第三章
国営教育機関テトラフィラ学園で年に一度の宴……学園祭が始まった。
開始を告げられて間もなく敷地内は賑やかに揺れ始め、擦れ違った先から顔を忘れていくような盛り上がりに包まれている。
今年は、もしかしたら例年以上の賑わいかもしれない。
そんなことを、あてもなく歩きながら考える。
見渡す限りは人の姿。華々しく飾り付けられた校内は、記憶の中の学び舎とはどこか違う雰囲気を纏う。
共有することの難しいもう一つの世界の感覚。一度でいいから垣間見たいその空気を、僅かに肌で感じながら小さく息を吐き出す。
妖精との付き合い。見えない身として、それに憧れるのは仕方なく、時には原動力になるだろう。
けれども、特に今回に限ってはもっと別の理由でここを訪れていることが、どうにも慣れない空気以上に気持ちを落ち着かなくさせるのだ。
事の始まりは、僕もよく知るこの学園の生徒との他愛ない話。
曰く、今度学園祭が催されるから是非遊びに来て欲しいという、可愛らしいお誘いだ。
とはいえ、僕はこの学園に通う者達とは違い、妖精が見えない。だから話を聞いた当初は、恐らく行かないだろうと思っていたのだ。
しかし、話の中でその場限りな恣意的に、はたまた意図的に挙がった個人の存在。音にされて、無意識に脳裏に過ぎったその顔に、一人の男としてのあわよくばが巡ってしまったのは、きっと致し方のない反応だと思いたい。
リゼット・ヌンキ。この春に偶然出会ってから、うちの店によく顔を見せてくれている所謂常連さん。立派な大人の女性として、普段は若い芽達に将来を教える、教師を生業としている人物だ。
極個人的に言えば、男として魅力的に思える、美人な女性。
そんな彼女が勤めるのがこの学園であり、先に想像した学園生の担任だ。
彼女の存在を仄めかせた学園生……僕から見れば、妹みたいな存在のシルヴィ・クラズという少女。彼女の所為で、ここ数日考え事が散逸になり、まるで答えを求めるようにこうしてリゼットの職場に、学園祭と言う言い訳を振り翳してやってきたのだ。
本来なら日中の喫茶店を開けている頃なのに……。
なんだか悪い事をしているような罪悪感に駆られつつ、人の流れに身を任せる。
シルヴィが勉強をしている教室の事は、これまで店に何度も遊びに来た彼女の口から聞いている。だから見に行こうと思えばすぐなのだが。折角貴重な空間にやって来たのだ。今更店に戻るのも変な話だし、割り切ってこの時間を満喫することにする。
……にしても、随分とお客さんが多い。
大統領陛下の誕生祭だったり、季節の節目のお祭りであったり、はたまたついこの間の水箒だったり。
ここカリーナ共和国の中心地、白皙城の城下町に住む人々が一斉に顔を見せるような機会は何度かある。あれらは慣例的な行事とはいえ、皆が自主的に行動を起こす結果生じる流れだ。
それと比べると、この学園祭と言う行事は随分と閉鎖的で、本来はもっとゆったりとした雰囲気の催し物になるはずなのだ。
そもそも学園祭と言う名目上、学園に纏わる者は参加するが、その強制力は生徒や教員までにしか及ばない。つまり、生徒の保護者に関しては各々の家庭の事情を考慮した上で、日頃勉学に勤しんでいる我が子の成長を自主的に見るかどうかという認識や姿勢なのだ。
また、学園の卒業生たちにもそれぞれに生活がある。社会に出ればやるべきことは沢山あって、仕事に就けば日毎責務をこなし続けるという時間に追われることとなる。
そんな立場で、自らが卒業した学園の、自分が一切運営や準備に関わっていない催し物に参加するかと問われれば、大多数は日常を優先するはずなのだ。
城下町と言う狭い世界で考えても、総卒業生の一割が遊びに来ればきっといい方だろう。
であれば当然、それ以上に関係性の薄い別の学園出身の者達。国外からの来訪者などはお客さんとして候補には挙がらず……。
結果として、通常であれば学園関係者のみの、随分と閉鎖的な催しとして収束する筈なのだ。
が、どう考えてもこれはその範疇を越えている。下手をすると学園の廊下を擦れ違えないほどの動員数と言うのは、学園祭の規模を遥かに凌駕しているのだ。
恐らく、このお客さんたちの殆どは、普段このテトラフィラ学園に関係ない人達。そんな、不特定大多数が、一体どうしてたった一つの学園祭に押し寄せているのか…………。
その理由には、実は心当たりが三つある。
一つは僕自身が直接シルヴィから聞いた、妖精変調対策と言う物だ。
妖精の、妖性と言われる部分。人で言えば、社会での役割や偏見と言った、他人から求められる物。その個が、どんなことを為すべきなのかという、行動の核。それが理性の箍を外れるというのが妖精変調と呼ばれる現象だ。
事妖精に限っては、悪戯と言う彼女たちの存在意義が悪意を孕んで災禍を巻き散らす。人はそれに無責任に巻き込まれ、時に命すら危ぶまれる……と言えば、その問題の重大さが見えない者にも理解できるだろうか。
世界規模で起こっているこの問題は、未だ明確な解決策が見つかっておらず、様々な者が鋭意思索を巡らせている最中だ。
その一つとして、元来楽しい事が好きな妖精の意を酌んで、人の側からそれを提供すれば彼女たちの機嫌を取れるかもしれない……と言うのが、シルヴィの言っていた妖精変調対策なのだ。
本来ならば妖精変調と言う問題が浮き彫りになった時点で、不特定多数を巻き込んで被害が広がる可能性を鑑みるならば、学園祭は中止にするべき。
しかし、仮にこの考えが何かしらの効果を発揮すれば、妖精変調と言う巨大な問題に一つの光明が差すのだ。
そしてそれを、学園側が許可してこうして進められている……。少しだけ大人な視点で広く見渡せば、ここに二つ目の理由が見えてくる。
つまりは、国営教育機関と冠しているテトラフィラ学園の名前の通り、国が一枚噛んで現状打開の方法を探っているという可能性だ。
妖精の機嫌を取ることで妖精変調の影響を緩和できるならば、明確な解決策の一助になる。であれば、学園祭と言う賑やかな場を箱庭の実験場と見立てて推移を観察すれば、少なくとも効果の有無の情報が沢山集まる。
これは、国営だからこそできる大規模方針だ。
そして、国が協力し、その後ろ盾を得て学園が動いている。その土台の上に見える三つ目が、学園生たちの行動だ。
ここ数日、今日の……特にリゼットの事で考えが纏まらなくて外に足を向けたことが何度かあった。その時偶然に、学園生が町中で広報活動をしているのが目に入ったのだ。
学園祭の宣伝と言えば別に何もおかしな話ではない。家族に、見に来て欲しいと一言告げるのだって立派な広報だ。
が、これまでの記憶を浚ってみても、学園生が町で直接宣伝活動をしていたことはないのだ。
恐らくは人を集めるため。盛り上がりに欠かせない人を動員するために、より多くの人に知って来て貰おうという事で、学園側が許可した活動なのだ。
妖精変調。国営。検証。
今回の学園祭は、例年のそれとは一線を画す。
きっと殆どの学園生たちはこの事に気付いていない。だが、シルヴィのような一部の生徒は断片的に察している。
学生たちにとっても、折角の学園祭を研究の箱庭にされるのは気乗りしない話だ。だからこれは、秘密裏に行われる実験。世界の為に必要な綱渡りだ。
もちろん、察しがついたからと言ってそれを公にするつもりはない。妖精変調の影響は少なからず僕の周囲にもある。
妖精との関係が改善されるならばそれは願ってもない話。何より、これからを担うシルヴィ達にとっての福音。
故に、見えないなりに見える世界を見渡して。できることの為に……今を楽しむのだ。
恐らくこの人ごみに紛れている軍の関係者たちには気付かない振りをしたまま。
外の見えない箱の中で、僕たちは妖精の尻尾を追い駆ける。
テトラフィラの学生には、多く名家の子息子女がいる。
階級や肩書きが重要視されがちなカリーナにとってそれは誉れの一つであり、自らが将来を志すに足る指標の一つだ。
そんな、普段から大人の世界に片足を突っ込んだ子供たちが催す出し物は、学園のことながら、ともすれば大人の世界でも通用するものも存在する。
流石に専門的な部分では劣るが、飲食を提供しているところなどは十分にお金の取れる代物だった。恐らく、家の伝手でいい食材を使っていたりするのだろう。
個人経営では中々に厳しい現実を垣間見ながら。そうして素直に学園祭を楽しめば、やがて足は目的地の一つであった彼女の担う教室へと辿り着いていた。
シルヴィから聞いた話では、幽霊屋敷を再現した体験型の催しらしい。妖精術で様々な怪奇現象を再現して中に入った者を恐怖へ落とし込む……。暗闇の閉鎖空間で、いつやってくるか分からない恐怖に怯えながら終わりを目指すという時間は、性別年齢問わず様々な恐怖を掻き立てるだろう。
怖い物が駄目な人にとっては関わりたくない為、そういう客足は期待できないかもしれない。しかし、確実に需要のある娯楽の提供は、安定感と共に賑わっているようだった。
並ぶ前に、内側から暗幕の張られた教室を眺める。と、聞き慣れた声が僕の名前を呼んだ。
「お、ジルさん。来てくれたんだな」
「やぁロベール。繁盛しているようだね」
「苦手な人も多いからどうなる事かと思ったけど、これだけお客さんが来てくれたからなっ」
母数が増えればそれだけ遊びに来てくれる客も増えるか。
そういう意味では、沢山の来客を呼び込むための広報は、言葉通りの意味で効果を発揮したようだ。
確かな実感と共に笑顔を浮かべる少年。僕の幼馴染であるシルヴィの古くからの友人であるロベール・アリオンだ。
彼とシルヴィの家、アリオンとクラズは親交が深い。その為、幼い頃からきょうだいみたいに共に育ってきた二人。そんな成長を、時折目にしていたのが僕、と言う少し不思議な関係だ。
「シルヴィは?」
「脅かし役。流石にメゾン級で属性妖精術が使えるのは人数が限られるからさ。交代で頑張ってるんだよ」
「なるほどなぁ」
妖精の見える者は妖精力を。そして妖精力を素として妖精術を行使することができる。
主に妖精憑きや妖精従きと呼ばれる者達の力を指すときは、後者であることが多い。
そんな妖精術は、四つの分類に分けられる。
一般的に属性と言われるそれらは、世界を構成する要素とも考えられ、地、水、炎、風と呼ばれている。
それぞれ得意なことが異なり、また属性同士の相性なども存在する。目立った争いのない昨今ではあまりないが、武力同士の衝突が起こった際に相手を倒すための力として求められ、事を有利に運ぶために考慮されたりするものだ。
そういう荒事は基本的に軍などで引き受け、腕の立つ者は国を守るためその力を捧げる。その為に学園等で力の使い方を学ぶわけだが……そこに関しては今回はいいとしよう。
そんな属性に分類される妖精術……言葉の通りに属性妖精術と呼ばれるそれらは、ここカリーナの学び舎では、その基礎を下から二つ目の学年……ヴィラージュで学ぶこととなると、前に店に来た二人に聞いた。
シルヴィやロベール達、今年入学したばかりの新入生は誰もがメゾン級から始まり、妖精との付き合い方等の全ての前提を。試験を経てヴィラージュ級へ進級すれば、妖精術の扱いを。さらにその上には、妖精憑きの憧れとも言うべき妖精との契約を行い、実際に唯一無二の相棒と肩を並べるポルト級が。より高度な知識や技術を身に着けようと研鑽を重ねれば、実質の最上級であるポール級へ名前を連ねることとなる。
ここまでくれば世間でも一人前の妖精従きとして認められ、卒業後はそれぞれが志した道へと進み、大人の仲間入りを果たすことになるのだ。
そして在学中、一人前となった中から更に毎年数人。ともすれば将来、世界さえ左右しかねない逸材として一目以上置かれることとなる、学び舎での最上階級……フォール級へと至る者が出てくるのだ。
ここまでくれば将来は既に確約されたようなもの。どんな職業にだって就けるだけの素質を秘め、並の妖精従きとは一線を画す存在として様々な未来を嘱望されるようになる。
だがそこに至るためには、並大抵の努力では敵わず。才能と運さえも取り揃えて、たった一握りが辿り着く……言わば妖精従きの憧れとも言うべき頂きだ。
一応、一つの指標として幼い頃から才覚を発揮し、優れていれば可能性があるとされる。そういう意味では、メゾン級で属性妖精術を扱えるシルヴィやロベールはその資格を持っているかもしれないという事だ。
……もっとわかりやすく言えば、大人顔負けな資質の持ち主。それがフォール級の卵なのだ。
大体の者はポール級に進級したところで自分の才能を知り、高みを目指すことを諦める。
自負と期待を一身に背負い、それでも折れることなく邁進し続ける存在。だからこそ最上階級は、皆の憧れなのだ。
「因みに妖精術を使えるのは何人くらいいるんだ?」
「ぼくの教室だと……五、六人くらいかな」
「それは大変そうだな」
五人いて、そのうち一人でもフォール級に至れば重畳。そう言えば、どれだけ険しい頂きなのか理解できるだろうか。
少なくとも僕は、例え見えていたとしてもそこを目指そうとは思わない。向上心云々よりも、才能に押し潰されてしまうだろうから。
「自前だとそうだな。けどほら、術式封印石みたいに、妖精力を流し込めば使える物もあるからさ。そんなに数に困ってるわけじゃないって」
「そうか」
術式封印石。その名の通り、術式……妖精術を封じ込めた石の事だ。
妖精力を扱える者が、それを流し込むだけで中に込められた力を現出させることができる。主に、自分の属性では扱えない力に頼るときに利用するもので、火を熾したりするものは一般家庭でも使われていたりする。
この学園に通う生徒はもれなく妖精憑きか妖精従き。例え入学したてのメゾン級でも、半年も通っていれば術式封印石の扱いくらいはできるようになる。
それさえも使えず、生活にさえ少し苦心するのが僕のような見えない者だったりする。この壁は、どう足掻いても埋まらない。
「ロベールは確か、水を得意としてたよな? どうやって驚かすんだ? 流石に水をぶっかける訳じゃないんだろう?」
「それやったら学園祭どころじゃなくなるって。どうやって驚かすかは……ジルさんが体験してみればいいんじゃないか?」
「少し口が上手くなったな」
「ジルさんのお陰だなっ」
しばらく前に、目の前の彼と幼馴染のシルヴィの二人は、僕の店で職業体験をしている。
その際に接客を経験した彼らは、どうすれば客の興味を引き、盛り立てられるのか……それを学んだようだ。
幼い頃から知っている身としては、まだまだ子供だと思っていたのだが……。彼らも立派に成長を重ねているという事だろう。
それが、何だか自分の事のようにほほえましく思う。
「それじゃあ存分に楽しませてもらうとするよ」
彼らの催し物に客として参加するのも目的の一つ。もしその後で偶然にでも助けられれば、少しくらいは冒険してみてもいいかもしれないな。
* * *
「シルヴィ」
「うわっ、びっくりした……」
暗闇で声を掛けられて思わず体が跳ねる。
囁くような小さな声に振り返れば、仄かな光に慣れた目が幼馴染の輪郭を捉えた。
「ロベール? どうかしたの?」
「ジルさんが来たぞ。列に並んでる」
「そっか。誘って正解だったね」
「あぁ」
声を掛けた時は、暇であればと言っていたジルさん。けれどもあたしは、彼ならばきっと来てくれると期待していたのだ。
「先生は?」
「予定通りだと今は見回り中」
あたしが思うに、ジルさんはまず間違いなく先生……リゼット・ヌンキに恋心を抱いている。
それを知ったからには、同じ片想い仲間として、その幸せを掴んで欲しいと小さなお節介を焼きたくなってしまう。
そしてそれは、小さい頃からジルさんの事を知っているロベールも同じらしく、彼とは今回共同戦線。今日に至るまでの準備期間に、それとなく先生の予定を聞き出して、偶然を必然に変えるために色々策を練ったのだ。
流石に後夜祭の言い伝えにまで巻き込むことはしないけれども。折角の特別な日。少しくらい面白い事があってもいいだろうというのは、幼馴染との数少ない意見の一致なのだ。
「流石に今から先生に来てもらうのは無理だね……」
「シルヴィ、この後休憩だろ? ジルさん案内する振りして先生のところに連れてったらどうだ?」
「ロベールって偶にいいこと言うね」
「偶ってなんだよ……」
いつもは鈍感を撒き散らしている幼馴染だが、あたしと気が合う時は視線だけですら意思の疎通が叶う間柄。
それが幼馴染だというのならば、あたしの気持ちにもそろそろ気付いて欲しいところだが……そこまで彼に期待するのはもう疲れた。
とはいえ、今回に関しては彼の発想力は頼りになる。今それ以上の案は思いつかないし、ロベールの代わりにあたしが実行役を引き受けるとしよう。
「シルヴィ、お客さん来たぞ」
「分かってる。ロベールは呼び込みお願いね」
「任せろ」
心地よい呼吸。背中合わせで多くを語らず、互いに信頼し合えるその空気が擽ったくも嬉しくて。
緩みそうになった口元をどうにか責務で上書きして、風の妖精術を一つ行使する。
途端、道の両脇を彩るおどろおどろしい景色から、カタカタという音が幾重に響いてやってきたお客さんの恐怖感を煽る。
からくりは単純。起こした風で木の板などがぶつかり、音を鳴らしているだけだ。けれども無音の中からいきなり無機質な音が響けば、誰だって驚いてしまうと言うもの。
ここに来るまでの恐怖体験は、いずれも妖精術で直接干渉する物ばかり。だからこその、警戒の外からの不安を掻き立てる演出に、お客さんの足が一瞬止まったのが分かって楽しくなる。
驚かされるのはごめんだが、脅かす側は面白いのだから仕方ない。
なんとも自分勝手な事だと思いながら、更なる追撃にとまた一つ妖精術を行使したのだった。
「ふぅ……あ、外涼しい」
「お疲れ、シルヴィ」
「ありがと」
一所に篭っていた所為か、少しだけ汗をかいてしまった。流石にこのままは気持ち悪いと、妖精術で小さな風を起こして乾かす。
それと同時、ロベールが用意してくれていたらしい飲み物を差し出した。
こういうところは気の利くお坊ちゃまでずるい話だ……。まぁ、あたしに対するそれはただの労い。特別な意味などないことは知っている。事実以上の期待はしない。
「ジルさんは?」
「シルヴィと入れ違いで中に入ったよ」
「なら待ってようかな」
「じゃあぼくは準備あるから。後よろしくっ」
本当はロベールと校内を回りたかったけれど……今は我慢。それに、ロベールとは約束がある。もちろん思い出が増えるに越したことはないが、あたしにとってはそっちの方が重要だ。
楽しく達成感に浸りながら約束が果たせたら……。そんな些細な待望を胸に抱きつつ休息をすれば、少し早足にジルさんが出口から姿を現すのが見えた。
「どうでしたか?」
「うおっ……ってなんだ、シルヴィか」
「その様子だと楽しんでもらえたみたいですね」
「結構本格的と言うか……その、なんだ……」
「素直に怖かったって言ったらどうですか?」
「……知らない世界を少しだけ体験できたのは貴重だったかもしれないな」
強情な人だ。けれどもしかし、彼のような見えない人でも楽しめることは証明できた。今回の幽霊屋敷は正解だったようで一安心だ。
「ジルさんはこの後どうするんですか?」
「一通りは見て回たんだが……どこかおすすめとかあるか?」
「そうですね……」
いきなり言われても困るが、ここで引き留めておかないと折角彼を呼んだ意味がなくなる。
せめて先生と挨拶するまではここにいてもらわなければ。
「だったら、何か食べに行きませんかっ? ジルさんの意見聞いてみたいです」
「そんなに酷評するつもりはないけど……分かった。店は任せてもいいか?」
「はい。仲のいい先輩が太鼓判を押してたのでそこに行こうと思います」
「よし、腹ごしらえといこうか」
お昼まではまだ少し時間があるけれども。とりあえずこのままジルさんを捕まえて、先生のいそうな場所を巡ってみるとしよう。
それからしばらく、ジルさんと二人で校内を散策したが先生の姿は見つからなかった。
けれども隣を歩いていて、そう悲観する時間でもなかったと、教室へ戻りながらの道行きでこれまでを振り返る。
あれこれ理由を見つけての先生捜索。そんな中で、どうやらジルさんも人を探すような素振りを何度か見せていたのだ。
これはまず間違いなく、あたしの一押しに意味があった証。となれば是が非でも先生とジルさんを引き合わせたいと思ってしまうのだが。そんな意欲を見透かしたように意中のお相手は終ぞ見つからず。
結局あたしの休憩時間が終わって仕方なく出し物の当番へと戻ることとなったのだ。
あたしと言う建前を振り翳しても見つからなかった姿に、ジルさんも少し気落ちしている様子。
……こうなったら最終手段。ちょっと無理目な理屈でも捏ねて、あたしの教室の前に縛り付けておくとしよう。
そうすれば何れ様子を見に来る先生と会うことができるはず…………。ここまで来て成果一つ上げられないのはあり得ない。
それでももし駄目なら、後夜祭を理由にしてでも────
そう考えて見えた自分の教室に、担当としての責任感へと気持ちを切り替えた直後。人垣の向こうに、またしてもあたしの考えを簡単に崩してくれる現実が待っていた。
「あ、先生っ!」
そこにいたのはジルさんの探し人、リゼット・ヌンキその人。
一瞬、これまでの校内散策が徒労に感じたが、直ぐに目的の達成に満たされて安堵をする。
と、先生の前に一人の少年の姿。声にこちらを向いたコバルトブルーの瞳が、待ち草臥れたという風に色を宿す。
彼……ロベールは、あたしが幽霊屋敷の仕事で戻って来ることを知っている。その上で、先生を引き留めていてくれたのだろうか。
もしそうなのだとしたら、彼には少し悪い事をしてしまったと思いながら。
そしてそれ以上に、頼りになる幼馴染に感謝をしつつ待ち人を連れてくる。
「クラズさん、おかえりなさ……あ」
「どうも、先生」
あたしに向いた視線が、それからすぐ隣へ。ジルさんに気付くと、先生は期待通りに驚いた表情を見せてくれた。
一瞬ロベールと目が合えば、彼も嬉しそうに頬を吊り上げた。
「二人に誘われて遊びに来たんです」
「そうだったんですか。お楽しみいただけてますか?」
「はい。彼女たちの出し物も堪能させていただきました」
あたしの時とは違う声でジルさんが話す。
そんな様子を数歩下がって伺えば、隣には静かにロベールがやってきた。
「引き留めててくれたんだ」
「担当終わって外に出たら丁度先生いたからさ。シルヴィも交代ですぐ戻って来るって思ってな。上手くいったな」
「だね。……ありがと、ロベール」
別に、あたしの為ではない。けれども、心通って同じことを考えていたことが。そうして繋がっていたことが、これ以上なく嬉しく感じる。
本当を言えば、このままロベールと一緒に学園を回って今以上の思い出を作りたいけれども。今日組まれているそれぞれの予定ではそれは叶わない。
そこに関しては、この学園祭唯一の不満かもしれない。
……いっそのこと、この瞬間に時が止まってくれればいいのに。
「あそうだ、シルヴィ準備しないと」
「……あの二人の事もっと見てたいんだけど…………」
「いいから、ほらっ」
「あ……」
行方の気になる二人の動向に後ろ髪を引かれる。と、それから無理矢理引きはがすようにロベールがあたしの手を取って引っ張った。
……うぅ、だからそう言うのは二人で学園祭を回ってるときにしたかったのにぃ…………。
中途半端に叶えられてゆくあれやこれやに遣る瀬無さを覚えつつ、仕方なく足を出す。
「先生」
「いい?」
その直後、煩いほどの喧騒の中で特徴的な呼吸を耳が捉えた。
刹那に、腕を引っ張っていた足が止まる。こういう時には変に敏感なロベールと同時に視線を向ければ、そこにはここカリーナ共和国における特別な双子姫、ピスとケスの姿があった。
彼女たちは今回、学園祭の運営委員会としてあたしたちの教室から選出され、様々な会議に参加して指揮を執ってくれていた。学園祭当日の今日は、円滑に催しが進むようにと校内の見回りを行い、問題の仲裁や道案内などを役目として忙しなく動き回っている。
そんないつもは付けない腕章を腕に巻いた彼女が、今日も今日とて相も変わらず二人で一つな鏡合わせで首を小さく傾げる。
「アルレシャさん? どうかしたの?」
「この子」
「『風変り』」
「っ……!」
よくよく見れば、二人の傍には一人の妖精。
その魂を示して、ケスが『風変り』と零す。すると微かに先生の表情が硬くなった、気がした。
『風変り』……一体何の話だろうか? 風に属する妖精?
だとしたら、同じ属性に愛されているあたしが力になれるかもしれない。そう考えて声を掛けようとした、次の瞬間────
「あ、」
「駄目」
「え…………?」
ピスとケスの声が小さく響くのと同時、視線が交わって。一瞬にやりと笑った気がするその妖精が、気付けばあたしの目の前にいた。
「楽しそうな夢。ね、叶えよう?」
まるで踊りにでも誘うような軽快さで。囁くように呟いた妖精が、その身の力を発露させる。
「いけない! 下がって!!」
切迫した先生の声。次いで、目の前の妖精が行使したその力が妖精力だと遅まきながら気づいた、次の瞬間。
辺り一帯に全てを塗り替え吹き飛ばすような烈風が吹き荒び、体中の感覚がぐらりと反転した。
* * *
ピスとケスの声に気付き手を伸ばす。
しかしそれより数瞬早く吹き荒れた風。不可視の猛威が辺りに撒き散らされ、咄嗟に顔を庇って目を閉じる。
が、そんな想定外も一瞬の事。直ぐに風は止んで落ち着き、状況確認にと腕を下ろす。
そうして目にした景色に、思わず声が漏れた。
「え…………?」
目の前に広がっていたのは、私のよく知るテトラフィラ学園の校内。今日と言う日の為に準備した飾りつけなどはそのままな、何の変哲もない学園祭の一幕。
それだけであれば、ただの突風騒ぎで終わっていたはずだったのに……。
「あれ……人が……」
「いなくなった…………?」
先ほどまで視界を埋め尽くすほどに犇いていたお客さんたちが、まるで最初から存在しなかったかのように忽然と姿を消していた。
いきなりの出来事に思考が止まり、次いで教師としての私が声を発していた。
「みんな無事っ?」
「あ、はい」
「大丈夫だ」
普段生徒として私の事を信頼してくれているシルヴィ・クラズとロベール・アリオンが反射的に答える。
次いで疑問の声は隣から。
「先生、これは一体……?」
見ればそこには、先ほど出会ったジルさん。彼は城下町でお店を切り盛りする男性で、私の行きつけのお店の店主だ。
どうやら学園祭に遊びに来てくれたらしい彼とは、寸前まで少しだけ公私を混同して立ち話をしていた。そこへ校内の見回りをしているピスとケスが妖精と共にやってきて、『風変り』と────
「っ、アルレシャさんはっ?」
妖精の事を思い出し、話を聞こうと振り返る。が、そこには鏡合わせな双子の姿は影も形もなかった。
「あれ、二人は……」
直ぐに辺りを見回すが、あるのは学園祭用に飾りつけされた校内と、シルヴィ、ロベール、ジルさんの姿だけ。
今一番話を聞きたい妖精も、彼女を連れてきたピスとケスも。そして溺れる程に沢山いたお客さんの姿も存在しない。
その段に至って、ようやく思考が落ち付いて来る。
これは…………まずい。
「二人とも、あの妖精は?」
「……そういやどこ行ったんだ?」
「あの…………」
「何?」
どうやら二人も見失った様子。と、シルヴィがこちらを伺うようにしながら零す。
「これって、あの妖精の仕業、ですよね?」
「…………えぇ、恐らくは」
早くも私と同じ推論に至った聡明な彼女が、それから続ける。
「その、どうなってるのかは分からないんですけど……こうなる前にあの妖精が言ってたんです。『楽しそうな夢。叶えよう?』って」
「……心当たりは?」
「ごめんなさい……」
「いえ、いいわ」
あの妖精がシルヴィ・クラズに接触して何事かを囁いた。その様子に、危険だと悟って止めようとして、間に合わなかった。
あの突風にも妖精力の発露を感じたし、この現象があの妖精の起こしたことと言うのはまず間違いない。
基本的に妖精の悪戯は、彼女達の思いつきに依存する。その興味を刺激する要因の一つとして、人の価値観があったりするのだが……今回は恐らくそれだ。
何らかの興味をシルヴィに惹かれて、悪戯を行った。それに、周囲にいた私たちが巻き込まれた。
……どうしてか妖精を連れてきたピスとケスはここにはいないが…………もしかしたらそれが手掛かりになるだろうか?
「そもそもここどこなんだ?」
「……そうね、まずはそこから確かめましょうか」
ロベールの声に答えて、状況把握に努めながら巻き込んでしまったジルさんに視線を向ける。
「いきなりこんなことに巻き込んでしまってごめんなさい」
「いえ……これってシルヴィの言った通り妖精の悪戯なんですよね?」
「はい。しかもきっと、少し度が過ぎた類の……」
言って、不安を余計に煽ってしまったと気付いたが、目の前のジルさんは意外と冷静だった。
「はは、流石にこんなのは初めてですね。けどほら、妖精の悪戯なんて日常茶飯事ですから」
「……ジルさんは見えない方でしたよね?」
「えぇ。けど見えないなりに妖精には悪戯をされるので。皆さんとは少し違いますが、慣れてますよ」
彼のように見えない人の中には、妖精と言う存在を酷く嫌悪する人たちがいる。
知覚できない存在からの一方的な悪戯に翻弄され、腹を立てた末に嫌ってしまう。これは妖精と共に歩むこの世界で稀に存在する事例だ。
だが、ジルさんはどうやらそこに関して寛容らしく。私でも直ぐには対処法の思いつかないこの事態に巻き込まれて尚、誰よりも落ち着いている。
その事実にようやく自分を客観視して、絡まっていた思考を解くことができた。
「直ぐに解決して元居た場所に戻りますので、ご安心ください」
「はい、期待してます。何かお手伝いすることがあれば言ってください」
「ありがとうございます、ジルさん」
今いる四人の中で唯一妖精を知覚できない。だというのに誰よりも冷静な彼に励まされ、期待され。
シルヴィとロベールも教え子として大切だが、全くの無関係な彼を無事に連れ帰ることが目的の一つだと、理想の着地点を見つける。
すると少しだけすっきりした思考が現状を処理し始める。
そこで違和感に気付いた。
「……夜?」
直ぐ傍の窓から見えた外の景色。そこに広がる空間は、まるで陽の落ちた後のように不気味な闇が広がっていたのだ。
窓に手を掛けるが、まるで空間に固定されているようにびくともしない。代わりに窓から外を伺い見れば、更に不思議な景色を捉えた。
「なんだあれ……月、にしちゃあ明るいな」
「陽だと思うよ。全然照らしてはくれてないみたいだけど」
同じように外の異変に気付いたロベールとシルヴィが口々に零す。
外の景色は暗闇一色。だというのに、空には陽のように明るい球体が浮かび、しかしながら日中のそれのように大地を照らしてはいないという不気味なちぐはぐさを描き出していた。
「夜に陽、ですか。なんだか時間が入れ違いになったみたいですね」
「……時間…………」
ジルさんの言葉が引っかかる。
既に色々思案していた中から、最もありえそうな可能性が浮かび上がった。
「時間を惑わせる悪戯……けどそれだけじゃ説明が…………」
「先生?」
「あぁ、ごめんなさい。……とりあえず校内を回ってみましょう。他に人がいるかもしれないわ」
そう、人だ。先ほどまで大勢いたお客さん。彼らは一体どこに行ったのか。
単純に時間を錯覚させるだけなら沢山の妖性に心当たりがある。しかし人まで一度に沢山消してしまうというのは…………消して……?
「もしかして、逆……? 消えたのは私達…………?」
思い付きが音になる。
そうだ。そう考える方が自然だ。
なにせあの妖精はシルヴィに惹かれてこの悪戯を振り撒いた。その元凶とも言うべき彼女が、今目の前にいるのだ。
つまりは、悪戯で惑わされたのはお客さんたちではなく、私達。
と言う事は…………。
「時間を惑わせて、人を攫って…………けどまだ足りない……」
いくつかは絞れた。しかしまだ足りない。あと一つ……何か手掛かりがあれば…………。
そう思考に落ちた直後、ロベールが提案する。
「なぁ先生、二手に分かれないか?」
「え?」
「人がいるかどうかを探すならその方が効率的だろ?」
「………そうね」
考えながら廊下を端まで歩いてみたが、教室の中にも人の気配はなかった。
ここから校舎全体を捜索するとなると、固まっていては非効率だ。彼の提案は理にかなっている。
「それじゃああたしはロベールと行きます。先生はジルさんをお願いします」
「けどあなたたち二人だけは危険よ? もし何かあったら……」
「ジルさんは見えないので、二手に分かれるなら先生が傍に居るべきです。あたし達だけだと、守り切れるか分からないので」
この状況を引き起こした原因の一端はシルヴィにある。だから彼女が狙われている可能性の方が高いのだが……。
「それに、ロベールの事は信頼してますから」
「あぁ、シルヴィはぼくが絶対に守るから。だから先生、ジルさんの事お願いっ」
二人の決意は固い。
それに、このまま言い争うのも不毛で、四人で固まって動くよりは解決が早いだろう。
「……クラズさん、風の索敵は使える?」
「えっと、少しなら…………」
「私が考える限り、ここは学園とよく似た別の空間よ。外のあの景色がその証拠。つまり、簡単に言えば結界の中なの。私達は、あの妖精に惑わされてる」
警告の意味も含めて、私が至った結論の一部を共有する。
鋭い声に二人の纏う空気が真剣になり、頼りない生徒から妖精に向き合おうとする一人の妖精憑きへと変わっていく。
「授業でも教えた通り、結界の維持は内側にいた方がし易い。つまりあの妖精はこの学園のどこかにいる可能性が非常に高いわ」
「だから風の索敵で不意打ちを受けないようにするんだな?」
「えぇ」
私の言いたいことを察してロベール・アリオンが言葉を継ぐ。
二人は優秀な生徒だ。授業中に居眠りをすることなどなく、座学も実技も目を見張るものがある。
これまでもこんな少し特別な経験をしてきているらしく、想定外にはある程度耐性があるのだろう。
そんな成長が……この先がますます楽しみな姿が頼もしく感じる。
「絶対に無理はしないこと。索敵が維持できなくなったら、教室に戻って私たちが戻るまで待機。約束できる?」
「はいっ」
「分かった!」
真っ直ぐな返事に頷き返して、肩を並べながら歩き出す二人の背中を見つめる。
そうして、角を曲がって姿が見えなくなったところで小さく息を吐いた。
授業を終えた後のように、意識が少しだけ丸くなる。と、直ぐ傍に居たジルさんの事を思い出して顔を向けた。
すると彼は、どこか納得したように笑みを浮かべていた。
「あ、えっと……」
「やはり先生は先生なんですね。僕が知っている先生とは少し違うので驚きはしましたけれど」
仕事方面に振りきれた自分を見られるのは恥ずかしく感じる。
が、どうやら別に彼を怯えさせてしまったわけではないようで一安心だ。
「では行きましょうか。……とは言っても、僕には見えないのですがね」
「……五感を頼りにしてください。もし本当に私達以外いないのだとしたら、そうした変化は彼女達の存在証明に繋がります。例え姿は見えなくても、五感を使えばその存在を捉えることはできるはずですので」
「分かりました。気を付けてみます」
妖精に惑わされている状況でも変わらない彼の雰囲気に私まで落ち着く。
……いやいや、彼に寄りかかってどうする。巻き込まれてしまった彼を無事元居た場所に帰すのが私の役目。
それに…………『風変り』。かの存在は見過ごせない。隣の彼の安全もそうだが、これ以上の問題拡大を防ぐためにも、その身を保護しなければ。
* * *
「ねぇロベール」
「なんだ?」
周囲に温かい風の雰囲気を感じながら閑散とした校内を歩く。
人がいないとこんなにも寂しく、そして寒く感じるのかと。歩き慣れた校内を、妖精の姿を探しながらの道中。隣のお幼馴染の声に暇つぶしに答える。
「思ってたんだけど、どうしてジルさんの事そんなに協力的なの?」
「ジルさんって…………あぁ、先生の事か」
シルヴィの声に、彼女の言いたいことを察して言葉を探す。
「んー……別にこれって理由があるわけじゃないけどな、悪いことしてるわけじゃないんだから協力するのもいいかなって思っただけだ」
「それだけ?」
「他には思いつかないな」
ぼくからすれば、ジルさんの恋の行方なんて娯楽でしかない。
そもそもぼく自身ピスとケスの事でまだ明確な答えを知らないのだ。他人の恋愛に首を突っ込む前に、自分の事をどうにかするべきなのは確か。
ただ、もし理由を見つけるとしたら、それは……。
「ま、一応世話になってるしな。ちょっとしたお礼みたいなもんだって。これが今日初めて会ったばっかりの他人の事だったら協力なんてしなかっただろうけど」
「ふーん……」
自分から訊いておいて随分とそっけない返事。一体何が知りたかったんだよ。
「実際問題、先生の方はどうなんだ?」
「……あたしもよくは知らないけど、今のままだと少し厳しいんじゃないかなぁ。先生、恋愛よりも仕事みたいだし」
その辺りは何となく理解できる。全く興味がないというわけではないだろうが、今はそれ以上に意欲を傾ける目的が存在する。
だから恋愛は後回しにと、そういう事だ。
「ジルさんも結構大変な相手を好きになったよな。ってかどこを好きになったんだろうな?」
「さぁ、それはジルさんしか分からないことでしょ。あたしたちはお膳立てをする。それだけだよ」
シルヴィも、よくそれだけ他人の恋愛に首を突っ込めるものだ。
「シルヴィはどうなんだ?」
「え?」
「だから、好きな人とか」
「…………いたらどうするの? ロベールが協力でもしてくれるわけ?」
「何でそんな面倒なことしなきゃならないんだよ」
「でしょうね」
相変わらずよく分からない幼馴染だ。……ぼくの事は知ってるくせに自分は話さないとか不公平じゃないのか?
「大体、そう言うのは自分の力で…………」
「ロベール」
鋭い幼馴染の声に、間延びしかかっていた意識が引き戻される。
すぐさま、何があってもいいようにと胸の奥に妖精力を滾らせた。次の瞬間。
「なーんだ、残念。はいはい、おしまい。なにもしないからっ」
教室の入り口。その傍に付けられた、教室名を知らせる札の陰から一人の妖精が姿を現す。
飄々とした態度はどこにでもいる妖精らしさ。だが、その身を纏う雰囲気には覚えがある。
「もう少し遊んであげようと思ってたのに……」
「降りて来てくれるか? そんでもって、ここから出してくれると────」
「やだっ」
「え……?」
見つければそれで解決する。そんな想像が容易く打ち砕かれて、隣のシルヴィと一緒にあっけにとられた。
「次は追いかけっこ! 捕まえられたら話を聞いてあげる!」
「あ、おいっ!」
咄嗟に跳んで捕まえようとしたが、指が届く寸前に吹き荒れた暴風。まるで見えない何かに押し潰されたように宙に浮いた体が押し戻され、廊下に落下する。
「ロベール!」
「……あんがと」
が、シルヴィが風の妖精術で受け止めてくれたおかげで怪我をすることなく、尻もちをつくだけに留まった。
差し出された掌を取って立ち上がれば、妖精のいなくなった廊下を見つめて尋ねる。
「で、どうする? 一旦向こうと合流するか?」
「…………ねぇ。こういうのはどうかな?」
微かに考えるような間を空けたシルヴィが、悪戯に不敵な笑みを浮かべる。
どうやら今し方のやり取りで彼女の炉に火が灯ったらしい。一体どこにそのきっかけがあったのか……。
それだけは理解が及ばぬまま、彼女が紡ぐ方針に耳を傾け、ぼくも頷く。
やられてばっかりは性に合わないからな! 捕まえて反省させてやる!
追いかけっこ。そう提案した妖精の声に乗っかる形で、シルヴィと二人校内を駆け巡る。
彼女が提案したのは単純な理屈。
妖精は楽しい事が好き。であれば、彼女たちの心を満たしてあげれば、対等に話し合うだけの落ち着きも取り戻してくれるだろうという考えだ。
リゼット先生が言っていたようにシルヴィが狙われているならば、今いるここはあの妖精が求めた遊びの延長線上。
誘われた遊びに付き合って満足すれば悪戯から解放されると言うのは、妖精の生きざまそのものだ。
ただ、今回に関しては一方的に巻き込まれただけの為、終わった時に彼女の側からお礼があるとは思えない。
が、ぼく達の願いがこの空間から外に出ることならば、それを報酬として彼女の衝動に付き合うというのは立派な妖精との付き合い方の形だ。
もちろん、彼女の願いを叶えたところで開放される根拠があるわけではないが。それでも何もしないよりはましであり、十分に可能性のある話なのだ。
……と言うか、逆に機嫌を損ねて今以上に面倒な状況へ陥ることの方が問題だ。
そうしない為にも、あの妖精の提案に応えるというのは意味のある事なのだ。
「あ、ロベールっ」
「その様子だとそっちにはいなかったみたいだな」
「うん。ってことは……」
「元居た棟の方ってことか……」
策を立ててすぐさま、シルヴィとは二手に分かれて挟み撃ちをする形で校内を探し回った。
そうして今、それぞれに確認し終えて合流を終えた。
見落としがなければこれでこの棟は捜索済み。シルヴィが見つけていなかったという事は、残る捜索場所はぼく達がここにやって来た時に最初にいた、教室のある校舎だけだ。
シルヴィと二人、肩を並べて足を出す。
「屋上とか外には出てないよな?」
「妖精ってさ、自由なようでいて、結構融通が利かなかったりするでしょ?」
「ん? あぁ」
「それって多分、やりたいこととそうでないことの境界線が明確な証だと思うんだよね」
「……炎を得意とする子が水に近付きたがらない、みたいなことか?」
「うん」
妖精には住処のようなものがある。もちろん人のように家を構えて一所に留まる訳ではないが、魂に左右される……得意な属性により近しい環境を、常日頃過ごす場所として好むのだ。
そこから時折、退屈に背中を蹴られるようにして人の世界に遊びに来ては、悪戯と言う形で妖精憑きや妖精従き達とすれ違う。
それは裏を返せば、彼女達にも放埓に至る足る矜持のようなものが存在するという事なのだ。
自らの楽しくないことは行わない。道楽だけを追い求める。
こう言ってしまえば、まるで子供の様だと錯覚する。しかし、彼女たちの言動は衝動的に犯罪を起こすような箍の外れた人間よりも、余程理知的で道理に適った行い。
だからこその妖精であり、妖精であるならばそれに則った行いをするはずだ、と言う事だ。
「先生が最初に確認してたでしょ? ここの窓は開かなかった。つまりは、あの子の世界はこの校舎の中だけで完結してるんだよ。そんな、自分で作り出した法則を壊してまであたし達とは遊ばない……そんなこと、楽しさを追い求める妖精がするはずないからね」
「反則は絶対にしないってことか」
確かに、そんなことをすれば興が削がれてしまう。それは、妖精たちの生き様に反する行いだ。
相手が妖精であれば、ありえない。
これは、相手を信用、信頼した上での行動なのだ。
「妖精は信じないとな。ぼく達は妖精憑きだ」
「妖精は嘘を吐かないっ」
盲目に信じれば、足を掬われる。
けれどそうでなければ、彼女たちは共に世界を歩む大切な隣人だ。
そう胸に抱いて人のいない、しかし飾りつけだけはそのままな校内を、妖精の姿を探しながら歩く。
「校内が学園祭のままなのも、楽しさの証なのかもな」
零しなら、本来は人で溢れて見えないはずの細かい部分まで目で楽しむ。
折角の空間なのだ。ぼくも楽しまなければ、どうして妖精まで楽しませられるのだろう。
あっちの店は飲食の提供だろうか。そんな風に考えながら視界を回したところで、すぐ隣を歩いていたシルヴィの横顔が目に入った。その、見慣れた顔にふと思う。
「……そう言えばさ」
「なに?」
「こんなことにならなきゃシルヴィと一緒に学園祭を回るってこともしなかったんだなと思って」
「え?」
なんとなくの思い付きに、シルヴィが驚いたように足を止めた。
「や、だって幽霊屋敷の当番の所為で休憩時間が入れ違いだっただろ? ピスとケスの二人も校内の見回りで忙しかったし、普段クラスターとかで一緒に過ごしてるくせにこんな時ばらばらってのはなんか不思議な感じがしてたんだよ」
もちろん、二人が学園祭の実行委員になって、根本的に別行動と決まったときには落胆した。
けれどもいざとなればシルヴィとだって校内を巡って楽しめる……。そう楽観視しながら準備を進めて。けれども実際に当番表を作ったときに、ぼくとシルヴィはまるで誰かが仕組んだように丁度噛み合わない割り当てをされていた。
その時に、何だか不思議な感慨を一人覚えていたのだが…………ようやく今分かった。
あれは、寂しさだったのだ。
「シルヴィとなら別に約束とかしなくても学園祭を回るんだろうなって思ってた。けどさ、実際そんなことはなくて、それぞれ頑張ってたのが嫌って訳じゃなかったんだけど、ちょっと寂しかったって言うか…………」
口にすると何だか恥ずかしくなって、こちらを見つめるシルヴィの瞳から顔を逸らす。
幼馴染相手に改まって一体何を口走っているのか……。
見渡す限りに人の姿はなく、隣にいるのはシルヴィ一人。だから仕方なく、無言もつまらないと話題を探した。……うん、そうだ。それ以外に何がある。
シルヴィだから、なんて特別な事ではない。
……まぁ、シルヴィと一緒の時間が他の誰かに務まるかと言われれば、それは違うだろうけれども。そんなことは今はどうでもいい。
「ってか、ぼくとしてはピスやケスと一緒の方がよかったんだけどな」
「…………あっそ。あたしで悪かったわね」
「何怒ってんだよ」
「何でもないっ」
シルヴィはシルヴィであり、ピスとケスではない。
そう告げる前に、彼女はこちらに背を向け一人で足を出す。と。
「けど、約束は約束だから」
「は?」
「相手があたしじゃ不満だろうけど、後夜祭は一緒に踊ってもらうから」
「……だから、それは暇だったらって言ってるだろ?」
「他に踊ってくれる相手がいるって言うの? そんな奇特な相手がいないから、あたしが代わりに踊ってあげるって言ってるのに」
「なんだよそれ。シルヴィが躍りたかったんじゃないのかよ……」
……少し期待して損をした。ぼくにとってシルヴィはシルヴィなのに、彼女にとってのぼくはぼく以外でもいいらしい。
幼馴染だから同じだと思っていたのに…………。なんだか裏切られた気分だ。
「ま、いいや。早くここから戻ろうぜ」
「…………お手洗いっ!」
静かな廊下に声を反響させて、足取り激しくシルヴィが近くのお手洗いに駆け込む。
そんな後ろ姿に小さく息を吐いて、暗闇に陽が輝くという不思議な外の景色を眺める。
「あぁああっ、もうっ!!」
ピスとケスは大丈夫だろうか。そんなことを考えた直後、誰もいない校舎にシルヴィの叫ぶような声が響いて、思わず肩が震えたのだった。
それ以降、余計な話などすることなく戻ってきた校舎の中を歩く。
すると少し前を歩いていたシルヴィが曲がり角で足を止め、覗きでもするように少しだけ顔を出して先を確認した。
「何やってんだよ」
「しっ」
口に人差し指を当てたシルヴィが、小さく手招きをする。
仕方なく彼女の上から角の奥を覗き込めば、そこには先生とジルさんの姿があった。
「なんだ、あの妖精じゃないのかよ。ほら、行こうぜ」
「……ねぇロベール。なんで先生たちまで巻き込まれたんだろうね」
「今度はどうした」
事ここに至って新たな疑問を落とした幼馴染に出しかけた足を下ろす。
「先生はさ、あたしが狙われてるかもしれないから注意しろって言ってたよね」
「そうだな」
「だったら、本来はあたしだけがここに連れて来られてるべきじゃないの?」
シルヴィの声に、言葉の意味を噛み砕いた頭が確かにと納得した。
「それに、あの時近くにはピスとケスもいたんだよ? あの妖精を連れてきたのは二人で、普段から妖精に好かれやすいのに、なんで今回は悪戯に巻き込まれてないの?」
「それは……だからシルヴィが悪戯の対象で……」
「じゃあロベールや先生たちはどうして?」
「……………………」
確かにそれはおかしい。
あの時、妖精が声を掛けたのはシルヴィだった。だから先生は、妖精の狙いはシルヴィだと言っていたのだ。
けれど、もしそうであれば標的であるシルヴィだけが惑わされるはず。ぼくや先生、ジルさんが巻き込まれる理由にはならない。
それに、直ぐ傍に居たピスとケス……他のお客さんも巻き込まれていないのだ。
つまり、それは…………。
「あの妖精の標的がシルヴィだけじゃないってことか? けど、一体どうして……」
シルヴィと二人、黙り込んで納得を探す。
最初に思いついたのは属性。けれどもそれはばらばらで、特定の属性を選んで悪戯したわけではない。
何よりジルさんは見えない側だ。と言う事は、妖精に纏わる何かがこの状況の引き金である可能性はとても低い。
妖精以外の何か……。巻き込まれたのは四人。
「そう言えば、男女二人ずつだな」
「それが?」
「いや、思っただけ」
「だったら一々口に…………」
「シルヴィ?」
小言を言い掛けたシルヴィが、途中でそれをひっこめる。
次いで彼女はじっとぼくを見つめたかと思うと、次いで角の向こうへと視線をやった。
「…………もしかして……」
「何か分かったのか?」
細々と論理的な思考は彼女の得意分野。ぼくに分からないことでも、彼女ならば小さなきかっけから答えに辿り着くかもしれない。
そう信頼して尋ねれば、再びこちらを向いたシルヴィが、それから逃げるように視線を逸らして零した。
「こ、恋人にでも、間違われたんじゃない……?」
「……はぁ?」
流石に馬鹿馬鹿しすぎて感情そのままを音にする。
恋人? ぼくとシルヴィが? 勘違いも甚だしい。
「ピスとケスが巻き込まれなかった説明はつくでしょ? 他のお客さんだって、偶然周りにそういう人がいなかったんじゃない?」
「……もしそうだとしたら、随分と拍子抜けする理由だけどな」
大体、恋人を閉じ込めて一体どうしようと思っていたのだろうか……。全く分からない。
真実を知るのは妖精だけ。けれども、もしシルヴィの想像が当たっているのだとしたら……一々問い質すのも面倒な案件だ。
ぼくにはちゃんと、好きな人がいるのに……。
「確認、してもいい?」
「……好きにしてくれ」
抱いた疑問を解消せずにはいられないらしいシルヴィとは対極的に、肩透かしを食らったような面持ちで途端にやる気が削がれたまま、おざなりに頷く。
「……ねぇ、いる? いたら返事して?」
小声で辺りを見渡しながらシルヴィが呼びかける。すると、少しの間を空けて先ほどの妖精が姿を現した。
なんだよ、直ぐ傍に居たんじゃねぇか。もしかして探し回るぼく達を陰から見て笑ってたのか? いかにも妖精が好みそうな悪戯だな。
「なに? 追いかけっこはおしまい?」
「うん。ごめんね。でもその代わりに、一つ提案があるんだけどいいかな?」
「面白い話なら聞くよ?」
シルヴィが、くだらない事を思いついたようないつもの笑顔で妖精に持ち掛ける。
「あそこの二人、悪戯してみない?」
「…………へぇ。ノア頭かと思ったら、結構話の分かる人間だね」
「どうかな?」
「いいよっ」
ノアとは、硬い殻に覆われた木の実だ。専用の器具などを使って中身を取り出し、お菓子などに使う。
森に住まう妖精が戯れに口に運ぶことでも知られ、炒ってお酒のお供にもなったりするのだが……それは今はいいとしよう。
ノア頭と言うのは、言葉の通り頭の固い相手を皮肉る言葉。悪戯に生きる妖精たちにとって、理屈詰めな人間はそう映る対象と言う事だ。
「その代わり、満足したらここから出してくれる?」
「いいよ。追いかけっこもそれなりに楽しかったから」
「ありがと」
巻き込まれた身で感謝をするのも変ではあるが、ここで彼女の機嫌を損ねても仕方ない。
嘘を吐かない妖精から確約を引き出して互いに頷けば、気乗りはしないが妖精の方を持つ。
「で、悪戯って一体何するんだよ」
「そうだね、例えばあの二人にあたふたしてもらうとか」
「具体的には?」
「ほら、ジルさん」
「…………あぁ、そういう事」
ここまで、妖精を追い駆けてやってきて。どうにか四人と妖精が近くにいる状況を作り出せた。
脱出の約束も交わしたし、シルヴィの言う悪戯が別に悪い意味だけではないことにも気が付いて協力する。
「じゃああたしたちが気を引くから。好きに驚かせてあげて?」
「任せてっ」
言うが早いか、旋風と共に姿をくらました妖精。
やっぱり風に愛されているからシルヴィを中心に巻き込まれたのでは……と考えつつ、幼馴染と視線を交わらせる。
「じゃ、二人には悪いけどやるとするか」
「うん」
本当はこんなことしたくないけれど、ここから出るためだ。自分を騙そう。
小さく深呼吸。それから二人で角より姿を現す。
「先生」
「おかえりなさい。怪我はない?」
「大丈夫だ。妖精なんだけど、見つけた後見失ってさ……」
「そう。いえ、無事に戻ってきてくれて安心したわ」
「先生の方で何か分かりましたか?」
「残念ながらあれ以降進展はないわね。二人の方にいたみたいだから、こっちでは見かけなかったのよ」
「そうですか……」
情報共有を装い、大して相談もしていないのに幼馴染の呼吸で話題を合わせる。
「ジルさんも平気ですか? 慣れない経験ですから、気分が悪くなったりとかは」
「平気だよ。先生が傍に居てくれたからね」
「だったらよかったです」
笑顔を浮かべるシルヴィ。その横顔を盗み見て、疑問に思う。
何で思ってもないのに笑ってるんだ? そんなに変なやり取りだったか?
……あぁ、いや。ジルさんと先生が二人っきりだったからその事か。相変わらず分かりにくい…………。
「さて、そうなると改めてどうするか、ね……」
「あの、それなんですが…………」
「どうかしたの?」
「その…………」
そんなことを考えていると逡巡するように間を空けたシルヴィが、それから意を決したように思い切り頭を下げた。
「ごめんなさい、先生っ!」
「え?」
理由も分からず謝られたことに当惑した先生。そんな隙を見逃すわけもなく、いきなり姿を現した妖精が油断する彼女に向けて悪戯を仕掛けた。
「あっ」
「うぉっ!?」
起きた事象は──房結い。妖精が行う有名な悪戯の一つだ。
効果は単純明快。色々な物を固く結び合わせてしまうのだ。
対象は袋の紐であったり馬の鬣であったりと様々だが、今回悪戯をされたのは……先生とジルさんの髪の毛だった。
それなりに近くにいた二人が、頭を軽くぶつけて髪を結われる。次いで体勢を崩した二人は、縺れ合うようにしてその場へと倒れ込んだ。
互いが互いに引っ張られ、抱き合うように廊下に伏せる。前髪同士が絡まり合った結果、そこには至近距離で顔を突き合わせる男女と言う絵が出来上がった。
あわや口付けと言う距離で息を詰める二人。傍から見ると、ジルさんが先生を押し倒したようにも見える不埒な光景だ。
流石のリゼット先生も、吐息さえ交わる超至近距離での唐突な接近に驚き、目を見開く。そしてそれ以上に混乱しているのは、恐らくこういう悪戯を初めて受けたらしいジルさんだ。
「ぁ、な……や、違っ……! せ、先生! これはそのっ……!」
「お、落ち着いてください。直ぐに解くので!」
慌てつつ、それでも経験則からこうした悪戯には慣れているらしい先生が、急いで妖精術を一つ行使。
ぼく達も習った封印術式を解除する妖精術の一種、逆縫いで、絡み合った髪が一本ずつ解けていく。
こうした他の妖精術に対する特殊な対抗術式が効力を完全に発揮しきるには時間がかかる。それは、初めて見る鍵穴の形状を読み解き、それを順に解除していく行為だからだ。
少し難しく言えば、相手の妖精術の命令式を理解し、破綻させる。それには時間と集中力が必要なのだ。
妖精術の行使に幾ら秀でていても、これが得意と言う者は少ない。術式の解明は、行使ではなく開発に秀でた者の領分なのだ。
一応ぼく達も習ったが、正直得意とは言えない。基本、妖精術を扱える者ならば誰もが使えるが、だからこそ極める者がおらず、これと言った洗練された形が存在しないのだ。
紐を解くことだけを極めるなんて、そんな存在意義の分からない職業を目指す者はいないという事だ。紐が解けたところで、家に泥棒に入る役にも立たない。鍵と紐は別物だ。
……とはいえ、流石にこれはやりすぎではなかろうかと。房結いの行使者である妖精の姿を探す。
するとそれに気付いた先生が、器用に髪を解きつつこちらに視線を向けてきた。
「……誰を探しているの?」
「え、あ、いや……」
「クラズさん、さっきの謝罪はどういう意味かしら?」
「そ、の…………」
先生を怒らせた。そう気付いて、幼馴染と視線を交わす。
やがて反省と共に、素直に全てを話した。
「……妖精と、取引をしました。悪戯に協力したら、ここから出してくれるって約束したので」
「確かに妖精は嘘を吐かないわ。けれどもそれが、彼女たちの本心の全てであるとは限らない。そう授業で教えたでしょう?」
「はい…………」
妖精の甘言に惑わされるな。真実だからこそ、語られない真意を読み解け。
根本から在り方の違う存在の妖精を理解するためには、それくらいの慎重さが標準で必要だと。これまで何度も先生の口から、親の口から聞いてきた。
「それに、例えそこに嘘がなかったとしても、これは望んでいい事ではないわ。妖精の悪戯は生きるために必要な行為でも、人のそれは明確な悪意よ。彼女たちの言葉に惑わされたのだとしても、だからこそもっと自分の行いを顧みるべきだわ。自ら進んで協力したのだとすれば、なおさらね」
「はい……」
そう。そもそも誰かの悪戯に手を貸すべきこと自体が恥ずべき行い。更には妖精の誘いにいいように使われてと言うのは、妖精憑きや妖精従きとして最も警戒するべきことなのだ。
それが出来なかったのは、ぼくとシルヴィの中の倫理観が間違っていたから。他人の為は、悪行の言い訳にはならない。
そもそもそれは、当人同士の問題。周りが首を突っ込んでいい事ではないのだ。
深く、深く反省する。
反論などなく項垂れれば、髪を解き終わった二人が立ち上がった。
「隠し事も、悪戯への加担も、何より見えない彼を巻き込んだ事全てが、今回反省するべきことよ。いいかしら?」
「……はい……」
「ごめんなさい」
二人同時に頭を下げる。
今回ばかりは何を言われても仕方ないと落ち度を認める。
すると響いたのはジルさんの声だった。
「先生、その辺でどうですか? 二人も反省している事ですし、間違いは誰にでもあります。必要なのは、失敗から何を学ぶかだと僕は思いますよ」
「……分かりました。私からも、ごめんなさい。こんなことに巻き込んでしまって」
「大丈夫です。不思議な体験で驚きましたが、戻れはするんでしょう?」
「えぇ。結果はどうあれ、妖精は嘘を吐きませんから。約束をしたのが本当なら、後は妖精を見つければ……」
優しいジルさんの声に感謝しながら顔を上げる。
と、そこにはこの状況を作り出した妖精がいた。
彼女は、これ以上なく楽しそうに笑みを浮かべる。そして──
「じゃあはい、復習だよっ」
「え?」
脈絡などすべて無視して、小さな指先で円を描くように一回転。次の瞬間、ぼくの頭が目に見えない何かに引っ張られる。
直ぐに隣のシルヴィと頭がぶつかって、そのまま頭の横の髪の毛が不自然に蠢いた。
次いでシルヴィと共に立っていられなくなり、その場にしりもちをつく。
「きゃぅっ!」
「痛って……!」
引っ張られた髪の毛に、反射的に手を当てる。するとそこには、自分の物ではない、もう一つの柔らかい髪の感触。
横目で見れば直ぐ傍に誰かの顔の輪郭が。
それと同時、鼻先に覚えのある匂いが掠めて、状況を把握した。
「し、シルヴィ、これ……!」
「わ、分かってる! だからあんまり動かないで!」
返った声は幼馴染の物。
どうやらぼくとシルヴィは、先ほどの先生とジルさんと同じ状況になっているらしい。
そんな、房結いで頭をくっつけたぼく達を見下ろして、リゼット先生が無慈悲に告げる。
「……そうね。しっかし学べたことだし、直ぐに復習する方がいいわね。ほら、逆縫いの実践よ?」
「せ、先生ー……!」
「ごめんなさいっ! もうしないから助けてぇ!」
「実体験に勝る教訓はないわ。大丈夫、ゆっくり待ってあげるから。解けたらこの世界から出してもらいましょう?」
ぼくもシルヴィも怒った先生を目の前に、こんな特異な状況に胸を跳ねさせる余裕もないまま不得意な妖精術を行使し始めた。
直ぐ傍では、お腹を抱えた妖精が小さな体を揺らしながら笑い続けていた。
* * *
妖精術によって増幅された声が響き渡り、学園祭は盛況のまま終わりを迎えました。
一時はどうなる事かと思われた問題も大きな被害もなく解決され、お嬢様にお願いされ探していた顔触れも無事見つかりました。
立場上、報告を上げないといけない為、騒動に巻き込まれた方から代表して先生に伺いを立て、事のあらましをまとめ終えたのがつい先ほど。
これから後夜祭に校庭で炎が焚かれ、それを取り囲んで音楽と共に踊る時間が紡がれる予定でございます。
その準備を、小さな体で終えられたお嬢様がいつもの表情の中に疲労を浮かべながらわたくしの下へとやってまいりました。
「ジネット」
「終わった?」
「はい。お嬢様もお疲れ様です」
ボーンファイヤーの骨組みを組み終え、一息吐くお嬢様。
本日の学園祭では実行委員の一員として校内を見回っていたため、教室の出し物に参加する時間も少なく、また自らが学園祭を楽しんで回るだけの時間もございませんでした。
加えて学園祭中には様々な問題が起こり、その中には御学友であるシルヴィ・クラズ様とロベール・アリオン様が巻き込まれる事態もありました。
お嬢様のお話では、その場に居合わせたにもかかわらず巻き込まれたのは件のお二人と、そしてお嬢様の担任を務めていらっしゃるリゼット・ヌンキ様。城下町で『胡蝶の縁側』と言うお店を経営していらっしゃるジル・モサラー様が妖精の悪戯に合われたそうです。
事の中心にいた妖精。その妖性は、小人の中の小人。またの名を、ピクシー。
最も妖精らしい妖精と言われる魂であり、有り触れて有名な存在でございます。
今回、学園祭の楽し気な雰囲気に惹かれてやってきたらしいその妖精は、見つけたお嬢様曰く、惑い者。ここ最近、軍や国の内部では『風変り』と呼び習わされている、妖精変調影響下の不安定な存在だったそうです。
内部で編成された妖精変調への即応部隊に、その身の特別な力を買われ門客として名を連ねるお嬢様は、今回の学園祭において重要な役割を担っておられました。
今年の学園祭は、箱庭。妖精変調に関する有効な対応策を探るための実験場。
もちろんこの事実を知っているのは一部の者達だけであり、学園の生徒で理解していたのは、お嬢様や軍属への引き抜きが既に決定している卒業予定の生徒など両手で数えられる程度。そして教員の幾人かでした。
軍からも選り抜きの手練れが十数名。市民に扮して学園内に紛れ込み、状況の対処にも当たっておられました。
そんな中で、お嬢様が『風変り』を発見され、その時近くにいたことを知るうちの一人、リゼット様に報告を為されたところで件の問題が発生。先の四名は『風変り』の悪戯によって何処とは知れない彼女の空間に迷い込み、残されたお嬢様は状況の打開に奔走。
元々お嬢様の補佐役として傍に控えていたわたくしがお話を伺い、こちらからも問題解決を試みていました。
しかしどうやら、迷い込まれた四名が自力で悪戯からの脱出を図ったようで、無事目的の妖精も含めた全員でお戻りになられたのが、学園祭の終わる少し前の事でした。
今はリゼット様が各所への報告を行われ、そのような事態を存じ上げない来場客や学園生の皆様に不安を与えないようにと配慮をして、学園祭を無事に終えたところにございます。
後残すところは、大きな問題が公になることもなく終わった打ち上げ……バルフェストと呼ばれる後夜祭を残すところのみ。その準備も、今し方終わりを迎えたところでございますね。
「ジネット」
「この後は?」
「わたくしは学園での出来事をご報告に上がろうと思っております。お嬢様のご活躍もわたくしの方で纏めて、と考えていますが、いかがいたしましょうか?」
今日一日、様々な問題の解決に尽力為されたお嬢様。自らの自由さえ犠牲にしたその働きに、本来であれば何かしらの報奨があって然るべきです。
が、しかし。お嬢様の立場上、正式な軍属ではない為表立って下賜を行う事は難しいのです。
その為、今回お嬢様には金品等の受領は行われません。
この待遇に関しましては、些かわたくしも含むところがないわけではございません。
ですので、後程わたくしに充てられた今回の特別給金からお嬢様に何かしらのお礼を差し上げるつもりではございます。
……けれども、それはあくまで働きに対する報奨であり、お嬢様が擲たれた学園祭の謳歌に対する補填ではございません。
その為、せめて後夜祭だけでも、と……。至らぬ使用人の身ながら、お嬢様の一時の幸せを願っての提案でございます。
もちろん、無理矢理に強制などは致しません。全てはお嬢様の御意思を尊重するものでございます。
「いいの?」
「大変?」
「そんなことはございません。よろしければ、わたくしにも活躍の機会を頂ければと愚行したまででございます」
本日尽力された方々は、妖精の見える方ばかりでございます。問題の要点が隣人たちに起因している為、わたくしでは直接お嬢様方の代わりを務めることができなかったのです。
そんな不甲斐なさに、せめてもの御恩返しを。これもまた、わたくしの本心の一つでございます。
「分かった」
「ありがと」
「それではどうぞ、お嬢様は後夜祭をお楽しみくださいませ」
お仕えする方に仕事を任せていただける。使用人にとってこれ以上の誉れはございませんね。
そう噛み締めながら踵を返したところで、背中に一つ声がかかりました。
「ジネット」
「ありがと」
……その感謝のお言葉は分不相応でございますね。
ですが、お嬢様のお優しさ。しっかりと受け取って、お返しできるように一層励むと致しましょう。




