして、独自の、目的を、持って、参加する」
「はい」
「——我らの、目的は?」
「——生きて、全員で、帰ってくる」
レオンは、淡々と、言った。
「——もう一つ、——もし、『沈み鐘』で、何かが、起きた時、——僕らは、カインに、命令されて、動くんじゃなく、——僕ら自身の、判断で、動く」
「——」
「——『敬意をもって、聴く』、けれど、——盲従は、しない」
アイリスが、静かに、頷いた。
「——それが、管理人の、判断か」
「——はい」
「——いいだろう」
アイリスは、頷いた。
「——では、明日は、装備の、最終確認、だ。明後日の、朝、六時、迷宮の、入口に、集合」
「——零式は、連れて、いくな?」
ルルが、確認した。
「——連れて、行く。——縮小モードは、間に合わないが、あの重量は、タンクとして、必須だ」
「——了解」
ルルは、頷いた。
シエラが、ぎゅ、と、小さな拳を、握った。
「——シエラも、ちゃんと、呼びます!」
「——うん、頼んだよ」
エレーナは、一口、ワインを、啜って、呟いた。
「——占星台、今夜、徹夜で、覗くよ。——何か、見えたら、すぐ、教える」
「——ありがとう、エレーナ」
レオンは、頷いた。
ステラ・レギアの、十二日目の、夜が、静かに、しかし、確かな、緊張を、抱えて、更けていった。
---
十四日目、朝、五時半。
迷宮都市ルミナリアの、中央。
スターフォール・アビスの、縁。
まだ、薄暗い、朝の空気の中で、四つのギルドの、合同パーティーが、集合しようとしていた。
『煤色の呪紋』。——マスター、カイン・モーラン。幹部、四人。計五名。
『斜陽の盾』。——Dランク。マスター、中年の、大剣使い。計五名。
『虎牙の商隊』。——Dランク。マスター、恰幅のいい、商人兼冒険者。計四名。
そして、『ステラ・レギア』。——マスター、レオン・ヴェスパー。アイリス、シエラ、ルル。計四名。
加えて、零式。
合計、十八名+零式。
集合場所の、広場に、零式が、ずん、と、姿を現した時——
他のギルドの、冒険者たちが、一斉に、振り返った。
「——なんだ、あれ」
「でかい、銀色の、ゴーレムだぞ」
「あれが、噂の、『踏破くん、零式』か」
ざわめき、が、起きた。
カインが、冷ややかに、こちらを、見た。
「——ほう」
彼は、ひとこと、呟いた。
「——『踏破くん、零式』、実物を、初めて、見ました」
「——はい」
ルルが、短く、答えた。
「大きい、ですね」
「——合理的な、サイズ、です」
「——ふむ」
カインは、零式の、胸元の、赤い、大きな宝石を、じっ、と、見た。
数秒間。
そして、ふと、目を、逸らした。
けれど、その、目を、逸らす瞬間——
レオンは、カインの、頬が、——ほんの僅か、動いたのを、見た。
驚き、か。
——あるいは、何か、を、認識した、反応。
エレーナの、言葉が、耳の奥で、蘇った。
『何かが、動き出す、予兆、だ』
レオンは、何も、言わずに、カインの、背中を、見ていた。
---
迷宮、第十五階層。
空気は、六日前に、初めて、入った、第八階層の、それとも、また、違った。
一層の、柔らかな、青白い光。
八層の、湿って、冷たい、岩の匂い。
——そして、十五層の、空気は、『重い』、の、ひと言に、尽きた。
何かが、見られている、ような、圧迫感。
古い、石造りの、大通路。天井は、非常に、高い。壁には、失われた、文字で、何かが、彫り込まれている——それは、『始原の民』の、文字、と、言われているが、今、誰にも、読めない、と、されている。
進軍は、静か、だった。
先頭は、『煤色の呪紋』の、呪術師たち。中衛に、『斜陽の盾』の、剣士たち。後衛の左、『虎牙の商隊』の、射手たち。後衛の右、ステラ・レギアの一行。
零式は、ステラ・レギアの、正面を、守る位置に、配置、された。
カインは、先頭で、時々、両手の指輪を、揺らしながら、進んだ。
——彼は、ゆっくりと、呪術で、魔物を、排除していた。
驚くべき、効率で。
小型の、獣型魔物が、通路の脇から、現れる。カインが、指輪を、かすかに、揺らす。魔物は、数秒後、膝を、折り、そのまま、崩れ落ちる。
『呪い』——直接の、攻撃、ではない。相手の、身体機能を、壊す、術。
残酷だが、——確かに、効率的、だった。
アイリスが、小声で、レオンに、言った。
「——カイン、呪術師として、相当の、腕、だな」
「——はい」
「——ただし、長期戦には、向かない。呪いは、魔力消費が、大きい」
「——」
「——彼が、『同行者』を、募ったのは、——彼が、倒れた後を、誰かに、任せるためだ」
「——」
「——我々は、彼の、予備電源、のような、役割だ」
「——」
レオンは、頷いた。
---
三時間後。
一行は、『沈み鐘』の、外周に、辿り着いた。
通路が、ぱっ、と、開けた。
目の前に、——
巨大な、『鐘』、が、あった。
直径、三十メートル。高さ、四十メートル。石造りの、巨大な、吊り鐘。それは、床から、ずしん、と、鎮座していて、上部は、洞窟の、天井に、届きそうなほど、高かった。
鐘の、表面には、無数の、古代文字の、刻印。
鐘の、底には、ぽっかりと、入口の、穴。
レオンの、胸元の、お守りが、——今度は、はっきりと、震えた。
ほんの、ごくわずか、だった。
けれど、確かに、震えた。
——なに、これ。
レオンは、指先で、胸元を、そっと、押さえた。
アイリスが、それに、気づいた。
「——どうした?」
「——いえ、少し」
「——本当か」
「——」
レオンは、少し、躊躇った後、小声で、答えた。
「——胸元の、お守りが、震えました」
「——?」
アイリスが、真紅の瞳を、細くした。
「——古びた、円環の、方か?」
「——はい」
「————ふむ」
アイリスは、ちらり、と、『沈み鐘』を、見た。
「——後で、エレーナに、報告しよう。今は、動くな」
「——はい」
カインが、パーティー全員を、集めた。
「——諸君」
彼の、声が、鐘の、広間に、反響した。
「——ここが、『沈み鐘』。古代の、祭祀施設」
「——」
「調査の、手順を、説明いたします」
カインは、指の、一本、一本を、立てながら、説明を、始めた。
「一、『煤色の呪紋』、並びに、『斜陽の盾』は、鐘の、内部に、入ります。中央の、祭壇、と、されている、場所の、調査を、行います」
「——」
「二、『虎牙の商隊』、並びに、『ステラ・レギア』は、鐘の、外周を、警戒します。——魔物の、侵入を、食い止めること」
「——」
アイリスの、眉が、動いた。
『ステラ・レギア』が、鐘の、中に、入らない——
カインは、明らかに、鐘の『中』の、核心部分を、他ギルドに、見せたくない、のだった。
レオンは、すぐに、答えた。
「——承知、いたしました」
アイリスが、ちょっと、振り返った。
レオンは、小さく、頷いてみせた。
『敬意をもって、聴く』、の、範疇、だった。
ここで、争う必要は、ない。
カインは、『煤色の呪紋』の、幹部、並びに、『斜陽の盾』のメンバーを、連れて、——
鐘の、入口の、穴の、中へ、消えていった。
---
鐘の、外周。
『虎牙の商隊』が、石柱の陰で、休憩、並びに、射手配置に、就いた。
ステラ・レギアの、四人、並びに、零式は、鐘の、反対側に、回り、警戒位置に、着いた。
ここから、一時間。
あるいは、二時間、の、——警戒、業務。
アイリスが、小さな声で、言った。
「——ルル」
「なんだ」
「——零式の、索敵、広範囲で、かけておいてくれ」
「——了解」
零式の、赤い宝石が、ゆっくりと、脈打った。
探査の、光線が、石造りの、大広間を、ふわり、と、撫でた。
「——生体反応、現時点、魔物の、群れは、遠方。——ただし——」
零式の、機械音声が、不意に、言い淀んだ。
「——だし?」
「——鐘、内部、異常、検知」
「——異常?」
ルルの、ゴーグル越しの、瞳が、すう、と、細まった。
「——零式、詳細、報告」
「——鐘、内部、中央の、祭壇——異常な、魔力反応——巨大、かつ、増大中」
「——!」
アイリスが、剣の、柄に、手をかけた。
「——中で、何かが、起き始めている」
「——」
「レオン!」
「はい」
「——これは、警戒位置、から、出る、案件、かも、しれない」
「——」
「——カインが、何かを、発動、させようとしている」
「——」
レオンは、胸元に、手を、当てた。
古びた、お守りが、さっきより、強く、震えていた。
「——アイリスさん」
「なんだ」
「——もう、動いていいかも、しれません」
「——理由は」
「お守りが、震えてます。——強く」
アイリスは、しばらく、考えた。
それから、頷いた。
「——信じる」
「——」
「——動くぞ。ルル、零式、指示を」
「——了解」
ルルは、零式の、胸元に、触れた。
「——零式、鐘の、入口へ、誘導」
「——了解」
零式が、ずん、と、前に、進み始めた。
シエラが、ぎゅ、と、小さな拳を、握った。
「——シエラも、呼ぶ準備、します」
「——頼んだ」
---
鐘の、入口。
重たい、石の、通路。
ずんずん、と、零式の、足音が、響いた。
足音に、気づいたのか、——反対側で、休憩していた、『虎牙の商隊』の、マスターが、駆け寄ってきた。
「おい、ステラ・レギア、何を、している」
「——鐘の、内部に、異常」
ルルが、短く、答えた。
「——?」
「——零式の、索敵で、確認。中で、大きな、魔力反応が、増大中」
「——な、それ、警戒、位置、じゃ、なくて、いいのか」
「——」
「——指揮権は、『煤色の呪紋』に、ある、だろうが」
商隊マスターが、眉を、寄せた。
アイリスが、静かに、答えた。
「——『ステラ・レギア』として、独自の、判断だ。——書面に、『敬意をもって、聴く』、とある。盲従ではない」
「——」
「——もし、あなた達も、鐘に、異変を、感じるなら、——同行を」
「——」
商隊マスターは、しばらく、沈黙した。
それから、自分のギルドの、メンバーを、振り返った。
「——俺らも、行く。——待機の、指示、より、命のほうが、重い」
射手たち、三人が、弓を、持ち替えて、頷いた。
合計、九名+零式。
鐘の、入口へ、——急行した。
---
鐘の、内部。
巨大な、石の、ドームの、空洞。
中央に、祭壇が、あった。
円形の、石の、祭壇。直径、十メートル。上面には、『始原の民』の、文字が、螺旋状に、刻まれている。
その、祭壇の、中央に——
カインが、立っていた。
両手を、祭壇の、上の、何かに、かざしている。指の、八つの、指輪が、紫色の、光を、放っている。
祭壇の、表面からは、——赤い、もやが、立ち上り始めていた。
カインの、周りに、——『煤色の呪紋』の、幹部、四人、並びに、『斜陽の盾』の、剣士たちが、——膝を、ついて、倒れていた。
意識は、ある。——が、身体が、動かない。
カインの、呪術、だ。
彼は、仲間たちを、意識ごと、生きたまま、祭壇の、『贄』、に、している、のだった。
「——なっ——!」
商隊マスターが、声を、上げた。
カインは、ゆっくり、振り返った。
紫の、瞳が、ぬらり、と、笑った。
「——おや、おや」
「——お前、これは、何の、真似だ!」
「——見ての、通りです」
カインの、声は、穏やかだった。
穏やかな、まま、彼は、続けた。
「——『沈み鐘』の、封印を、解くには、——生者の、魂を、『鍵』として、九つ、必要」
「——」
「合同任務の、同行者、合計、——十八名」
「——」
「——『煤色の呪紋』五名、『斜陽の盾』五名、『虎牙の商隊』四名、『ステラ・レギア』四名。——九名を、選んで、祭壇に、捧げる。残りの、九名は、生き残って、——『鍵』の、稼働を、見届ける、役回り」
アイリスの、剣が、抜かれた。
「——カイン、貴様——」
「——『ステラ・レギア』を、警戒位置に、残したのは、——そう、あなた方を、生かす側に、置くためでは、ありません」
カインは、細い、笑みを、浮かべた。
「——動きやすい、場所に、置いて、——逃げる時間を、与えず、——最後に、祭壇に、投げ込むため、です」
「——!」
アイリスの、真紅の、瞳が、燃えた。
「——貴様、最初から、そのつもりで——」
「——『煤色の呪紋』の、目的は、『封印の、解除』。——それで、私は、古代の、呪力を、手に、入れる」
「——」
「——あとは、簡単です。——ここで、あなた方を、始末、すれば、——誰も、私の、罪を、語れない」
カインの、両手が、さっ、と、広がった。
祭壇の、赤い、もやが、——大きく、ぶわっ、と、広がった。
もやは、意志を、持った、蛇のように、地面を、這い、——そして、
アイリス、レオン、ルル、シエラ、零式、『虎牙の商隊』の、全員に、——同時に、巻き付こうと、した。
「——呪縛、『九鎖』!」
カインが、叫んだ。
---
赤い、呪いの、蛇は、一瞬で、——全員に、絡みついた、ように、見えた。
けれど。
——零式の、胸元の、赤い宝石が、ぼう、と、強く、輝いた。
その、輝きに、触れた、呪いの、蛇が、——ずる、と、後退った。
「————!?」
カインの、瞳が、見開かれた。
零式の、宝石が、赤い、呪いの、もやを、——『拒絶』、していた。
ルルが、素早く、情報を、整理した。
「——『始原の民』の、呪力、同士は、——相殺する」
「——」
「——零式の、動力源の、宝石は、——『始原の民』の、古代遺物」
「——」
「——あんたの、『九鎖』の、呪術は、——『始原の民』の、呪力を、使っている」
「——」
「——同質の、呪力は、——弱い方が、吸収される」
ルルの、ゴーグル越しの、瞳が、鋭く、光った。
「——零式は、『盾』、だ。——『始原の民』の、呪い、から、我々を、守る盾」
——しゅう、と。
零式の、赤い、もやが、広がった。
それは、カインの、呪いの、蛇を、——ゆっくり、押し戻していった。
九名の、誰一人、——動けなくなる者は、いなかった。
アイリスの、剣が、燃え上がった。
「——カイン・モーラン」
「——」
「——貴様の、呪縛、効かない」
「——」
アイリスは、一歩、前に、出た。
「——覚悟、しろ」
---
戦闘、と、呼ぶには、あまりにも、短かった。
カインは、呪術師、だった。
自分の、呪いが、効かなくなった瞬間、——彼は、『戦闘力の、無い、男』、だった。
アイリスの、『紅蓮の剣星』が、祭壇の、両脇を、綺麗に、薙ぎ、赤いもやを、吹き飛ばした。
シエラが、『風の雄鷹』を、召喚。雄鷹の、翼が、カインを、祭壇から、引きずり落とした。
ルルの、踏破くん、数体が、倒れていた冒険者たちに、駆け寄り、呪縛の、残滓を、吸収し始めた。零式の、赤い宝石の、力を、踏破くんたちが、分有していた。
商隊マスターの、射手たちが、カインに、矢を、向けた。
『斜陽の盾』の、剣士たちが、意識を、取り戻し、呪縛から、脱した。彼らも、カインに、剣を、突きつけた。
カインは、祭壇の、下で、倒れて、動かなくなった。
呪術師としての、魔力は、大半を、儀式に、使って、涸れていた。
彼は、もう、『呪う』ことも、『戦う』ことも、できなかった。
---
祭壇の、赤い、もやは、静かに、消えていった。
カインが、解きかけていた、『封印』、——
それは、——まだ、完全には、解けていなかった。
ルルが、祭壇を、しばらく、観察した、後、言った。
「——封印は、再、定着した。——カインの、発動が、中断したので、——呪術は、未完。封印は、保たれた」
「——そうか」
アイリスが、頷いた。
「——良かった」
「——ただし」
ルルは、眉を、寄せた。
「——『沈み鐘』の、祭壇の、下には、——確かに、何かが、眠っている」
「——」
「零式の、宝石は、それに、——反応、していた」
「——」
「——これは、ステラ・レギアだけで、抱えるには、——大きすぎる、案件、だ」
アイリスが、頷いた。
「——組合に、正式に、報告、だな」
「——」
「——カインの、犯行、並びに、『沈み鐘』の、封印の、件」
「——」
「——後者は、組合の、上層部と、相談、だ」
「——」
パーティー全員が、倒れたカインと、『煤色の呪紋』の、幹部たち、並びに、『斜陽の盾』の、剣士たち、を、介抱した。
意識は、戻りつつ、あった。
誰も、死者は、出なかった。
ステラ・レギアの、——『全員で、生きて、帰る』、という、目標は、達成された。
---
帰り道。
迷宮の、通路を、ゆっくりと、一行は、戻っていた。
カインは、縛られ、他の冒険者の、肩に、担がれていた。意識は、戻っていたが、何も、語らなかった。
『斜陽の盾』の、マスターが、アイリスの、横に、並んだ。
中年の、大剣使いの、男、だった。
「——紅蓮の、アイリス殿」
「——」
「——助けられました」
「——こちらこそ」
「——あんたら、——いや、ステラ・レギアの、判断が、なかったら、——俺ら、皆、『贄』に、なっていた」
「——」
アイリスは、穏やかに、答えた。
「——我らの、『肉壁』が、役に、立ちました」
「——」
「——『ステラ・レギア』、だ。——肉壁だけじゃ、ない」
大剣使いは、深々と、頭を、下げた。
「——これから、組合で、報告書を、書く。俺と、『虎牙』、両方とも、——『ステラ・レギアの、判断で、救われた』、と、明記する」
「——」
「——あんたら、Eランクに、なったばかり、だったな」
「——はい」
「——次の、昇格は、もっと、早いかも、しれない」
アイリスは、ちょっと、笑った。
「——一歩、ずつ、で、結構」
「——そうかい」
大剣使いは、にっ、と、笑った。
「——まあ、覚えとく」
レオンは、少し、離れたところで、胸元の、お守りを、そっと、握っていた。
古びた、円環。
もう、震えては、いなかった。
けれど、指の下で、確かに、温かかった。
——『沈み鐘』。
——『始原の民』。
——眠る、『何か』。
分からない、ことは、多かった。
けれど、今日、ステラ・レギアは、——カインの、『駒』には、ならなかった。
自分たちの、判断で、動いて、——九名全員を、生きて、帰す、ことが、できた。
それで、今日は、充分だった。
---
ギルドに、帰ったのは、夜、遅く、だった。
玄関で、エレーナが、ワインボトル片手に、——今日は、『アスラクス家』の、ローブ、姿で、——待っていた。
「——おかえり」
「——ただいま」
「——全員、生きて、帰ったね」
「——はい」
「——何、起きた、話は、明日の、朝に、聞こう」
エレーナは、にっこりと、笑った。
「——今夜は、——食べて、寝な」
「——はい」
食堂に、簡単な、温かい、夕食が、用意、されていた。エレーナが、作って、くれた、らしい。
——『アスラクス家』の、秘伝の、ハーブが、入った、シチュー、だった。
一口、すすった時、全員の、身体が、——じんわり、と、温まった。
疲労と、緊張が、ゆっくり、解けていった。
食卓で、シエラが、ぽつり、と、呟いた。
「——シエラ、今日、頑張ったよ」
「うん、頑張ったよ、シエラちゃん」
「風の、雄鷹さま、綺麗に、呼べた」
「うん」
「——でも、お兄ちゃんが、——胸元の、お守りで、異変に、気づいたから、——間に合った」
「——」
「——お兄ちゃん、お守り、何?」
——シエラが、訊いた。
食卓の、全員の、視線が、レオンに、集まった。
レオンは、しばらく、迷った。
そして、胸元から、古びた、円環の、お守りを、取り出した。
「——これ」
「わあ、ちっちゃい」
「——小さい頃に、——女の子から、もらったんだ」
「——女の子?」
「——夢で、ずっと、会う、女の子、なんだけどね」
「——え、夢?」
「——」
「——大人になったら、会おうね、って、指切り、した」
——食卓が、静かになった。
エレーナが、ちら、と、アイリスを、見た。
アイリスは、じっと、お守りを、見ていた。
ルルは、ゴーグル越しの、瞳で、お守りを、じっと、観察した。
「——マスター」
「うん」
「——その、お守りの、紋様——」
「——」
「——今日、祭壇に、刻まれていた、文字の、一つと、——同じだ」
「——」
食卓が、完全に、沈黙した。
エレーナが、ゆっくりと、口を、開いた。
「——『始原の民』の、紋章、だね」
「——」
「——あたしは、前に、そう、言った」
「——」
「——少年、——あんたの、夢に、出てくる、その、『約束の少女』、——ひょっとしたら、——」
エレーナは、そこで、言葉を、切った。
しばらく、彼女は、グラスの、中の、赤いワインを、見ていた。
そして、ぽつりと、続けた。
「——迷宮の、底に、近い、ところに、いるんじゃ、ないかい」
——レオンの、指先が、かすかに、震えた。
アイリスが、ゆっくり、口を、開いた。
「——それは」
「——」
「——『再会の、祭壇』、——と、呼ばれている、場所の、——話、か」
エレーナが、一口、ワインを、啜った。
「——そうかも、しれない」
「——迷宮の、最深部、百階層」
「——」
「——『ステラ・レギア』、——Fから、Eになった、ばかりの、ギルドが、目指すには、——遠い、場所、だ」
「——」
「でも」
アイリスは、真っ直ぐに、レオンを、見た。
「——お前は、そこに、行きたいんだな」
「——」
レオンは、しばらく、沈黙した。
お守りを、両手で、包んだ。
そして、静かに、頷いた。
「——はい」
「——なら」
アイリスは、静かに、立ち上がった。
「——ステラ・レギアは、そこに、行く」
「——」
「——Fから、Eへ」
「——」
「——Eから、D。——DからC。——CからB。——BからA。——AからS」
アイリスの、声は、静かだった。
「——一歩ずつ、上がって、——お前の、約束の、場所に、辿り着く」
「——」
「——それが、ギルドの、目標だ」
食卓の、全員が、——しばらく、沈黙した。
それから、シエラが、ぎゅ、と、両手を、握った。
「——シエラ、頑張る」
ルルが、頷いた。
「——零式も、踏破くんも、——全部、強化する。——合理的に、最深部まで、連れて、いく」
エレーナが、ワインを、ぐい、と、飲み干した。
「——あたしも、星を、読む。——迷宮の、底まで」
食卓が、一つに、なった。
レオンは、その、一つひとつの、顔を、見た。
そして、静かに、頷いた。
「——ありがとうございます、みんな」
お守りが、——温かかった。
---
深夜。
レオンが、自分の、部屋で、眠りに、就こうとしていた時。
——とん、とん、と、扉が、軽く、叩かれた。
「——どうぞ」
アイリスが、入ってきた。
片手に、小さな、紙包み。
「——レオン」
「——はい」
「——迷宮十五層、奥が、深い、だろう」
「——はい」
「——今夜、お前の、胸元の、お守りが、震えた、というの、——本当、だな」
「——はい」
アイリスは、ベッドの、端に、そっと、座った。
「——お前」
「——はい」
「——あの、『約束の少女』が、——本当に、迷宮の、底に、いる、と、——思っているのか」
「——」
レオンは、しばらく、考えた。
そして、正直に、答えた。
「——分かりません」
「——」
「——でも、夢の中で、『再会の、祭壇』、と、呼ばれる、場所で、指切りを、した」
「——」
「——そして、今日、——『沈み鐘』で、お守りが、震えた」
「——」
「——何かが、繋がっている、気は、する」
「——」
アイリスは、うなずいた。
そして、紙包みを、レオンの、膝の上に、そっと、置いた。
「——これは」
「——あの子——『約束の少女』の、お守りと、——」
アイリスは、静かに、続けた。
「——『天界の盾』の、紋章、と、——二つ、並べて、持ってるんだろう」
「——はい」
「——今日、——迷宮で、お前が、死ぬかも、と、思った、瞬間が、あった」
「——」
「——その時、私、——お守りを、二つも、持ってるお前が、——ひどく、遠く、見えた」
「——」
「——私にも、守れる範囲、まで、——近く、いて、欲しい」
紙包みを、開くと、
中には、——小さな、布切れ、だった。
アイリスの、制服の、肩当ての、裏地と、同じ、色の、布。
そこに、銀糸で、静かに、『ヴェスパー』、と、縫い取られて、いた。
「——これは」
「——私の、手先は、剣と、同じくらい、多少は、まとも、だ」
アイリスは、ぷい、と、顔を、背けた。
「——家族の、印、だ。——お前の、姓の、布切れ」
「——」
「——お守りの、横に、しまっておけ」
「——アイリスさん」
「——」
「——ありがとうございます」
「——礼は、いらん」
アイリスは、ぷい、と、顔を、背けた。
ふ、と、また、こちらを、見た。
「——レオン」
「——はい」
「——私の、『銀色の、誓い』は、——お前の、『約束の、祭壇』、まで、共に、行く」
「——」
「——忘れるな」
「——はい」
アイリスは、立ち上がった。
扉の、ところで、一度、振り返った。
「——おやすみ、レオン」
「——おやすみなさい、アイリスさん」
扉が、静かに、閉まった。
レオンは、紙包みの、布切れを、そっと、開いた。
『ヴェスパー』。
銀糸の、字が、月明かりに、柔らかく、光った。
彼は、古びた、円環の、お守りと、『天界の盾』の、銀色の、紋章と、——
そして、アイリスの、布切れ、を、——
三つ、並べて、胸元の、ポケットに、そっと、仕舞った。
窓の外で、スターフォール・アビスの、青白い光が、夜空を、静かに、照らしていた。
その、光の、深い、深い、底に。
——『再会の、祭壇』が、眠っている、かもしれない。
『ステラ・レギア』は、もう、走り出していた。
一歩、ずつ、だが、——確実に。
---
第十一話 了




