第四章
全ての手配を恙無く終え、万全の態勢で今日と言う日を迎える。
空は青々と晴れ、秋の残り香を漂わせながら冬の空気を微かに入り混じらせる。
本日は、世界にとって一年に一度きりの特別な日。しかも、四年に一度のお当番です。
当然気合も入りますが、空回りをしては元も子もありません。適度な緊張のまま、普段以上の働きを。
使用人としての矜持を。
「さて、皆さん。おはようございます」
発声も兼ねて挨拶から。呼びかければ、目の前に並んだ十余名の使用人たちが声を揃えて朝の声を響かせました。
どうやら腑抜けているような方はいらっしゃらないようですね。結構。それではわたくしも、より良き手本となるように振る舞わなければなりませんね。
「ご存じの通り、本日は一年に一度の会談────四大国会談が開催されます」
四大国会談。それはその名の通り、このフェルクレールトの大地に存在する四つの国、それぞれの長が集まって行われる、世界の行く末を決断する会議の場でございます。
「予てよりの決定通り、今年はここ、カリーナ共和国での開催となります。会談の期間中は、他国からの重要なお客様が幾人も来訪なさいます。その中にはもちろん、国内外に影響力のあるお方も多数お目見えになります。わたくしたちは、その方々も含め、期間中の身の回りのお世話をこなし、無事各々の国へとお帰しすることが責務となります」
四大国会談と一言に言っても、その場は多岐に渡ります。
もちろんの事、国を預かる方々のお話こそが最重要ではございます。しかしそれ以外にも他国の諸侯たちが来国され、それぞれ親交の深い家同士の話し合いや、はたまた新たな交友関係を築かれたりもされます。
つまり四大国会談とは、各国の長が世界の趨勢を話し合い、指針を定めることを前提とした、大規模な社交界と言うわけでございます。
そうなれば当然、カリーナ共和国内……殊に、国の中心であるカリーナ城下町には、多数のお客様がいらっしゃることになります。
立派な家柄の方々はそれぞれの家にお抱えの使用人を雇い、その方々を身辺の世話役としてお連れになります。
しかしながら、他国であるカリーナではそれに見合った振る舞いや礼節がございます。その全てをお客様、および使用人の方々が全て存じ上げているというのは稀でございます。
その辺りの、事前の準備や突然の想定外な出来事など、不足している部分を補う事が、今回わたくしたちに課された使命となります。
「それぞれの持ち場に関しましては、事前に伝達した情報に相違ありません。各々の責務に邁進し、カリーナ共和国の使用人足る責任と矜持を以って、皆様にご満足いただけるように誠心誠意の働きを期待します」
失敗は、自らの咎ではない。その自覚がない者がここにいるとは思いませんが、改めて言葉にしておきましょう。
「また、事前の割り振り通り、皆さんの総括はわたくし、ジネット・シンストラが勤めます。個人での対処に問題、もしくは不備等が発生した場合は、速やかにわたくしへ連絡ください」
返った規律の取れた声に、わたくしも一層気を引き締めて彼女達を見渡します。
顔は既に覚えていて。誰がどこを担当するかも頭に入っていて。彼女たちの今日一日の行動予定は、空でも暗唱できます。
そして何より、彼女たちが失敗などしないと信じることこそが、全てを成功へ導く鍵であると知っています。
ここにいる者達ならば、どのような事態にも対処ができる。そう確信するに足る仲間に安堵さえ覚えながら、彼女達と気持ちを重ねます。
「では皆さん。本日も斯く足れと!」
「「「使い用いるは人の心!」」」
それは、カリーナに仕える使用人の訓示。
物ではなく、人であれ。考える陰であれ。
そう胸に抱いて、本日の大舞台へと、身を投じるのであります。
目的地へ向かう途中、角の向こうから聞き間違えてはならない人物の足音を捉えました。
直ぐに足を止め、壁際へ。目を閉じ、音だけで全てを知り、そこを曲がって姿を現したお方へ静かに腰を曲げる。
「ん、おぉ、ジネットか」
「おはようございます、陛下」
陛下。わたくしが敬意を込めてお呼びするその敬称は、ここカリーナ共和国の大統領、グンター・コルヴァズその人でございます。
わたくしが国とは別に仕えるお屋敷、アルレシャ家の旦那様であるルドガー様のお父様。
この国では誰からも尊敬される、実質の国の主であられる陛下は、共和国と言う国の形式上、本来は国王の肩書きとは異なります。
多数の諸侯たちからなる議会によって国の運営を司るという、明確な王を頂かない共和国。しかしながら今回の四大国会談のように、他国との外交において必要な代表と言う椅子がなければ、周りから見た国としての体裁を保てなくなる恐れがございます。
その為、カリーナ共和国では議会の中から一人、議会での決定を国是として民に、国に、世界に告げる役割を、大統領として定めております。
その大統領に、今現在任命されていらっしゃるのが、グンター・コルヴァズ陛下でございます。
とても簡単に言えば、形式上の国の主。議会内では一意見者である陛下でございますが、今日ばかりは国の威信を背負われる長として振る舞われることとなります。
そんな陛下とお会いした際には、使用人の側からお声がけさせていただくという事はまずございません。それがカリーナに仕える使用人の振る舞いの一つでございます。
他国では同じようにしつつも挨拶は欠かさないことが多いようですが、ここはカリーナ共和国です。
また、陛下にお声を掛けて頂けた場合は、何を措いてもご挨拶をするのが決まりでございます。
「今日は確かルドガーに付いて回るのだったな」
「はい」
「いつも通りの仕事を期待している」
「ご期待に副えるように努めます」
「あぁ、頼んだ」
激励の言葉。その一言一句を聞き逃すことなく胸の奥に確と刻み込んで、足を出された陛下をお見送りします。
そんな陛下のお傍には、二つ……いえ、三人の使用人の姿。
お一人は陛下の右腕。常日頃から身の回りのお世話を勤めていらっしゃいます、エドワール・ノーマ様。わたくし個人としましては、研修時代に教導をしていただいた方であり、純粋に尊敬をする先輩でございます。
本日はエドワール様が担当される使用人の方々が、陛下の身の回りのお世話をされます。わたくしは光栄なことに明日にその任を預かっております。
そのエドワール様が担当される中に、今陛下の直ぐ傍へ付き従うお二方がいらっしゃいます。
歩く姿は小さくも使用人らしく。身を包む仕着せを見事に着こなし、堂々たるお姿で印象的な亜麻色の一つ括りを頭の横でそれぞれに揺らされるお方。
わたくしが個人的にお仕えするアルレシャ家のお嬢様────ピス・アルレシャ様とケス・アルレシャ様でございます。
つい一月ほど前、お嬢様が通われるテトラフィラ学園の授業の一環として行われた職業体験学習。社会での仕組み、働くという経験と知見を広めるためのその機会に、お二方は王族の身でありながら使用人と言う仕える立場に興味を持たれ、恙無くその責務を全うされました。
その後、使用人としての体験がお嬢様の琴線に触れられたようで、授業とは別に個人的にわたくしと同じ仕事がしてみたいと相談をされ。方々の許可と、学園が休みの時だけと言う条件付きで提案は認められました。
お嬢様が使用人として働き始めて既に半月ほど経ちますが、特別な事は特にありませんでした。
元々お嬢様は規律正しい価値観をお持ちです。進んで悪事を働くようなお方ではなく、何事にも真っ直ぐに取り組まれる真摯さを持ち合わせておられます。
その為、冗談で使用人の仕事をこなされることはなく。ともすれば今年取り立てられた新人よりも素早く仕事を覚え、国を支える一端として見事な仕事ぶりを発揮しておいでです。
そんなお嬢様が今回の四大国会談にて、身の回りをお世話するそこに選ばれたのには恐らく二つの理由がございます。
一つは学園がお休みであることです。
四大国会談中、学生たちは自宅での自主学習と言う形態をとります。特にテトラフィラ学園に通われるのは子息子女の皆様が多く、卒業後は後に家督を継がれることとなるでしょう。
会談中は、名のある家に他国から諸侯がやってくることもございます。そのような方々と、例えば最低限挨拶を交わすというのは、将来的な部分でとても大きな意味を持つことでしょう。
また、家を知り、国を知り、世界を知る。そんなことを求められる立場であれば尚の事、自らが後に背負うものを垣間見ておくことは有意義なことに違いはないのです。
学園の授業だけでは学べない世界の一端の景色。それを学ぶこともまた、自宅学習の目的の一つでもございます。
となると、お嬢様の場合はアルレシャの、コルヴァズの名が抱える物を知るという事は道理に適った行いであります。加えて休日と言う事であれば、使用人として働くというのも間違いではございません。
また、もう一つの理由は、大統領陛下がグンター・コルヴァズその人だという事でしょう。
陛下がお孫様であるお嬢様を溺愛されているのは、城内に勤務する者……果ては城下に住む者ならば、知っていても不思議ではない常識でございます。
そんな陛下が、使用人として働かれるお嬢様に目を掛けるのは、水が上から下に流れるのと同じ程に当然のことでございます。
しかも四大国会談では、それぞれの諸侯たちが自慢の我が家を、その資産や功績を大々的に喧伝することが可能となります。他国からやってきたお客様に贅の限りでおもてなしを行い、家が……延いては国が豊かであることを知らしめるのです。
特にカリーナでは経歴や肩書きに重きを置かれがちな風潮も相俟って、政治的な話し合いの場でどれだけ自分に有利な状況を作り出せるのか……。そんな水面下の牽制が生まれやすいのです。
その一つとして、家を映す鏡の一つと言われるのが使用人でございます。
数や質。立派な使用人がいるという事は、それだけ家が抱える物が大きく、立派であることの証明なのです。
母体が大きくなれば足取りは重く、首は回り辛くなります。その関節を潤滑にするのが、陰から支えるわたくしたち使用人の仕事であればこそ、使用人の存在は映し鏡と言うわけでございます。
さて、そんな水面下での見えない戦いは、当然国と言う大きな概念にも適応されます。
国を導く者の傍へ侍る者は、文字通り右腕。信頼を預けるに足る国の骨にして、価値そのもの。
そんな、最重要にして旗印を彩る刺繍とも言うべき存在には、それ相応の理由や意味が必要になります。
大抵の場合は、その人物無くしては立ち行かなくなるような、他国にも知られる有名人であったりします。代々仕えているとか、目を見張る功績の立役者、陰の功労者と言った具合ですね。
有名人であればあるほど意味のある示威行為。
であれば、妖精憑きとしての才覚を遺憾なく発揮され、王孫殿下と言う肩書きを持つお嬢様は、陛下が世界相手に喧伝するに足る逸材と言うわけでございます。
特に、お嬢様の活躍は先のスアロキン峡谷での一件で広く知れ渡っております。どこにも不足などございませんね。
最後の駄目押しは、お嬢様が陛下のお孫さんであることです。自分の家族を可愛く思わない人はまずいませんからね。
お嬢様にとってもきっと良き経験となる事でしょう。
そう期待をしつつ、見えなくなった陛下の姿に踵を返して目的地へ。城の外まで出たところで、旦那様の姿を見つけました。陛下へご挨拶をしていたため、予定より少し遅れてしまいましたね。
「お待たせいたしました、旦那様」
「何、まだ時間はある。今日もよろしく頼む」
「畏まりました」
気持ちを切り替え一礼。それから旦那様を用意している馬車へとご案内差し上げます。
今日から数日は目まぐるしい日々が続くことでしょう。気を引き締めて頑張ることといたしましょう。
* * *
「ハダル。分かっているとは思うがくれぐれも気を付けてくれ」
「はい」
皇帝陛下のお言葉に重く頷いて、一歩先に竜篭からから降り、安全確認を行う。
念の為の行為だが、おざなりにしてはいけない。これは、国を守るための行いなのだ。
「どうぞ」
「うむ」
鷹揚に頷くさまがとても絵になる。わたしが思う中で、フェルクレールトの大地において最も王と言う言葉がふさわしい振る舞いを身に纏うお方。
スハイル帝国皇帝、ラファエル・ヘカー陛下。今のわたしがお仕えする唯一無二の主。
帝国と言う国の成り立ち上、避けては通れない統治の重み。それを一身に背負い、より良き未来を憂う彼は、慈悲深くも厳格なる王の器。
領民として敷く民を蔑ろにすることのないその言動は、全てを捧げて仕えるに足る人物だ。
そんな皇帝陛下の傍付きとして、一年に一度の世界の話し合い。四大国会談に参加するこの身は、少しだけ特殊な来歴の一使用人だ。
城内を歩けば忌避され、街を歩けば注目の視線に晒される、誇りの形。いつだって手入れを欠かさないブロンドのセミロングから覗く、人より長い耳殻は異種族の証。魂の形が異なりながら、人の世に混じっても遜色ない体は、人間大の女性の物。
人に似て、しかし人ならざる存在。しかもその魂は、周りの違いとよりもさらに特殊な宝物。
この身に流れるのは、人に非ざるエルフの血と。世界の伴侶とも言うべき妖精の血の混血。
エルフィム。世界に数える程しかいないこの魂は、わたしがわたしであるそれそのものだ。
周りから見れば、わたしは異端の塊。数奇な運命の上に生まれた、人ではない何か。
特別以上に特別で、それ故に陛下の目に留まったこの身は、使用人と言われながらも異なる何かを求める。
その名を、主産巫。スハイル帝国のみに存在する役職であり、そして世界にとって重要な一つの歯車。
……彼女達は『鍵』と『扉』と称し、彼は管理者と呼ぶ役割。わたしはただの、しがない守護者だ。
「陛下」
「む?」
考え事から一転、長い耳殻が捉えた小さな音に視線を後ろへ向ける。すると空には、こちらへ向けてゆっくりと下降してくる竜篭が一つそこにあった。
装飾として縫い付けられた紋章は、トゥレイス騎士団国を示す物。
この場所にやってくる他国の証を掲げた竜篭など、一つしか存在しないと陛下を仰ぐ。すると彼は、足を止めて竜篭が下りてくるのを待つようだった。
先に挨拶を済ましておくつもりらしい。だったらわたしはお供をするだけだ。
ゆっくりと風を揺らしトゥレイスの国章を揺らした竜篭が着地する。次いで開いた扉からは、見覚えのある顔が二つ出て来た。
「普段規則など気にも留めない男が時間厳守とは、珍しい事もある物だな」
「流石に会談にまで新参者が遅参と言うのはまずいですからね」
どこか喧嘩腰な陛下の声に、答えた男性は笑顔のまま受け流す。
と、直ぐ傍に付き従っていた常盤色の長髪を頭の後ろで一つ括りにした女性が呆れたように、はたまた窘めるように呟いた。
「会談が特別なわけじゃないでしょう? 普段からもう少ししっかりしてくれる?」
「あーはいはい。前向きに善処しますよーっと」
聞き飽きたとでも言うようにおざなりな口調で答えた男性は、それから陛下の前に立って掌を差し出した。
「ん、お手柔らかに頼みます、皇帝陛下殿」
「お前の粗忽さには付き合いきれんな、グラフィアス」
「お褒めに預かり光栄です」
これが国の主同士が交わす挨拶かと。思わず恐れながら、その人を確かめる。
クサーヴァー・グラフィアス。陛下の治めるスハイル帝国の南西に存在するトゥレイス騎士団国。騎士団が自治を行うと言った一風変わった国を纏め上げる、一国の主。
トゥレイス国内では総長と言う肩書きで。国外に出れば大統領と言う責を背負う彼こそが、これから始まる四大国会談の中核をなす一人だ。
国の主でありながら、国の軍部の最高権力者。その気になれば国民全員に武装させて戦いを起こすことも可能な力を秘めた彼は、けれども随分と陽気で温和な人物だ。
それは恐らく、自らの立場や存在が、周りにどんな目で見られ、影響を及ぼすのかを誰よりも把握しているからなのだろう。
力を持っているからこそ、その扱い方を知っている。
騎士団国と言う物騒にも聞こえるその名前に相反して、かの国はフェルクレールトの大地でもっとも争いに否定的だと言われるのは、そのためだ。
そんな力の権化のような人が、わたしへと視線を向ける。
「今回は随分と可愛らしいのを連れて来たんですね」
「そちらは随分と険呑な気がするのは私の気の所為か?」
一礼。それから、陛下の示したもう一人へと意識を向ける。
グラフィアス大統領陛下の隣に控えるのは、先ほど彼に鋭い言葉を放っていた女性。纏う雰囲気からしてわたしとはまるで違う、まさに対極に位置する人物。
ヒルダ・グラフィアス。先の戦……第二次妖精大戦では、同じ名でその終結を手繰り寄せたうちの一人として有名な戦士。トゥレイス騎士団国内では敵なしと謳われる武人であり、この世界を支える柱の一つ。
英雄的妖精、ニミュエと契約を交わす、世界に知られた妖精従きだ。
藤色の、意志の強い瞳と視線を交わらせて互いに挨拶。
それから、足を出した陛下について歩き出す。
「あんなことがあった後ですので、念の為です。その件に関しましてはまた日を改めてという事で」
「互いの不始末だ。必要ない」
「ではそのように」
国の主同士の会話の行く末に、一人胸を撫で下ろす。
しばらく前、スハイルとトゥレイスの間で問題が起こった。
今頃になって……と言う事の発端ではあったのだが、二国間を跨ぐその騒動には、わたしも少しだけ首を突っ込んだ。
明確に言葉にしない辺り、それ以上公にするつもりのない話。であれば、使用人であるわたしが口を挟む問題ではない。
こんな平穏無事な時世にしては、少々荒っぽかった。それだけだ。
そんなことを考えていると、目の前に扉。
言葉よりも先に行動に移せば、今回はわたしと同じ立場らしいヒルダが、同じように反対側の扉の取っ手を手に取った。
視線で呼吸を合わせ、同時に開く。
さぁ、四大国会談、その中枢だ。粗相のないように仕事に邁進するとしよう。
まずは昼食となった折、ここからは交代で陛下の身の回りのお世話をと言う事で、一緒に来た先輩に持ち場を預け一旦下がる。
その時に使用人の控室に顔を出せば、部屋にはまた随分な顔触れが揃った。
まず、わたしのよく知るところだとブランデンブルクからアンネ・ルキダ。今年使用人になったばかりの新人なのに、随分と重用されて居場所を持った彼女は、わたしの友人だ。
初めて会ったのは今年の夏だが、あれ以来時折手紙で連絡を取り合っている。
彼女が私を気にしているのを引き換えに、わたしも情報源として紡いでいる関係。その気になれば手を取ることも、道を違えることもある彼女とは、今はまだそれなりに良好な間柄だ。それなりに気も合うし、できることならこのままの距離感でいたいものだ。
それから、気になるところで言えば、ここに着いて早々会ったトゥレイスのヒルダ・グラフィアス。英雄的妖精と契約を交わす実力者の彼女は、今回は使用人として同行していると聞いた。
その証拠に、契約妖精であるニミュエも連れてきてはいないようだ。……彼女にも挨拶くらいはしておきたかったのだが、まぁいいか。そのうち機会があるだろう。
最後に、警戒するべきはわたしの記憶にも新しい特別な双子。今回の四大国会談開催地であるカリーナの類稀なる鏡写し、ピス・アルレシャとケス・アルレシャだ。
多く言葉を交わしたわけでもないのに、その特異な感性で初対面の中面倒なところまで見抜いてくれた彼女は、要注意人物。
王族が使用人として働いているなんて、これまた目と耳を疑いたくなる話だが、事実なのだから仕方ない。とりあえず、今以上に傷口が広がらないように適度に距離を保つ方向だ。
向こうから詰めてきたら、その時はその時。最悪『宝物庫』でも使ってどうにかするとしよう。
そんな彼女達と、他愛ない話をしながら昼食を摂る。流石は四大国会談の最中なだけあって、わたし達使用人が口にする食べ物も普段より少し上等なものばかりだ。
この昼食だって選りすぐりの職人たちが技術の粋を凝らしたお零れ。これを食べられただけでも付いて来た甲斐が十分にあるというものだ。異国の味も新鮮で楽しい。
他国の使用人同士と言う事もあって最初は少しあった壁だが、この場に限れば仕える主もいない舞台裏なのだと気付いて肩の力を抜くこともできた。
それに今は目立った争いがあるわけでもない。逆に、これから想定される混乱にどう対処していくかを話し合うのが目的なのだ。
であれば、わたし達もまた、今後の為に友好的な関係を紡ぐのが理想というもの。いざと言う時に国の意向を繋ぐ一助になれれば、国に仕える身としてはそれ以上の貢献はないはずだ。
そう考えて、多少の打算もありつつそれぞれと繋がりを結ぶ。と言っても、アンネとは文通をする仲だし、ピスとケスの二人には不必要なことまで知られてしまった間柄。目下意識しておくべきなのは、この面子で最も腕の立つだろうヒルダだ。
そんなことを考えながら食事を終えれば、向こうも同じことを考えていたのか声を掛けてきた。
「ヘレナ、少しいいかしら?」
「はい」
立場が対等ならば呼び飾る必要もないというのは、食事をしながら交わした中でのヒルダの言。
曰く、彼女が尊敬するのは武勇に秀でた者だと言う。英雄的妖精と契約を交わす彼女に一目置かれる者が果たして何人いるのかと言う疑問が浮かぶが、彼女がそう言うのだから無為に関係を荒立てる必要はないと、名前で呼び合う事となったのだ。
……わたしも、この身に流れる血の所為か、あまり飾ることは好きではないから。彼女の申し出は願ったり叶ったりだ。
「これをね、皇帝陛下にお届けして欲しいのだけれど。お願いしてもいいかしら?」
「……はい。確かに受け取りました」
彼女が差し出してきたのは一通の便箋。ただ、普通のそれとは違い、封にはトゥレイス騎士団国の国章が蝋によって描かれている。
これは、トゥレイス騎士団国からの正式なる書簡。とすると、中身は何となく察することができる。
恐らくだが、先のスハイルとトゥレイス間に跨った問題に関するものだ。
わたしはその件に深くは関わっていない為全てを知っているわけではないが、事は既に解決済み。後は事後処理をと言う段階まで話は進んでいる。これはそれに関する文書と言うところだろう。
紛失などすれば国家間の問題に発展しかねない機密が、紙切れによってこんなところでなされるなんて……。世界は今日も今日とて平穏だ。
だからこそ、その前提が壊れてしまわないように、わたし達が手を取り合う必要があるのだと再認識をして。
次いで顔を上げたところで、直ぐそこにヒルダの顔があった。何気ない接近に居を突かれたまま、彼女が耳元で小さく囁く。
「ニミュエが会いたがってた。また今度」
「……落ち着いたらそのうち伺います」
その話題をここで持ち出されたことに少し驚いたが、返答は本心だ。
彼女とも当分会っていない。どこかで様子を見に行くとしよう。
……あぁそうだ。うちのお姫様にも会いに行かないと。面倒だなぁ。早く誰か貰ってくれないだろうか。
「それじゃあ、また後で」
「あ、はい」
そろそろわたしも戻らなくては。先輩に……あの人に小言を言われてしまう。
「お話」
「いい?」
「え……あ、うん」
考えて踵を返したところで、目の前に立っていた鏡写しに声を掛けられる。
ピスとケス、相変わらず気配の薄い……。輪郭はこんなに濃いのに。本当、妖精みたいな子たち。
「話って?」
「夢」
「平気?」
「夢?」
警戒しつつ尋ねれば、二人は自分の小さな耳を指出す。
だから……そういう危ない事をさも当然のように口にしないでよ。
「あぁ……まぁ、うん。わたしは純血ではないし、他の子も変わったことはないよ。それに、そうなる前に話し合ってる。大丈夫だよ、きっと」
素直にこくりと頷いたピスとケス。会うたびにわたしの秘密が剥がされていくのは何なのだろうか……。
「あと、そのこともまだ口外しないでね。そのうち真実に気付く人が現れて……。そうしたら、もしかしたら協力してもらうかも」
「ん」
「分かった」
彼女達相手に飾るのも馬鹿らしいと、素直に答えつつ口止めする。
二人の口が堅いのは前に会ったときに確かめている。その魂は本物だ。
「と言うか知ってたんだね、それ」
「分かるのは」
「答えだけ」
「……そう」
とすると、彼女達から真実が詳らかになることはないか。さて、では一体誰がその秘密を無粋に暴き立ててくれるのか。今から少し楽しみだ。
……にしても、答えだけでも分かるというのはちょっと破格すぎやしないだろうか。一体二人にはどんな風に見え、聞こえているのか。そこに関しては素直に気になるところだ。
「二人は何か困ってることはない?」
幾ら彼女たちが特別であっても、その身は人の世界の双子に過ぎない。妖精憑きである間は特に、その限界を超えることはできないだろう。
その点、エルフィムであるわたしは彼女にないものを持っている。
わたしと彼女達は、言わば対の存在だ。だから彼女達には彼女達にできることを。そしてその逆もまた然りで、必要であれば協力する。
そんな風に繋がりを紡いでいれば、少なくとも目の届かないところで想定外を起こされるのは避けられるはずだと。
打算も込みで尋ねれば、ピスとケスは静かに首を振った。
「でも考えてることはある」
「それはお願いするかも」
「ん、分かった。その時はよろしくね」
こくりと頷いた双子。
とりあえず今はこれでいい。それよりもやるべきことは、目の前の仕事だ。
「わたしももう行くよ。またね」
「うん」
「またね」
そうしていればただの不思議な女の子なのに。
だからこそその不釣り合いさに多少心が揺られてしまうのかもしれない。
妖精変調じゃなくっても彼女に惹かれる気持ちは何となくわかる。……なんて、少し偏りすぎか。
「……よし、切り替えよう」
小さく息を吐いてヘレナ・ハダルをその身に纏う。
さぁ、お仕事だ。頑張ろう。
* * *
腰に何か下げていないのは落ち着かない。そんな風に感じるようになったのは、一体何時頃からだっただろうか。
いつも賑やかな相棒が直ぐ傍に居ないことにも僅かな不安を覚えつつ、それでもどうにか面倒な役割をこなす。
四大国会談の使用人。しかも国の主の身の回りの世話なんて言う、厄介この上ない仕事だ。
剣を振って前に進んできたあたしにとっては全く縁のない分野。
そもそもトゥレイスには使用人という職に就く者は殆どいない。それは単に、他人に任せるくらいなら自分でした方が早いし安心するからだ。これはきっと、トゥレイス騎士団国の風土故の物。
けれども国の……それを率いる者の体裁としては、傍付きを従える事もまた必要不可欠の煩わしさ。
その柵に、今回あたしが巻き込まれたというのが、ここカリーナにいる理由だ。
ここに来るまでにも色々ごねたのだが、結局押し切られてしまった。頷けない一線として、あんな動き辛い仕着せに身を包むことは断固として首を振ったのだが。
代わりに随分と落ち着いた……と言うか、ちょっと高級な仕立てのいい一点に袖を通すことになってしまった。これはどうにか我慢だ。
一応対外的には使用人と言う事になっているが、あたしとしては補佐官と言う方が似つかわしいとは思う立場。
そう自分を騙しこんで、ようやく堅苦しい空気にも慣れてきた頃、茶番のような集まりが本題へと足を踏み入れた。
一つの机を囲んで交わされる言葉。その内容は、目下どこの国もが手を焼いている案件……妖精変調についてだ。
今回の四大国会談の主な議題は、現状明確な方針の固まっていない妖精変調への対応をどうするか。その一点だ。
それぞれの国の主が、源生暦始まって以来の事態に対処を決めあぐねている状況。ここでの決定が、その後フェルクレールトの大地を導く旗印となり、きっと一丸となって理想へと足並みを揃えることとなる。
そんな重大な、世界の趨勢を左右する話し合いに…………あたしは静かにあくびを一つ噛み殺した
…………いや、だって。戦うしか能のない馬鹿が、どうしてそんな話し合いに興味が持てるというのか。あたしは本来ここにいるのがおかしい存在。会議の内容に耳を傾ける道理はない。
あたしはただ、決定に従って事を為す先兵だ。必要であれば障碍を斬る。それだけだ。
だからこの場は退屈で仕方ないのだ。
こうして仕える主の後ろに立ち尽くすくらいならば、この建物のどこかにある箒で素振りをするなり、カリーナの異国情緒を端から堪能している方が幾らかましだ。
……やーばい。眠い。どうしよ。
段々と会議の声が眠りへ誘う子守唄の調子に聞こえてきた。が、流石にここで寝るのはまずい。何か理由を付けて下がりたい。
「……?」
直後、背後に気配。静かに振り返れば、そこには双子姫がこちらを見上げて立っていた。
「手伝って」
「ついて来て」
「……えぇ」
絶好の機会到来っ。何を頼られているのかは分からないが、この鬱屈とした空間から抜け出せるならばそれ以上はない!
期を伺って主であり義兄、クサーヴァーに傍を離れることを伝え、代わりの使用人に役目を預けて足を出す。
距離を置いてから遠慮なく溜め息を吐いた。ら、眠気がどこかへ消えた。……あるわよね、こういうこと。
「こっち」
「きて」
「何かの準備?」
短い呼吸の二人に付いて歩けば、彼女達は前を向いたまま鏡合わせに頷いて答える。
「お茶と」
「お菓子」
「あぁ、もうそんな時間なの」
全然話し合いに興味を抱いていなかったから時間の感覚も曖昧だったが、どうやらそろそろ小休止らしい。
「全部中よね?」
「グラセ」
「冷やしてある」
グラセは、冷たくした焼き菓子の事だ。冬も目前に冷たいものと言うのは少し変な気もするが、ここカリーナはフェルクレールトの大地で南に位置する国。気候はトゥレイスよりも暖かく、その所為で夏の暑さも結構長く後を引く。
特に今日はよく晴れた日。空気がいいからと設えられた会談の場は野外で、そんな陽の下に重い服を着て座っていれば、汗も掻いてしまう。
それを見越してグラセを用意していたのだろう。
「お茶と一緒」
「沢山ある」
「沢山……って言うとミニャルディーズ?」
確認のように口にすれば、二人はまたしても静かに頷いた。
ミニャルディーズ。手のひら大ほどの小さな菓子を数種類用意してあれこれ楽しむものだ。
こうした格式ばった会談の少ないトゥレイスでは殆ど目にすることのないお菓子の詰め合わせだが、ここカリーナでは諸侯たちが話し合いに茶会を開くためよく出ると聞く。
季節毎に様々なお菓子を少しずつ楽しめるという事で、職人の腕と共に客人の苦手な食べ物を無理に提供するという失敗が起き辛いのだとか。
流石にこの規模ともなれば、事前に相手の食の好みくらいは把握した上で献立等は考えられる。だから今回のそれは、カリーナが会談の開催国としてもてなすというその一点に意味合いが置かれているのだろう。
「あれねぇ……。見てるのは綺麗でいいけれどあまり食べた気がしないのよね。あたしはもっと豪快に、一つのお菓子を目一杯食べる方がいいわね」
「クーヘンとか?」
「トルクウェーレとか?」
「そうね。まぁ、そもそもあんまり甘い物食べないのだけれど」
打てば響く心地よい二人と共に他愛ない話をしながら氷室の置かれた調理室へ。
妖精術と氷の冷気によって冷やされたグラセを皿に盛り付け、配膳台に。同じく茶器や茶葉を用意して台車を押して歩く。
「『蛇』」
「どんな子?」
「え、何の話?」
唐突に放たれた、前後の脈絡を無視した言葉。
一瞬時間が消し飛んだのかと思いつつ訊き返せば、二人はそれが当然だという風に至って普通に続けた。
「ヒルダのはんぶん」
「お墓のはんぶん」
「……なんだ、知ってたの」
世界が、気付いていて触れない。もしくは本当に気付いていない不思議に、どういうわけか彼女達は到達していたらしい。
まぁ別に、隠している訳ではないからいいけれども。
「どんな子って言われても、そうねぇ……。あたしよりあの子と気が合うみたいよ?」
難しい事はよく分からず、二人の前でどう言葉にしていいか分からなくて、咄嗟にあの子と誤魔化す。が、どうやら誰の話かは分かったらしく、こくりと一つ頷いて返した。
「例に漏れず持て余してるみたいだから、機会があれば紹介するわ。その時は、そちらさんも一緒だといいわね」
「うん」
「待ってる」
これはあたしの勘であり、そして彼女たちの確信。
何の根拠もないけれど、彼女達はきっとその未来に辿り着く。そんな予感が期待と共に胸の奥に湧き上がるのだ。
それに、もしそうなったら、あと一人も必要に駆られて話に聞く引きこもりから出て来ざるを得なくなる。
もちろんそれで何かを起こすつもりはないが、やっぱり彼女達は自由だから。東の彼がそうなれたように、今度は全員がその本懐を満喫できればいいと、そう思うのだ。
……そうよ。人の大きな集まりがあるならば、妖精にも同じ時間があってもいいではないか。例えばそう……夢の都で。
「ねぇ二人とも。まだ見ぬ故郷に、行ってみたいと思わない?」
問いかけには、不自然に一つ、足音が廊下に響いたのだった。
* * *
「ん、分かった」
会談の最中、開催国カリーナを治めるグンターが小さく頷いた。その傍で耳打ちするのは彼の右腕と噂の傍付き、エドワール・ノーマ。
彼はその手腕から幾度となくカリーナをより良き方向へと導いてきたやり手の知恵者だ。
ともすれば、カリーナを支え導いているのは彼だとさえ囁かれるほどの逸材。それほどの人物は、フェルクレールト全体を探してもそうはいないだろう。
エドワール・ノーマが何かを告げる。それだけでにわかに緊張するのは避けられないと思いつつ。次いでグンターが口を開くまでの数瞬の間、微かに屋外の空気が淀む。
「ふむ。各々の意見はとりあえず出揃ったな。とするとここからが本題なわけだが……さて、そろそろここらで一旦休憩などどうかな? 折角の日和だ。堅苦しい話ばかりで根を詰めるのも勿体ないだろう?」
「……そうですね。わたしは構いませんよ」
が、ただの休息の提案だと知って安堵し、二つ返事で頷く。
開催国である彼の立場からすれば、俺達は客人。しかもそれぞれの国を抱える代表だ。もてなしは少し過剰なくらいでないと示しがつかない。
そしてこちらも、招かれているならばこの土地の道理に合わせるのが一般的な処世術というものだ。
最も歴史の浅い国で、最も年若い身だが、そこを間違えるほど馬鹿ではない。
それに、言い辛い事を言うのは何時だって下にいる者の役目だ。
国としての順列など存在しないに等しいが、一個人としては若輩だと弁えている。ご機嫌取りにもなるし、これが俺の役目だ。
そもそも頭を下げることに関してはそれほど抵抗はない。……こんなのだからいつも周りにはあれこれ遠慮のない事を言われているのかもしれないが。
そんなことを考えれば、残りの二人……ヒルデベルトとラファエルも一つ頷いた。
「よし。準備を頼む」
「畏まりました」
芯のある礼をして見せたエドワールが建物の方へと向かって直ぐ、入れ替わりにうちの義妹と、それからこの国の双子姫、ピスとケスが給仕に台車を押してやってきた。
どうやら先ほど傍を離れたのはその手伝いだったらしい。
準備にあの剣馬鹿を連れ出したのは、使用人に至るまで国を跨いで協力ができるという示威行動。
つまり休息の先の話は、最早答えがほとんど決まっている茶番だ。
……だが、それでもこの場は必要なのだ。世界は建前と共に巡っている。決闘には舞台が必要。そういう事だ。
この会談が終われば、世界はようやく妖精変調へ注力し、足並みを揃えて前に進める。その為の手掛かりもトゥレイスなりに用意してきた。
争いなど、本当は必要ない。なければ、それに越したことはない。
皆が描くその理想に、少しでも近づけるようにと全力を尽くすのだ。
休憩の最中、ヒルデベルトとラファエルがお手洗いにと席を立つ。途端、屋外であるというちょっとした寂しさを感じて、目を周囲へと向けた。
冬も近いフェルクレールトの暦だが、ここカリーナではまだ木々の葉は落ち切っていない。特にこの城下町は沿岸部に位置し、カリーナ国内でも随分と南に存在する。その為気候は温暖で、まだ少し秋の名残が目につくのだろう。
陽気な者の多いトゥレイスとはまた違った、物理的な温かさ。豊かで穏やかな空気を肌で感じ、心が落ち着く。
これはこれで好きな雰囲気だ。
「随分と寛いでいるようだな」
空も抜けるように青く。自然の隙間に目をやれば、こちらに興味があるらしい野良の姿も見える。
そんな、平穏の一部を切り取ったような一時に、グンターの声が響いた。
「暑過ぎず寒過ぎず。けどちょっと陽気なのが好きなんです」
「トゥレイスはそろそろ冬支度が終わる頃か?」
「北の方はもう終わってます。冬は甲冑が重く感じて大変ですよ」
戦いの中での越冬は過酷を極める。
敵に警戒し、多く実らない作物から糧食を捻出し、寒さに耐えて守り、戦い抜く。先の第二次妖精大戦でも冬場は苦戦を強いられることが何度もあり、その度に冬に慣れているスハイルには幾度も煮え湯を飲まされた。
そんな過去と、そしてこれから訪れる未来を重ねて憂う。
妖精変調と言う、過去にない想定外との対峙。どんな方針を取るにせよ、今ある平穏を守るためには似たような景色が待っている。
そんな、前へ進むための我慢が、冬に重なるのだ。愚痴も言いたくなる。
「ハロウィンとサウィンでは大変だったみたいだな」
「まぁ、それなりに。わたし自身は被害に遭ってませんけど、それでも混乱は結構な物でした」
記憶に新しい妖精変調の最たる影響。
境界が曖昧になり、目に見えない何かが不安定になりやすいその日に、トゥレイスでは人の意識が別人の体に乗り移るという怪事件が起こった。
今では既に終息し、多岐に渡った被害も殆ど元通りとなっている。
この辺りは、他国と比べ賑やかなトゥレイスだからこその対応力だと誇りたい。
騎士が国を治めるトゥレイスでは、他国と比べて武力的な問題が起きやすい。その為、国民は自己防衛の一環としていざという時の行動力をそれぞれが何となく持ち合わせている。
……騒動に慣れている、と言うと誤解されかねないが、心構えはしっかりしている者が多いのだ。
だから入れ替わり問題の時も、それぞれの善意的な働きによって混乱の解決はそれなりに早かった。これが例えば、国土内に自治区を沢山抱え、どこか閉鎖的な集団が隣接して出来上がったスハイルのような国だと、トゥレイス程円滑に事は運ばなかっただろう。
目に見えて直ぐ傍にある頼り易い力は、拠り所でもあり軸。それが他国より明確で確固たるトゥレイスならではの対応力だったという事だ。
「手紙でもご連絡した通り、彼女も無事でしたよ。今日もきっと自由の限りを謳歌してる事でしょう」
「そうか……」
声には、奇妙に安堵と不安を綯い交ぜにした様子でグンターが零す。その理由に大いに心当たりがあり、こちらも思わず苦笑いを浮かべた。
トゥレイス騎士団国には、カリーナからやってきた人質がいる。
第二次妖精大戦の終結を手繰り寄せた、四大国での人質交換。円を描くように為されたそれは、終戦から十年以上経った今でもまだ返還に至っていない。
もちろん、人質がいなければ国家間の関係が成り立たないほどに関係が不安定なわけではなく。するならば交換をした時をなぞるように、今度は同時に逆向きに元に戻す必要がある。
その機会を、これまでも何度か模索はしていたのだ。が、他国へ渡った人質たちがその国で各々の新しい道を見つけたことが一つの要因として、簡単に事が運ばなかったのだ。
そこに今回の妖精変調の問題が重なって。そうして人質達がそれぞれの国へと戻るまでの道のりは、また少し遠のいてしまったというわけだ。
であれば、こうした場で目の届き辛いところへ行ったその安否を……近況を聞きたいというのは、当然の感慨だろう。
「彼女にはこれまで何度か助けられてきました。……それに、わたしが見る限り、随分とトゥレイスの風土がお気に召されたようですよ?」
「であろうな。今後もしばらく迷惑を掛けると思うが、よろしく頼む。あれでも立派な家柄の娘だ」
「それはもちろん。また今度、トゥレイスにもいらしてください。歓迎します」
「あぁ」
トゥレイスとカリーナの関係はそれなりに良い。少なくとも国境を巡って争いが起こることはないと、互いに胸を張って言えるくらいには友好的だ。
そういう意味では、先のスハイルとの一件はやはり少し異質だったか……。
「お、戻ってきましたね」
「ふむ。ならば再開するとしようか」
話していると、席を立っていた二人が肩を並べて何やら話をしつつ戻って来る。
あぁそうだ。また後でヒルデベルトとも話をしよう。彼としか共有できない話もあるのだ。
あれこれ忙しないが、それだけ実りのある時間なのは間違いないと。いつもの公務より堅苦しさを感じながらも、これはこれで風変りな気分転換だと小さく笑う。
さぁ、話し合いも佳境だ。腰を入れて臨むとしよう。
* * *
事前の根回しのお陰で会談は恙無く行われた。
カリーナの使用人たちも大きな問題を起こすことなく裏方を全うし、この国を預かる身としてもとても満足のいく有意義な時間だった。
議題が議題なだけにあれこれ準備していたのだが、その所為か逆に順調すぎて少し困ったほどだ。
今机を囲み腰を下ろす者達には……当然我輩にもだが、予定というものが存在する。しかもそれが国の主ともなれば事前に綿密に計算された物であることが多く、後ろにずれることは多々あっても前倒しになるという事はまずありえない。
前倒しになったからと言ってその後の予定を早めることができるかと言われればそれもまた難しい話であり、そうするためには方々との調整が必要になるのだ。
つまるところ、想定外に仕事が早く終わったとしても、そう簡単に予定を切り詰めることができないのが、立場ある人間なのだ。
もちろん、そうした僅かな時間を日々公務に勤しんでいる自分への褒美だと嘯いて謳歌するのも吝かではないのだが。こうして国の代表が集まっている場でそれを口にするわけには到底いかない。
それが開催国の主ともなれば、体裁的には客人である彼らをもてなしつつ、想定の時間まで何かしらの予定を作らなければならない。そうしなければ、彼らから見てカリーナと言う国そのものが、時間の守れない国と言う認識になりかねないのだ。
つまりこれは、まだ仕事。周囲から見れば全くの惰性に見えたとしても、必要な事なのだ。
……ふむ、仕事が出来すぎるというのも考え物だな。
「校内保安委員会か。フィーレスト学院は確かブランデンブルクの国営であったな?」
「誤解を招きかねないことを言ってくれるな。あれは試みの一つに過ぎぬ。とはいえ、未来を担う者達の成長の助けになるならば是非もなし。注力する価値があるかどうかを見定めているだけだ」
「なるほど。それで在学中の彼女をヴァレッターとして引き立てた訳ですか」
「本人の希望の上だ。それに、使用人の仕事も学生の内から経験しておけば卒業後の糧にもなる。何より彼女は優秀だ。知っていればそう遠くない未来に似たようなことになっていたはずだ」
用意してきたのだろう答えをさも当然のように告げるヒルデベルト。先の大戦より親交のある我が友は、先ほどより椅子に少し深く腰掛けて腕を腹の前で組んでいた。
そんな彼の後ろでは、勝手に話題の中心に据えられ見事に恐縮しきりな少女が一人。肩ほどの長さで揺れる、ゆるく波打ったライトブラウンの髪に、静かな強かさを秘めた水色の瞳。ブランデンブルクの中でも一目置かれる使用人の肩書き、ヴァレッターに、今年の春いきなり配属となった女子学生。
名を、アンネ・ルキダと言う妖精従きの使用人だ。
彼女は、同じく今年ブランデンブルク唯一の国営教育機関であるフィーレスト学院に設立された校内の治安維持を専門に引き受ける組織……校内保安委員会の国との連絡役を任されているという少女だ。
その設立目的は、学院内での自浄作用……学び舎で起こる問題を生徒同士の互助などによって生徒たち主導で解決し、自主性を育むことを理念としている。
だが、この試みは今年の春より始まった物であり、唯一の国立教育機関として様々な期待を負うフィーレスト学院では、そう簡単に学院内の制度を大きく様変わりさせることはできない。その為、少なくとも来年の春までは試験運用期間の域を出ない。
だが、ヒルデベルトの言うように期待される効果には利点が多く、そこに掛けた時間や費用を考慮すればできる限り前向きに事を進めたいはずだ。
その為に、アンネ・ルキダと言う少女が、国と学院……校内保安委員会を繋ぐ要員として抜擢され、何かあれば国が介入できるようにと彼女にヴァレッターの肩書きを与えているのだ。
傍から見れば、一介の女子学生を大人の都合に巻き込んでいるという、当人からしてみればはた迷惑な話だが。件の組織がこの前スアロキン峡谷にて妖精変調に纏わる騒動の解決に尽力し、幾らかの進展の兆しを国内に持ち帰ったという情報は無視できないもので。
その働きを鑑みれば、ヒルデベルトの後ろで落ち着かなさそうに後ろ髪を撫でつける彼女が、ただの学生ではないと邪推をしてしまう。
加えて、それほどに優秀な人材を集めた校内保安委員会に、アンネ・ルキダを通じて国が後ろにいると分かれば、かの組織がブランデンブルクと言う国にとって何かしらの思惑を秘めたものなのではないのかと疑ってしまうのは無理からぬ事だと思いたい。
現に我輩の向かいに座るラファエルは、輝きの衰えない緑青の瞳で怪訝そうにヒルデベルトを見ている。
「それを言うならば、そちらの二人はどうなる? またただの孫可愛がりで済ませるつもりか?」
と、追及から逃げるようにヒルデベルトの矛先がこちらを向いた。
視線の先には、我輩の後ろに静かに控える双子の使用人。何時突かれるかと身構えていたが、よもやそんな乱暴な話題の向けられ方をするとは思わなかった。
「言っておくが、二人のこれは当人が言い出したことだ。学園の授業で職業体験学習をとなったときに、その話を聞いて一番驚いたのはこの我輩だぞ? 二人はただ関心を満たしただけだ」
「だからお主に訊いておるのだろう?」
「む……」
孫を庇ったつもりが逆効果だった……。
隣のクサーヴァーが声を殺してくつくつと肩を揺らす。声を上げて笑えばそれを理由に矛先を逸らせたものを……。
などと、猜疑と興味と誇示を綯い交ぜにして行われているこれは、空いた時間に急遽捻じ込んだ各国の使用人お披露目大会。
戦のない平穏な世の中だからこそ、国を表現する豊かさは人にこそ目を向けるべきであると。カリーナのもてなしに劣る各々の国ではないことの証明に、こうして弁舌の限りを尽くしているのだ。
そんな風に賑やかに、時に鋭く一時に花を彩って。そろそろこの場も纏め、今日を含め五日間もある次の話し合いに備えようとした折の事。
辺りを自然に囲まれたこの場所に、空を裂く鳥の声が一つ響き渡る。
冬を間近に、自然の実りも少なくなり。越冬なり番探しなりに忙しそうな空の命に視線を向ける。
と、その羽ばたきが、頭上で円を描くように何度も旋回していることに気付くのと同時、ヒルデベルトの後ろから小さな声が聞こえた。
「ルキダ、何か布を持っているか?」
「……え、あ。手拭いでしたら」
どうやらあればブランデンブルクの連絡用の鳥らしい。
緊急時、人の足では遅い連絡を果たすため、国ではそれぞれ軍用の鳥を育て、空の連絡便としている。先の第二次大戦でより発達したその技術は、主に戦術や戦略の伝達などを目的に運用されていたが、今となっては殆ど使われることのない連絡手段だ。
とはいえ緊急事態にはこうして活躍してくれる彼らは、だからこそのこの時世において昔以上の重要性を秘めている可能性が高くもある。
しかも今は四大国会談中であり、ここには各国の長が集っている。そこに連絡用の鳥がやって来たのだ。にわかに緊張しない方がおかしな話。
指笛を聞いて、空を旋回していた鳥が急降下してくる。布を巻いたアンネ・ルキダの腕に細い二本の足で器用に着地したその鳥の片足には、連絡用の書簡等を筒状にして納めておく器具が取り付けてあった。
中身を確認した後、彼女の隣にいた男性──ハンス・クルサがヒルデベルトに身を寄せる。
ここにいる誰もが注目する中、ヒルデベルトは小さく「……そうか」と呟いてこちらに視線を向けた。
「…………話の腰を折って悪かった。再開しよう」
「何か急用か?」
「……世界にとってこの会談以上に重要なことがあるか……?」
ラファエルの声に返ったのは、あまりにも間抜けな虚飾された言葉。
それぞれの国を預かる者たちが納得はせず、しかし呑み込まざるを得ない様子に、クサーヴァーが少しずれたことを零す。
「王のいないこの機に乗じてどこかの国が攻め込んだのでは?」
「私は関係ない。ったく、事ある毎に槍玉に挙げおって」
「そんなつもりはなかったんですけどね……」
この前、スハイルとトゥレイスの間で起こった問題に関してはあらましを聞き及んでいる。それを示唆するような言動に、けれども首を突っ込む気にはなれず、仕方なく尋ねる。
「…………我が友よ。隠し事はやめてくれ。もし何かあるのだとしたら気が気で纏まる話も纏まらぬ」
答えはなく、黙り込んだヒルデベルト。
やはり何か重要な案件。しかもそれは、ここで言葉にすることに躊躇いを覚える内容。
自国内でのことなら彼は変わらず突っ撥ねたはずだ。それがなかったという事は、下手をすると他国を巻き込みかねない懸念が存在することの証左。
であれば、国の長が揃うこの場で共有しておいてもいいのではないか。
そう考えて答えを待てば、響いた声は想定外に彼の後ろからだった。
「突然の無礼をお許しください。陛下、陛下は私に言ってくださいました。夢があるならば信じて進めばいいと。でしたら陛下も決断を誤らないでくださいませ。私が使用人である前にアンネ・ルキダであるように、陛下も陛下である前にヒルデベルト・アスタロスであってくださいませ」
思わず我輩まで息を呑む。
学生の、大人の策略に巻き込まれているだけのはずの少女が、世界の趨勢さえ決める場で意見を具申する。
ともすれば国に泥を塗り、己の立場まで危うくすることを承知した上で、それでも果敢なる一歩を踏み出す。
彼女が──アンネ・ルキダがヴァレッターと言う肩書きに選ばれた意味。その片鱗を垣間見た気がして、思わず心が奮える。
やがて、長い沈黙を挟んだのち、ヒルデベルトが固い栓を開けた。
「……………………年端もいかぬ少女に言われるとは、王の器として失格だな」
一瞬見せた笑顔は、諦観。それから彼は、至極真面目に見据えて続けた。
「──私の妻……ローザリンデの容態が悪化したらしい」
ローザリンデ。その名は、世界に知られる妖精従きのものだ。
ローザリンデ・アスタロス。現ブランデンブルク国王、ヒルデベルト・アスタロスの妻────つまるところ、ブランデンブルク国王妃殿下だ。
かの国で、二番目を唯一許された人物。類稀な才覚を妖精従きとして振るう彼女は、世界中で露草姫の愛称で親しまれる宝だ。
そんな彼女は、先の大戦中に工作によって光を失った。未だ戻らないその色は少しずつその体を蝕み、今では病床から動くことも珍しいと言われる身だ。
露草姫の容体が悪化した。その一言は、世界を知る我輩達にとって無視のできない事実なのだ。
「……ハダル。帰国の準備をしろ」
「仰せのままに」
一呼吸。それから席を立ったのはラファエルだった。彼は短く告げると踵を返してその場を後にする。
その背にヒルデベルトが問う。
「…………いいのか?」
「そんな面持ちで話の席に着かれても迷惑なだけだ。精々私がもう一度目通りが叶うようにしてから出直して来い」
「………………恩に着る」
随分と険のある言い回しだが、それが彼なりの配慮なのだと誰もが苦笑する。
「全く、いい部下が育ってるじゃないですか。その子、うちに欲しいくらいですよ」
「あたしがいる事をお忘れなく」
「そう腐るな。お前にもいいところが沢山あるだろう……?」
続いて腰を上げたのはクサーヴァー。彼はいつもの調子で茶化しながらもヒルダ・グラフィアスを連れて足を出す。
確かに、彼の言う通りアンネ・ルキダはには一目置くところがある。彼女がいなければこの場で真実を知ることはなかっただろう。彼女には感謝だ。
我輩も立ち上がり、ヒルデベルトに声を掛ける。
「……ほら。そんなところで呆けるな。早く露草姫の下へ行ってやれ!」
「…………あ、あぁ。本当にすまない」
「また今度、飲みに付き合ってくれればそれで許そう」
「あぁ、絶対だ」
話の分かる友の声に背中を見送る。
「またね」
「どこかで」
「うん、また」
先ほどの大見得が琴線に触れたのか、ピスとケスがアンネ・ルキダに挨拶をしていた。
もしこのまま使用人を続ければ彼女も一廉の存在になるかもしれない。そんな予感を抱きつつ、小さく息を吐く。
……さて、こうなってしまっては仕方ない。
「エド」
「直ぐに手配します」
言わずとも理解してくれる腹心に少しだけ落ち着きを取り戻す。
見上げた空は、夕日に照らされ染まり始めていた。
* * *
その日は、雨が降っていた。
まだ少し秋の残り香が漂う冬の入り口。朝からの鋭く優しい霧雨は、やがて雨音を軍靴の行進に思わせるような連なりとなり、石畳の道を濡らす。
そんな天気の所為か客足は静かで。足元を掠めるような薄い湿気に、今日は早めに営業を終えようかと思案をしていた、そんな折。
背を向けていた扉が開いて鳴り響いた鈴の音に、反射的に振り返って喉を開きかける。
……けれども、脳裏に浮かんだいつもの挨拶はすぐさま蓋をされ、どこかへと消えてしまった。
お店の出入り口に立ち尽くす、総やかな髭を蓄えた男性。わたしの立場故に、色々便宜を図ってくれる心優しい彼は、この歳にして口にするのも少し恥ずかしい、友人。
そんな彼が、視線を伏せて小さく吐息を落とす。
その空気に、言葉にしない事実を知って。手に持っていた箒を商品棚に立てかけた。
「そう」
零れたのは、納得とも遣り切れなさともつかない、そんな音だった。




