表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
玉虫色の戯れと王の意向
48/56

第五章

 露草姫が崩御された。

 その訃報(ふほう)は瞬く間にフェルクレールトの大地を駆け巡り、噂以上の事実として疑いようもなく皆が受け止めた。

 彼女は世界の宝であった。

 第二次妖精大戦を生き、その中で瞳の色を失って。それでもなお(おとろ)えることのなかった妖精従き(フィニアン)としての才覚は、これまで数多もの知恵の結晶となって世界を支え、彩る結果を残してきた。

 世界に名を轟かせる唯一無二の人物。それが彼女、ローザリンデ・アスタロス王妃殿下だ。

 (まこと)しやかに囁かれた、色による世界を失った彼女が見ていたという、特別な世界。彼女しか知りえない、彼女だけの理想郷……妖精の国(アルフヘイム)の一端とさえ謳われた、その叡智。

 けれどもその扉は、鍵と共に紛失され、今静かに閉じようとしている。

 妖精と共に歩む者ならば一度は耳にし、尊敬する理想の妖精従き像。

 そんな彼女の亡くなった日は、世界中で雨が降っていた。




 臨時休校となったテトラフィラ学園。不思議なほどに長く続く雨模様に、景色以上に空気と気分が沈むのを肌で感じながら、吐きたくもない溜め息を思わず吐き出す。

 するとその音が、向かいに腰掛ける幼馴染の物と偶然重なった。


「……なんか、変な感じだな」

「そうだね」


 明確に言葉にしないのは、事実を認めたくない故の抵抗なのかもしれない。

 それくらいに彼女の……露草姫の崩御は現実味を欠いている気がした。

 彼女ならその深い知識で()って、今にも元気に蘇って見せてもおかしくないと。そんな風にすら感じられるのに。


「式に参列でもすれば、少しは納得できるかもな」

「どうだろ。その方が余計浮世離れする気もするけど」


 幼馴染の無理な相談に、乾いた笑みを零す。


「そう言えば、こういうのは二人も初めてか」


 響いた声は直ぐ傍から。顔を上げれば、立っていたのはこの店の店主、ジル・モサラーだった。

 学園が休みなのをいいことに、家にいても気が滅入るだけだと幼馴染のロベールを誘い、ここ『胡蝶の縁側』にやってきていたのだ。

 本当は休業していたらしいジルさんだったが、あたしたちが扉を叩く音に気付いて鍵を開けて招いてくれた。


「ジルさんは経験あるのか?」

「まぁ何度か。こんな規模でって言うのは、先々代の大統領陛下と、あとはヘンリック・アヴィオールくらいだけど」


 先々代の大統領陛下。現大統領であるグンター・コルヴァズ陛下とは血縁のない人物であり、先の大戦の終わり頃のカリーナを治めていた。

 共和国と言う形式上、民選によって選ばれる大統領の肩書きは、ブランデンブルクの国王のように代々血で受け継いでいく物ではない。その為今の陛下と先代、先々代はそれぞれ別の立派な家柄の方々だった。

 そんな先々代は、あたしたちが生まれて少しして亡くなっているが、幼い頃の事の為記憶にはない。

 しかし、国を治めた者として世界のその死を(いた)まれて、今回のように見送られたのだろう。


「ヘンリックって、確かブランデンブルクの英雄的妖精のはんぶんだった人だよな?」

「よく勉強してるな」

「確か病で亡くなったって……」


 ヘンリック・アヴィオールは、今のブランデンブルク国王、ヒルデベルト・アスタロス陛下の前任者だ。

 第二次妖精大戦の終幕を引き寄せた人物の一人であり、その当時ブランデンブルク王国を治める地位に就いていた。

 しかしこれは、王国の歴史で見れば例外ともいえる過去なのだ。

 王国と冠している通り、ブランデンブルクは代々建国王であるアスタロスの血を引く者が国王を勤めている。つまりは、歴代の国王を順に紐解いていけば、その全てが家系図の中に納まっているという歴史のある国なのだ。

 けれどもヘンリック・アヴィオールは、アスタロスの血を引かない人物なのだ。

 そんな彼が国王となったのは、(ひとえ)に王国を纏め上げ長く続いた第二次妖精大戦を終結させるための特例。後にも先にも、アスタロス以外のブランデンブルク国王は、彼しか存在しないのだ。

 しかもヘンリックの前の国王は、現ブランデンブルク国王であるヒルデベルト・アスタロス陛下その人。

 彼は27・29代のブランデンブルク国王を勤めているのだ。

 まぁ、同じ人物が複数回王の椅子に座るというのは、歴史では別に珍しい事ではない。そういう事情があっただけの事だ。

 そんなヘンリック・アヴィオールは、ロベールの言った通り英雄的妖精の契約相手だった。

 ヘルフリートと言う名前の(フラム)属性(エレメント)に根差す魂を持った、強大な妖精。まるで長く続いた戦を終わらせるために現れたようなその存在と契約を果たしたのが彼だった。

 ヘンリックは、その力で第二次妖精大戦を終わらせた立役者の一人となった。

 が、戦いの中で病を発症したらしい彼は、戦後治療の甲斐なくそのまま亡くなってしまった。

 例外的とはいえ、国を治め。歴史に大きく刻まれ学園の授業でも決して(ないがし)ろにされることなどない。フェルクレールトの大切な過去に関わった、まさに英雄のような人物。

 であれば当然、その死は世界に惜しまれるべきことなのだ。

 彼の死は、あたしたちが生まれた翌年。先々代の時同様、これもまた記憶にはない。

 ジルさんも小さかったはずだが、少なくとも記憶に残るくらいには成長した後の出来事だ。


「彼や彼女みたいな世界に認められた人が亡くなれば、皆からその死を悼まれる。それだけ沢山の人に思われるってのは、やっぱり生きた証だろうからな。悲しむのも必要だが、遺したものにも目を向けないとな」

「遺したものかぁ……」


 何かを残せるような立派な生き様なんて、結局他人が評価する事。お父さんが前に言っていた言葉を思い出す。

 そういう意味では、世界にその死を嘆かれる彼女は立派な人物だったのだと納得できる。

 彼女のように愛されたなら……。それは高望みではきっとなく、自分が志すべき未来の形だ。


「そうなれるように努力は忘れないことだな、っと……、ほい、準備できたぞ」


 ジルさんの声にそちらへ視線を向ければ、いつもは飲食を提供している机の上に浅い(さかずき)と四角い瓶が一本置いてあった。


「二人はまだだから飲まなくていいからな」

「分かってるよ」

「口を濡らすだけですよね」

「あぁ」


 机の傍に寄れば、盃に封を切った瓶から透明な液体が注がれていく。

 遅れて鼻先を掠めたのは、微かな花の香り。それから、少し忌避感を覚える……酒精のにおい。


「二人用に香りのいいのを選んだんだ。これならまだ平気だろ?」

「ありがとうございます」


 そう言って用意されたそれは、このフェルクレールトの世界共通で、亡くなった人を(とむら)うために行う儀式の一つだ。

 主に直接見送りのできない人たちが行う為の物で、お酒を用いる。

 カリーナでの飲酒は19歳から。その為、それに達しないあたしやロベールは軽く口を付けて唇を濡らす程度に留める。


「あれ、蜂蜜は?」

「おっとそうだった……」


 足りない物に気付いてロベールが尋ねれば、手元に置いていたらしい瓶を机に用意した。

 物が揃えば、後は手順通りに行うだけ。

 儀式の決まりごとは三つ。

 一つは複数人でこれを行う場合、亡くなった人と同性。次いで年かさの人から行う事。今回の場合は、あたし、ジルさん、ロベールの順だ。

 二つ目は、お酒を飲む前に蜂蜜を唇に塗ること。その際に、左手の薬指以外を使わないこと。

 そして最後の三つ目は、これら一連の行為をする間一切喋らないこと。

 それぞれに意味はあるのだが、全ては亡くなった人を敬い、死した後その魂が安らかであるようにと言う願いからくるものだ。

 あたしもロベールもそれなりの家柄に生まれた身。家の付き合いから、これまでも経験はある。

 けれども、今回は亡くなったのがあの露草姫なのだ。幾つかの家が集まって同時に行うなんていう小規模な話ではない。世界中で、彼女の死を悼んで誰も彼もが思いを一つにするのだ。

 その一端に自分も加わることを光栄に思いつつ、粛々(しゅくしゅく)と哀悼を捧げる。

 礼儀として、正式な行いである以上、服装は正装が望ましい。あたしたち学生にとってのそれは学生服だ。

 特にあたしやロベールの通うテトラフィラ学園は国営教育機関。つまりは国が後ろ盾となっている学び舎だ。

 学園に関係することは最終的に国が包括する。逆に言えば、この制服も国に認められた装束と言う事だ。堅苦しく言えば礼装の一つと言う事になるだろう。

 その上で、必要だと判断すれば自らの地位を示すものなどで着飾ることで、弔意と敬意を表す。あたしが身に付けられるものと言えば、学園の校章、家紋。そして派手ではない服飾品くらいだ。

 勲章を持っていたりする人は、それを身に着けることが半ば義務となる。

 特に今回は露草姫への弔意だ。余程場違いでない限り、着飾って悪くなるということはないはずだ。

 また、お酒には、この行為に参加する人数分の弔花を浮かべる。この花は、亡くなった人に縁のある草花を使う事が多く、そうでない場合は親族者などが花の種類を指定する。

 今回は当然ツユクサだ。

 フラストからグリストの暑い時期によく咲く青い花で、本来冬目前のこの季節には咲いていない。が、ここはカリーナ。温暖な気候と発達した栽培技術で一年中咲いている姿を目にできる温室栽培のお陰で、こうして本物のツユクサの花弁を使えるのだ。

 温室栽培に関しては他の国でも行われているが、その最たるものを誇るのはカリーナ。その為、今回の事に先立ち、カリーナから沢山のツユクサが各国に運ばれたと聞いた。

 それもこれも、世界が敬愛する露草姫を弔うための愛故だ。

 今はただ、皆が気持ちを一つにして哀悼を捧げる。あたしから始まり、ジルさん、ロベールと順に儀式を終えれば、最後にお酒へ蜂蜜を直接混ぜ入れ、盃ごと家や店の玄関口へと置くことで終わりだ。

 明日になれば回収するが、それまでは置きっぱなし。その間に妖精たちが来てくれると、亡くなったその人は立派な人生を歩んだのだと一層その死を悲しまれるのだ。

 きっと今回は沢山の妖精が姿を見せるに違いない。


「お疲れ様。二人はこの後は?」

「……このままもう少しいてもいいですか?」

「今帰ると酔っ払いに絡まれるからさ」

「そうだな」


 ロベールの言葉にジルさんが笑う。

 大人たちはその後、酒盛りを行い献杯を捧げる。時が過ぎれば皆が酔いに踊り、眠りゆく。

 クラズとアリオンの家も今頃一緒に酌み交わしている頃だ。飲めない子供がそんなところに入って行けば、いい玩具にされてしまう。

 飲んで、溺れて、一時でも悲しみを忘れられるなら。それもまた必要な事なのかもしれないと思いつつ、子供であることを少しだけ恨めしく思ったのだった。




              *   *   *




「空酔いは大丈夫か?」


 尋ねれば、返ったのは言葉なき首肯。そのことに安堵しつつ、小さく息を吐いて足を出す。

 慣れない空気に辺りを見回せば、そこは────ブランデンブルク王国だった。




 露草姫、ローザリンデ・アスタロス王妃殿下という、妖精従きとして一目以上置かれた人物の死。

 当然これ以上ない規模で催される葬儀は、ブランデンブルク主導で各国の代表や影響力の大きい名立たる人物の参列するものとなった。

 その葬儀には、現カリーナ共和国の大統領であるわたしの父、グンター・コルヴァズも参列する。

 であれば、世間の尺度で言えば王子と言う肩書きになるところのわたしもカリーナの一員として。そしてカリーナの内政の一端を司るアルレシャ家の主としてその場に名を連ねることとなる。

 それだけの影響力のある身だというのは十分承知している。何よりこうして葬儀に参列できることを栄誉にさえ思う。

 実際のところ、わたしと王妃殿下の間に直接の面識があったわけではない。けれどもこうしてその死を直接悼む場に巡り合えるというのは、素直に誉れだ。

 そんな、世界から愛される人物が無くなったという事実は、未だどこか曖昧なままだ。きっとここにいる皆同じ気持ちだろう。

 こうして式に参加するのも、そこに自分なりの納得を探しに来ているという節もあるかもしれない。

 なんにせよ、こうして直接彼女を見送れるのは光栄の至りだと、胸の奥に静かに落とし込んで。身を包む慣れない礼装のまま、静かに列に並ぶ。

 今回の葬儀には、わたしの他に妻のジャスミーヌと、娘のピスとケスも同行している。

 元々アルレシャの家名はジャスミーヌが背負っていたもの。わたしは政略の一部として……なにより彼女を愛しているからこそ、コルヴァズではなくアルレシャの家名を背負っているのだ。

 本来であれば彼女こそがアルレシャの当主なのだが……カリーナでは男性が一家の主とされることが半ば通例となっている為、対外的にはわたしがアルレシャ家の家督を持っていることになっている。

 だが、家名と血筋で言えばジャスミーヌこそが正当な当主。彼女が参列するのは当然の成り行きだ。

 そしてピスとケスだが、彼女達に関しては二つの方面から是非に来て欲しいと申し出があったため、こうして共に国を超えてきたのだ。それがなければ、今頃彼女達にはカリーナで留守を頼んでいたことだろう。

 その二つの申し出と言うのがこれまた大きなお誘いで。一つは孫可愛がりと理由を丸投げできるわたしの父、グンター・コルヴァズだ。

 この前の四大国会談の折、二人は使用人として大統領周りの世話を任されていた。その時に、ブランデンブルクのヒルデベルト・アスタロス国王陛下との面識があるからと言うのが、二人に声を掛けた理由だ。

 そして残るもう一人と言うのが、そのアスタロス国王陛下本人だ。

 面識は会談の時だけだが、あの双子がどうやら彼の眼鏡に適ったらしく、直々に二人を招待するという旨が父宛てに届いたのだ。

 一体何が理由なのか。心当たりはどうなのだろうかと二人に訊いては見たが、当人達に思い当たる節はない様子だった。

 まぁ、常々不思議な双子なのだ。こんなことで一々腰を抜かしていては家族は務まらない。

 それに、呼ばれたのは光栄なことだ。胸を張って彼女の葬儀に参列し、心の底から敬愛を捧げればいい。

 何より二人にとって大きな葬儀への参列は今回が初めての事だ。しかもそれが露草姫なのだから、経験としても申し分ないだろう。

 名家の子女として、社交の場に慣れておくのは悪くない。そのうち二人も、アルレシャを背負って立つ時が来るのだから。

 そんなことを考えながら順番を待てば、やがて自分たちの番がやってくる。

 葬儀に参加する者は皆名前を記入し、ささやかながら金品を供える。その、いわゆる受付には、これまた礼装に着飾った女性が幾人か窓口として対応していた。

 各国から数多の参列者がやってくるために、その対応だけでも大変な作業。しかし漏れや間違いがあっては後に問題が起きる為、気の抜けない作業だ。

 こんな時でも、だからこそ責務に邁進する彼女達を心の内で労いつつ、名前を連ねる。

 と、ジャスミーヌ──マツリが筆を執っているときに、目の前にいたその人物の顔に思わず声が漏れた。


「おや、君は……」


 声にこちらを向いた水色の瞳。砂糖菓子のように緩やかな曲線を描くライトブラウンの髪とその佇まいには見覚えがある。

 確か、この前の会談でアスタロス陛下が連れていた使用人の一人。名前は確か…………そう、アンネ・ルキダと言う少女だ。

 学生でありながらブランデンブルクの使用人の中でも特別な肩書きであるヴァレッターに配属された人物。ルキダと言う家名は寡聞(かぶん)にして知らない為、代々国に仕えている家柄ではないのかもしれない。

 しかし彼女が会談中に、他国の主がいる前でアスタロス陛下に不敬を覚悟の啖呵を切ったという話は聞いた。

 今では主人の邪魔にならないように、けれどもその意図を酌んで円滑に事が運ぶようにと配慮すると言った、陰での活躍が多い使用人。その概念を覆すような目の覚める光景に、思わず自分まで胸を奮わせたというのは、その場で直接見聞きしたわたしの父の言だ。

 わたしの声に、静かに頭を下げたアンネ・ルキダ。まだまだ客足は多く、立ち話をする時間がないのが惜しい。彼女とはわたしも一度話をしてみたかったのだが……次の機会を期待しておくとしようか。

 仕事の邪魔をするのも悪いと、筆を()いたマツリと共に会場へと足を向ける。

 すると、わたしたちよりも先に書き終えていたピスとケスが、溢れる人ごみの中を見つめて立ち尽くしていた。


「二人ともどうした?」

「有名人」

「挨拶する?」


 言って二人が指さした先。そこにいたのはわたしもよく知る顔ぶれだった。

 見える姿は三つ。うち一つは妖精だ。

 一人はこのフェルクレールトでも結構な有名人。わたしの世代であれば知らない人はまずいない、エルフ。

 エルゼ・アルケス。第二次妖精大戦の終幕を引き寄せた一人であり、四大国での人質交換を担う一人だ。

 彼女自身が純血のエルフであり、自身の来歴でもあるエルフに関する研究者の一人。彼女の夫は先の大戦で亡くなったスハイルの騎士の一人であり、戦場で活躍した人物だった。

 そんな背景から、スハイルの一端を担うに等しい存在としてブランデンブルクにやってきた彼女は、アスタロス陛下の意向で現在国立フィーレスト学院の学院長を勤めている。

 国唯一の国立の学び舎の代表としても、彼女が今回葬儀に参列するのは当然の事だ。

 そんなエルゼ・アルケスの隣にいる男子学生。紅の長い髪を首の後ろで一つ括りに纏めた彼は、テオ・グライドだろう。

 兄に、ブランデンブルクの騎士として名を馳せるカイ・グライドを持つ彼は、今年の春進級をして妖精憑き(フィジー)から妖精従きとなった。

 その折に彼が契約をしたのが、このフェルクレールトでも一目以上を置かれる存在。英雄的妖精のヘルフリートだ。

 先代は、ヘンリック・アヴィオール。彼の亡き後空白だったそのはんぶんの座だが、彼が選ばれたことにより今のコーズミマに二人目の英雄的妖精の契約相手が生まれたのだ。

 そのヘルフリートは今、テオ・グライドの隣で有り触れて普通の妖精のように宙に浮いている。

 噂では、ブランデンブルクはヘルフリートの管理の目を解き、その自由の責任を契約相手であるテオ・グライドに一任したという。学生に預けるには随分な重荷だが、国が抱えて新たな火種となるよりはいいという判断なのだろう。

 そんな三つの影。ここブランブルク王国の一翼を担う彼らも、今日と言う日にそれぞれの思いを胸に集っているのだ。

 国を超えて。種族を超えて。立場を超えて。

 言葉にするには簡単すぎて、実現するには難しい。

 けれどもその景色が目の前にある事に、改めて露草姫、ローザリンデ・アスタロス王妃殿下の偉大さを知る。


「後で時間があればな。それとも気になるか?」

「うん」

「少し」


 二人が興味を示すのは珍しい。それだけあそこにいる三人が特別なのだ。


「ほら、足を出して。お客さん他にもいるんだから」

「ん、そうだな。ほら、ピスとケスも」


 言いつつ、二人の背中を押してマツリと共に歩き出す。

 立場ある者として席はある程度決まっている。挨拶もしつつ座って待つとしよう。




              *   *   *




 『大丈夫なのか』と問えば、二人は違わず形のない肯定を胸の奥に落とした。

 ならばこの身が口を出すことではないと目を閉じる。

 露草姫……『バラ』の花弁が散った。事前に管理者から聞いていたために特別な驚きはないが、それでもやはり寂しさは感じる。

 彼女との直接の面識はこの身にもない。けれども、妖精の身として彼女が見ていた世界には共感し、極個人的な愉快さも感じていたのだ。

 彼女ほどに妖精を理解していた人間は、この世にはいなかった。その理解者がいなくなることに寂しさを感じない妖精はいないのだ。

 緩やかに朽ち行く身だからこそ、彼女の最期には敬意を表する。

 出来得ることなら自らの目と耳で彼女の死を讃えたかった。けれどもはんぶんを持たない身ではあの森を出ることは叶わない。

 その為、こうしてまた双葉の知覚を借りて間接的に参列しているのだ。

 つい先ほどは懐かしい顔も見つけた。向こうはこちらに気付いていない様子だ。わざわざこんな面倒な手段で覗き見ているとは彼も思わないだろう。

 ……しかし、元気そうで何よりだ。

 彼の顔を見るのも久しぶり。そのうち面と向かって話ができる未来も来るだろうと夢想しておく。

 その頃までこの身が現界していられるかどうかは、定かではないが……。

 と、二人から送られてくる声に耳を澄ませていると、その中に見過ごせない歪みを捉えた。


『二人共。そこから老婆は見えるだろうか?』


 尋ねれば双子姫が足を止めて辺りを見渡す。その景色に意識を集中して細い根を感じ取れば、複数の似たような魂を確認できた。

 その感覚を、すぐさまピスとケスに共有する。意を酌んでくれた彼女達は、中でも最も近い個に向けて足を出した。


「二人共、どうした?」

「お手洗い」

「すぐ戻る」

「場所は分かるの?」


 それに気付いて引き留める声は、彼女たちの父母。人の世に生まれた彼女達には、血という繋がりで受け継がれたものが存在する。

 彼と彼女は、至って普通の人間だ。強いて言えば、妖精からすると(わずら)わしい事この上ない(しがらみ)をその名に刻んだ者達。歴史ある名家の一端だ。

 この二人からピスとケスが生まれたというのは、ただの偶然に違いない。……だからこそ、人の世は面白い。


「うん」

「大丈夫」


 短く答えた二人が足並み同じく人の合間を縫ってゆく。しばらく歩くと、式場の端の木陰に身を潜めて人知れず涙を流す老婆がいた。

 あちらこちらに跳ねた暗闇の幕のように長い髪を背に流し、緑色の古びた服を着た女性。上から灰色の襤褸を羽織り、美醜で言えば後者に違いない顔立ちには泣き腫らしたような赤い瞳が嵌っていた。


『この者の魂を知っておるか?』

「嘆きの妖精」

「泣き女」

『あぁ、その通りだ』


 この身の同胞が魂の名を口にされることを嫌うと学んだらしい二人が、それに代わって付けられた通り名を口にする。

 異なる響きは、しかし同じ魂を指す。それぞれに来歴を持つ目の前の泣く老婆は────バンシーだ。

 家人の死に泣く妖性。その数が多い程、死した人物が偉大だったとされる、人の生き様の写し鏡。

 妖精でありながら、人に存在意義を委ね左右される、珍しい存在だ。

 彼女達の魂が、今ここには沢山存在する。それは偏に、露草姫……ローザリンデ・アスタロスと言う人物が、この世界にとって誰からも愛される立派な人生を歩んだ証だ。

 ただ、気になるのは数ではない。


『訊こう。どう映る?』

「老婆」

「人と同じ」

『……であろうな』


 先ほどこの身が感じた異変。

 それは、目の前にいる同胞が、人の世で言うところの惑い者……。カリーナでは特に『風変り』と呼ばれる、妖精変調(フィーリエーション)影響下の魂だという事だ。

 本来妖精とは、小人の姿で()ってこの世界に存在する。しかし妖精変調と言うこの世の歪みによって存在を揺らがされた彼女達は、その魂に根差す本来の姿で人の目に映る。

 それは、トロールが巨人であったりするように。バンシーは、醜い見た目の泣く老婆なのだ。


『他の魂も同様だ。殻が割れていないのは……二つ程だな』


 殻とは、その名の通り。彼女たちの殻だ。


「気付いてる」

「大丈夫」

『……ふむ。ならばわざわざ口を挟んで問題を作る必要もあるまい』


 ピスとケスが辺りを見回して呟く。

 彼女達の視線の先には、葬儀に集まる重鎮たちの警護と言う名目で忙しなく動き回るこの国の騎士の姿が散見出来た。

 少し前にはこの国でも大変だったと聞いたが、それを乗り越えた今、治安部隊は問題なく機能しているようだ。

 これ以上の騒ぎが起きなければしっかりと対処されることだろう。

 ……対処と言っても、根本的な解決ではないのだろうが。

 そう言えばこの辺りに『黒』の言う扉はあるのだろうかと。慣れない土地に少しだけ興味が湧きつつ、とりあえずは目の前に手を差し伸べる。


『ピス、ケス。その子の手を取れるか?』


 迷わず頷いた二人が、木陰でさめざめしく泣くバンシーに近寄る。

 一瞬警戒したようにこちらを睨んだ彼女だったが、危害を加える意志がないと気付いたのか、特別抵抗はしなかった。

 双子が差し出した掌をしばらく認めて、恐る恐ると言った様子で取る。

 次の瞬間、ピスとケスの体を通じてその魂に干渉し、仮初の繭を作り上げた。すると、虹色の光に包まれたその体が、見慣れた小人の姿へと変化する。


「…………あれ、わたし……」

「泣き虫さん」

「泣くのはあなたで、あなたじゃない」

「……そうね。ありがとう。わたしがあなたの近くで泣くことがないように願っているわ」


 いきなりの出来事に戸惑っていた様子の妖精だったが、胸の奥の核心を突かれて我に返る。

 次いで気取った言い回しで別れの挨拶をすると、そのまま木陰の奥へと姿を消して行った。

 妖精は契約をしなければ20年から30年で消滅し、転生する。そうすれば記憶は失い、新たな魂の道を歩み始める。

 そうなれば、あの子はもうピスとケスの事を覚えてはいない。そうなるくらいに長生きして欲しいという遠回しな感謝と賛辞に、思わず楽しくなる。

 人の死に泣く子が生きることを望むとは…………いや、それもまた彼女の正しき側面か。


「害はない」

「大丈夫」

『まだそうであるというだけだ。この空気ならば殆どの妖精が姿を見せることはないと思うが、だからこそ危険な者もいる。それだけは忘れぬようにな』

「うん」

「分かった」


 死のにおいに、その瞬間に干渉範囲を持ち撒き散らす妖性もある。そんな魂が妖精変調の影響を受けて本能のままに行動に移したとしたら……。彼女を讃えるこの場が、一転波乱の急斜面を転げ落ちることとなる。

 今のところその気配はないが、構えておくに越したことはない。

 特に二人は何かと妖精に好かれやすいのだ。知らずそういうものを引き寄せてしまうことだってあり得る。

 もちろん、だからと言って彼女達が悪いわけではないだろうが。

 ……しかしながら、妖精の身から言わしてもらえば、ピスとケスは自分に無自覚が過ぎる。否、自分の周りに、と言う方が正しいか。

 彼女達の興味や行動基準は、いつだって二人自身に起因する。外聞や雰囲気と言う物は意に介さず、思いつくままに足を出す。

 だからこそ本能に素直だと……妖精らしいと周りから言われるのだ。

 そしてその事実を、残念ながら二人は自制できていない。自分が行動することで周りに(もたら)す結果に、一切頓着していないのだ。

 言わば人の子供の様なもの。責任は後から補填すればいいという、向こう見ずなのだ。

 自らの衝動に忠実な生き様。それ故に妖精からは同族の様だと気に入られる。それその物を否定しようとは思わない。妖精に愛されることは共に歩む存在として立派な才能だ。

 しかし、だからこそ自覚して制御する必要があるのだ。

 その持て余している今を律し、手段の一つとして落とし込む。それがきっと、今後二人の課題となることだろう。

 逆に、それさえ克服してしまえば類稀なる将来を歩むことは間違いないはずだ。

 そんな将来が楽しみな双葉は、両親の元へと戻り、静かに席についている。

 ……とりあえず、この場は人の世だ。彼女達が葬儀に専念できるように、周囲への警戒はこの身が代わりにしておくとしよう。




 懸念は杞憂に終わり、露草姫の葬儀は(つつが)無く終わった。粛々と進む行事は物珍しくも退屈で、妖精の身には少しばかり苦痛だった。

 が、ピスとケスの知覚を介してとはいえ、こうして自分の事のように彼女の見送りに参列できたのだ。そのことは有意義であり、ある種の誇り。

 この後は彼女の亡骸を王家の墓に埋葬して終わり。ここまでくると来賓にできることはなく、あとはブランデンブルクの仕事だ。

 ピスとケスも、幾らかの要人と挨拶を交わしてブランデンブルクを後にする。国に戻れば喪に服す期間を明けて、再び学徒としての生活が始まる。

 けれどもきっとここから始まる日々は、今までと違う景色を紡ぐこととなるだろう。

 偉大なる妖精従きの死。将来を志す者達にとって、この歴史はある種の転換期にもなるはずだ。

 彼女亡き世界を担うのは若葉たち。その思いを胸に励めばきっと、次代の偉大なる者たちも現れるはずだ。

 そんな未来に幸あれと。静かに目を閉じながら馳せる。

 『倒木』も立派な苗床。節理は循環し、次の緑を芽吹かせる。




              *   *   *




「結局、彼女は何だったのかしらね」


 すぐ隣から響いた独り言のような音に、少しだけ考えて返す。


「彼女は特別だったんだよ。ちょっとだけね」


 わたしの知る真実を朧気に口にすれば、その視線……彼女の器は(いぶか)し気に尋ねてきた。


「だからどんなよ。生憎と貴女ほど人の世に染まってるわけじゃないの。いいから早く教えて」

「……彼には言わないでくれる?」

「さぁ、どうかしら?」


 (とぼ)ける黒髪だが、素直ではない彼女ならばその言葉で十分だ。

 それにきっと、彼は自力でも辿り着く。そういう魂だ。


「『蜂蜜酒』だよ」

「……まさか」


 彼女が珍しく驚く。流石にそこまでは予想していなかったようだ。


「本当。あの人は、自力でわたしにまで辿り着いたんだから」

「この世の人の身で?」

「うん」


 口にして、思い出す。

 まだ幼かったわたしが、それでもわたしであって。どうにか認めた宿命にようやく向き合い始めたころ。

 あの人は、人の身で、本来届くことのない高みに手を掛けた。どうやって知ったのかまではわたしも知らない。何が彼女をそこまでさせたのかも分からない。

 ただ事実として、彼女は幼かったわたしよりもより正しく世界を見つめていたのだ。


「実際に窓口になったのは先代。彼女は別にその真実を公にしようとしていたわけではなかったけれど、それでも知ってしまったが故に無視できない存在になってしまった。だから取り引きをして、代価…………彼女は珍しく褒美って言ったらしいけど、約束の褒美を得たんだよ」

「数奇な事もあった物ね。それまでの彼女が特別だった訳ではないでしょう?」

「多分ね。だから彼女はイレギュラー。どこからか鍵を見つけてきた、英雄だよ」

「……末恐ろしい」

「もっと怖いのと一緒にいる貴女がそれ言わないでよ」


 過去に一度会っただけの灰色頭を思い浮かべて零す。

 わたし、できることなら今後一切彼に会いたくないのに。……けれどもそんな理想は、砂糖よりも脆く崩れてしまうことだろう。


「だから、彼女は特別。最初から鍵を与えられてる彼とは違うよ」


 巷では妖精に愛された妖精従きの理想なんて言われている彼女だが、真実を知ってしまえばその見方は一気に逆転。恐怖と畏怖の対象だ。

 あぁいうのをきっと悪魔と言うのだろう。わたしは彼女以外にそう呼べる人物を他に知らない。


「けど、その彼女もこうして眠ってしまった……」

「仕方ないでしょう。永遠なんて存在しないのだから」


 永劫とは即ち孤独だと。わたしは彼女を知っているから分かる。

 寿命があるからこそ、生きることに意味がある。死して尚、こうして讃えられる。

 死ぬための生き様、と言うのは、一体どこで耳にしたのだったか……。


「それでも彼女は見出したわよ。不完全ながらも種は託された」

「……実際どうなの? 彼は本当にそこに辿り着くと思う?」

「その為にあたしたちがいるんでしょ。彼と彼女の望みなんだから」

「らしいねー」


 他人事なのは、わたしがその二人に会ったことがないから。色々背負っている身だが、生憎と時まで(さかのぼ)る事はできないのだ。

 一応、わたしの家系は代々それを受け継いできたから形として理解はしているけれども。直接下知された訳でもない曖昧な未来の話を盲目に信じられるほど、世界に絶望しているわけでもないのだ。


「ま、その時になったらね」


 やるべきことはやる。それがわたしの役目だ。


「……そんなことより、こんなとこに居ていいの?」

「今更? 自由は妖精の特権だし、彼は今日お休みで部屋に籠ってる」

「あーそっかぁ。あれだけ息巻いておきながらもう一人に先越されたんだもんねー」


 普段あれこれ言ってくれるお返しに、彼女が認めがたい事実を突きつけてやる。すると紅の瞳にこれまた珍しい怒気が灯った。


「うっさい宿無しっ。あんただって同じようなものでしょうが」

「わたしはほら、将来確約されてるから。賭けに勝てばそれでいいもん」

「ふん、顔も知らないご主人様に発情するとか頭おかしいんじゃないの?」

「目の前で取られるより余程いいと思うけどね」


 気付けば乗せられていつもの調子で言い争い。

 けれどもそれこそがわたしと彼女の関係だと心地よささえ覚えて鼻を鳴らす。

 と、胸の奥を直接揺さぶる波長を耳が捉えた。


「……ごめん、呼ばれた。もう行くよ」

「あたしも帰ろうかしら。……あぁそうそう、ストリガによろしく。当分会いに行けそうにないから」

「ん、分かった。じゃあまたどこかで」

「えぇ」


 そのうち再びどこかで出会う。そう確信を抱きつつ、あっさりとした別れを済ませて足を出す。

 途中、視界の端に知った顔と契約妖精を見つけたが、声を掛けるのはやめて急ぐ。彼ともまたどこかで。

 そんな期待をしながら陛下の下へと辿り着けば、衰えを知らない眼光で射貫かれた。


「どこへ行っていた?」

「少しだけ世間話を。詳しい事は国に帰ってからでよろしいですか?」

「あぁ。帰るぞ」

「はい」


 凛とした言動。皇帝と言う肩書きが相応しい彼に頷いてついていく。

 さて、帰ったらまた忙しくなる。いつも通りに適度に手抜きしつつ頑張るとしよう。




              *   *   *




「あら、いらっしゃい。……いえ、おかえりなさい、かしら?」

「あぁ」


 店内に響いた来店を知らせる鈴の音。顔を上げればそこにいたのは、この国の主様だった。

 身軽な服装に身を包み、双子の使用人を連れてやってきた彼……グンター・コルヴァズは、軽く店内を見回して尋ねる。


「まだやっているか?」

「もうそろそろ閉めようと思ってたの。何か買っていくかしら?」

「見せてくれるか?」

「もちろん」


 人質として菓子店を営んでいても、根は王族。対等の距離感で頷けば、彼の好みを幾つか選びつつこちらからも問う。


「お義姉(ねえ)さんはどうだった?」

「綺麗であったよ。今でもまだ信じられないくらいだ」

「そう」


 嘘も虚飾もない彼の言葉に小さく安堵する。

 つい先日崩御したローザリンデ・アスタロス。彼女はわたしの兄、ヒルデベルトと結婚をした義姉だ。

 妖精の見えないわたしと違い、若い頃から造詣深く研究者として注目されていた彼女は、兄からの猛烈な気持ちに折れる形で王族へと名を連ねた。

 それからわたしがここカリーナへ、戦後処理の一環として人質になりやってくるまでしばらく、とても仲良く過ごしていた。

 そんな、本当の姉のように慕っていた彼女が亡くなって。けれどもわたしはこの国にやってきた人質として、その葬儀に参列するために母国へ帰ることは叶わなかった。

 代わりに手紙は大統領陛下に預けたけれども……できることならばやはりこの目で見送ってあげたかった。それが、彼女との間に最後にできた、たった一つの心残りだ。


「預かってきている。後で読んでくれ」

「……ありがとう」


 差し出されたのは便箋。国章も()されていない、一国の主が書くには随分と杜撰(ずさん)な手紙だ。

 そんな思いを受け取って横に置くと、陳列棚に視線を注いでいた双子に尋ねる。


「どれがいい?」

「これと」

「これ」

「分かったわ」


 こんな時でも変わらない二人の呼吸に小さく笑って、二人が持てるように別の箱へ分けて入れる。


「帰ったらまたお仕事でしょう? 体には気を付けて」

「もちろんだ」


 まぁ、彼にはこの双子もついている。きっと大丈夫だろう。

 そんなことを考えていると、不意に彼が黙り込んだ。その表情に、何を考えているのか察して笑みを浮かべる。


「……別に、あなたの所為ではないでしょう? こうある今を選んだのはわたし。仕方のない事を一々気に病むと心労で倒れるわよ?」

「例えそうであっても、その今を良しとしていることには我輩にも責がある。そう簡単に納得して受け入れてはならんのだ」

「気持ちだけ受け取っておくわ。今は大切な時期だもの。わたしの事はその後でいいわよ」


 きっと彼は考えてしまったのだ。義姉のようにわたしが死んだ時……まだこの身の役割を終えていなかったらどうなるのか。故郷より離れたこの地で、家族に看取られることなく息を引き取るその瞬間を。

 確かにその可能性がないとは言えない。けれどもわたし一人の命と世界の命運を天秤に掛ければ、答えは当然後者に傾く。それが公人としての務めだ。

 だからこそ、私人である彼がこうも親身になってくれているのだ。

 他国の主にここまで目を掛けてもらえる人質と言うのも随分恵まれている。

 その心意気こそが、素直に嬉しいのだ。


「だからお願い。わたしと、それからわたしの義姉さんの思いを実らせて。あの人が生きた証を、意味を、なかったことにしないで」

「……あぁ。もちろんだ」


 今度こそしっかりと頷いた彼に笑みを浮かべて菓子の入った箱を渡す。


「いつも贔屓にしてくれてありがとう。またの来店を心より待ってるわ」


 受け取った彼は静かに一つ頷いて、双子ちゃんと共に店を後にする。

 鳴り響いた鈴の音が収まれば、知らず吐息が一つ漏れた。


「……さて、お片付けしないとね」


 濡れた石畳に立って見上げる。

 空模様には、微かに夕の光が混じり、雲の合間から顔を覗かせていた。




              *   *   *




「足元気を付けてね」


 ぬかるんだ地面に転ばないようにと注意すれば、双子はこくりと頷いて後ろをついてくる。

 やがてしばらくすると視界が開け、森の中の開けた空間に出た。

 来訪に気付いたように、寄り合った巨木の根元から巨体が顔を上げる。


「気分はどうかしら?」

「仔細ない」


 相変わらず飾り気のない返事。もう少し愛想がよくてもいいのではないかと常々思うのだが、言ったところで変わるものでもないと諦める。


「そちらこそ平気か? 今は大変な時世であろう」

「それはどちらかと言えばこれからよ。陛下が号令を掛けたら」

「ふむ、そうか」


 関心があるのかないのか。そこを深く考え始めたらきっと(ろく)な事にならないと切り捨てる。

 適度な距離感のみが彼、カドゥケウスと長く付き合う秘訣だと一人納得しつつ、よく知ったお客さんの背中に手を添える。


「二人が今日がいいっていうから連れてきたの」

「何用だ?」

「『火山』」

「カドゥは?」

「む?」


 前置きはなく真っ直ぐに口にしたのはピスとケス。

 彼女達はブランデンブルクから帰ってきてしばらくした後、わたしの元までやってくると、顔馴染みの店に遊びに来た様子でカドゥケウスに会いたいと言ってきたのだ。

 いきなりの事で、しかも日没間近。宵闇に包まれた森は危険だと諭したのだが、陛下の名前を出されれば断り切ることも出来ず、こうして彼のところまで連れてきたというあらましだ。

 二人の行動が突飛押しもないのは今に始まったことではないが、今度からはもう少し時間を考えて欲しい。わたしもこんな時間に森に入る恐ろしさは知っている。是非これきりにして欲しいものだ。


「はんぶん」

「探さないの?」


 そんなことを考えていると放たれた双子の言葉。直接的な言葉の、疑う余地もないその言葉に思わず息が詰まる。

 はんぶん。それは妖精や妖精の見える者にとって特別な意味の言葉で、契約相手の事を指す。

 基本的に妖精との契約は一生の物であり、人生の伴侶とさえ言われるその関係は、その者の最期さえ左右しかねない分岐点だ。だからこそ未来を預ける半身……はんぶんと呼んで、その存在を大事にする。

 しかしそれは普通の妖精と妖精憑き、もしくは妖精従きの関係が殆どで、例外は少ない。その例外の一人こそが、カドゥケウスなのだ。

 英雄的妖精であるカドゥケウスは政治的な意味合いがとても強い妖精だ。それは彼が第二次妖精大戦を終幕に導いた存在の一人であり、彼自身が持つ妖精としての力が破格の強さを秘めているかに他ならない。

 そんな、彼さえいれば戦局さえ覆すことのできる存在を、そう簡単に自由には出来ない。彼は政治的駆け引きの重要な材料なのだ。

 そんな大人の事情など全くと言っていい程考慮しないのがピスとケスの二人。彼女達は当然のように彼女達らしさでその疑問を口にする。


「ちょっと二人共……」


 それを(たしな)めることもきっとわたしに勝手に課せられた使命であり、彼にそれなりに関わる身として首を突っ込まざるを得ない話題だ。

 さて、どうやって彼女達に納得してもらおうかと。あれこれ頭の中でこねくり回し始めたところで、当のカドゥケウスが声を挟む。


「よい。この身から話そう。二人共、近くに寄れ」


 英雄的妖精が契約をすれば様々な問題が生じる。それは世界の今ある均衡を脅かしかねない一大事だ。

 だから各国は平穏を脅かさないように……火種を生まないようにと注意を払い続けている。

 その役割の一端にいるのがわたしであり、彼の事をこうして気遣っているのだ。

 ……だが、わたしにも言い分はある。わたしだってハーフィーだ。妖精が愛する自由、それを理解できないわけではない。

 しかも彼はわたしのような混じり者ではない。純粋に、純血に、妖精なのだ。その根底は英雄的などと言う御大層な冠がついても変わらない。

 その胸の内にどれだけの衝動を秘め、律し、戦い続けているのか……。想像すれば、どうにかしたいという気持ちが湧くのは仕方のない事だ。

 できることならば、彼を自由にしてあげたい。きっと、皆が思っている。彼が自由を愛する妖精に立場を変えたところで問題など起きようはずもないと、理解している。

 けれどもそうできな柵が……人の言い訳が彼を縛っている。そのことが堪らなく悔しく、恥ずかしい。

 そして今、二の足を踏む要因がもう一つ。妖精変調だ。

 以前ならいざ知らず、今契約をしていない妖精が新たに生まれれば、その者は不和を引き起こす懸念の一つとなる。それが個で強大な力を持つ英雄的妖精であれば、事が起きた時にどうなるか……。それは火を見るよりも明らかだ。

 だからできない。正確には、前より難しくなったという事だ。

 ただ、一つ抜け道があるとすれば。それこそが彼女たちの語った契約なのだ。

 契約をして妖精従きと契約妖精になれば、妖精変調の影響からは逃れられる。この事実は原因究明をする中で見つかった事実であり、ある種の拠り所だ。

 人と繋がりを結べば、妖精変調に巻き込まれる恐れはなくなる。加えて妖精は契約相手が生きている限り存在の根源である妖精力を受け取り、長く世界に居続けることができる。

 だが、だからこそ。英雄的妖精の彼には妖精変調関係なく難しい未来でもある。

 ……蓋然性(がいぜんせい)で言えば、契約の方がまだ光明があるかもしれない、という程度だ。

 つまるところ、どう足掻いても今のわたしにはどうしようもできない。ハーフィーは特別ではない。非力すぎて、開き直れるほどだ。


「どうした?」

「……なんでもないわ」


 カドゥケウスの傍に寄せて言葉無き話を聞いていたピスとケスが、いつしかこちらを向いていた。それに気付いたらしい彼が、心配するように声を掛けてくる。

 顔に出てしまっただろうか。……妖精の血を持つ者が後ろ向きな事を考えるなんて。流石にそろそろ極まっている。

 わたしは、もう少し人の世界で息のしやすい生活がしたかっただけなのに。

 そんなことを考えていると、話の終わった二人が直ぐ傍まで戻って来る。


「分かった」

「ごめんなさい」


 かと思えば、脈絡さえ無視した空気でいきなり頭を下げた双子。

 王孫殿下にそんなことをされて流石に驚いたが、直ぐに彼女たちなりのけじめなのだと気が付いた。

 この子たちは、悪い子ではないのだ。少し言動が突飛なだけ。

 どちらかと言うと妖精に接するようにしていればいい。この頃そんな風に思っている。


「まだ二人は学園に入ったばかりだもの。知らなくてもおかしくないわ。きっとこの先、もっと詳しく知る機会が来る。その時になって、もし気になったらわたしのところに来て。唯一彼を任されている身として、少し特別授業をしてあげる」

「うん」

「お願い」


 胸の奥に渦巻いた様々な雲を振り払うように妖精らしく気取って言葉にすれば、相変わらずピスとケスは無表情で頷いた。

 どうでもいいけれど、ここら一帯は妖精力が濃いから。わたしのような半端者が足を踏み入れるとどうにも妖精の側に感情が引っ張られる。お陰でこうしてらしくない一面も見せてしまう。

 一研究者としては、あまり感情的に物事を判断したくはないのだけれど……こればかりは仕方ない。


「さて、もう陽も沈むわ。早く帰らないと夜の子たちに悪戯されるわよ」


 ハロウィンやサウィン以降の冬を一年の夜と形容し、人ではない者が蔓延(はびこ)る危険な時間と隔てたように。一日の夜にも様々な危険が潜む。

 人は陽の出ている時間に活動し、夜に眠る。その逆に、夜になると活動が活発になる妖性の子たちも沢山いる。

 そんな、光の届かない暗闇の中から誘惑を振り撒く妖精たちを、総じて夜の子と呼んで、子供に道徳を教える脅し文句になるのだ。

 しかも実際に夜に出歩けばその手の妖精に悪戯されてしまうのだから効き目は言葉以上。事実の伴う悪評は距離を置くに足る立派な危険地帯だ。

 そんな世界に二人を巻き込むわけにはいかないと帰宅を促す。

 カドゥケウスに別れを告げ、腰に下げた照明器具に火を入れて明かりにすると、足元を照らしながら森を抜ける。

 その道中、少しだけ気になって二人に尋ねた。


「彼とはどんな話をしたの?」


 声のない会話。恐らく、妖精の使う波長での会話を応用して、二人に直接語りかけたのだろう。

 わたしは半端者だから上手く扱えないのだが、それでも時折契約した妖精となんとなく分かり合う時がある。

 あれは、主に妖精の間で使われる意思疎通手段だが、関係が成熟した妖精従きと契約妖精の間にも同じことが起こるというのは珍しい話ではない。つまるところ、人にもその才は存在するのだ。きっとやり方を知らないだけ。

 そんな波長での会話は、当人同士にしか聞こえない。だからあの場にいたわたしにも彼女達の話は聞こえなかったのだ。


「秘密」

「カドゥに言われた」

「そう。なら大切にしないとね」


 笑顔で詮索を切り捨てれば、二人はいつものようにこくりと頷く。

 妖精は嘘を吐かない。そんな妖精が、自らの波長を交わし合うというその会話には、言葉通りに嘘がないと言われる。

 それはつまり、自分の気持ちを秘密には出来ないという事であり、だからこそ秘密にする必要があるのだ。

 誰だって、本音を他人に暴かれるのは好きではないだろう。

 特に妖精は秘密主義なのだ。妖精との話し合いに周りが首を突っ込まないのは暗黙の了解。空気を読まずに尋ねて、跳ね除けられればそれは禁忌だ。それ以上を踏み込めば、何かを失う。

 だから詮索はしない。それは、二人とカドゥケウスだけの秘密だ。

 知りたければ秘密を共有できるほどに仲良くなればいい。

 わたしはきっと、二人ほどカドゥケウスに信頼されていない。もちろんわたしも十分特別ではあるのだろうが、この二人はそれ以上なのだ。

 長く彼の事を任されてきた自負はある。だから少しだけ嫉妬をしつつ、意欲に変えて前を向く。

 彼と同じ景色を見て、自由を満喫できる日が来るように。わたしもわたしなりに頑張るとしよう。




              *   *   *




 露草姫、ローザリンデ・アスタロス王妃殿下の喪に服す日々が明け、またいつも通りの日常が動き始める。

 学生であるぼく達は当然学び舎へ。

 少し長く休んでいた所為か憂鬱さもあるが、理由もなく休むわけにはいかないと己を奮い立たせ、待ち合わせ場所で幼馴染と肩を並べる。

 と、既に何度目かの欠伸を零しシルヴィに指摘されたところで、道の向こうから変わらない鏡写しの双子が姿を現した。


「おう、おはようっ」

「おはよう」

「行こ」


 これもまた、いつもの挨拶。お陰でまた一日が始まったと自分の中で何かが切り替わり、暗鬱とした空気がどこかへ飛んでいく。


「二人に会うのも何だか久しぶりな気がする。ここのところずっと忙しくしてたみたいだしね」


 シルヴィの声に頷いたピスとケス。

 喪に服す間、せめて退屈を凌ぐならば一緒にと何度か声を掛けたのだが、二人は王族として忙しくあちこちへ動き回っていたらしい。

 うちもそれなりに忙しなかったから何となく理解はできるが、彼女たちの家は国の中枢に大きく関わっている。その分孫でも手は欲しかったのだろう。


「宿題はちゃんとしたか?」

「うん」

「大丈夫」


 授業が進まない休みの間も学園から宿題は出ていた。こんな時くらいなくてもいいと思うのだが……そうはいかないらしい。


「皆に会うのも久しぶりだしね。ちょっと楽しみかも」


 制服を着たのも数日振り。なんだか入学当初に戻った気分だと新しく思いつつ、空を見上げる。この数日の間に一気に冷え込んだ所為か、その色は冬めいている。ここから本格的に冬の季節が始まるかと思うと、いつもより風が冷たい気がした。


「今年は雪降るかな……」

「さぁねー」


 何年かに一度、ここカリーナでも雪が降る。前に降ったのは…………六年前だっただろうか。

 あぁそうだ。そろそろユールの事も考えないと。

 そう思うと、途端踏み出す足に力が篭る。

 今年の終わりはどんな一日になるだろうか。今からとても楽しみだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ