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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
秋の七色、世界の七色
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第三章

 テトラフィラ学園の特別課外授業である、職業体験が始まったらしい。

 学生の将来の一助にと、城下町全体が協力して様々な職場を体験出来るように提供し労働力を対価に学びの場とする。

 学都と名高いカリーナ共和国だが、別に勉学だけが全てではない。それぞれの特技を活かして将来の活躍をしていく若き芽達は、未知数な可能性を秘めている。

 その模索のために毎年色々なところから申請が集まるのだ。

 何せ経験は自信に繋がる。ここで得た体験と思い出が、そのまま彼ら彼女らの将来に直結することだってありえるのだ。将来の夢が定まっていない子供に、なんて言うと少し聞こえが悪いが、もしかしたら新たな戦力として自分たちのところへやって来てくれるかもしれない。

 そんな打算の末に、実際に将来を決めた者もいるほどだ。彼らだってただの道楽で就業経験の場を提供しているわけではないのだ。

 全ての審査には国側も協力を行い、厳正に公正に行った上での認可。その為安心して職業体験を出来るのだが……今年は少しばかり例外と言うか、中々に珍しい提案が一つあった。

 それは、この国の中核であるカリーナ城での、使用人としての職業体験の希望だ。

 カリーナ城内勤務に関してはまま存在する。主に将来が決まっている者達が、折角の機会を活かして大人の世界を垣間見るという、向上心溢れる提案だ。それは当然問題ない。

 今回のそれで問題なのは、体験の希望職種が使用人であり、それを申し出てきたのがこの国の王孫に当たる少女二人だという事だ。

 前提から順に行こう。まずテトラフィラ学園の生徒と言う立場だが、あの学び舎に通う者の多くは将来を何かしら嘱望(しょくぼう)された者達だ。地頭の良さは当然だが、それ以上に殆どの生徒が立派な家柄の子息子女である事が多い。いわば、上流階級が通う学園なのだ。

 そして次が、職業体験の希望先。そんな、家柄もしっかりとした少年少女ならば、当然未来はそれなりに明るいわけで。余程のことがない限り一般的に被支配層に分類されるだろう使用人に身を窶(やつ)すなんて事はまずありえない。そんな事をするのは立て直し不可能な大損の後、一家離散で家督も何もかもを一度に失ったような、壮絶な経緯を辿った身の置き場もない者達。手を差し伸べてくれる者がいなくなって、初めて頼る最後の拠り所だ。

 そこまで行くと最早国外に出て一からやり直した方が余程裕福な暮らしが出来るというもの。間違っても上流階級の人間が憧れるような立場ではない。

 ……断っておくが、これは最低の可能性を想定した場合だ。通常使用人は、しっかりとした所に雇われれば不自由なく暮らしていけるだけの賃金を稼げる仕事であり、罷(まか)り間違っても社会の最底辺などではない。ともすれば、誇りある使用人は意地汚い成り上がりより余程羨望を集める者達だ。

 何よりここカリーナは、歴史に名を残すような古くからの由緒正しい立派な家柄が沢山ある。支配階級の者が沢山いるという事は、それだけ雑事は増えて使用人に確かな立場と役割を与える事となる。事この国に限れば、下手な職種より余程安定して暮らしていける、とても一般的な職種だ。

 それを理解した上で、使用人の仕事をしたいと言っているのが現大統領の孫だと言えば、一体それがどれだけちぐはぐな要望か分かってもらえるだろうか。

 なにせ支配階級の……しかも恐らくこの国で一番偉いであろう血筋の者が、自ら望んで誰かの下に付こうというのだ。これは最早、使用人ではなく道化の仕事だと言いたい。

 だからと言って、彼女達がしっかりと考えて選んだその決断を外聞や体裁を盾に否定するというのは、その尊厳の足下にすら及ばない愚行。

 何よりこれは、一時的な職業体験であって終生を決める一世一代の決断ではないのだ。そこに当人の意思が正しくあるのならば、どんな道を選ぼうと貴賎はない。…………ない、のだが……。


「なぁ、二人共。今からでも別の仕事に変える気はないか? 今ならまだ我輩が口利きしてやるぞ?」

「うん」

「いい」


 だからと言って納得出来るかと言われればそれはまた別問題と言うのが実情だ。

 何が悲しくて孫を使用人として使わなければならないのか。これは国の主としての責務からはどう考えても逸脱しているだろう。


「はぁ…………。本気なんだな?」

「うん」

「頑張る」


 いつもと変わらない瞳でじっとこちらを見上げて頑固に告げる双子の少女。血の繋がった可愛い孫、ピス・アルレシャとケス・アルレシャの二人。

 言い出したら聞かない真っ直ぐさが眩しい彼女達に、これ以上の問答は時間の無駄だと悟って仕方なく諦める。譲歩と忖度(そんたく)の上の苦渋の斟酌(しんしゃく)だ。


「…………そこまで言うなら働きに期待しよう。ジネット」

「はい」

「二人の事をよろしく頼む」

「畏(かしこ)まりました」


 使用人として働くと言っても、我輩の真下に配属されるわけではない。彼女達が今回職業体験として希望したのは、普段自分の身の回りの世話をしているジネット・シンストラに憧れての事……と言うのがジネット当人の見立てだ。

 既に我輩より一緒の時間を長く過ごしているだろうジネットが言うのだからきっと間違いはない。ならば後は信頼の置ける彼女に任せるだけだ。


「ではお嬢様、仕着せのご用意がありますので────」

「ジネット」

「お嬢様じゃない」

「……………………」


 いつもの癖でピスとケスの事をお嬢様と呼んだジネットが、二人からの声に言葉を詰まらせた。彼女が答えに窮しているのを見るのは、もしかすると初めてかもしれない。


「ジネット、彼女達の願いだ。それで道理は通らぬか?」

「……委細承知いたしました」


 それが日頃仕えているお嬢様のご要望ならば……。いつも真面目に規律正しく仕事をして公務を助けてくれる彼女には感謝をしている。それに対する僅かばかりの恩返しにでもなればと思い助言すれば、ジネットはどうにか自分なりの納得を生み出して呑み込んだようだった。

 本質の部分で上下関係までが変わるわけではないが、ジネットも長年使用人を続けている熟練者。一度仕事と割り切って己に言い聞かせた使命はきっと違えまい。


「──ではお二方。まずは使用人としての正装へ着替えましょう。付いてきてください」


 後進を育成するのも彼女の仕事の一つ。そんな折に見せる厳しくも情に溢れた表情のジネットが二人を連れて部屋を後にする。


「……退屈は、しなさそうだな」

「ではその意欲でもって、公務に励んでくださいませ」

「一々口にするな。やる気が削がれるだろうが……」


 椅子に深々と腰掛け、賑やかになりそうな未来を想像すれば、隣から冷たく向けられたエドの声。こいつもジネットくらいに融通が利けばいいのだが……。

 仕方なく溜め息を吐いて気持ちを切り替える。

 さぁ、孫が未知の世界へ一歩を踏み出したのだ。祖父であり長である我輩が怠けていては示しが付かぬ。彼女達に負けないように責務に尽力しよう。




 時は流れ、陽も落ちた頃。手元の書類に署名を落としていると、耳が聞き慣れた音を捉えた。


「入れ」

「失礼します」


 響いた扉を叩くそれ。強さで誰だか分かってしまう優秀な使用人の顔を脳裏に想像して入室を促す。

 当然、部屋へ入ってきたのはジネット。相変わらず姿を見ていないとそこにいるかどうか不安になる使用人ならではの存在感に不思議に思いつつ、手元の仕事を一旦止めて報告を受ける。


「さて、聞こうか」

「初日と言う事もあって、今日は一通りの業務をわたくしの補佐と言う形で経験していただきました。明日からは実際に仕事へ取り組んでいただこうと思っております」

「ふむ。君がそういうのならば判断は一任しよう。詳しい所を聞かせてくれるか?」


 畏まったままジネットがつらつらと、客観的に私情を交えずに語る。

 彼女の口にした通り、ピスとケスは今日、ずっとジネットの後ろを着いて仕事を見学、時に手伝っていたらしい。

 流石に生まれてからずっとその姿を見てきただけあって、事前の知識は幾つかあったらしく何もないところから教える手間は省(はぶ)けたとの事。しかし実際に行動に移すとそこには大きな隔たりがあるのは仕方のないことで。まだ手放しに仕事を任せられるというほどではないようだ。

 とは言えあの二人が器用なのもまた確か。きっと恐ろしいほどの吸収力で物にして……この職業体験が終わる頃には一端の使用人になっているかもしれない。

 そんな、この先が楽しみな報告を心穏やかに聞いて僅かばかりの休憩を取る。ピスとケスに負けてはいられないと今日は公務を頑張ったからな。少しくらいの目溢しは許されて然(しか)るべきだろう、うむ。


「──以上が本日のご報告です。何か不明な点はございますか?」

「いや、問題ない。因みに明日だが、二人の仕事を少し早くに切り上げる事は出来そうか?」

「はい。お嬢様に何かお話でも?」

「それがないとは言えないがな、別件だ。また中身不明の道具が幾つか上がって来ている。それの鑑定をあの子達に頼みたい」

「畏まりました。お嬢様には明日、仕事終わりにこちらへ伺う様にわたくしの方からお伝えしておきます」

「頼む」


 春先にもあった鑑定。時折転がり込んでくる妖精力を宿した代物の効果や危険度を確認する作業は、主にその分野を専門とする研究者達が担う仕事だ。

 しかし時には未開故に簡単に手出しが出来ない物も出てくる。そうした、下手な干渉の出来ない道具の中身を暴く為に、類稀な力で真実を詳(つまび)らかにする孫たちの力を時折借りているのだ。

 もちろん、こうして鑑定を求められるのは全体の一割にも満たない。専門の者達が知識の粋を尽くして、それでもお手上げとなったものだけが彼女達の目通りを許されるのだ。だから彼女達の力を頼るのも、年に三度あれば多い方。……今回がその三度目ではあるのだが。

 今年はやけにそういう類が多い。何かの予兆だろうか。


「我輩からは以上だ。今日はご苦労だったな。明日もよろしく頼む」

「失礼致します」


 礼儀正しく腰を折って退出したジネット。扉の閉まる音と共に小さく息を吐き出す。それから隣に控えて書類に目を通していた長年の友に自慢した。


「……どうだ、我輩の孫は。もしかするとエドよりも役立つかも知れんぞ?」

「であれば、そうではない証拠を示さねばなりませんね。どうぞ、こちらの資料もお願いします、陛下」

「……………………」

「陛下は才気溢れるお方です。見立てでは、ここまで今日中に終わるはずですが、いかがでしょうか?」


 下手に突っついたのが間違いだったか。仕事を増やされてしまった。

 しかもエドの言う通り、今から集中すれば日付が変わるより前には終わる量だ。…………今日中にと言うのは、そういうことではないと思うのだが。


「明日に支障が出たらどうしてくれる」

「それも織り込み済みですので、どうぞご安心を」


 こうなった彼を説き伏せるだけの理由はないと。今度は別の意味の溜め息を吐き出して、怠惰と一時別れを告げるように天井を見上げたのだった。




              *   *   *




「……噂は本当だったのか…………」


 小さな使用人を目の前に思わず本音の声を漏らしてしまう。こちらを見つめる天(あま)色の双眸に、変わらない亜麻(あま)色の長髪。それでいて、見慣れてはいるもののどこか不釣合いに映る仕着せに身を包んだ鏡写しの少女が二人、催促でもするかのようにじっと見上げてくる。

 実は昨日、海上警邏に従事している時に仲間から耳を疑うような話をきいたのだ。何でも小さい頃から俺が知っている双子姫が、カリーナ城で使用人姿で目撃されていると言う、奇妙な噂だ。

 その時は話半分に、またあの突飛もない発想力の少女達が彼女達だけの遊びでも思いついたのかと聞き流していたのだが…………どうやら本当のことだったと今し方確認する破目になった。


「二人はどうしてそんな格好をしてるんだ?」

「お仕事」

「学園の授業」

「む…………」


 素直に答えた声に、それから脳裏を過ぎる過去の記憶。そう言えば俺が通っていた時もそんな行事があったような……。


「…………あぁ、そうか。あれかっ。……え? それで使用人?」

「お仕事頑張ってる」

「皆いいって言ってた」

「そう、か……」


 仮にも王族が使用人と言う仕事にここまで真っ直ぐ興味を持って、しかもそれを行動に移すとは……。

 あまりの想定外にまだ少し理解が追いついていないが……だからこそピスとケスらしいとも思う。

 だからってやはり使用人と言うのは普通選ばないだろうに……。


「けど、だったらするべき事はしっかりこなさないとな。使用人はなくてはならない人達だ。折角だから思い切り学ぶといい」


 こくりと頷いたピスとケスに思う。

 これは二人が決めた事。ならば今更周りが口出しすることでもないと納得をして、それ以上の悩みを放り投げる。

 見方によっては、この二人が使用人について学べるくらいにはまだまだ世界は平穏だと言う事。治安を守り国に、世界に尽くす身としては、これ以上に嬉しいことはない。

 そんな事を考えながら、報告書を可愛らしい女中に預ける。


「こっちはコルヴァズ大統領陛下か、傍つきのエドワールさんに。もう一つはヴァネッサ・アルカルロプスと言う研究者に届けて欲しい。場所は分かるか?」

「大丈夫」

「知ってる」

「頼もしいな。あぁ、後、彼女には無理はしないようにと伝えておいてくれると助かる」


 また一つ頷いた彼女達に笑顔を向けて、労いに軽く頭を撫でた。

 あの人はハーフィーだからか、好奇心が天秤の片方に乗ると自分の身すら省(かえり)みない傾向があるように思う。優秀な研究者だとは思うが、そこだけは純粋に心配だ。

 俺が言ってもそう効果はないかもしれないが、この二人ならば或いはと思い託す。

 それぞれ書類を抱えた二人が踵を返す。と、その仕草に揺れた仕着せの裾が目に付いて、そういえばまだだったと呼び止めた。


「ピス、ケス」


 足を止めて視線をこちらに。頭の横で括られた長い髪がまた一つ揺れて、その軌跡とこちらを見つめる静かな瞳に、猫のような気紛れさを感じながら告げる。


「その服、よく似合っているな」

「ありがと」

「お仕事頑張って」

「あぁ、二人もな」


 人形のような少女達だ。何を着ても似合うが、今回のそれはまさにらしくて違和感がないのが恐ろしくさえ感じる。

 ……まさかこのまま本当に使用人になってしまわないだろうか…………。そんな心配をしてしまうほどにしっくり来る後姿を眺めて、首を振った。

 彼女達はそんな器で収まる柄ではない。きっと俺の想像出来ない偉業を成し遂げてくれるはず。だから無駄な想像はよしておこう。

 その想定外をこの目で見る事を今後の楽しみにしながら、城内の駐屯地に足を向ける。

 さて、今日の仕事はこれで終わり。帰っても嫁は外に出て居ないだろうが、家でゆっくり寛(くつろ)ぐとしよう。




              *   *   *




「お届け物」

「うわっ、びっくりした……」


 机に齧りついて文献や書類との格闘の毎日。そんな擦り切れて苦味すらもないどこか張り詰めた空間に、外からの風が吹き込む。

 いつの間にか直ぐ傍にいた小さなお手伝いさん。声に体を跳ねさせて、もう少しで椅子から落ちそうになった体勢を下に戻す。

 ずれた丸眼鏡を直して焦点を合わせれば、そこにいたのはこの春より縁の出来た少女の片割れだった。


「えっと、ピスちゃん、だっけ」

「うん」


 髪型くらいしか違いの分からない鏡合わせな双子の女の子。記憶を頼りに尋ねれば、返った肯定に小さく安堵した。間違えなくて良かった。


「お届け物」

「ん、あぁ。そうね。ありがとう」

「無理しないでって、ネロの人が言ってた」

「ネロの人って…………あぁ」


 再度突き出された数枚の紙。表にはこれまた良く知る筆跡で綴られた、ネロの人ことアラン・モノセロスの名前。

 これは半月に一度ほど、彼から届く報告書。研究所に篭りきりなわたしに代わって外の細かな事を伝えてくれる、重要な情報源。

 これが届いたと言う事は前から既に半月経ったのかと、時間の感覚が曖昧な体内の調子を再設定する。陽の当たらないところにずっといると昼夜どころか日にちの感覚も分からなくなって少し面倒だ。……外に出ろと言う話だが、それが許されているのならばわたしはもっと健康的な日々を送っていたことだろう。

 受け取った書類を、とりあえず横に避けて。僅かばかりの休憩ついでに可愛らしい使用人に尋ねる。


「今日はケスちゃんは?」

「お爺様のところに届け物」

「いつも一緒の二人が別行動なんて珍しいわね」

「いつもじゃない」


 傍から見ればいつもなのだけれども……まぁいいか。


「使用人の仕事はどう?」

「楽しい」

「そう。それはよかったわ。もう慣れたの?」


 こくりと頷くピス。

 わたしの認識が狂っていなければ、二人が城内で職業体験として使用人の仕事を始めてから三日目。普段授業を受けている平日を使って、計五日に及ぶ体験学習は本日で折り返し地点。

 言動こそ突飛押しもない二人だが、しかしそれらが目立つだけで根は真面目で器用な頑張り屋の女の子。その為非日常が三日目ともなれば、既にそれは彼女達にとって現実以外の何物でもない。


「最初はどうなる事かと思ったけれど、二人共問題ないようで安心したわ」

「あと少し頑張る」

「そうね。貴重な経験よ。目一杯楽しんでいらっしゃい」

「うん」


 素直に頷く姿に思わず笑みが漏れる。

 わたしは、結婚をしていても子供はない。だから母親の気持ちと言うものがまだよく分からないが。しかしピスとケスの事は可愛いと思う。

 学園に入学してより一層妖精という隣人が身近に感じ始めた二人は、どこか妖精染みた言動も相俟ってかよく彼女達に気に入られている。その結果、妖精についてを研究の主題とするわたしとも不思議な縁で繋がって、ことある毎(ごと)に顔を合わせるようになった。

 彼女達の事が気になって、それ以上に心配で興味が湧くのはきっとこれまでに紡いだ関係が理由なのだろうと。そしてそれと同じくらいに、わたしがハーフィーとして心揺られると言うのが大きいはずだ。

 どこか特別な雰囲気を纏う双子の少女。二人と接していると悲喜交々(ひきこもごも)と言うのが正しい気もするが、今更切りたくない縁なのも確かで。きっとこれからも彼女達の類稀な発想力にわたしは振り回され惹き付けられるのだろうと、諦観にも似た確信を抱く。

 と、仕事中のピスを引きとめてしまった所為か、別行動を取っていたケスがピスを探して研究所にまでやってきた。


「いらっしゃい。ごめんね、ピスちゃんと少しお話してたの」

「大丈夫」

「陛下への届け物も終わったの?」

「うん」


 それぞれ違う事をしていても、結果は同じ。その事に安心さえしながら自分勝手な我が儘で引きとめていたピスを解放する。


「これからまた別のお仕事でしょ? だったらこれ以上邪魔をするのも悪いわね。二人共、頑張ってね」

「うん」

「またね」

「えぇ」


 可愛らしく手を振って踵を返した二人を見送り、小さく息を吐いて伸びをする。

 ……さて、休憩は終わりだ。彼女達に負けないように、わたしも仕事に励むとしよう。




 それから陽が落ちるまで椅子に根を張って過ごせば、やがて襲ってきた眠気を振り払うのも辛くなって研究室を出た。

 向かった先は近くに用意された仮眠室。わたしにとっては家の自室よりも余程親しみのある空間だ。

 本当ならば家に帰ってゆっくり休息を取ればいいのだが、忙しい今はその帰路でさえ億劫だ。それに、帰った所で旦那のような彼もきっと戻っては来ない。今日も別のどこかで同じように寝泊りをしていることだろう。

 そんな、常連とも言うべき一室に欠伸(あくび)と共に入室して近くにあった寝具に身を投げる。微かに軋む音にも、仮眠室とは名ばかりの深い睡眠に落ちている同僚が目覚める気配はない。

 夏が過ぎてから更に増えた気がする問題の解消に追われ、気付けば季節は既に秋。大きな進展など遠の昔に投げ捨てた希望的観測。時節の感覚さえ曖昧な、そんな夜のお供には研究室から持ってきた書類が数枚。

 我ながら大概仕事に溺れていると自嘲しながらも、しかしこれに関してはただの報告書だからと軽い気持ちで目を通す。

 書いてあるのはつい先日起きた妖精の悪戯の概要だ。何でも学生が町にやってきた妖精に惑わされて森の方まで連れて行かれたらしい。

 もちろん、妖精に遊ばれるなんてよくある話だが、この報告に関して個人的に気になった点が二つ。

 一つは惑わされた人の方に自由意志がなかったと言う事。そしてもう一つは、被害に遭った少女の名前に覚えがあったというものだ。

 自由意志がない、なんて堅苦しい言い回し。簡単に言えば意識を奪われて夢遊病のように意図しない言動をしてしまったということだ。

 もちろんこれだって妖精の悪戯としてはありふれた話。森の傍を通って彼女たちに出会い、一時(ひととき)の時間と記憶を奪われるなんてざらだ。

 ……ただ、今回に関しては少し異常と言ってもいいだろう。

 なにせその悪戯をしでかした犯人は、魂に恋語らいを持つ者だからだ。

 彼らは人を誘惑し、その感情に干渉して僅かの間振り回す。主に女性が被害に遭い、今回もその例に漏れず拐(かどわ)かされたのは学生の少女だ。

 だが基本的に恋語らい……不躾に名前を呼べば、ガンコナー達は、女性に愛を囁く事はあっても意識まで奪ったりはしない。精々が魅力的に感じる姿と声音で誘惑する程度。つまりは命の危険を孕む行いはしてこないのだ。

 もちろんこれは他の殆どの妖精にも言えることではあるのだが、ここ最近はその通例にも変化の兆候が見られている。

 世界に変調が広がり始めている。そんな漠然とした危機感が、日を経る毎(ごと)に増して胸の奥をざわつかせる。これはわたしがハーフィーだからと言うのもあるかも知れない。

 今回の恋語らいもそうだが、人の側にも被害が出始めている。そこにわたしの知人が巻き込まれたと言う報告が挙がってきては、研究者らしからぬ私情が湧いてしまうのも致し方ないと言い訳させて欲しい。誰だって己が身可愛さだ。


「シルヴィ・クラズ……」


 書類に綴られた名前を声に出して読む。

 彼女とは何度か顔を合わせ話をしたことがある。話題は主に妖精に纏わる問題で、よく陛下のお孫さんと一緒にいるからか何かとそういう事柄に巻き込まれやすいらしい。……あの双子ちゃんは、改めて勘案するべき特別性ではない。今はいいとしよう。

 あの子も大変な友人関係を紡いだものだと少しだけ同情しつつ、報告書へと思考を落とす。

 ここに書いてある通り、今回恋語らいに囁かれて被害を受けたのはシルヴィ・クラズ一人だ。主だった原因としては、彼女が風(フェリヤ)に愛され、悪戯を行った恋語らいも同じ属性(エレメント)の魂を持っていたから──と言うのがわたしの見立てだ。大概こういった問題は契約にも繋がる何かしらの縁が引き金になって起き易い。

 書面には前にも同じ個体と接触があった旨が記されているが……それも波長が手繰り寄せた物だろうか。

 問題の解決に至っては、彼女の様子がおかしいと気付き後を追った幼馴染である男の子、ロベール・アリオンと。そこに居合わせた未契約の妖精が協力して事態の対処に当たったとのこと。

 彼らのおかげで早期解決に至り、被害に遭ったシルヴィ・クラズも外傷や後遺症もなく通常生活に戻っている。

 要因となった恋語らいの行方は未だ捜索中。彼の身に何が起きたのかを調べられれば、この春より急増した妖精の問題に解決の糸口が見つかるかもしれないと考えているのだが、結果は芳しくない。

 最終的な総評としては、また一つ頭を悩ませる問題が増えたということだ。

 とは言えいくら学都として多くの研究者がいるカリーナでも、これ以上の情報がなければ事態の進展は見込めない。が、一つ希望もある。

 近々四大国会談も開かれる予定だ。今年はカリーナでの開催。

 情報では他の国でも似たようなことが起きていると聞く。そこで各国が協力して事態の収拾に努めていければ、何かしらの対策は得られるはずだ。


「それまでに何かしらの成果はあげとかないといけないわね……」


 どこから手をつけていいか分からないような途方もない問題。しかし地道に一歩でも何かを積み上げなければ進みはしないのだ。


「……ま、あの子も無事みたいでよかった…………」


 唯一の安心要素を睡眠のお供にしつつ目を閉じる。

 罪なき人々が安心して暮らせる世界を作れるように。明日も変わらず真理の探究に励むとしよう。



              *   *   *




「シルヴィは無事?」

「はい、そのように伺っております」

「分かった」


 業務の傍ら、お嬢様と────もとい、可愛らしい使用人仲間と他愛ない話をしながら次の仕事へと向かいます。

 使用人というとよく黙々と仕事をする姿を思い浮かべますが、その個人はやはり人でございます。であれば当然、仕事と仕事の合間に時間を見つけて同僚と雑談に興じるということもございましょう。

 わたくしは業務中、基本仕事以外の内容でお話をする機会はございませんが、今回は特別でございます。

 なにせ今隣には日頃身の回りのお世話を仰せつかっている、わたくしが仕えるお屋敷のご息女。ここカリーナ共和国で双玉と讃えられる陛下のお孫様……ピス・アルレシャ様とケス・アルレシャ様がいらっしゃるのです。

 始まりはいつものお嬢様らしい一言から。テトラフィラ学園の授業の一環として将来を志す者、若(も)しくは未だ多くの可能性をその身に秘めた若葉たちのますますの成長を願って執り行われる行事、校外活動の職業体験学習に端を発してのご要望でございました。

 流石のわたくしも、使用人の仕事に興味があると言われた際には少しばかり動揺してしまいましたが、今となってはそれも過去のこと。城内勤務としてわたくしの後輩と言う形での実地研修は、大きな問題もなく従事していらっしゃる様子です。

 唯一つ、気になることがあるとすれば、お嬢様が行く先々で珍しがられ、その度に交流をされて戻られることでしょうか。

 お嬢様からは事務的に仕事をこなしているだけなのですが、そこはこの国の王孫殿下。周りの者たちが放っておくと言う事は殆どございません。

 特にここカリーナは立場を重んじる風土が強くあります。その相手が使用人姿の王孫殿下という歪(いびつ)さは、必要以上に周りの興味を集めてしまうのでございます。

 これは立場ある者として生まれ育たれた宿命でしょう。今回はそこに使用人という、肩書きに似つかわしくない言動をなさっているために、方々からの注目を欲しい侭(まま)にしているのであります。

 ですが幾ら王孫殿下と言ってもお嬢様は才気あふれる童子です。幾ら特別扱いを受けようとも人であることをやめることは叶わず。であればこそ、ありふれたお悩みや心配事もその胸の内を曇らせてしまうのでございます。

 そうして、話は今に戻るわけでございますが。お嬢様はどこからか、数日前に起きた妖精絡みの問題のことをお聞きになったようです。

 具体的な内容としては、昨今目に余りつつある妖精の過度な悪戯。そこにご学友であるシルヴィ・クラズ様が巻き込まれたと言うものです。

 問題の解決に際しては彼女の幼馴染であるロベール・アリオン様が奮闘され、事無きを得ました。

 そんな一部始終を小耳に挟んだ様子のお嬢様が、今朝になってわたくしに事の次第の確認をなされた、と言うのが先ほどの一幕にございます。


「わたくしもまだ詳しくは存じておりませんが、騒動には恋語らいの魂を持つ妖精が関わっているらしいです」


 返事こそございませんが、わたくしの声に耳を傾けていらっしゃるお嬢様。学園を共に過ごすクラスターの友人を案じておられるのでしょう。


「ですが大きな怪我をなさったと言う話は聞き及んでおりませんのでご安心を。昨日外に出たときにお二人が職業体験をされている様子もこの目で見てまいりましたので、お嬢様が特別ご心配なされるようなことはないかと存じます」

「わかった」

「ありがと」

「いえ。わたくしも使用人である前にジネット・シンストラでございますから。お嬢様のご友人のことは気になっていましたので」


 隣を歩むお嬢様から滲み出ていた懸念の雰囲気が霧散しました。お力になれたならこれに勝る喜びはございませんね。


「では改めまして……。次のお仕事は会談にいらっしゃる諸侯の身の回りの応対でございます。他の使用人と合同での業務になりますので、協力して頑張りましょう」


 お嬢様に対する態度から仕事のそれへと切り替えて。確認も含めて言葉にすれば、お嬢様がこくりと頷かれます。

 使用人として働かれ始めてから、今回のこれがもっとも大きな仕事。特別何かがあるとも思えませんが、気を引き締めてまいりましょう。




「疲れた」

「面白かった」


 お客様をお見送りして開口一番。隣から零れたのは正反対の言葉でした。

 もちろんどちらもお嬢様の本心でございましょう。それくらいに諸侯の会談の場は和やかでございました。

 差し迫って他国との折衝事がない現在、話し合われるのは基本的に自国内の出来事。主に四大国会談へ向けての準備を行う席は、しかしわたくしがこれまで担当してきた会議の中でこれ以上なく順調に、恙(つつが)無く進みました。

 その主だった理由は、やはりお嬢様の存在でしょう。

 昔からよくカリーナ城にやってきて陛下のお傍にいらっしゃったお嬢様。そんな姿を小さな頃から見ている諸侯達にとって、お二人は実の孫のように可愛い存在なのでしょう。

 そんなお二人が使用人として同じ部屋の中をせっせと歩き回る……。道化などは及びもつかない娯楽以上の癒しに、諸侯方が日頃以上の精力で会談に臨まれれば、当然予定より早く話し合いは終わってしまいます。

 そうなってしまえば、後は持て余した時間をどう使おうとも皆様の自由でございますから。普段見られないお嬢様の貴重な姿に部屋の雰囲気が弛緩してしまうのは当然の妙でございましょう。これ以上を申し上げれば皆様の名誉を傷つける恐れがございますので、好んでは余人の目に見せられない空間だった、という言葉に留めておきましょうか。

 果ては使用人仲間にまで愛でられて一時の楽園を作り出し、堪能された皆様。誰が見ても分かるほどに名残惜しさに後ろ髪を引かれつつカリーナ城を後にされた後のご感想が、先ほどの一言でございます。

 お嬢様にとって周囲から向けられる視線は常日頃からのものでございます。そのためところ変わろうとも何かが特別変わる、と言うことはございません。

 しかしいつものことであっても、それが四方八方から物量を伴って押し寄せると言うのはどれほど特別であろうとも人の身であるお嬢様には少し大変な時間だったようで。これまで使用人として行ってきたどの仕事よりも疲労を感じていらっしゃる様子です。


「大丈夫ですか?」

「うん」

「平気」

「次のお仕事まで少し時間がありますので戻りましょうか」


 使用人には人目につかないところに休憩室が用意されています。城内に幾つかあるその部屋は、仮眠を取ったりできるようなつくりになっており、共に休憩する同僚がいれば賑やかにもなります。今の時間だと……他の者もちょうど休憩時間でしょうか。

 そんな風に考えながら足を出したところで、遠くからやってくるノーマさんをお見かけしました。彼はわたくしを見つけるとそのまま真っ直ぐにこちらにやってきて、目の前で足を止められました。


「ちょうどよかった。一つ頼みたいことがあってな。他の仕事は?」

「今し方諸侯の皆様がお帰りになりましたのでしばらく時間はありますが。どうかされましたか?」


 ノーマさんは陛下お付きの使用人です。陛下とは古くからの交友があり、元々城で働いていた彼を、陛下が大統領として国民から選出された際に頼れる右腕として登用したと聞き及んでおります。


「これをマリー・アスタロス様にお届けして欲しいのだ」


 マリー・アスタロス様。隣国、ブランデンブルク王国の国王であるヒルデベルト・アスタロス陛下の妹君であらせられるお方です。

 先に終結した第二次妖精大戦の幕引きとして行われた、四大国で円を描くような人質交換。これ以上の無駄な血を流さないためにと交渉材料にカリーナへ渡って来られたのが、マリー様でございます。

 大戦は多くの物を生み、そして多くの者を失いました。その過ちを二度と繰り返さぬようにと戒め、その象徴として国家間の人質であるマリー様には、特別待遇が設けられております。

 それは、今後紡がれていくべき平穏の証であり、マリー様たっての願い。王族として生まれながら、幼い頃より夢見てきた理想。その実現に、カリーナは協力しているのであります。

 そんな彼女にお届け者。しかも諸侯との会談が終わってすぐということは、内容はブランデンブルクに向けての書簡でしょうか。……いえ、使用人が無粋な勘繰りをするものではありませんね。


「畏まりました」

「ではよろしく頼む」


 ノーマさんから回ってくるお仕事は、基本陛下の身の回りに関わることでございます。つまりこれは陛下からの勅命と言っても過言ではありません。……が、今回はそこまで緊張する話ではございませんね。わたくしもよく知るご婦人にお届け物をするだけでございますから。

 ノーマさんから手紙らしき包みを受け取りつつ、しかしながら懸念が一つ。


「お二人はどうされますか?」


 マリー様へのお届け物。本来はわたくしに預けられた業務であり、お嬢様が同行する必要性はございません。

 それにお嬢様はマリー様との相性が余りよろしくありません。特別人を嫌うと言うことをお嬢様はなさりませんが、マリー様に関しては苦手意識を持っていらっしゃるようなのです。

 その理由を鑑(かんが)みれば、理解できなくもないのですが……。


「行く」

「外のお仕事」


 確かに、お嬢様の勤務は初日から城内に限られておりますね。もちろん、今回のように届け物であったり随伴であったりと外での用向きも数多存在します。業務外というわけではございません。

 それにお嬢様がそうおっしゃるのであれば本来仕えるべきわたくしとしても……そしてお二人の先輩としても、無理にご意思を妨げることはできません。


「では参りましょうか。今日は少し風が強いので上に一枚羽織って出かけましょう」

「分かった」

「準備する」


 こくりと頷かれたお嬢様が、先に立って歩き出します。その後姿を、少し嬉しく思いながら追い駆けます。

 確かに反りの合わない相手と言うのはいましょう。ですが、それを理由に責任を放り投げるようなことをお嬢様は致しません。

 それに、苦手から逃げずに立ち向かうと言うのは、並みの覚悟ではできることではありません。その気高き思いを尊重することこそが、豊かで確かな未来を紡ぐ一助になればと思うのです。

 なればこそ、前を向くお嬢様に負けないように……大人として規範となる立ち居振る舞いは常日頃から心がけないといけないと、今一度自らの胸に刻み込むのであります。




              *   *   *




 焼き上がったお菓子を棚に陳列していると、扉が開いて来客を知らせる音が店内に響く。


「いらっしゃいませ……あら?」


 振り返ってそこにあった顔に少しの驚き。次いで胸の内に湧き上がって来たのは歓喜の感情だった。


「二人とも可愛いー! その服どうしたのっ?」

「ご無沙汰しております、マリー様」

「ジネットさんもお久しぶり。よく来てくれたわね」


 よく知る使用人の顔に安堵しながら招き入れる。着こなして、既に彼女の一部となった使用人姿はいつ見ても心地よい。どこか気品さえ漂わせる振る舞いは、女中にしておくには勿体無いほどだ。

 とは言え彼女の使用人服姿はいつものこと。今回年甲斐もなくはしゃいでしまう理由は、一緒にやってきた双子ちゃんの方だ。


「ピス、ケス! 仕着せに身を包んでどうしたの?」

「お仕事」

「学園の授業」

「テトラフィラ学園の課外授業である職業体験学習でございます。お二人は今回使用人として働くことをご希望されたので、僭越(せんえつ)ながらわたくしの後輩と言う形でこの一週間カリーナ城内勤務として職務に励んでおられます」

「まぁまぁ、そうだったのっ? もっと早くに知ってれば暇を見つけて会いに行ったのに……。教えてくれないなんていけずね」


 彼女たちが気着飾るなんてとても珍しい話。これは高価でも記録として残す価値のある姿だ。

 と、わたしと密かなる同好の士でであるジネットが頭の中を見透かすように小さく頷いて見せた。流石は常日頃からピスとケスの世話を行っている傍付きだ。既に手配済みらしい。

 また後で彼女を呼んで、ひっそりと鑑賞会を開くとしよう。その時は飛び切りに美味しいお茶とお菓子を用意しなくては。

 溺愛(できあい)なんて呼ばれたところで恥など感じない二人への気持ちを胸の奥に滾らせながら、それで怖がらせてしまわないようにとどうにか抑え込む。


「でもよかったわ、こうして自分の目で見られて。よく似合っているわよ、二人とも。抱きしめさせて貰ってもいい?」

「お仕事中」

「皺になる」

「あぁんっ。職務に邁進する二人も可愛いっ」


 ……おっといけない。また漏れ出てしまった。

 次いで思考が直ぐに切り替わる。この辺りは生まれ育った環境のお陰か。

 今はカリーナで菓子店を営んでいるが、本来は王族。使い分けるべき自分はいくつも持っている。


「それで。今日はどうしたの?」

「こちら、コルヴァズ大統領陛下からマリー様宛てに一通。そしてこちらはアスタロス国王陛下に宛てた親書でございます」

「なるほど。確かに受け取ったわ」


 こう言うやり取りはよくある。公的な内容ならばわたしを通さず直接やり取りするのだが、私的な事となると一度わたしを介して兄であるヒルデベルトへ届くことになるのだ。

 恐らく無駄な折衝を減らす為に、身内からの手紙と言う体裁を取りたいのだ。

 面倒くさいが、お陰でわたしも何不自由なく暮らせているのだ。一応の人質として、やるべき責務は果たすとしよう。


「後で送っておくわ。それで? 仕事はこれだけ?」

「幾つか焼き菓子を見繕っていただければと」

「陛下にね。分かったわ。少し待って頂戴」


 彼の好みは把握している。意外と子供舌なのか、甘いのが好みらしいのだ。

 しかし彼も結構な歳。余り甘すぎるものも体によくない。その為甘くとも余り体に負担のない焼き菓子をこの前思いつき、ここしばらく販売しているのだ。

 売り上げは上々。流石に甘さもあって好みは分かれるが、沢山売れ残ると言うこともない。数は多くないが、今後も置き続けることになるだろうと言うのがわたしの見立てだ。

 それらを中心に、彼が好む焼き菓子を箱の中へつめる。次いでここまで足を運んでくれた彼女たちにと若者に人気な商品を一通り、別の包みにまとめた。


「こっちを陛下に。こっちはみんなで食べて頂戴」

「ありがとうございます」


 彼女たちにはいつもお世話になっているのだ。この程度の年寄りの道楽でお返しになるのなら易いもの。


「それで、さて……。この後の予定は? 時間はあるの?」

「しばらくは」

「それはいいわね。どう? よかったらお茶をして戻らない? せっかく来てくれたんだもの。ね?」


 提案に、ピスとケスが判断を仰ぐような視線をジネットに向ける。彼女は笑顔で一つ頷くと、手早く椅子と机を用意してくれた。

 カップに注いだ紅茶が白い湯気を昇らせる。天井を反射する深い色の液体から鼻先を擽(くすぐ)る馥郁(ふくいく)が胸の奥を小さく動かした気がした。

 四人で机を囲んで雑談に花を咲かせる。

 語られるのはピスとケスの城内での働きぶり。基本的に何をやらせても器用にこなす二人だが、使用人の仕事に関してもそれに例外はないようで。

 特に普段からジネット・シンストラと言う象徴の中の模範を見てきたからか、まったくの新人より優秀らしい。相変わらず罪作りな少女たちだ。

 そんな雑談の流れから、話題は市井(しせい)の事へ。大抵の情報は当然城の方に入っていくはずだが、それでもありふれた噂程度の他愛ない話までは及ばない。

 その為、こうして仕事や、その他仕事帰りに老骨の様子見としてにここへ来てくれるジネットには、僅かばかりの礼となればと思い城下の流れては消える風説を年寄りの慰(なぐさ)みに聞いて貰っているのだ。

 前にわたしがした話をきっかけに大きな問題を未然に防げたこともあって、結構重要な情報源として彼女も信頼してくれているらしい。使用人も中々に大変そうだ。


「そう言えばこの頃お隣さんに関する噂をよく聞くわね」


 わたしはジネットと同じく妖精が見えない。だから例え異変が起こっても直接それを確認することはできない。が、それでも気にしてしまうほどに最近よくお客さんから耳にするのだ。


「また何か起こってるのかしら……。心配ね」

「例え何が起ころうとも、マリー様に危険が及ぶことはございませんのでご安心を。ですがマリー様のお心遣いは陛下にもお伝えしておきます」

「えぇ、よろしく頼むわね」


 カリーナには研究者が沢山いる。例え未知なる事が起きても、きっと直ぐに問題は解決するはずだ。

 それにもうしばらくすれば四大国会談も開かれる。今年はカリーナでの開催で、そうすれば兄であるヒルデベルトにも直接会えるだろう。

 立場上明確なことを明かせないジネットを困らせても仕方ない。挨拶も兼ねて、あの意地悪な兄のご機嫌伺いもしなくては。

 そんなことを考えながらお茶の席を楽しむ。知ってしまえば興味が湧くのは自明のこと。二人の非日常を知れる機会は早々多くないのだ。年寄りの戯(たわむ)れだと思ってどうか付き合って欲しいものだ。

 同志ジネットとの有意義な時間を過ごして。早い時の流れに嘆きながら彼女たちを見送ろうと腰を上げる。すると店の扉が開いて来客を知らせる鈴の音が店内に響き渡った。

 そう言えば看板を返し忘れていたことを思い出しながら、店主として出迎える。


「いらっしゃい……あらら。今日は随分と縁のある日ね」

「ご無沙汰してます、マリー様」


 そこに立っていたのはわたしもよく知る人物。事今この空間に限れば、とても親しい間柄のわたしの友人。

 いつも楽しい話を運んできてくれる二人のお姫様。その母親である、ジャスミーヌ・アルレシャ。ジネットにしてみれば仕えるお屋敷の奥様だ。


「あら、ふふっ。こんなところで会うなんて珍しいこともあるものね」

「奥様、お一人での外出は……」

「お友達のところに遊びに行くのに毎度そんなことを言われていたら絵画の世界の住人になってしまうわよ、ジネット」

「可愛い忠誠じゃない」

「もちろんジネットのことは信頼してますよ。ですが小言が多いのが玉に瑕(きず)ですね」

「奥様」

「あらあら」


 仲のいい喧嘩に笑みを零す。この様子ならいつも楽しく過ごしているに違いない。


「それで、今日はどうしたの?」

「近くに寄る用があったのでご挨拶にと思いまして」


 それで偶然が起きたらしい。

 ピスとケスの姿に、頬を緩めた彼女が優しく頭を撫でる。


「お仕事、頑張ってるみたいね」

「うん」

「楽しい」

「そう。それならよかったわ」


 柔和な微笑を浮かべるジャスミーヌ。母親の笑顔にこちらまで心が暖かくなる。


「ジネット、あと少しだけど二人のことよろしくね」

「畏まりました」

「次のお仕事」

「時間まだ?」

「そうですね。そろそろ城に戻る頃合でしょうか」


 どうやらお別れらしい。寂しい限りだ。


「長く引き止めてごめんなさいね。お仕事頑張って」

「うん」

「またね」


 小さく手を振るピスとケスを見送れば、店内に残されたのはわたしとジャスミーヌの二人。


「……何か急の用事?」

「いいえ。ただあの人の誕生日が近いでしょう? だからその注文をと思って」

「あぁ、そうね。さて、今年はどうするの?」


 ジャスミーヌの夫……コルヴァズ大統領の次男にしてピスとケスの父親である、ルドガー・アルレシャ。彼の誕生日は秋も真っ盛りな実りの最中だ。

 この時期は様々な果物が旬を迎える。結果焼き菓子に乗せたり混ぜたりと言う面で、とても色鮮やかに彩ってくれるのだ。

 彼もいい季節に生まれたものだと。彼がまた一年無事に過ごし、ここから新たなる一年が始まることを喜びながらジャスミーヌと二人要望を詰めていく。

 こうしていると自分が王族であることを忘れられる。そのことに、これ以上ない自由を噛み締めながら、友との一時を楽しく過ごすのだった。




              *   *   *




 ジネットと一緒に家に帰ってきた愛娘を出迎える。昼過ぎに見た仕着せから、学校の制服へ着替えたその姿に少しだけ寂しさ。

 肩書きとして王孫と呼ばれる彼女たちにこんなことを抱くのは変なのかもしれないが、あの使用人服姿は二人によく似合っていた。もちろん使用人として働いて欲しいなどと言うつもりはないが、代わりに一つ思いついたこともあるのだ。


「ほら、手を洗って着替えていらっしゃい」


 こくりと頷いた鏡写しの少女を見送れば、こちらは変わらずいつもの正装に身を包んだジネットが報告を上げる。


「本日も然(さ)したる問題もありませんでした」

「そう。それは何よりね。……ところでジネット、ものは相談なんだけど」

「お伺いいたしましょう」

「仕着せ姿、よく似合ってたわよね?」

「はい」

「そこでなんだけど、あんな服どこかに売ってないかしら?」


 使用人の仕事を続けるわけにはいかない。彼女たちは学生だ。

 しかし普段着飾る服は生活の一部。そこにちょっとだけ非日常を加えてみるのもいいかもしれないと思い至ったのだ。


「お探ししておきます」

「よろしくね。なかったら自分で作ってみるわ」

「きっとお嬢様もお喜びになることでしょう」


 ジネットの言葉に、それから二人して小さく笑う。

 仕着せそのままと言うのは難しい。だが仕着せ風のつくりや柄の服は探せば見つかるはずだ。

 今回の職業体験学習。彼女たちが選んだ使用人と言う仕事は、どうやら思いのほか気に入った様子。ならば頑張ったご褒美をあげてもいいだろう。


「それじゃあジネット、二人のことお願いね。私は食事の用意を始めてるから」

「畏まりました。後でお手伝いに参ります」

「えぇ、よろしくね」


 城での業務が一段落。そうすれば今度は仕える屋敷での奉公。

 ジネットにはいつも支えて貰っているが、しっかりと休息は取れているのだろうか。体調を崩したりしていないか心配だ。

 ……また今度、私用でも装って彼女を連れ出すとしよう。そうしないと自ら暇(いとま)を願い出るなんてことをしない子だ。

 全く、仕えるべき相手に心配をかけさせる使用人なんて失格だ。そういう意味では本気ながらも適度に自由を愛しているピスとケスはジネットより信頼できるかもしれない。


「さて。始めましょうかっ」


 予(あらかじ)めジネットと相談して決めていた一週間の献立。それに従って必要な材料を準備をする。

 すると音もなくそこにいたジネットの声を耳が捉えた。


「奥様」

「どうしたの?」

「こちら、マリー様のお店の焼き菓子です。食後にいかがでしょうか?」

「そうね。そうしましょう」


 彼女のお店のお菓子は絶品だ。ともすれば一流の職人にも負けない愛が篭っている。

 こうしてそれを苦なく食べられる秋の実りに感謝しながら、二人仲良く夕食の準備を始めたのだった。

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