8 遠江津神社
喫茶店からそれほど離れていない、しかしあの通りよりも更に静かな区域に、遠江津神社はある。
石の鳥居をくぐり、二人は玉砂利を鳴らしながら進んで行く。それほど大きな神社ではない。
先を歩く有寿は、本殿の前に来ると頭を下げた。それから社務所の方へ向かう。泰奈もそれに倣った。
「お帰り、有寿」
装束に身を包み、竹箒で掃除をしていた男性が、有寿に気付いて穏やかに笑う。それから彼は泰奈に目を向けた。
「――と、いらっしゃい」
「ただいま、兄さん。こちらは月丘泰奈ちゃん。特高に編入してきたばかりなんだけど、文芸部で一緒に活動することになったの……と、少し事情もあって、兄さんに紹介したくて」
「は、初めまして、月丘泰奈です」
泰奈は慌てたように、有寿の兄にお辞儀をした。
「初めまして。僕は神庭晃貴。有寿の兄で、ここの神主をやっているんだ。よろしくね、月丘さん」
晃貴は柔らかい声音で言うと、細い目を更に細くして微笑む。
「有寿がまた連れ回してるんじゃないかな、大丈夫?」
重ねられた言葉に、泰奈はぶんぶんと首を振る。
「もう、兄さんったら」
有寿は腰に手を当てて、晃貴を見上げた。頼りになる先輩もこんな顔をするんだ、と、泰奈はそれを新鮮に感じた。
「はは。えーと、事情があると言ったね。社務所に入って話そうか。こっちへどうぞ」
晃貴は軽く有寿を躱して、社務所の扉を開ける。竹箒を入り口に立てかけてから中に入り、二人を呼んだ。有寿と泰奈はそれに続く。晃貴は事務スペースのデスクの椅子に、有寿と泰奈は簡易椅子に腰掛けた。
「……あ、お茶でも淹れようか」
一度腰を落ち着けた晃貴がそう言って立ち上がったが、泰奈は首を振った。
「いえ、あの、さっき紅茶をいただいたところなので」
「あら、遠慮しなくていいのよ、泰奈ちゃん」
「そうそう。大切なお客さんだからね。有寿は余程気に入ったと見える」
にこにこしながら、晃貴はそのまま給湯スペースに歩いて行った。泰奈は恐縮し、すみません、と呟いた。
やがて晃貴が盆の上に三つの湯飲みとお茶請けを載せて戻ってくる。二人が座る椅子のすぐそばにある机の上にそれを置き、どうぞ、と促してから、彼は口を開いた。
「さて、僕が力になれることだったらいいんだけど」
その目には知性を窺わせる、落ち着いた光が宿っている。
「……えっと」
どこから話せば良いのだろう、と考えていると、有寿が助け船を出した。
「泰奈ちゃん、ペンダント、もう一度見せてみてくれる?」
「はい」
泰奈は頷き、金具に手を掛けてペンダントを外した。机の上に置き、小さな布袋を縛る紐を解く。中から二つに分かれた紅玉を取り出して、晃貴に示した。
「……これは、元々は一つに繋がって、楕円の形をしていました」
「ふむふむ」
「私が小さい頃、両親から贈られたもので――」
喫茶店で先刻有寿に行ったのと同じように、晃貴に説明をした。
「――三角先生の〈復元〉でも直せなくて、有寿先輩によると……」
「微かに気配を感じることがあるの。今は……特に何も感じないけれど……。この紅玉の形を結んでいたのは、それに相応しい力というか」
泰奈の言葉を引き取った有寿がそこまで言うと、晃貴は心得たように数回頷いた。
「なるほどね。核、と呼ぶべきものがあったはずだ、と」
「そういうこと」
有寿は大きく頷くと、お茶請けの金平糖を一粒つまみ、口に入れた。
「うん、美味しい。泰奈ちゃんも食べて食べて。今どき珍しいでしょう、金平糖なんて?」
左手を頬に当てて満足そうに言ってから、金平糖の小皿を泰奈の方へ寄せる。確かに一番最後に金平糖を食べたのはいつだったかを思い出せないまま、泰奈はいただきます、と言ってから一粒手に取る。泰奈が無意識に選んだのは、水色の金平糖だった。口に含むと甘みが広がった。思わずうっとりと目を閉じる。少し不安が和らいだ。
「……紅玉が割れたのは、十五歳の誕生日の一週間後。前触れはなく、でも鈴の音がした――と。有寿が何かの気配を感じることがあると言うなら――」
晃貴は指先を顎に添えてそこまで呟くと、目を閉じた。
「――うん、紅玉には確かに、そこに何らかの力を秘めていたんだろう。封じられていた……? いや、そういった類の悪いモノではない。悪いモノならいくら強力に封じられていたとしても、どこかで特殊公務員のアンテナに引っかかるはずだ――」
目を閉じたまま、晃貴は思考を整理している。泰奈は彼のその長い睫毛を、見るとはなしに見ていた。
「――紅玉は、月丘さんが幼い頃に両親から贈られた……以降月丘さんは、それを肌身離さず着けていたわけだ。その由来を鑑みても、悪いモノである可能性は排除していいだろうし」
小さく紡がれる仮説をそこまで聞き、泰奈はほっと小さく息を吐く。金平糖がさり、とほどけた。無意識に湯飲みに手を伸ばし、少しだけ冷めたお茶を一口飲む。
「十五歳の誕生日に目覚める異能――時期を考えても、ここは無関係ではないだろうね。月丘さんに目覚めた異能が、何かを動かした結果、か――?」
「あ、でも、私はまだどういう能力に覚醒したか、全然判らなくて……」
湯飲みを置きながら恐る恐る口を開くと、晃貴はゆっくりと目を開けた。
「うん、僕は異能を持たないからその辺は体感としては知らないんだけど、すぐに自分の能力を把握できるわけでもないみたいだしね。ああ、有寿は比較的早かったのかな?」
「私は……というかうちはまあ、ルーツがそういう血だ、っていうヒントもあったから」
能力は遺伝するとは限らないが、遺伝しないとも言い切れない、とされる。その辺りの詳細は未だ解明されていない。
ただ、有寿の曾祖母は生まれつきの退魔能力持ちだったと言っていた。かつて能力の覚醒年齢が一定ではなかった頃に、血縁にそう言った者がいたことが確実なのであれば、自身が持つ能力の候補の一つとして仮説を立てることも可能なのだろう。
「いずれにせよ、偶然にしては出来すぎてる。しかも特高の三角先生の〈復元〉は、その筋では有名らしいからね。その能力でも修復できないということは、それはただの――という言い方は失礼かな、けれど――ただの紅玉ではないんだと思う」
晃貴の口から紡がれる言葉に、泰奈は真剣に聞き入っていた。自然と背筋が伸びる。
「それから」
更に晃貴は続けた。
「紅玉が割れた時に聞こえたっていう鈴の音だけど……」
「……はい」
「聞き覚えがある気がする、ってことだったよね」
「……はい」
「いつ聞いたのか、どこで聞いたのか、判るかな?」
柔らかい声に、泰奈はゆるゆると首を振る。
「いいえ。少し考えてはみたんですけど、印象に残っている記憶には、特に鈴なんて関係してないんです。鈴で遊んだような記憶もないですし。それなのに……変ですよね」
「……ふむ。有寿、ちょっと本殿から神楽鈴を持っておいで」
「判ったわ」
晃貴の言葉に頷くと、有寿は立ち上がって社務所を出た。晃貴も立ち上がり、社務所に置いてある授与品の鈴守りをいくつか携え戻ってきた。
「例えばこの鈴は、こういう音がするんだけど」
言って、鈴守りを数回振る。小さな鈴はちりんちりん、と涼やかな音を立てた。
「月丘さんが聞いたのは、こういう音に近い?」
問われて、泰奈はあの鈴の音を思い出す。
「――いいえ」
声が少し震えた。実際の鈴の音を聞いて、泰奈に静かな衝撃が走っていた。
――どうして私は、あれを鈴の音だと思ったのかしら?




