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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
秋の七色、世界の七色
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31/56

第二章

「いやー助かったよ。手伝ってもらって悪いね」

「お世話になったのでそのお礼です」


 荷物を積み込み終えて一息吐く。一緒に腰を落ち着けているのは、馬車への荷運びを手伝ってくれた学生二人が懇意にしていると言う喫茶店だった。

 『胡蝶の縁側』と言う名前のそこは、落ち着いた雰囲気の店で。昼は食べ物を、夜はお酒を提供している穴場らしい。

 知っていればカリーナにいる間くらいは遊びに来ただろうに。無知とは酷く残酷だ。

 まぁまた来年戻った時には改めてお邪魔するとしよう。

 そんな事を考えていると、この店を一人で回しているらしい男性……ジルが注文を持ってきてくれた。


「しっかし行商人ねぇ」

「もし何かご入用でしたらどうぞお気軽に」

「なら、そうだな……。次に来るのはまた来年なんだろう? その時にでいいから、他国の珍しいお酒とかあれば見繕ってくれると嬉しいが、どうだろうか?」

「酒なら、ふむ…………。よし分かった。幾つかそういう知り合いもいる。当たってみるとしよう」

「ありがとう」


 店の中は雰囲気こそいいものの、路地の奥という立地の所為か余り繁盛しているとはお世辞にも言えない客入りだ。が、その分常連客でもいるのだろう。その層に向けた新境地の開拓精神。その商売っ気は素直に好感触だ。

 上手くすれば僕にとっても新しい取引先の獲得に繋がる。悪くない取引だ。

 商人の性として手の平を差し出せば、少し驚いた彼がそれから手を取ってくれた。

 やり取りを傍から見ていたロベールが零す。


「それが商談って奴か?」

「まぁその一つだな。もっと大口だったりすると色々あるんだが、変に堅苦しいやり取りして折角の商売を不意にするのはもったいないだろう?」

「なんだ、計算だったのか」

「商売の世界においては騙される方が悪いのさ」


 僕だってこれまで何度も痛い目を見てきた。失敗だってした。

 けれどそれで諦めるような奴は商人に向いていないのだ。やられてもただでは転ばない。損した分はどうにかして取り返す。

 やがて騙される側から騙す側へと変わっていく。そうした不屈の精神がなければやっていけない世界なのだ。

 ……とは言え言葉ほどに殺伐とした業界と言うわけでもない。騙すと言うと聞こえが悪いだけで、駆け引きと言えば格好がつくだろう。それにだ。


「つまりこれから儲ける予定のあるジュストさんは更なる投資も考えてくれるんですよね?」

「…………やっぱり勉強なんか後回しにして一緒に来ないかい?」

「遠慮しておきますっ」


 こういう駆け引きこそが面白いのでは無いだろうかと、賢(さか)しいシルヴィの声に楽しくなる。

 因みに彼女に魅力を感じているのも本心。シルヴィは冷静に相手の痛い所を突ける。その素養は商人にとって強い武器だ。

 そんな彼女が可愛らしくおねだりしているのだから、ここで胸を張らないと大人として面目が立たないだろう。


「それは残念。けどこうしてここに来れたお陰で新しい人脈も出来たんだ。その礼と、楽しかったカリーナでの思い出に好きなもの頼んでくれ」

「やりぃっ」

「ありがとうございます、ジュストさん」


 ま、これがクラズ家とアリオン家への僅かな足掛かりだと気付かない辺りまだまだ子供なんだろうけれどもな。

 しかし言葉も事実だ。別れを惜しんで、今日は楽しくいくとしよう。




 翌日。全ての手続きを終えて御者台に腰をおろす。まだ朝早いというのに、学園への登校前に見送りに来てくれた二人に感謝する。当日にこうして誰かに見送られるというのは中々ない。それだけカリーナでの日々で得たものが大きかったと言う事だろう。


「次はどこ行くんだ?」

「トゥレイス方面だな。丁度これからの時期は森が色付いて過ごし易い気候になる。あの国は陽気な場所だ。熱気は物と金を運ぶ。稼ぎ時って訳だ」


 船が遅れていなければ今頃既にトゥレイスにはいたはずだったのだが……。まぁいいとしよう。どうせ冬はスハイルで足止めを食らうんだ。少しくらい気にしない。


「今度は船止まらないといいですね」

「やめてくれ。本当に止まったらどうしてくれるんだ」


 シルヴィの声に辟易すれば、彼女がくすりと笑う。

 タルフ岩礁の水竜に纏わる船舶の通行規制。あの騒動が一応の決着を見て一週間。既に船の航行は再開指定していて、物流もしっかり動き出している。もちろん、前と同じようにと言うわけではないが、最低限仕事はできるはずだ。

 あの一件では懇意にしている船乗り、ロランの手も借りて色々大変だったが、終わってみればそれなりな思い出だ。商人の道には必要ない波乱だったけどな。

 因みにロランは既にブランデンブルクへ向けて出発している。彼はブランデンブルクとカリーナの間を行き来する海の男だ。彼に会うのも半年以上先となると少し寂しい。


「折角仲良くなれたのになぁ」

「別れを惜しんでくれるのは有難い話だな。また来年、夏に戻ってくるさ」

「次も面白い物持ってきてくれよなっ」

「あぁ、期待しててくれ」


 色々あったが、その分得たものも大きい。折角手に入れた物を無駄にしないように今後も励むとしよう。

 そんな事を考えつつ手綱を握り直して別れを告げる。


「それじゃあそろそろ行くよ。またな」

「はい、また」


 この先が楽しみな二人に挨拶を終えて馬を出す。

 姿が見えなくなるまで見送りに付き合ってくれた事に感謝をしながら一度沿岸部まで下りてそこから海原を左手に西へと進路を向ける。

 さぁ、再び寂しく相棒の後姿を眺めながらのゆったりとした旅路だ。妖精の悪戯や野生動物との遭遇に気を付けつつ一路トゥレイスへ。

 と、そうして意気込んだ所で道の先に見覚えのある顔を見つけて思わず馬車の速度を落とした。


「そろそろだと思ってな」

「なんだ、見送りに来たのか? 珍しいな」

「この子達が世話になったようだからそれも兼ねてだ」


 一年近く会っていなくても途切れる事のない繋がり。

 学生時代からの付き合いであるルドガー・アルレシャのいつも通りさに安堵する。

 彼とはカリーナに来る度に酒を交わす仲だ。カリーナ共和国の重要人物としてここから殆ど動かない彼と、放浪の如く自由気ままに四大国を巡る行商人の僕。

 同じ学び舎を経てここまで違う道を歩むからこそ、互いが掛け替えのない友人だというのは揺るがない事実だ。

 それぞれにやるべきことがあって、その邁進の末に一時(ひととき)時間を共有する。あの少年少女のようにいつも一緒と言うのも結構だが、偶(たま)に会うからこそ再確認する物もあるのだ。

 そんな、旧知にして胸懐(きょうかい)を擽(くすぐ)る親友の傍には、鏡写しを体現するような少女が二人。

 根無し草で所帯も持たない僕にとっては諦めと共に羨ましさを感じる才気の芽。


「ピスちゃんとケスちゃんも、相変わらず髪型以外の相違はなしだな」

「楽しかった」

「またね」

「おうよ。…………今年も駄目だったかぁ」

「そう簡単に認められはしないさ。また来年だな」

「結構いいところまでいけたと思ったんだがなぁ……」


 呟きは、十年近く前にルドガーから聞いた双子の特異性について。

 彼女達は興味の湧く対象しか認識しない。その判断は彼女達に委ねられ、認められれば名前を覚えてもらえる。

 つまるところ名前を呼ばれなければそこらを行き交う有象無象と同じと言う事で……。彼女達が生まれた頃から知っている僕でさえ、未だ二人の認識の外側なのだ。

 一応彼女達に知覚して貰えるようにカリーナに来る度(たび)に顔は見せているのだけれども。一体どこに基準があるのか、その線を越えられていないのが現状だ。

 今年は例年以上に色々な物を共有して距離が縮まった気がしたのだが……どうやらまだ足りないらしい。

 彼女達の信頼を勝ち取るのは、きっとどんな商談を結ぶよりも難しいに違いない。


「んで? ただの見送りって訳でもないんだろう?」

「これを届けてもらいたい」

「手紙か? 相手は」

「クサーヴァー・グラフィアス」

「トゥレイスの総長様じゃねぇかっ!」


 受け取った事を早くも後悔する。何が悲しくて国から国への書簡の運送役をしなければならないのか。行商人はそういう仕事を請け負う為に国々を巡っているわけでは無いのだが……。


「僕なんかが引き受けていいのかよ。しがない行商人を政治の道具にしないでくれ」

「ただの個人的な手紙だ。実際の宛先は違うんだがな。彼に届ければ巡り巡って目的の人物に辿り着くからそうしているだけだ」

「ん……。…………あぁ、なるほど。そう言う事か」


 彼の言葉に少しだけ考えて本当の宛先を知る。確かに、それならば総長様に届ける方が手っ取り早い。


「察しがよくて助かる」

「そういうことなら任せとけ」

「よろしく頼む」


 一応知っている間柄。できることなら顔を合わせたくない相手だ。さっさと届けて本来の仕事に注力しよう。


「じゃあな、ルドガー。何かあれば連絡をしてくれ」

「あぁ、気を付けろよ」

「そっちこそ」


 学生時代からの挨拶。握った拳の小指の側同士を軽くぶつける。

 一体何がきっかけでこんなやり取りが始まったかなんて今では覚えていないけれども。これが僕と彼の全てだと言うのは何となく分かる。

 きっと下らない理由が今に繋がっていて。それは切れることのない関係。

 だからこそどこかで互いを意識して、また一年後の再会に胸を張って笑い合えるように再び歩き出すのだ。

 過度な言葉などなく。あっさりと交わした別れと共に手綱を振るってカリーナ城下町を後にする。

 さぁ、行商人が行商人たる由縁。世界を旅する価値を探して、今日も今日とてせせこましい儲けに踊らされるとしよう。




              *   *   *




「あー、もう、ほんといい加減にしてよ…………」


 分かり易く音にして悪態を吐く。室内から向けられる視線さえ生温いと、天井を仰いで嘆息した。

 ……駄目だ。気が滅入ってきた。気分転換しないと頭がどうにかなりそうだ。

 軋む椅子から重い体を持ち上げて屍のようにのそのそと部屋を後にする。擦れ違うほかの部署の研究者が幽霊でも見たかのように驚いて少し距離を取る事に、けれども一々反応するのさえ億劫に感じながら外へと出た。

 途端、頭を揺らした日光の感覚に呻き声を漏らす。もう季節は実りの秋だと言うのに……。フェルクレールトの大地で南に位置する我がカリーナ共和国は未だ涼を求めたいほどに鬱陶しいほどの日差しが降り注ぐ。

 毎年の事ながらこの暑さはどうにかならないものだろうかと。逃避行の果てに安息を願って覚束無(おぼつかな)い足取りがどこかを目指す。

 目的地など曖昧に進めた歩みは、一体何を考えてか軍の駐屯地へ。誘われるように兵舎へと許可なく足を踏み入れれば、奇異の視線と共に階段の影へと座り込んだ。


「やってられるかっての……」


 おおよそ大人の女が吐いていいとは思えない怨嗟の声に、階段をのぼっていた騎士らしき男性がびくりと肩を震わせたのが分かった。わたしが死を振りまく厄災にでも見えているのだろうか。……似たような物かもしれないが。

 今ならこの胸の遣り切れなさで不幸の一つくらい無理やりにでも手繰り寄せられる気がしながら、膝を抱えて溜め息を吐き出す。

 陥(おちい)っているのは複合的な疲労感。次から次へと舞い込んでくる無理難題に、頭を悩ませる事すら阿呆らしい気がしての敵前逃亡だ。

 研究者に許されざる行いな事は重々承知。それでも逃げ出したいのは、偏(ひとえ)に身に余る問題だからだ。


「何が巨人よ。ふざけんじゃないわよ」


 子供の癇癪(かんしゃく)のように誰に言うでもなく当り散らす。無関係な誰かを巻き込んでいる事を自覚しながら、しかしどうしようもない理不尽に振り回されている現状を自分可愛さに嘆けば、次いで目の前に人の気配を感じて顔を上げた。

 するとそこにいたのは体のいい仮想敵だった。


「妖精に関してのあれこれを押し付けられる為に研究者になったんじゃないわよ」

「随分と荒れてるな」

「荒れもするわよ。ハーフィーが妖精のこと全部分かると思ったら大間違いなんだからね?」

「……とりあえず場所を変えようか。ここだと隊の奴らが怖がる」

「騎士って軟弱ね」


 酷い八つ当たりを自覚しながら空笑い。それからどうにか体に鞭打って立ち上がり、彼の……アラン・モノセロスの後について一つの部屋に入る。

 と、どうやらそこは彼の部屋らしく、幾つかの物が溢れた空間に彼の存在感が満ちていた。


「……男しかいないと色々大変そうね」

「冷たいものでいいか?」

「えぇ」


 彼の優しさに甘えて腰をおろせば、ようやく自分と言うものを見つめなおして少しだけ落ち着く事が出来た。

 目の前に差し出されたお茶を喉の奥に流し込めば、一気に冷えた思考で謝罪する。


「…………八つ当たりしてごめんなさい」

「大変そうだな。良かったら愚痴程度なら聞くぞ?」


 迷惑をかけている事を再認識して、それでもいつもらしく優しいままでいてくれるアランに感謝をする。


「スアロキン峡谷付近で目撃された巨人の話は知ってるかしら?」

「小耳に挟んだ程度なら。どこまで本当か怪しいものだけどな」


 情報は国境を守護する軍から。同じく海を守る彼らも噂は耳にしたらしい。

 話は、簡単に言えば未知の存在の目撃情報だ。


「ブランデンブルクとの国境付近で巨大な影が目撃されたらしいの。朝方の、霧の濃い時間帯。まだ陽も昇っていない、薄暗い中に浮かび上がった山のような巨体。曰く人のようで、曰く岩のようで、曰く生きているような誰の記憶にも類似のない現象。ただ事実として、複数の人達が目撃していると言うことだけが唯一の共通見解」

「その正体解明な話が君の所まで行ったのか」

「妖精の悪戯じゃないか、なんて、さも有りなんな丸投げよ」


 不可思議な現象の言い訳に使われる常套句。或(ある)いはただの思い込み。

 とは言え個人の見解なら一笑に付す事の出来る戯言だが、複数人が同じ証言をしているが故に、おざなりに切り捨てる事が出来なくて面倒を被っているのだ。


「変な話なのは確かよ。ただその場に居合わせたと言う共通点以外まったく纏まりのない複数人が同じ認識を共有している。そこに何かしらの理由があるかもしれないと考えるのは不思議じゃない。だからってその原因の言い訳に軽々しく妖精の存在を使われるのは納得できない」


 妖精は人の言い訳ではない。自分の無知を棚上げする為の存在ではない。

 思うに、己の蒙昧さを知り、戒める為の隣人だ。罷(まか)り間違っても根拠もなく責任を擦り付けていい相手ではない。


「しかも剰(あまつさ)えその証拠や根拠の説明を押し付けられてるのが気に食わない。そんなに気になるなら自分達で調べればいいじゃない。仮にも妖精の力を借りて諍(いさか)いを未然に防ぐ為に努力してる騎士でしょうが。妖精の仕業って言うならその調査くらい自分の体でやりなさいよ。なんで後方で引き篭もってるわたしのところまで話が回ってくるのよっ」


 言葉にして再び募る感情の制御が杜撰(ずさん)になる。アランは海の守護者で、陸のことは基本管轄外。八つ当たりしたところで何かが解決する訳ではないのに。口から零れ落ちる悪態は一向に留まる事を知らない。

 わたしの中にこんな感情があったなんて初めて知った。怒りはきっと、わたしがハーフィーだからと言うのが一番の理由かもしれない。


「時化(しけ)てるな」

「荒れたくもなるわよ。タルフ岩礁での一件だって報告書こそ上げたけれど納得のいく理由じゃなかったもの。ここ最近きな臭い話が多すぎるの。その責任が妖精や、真実を解き明かせないわたし達にあるなんて言われれば頭にもくるでしょう?」

「言われたのか?」

「……言われてはないけれど、同じようなものよ」


 好き勝手言ってくれて。わたしは妖精と自分の為に隣人の尻尾を追い掛けているのであって、誰かの欲望の捌け口ではない。自分の無知を他人に押し付けるそれを許容など出来ない。


「……こんな事話すつもりじゃなかったのに」

「少しは楽になったか?」

「えぇ。これでもう一徹くらいできそうよ」

「無理だけはしないでくれよ」


 気遣ってくれるアランに感謝をしつつ、少しだけ軽くなった胸の内から吐息を零す。多少でも気分が晴れたのは確か。その為にアランを巻き込んだというのは新たな自己嫌悪の種だけれども……。


「だが、確かにここのところこれまでになかった報告が続々と挙がっているのは目に余るな。一体何が起きているんだか……」

「何か知らないかしら?」

「生憎と。しかしそれが妖精の側にだけと言うのも奇妙な話だ。もしこれがフェルクレールトの大地全体で起きている異変ならば、いがみ合っている場合では無いのかもしれないな」


 彼の言葉に少しだけ考える。

 巨人の目撃情報は国境付近。とは言え国境と言っても何かしら明確な線引きがあるわけではない。国境線は、人が自然の印を借りて勝手に定めているだけの事。フェルクレールトと言う大地全体で考えれば、四つの国は地続きだ。

 だから巨人の話だって偶然カリーナ側で確認されただけで、何かが違えばブランデンブルク国内の問題だったかもしれない。

 そう考えれば、タルフ岩礁でのことだって人の住まない海の上の出来事。そこにはカリーナとしての強制力も責任も、本来ありはしないのだ。

 つまりはアランの言う通りこの奇妙な現象がカリーナ国外で同じように起きていても不思議ではない訳で…………。


「迷惑をかけたわね。戻る事にするわ」

「もういいのか?」

「えぇ。少し確かめたい事も出来たから」

「……疲れたらまた茶でも飲みにくるといい」

「ありがとう」


 優しい提案に嬉しくなりつつ、降り注ぐ陽の光を抜けて研究室へ戻る。少しだけ外の空気を吸ったおかげか、部屋の中が淀んでいる事に気付きながら、急いで書類の制作に取り掛かった。

 杞憂ならばそれでいい。しかしもしこの愚かな想像が少しでも的を射ているのならば、事はカリーナだけの問題ではない。

 だから、できることならただの妄言であって欲しいと。少し乱暴に滑る紙の上の筆先を、望まないながら想像し続けた。




              *   *   *




 胸騒ぎが治まらない。胸の奥からの囁きが耳元で煩(うるさ)く響く。

 それが自分の声なのか、それとも周りの声なのかは既に分からない。

 雑踏の中で、自然の中で。どこにいたって鳴り止まないのは、自称と他称の混線。

 この魂はたった一つ。望むべきは想像の限りの愉快。

 生きる為の目的が、目的の為の手段に変わったのは一体いつからか。

 自分ではない自分が何かを支配して、自分のその先の自分を求める。

 前後不覚の右往左往。後ろを向いて前に進むのは、過去か未来か。

 唯一つ分かるのは、この衝動はもう抑えが利かないという事だけ。




              *   *   *




 学園の授業のない休日。

 出された宿題も終えて、珍しくロベールやピスとケスとも約束なく家で自由な時間を過ごす。

 こんな日も偶には悪くないと。四人でクラスターを組んだ春先から色々あった気がする過去を振り返りつつ、手元の本を読み進める。

 特に少し前のタルフ岩礁での一件では、水竜に妖精と、妖精憑き(フィジー)には荷の重い問題に巻き込まれてしまった。終わってみれば中々の思い出だが、実際に経験した身からすれば結構大変だった。

 商船とは言え立派な帆船に乗って沖まで出たのは初めてのこと。理由はどうあれロベールと未知の世界を経験できたと言う経験は、酷く美化されて記憶の中に刻まれている。

 とは言え想定外の初めてだったのは確かで。また機会があれば、今度こそ遊覧のようなゆったりとした海上の時間を確かな思い出として残したいと理想を描く。……流石に水竜と戯(たわむ)れるのは普通じゃない。

 しかしだったら一体どんな船旅がいいだろうかと。いつあるかも分からない理想を追い掛ければ、妄想が膨らんで手元の物語の内容が段々と薄れていく。

 ……駄目だ。考え事に集中して本の内容が頭に入ってこない。これ以上はこの本に失礼だ。

 仕方ない。気分転換に散歩でもしてくるとしよう。家に居てもする事は特にないのだ。

 無断で家を出ると迷惑が掛かるのは重々承知している。あたしが誘拐されて色々あったときなんかは、外出の自由を奪われたこともあった。あれ以降、不幸を繰り返さないために連絡は欠かさないようにしているのだ。


「お母さん、ちょっと外歩いて来る」

「気をつけてね」

「うん」


 今では特に何事もなければ二つ返事で下りる許可。これが大人に近付いている証ならば、未だ先の見えない将来に希望を見出すのも確か。

 早く家を背負えるくらいに独り立ちしたいという子供の夢を抱えつつ。いつも通りロベール辺りでも誘ってみようかと外に出た。

 幼馴染と言っても家が直ぐ近くではない。もしそうならばもう少し何かが変わっていただろうか。……そんな事はない気がする。

 それどころか、今以上に消極的になって意気地なしになっていたかもしれない。

 簡単には届かないからこそ意味がある。なんて、ロベールが言いそうな事を考えながら。今日は秋だと言うのに中々に鬱陶しい日差しから逃げるように白い町並みを歩く。

 この季節になると空は高くなり遠くに広がる山々が実りと共に色付き始める。その光景が、城下町の色合いによって引き立ち、結構綺麗な風景を描き出すのだ。

 まぁ秋の季節と言うと、陽花城(ゾンネパルク)の別名で称えられるブランデンブルク城の方が華やかではあるのだが。個人的に秋に囲まれるカリーナ城下町も負けていないと思うのだ。

 夏が少し長引く気候のお陰で草花も温暖な空気に見合った物が咲き乱れる。この色は陽花城にはない賑やかさだ。

 こんな事なら道具でも引っ張り出してきて絵でも描けばよかっただろうか。

 あたし一人になると途端計画性の薄れるぼんやりとした性格に呆れつつ、季節の豊穣を鼻先に感じながら目指す道中。

 と、そんな道行きで、ふとどこにでもいるような妖精に目が留まった。

 隣人が見える者達にとって世界を彩るその小さき体は、認識の常識。傍を擦れ違っても髪を一本抜かれても一々気にしない日常。

 けれども時折こうして興味を引く対象と言うのは存在していて、これまでの実体験から考えるにどうやらあたしはこの身と同じく風(フェリヤ)に愛される子達に意識を割かれがちだ。

 恐らく今回もその一つだろうと。周りに人の姿がないことから自由を生き甲斐とするその個に、戯れで声を掛ける。


「何してるの?」


 声に振り返ったのは男の妖精。次いでその色と顔立ちに覚えがある事に気付く。


「あれ、あなた……もしかして前に会った恋語らい?」


 恋語らい────ガンコナー。乙女に言い寄り惑わせて、物語の中では恋に溺れさせて命まで奪ってしまうと言われる妖性。蔑称として言い寄り魔なんて呼び名も存在する妖精だ。

 学園に通って勉強したから知ったが、妖精はその魂に刻まれた妖性を明確に口にされる事を嫌う。彼らにとってそれはとても個人的な秘すべき根源。人で例えるならば、無理やりに衣服を剥ぎ取られるような行いだ。

 だから基本的に妖精の魂を音にする時は、幾つか存在する別名で呼び習わす。恋語らいと言うのはガンコナーの呼び名の一つだ。

 そんな彼は、あたしの記憶が正しければ過去に二度出会い、これが三度目だ。

 最初に出会ってからまだ半年程度しか立っていないのに、この遭遇頻度。こういう事例の場合、何かしらの縁が紡がれていることが多いらしく、後に契約を交わす事になったりと色々噂や実例が絶えない。

 しかし幾ら同じ属性(エレメント)に愛されていても、恋語らいと契約と言うのは余り想像ができない。だからもし繋がりが結ばれているのだとしたら、もっと別の形なのだとは思う。

 とは言えこうして再会したのも事実で。互いに知らないわけでもない。偶然だとしても既にここには三度目と言う今が存在しているのだ。


「君は、確か……ぅぐ……」

「えっ、何。どうかしたの?」


 こちらを見つめた彼が、あたしと視線を交わした直後、胸の辺りを小さな掌で押さえて呻くように俯き、ふらついた。

 その異変に、すぐさま心配と共に思考が巡った。

 妖精は自然に生きるものが多い。だから人の世界に長時間いると気分を傾がせたりと言う事があるのだが、それだろうかと。

 だったらこれまで紡いだ縁として見て見ぬ振りは出来ない。彼の体調が良くなるような場所にあたしが連れて行ってあげられれば……。

 翅を揺らして目の前で小さな体を揺らす恋語らい。そんな彼が心配になって、下から掬い上げるように両手で小さな体を抱える。


「大丈夫? 気分が悪そうだけど」

「これは……っ! いいから放って置いてくれないか……」

「妖精が見える者としてそれは出来ないよ。困っている子は助けないと」


 今の人の世界は妖精と共存することで成り立っている。それは互いに協力が出来ているからだ。

 だからこういう時にはお互い様。妖精が見える者の責務として、必要な協力は惜しまない。


「もしかして妖散期(フィターム)?」


 妖散期。妖精がその体を維持できなくなり、転生の為に一度消滅するその間際の期間を指す言葉だ。

 妖精は20年から30年ほどを契約をせずに生きると消滅する。妖散期はその妖精によって発生する時期が異なるが、転生を行う妖精には避けては通れない現象だ。

 この期間に入ると、妖精は体の自由が利かなくなったり妖精術の行使が極端に不器用になったりする。人で言うならば老年期……高齢者だろうか。

 目に見えて苦しむというよりは、段々と衰弱するように弱っていくのが普通らしいが、彼のその様子はそれに当て嵌まらない妖散期かもしれない。


「…………るな……」

「え……?」


 小さな声を聞き逃してしまう。随分と苦しんでいる様子の彼は、どうやら喋るのも一苦労のようだ。

 何か力になれることがあるのならば。それを知るためにも掌の上の彼を耳元へ。そうしてようやく、彼が何を呟いているのか理解した。


「かか、わるな……。早く、にげ────」


 必死に搾り出すようなその声に、一拍遅れて思考が追い付く。

 関わるな。早く逃げろ。

 やはり何か……。そう脳裏を過ぎった直後、掌の上の彼が力なく座り込み、あたしの親指を小さな手で掴んだ。

 刹那、触れたそこから胸の内を染め上げるような妖精力が腕を伝って体の中心へと流れ込んでくるのがわかった。

 危険を覚えて彼を手放そうとしたが、それより数瞬早く意識が何かに塗り替えられて、体が思うように動かなくなった。


「……これは、また異な縁だな。だからこそ、なのかも知れないが。なぁ?」


 掌の上の彼がどこか楽しそうに囁く。その音が、眠気のような心地よさで頭の中を撹拌していく。

 それはまるで……ううん、きっとあたしの中にあった感情。……違う、そうじゃない。あたしは…………あれ、……あたしなにが……? な、に…………が。おき。て。……あ、た…………しは…………。


「ほら、こんなのは楽しくない。行こう。幸福が待ってる」


 こうふく……? …………あぁ、そうだ。幸福。あたしは、彼と、いっしょに……。……彼? だれ?


「何をしてるんだい? 早くしないと時間がもったいない。……いいや、時間なんて瑣末な事だ。そう思うだろう?」

「…………そう、だね……」


 時間なんて概念は、必要ない。だってずっと、永遠に、そうあり続けるだけだから。始まりも終わりもない。紡がれるのは刹那の連続だけだ。

 だから、そう……。あたしは彼と一緒に行く。それが彼の提案で、あたしの願いだから。


「さぁ行こうっ。真実の感情が何か、教えてあげよう!」


 いつの間にかあたしの手の上から飛び上がっていた彼が、清々しい笑顔でこちらを見つめて手を伸ばす。

 その小さな掌に導かれるように、あたしはあたしのまま足を出した。




              *   *   *




「ったく、なんでぼくが……」


 納得のいっていない感情の捌け口に思ったままを音にする。

 宿題は終えて家でだらだらと過ごしていた所へ押し付けられた所用。

 曰くシルヴィの家族を交流のある家(うち)にお客さんとして招いた際、忘れ物として置いて行った物を届けて欲しいと頼まれたのだ。

 親同士の事に子供を巻き込まないで欲しいと溜め息を吐きつつ、半ば追い出されるように持たされた包みを持ってクラズ家へ。

 ……どうせぼくがこんな雑務に身を振っているくらいだ。シルヴィだって暇を持て余しているはず。ならば彼女でも誘ってどこかへ遊びに行こうか……。少なくとも一人で時間を浪費するよりは余程有意義だろう。

 そんな事を考えながら日差しを避けつつやってきた幼馴染の家。呼び出し鈴を鳴らせば、しばらくして少し低い足音が家の中から響く。

 次いで開かれた玄関に立っていたのは、想像通りシルヴィのお母さんだった。シルヴィならもう少し足音が軽いからな。


「これ、忘れ物だそうです」

「あら、わざわざありがとう」

「いえ。それで、その……シルヴィいますか?」

「あの子ならさっき外に出て行ったわよ? てっきりロベール君のところへ遊びにでも行ったのだと思ってたけれど。会わなかったの?」

「会ってません。……分かりました。ちょっと探してみます。ありがとうございました」

「シルヴィのこと、よろしくね」

「はい」


 クラズ家とは、気付いた時には既に家族ぐるみの付き合いだった。シルヴィとも実のきょうだいのように育ってきて、今では切っても切れない関係。

 シルヴィの母親に対しては、大人として払うべき敬意はもちろんあるが、特別緊張する間柄でもない。だからこうして心の底から仲良くさせてもらっているのだ。

 そんな彼女に託されて、踵を返し歩き出す。

 もし彼女の言う通りなら、恐らく入れ違いになったのだろう。理由はどうあれ、ほぼ同時刻に外に出て擦れ違うなんてさすがは幼馴染だ。……そんなところまで歩調を同じくしなくてもいいのに。

 思いつつ、とりあえず彼女のよく通る道を辿って家まで戻り始める。

 シルヴィを見つけたら、その時はどうしようか。今日も暑いからまたジルさんの店でも冷やかしに行こうか。そんな事を考えながら、人通りのそれなりな石畳の道をゆったりと歩く。

 道中、道の端に少し早い枯葉などが落ちている事に気がついて、不意に毎年の恒例行事を思い出した。

 カリーナ城下町は南を海に、北を山に挟まれ、秋のこの時期になると風光明媚な光景を描き出す。それはもちろん綺麗で素晴らしいのだが、冬が近付くと今度は大量の枯葉が町中に降ってきて面倒な事になるのだ。

 その量たるや、掃除なんて億劫になるほど断続的で。白い建物が大半を占める城下町を、茶色い絨毯が覆い隠すほどだ。

 とは言え放置していれば景観が壊れ、衛生状況も悪くなる。雨が降れば足が滑り、怪我人も出る。

 その為、枯葉が町を埋め尽くす頃、ここカリーナでは丸一日掛けて大規模な清掃が行われるのだ。

 その名も水箒(ウィルン・バレ)。城下町の地形が北から南へ下る傾斜な事を利用して、頂上から水(ウィルム)の妖精術で町中に水を流し、一気に溜まったゴミを洗うという行事だ。

 もちろん大量の枯葉を海に放流するわけにもいかないから、沿岸部には網を張り巡らせて後に回収をするのだが。

 この行事の為に丸一日町全体が休日となる。代わりに妖精術を使える者は殆どが借り出される事になり、水を流した後は全員で町中を磨き上げるのだ。

 この春から学園生であるぼくやシルヴィも今年は参加が義務。去年までは見ているだけだったそれに参加できるというのは、面倒臭さよりも興味の方が強い。

 ……とは言っても水箒はまだしばらく先。今年だと、四年に一度の四大国会談が始まる前だ。

 カリーナで開催される話し合いの為に、各国の要人が来る場所は綺麗にしておかなければ。

 ただ今年は、初参加と言う事もあってたくさんの枯葉が積もってくれないだろうかと密かに期待しているのだ。だってその方が流し甲斐があるだろう?

 秋の実りも美味しくて好きだが、今年はそれ以外の楽しみが幾つもある。その、まだまだこれからな初めて尽くしが今から待ち遠しい。

 シルヴィを探しながらの帰路、折角外に出たのだからとお気に入りの店に寄ってクロッカーを一つ買う。歩きながら半分ほど食べた所でシルヴィにも買えばよかっただろうかと思い至ったが、今更店まで戻るのも億劫でやめた。

 そんな風に秋を満喫しつつ人の合間を縫っていると、人込みの中に良く知る姿を遠目に発見した。

 まだ少し距離があるが、見間違えるはずはない。昔から変わらない、アプリコット色の長髪を頭の横で二つに結び、兎の耳のように流して体と共に揺れるその姿。学園に入ってからぼくが成長著(いちじる)しい所為か前より少しだけ開いた身長差は、けれども別に周りと比べて見劣りするようなものではなく。どこか理知的なエメラルドグリーンの双眸を嵌めたその少女こそが、探し人でありぼくの幼馴染たるシルヴィ・クラズだ。

 こちらから探してたとはいえ少し歩き疲れた。それくらいに心配を掛けてくれた彼女に、しかし内心では安堵しつつ歩み寄る。

 とりあえず文句の一つでも言ってやろうかと。いつもの調子で言葉を捏(こ)ね繰り回して準備すれば、目の前に立った彼女に告げる。


「学園に入学したってのに周りに迷惑かけるのはどうかと────」


 きっと飽きさえ通り越した挨拶のような言葉が交わされるのだろうと。微かに期待しながらそう音にする。

 言葉の途中で、さて彼女の反応は如何にとその瞳を覗き込んで続けようとした。

 が、向こうから歩いて来たシルヴィはぼくの言葉を無視する形で足を止めず直ぐ傍を通り過ぎる。


「…………は? おい、シルヴィ」


 流石に無反応は見過ごせないと。小さく募った苛立ちで振り返り彼女の肩を掴んでこちらに振り向かせる。

 するとこちらを向いた彼女は、どこか呆けたように一点を見つめ、何を言うでもなく無言でぼくの手を払い除けた。

 まったく意味の分からない、拒絶色の強い振る舞いに一瞬思考が真っ白になって理解を追い求めた。

 …………いや、流石にそれはないだろう。

 幾ら幼馴染と言えど素っ気ないを通り越した反応は意味が分からない。彼女を怒らせるような事をしたつもりはないし、そもそも先に無視をしてくれたのはシルヴィの方だ。

 だから責は彼女にあるべきで…………と、考えている間にも、いつの間にかこちらに背を向けたシルヴィがそのままどこかへ向けてゆっくりと足を出す。


「なぁ、シル────」


 見過ごしはしないと。再び彼女を引き止めようとしたところで、その足取りがいつも通りでない事に気が付いた。

 まるで酩酊でもしているかのようなふらふらとした歩調。次いでよくよく見れば、少し前屈みになって腕を投げ出したまま、通行人にぶつかりそうになりながら歩き続ける。

 もしかして日中の暑さにやられたか……? いや、それにしたって声を掛けたのに無反応と言うのはおかしな話だ。

 そもそもいつもしっかりしているシルヴィとは掛け離れた様子。それを見過ごせるほど生半可な幼馴染付き合いをしてきてはいない。


「シルヴィ、ちょっと……」

「おいおい、男の嫉妬は見苦しいぞぉ?」


 少し無理やりでも止めて話を聞かなければ。そう考えて行動に移そうとした直後、彼女の陰から姿を現した小さな体躯に遮られた。

 背中に二対四枚の翅を背負った姿。どうやら男の妖精らしい。

 と、その顔に見覚えがある事に気付く。


「あれ、お前、確か…………」

「男に覚えられても何も嬉しくない。悪いけどこっちは彼女とするべき事があるんだ。邪魔だから早くどこかに行ってくれ」

「するべき事ってなんだよ。シルヴィは暇だったから外に出てきたんじゃないのか?」

「お前には関係ない」


 返ったのは鋭い視線と胸の奥を差す様な音。その拒絶の声に、思わず喉の奥が塞がる。

 けれども直感で、このまま彼の言葉を認めるのは駄目だと体が動いた。

 せめてもう一度……シルヴィに本心を問い質(ただ)さなければ。先程の彼女は普通ではなかった。

 体に無理を強いるように、少し重い指先を伸ばす。するとシルヴィとの間にいた妖精が、舌打ちと共に小さく腕を振った。

 次の瞬間、辺りに吹き荒れた風。行き交う人が僅かな悲鳴を上げ、道の端に溜まった枯葉が天へと舞い上がる。

 そんな突風に体を煽られて思わず顔を庇い姿勢を低くしてどうにか飛ばされないように耐えた。

 遅れて、その風に妖精力が宿っている事を肌で感じて気付く。今の風は、彼が起こした物らしい。けど悪戯にしては少しやりすぎだ。見れば尻餅を突いている子供もいる。

 ここまでされればシルヴィが関係なくとも妖精憑きとして看過は出来ないと。直ぐに顔を上げて人の海にシルヴィと共に消えていく後姿を追い駆ける。

 向かう先は東の森の方角。普段森の方には近付かないからこそ、過去の少ない記憶が蘇って思い出す。

 この方角は…………学園に入学して直ぐの課外授業で山を登ったときに使った山道がある。あぁ、そうだ。彼はその時と、そして大統領陛下の誕生祭で再会した経験のある妖精。その魂は確か……ガンコナーだ。

 まるで人の壁などないようにするりするりと歩みを止めないシルヴィと、その傍を飛ぶ彼。その逆に幾度も道を邪魔されながら進むぼくは、その最中で思考を巡らせる。

 ガンコナー。言い寄り魔とも呼ばれる妖精。その本質は、乙女に甘い言葉を囁き、恋に溺れさせる危険な魂だ。一説にはガンコナーに心酔した女性がそのまま衰弱死した、という言い伝えさえ残っているほどに危ない存在。

 とは言え妖精の悪戯は基本的に命までは脅かさない。ガンコナーだって、精々人の時間を僅かに奪って迷わせる程度だ。

 もちろん分かっている。……けれども、先ほど彼が見せた言動はそれを逸脱している気がしたのだ。

 有体に言えば、あのまま見過ごせばシルヴィの命が危険に晒される気がした。直感で、根拠がないから理解もされないだろう。

 けれどそんな嫌な想像が脳裏を巡ってしまったから、こうしてぼくは足を出し続けているのだ。

 杞憂ならばそれでいい。終わった後に笑われたって構わない。

 ただ、もしもの可能性が拭えるまでは諦めるつもりはない。あれは、そういう第六感だ。

 だから、ただの思い過ごしであって欲しいと。そう強く願いながら、シルヴィの背中を懸命に追い駆けたのだった。




 シルヴィとガンコナーが姿を消したのは、記憶にある山道の中だった。

 既に周りに人の姿などない。ここからは自然の驚異が直ぐ傍に潜む、人の管轄外──妖精が住まう世界だ。

 下手に飛び込めば思いっきり悪戯にもみくちゃにされて、二度と訪れたくなくなる放埓と自由の坩堝(るつぼ)。

 けれども今はそんなことで躊躇している暇はないと。意を決して僅かに舗装された土の道へと足を出す。

 途端、肌を撫で鼻先を香る雰囲気から人の温もりが消える。それを埋めるように不気味な風の音が秋の色となって視界を揺らし、遠くに鳥の鳴き声を反響させた。

 足首をぬるりとした何かに掴まれたような錯覚さえ抱きながら、それでも一歩、また一歩と歩みを進める。

 続く道にはまだ新しいシルヴィの足跡。これを見失わなければその内見つけられるはず……。

 微かな希望を手繰り寄せ、方向感覚だけは失わないようにと陽の位置を何度も確認しつつ自然の奥へと分け入る。


「あらぁ? 人がこんな所にいるなんて珍しいねー」

「森の恵みにでも取りに来たのかしら?」

「いやいや、僕達と遊びに来たんだろ?」

「そうねっ。きっとそうっ。ねぇ、ほらぁ、そんなに怖い顔してないで一緒に遊びましょう?」

「面白いよ。楽しいよ。きっと時間なんて忘れちゃうよぉ?」

「もしかしたらもう戻れないかもね」

「その時はずっと一生永遠に。その体が朽ちるまで踊り狂えばいいさ!」


 ぼくの存在を見つけた野良の妖精が、くすくすという笑い声と共に口々に言い寄ってくる。その言葉の端に魅力的な誘惑を感じるのはきっと、彼女達が妖精力を宿して惑わそうとしているから。

 そうと分かるからこそ、誘いに頷くわけにはいかないと。己を必死に律して、何よりも大事で大切な目的を頭の奥に一本通す。

 やがて反応がない事に飽きたのか、一人、また一人と傍を離れていく。無理に手を出してくるような子がいなくてよかったと小さく安堵。微かに息を漏らして確認に辺りを見渡す。

 するとまだそこに一人、女の妖精がこちらを不思議そうに見つめていた。


「ふふ、やっとこっち見てくれたっ」

「……悪いけど、遊んでる暇はないんだ」

「じゃあ何しにきたの?」


 こちらの瞳を覗き込む妖精。そこでようやく、彼女がぼくと同じ属性に愛されている子だと気が付いた。

 森の中なのに珍しいこともあるものだと。少しだけ親近感を抱きつつ答える。


「幼馴染が妖精に連れられて森の中に入って行ったんだ。何かあったら心配だから追い駆けて来たんだよ」

「んー……。あぁ、あの子かな。恋語らいに惑わされてた子でしょ」

「っ!」


 恋語らいと言う響きにやっぱりと言う確証が重なる。

 が、それよりも気になったのは続いた彼女の言葉。足を止めて尋ねる。


「惑わされたって……シルヴィがか?」

「名前なんて知らないけれど、風に愛された人の女の子でしょう? こう、長いモモサネ色の髪を二つ括りにした」


 言いつつ、短い自分の髪を手で持ち上げて示す妖精。

 モモサネとは果物の事で、夏前に旬を迎える果実。鮮やかな橙色をしている手の平大で、中には大きな種が一つ。生でも食べられるが日持ちはせず、果醤(ジャム)や果実酒、それから砂糖漬けなどの形で保存もされる。

 なんて、モモサネの食に関する事はどうでもよくて……。重要なのはその色だ。

 モモサネの完熟した橙色は、シルヴィのアプリコットの頭髪とよく似ている。

 加えて髪を括っていて、女の子で、ガンコナーと一緒にいた……。そこまで情報が揃えば、間違いなくそれはシルヴィのことだろう。


「あ、ちょっとぉ!」


 情報を得られたならもう用はない。自由に振り回されるのはごめんだと足を出せば、妖精が煩(わずら)わしく目の前を遮った。


「なんだよ。まだ何か用か?」

「ねぇ。まさかそんな一方的な話ってないよね? あなたは人間で、わたしは妖精。言ってる意味、分かるよね?」


 微かに肌を刺す鋭い雰囲気。瞳の奥に奔放故のその場限りな本気が揺れている事に気がついて、仕方なく折れた。


「……分かった。けどお礼はまた今度に──」

「いーやっ。楽しい事は気が変わらないうちに。じゃないと本気で悪戯するよ?」

「………………」


 更に強くなった妖精としての威圧感に、これ以上邪険にするのはまずいと悟る。

 今ここで彼女に惑わされてシルヴィを見失ったら何の為にここまできたのか分からなくなる。


「……何をすればいいんだ?」

「んー……別に、なんでも。人が考えることの方が興味があるし」

「…………ならかくれんぼなんてどうだ?」

「なにそれ」

「姿を隠した誰かを探す。今回だと……恋語らいとシルヴィをぼく達で見つけるんだ」

「ふぅん。まぁいいよ。妖精が妖精を追い駆けるなんてしないから少し楽しみかもっ」


 よしっ、咄嗟の機転だったが上手く目的に繋げられた。


「制限は特に無し。妖精術も使っていいぞ。あぁそうだ。もし早く見つけられたら、また今度ぼくが遊びに来るってのはどうだ?」

「にひひっ、それはいいね! よし、早速始めよう!」


 妖精との歩み方は取引と同じだ。彼女達が望む物を提示すれば、その見返りに手伝いをしてくれる。その発展系が契約であり、このフェルクレールトの世界。

 共に歩むというのは、互いに利益のある関係の事だとぼくは思う。


「あ、そうだ。折角出会えたんだ。これあげるよ」

「なにこれ……」

「クロッカーって言う揚げ物だ。アップラを潰して成型した人の食べ物。妖精は料理なんてしないからこういうのは珍しいんじゃないか?」

「食べ物っ!? 貰っていいのっ?」

「もちろん」


 かくれんぼや次の約束以上の反応に少しだけ思うところがあるが、それが妖精らしい即物さ。……今度来る時は別の食べ物を持ってくるとしよう。そうすれば少なくとも悪戯をされる事はないだろうから。

 食べかけのクロッカーを抱くようにして持った妖精が嬉しそうな笑顔でかぶりつく。ほくほくとした温かさと食感に身を震わせた彼女は、瞳を輝かせてぼくの肩に座り、一心不乱にクロッカーと格闘し始めた

 一体その小さな体のどこに収まっているのか……。そんな事を考えてしまうほどの盲目な食べっぷりに、少しだけ体の力を抜いて森の中を再び歩み始める。

 やがて自分の体半分ほどの大きさのあったクロッカーを食べ終えた彼女は満足そうに吐息を零すと、食後の運動とばかりに目の前に身を躍らせてぼくを案内するように飛び始めた。


「恋語らいだったよねっ。こっちに気配がするからついて来て!」

「あ、ちょっと待って……」

「ん?」


 元気に先導を買って出た妖精。そんな彼女を呼び止めて、口元についていた欠片を指先で掬う。

 するといきなりの事に驚いたのか、小さな体を震わせて顔を紅潮させた彼女が逃げるように先を身を翻した。


「うぅ……うぅううぅぅぅ……!」

「な、なんだよ……」

「知らないっ!」

「ちょ、待てって! 置いて行くなよ!」

「知らない知らないっ!」


 ついさっきまで笑顔でいてくれたのに。どうしていきなり気分を傾がせたのか……。

 意味が分からないまま、それでも取り残されると迷子になることは必至だったので、秋の森の中に新たな道を描きながらその背中を追い駆けたのだった。




 気紛れな妖精が一つの事を根に持つという事はまずありえない。新たな楽しみが見つかれば興味関心がそちらに上書きされるからだ。

 その例に漏れず先導してくれる妖精もしばらくしてまた自由な彼女として振舞い始めた。

 不意に気になった事をこちらに尋ねながら止まらない追跡道中。既に方向感覚などなく、彼女に惑わされているのではと疑いを抱いてしまうほどに、体感でとても長い時間を歩き続けた気がする。

 だが、妖精は嘘を吐かないのだ。協力してくれると言うのだから、どんな形であれぼくが望む物はきっと得られる。

 そう信じて黙々と歩みを進めれば、やがて木々の向こうにシルヴィの後姿を捉えた。


「シル────」

「待って」


 駆け寄ろうとした所へ小さな体を割り込ませて妨害される。ここまで来てその邪魔はないだろうと。抗議しようと妖精へと視線を向けると、こちらを見つめる真剣な色がそこにはあった。


「あの子の隣にいる恋語らい……ちょっと様子がおかしいよ」

「どういうことだ?」

「普通じゃないって言うか、なんだろう……上手く言葉にならないけど、危険な感じがする。無策で近付かない方がいいと思うよ」

「じゃあどうしろって言うんだよ」

「今考えてるっ。折角楽しい約束できたのに……人に迷惑を掛けるのは妖精の自由じゃないんだよ」


 それが彼女の矜持らしい。

 確かに、許される程度の悪戯だから妖精との関係がこれまで続いて来たのだ。シルヴィを巻き込んだこれは、どうにも悪戯の範疇を越えている。ともすれば命さえ脅かされない危険だ。

 そして原因があの恋語らいにあると彼女は言っているのだ。奔放な妖精だからこそ、その基盤を揺るがしかねない放埓は見過ごせないのだろう。


「…………あ、そうだっ。恋語らいから引き離せばいいんだ!」

「引き離すって……具体的には? 連れて戻るだけでいいのか?」

「距離の話じゃないよ。一つ訊きたいんだけど、あの女の子に関することでこれまでに変わった事はあった?」

「……理由なく跳ね除けられた。いつもはそんなことするような奴じゃない。だから気になって追い駆けてきたんだ」

「そっか、なるほど……。と言う事は、あの子はまず間違いなく恋語らいに惑わされてる。それも無理やりに」

「無理やり……?」

「体の中の波長に直接干渉して意識を塗り替えてるの。だからここまであの子も抵抗せずについてきたんだよ」

「…………操られてるって事か?」

「うん、そうだね。その表現が近いかも」


 波長に干渉して操る。まだ妖精憑きで、中途半端な知識と経験しかないぼくが全てを理解するなんて出来ないけれども。それでもあの恋語らいのそれが普通では無いのは隣の彼女の口調から何となく察せられる。


「もっと簡単に言うと、妖精術の影響下にあるの。だからそこから引き剥がせれば、あの子は助かるはず」

「引き剥がすって、どうやって……?」

「君契約は…………まだみたいだね。ってことは一人だと妖精術が使えないか」

「簡単な物ならできるけど」

「その中に波長に干渉できる術式はある?」

「………………ない、と思う」


 ぼくが上手く扱えていないだけかもしれない。けれど今ぼくが知る限り、他人に干渉する術式……例えば幻術の類はぼくには扱えない力だ。

 恐らくそれが使えればシルヴィの意識を連れ戻すことが容易なのだろう。


「……じゃあ仕方ないか。少し乱暴なやり方になるけれどそれでもいい?」

「それでシルヴィは助かるんだな?」

「うん。けど一つ問題がある。あの恋語らいが邪魔をしてくるはずだから、それをどうにかしないといけない」

「近づけさせなければいいのか?」

「できるの?」

「どうにかしてみせる」

「じゃあお願い! 行くよ!」


 他でもない、大切な幼馴染のためだ。彼女が危険に晒されている状況で躊躇など必要ない。

 何より……もうシルヴィを傷付けたくないから。今度こそ、ぼくが彼女を守るんだ……!

 決意と共に茂みから飛び出して急接近する。するとこちらに気が付いたガンコナーが、反射的に風の妖精術をこちらに向けて放った。

 ほぼ同時に、水の錐を目の前に作り出してその陰に隠れるように疾駆した。

 風と水の属性に有利不利は存在しない。その為純粋な妖精術の質だけが結果を示す。

 シルヴィを守る。その一心で行使した、即興最大限の水の妖精術。感情の触れ幅によって作用が大きくなる妖精術は、ぼくの感情を糧に想像以上の質を伴って向かってくる風の衝撃を背後へと受け流した。


「そのまま抱きついてっ!!」


 一瞬彼女が何を言っているのか分からなかったが、それよりも体が先に反応してシルヴィの体を両腕で抱きしめた。直後、ぼくとシルヴィの体に片手ずつ添えた妖精が妖精術を一つ行使したのが肌で分かった。

 途端、ぼくの体の中から妖精力が流れ出ていく。それはぼくに手を添えた妖精へ。そして彼女を経由してシルヴィの方へ。

 そこでふと、自分の体に直接妖精術が作用しているお陰か、彼女のしていることを直感で理解した。

 妖精力は別な妖精力の波長によって中和される。それはほぼ同等の妖精力を用いた際に起こる現象だ。

 それを応用して、シルヴィに干渉しているガンコナーの波長を、ぼくの妖精力で打ち消そうとしているのだ。

 抱きついたのは、少しでも触れ合う面積を増やして妖精力の受け渡しをし易くするため。

 分かってしまえば、遠慮する必要はないと。改めてシルヴィの体を強く抱きしめ、心の中で強く念じる。

 戻って来い、シルヴィ!


「ぅ……あ…………」

「シルヴィっ!」


 術式が暴発でもしたように辺りへ風が荒れ狂う景色の中、耳元で聞こえた小さな声。

 直ぐに幼馴染の顔色を窺えば、その表情にぼくの手を跳ね除けた時のような険は既になかった。

 ずっと一緒の時間を過ごしてきたからこそわかる微かな変化。そのいつも通りに、安堵から再びシルヴィの体を抱きしめた。


「よかった、シルヴィ。無事でよかった……!」

「ぇ、なに…………ぅえっ!? ろ、ロベールっ!? な、何で抱きついて…………っ~!?」


 次の瞬間、腕を振り回したシルヴィに何かあったのかと心配になって尋ねる。


「どうしたっ、どこか痛いのか!?」

「痛くはないけど……えっと、そうじゃなくて…………」

「顔赤いぞ? 熱があるんじゃないのか!?」

「ひぁっ!?」


 上気した頬と、服越しに伝わる体温。小さく聞こえる鼓動は早鐘を打ったように忙しなく、シルヴィのこちらを見つめる視線が焦点を失ったように定まらない。

 ガンコナーの干渉を受けて体に異常が出たのではないか。そう考えて額に手を添えれば、目の前の彼女は大きく肩を跳ねさせて悲鳴のような声を上げた。


「……ちょっと熱いな。体がだるかったりしないか?」

「だ、大丈夫、だから…………。離れてよ……な、なんでそんなに近いの……っ」

「何でってシルヴィを助けるためだろ?」

「え、なに……助ける……? ……って嘘! ここどこっ!?」


 ぼくの言葉を疑うように訊き返したシルヴィが、それから辺りを見渡して驚いたような声を上げた。


「どこって、シルヴィが自分でここまで歩いて来たんだろ」

「そんなことあたし記憶にな────ぁぅ」

「シルヴィっ」


 途端、崩れ落ちるように膝を折ったシルヴィ。それを支えるように同じく座り込めば、頭を抑えた彼女はうわ言のように呟いた。


「ぁれ……あたし、なんで…………。嘘、何も思い出せない……」

「思い出せない? どういうことだ?」

「きっと操られていたからでしょうね。その間の記憶が抜け落ちているのよ。妖精の悪戯にはよくある事でしょ?」


 声は直ぐ傍から。見れば少し疲れたように片腕を腰に当てた妖精がそこにいた。

 彼女の言葉に、それから納得する。


「そうか。時間や記憶を奪うってのは典型的な妖精の悪戯だもんな」

「悪戯…………あたし、妖精に惑わされたの?」

「思い出せないならしょうがないけどな。ガン────春に会った恋語らいの事は覚えてるか」

「それは、うん……。あ、そうだ。町を歩いてたらあの子に再会して…………うぅ、そこからの記憶がない……」

「あいつに悪戯されてぼくが止めるのも無視してこの森に入って行ったんだ。で、そこの妖精に協力してもらってシルヴィを助けたんだ」

「そっか…………。助けて、くれたんだ……。ありがと、ロベール」

「おうっ」


 どうやら少しずつだが落ち着いてきたようだ。操られていたというのに、それが解けて直ぐにいつも通りを取り戻しつつあるというのは、いつも冷静なシルヴィだからかもしれない。


「それで、恋語らいは? 姿が見えないけど……」

「森の奥に姿を消したわ。何だか普通じゃなかったみたいだから、しばらくは近付かない方がいいかもね」

「そう。ありがとう。また今度お礼をさせて」

「お礼ならそっちの子に貰うから大丈夫。ね?」

「あぁ、そういう約束だからな」


 シルヴィを救ってもらったのだ。彼女に付き合うくらいなんて事無い。


「とりあえずこんな所で話をするのは危険じゃない? もう暗いし、森の外まで送るから」

「悪い、助かる」

「いいのよ。かくれんぼ、楽しかったものっ」


 彼女達妖精にとっては人に対する悪戯なんて遊びの延長線上。だから言葉通りに気にしてはいないのだろう。

 ならば必要以上に掘り下げる話ではない。感謝は後でしっかり返すとしよう。


「シルヴィ、立てるか?」

「あ、うん。だいじょ──ぅぶ? あれ、おかしいな……足に力が入らない…………」


 遅れて恐怖が湧いてきたのか。それともぼくの波長を送り込んだ所為で調子が崩れ、体の自由が利かなくなっているのか。

 どちらにせよ歩いて戻れる様子ではないと、少しだけ考えて彼女に背中を差し出す。


「ほら、乗れよ。ぼくが連れて行くから」

「……重いよ?」

「それ今必要か? 早く帰ろうぜ」

「……うん…………」


 小さく頷く気配。それから彼女が、体重を預けるように覆い被さってくる。

 掛かった重量に、けれども己で切った啖呵だと。気合を入れ直して背負い、ゆっくりと歩き出す。


「ありがと、ロベール」

「それはもう聞いた」

「うん。ありがと……」


 掠れた声が耳元を擽る。やがて微かな吐息が首筋を撫でた事に首を回せば、シルヴィが健やかに寝息を立てていた。

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