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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
秋の七色、世界の七色
30/56

第一章

「ではよろしく頼む」

「失礼致します」


 書面に署名を行って顔を上げれば、紙切れ一枚を受け取ったアラン・モノセロスが一礼をして部屋を出た。

 足音が遠ざかっていくのを少し聞いて、それから大きな吐息と共に椅子へと深く腰掛ける。


「お疲れ様でございます」

「……ありがとう、エド」


 同時に目の前に置かれたカップ。立ち昇る湯気と天井を反射する琥珀色の紅茶の香りが微かに鼻先を掠めた。


「長かったな」

「約一月、ですね」

「そんなに経つか。……それだけの間何も出来なかったと言うのは歯痒いな」


 王の椅子など、そんなものかと。権益と責務に縛られたこの身を嘆いて天井を見上げる。

 目を閉じれば事の始まりからゆっくりと思い出せた。……折角だ休息がてら少しばかり成り行きを整理しよう。




 始まりは先月……否、先々月の末のこと。いつものように海上警備を行っていた白角(ハッカク)騎士団からの報告で、タルフ岩礁周辺の水竜がおかしな行動を取っていると話があった。要観察をと判断を下した直後、水竜は突如暴れ始め、周辺海域を泳ぎ回って幾つかの被害を(もたら)した。最初は確か、漁船の襲撃だったか。

 これまでであれば、そこは水竜の縄張りの範囲外。稀に餌を求めて回遊こそすれど、普段は近付かない場所だった。

 そこから一件、また一件と水竜の暴走は続き、危急の調査と原因解明を言い渡した。

 しかしながら前例の無い問題に海を司る白角騎士団も調査が難航。主な理由として水竜の無差別な抵抗により、傷付けずに全体像を把握すると言う事には苦心したようだ。

 ただ幸いな事に、水竜の影響はタルフ岩礁周辺のみで人の住まう陸の方に被害は無かった。何かあったと時の対処として海岸線を封鎖、不用意な立ち寄りを禁じ船の出入りを制限した。

 その影響で海上輸送での貿易の流れに(とどこお)りが生じ、一時的に混乱と損失が生まれた。しかしながらこれは致し方の無い結果だ。人命にはかえられない。

 その後の調査で少ない情報から導き出した推論は、妖精の干渉によるものだった。こちらは前例として、軍で使役するドラゴンが妖精の悪戯によって暴走すると言う事例があったため、その可能性を(かんが)みたものだ。

 通常妖精は主に人を、一部では動物を対象とした悪戯を行う。それらは基本的に友好や無抵抗の上に成り立つ一方的な彼女達の特権で、実害は殆ど皆無と言ってもよい。

 しかしドラゴンの力は強大で、手を出せば報復を受けるのが常だ。妖精達だってそれが分からないほど分別がないわけではない為、ドラゴン相手に妖精が悪戯を行うと言う事例はこれまで考えられなかったのだ。

 思えばあれが今回の予兆だったのかも知れない。

 しかし前例は前例であると。ここ最近頻発する妖精に纏わる騒動……ヴァネッサは確か惑い者と呼称していた、妖精の輪を外れた行いをする彼女達の存在を示唆。その惑い者達が今回も関わっているかもしれないと推測し、そちらの観点からの調査を提案してくれた。

 その為には海の上と言う、人の身では未だ万全とは言えない環境での任務に当たる為に、妖精の協力が不可欠となった。

 しかし野良の妖精達はその本質が自由であり、侵されざる本能を御してまで人の世の平定を望むのは(いささ)か配慮に欠ける。今の世は、目立った戦の無い平穏な時代。安穏を享受する大戦の後の太平の時間に、新たなる火種は不必要。

 過干渉を行わない、友好な関係の妖精達を縛り付ける事はせず、あくまで協力関係としての助力を願う事になった。

 その橋渡しに頼ったのが、先の第二次妖精大戦を終戦へと導いた存在。ここカリーナ共和国に現れた、世界に四人いる強大な力を秘めた妖精。英雄的妖精のカドゥケウス。

 彼の協力を得て自由意志の妖精の力を借りる。そんな目論見で交渉を望んだ場に、想定外とそれ以上の進展が転がり込んで来た。

 我が孫。二人で一人な、鏡の世界の閉鎖的な双子。ピス・アルレシャとケス・アルレシャだ。

 彼女達の来訪はいつだって常識の外の日常。近くの外からの風は、しかし今回もまた、雁字搦めな我輩たちには出来ぬ偉業で目的以上の結果を示してくれた。

 二人が連れてきてくれた海に住まう妖精。話を聞いたところによると、いつもは(くだん)のタルフ岩礁付近に住んでいる個で、紡いだ縁を辿って利害が一致した。

 案内に、確固たる大義が重なれば人の世はいつだって決意に満ちている。

 直ぐに準備を行い、翌日には騒動の中心であるタルフ岩礁へ。水竜の暴れる最中に見出した活路は、その場にいた者達にとっても更なる想定外を生み出し。しかしながらまるで何かに定められていたように問題は若き芽達の協力によって終息した。

 詳しい話はまた後日、ヴァネッサやアランが纏めて報告を上げてくれる事になっている。それとは別に、数日の観察を経てタルフ岩礁周辺に再びの平穏が戻ってきた事を確認できた為に、先ほど海岸線封鎖の令を解く為の一筆を(したた)めてアランに後を任せたのだ。

 我輩が今回した事と言えば、多方面から齎された情報から一つの指針を導いて問題解決への行動開始を告げただけ。表には一度も立っていない、と言えばどれだけ偉く無能な事かと呆れて笑えて来るほどだ。

 しかしながら海の上の突然の出来事とはいえ、国家間の問題には発展していない。出来得る事なら最小規模で事なきを得られれば……と言う側面もあって表立って動けなかったと言う理由もある。

 幾ら水竜が暴れたとは言え、それに起因する被害は自国だけに留まっている。世界的な問題にするべきではないというのは、分かる理由だ。

 …………それにしたってすぐ目の前で起きた出来事なのだから、もう少し関われると思ったのだが……。象徴としての大統領と言う責は中々に酷な話だ。

 とは言えピスとケスの力もあってどうにか穏便に事態は終息した。まだ少し様子を見る必要はあるが、今のところ再発する予兆は無いらしい。全く、騒ぐだけ騒いで落ち着けばいつも通りとは……。水竜もいいご身分な事だ。


「陛下、そろそろよろしいですか?」

「もうか? ……よし、分かった。行くとしようか」


 大きく息を吐いて気持ちを入れ替えると重い腰を上げる。この後はカリーナを導く諸侯達との会談だ。

 何かが起きた際に今後の方針を定め、それを代表たる我輩が大統領として命じる。共和国と言う形式のカリーナは、他の三国のように絶対的な権力者が国の威信を背負い先導するわけではない。複数人いる有力者との話し合いの末結論を定め、それを大統領が執り行うという民に寄り添った政治体系だ。

 当然我輩の一声で意見が傾いたりする事も無い。そこだけは慎重になりながら今までやってきた。

 今日もまた、数多ある会議の一つ。……とは言っても、国の行く末を左右する重大な議題は無く、どちらかと言えばここ数ヶ月賑わっている妖精との事が主になるだろうことは簡単に予想出来る。

 特に今回はタルフ岩礁のこともあった。妖精ではなく妖精力が原因だとは聞いているが、似たような話。一月後に控える四大国会談に向けてカリーナとしての妖精に対する姿勢はある程度固めておいても問題は無いはずだ。

 昨今、他国でも似た様な話が多いと聞いている。国同士の議題の中心には、まず間違いなく妖精が絡むだろう。

 想像するだけでも既に少し億劫だが、信頼を得て担ぎ上げられた身。国を預かる責務として、最大限真摯に取り組むとしよう。


「……水竜の件が落ち着いたら、その時はヴァネッサの意見もしっかり聞かないとな」


 カドゥケウスを任せるほどに信頼している研究者。ハーフィーとして、人には無い価値観と視点で紡がれる彼女の言葉にはいつも助けられている。

 諸侯の集う場に召喚されると言うのは彼女にとって気の重い話かもしれないが、こればかりは仕方ない。また今度、ゆっくり休息でも取れるように取り計らうとしようか……。

 大概怠け者な我輩と違って、彼女は研究の虫であるからな。体を壊しては元も子もないのだから。




              *   *   *




「っくし! ……あー、もうっ!」


 堪え切れなかったくしゃみが机の上の書類を数枚飛ばした。ひらりと舞う紙切れを鬱陶しく思いながら睨んで、悪態と共に拾い上げる。手に取ったそれには、もう見飽きて新鮮味の無い文字が躍っていた。

 タルフ岩礁における水竜の狂暴化現象についての調査報告書。

 ここ数日、次々に舞い込んで来る新たな情報を精査し、書類に纏める日々。眠っても書類仕事をしている夢を見るほどに今のわたしの中心になっている事柄は、けれどもあと少しで一区切りつきそうな目処が立っている。

 これが終わればようやく惑い者に関する研究も再開出来る……が、やっぱりその前に一度休息がしたいかと。そろそろ限界な気がする気力をどうにか奮い立たせて顔を上げる。

 気晴らしに冷めたカップを持って席を立つ。出来れば今日中に……遅くても明日には書き上げてゆっくりしたい。

 やっと見えてきた終わりに最後の気概を組み上げて足を出す。それと同時、耳が聞き覚えのある声を捉えた。


「アルカルロプスさん」

「ん、あぁ……。どうも」


 そこにいたのは軽装ながら迫力のある長身の男性。タルフ岩礁の一件からよく顔を合わせるようになった、白角騎士団の団長、アラン・モノセロスだった。


「報告書ならわたしの机に────ぁ」

「っとぉ」


 文字と睨み合っていたところへ現れた彼の姿。よく話す様になって知った彼と言う安心感にか体の力が抜け、足が(もつ)れて倒れる。それを難なく受け止めたアランは、心配そうに尋ねてきた。


「大丈夫ですか?」

「……えぇ、ちょっと寝不足なだけだから」

「無理はしないでくださいよ」

「ありがとう」


 国に認められた騎士であり、優しく温かい彼。もしわたしが生娘(きむすめ)ならばこんな些細なことで恋心なんて曖昧な物を覚えたのかも知れないが……生憎と今は立派な大人で、家庭も持っている身だ。そんな感情は抱かないし、そもそも彼は既婚者で、愛妻家だ。

 伴侶こそいるが相方は仕事と妖精という、女としては魅力の欠片もない日陰者のわたしとは正反対の人物。

 とは言え一人の人として信頼に足るのは事実で、だからこそ私も少し気が抜けてしまったのだろう。


「あぁ、そうだ。折角だから気晴らしに付き合ってくれる? 時間はあるかしら?」

「少しだけなら。心配ですからね」


 勘違いを起こしそうなほどに親身な声に笑みを浮かべ、研究室を出る。

 やってきたのは城内に(しつら)えられた温室。温暖な気候のカリーナでは、主に薬草などの草花を栽培して他国に輸出している。ここ最近では人工交配による品種改良なども盛んで、日々新たな芽吹きがあると小耳に挟んだ記憶がある。部屋に篭っているわたしには殆ど無関係な話ではあるのだが……。

 今回やってきたこの温室は陛下が個人的に管理をされている施設で、城内勤務者達の憩いの場の一つでもある空間だ。高温多湿で少しばかり蒸し暑くはあるのだけれども……。変に虫などがいなくてその点では自然観賞にもってこいなのだ。


「お茶でよかったらどうぞ」

「あぁ、ありがとう」


 任務終わりで携帯していたらしい水筒から冷たいお茶を出してくれたアラン。彼の気遣いに感謝をしつつ腰を落ち着ける。


「現場はどんな感じ?」

「報告書の通り殆ど落ち着いてますよ。水竜も以前の穏やかさを取り戻してます。暴れてたのが嘘みたいです」

「そう」


 書面で内容は知っているが、やはり生の声ほど信頼に足るものは無い。研究者はいつだって納得の真実を追い求めているのだ。


「そちらの進捗(しんちょく)はどうですか?」

「あと一息ってところね。終わったら長期休暇でも貰おうかしら」

「よかったらタルフ岩礁周辺を案内しますよ?」

「やめて頂戴。当分あそこには近寄りたくないわっ」


 冗談だと分かっていても本心が零れてしまう。それくらいにあの一件は神経をすり減らしたのだ。

 何せ初めてドラゴンの背に乗ったのだ。しかもそれが水面ぎりぎりを切る様に泳ぐ水竜の上だと言うのだからまず想定外。加えて暴走していた水竜の襲撃を間近で体感するなんていう、研究者冥利に尽きる一時を堪能できたのだ。……お陰でこの前カドゥの様子を身に行った時に若干構えてしまい、彼に心配されたほど。もう二度とあんな経験したくない。

 そうでなくともここ数日書面でいやと言うほどその文字列を目にしているのに。これでは興味の探求の前に嫌気で吐いてしまいそうだ。


「……それで、その後は?」

「今のところ聞いてませんよ」

「まぁ起きてもらっても困るんだけど」


 話の延長線上で、タルフ岩礁に起因する可能性を尋ねる。

 前に軍が使役するドラゴンが。そして今回タルフ岩礁の水竜が暴れた。要因は少し異なれども、そのどちらにも妖精や妖精力と言った隣人に近しい存在が関与している。まだ二例……。しかし見過ごせる問題では無いのは確かで。彼にはあれから似たような話がないか、可能な範囲で調べて欲しいと頼んでいたのだ。

 本来はわたしが自分でどうにかするべきなのだろうが、今は机に縛り付けられている。陸軍に適当な知り合いもいないし、いても大概忙しい身で、仕方なく彼に頼っているのだ。


「今のところドラゴンだけで済んでる。けれどそれだけでも十分に危惧すべき案件よ。特に前二件がどちらもわたし達の直ぐ近くで起きているの。もし何かが間違っていれば、大変な被害が出ていたかもしれない」

「あぁ。それが未然に防げたのは何よりの幸運……。とは言え今後もそれが続くとは限らない。それを懸念なさっているんですよね?」

「一番は妖精の側が絡んでいる事だけれどね。友好な関係を築いているからこそ不可侵で。その自由を侵される事を彼女達は嫌う。だからそのどちらも後手に回らざるをえなかった」


 問題が起きてから対処をする。それは当然の事だ。だからこそ可能ならば問題が起きる前に対策を打ちたい。そうすれば必要以上に労力を割かなくて済むのだ。


「けれど今のままでは非効率的過ぎるわ。出来る事ならこちらから何か対応策を取りたい。……まだその具体的な案も無ければ、わたしが勝手に危惧してるだけではあるけれどね。だからこうして我が儘を無理して聞いてくれているあなたには感謝をしているの」

「気持ちはきっと皆同じですよ。(いさか)いなんて、なくなればいい。平穏が一番ですから」


 自然に溢れる空気に誘われてアランの傍を離れていた相棒……確かネロと言う名前の妖精が彼の元へと戻ってくる。


「だから俺達がいて、皆さんがいるんです」

「……そうだといいわね」

「何の話?」

「ただの愚痴だよ」


 首を傾げたネロ。その顎の下を指先でアランが撫でると、くすぐったそうに笑って逃げるように頭の上へと腰をおろした。


「気分転換にしては暗い話になっちゃったわね」

「それで少しでも気晴らしになるのならば付き合いますよ」

「何? また他の女口説いてんの?」

「んなこといつしたよ」

「これだから天然は……。半分のねーちゃんも気を付けろよ? こいつにはもう伴侶がいるからな」

「これでも結婚してるから大丈夫よ」

「そうだったのかっ!?」


 これまでで一番驚かれた気がする。そんなに縁がないように見える? まぁ邪魔だからって理由で指輪を外してるわたしも大概だとは思うけれどね。


「子供は居ないけれどね。……って、わたしの身の上話ほど意味のない話題はないわね」


 言いつつ、どこからか入り込んだ自由を愛する妖精に飴玉を渡す。餌付けと言うよりは打算。こうして仲良くなっておけば協力してもらえる可能性がある。現に過去にはこうして紡いだ縁で力を借りた事もあるのだ。

 妖精と共に歩む世界。彼女達の平穏を守るためにも、やるべき事は沢山ある。


「話が出来て少し楽になったわ。ありがとう」

「この程度なら幾らでも。話していて家族が恋しくなったから今日はこのまま家に戻るとするよ」

「それはいいわね」


 わたしが家に戻った所で彼がそこにいる保障は無い。……けれどもまぁ、その内落ち着いたらどこか気晴らしに誘ってみようかと思いつつ。

 アランと共に温室を後にして仕事場へと戻る。

 さぁ、気分転換も終わりだ。もう少しだけ頑張るとしよう。




              *   *   *




「と言う事で、皆には月末に職業体験の発表会をして貰うわ」


 返ったのは不満と期待の入り混じったざわめき。

 大人の仲間として社会に出て勉強するというのは楽しみなのかも知れないが、それを後々纏めて発表する事に思うところがあるのだろう。

 個人的にはその発表……経験を糧にする為に落とし込むことこそが勉学たる由縁(ゆえん)だとは思うのだが。今年学園に入ったばかりの彼女達にはまだ少し納得し難いことらしい。


「体験先として選ぶ職業は自由。今回はクラスターで一緒に、なんて制限は設けないわ。これはみんなの将来にも影響するかもしれない選択だもの。今興味のある事、気になっていたけどきっかけがなかったこと。どんな理由でも構わないから、皆がしたい方向へ一歩足を踏み出してみるといいわ。もちろん、危険な事だけはしないようにね」


 学園に入学してから数ヶ月。その間に幾つかの世界を見て来て、それなりに見識が広まった頃。学園を卒業すれば各々の進路に向けて歩み始めるその第一歩として、自らに向き合い興味を持つ為の機会。

 誕生日を迎えた子は既に15歳。学園では最下級生ではあるが、自分の将来を考え始めてもいい時期だ。

 これから伸び代の大きい彼女達が、自分の出来ること、出来ない事を知り、それを活かして前に進む。自主性と共に数多溢れる枝葉の先を育む為のもの。そのための協力を惜しむつもりはない。


「まだ決まっていない子は友達や両親と話してみたり、さっき配った昨年の先輩達のを参考に考えてみて。何か困った事や疑問があれば先生に()いてくれてもいいから。時間はまだ少しあるから、焦らずゆっくり選んでね」


 返った声と共に授業の終わりを知らせる鐘が鳴る。

 午前中の授業はこれで終わり。少し待ってみて生徒からの疑問等がないようなら職員室に戻るとしよう。




              *   *   *




 昼休み。昼食を兼ねたその時間、いつものようにクラスターの面子で集まって机を囲む。

 既に遠慮の無い距離感は友達の証。春の頃から考えても、今の自分を想像出来ないくらいに紡いだ関係。

 あたしの向かいに座る二人で一対の少女達。違うのは頭の横で括った長い髪の位置だけ。そう感じてしまうほどの鏡写しは、この国の大統領のお孫さんである、ピス・アルレシャとケス・アルレシャの二人。

 人形のように整った顔立ちは天性の物で。こちらを見つめる透き通った(あま)色の双眸は無感情に彼女達を宿して揺れる。同じ歳にしては一回り小さい背丈はまるで妖精のように精緻なつくりで無駄を感じない。その体の一体どこに眠っているのか分からない突飛押しの無さと原動力は、あたし達を振り回してくれる想定外。

 そんな先行き不安で、しかし目が離せない以上に興味を引く二人こそが、亜麻(あま)色の長髪を一つ括りに(なび)かせ日常たるかけがえの無い友人だ。


「二人は職業体験どうするの?」

「まだ決めてない」

「シルヴィとロベールは?」


 簡素な答えと共に向けられた疑問。呼ばれた名の前者があたしを指し、後者が隣の幼馴染を示す。

 シルヴィ・クラズ。コールヴァスと言う黒い鳥に(あやか)った家名の一人娘。将来的にクラズ家を背負って立つ事になる、世間一般で言うところのいわばお嬢様。……とは言え学生の身でまだまだ未熟の半端物だ。

 そんなあたしと幼い頃からの付き合いなのが、隣のロベール・アリオン。とある詩人が一家の創始者であるとされる事から、その名を家名に冠したお坊ちゃま。言葉よりも行動で示す、だからこそ時折男らしく見えるあたしの想い人。

 長年の片想いは、しかし告げる勇気が出ずに未だ(くすぶ)り続けたまま。鈍感で朴念仁な彼は、あたしの気持ちに気付きもしないで他の女の子を追いかけてばかりの、少し腹の立つ腐れ縁だ。


「あたしはジルさんのところかな。ロベールはどうするの?」

「最初はジュストさんに、って思ったんだけど、話聞いたら近々出発するらしくてさ。だからまぁ……シルヴィと一緒にするつもり」

「ふぅん」


 何だか長々と言い訳がましい言葉を連ねていた気がするが、そんなのは些細な事。

 ロベールと一緒に何かをできるのは願ってない話だ。迷惑さえ振りまかなければ、あたしに得しかない。


「別にいいけど。足だけは引っ張らないでよね」

「それはこっちの台詞だっ」


 可愛くない言葉で内心を飾って。こんなのだから意識も(ろく)にしてもらえないのだと己の不器用さを恨めしく思いながら。

 今更変えられない自分自身に諦めを見出して話題を伸ばす。


「ま、発表用の原稿は個人だからね。真似しないでよ?」

「するかっ」

「一緒」

「駄目?」


 向けられた声は向かいの鏡合わせから。直ぐにその言葉の意味に気付く。


「んー……。経験して感じた事を発表するんだけど、やっぱり二人はそこも一緒なの?」


 尋ねれば、迷う素振りなど無くピスとケスが同時に頷いた。

 何もかもが一緒な双子の少女。別々に問題を解いても同じ答案同じ点数を叩き出す彼女達は、知識や思考回路、趣味志向まで全てにおいて隔たりが存在しない。

 それはつまり、同じ事を経験して得る物もまで寸分違わないという事で……個々人の結果を綴り発表する今回の特別授業は、二人にとって別次元の難しさを持つということだ。

 リゼット先生のことだから覆しようの無い理由さえはっきり分かっていれば納得してくれると思うけれども……。この課題における先生たちが望む答えに真っ向から歯向かう形になるのは間違い無い。

 ならば一体どうすればいいのか。クラスターとして課せられた問題ではないにしても、これまで色々な経験を彼女達と共有してきたからこそ心配になる。

 と、横からロベールがそもそもの所へ疑問を落とした。


「と言うかさ、二人はやっぱり同じ所で体験学習するのか?」

「うん」

「駄目?」

「いや、駄目では無いけど……」


 無表情ながら可愛らしく首を傾げるピスとケス。盲目な幼馴染はたったそれだけの事で自分の意見を引っ込める。先ほどまであたしにしていた態度との違いに少しだけ胸の内が渦巻く。


「ピスとケスが別々にって言う方がもう考えられないのは分かるけど。きっと興味も全部同じなんだよね」


 それは諦めとも言える納得で。一学期の試験の時のように、周りが彼女達の調子を掻き乱して分断させない限り、二人の歩調はいつまで経っても同じ。

 だからと言って自主性が問われる今回の選択で、あたし達がとやかく言うのは違う。……結果二人が同じ道を歩んでしまうというのは、避けられない未来だ。


「もし仮に別々の仕事を体験しても同じ事を書きそうでもあるんだよね……」


 何を当然な事を。そう告げるようにピスとケスがあたしをじっと見つめる。

 これは最早、答えが一つしかない問いだ。多分あたし達に出来ることは何もない。


「別々の事を書こうと意識してみるとか?」

「意味ないよ、それ。気を(てら)おうとした所で結局同じ道を進むだけだから」


 ロベールの意見を否定する。言葉にして、その未来がありありと想像出来てしまう。

 周りがどう干渉しようとも、見えない何かが仕組んだように同じ結末へ辿り着く。きっとこれは、ピスがカリーナで、ケスがスハイルにいたって変わらない……彼女達の不変の常識だ。

 それくらいに意固地で融通の利かない繋がりが二人の間には結ばれているのだ。


「ごめん」

「なさい?」

「謝る事じゃないよ。それが二人だもんね」


 少しだけロベールに同情する。

 確かにこれは、違いなど見つからない。恋をすれば二人同時に想いを寄せてしまうのにも頷ける。

 けれど、だからってやっぱり二人に同じだけの気持ちを抱くというのは不埒なことで。一切の隙も無く平等だというならば、二人を大切に思い諦めるしかない選択肢だ。


「……ねぇロベール」

「なんだよ」

「やめたら?」

「やだねっ」


 こういう時だけ通じる幼馴染としての呼吸に苛立ちを感じながら。たった一つだけある別の答えに気付かない振りをしたまま隣の幼馴染を見つめる。

 ロベールの馬鹿。




              *   *   *




 ご帰宅なされたお嬢様のお荷物を預かります。するといつもならば自室に戻って私服へ着替えられるお嬢様が、私の目の前に足を止められました。


「どうかなされましたか」

「ううん」

「気にしないで」


 いつもとは違う言動に少しだけ戸惑いつつも、お嬢様のお世話のための日課を一つずつこなしていきます。その間も、後ろを着いてくるお嬢様。

 どうやら今日は何かしらのお考えがあるようですが……さて、何でございましょうか。

 …………もしやわたくしを試されているのでしょうか? であればお嬢様の真意を察するのも使用人の務め。アルレシャ家の一員としてご期待に沿わなければ。

 そんな事を考えながら今日のお茶とお菓子を用意します。


「ジネット」

「今日は何?」

「本日はブランシェを使ったグラセでございます」


 ブランシェとは、ビティスと共に実り多き秋の季節を代表する果物の一つでございます。緑色の少し歪な球形で、味よりも風味や水分が大きな割合を占める果実でございます。

 その為、果物としてと言うよりは果実酒や果醤(ジャム)などに加工して食されることが主でございます。

 また、ブランシェの果汁で作られた果実酒は口当たりがいいことから、ペリーと言う名で酒精飲料を(たしな)まれ始めた若年層の方々や、刺激の強い物が苦手な方。そして柔らかい香りを好んで女性に人気な一本として有名でしょうか。わたくしも好んで飲む種類でございますね。

 今回はそのブランシェを一口大のグラセにしてのご提供です。

 グラセとは、冷たい焼き菓子のことでございます。春先の、大統領陛下の誕生祭で少し話題になった王様の焼き菓子(ケーニヒスクーヘン)のようにふんわりと柔らかい食感の物とは違い、しっとりと冷たいお菓子でその大きさは手の平大。

 本来は複数種類の様々なグラセをお皿に並べていただくものでございますが、今日はブランシェのみとなります。

 また今度、お嬢様のご友人がお越しになった際には、トルテレッテなども合わせてミニャルディーズとしてお召し上がりいただくと致しましょう。


「ブランシェは?」

「どこ?」

「生地にブランシェの果醤を使っています。どうぞ一口」


 目に見える形でブランシェが見えなかった事に対するご質問。中に練り込んでいると名に偽りありと疑われてしまうのも無理らしからぬ事でございますね。

 しかしながら先ほどまでのわたくしに対する興味は今はグラセに映ったご様子です。お戯れだったのでしょうか?


「美味しい」

「でも小さい」

「本来はもっと沢山の様々なお菓子を並べるミニャルディーズの一つでございますからね。沢山のお客様がいらっしゃればそれに応じた賑やかな景色になると思われますよ」

「ロベールとシルヴィ」

「また遊ぶ」

「はい。お待ちしております」


 クランプーズ、ルラード、ビスキュイ、クーヘン。数多あるお菓子の種類は、ともすれば際限がございません。それらが一口大で色鮮やかに机上を彩る光景は、甘味の宝物庫となるでしょう。今からその時が楽しみでございますね。


「本日の学園でのお時間はいかがでしたか? 何か変わった事はございましたか?」

「職業体験」

「まだ決まってない」

「前にお話いただきましたね。実施日ももう直ぐでございますね」


 お嬢様が学園に通われ始めてからの、これも恒例行事。その日学園であった出来事をお尋ねして、お嬢様のお話に耳を傾けながらご予定の管理。

 言動が浮世より乖離(かいり)されている事の多いお嬢様でございますから、時折兼ねてよりのお約束を忘れられている事もございます。それを補佐する事も、身の回りを預かるわたくしの使命の一つ。

 今日のお話はしばらく前にもお聞きした、職業体験のことでございます。

 妖精との歩み方を学ぶテトラフィラ学園。しかし卒業後の進路が必ずしも妖精と共にある事を求められる職であるとは限りません。良き隣人と肩を並べ、その力を問われる仕事と言うのは数に限りがございます。その為、卒業後そういった職に就くという方が稀なのでございます。

 もちろん妖精と共に住まう世界ですので、わたしくたちの知らない世界の片鱗を学ぶ事は有意義でございましょう。けれどもそればかりでは将来の可能性を見落としてしまう事もございます。

 それを避ける為。また、若い芽吹きのまだ見ぬ色を()せさせない為に、最下級生である時期から将来を見据えて様々な形で見識を広げていくのであります。

 その一つが数日後よりお嬢様たちが臨まれる職業体験でございます。


「シルヴィとロベールは決まってる」

「ジネット、どうしたらいい?」

「先ほどお嬢様がわたくしを見つめていたのもそれに端を発する事でございましょうか?」


 続いた言葉に記憶を重ねれば、お嬢様がこくりと頷かれます。

 どうやら助言を仰ぎたいとのことでした。少しばかり勘違いをしてしまいましたね。お恥ずかしい限りです。


「発表会もある」

「同じ事言うのは駄目?」


 次いでの疑問は、お嬢様にとって自己を揺るがしかねないものでした。

 お二人は一緒にいてこそお嬢様でございます。それはきっと、これまでも、これからも変わらない真実なのです。

 とは言え学園側が個々人の価値観を尊重しているのも事実で……。と、そこまで考えた所で少し安堵いたしました。


「では一つずつ参りましょうか。まずはお嬢様が職業体験先に悩んでいらっしゃる事でございますが、これに関してはわたくしから申し上げられる事はございません。ですが一つだけお伝えできる事があるとすれば、今回一つの仕事を選んで経験したとしても、将来必ずその道に進まなければならないと言う責任は生まれません、と言う事です」


 これは選択肢を広げる為の機会。もしくは今ある興味を更に追求できる機会でございます。

 この決断が必ずしも将来に影響を及ぼすとは限らないのです。


「お嬢様は今年学園に入学されたばかりで、経験する事全てが初めての事と思います。だからこそテトラフィラ学園では五年の期間が設けられ、その間にお嬢様方がより良い未来に向けて歩めるようにと様々な形で挑戦をする機会が数多存在します。今回の職業体験は、その一つに他なりません。ですのでお嬢様が今この瞬間に興味を持つ事柄に一歩を踏み出すことに間違いは一つもございません」


 持つべき責任は選択ではなく経験に対して。それを経て糧にし、前に進む事こそが全ての始まりでございます。


「そしてもう一つの懸念でありますが、こちらに関しましてはお嬢様が危惧なさるほどの事では無いと存じます。僭越(せんえつ)ながら申し上げれば、お嬢様の価値観が全く同じと言うのはただの間違いでございます。お嬢様は……ピス様が、そしてケス様がお互いに別々の事を思案し、それを共有する事で同じ結論に至る……。この過程において考え方が違うのですから、受け取り方も違いましょう。そこで同じ言葉を連ねた所で、どうしてそこに全く同じ物があると言えましょうか」


 お嬢様は二人で一つ。その全てが鏡写しの言動となる事から誤解を招きがちでございますが、いかに双子であろうともこのお二人は(まさ)しく別人でございます。

 結果として同じ場所に辿り着く。その結論ばかりが言動となって現れる。だからこそ同じだと勘違いをしてしまうのです。

 わたくしの見立てでは、お嬢様は互いに端と端から始まり、その中間で落ち合って一つになる。これこそがお嬢様の価値観の一端でございます。

 ですがお嬢様は人よりも妖精に近しい感覚の持ち主でありますから。不確定で曖昧な過程はその小さな身の内に留め、答えだけが現出する。そうして周囲への誤解が広まってしまうのであります。


「一つお嬢様にお尋ねいたします。お嬢様から見た大統領陛下はどのような方でしょうか?」

「6」

「4」


 これこそがお嬢様がそれぞれ違う価値観をお持ちである証左。

 そしてこの二つを合わせて考えた先にこそ、お嬢様の真意があるのでございます。


「であれば、お嬢様がご心配なさる事は何一つございません。どうぞご安心して貴重な経験を育んでいらしてくださいませ」

「ん」

「ありがと」


 きっと何も間違ってなどいないのです。

 クェンとカントウを見て、同じく果物であると感じる事の、一体どこに誤りがございましょう。

 ブランシェのグラセを召し上がられて、美味しいと感じる事と冷たいと感じる事の、一体どこに(あやま)ちがございましょう。

 これはただそう言っただけのことなのです。

 世界は多岐に渡ります。同じ物に違う事を感じ、違う事に同じ物を感じる。これが真実でなくて何と申しましょう。

 であればこそ、お嬢様には純粋に広い世界を見ていただきたいのです。

 何れアルレシャ家を背負って立つ双玉。その時に世界を知っていれば、何の問題もございません。


「旦那様がお戻りになられました」

「一緒に行く」

「いい?」


 椅子から降りたお嬢様がわたくしの顔を見上げてきます。その口元に、きちんと鏡合わせのブランシェの欠片が付いている事に気が付けば、考えるよりも先にその可愛らしいお化粧を拭って差し上げました。


「はい。それでは参りましょうか」


 心の底から微笑んで踵を返せば、お嬢様が後から付いていらっしゃいます。

 久方ぶりの三人でのお出迎えには、きっと旦那様もお喜びになられる事でしょう。




              *   *   *




「と言うわけで、ここで職業体験させてもらえませんか?」


 秋も真っ盛りなグランドの月の頭。今月の末にはハロウィンも控える、実り多き時期。

 野菜に果物に海産物にと、一年を通して最も食に活気が溢れるこの頃は、一応の飲食店でもある喫茶店にとって儲け時。様々な季節限定のお品書きを追加してお客を呼び込む忙しい日々だ。

 そんな折にやってきたいつもの四人組。内二人に関しては小さい頃からの付き合いで、気心の知れた常連客。

 クラズ家のお嬢さんであるシルヴィと、アリオン家のお坊ちゃんであるロベール。その二人が、学園帰りの寄り道休憩に立ち寄って注文と同時に告げたお願い。

 それは、前々から話をしていた職業体験の本格的な交渉だった。


「一応訊くが、本当にここでいいのか?」

「はい。あたしは最初から決めてましたから」

「働いて、集客して、短期間しか働けない事を後悔させてやるっ」

「威勢のいい事だな……」


 こんな路地の奥の隠れ家的な店。一体どうやって新規を取り込もうと言うのか、そこに関しては若干の興味があるけれども。まぁそれはそれとして。


「……けど意思は固いようだしな。…………よし分かった。で、どうすればいいんだ? 学生が学びに来るなんて初めての事だからな」

「これに必要事項を書いてください。学園に提出して、問題が無ければ許可が下りるので」

「そしたら多分ジルさんに連絡が行くと思うから」

「あいよ。……で、そっちのお二人さんはどうするんだ?」


 書類に目を通しつつ、いつもの如く髪型以外に違いの分からない少女二人に視線を向ける。

 ピス・アルレシャとケス・アルレシャ。そろそろこの二人の内面的な違いについて誰か説明してはくれまいか。


「しない」

「ごめんなさい」

「謝る事でもないけどな。……しかしとなると、一体どこで二人が職業体験するのかは気になる所だな」

「それなぁ……。ぼく達にも教えてくれないんだぜ?」

「もう決まってはいるみたいですけどね」

「へぇ」


 同じ学び舎で肩を並べる友にすら秘密とは。……もしや言葉に出来ないようなところへ行く気ではないだろうな。


「今日許可貰いに行く」

「楽しみ」

「こんな所で時間浪費してていいのか?」

「大丈夫」

「夜の方が好都合」


 …………信じたい。信じたい、が……微かに過ぎる想像が嫌な方へばかりに加速していく。

 彼女達を最初に疑ってしまった自分が恨めしい。

 とは言え無理に訊き出すのも気が引ける。ここは彼女達を信じて我慢だ。


「……まぁ折角の機会だ。存分に勉強してくるといい」

「うん」

「頑張る」


 それにだ。危ない仕事ならば学園が許可を出すわけがない。彼女のような立派な心意気の教師がいる学び舎だ。間違いはないだろう。

 脳裏に過ぎった一人の女性の顔。リゼット・ヌンキと言う名前の、オリーブ色の髪をした眼鏡を掛けた教師。

 シルヴィやロベールの通うテトラフィラ学園で教鞭を振るっている人物だ。

 偶然の出会い以降、時折顔を見せてくれるようになったお客さん。その殆どが酔いに任せた愚痴だったりするのだが、嗜みながら溺れていくその姿に魅力さえ(たた)えた人。

 極々個人的に、興味以上の感情が湧いている相手だ。

 そんな彼女の事を考えた、その繋がりで。前に聞いた小さな要望の事を思い出し店の奥へ。冷やしておいたそれを切り分け皿に盛って四人の机に提供する。


「また一つ試食を頼みたいんだがいいだろうか」

「焼き菓子、ですか……?」

「中に入ってるこの黄色いのは?」

「マロンを甘く煮詰めて生地に入れたんだ。名前としてはビスコチョ・ドゥ・マロンだろうな」


 ビスコチョとはロゥフを沢山使った焼き菓子のことだ。焼きあがった黄色い生地は空気を沢山含んで膨らんだお陰でふわふわに仕上がり、ロゥフの甘く滑らかな味が口の中に広がる。上下に光沢のある焼き色が付いて、二色が織り成すさまはまるで芸術品のような色合い。

 そこに、この時期にシャテニェの木から採れる甘い実を、更に甘く煮詰めて形そのまま生地に入れて焼いた代物が、このビスコチョ・ドゥ・マロンだ。


「マロンってあれだろ。茶色い棘に覆われた木の実」

「殻が固い実ですよね。……けどよく蒸し焼きにして売られているのはシャテーニュですよね?」

「よく知ってるな。じゃあ一つ勉強だ。マロンとシャテーニュの違いは分かるか?」

「……あれ、でも同じ木に生りますよね?」

「大きさとかか?」

「いいところに目を付けたな」


 ロベールの声に楽しくなりつつ答える。


「シルヴィの言う通り、マロンもシャテーニュもシャテニェの木から採れる。違うのは、あの(イガ)の中に実が何個入ってるか、それだけだ。マロンは一つ、シャテーニュは複数。……で、同じ大きさの毬に一つしかできないマロンは、シャテーニュに比べて実が大きく育つ。その代わり育ちすぎて本来は食用には向かない。だからシャテーニュの方が一般的に食べられてるんだ」


 話し出せば、四人の視線がこちらに集まる。どうやら興味をもってくれたようだ。


「けどマロンだって別に食べられないわけじゃない。同じ実だからな。ただ食べるのに無駄な手間が要るだけだ。それに、一粒がシャテーニュより大きい。これに目を付けた奴らがいてな、捨てられるくらいならってどうにか使おうとしたんだよ。で、その末に辿り着いた一つがグラッセだ」

「グラッセって確か……砂糖で甘く煮詰めたりするやつだろ?」

「その通り。時には酒を加えて漬け込んだりな。そうすることで保存食になる。それをちょこっと味付けを整えて作れば、シャテーニュのグラッセより高級感のある大粒のグラッセが出来上がるわけだ」


 全く、先人の思い付きには頭が上がらない。そもそもよくあんな毬の中の実を食べようなどと思ったものだ。


「で、折角大粒のグラッセが出来たとなればそれを使わない手は無いだろ? ってことで、潰して練り込むなんて真似をせずに、実を丸ごとそのまま入れて焼いてみたんだっ」


 熱を宿した語り口調にシルヴィが喉を鳴らす。女の子は甘いものが大好きだからな。話を聞いて、既に食べたくて仕方ないのだろう。


「甘い菓子が食べたいって言う要望があってな。この時期限定になるかもしれないが、皆の感想如何(いかん)では喫茶店の品書きとして追加するのも検討してる。ってことで長々と話をして悪かったな。早速食べてみてくれっ」


 リゼットと仲良くなってから彼女の要望に応える為にと、商品開発に楽しみを見出しつつある。全てが創作と言うわけでは無いが、ある物とある物を掛け合わせて新しいなにかを作り出す……そんな、品種改良にも似た試行錯誤に面白さを感じているのだ。

 もしかしたら喫茶店経営よりこっちの未知の方が楽な生き方かもしれないが……今いるここは自分で望んで手に入れた場所。己の夢を中途半端に投げ出すようなみっともない真似をするつもりだけは無い。


「ん……これ単体だと胸焼けしそうですね」

「グラッセが甘いから生地まで甘いのはどうかと思うぞ」

「ならクェンみたいなすっきりした飲み物と一緒だとどうだ?」

「それだと飲み物限定されないか? 甘さ控えた方がいいと思うけど」

「なるほど……」


 遠慮のない意見に少しだけ材料の分量を考え直す。もう少しあっさり……それこそ生地にクェンの絞り汁を加えて少し酸味を出した方がいいかも知れないな。


「ふむ。参考になったよ、ありがとう」

「でも美味しい」

「また食べたい」

「そうか。なら品書きへの追加を前向きに考えてみるとするよ」


 何より一度に沢山作れるのがいい。切り分けて二欠片ずつ提供しても数があるし、いざとなれば冷やして保存も利く。

 酒に合うかどうかは要検証だな。


「また何か思いついたら試食してくれるか?」

「まずいものじゃなければな」

「食べられない物を提供するつもりは無いさ」


 二人が働きに来るという未来も僅かな原動力になっている。勢いのあるうちに色々試してみるのも面白いかもしれない。


「じゃあさっきの書類を書いてくる。少し待っててくれ」

「分かりました」


 言い残して店の奥へ。大変そうだが、成長した二人を見るのも楽しみだ。

 折角の機会。存分に学んでもらうとしよう。




              *   *   *




 職業体験を明後日(あさって)に控えた日。狙ったように組まれた予定は、二学期の最初の試験だった。

 主に座学の筆記知識を試されるそれは、当然少し前から予告されていた憂鬱。

 職業体験の準備もしながら試験勉強をする毎日は、未来への希望と暗晦(あんかい)な波の連続だった。

 が、それも今日で終わり。いつも通り出来る限りを尽くして空欄に答えを書き殴れば、終わりを知らせる鐘の音と共に教室内へ吐息が重なって零れた。


「それじゃあ答案用紙を後ろから前に回してくれるかしら」


 不正防止の為の監督役であるリゼットが紙を回収し終えれば、いつもの笑顔で告げる。


「はい、お疲れ様。一学期同様、この後は昼から校庭で実技の試験よ。時間に遅れないようにね」


 実技の方は、しかしそれほど重要ではない。そちらが大きく課題になるのは学期末の試験の時だ。

 だからこれは堪った鬱憤を晴らすためのもの。……だからといって負けるつもりは毛頭ないけれども。


「ロベール、昼は?」

「あぁ、そうだな」


 いつものように集まった四人。直ぐに席を確保して腰を下ろせば、話題は更なる先へ。


「試験もほぼ終わりだし、これでやっと職業体験だね」

「シルヴィと一緒なのは癪だけど、まぁ楽しみではあるかな」

「後から同じ所希望しておいて何言ってんの? 言っておくけど、幾らジルさんのお店だからって中途半端が許されるわけじゃないからね?」

「んなの言われなくても分かってるっての」


 一々(うるさ)い幼馴染の声に辟易しつつ答えながら。それよりも気になっている事を尋ねる。


「で、結局ピスとケスは職業体験何にしたんだ?」

「そう言えば試験が終わったら聞かせてくれるって言ってたよね」


 どうやらシルヴィも気になっていたらしい。普段から色々耳(ざと)い、噂好きな少女だ。ぼくの発言に乗っかった形にはなっているけれど、その瞳には興味の色が隠しきれていない。

 周りの奴らはシルヴィがいつも落ち着いていて少し憧れるとか言うけれど……。こいつがぼくより余程感情的なのは疑う余地無く明らかな事実。ぼくがシルヴィを振り回すよりも、シルヴィがぼくを振り回している方が絶対に多いのだ。

 今回だってなんでもない風を装ってぼくを盾に使うし……。卑怯な事この上ない性格の持ち主だ。

 けれどもしかし、口にした疑問はそれとは別で。許可が得られたらしい彼女達二人の職業体験先が気になって前に訊いた時は、もったいぶる様に試験が終わったら教えてくれると先延ばしにされていたのだ。

 お陰で変な焦燥感が湧いて、ここ数日勉強に集中するのが大変だった。


「お城」

「使用人」

「……え…………?」

「どういうことだ?」


 前置きなど無い、いつもの呼吸。しかしその言葉の意味が分からなくて幼馴染と共に訊き返す。すると二人はじっとこちらを見つめて告げた。


「お爺様のお世話」

「ジネットに教わる」

「…………く、国仕えの使用人、ってこと……?」

「うん」

「だめ?」

「い、いや。駄目と言うか……」


 想定外過ぎて思わず言葉に詰まる。

 遅れてようやく理解が追いついてきた。

 どうやら二人は、使用人に興味があって、それを職業体験に選んだらしい。しかもその現場となるのが、二人のお爺様……現大統領陛下が言葉通りに居城とする、カリーナ共和国の象徴…………白皙城(ヴァイスシューレ)

 色々問い(ただ)したい。そもそも王族が使用人に興味があるだとか。しかもそれが城内勤務の選ばれし者だとか。けれどもそのどれもが上手く言葉にならなくて、シルヴィと一緒に言葉を無くす。


「な、なんで……?」


 ようやく搾り出したような疑問はシルヴィの口から。


「リゼットが教えてくれた」

「リゼットがいいって言った」


 それを理由だと言い張るのは、さすがピスとケスだ。だからこそ理解が及ばなくて何と反応していいのか分からずに戸惑う事しか出来ない。

 と、ぼくが困惑しているとシルヴィが何かに気付いたように零した。


「あ、でも順当と言えばそうなのかな……? だって二人は一応王族って事だもんね。お城の中の出来事が気になるのは当然と言うか」

「違う」

「使用人だから」

「……………………」


 言葉の途中で遮られ、果断に否定されたシルヴィがその先を見失う。どうやら彼女の理解は的外れだったらしい。

 ピスとケスとは既に結構な付き合いになるが、それでも分からない事はたくさんある。そこで無理に話を合わせようとするとこうなるのだ。

 ……まぁそうやって自分の納得を見つけたいのはぼくも同じだ。そうしないと、王族が使用人と言う仕事に興味があるなんて、素直に飲み込めない。

 考えてみて欲しい。国の一番上にいる人のお孫さんが、別の誰かに仕えると言う図を。

 年下の先輩とか、敬うべき人間が頭を垂れるとか。これでもそれなりの家で育ってきたから何となく想像出来るが、少なくともぼくはそんな胃痛の現場に居合わせたくない。

 使用人と言うのは遠慮なく頼れる味方のことなのだ。(まか)り間違ってもご機嫌伺いをする相手ではない。


「ジネットが言ってた」

「責任は無いって」

「責任……?」


 また飛んだ気がする話題。けれども今更な事に一々突っ込まずに、その間に省略されている過程を探し始める。


「職業体験は自由」

「それで将来は決まらない」

「…………そっか、なるほど……」


 何となく理解する。

 つまり、今回勉強をしに行ったところで、絶対にそこに就職するわけでは無いと言うことだ。

 確かにその通りではあるし、使用人も世界を形作る立派な職の一つ。いつも助けられている縁の下の力持ちに興味が湧くと言うのは確かにある。

 けどだからってわざわざ体験先に選ぶかと言われるとやはり疑問が残る。彼女達ならば、それこそ話題に出ているジネットさんに色々訊けばいいのに。あの人ならどんな質問にも丁寧に答えてくれるはずだ。


「ピス達がしたい」

「だからする」


 真っ直ぐな言葉に、シルヴィとそれ以上言葉を挟めなくなる。

 分かっていた事だ。この二人が一度決めた事を覆すとは思っていない。

 ただ聞いてしまった以上その理由と、自分なりの納得が欲しかっただけ。今回はどうにもそれが得られなかった。それはきっと、彼女達の価値観とぼく達のそれが違うから。

 分かりきっている溝に、けれども何だか少し悔しくなる。

 仲良くなれたと思っていたのに。それでもまだこれだけの距離を感じる。

 こんなので告白した所で、また真意が伝わらずに流れるだけだ。

 二人の内どちらが好きなのかを定めるのも重要だが、いざという時に面と向かってしっかり彼女達に伝わる何かを見つけないと。この想いは始まりも終わりもしないのだ。

 気付けばこれまでの片想いの最長記録を更新し続けているこの気持ちは、けれども本気故に大変なのだと改めて悟る。

 そして大変だからこそ、理想の為に全力を尽くしたいと思ってしまう。

 それはまるで妖精の尻尾を追いかけるように。見えない何かを手に入れようと、もがくのだ。


「……なんだか話聞いてたらあたしも使用人に興味湧いてきちゃった」

「なら変えたらどうだ?」

「…………ジルさんに迷惑掛かるからヤダ」


 何でこっち見ながら言うんだよ。意味わかんねぇ。


「ね、終わったらどんなことしたか教えてくれる?」

「うん」

「分かった」


 変わり身の早い幼馴染に呆れつつ止まっていた食事の手を再開させる。

 まだ納得はしきれていないけれど、彼女なりに何か思うところがあっての事。二人が決めた事なら応援するのが友達の役目だろう。

 そんな風に自分に言い聞かせながら、数日後に迫った職業体験に様々な思いを募らせるのだった。

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