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犬の散歩(森にて)

 魔気は世界が産み出す創世の力である。

 魔気は世界を産み出す創世の力である。

 世界は常に進化を求めている。

 旧世界の檻を破り、新世界へと羽ばたこうと足掻いている。


 ある学者は言った。

 つまるところ、魔気とは世界の子胤である。


   ◇◆◇


 喉に絡み付くような濃密な魔気が、あたりを覆っている。

 そうでなくとも気温も湿度も高く、また奔放に成長した植物が鬱蒼と茂っているため、ただ居るだけでも見えない何かに押し潰されそうになる。

 動物の侵入を拒む、植物の楽園――マグナの森。

「お散歩楽しいですね、パピー様!」

 そんな中にあって、少女は満面の笑顔で語りかける。

「……散歩じゃねえよ馬鹿。仕事中だ馬鹿。あまり喋らせるんじゃねえよ馬鹿」

 渋面の男は振り返りもせず答える。

 男は息苦しそうに、少女は心地よさそうに歩みを進めていく。


 植物は魔気との相性が良い。大地に根差す植物は、龍脈から魔気を吸い上げ、その身を肥やす。魔気に溢れたマグナの地では、植物は他所とは比べものにならないほどに逞しく成長し、そこから精製される薬もまた、格段に強い効能を持つ。その強さは「マグナ産の解熱剤を飲んだら凍死した」というジョークを産む程だ。無論、本当に凍死することはないが、そう言われる程に効能が高いというのも事実である。

 パピーは自宅の周りでも薬草を栽培をしているが、森の濃い魔気を浴びて育った天然物とは薬にした時に如実に差が現れる。だから苦しい思いをしても、こうして森へと入り、素材を採取する。

 そうしなければならない程に、マグナの地では強い薬が必要とされている。

「パピー様、あっちにスイランが生えてますよ」

「あー、まだ在庫があるからいい。場所だけ覚えておいてくれ」

「わふん!」

 森ほどではないが、マグナの街も魔気に溢れている。

 魔気は人の体を蝕む。

 耐性のない者にとって、マグナは猛毒に満ちた地獄の島だ。これが豊かなマグナが他所からの侵略を受けない理由のひとつとなっている。豊か過ぎるが故に、マグナは平和なのである。

「ビルトン、モースク、ウェイースク、こっちはジャカの木……パピー様、ジャカの効能ってなんでしたっけ?」

「春先の若葉が胃腸薬になる。濃緑色になったら逆に腹下すから気を付けろ」

 当然ながらマグナの住人は、商会の者はもちろん、飯屋で鍋を振るう親父も、八百屋で野菜を値切る主婦も、広場で追い駆けっこをしている子供達も、のほほんと縁側でホール茶を飲むご隠居も、誰もがある程度の耐性を有している。

 とは言え、人には体調というものがある。また、街を覆う魔気の濃度も一定ではない。

 怪我や病気、何らかの理由で体調を崩せば、魔気はすぐさま体を蝕む。そうなれば体調は更に悪化する。すると更に魔気が蝕み、悪化し、蝕み、悪化し……

 負の連鎖の行き着く先は二つ。死か魔人であろう。

 マグナの地では、ちょっとした風邪でも死に直結し得る。そうならないために、薬師は無くてはならない存在である。

「ジルパタン! 魔気避けのうがい薬になるんですよね!」

「そうだがホールの方が効能が良い。わざわざ摘んでいく必要はねえよ」

「あ、そうですか……」

「……けどまあ、覚えておいて損はねえな。よく勉強してるじゃねえか」

「わふんっ♪」

 しかしマグナの街には薬師が不足している。

 現在はわずか四人。見習いを含めても十人に満たない。

 三年前、そして昨年と立て続けに高齢の者が引退した一方で、後継者が育つにはまだ時間が掛かるとみられている。

 幸い、これまで薬が不足したことはなく、備蓄も十分にある。だが危ういバランスだ。今よりも薬師が減る事態が起きれば、恐らく天秤は望まぬ方向へと傾くであろう。

 マグナの街では、新たな薬師の育成が急務とされている。

「これはアンデ・ビビですね。確かラッカスとモースクと調合して水に溶かせば……」

「……どこかの国でも滅ぼすつもりか? 絶対に作るんじゃねえぞ」

 薬は一歩間違えれば毒にもなる。素材選びから始まり、精製、調合、処方、そのどれもに深い知識と経験が必要となる。

 そしてマグナの街において薬師が育たぬ最大の原因が、森の魔気である。街で暮らす者よりも更に高い耐性がなければ、マグナの森に入って素材を集めることは適わない。他の者に採取を任せることも出来るが、植物は同じ種でも生育場所やその他の環境などにより性質が異なることもあり、そうした判断にもやはり深い知識が必要となる。なので結局は薬師が自ら採取する方が確実なのである。

 薬師に必要なのは、深い知識と魔気に耐える体。

 その両方を兼ね揃える者は滅多に居ない。

「前から気になってたんだけどよ。お前、何でそんな詳しいんだ?」

「お母様から教わりました! どうですか! 凄いですか! 褒めて下さいますか!」

「あー凄い凄い。ったく、何でそんな元気なんだよお前は」

「魔気が濃いので、元気三割り増しなのです!」

「そうかよ。羨ましいね魔獣ってやつは」

「はい、魔獣なのです! そして犬なのです! わふん!」

 ……もっとも、そうした者が、まったく居ないというわけでもない。


「よし。まあ、こんなところだろ」

「はい、お疲れ様です、パピー様!」

 一番の目的としていた薬草を摘み終え、大きく伸びをするパピー。ビーズもそれを真似て、両手を頭上へと伸ばした。

 まだ日は高いので、余裕を持って戻れるだろう。そう判断を下しながら、パピーはビーズへと視線を向ける。

 ビーズと一緒に森に入るようになってから、素材の採取の効率が格段に良くなった。理由は明らかで、ビーズが目敏いからである。犬を自称するだけあって鼻が利くのか、隠れた所に生えた植物を探すのが抜群に上手い。パピーが見逃した素材も、抜け目なく見つけ出す。

 パピーも駆け出しとはいえ薬師だ。素人に後れを取っては面目丸潰れなのだが……どうせ面も目も左半分はとっくに潰れているのだからと、気にしないことにした。面目で人は救えない。

 パピーは素材集めのお礼代わりに、ビーズの頭をポンポンと軽く叩く。安いお礼だが、ビーズもそれで満足なのだろう。何ともご満悦の表情だ。

「さて、どこかで一休みしていくか」

 最後に髪をぐしゃぐしゃと引っ掻き回して、ご褒美タイムは終了。もっとしてくださいと催促するビーズの頭を引っ叩き、パピーは来た道を引き返す。

「あー、待って下さいよ!」

 嬉しそうに後を追い掛けるビーズ。

 前を行く男と、後を追う少女。二人のいつもの位置関係である。


 途中の小さな泉で休憩を取る。

 マグナは豊かな島だ。他の島で死活問題となる飲み水も潤沢であり、至る所から水が湧いている。加えて場所によっては温泉まで湧いているのだから、至れり尽くせりである。

 岩間から滾々と湧き出る水は澄み切っており、喉を潤すのに申し分ない。パピーはついでに魔気払いの薬も飲んでおく。耐性が高いとはいえ、森の魔気の濃さを侮ることは出来ない。

「パピー様、水浴びしてもよろしいですか!」

「この量じゃ無理だろ」

 ビーズは答えを聞かずに服を脱ぎ捨て、膝下までしかない水の中で、ぱしゃぱしゃと遊び始める。水浴びではなく水遊びだろう。パピーはそんな言葉を呑み込み、優しい表情で様子をビーズを見守る。

「風邪ひくなよ」

「へっちゃらです! あ、でも、風邪をひいたら看病してくださいますか?」

「見捨てるに決まってるだろ。薬が勿体ねえ」

「嘘を吐いたら駄目よ。そんなこと出来やしないくせに」

「うるせえな」

 パピーも靴を脱ぎ、手頃な石に腰掛けて足を浸した。冷たい水が疲れた体に心地よく浸透する。

「パピー様も一緒に遊びませんか?」

「そんな体力はねえよ」

「だらしないわね」

「うるせえな」

「薬師は誰よりも健康でなければならないのでしょう? もっと体力を付けなさい」

「だから、うるせえって」

 底に生えた苔の感触を足裏で楽しみながら、さて、どうしたものかとパピーは考える。

 そんな男の様子を、赤い瞳が興味深そうに眺めている。 

「おい」

 結局、パピーは素直に言うことを選んだ。


「なんでお前が居るんだよ」


「「わふん?」」

 男の問い掛けに、狼と犬の親子は揃って小首を傾げた。

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