9 泰奈の決意
「…………」
鈴守りを見つめたまま黙り込んだ泰奈を安心させるような声音で、晃貴は続けた。
「なるほど、こういう音じゃなかったんだね。こっちの鈴守りはこういう音がするんだ」
別の鈴守りは、ちりりんと音を立てる。紅玉が割れた際に聞こえた、泰奈が鈴の音だと思ったものとはやはり違っていた。泰奈の瞳は戸惑いに揺れる。
「少しずつ違うよね。鈴の大きさにもよるし――」
「兄さん、神楽鈴を持ってきたわよ」
そこで社務所の扉が開き、神楽鈴を携えた有寿が戻ってきた。年季の入った鈴だが、よく手入れされていることが見て取れる。
「ありがとう、有寿。じゃあ、少し鳴らしてみてくれるかな?」
有寿は頷くと、神楽鈴を振った。しゃらん、しゃらん、と澄んだ音が響く。それを聞いた泰奈は、黙って俯いた。
「……すみません」
やがて小さな声で謝罪を口にする。両手を膝の上できゅっと握りしめていた。
「私……鈴の音を聴いたと思いました、紅玉が割れたとき。でも……あれ、鈴の音ではなかったのかもしれません」
「謝ることじゃないよ」
晃貴は穏やかな声音で、それを受ける。
「一口に鈴の音と言っても色々あるからね。月丘さんが聴いたのは、こういう鈴じゃなかったのかも――」
「いえ」
柔らかな声を、しかし泰奈は遮った。ふるふる、と首を振り、視線を上げる。
「こういう……金属の音では、なかったかもしれません。もっと柔らかい音でした。鈴では……鈴ではないんだと思います。私が勝手に勘違いしちゃっただけで」
「あら、でも、泰奈ちゃんはその音を聴いたとき、鈴の音だと思ったんでしょう?」
有寿が不思議そうに首を傾げて、
「確かに、ここにある鈴とは違う音だったのかもしれないけれど……鈴の音だと思った、その感覚を否定する必要はないんじゃないかしら?」
「……そう、でしょうか?」
「実際、人間は思い込みもするものよ。それで正しい認識に辿り着くのに遠回りをすることもあるわ。けれど……」
一呼吸置いて、有寿はたおやかな笑みを浮かべた。
「泰奈ちゃんの直感というのかしら……今回、それは疑わなくても良いんじゃないかと思うわ。能力が関連しているのなら、なおのこと。兄さんもそう思わない?」
「うん。少なくとも、この紅玉は何らかの特別な核によって結ばれていた――ここは確実だと思うんだ。〈復元〉でも元に戻せない、そもそもこの断面も自然ではない……ここに異能が無関係とする方が、寧ろ不自然なんだ。恐らく」
晃貴も、泰奈の感覚を否定しようとはしなかった。その視線は二つに分かたれた紅玉に向けられている。紅玉の断面は、まるで鋭い刃物で切断されたようである――不自然なくらいに。深く澄んだその紅色は、宝石を思わせる。但し特定は難しい。場合によっては――未知の石である可能性もある。
「紅玉の核が何か特別なものだとすれば、当然」
震えるような泰奈の視線をゆったりと受け止めながら、晃貴は続けた。
「この紅玉そのものに――異能が関係していると考える方が自然になってくるよね。僕は最初、紅玉が割れたことと異能が関係しているんじゃないかと思ったんだけど、もしかすると」
「…………」
「異能が関係しているのは、もっと前からなんじゃないかな。これはまだただの仮説の一つに過ぎないけれど」
晃貴の細い目には、理知的な光が宿っていた。
「もっと前……ですか?」
「うん。例えば……そうだね。この石は異能由来で作成されたものかもしれないし、元々あった紅玉に異能を用いて特別な核を閉じ込めることで、紅玉自体を……何と言えばいいのかな、特殊加工とでも呼ぼうか、そういう風に作り替えたのかもしれない。仮説はいくらでも考えられるよ。とにかく、月丘さんの親御さんは、実際にとても特別な紅玉を――君に贈った、ということじゃないかな」
その穏やかな声に神経を向けつつも、泰奈の瞳は紅玉を見つめていた。社務所のシーリングライトを受け止め、二つの欠片は静かに光っている。〈復元〉の能力をもってしても元の形には戻らなかった欠片は、その核に何を秘めていたというのだろうか。
「泰奈ちゃんが聴いた鈴の音って」
口を開いたのは有寿だった。泰奈はゆっくりと視線を有寿に合わせる。
「ほら、この紅玉が割れたときだけじゃなくて、聞き覚えがあるって思ったのよね?」
「……はい」
「断言はできないけど……それも間違っていないんじゃないかしら。紅玉そのものが何らかの能力と深い関係があるのだとすれば、当然どこかでその能力が干渉してるってことになるもの」
「…………?」
有寿が言わんとしていることを汲み取れず、泰奈は自信なさげに首を傾げた。有寿はふふ、と笑って、
「例えばの話だけどね? その紅玉を特別にした能力が、鈴を用いるものだったとすれば――その鈴は、一般的に知られる鈴とは違う音がするでしょうね」
「あ――」
晃貴も腕を組んで微笑みを浮かべていた。
「月丘さんには鈴の音が聞こえた。紅玉は〈復元〉の能力でも元に戻せない。有寿はその紅玉からたまに気配を感じると言う……正確なところはまだ解らないよ。けど、月丘さんが聴いた鈴の音は、どうやらよくある鈴の音じゃなかったらしい、というのは判ったよね」
泰奈は頷く。紅玉が割れた際に聴いた音は、鈴守りの鈴や神楽鈴とは違う音だということは、先刻の検証で明らかになった。
「現時点で揃っている情報を組み立てると、やっぱりこの紅玉は特殊な由来を持っている、ということは揺るがないと思う。その核となっていた何かは、紅玉を飛び出して――そうだね、行方不明になっている。あるいは、その核を呼び戻せれば、〈復元〉は有効である可能性もあると思うよ」
終始穏やかなトーンで紡がれる晃貴の言葉を、泰奈は真剣な面持ちで聞いていた。そう言えば昼休みに、担任の三角も言っていた。
泰奈に目覚めた能力を知ることが、紅玉の正体を知る近道になるのではないか、と。それが判れば――打つ手が見つかるかもしれない、と。
「…………」
泰奈は自分を落ち着かせるように、深く呼吸をする。それから、強い意志を秘めた目で有寿を見、そして晃貴を見た。
「……私、その核が何なのかを知りたいです。私に覚醒した能力も、この紅玉の正体も、全部。両親にはもう何も聞けないし、祖父母にも――聞いていいのか判らなくて、聞けずにいますけど……」
祖母の鶴季の悲しそうな瞳を思い出し、同時にそれ以上踏み込んではいけないと直感的に察したあの日の自分の感情までも、鮮明に思い出す。鶴季のあの切ない表情は、できればもう見たくない、と思った。
「……私に目覚めた能力を知ることが手掛かりになるのだとすれば、まずはそれを知りたいです」
紅玉のことを祖父母に直接尋ねるのは、最終手段にしよう、と泰奈は決意した。理由は説明できなかったが、そこにはなるべく自力で辿り着くべきなのだろう、と感じた。
「ふふ、そう来なくっちゃ。もちろん私も兄さんも、協力するわ。ね、兄さん?」
有寿が右手を胸に当てて言い、晃貴もにっこりと頷く。
「まあ、僕にできるのは、仮説を立てることくらいなんだけれどね。けど意外と、何かを整理するのに役立つこともあると思うよ」
「兄さんは不思議な力のことを、無駄に色々勉強しているものね」
「あはは、無駄に、は余計だよ、有寿」
頼もしい味方を得たことに、泰奈は胸をなで下ろす。
紅玉が割れてしまったあの夜から、ずっと心細かった。特高への編入が決まり忙殺されていたが、思えば心がきちんと休まる暇がなかった。それが特高への編入とともに頼りになる先輩に出会い、親友にも再会し、こうして暖かい場所に居る。
「……ありがとうございます、有寿先輩、有寿先輩のお兄さん」
深々と頭を下げた泰奈を、二人は優しい顔で受け止める。
「あはは、晃貴でいいよ。さて、遅くなってしまったね」
「兄さん、泰奈ちゃんをお家に送ってくれるわよね?」
「最初からそのつもりでここまで連れ回したんだろう、有寿? じゃあ、月丘さん――泰奈ちゃん、お家の方も心配しているだろうし、送るよ」
晃貴が立ち上がり、泰奈も礼を述べて立ち上がる。車には有寿も乗り込んだ。
念のため連絡は入れていたが、鶴季が心配そうに玄関先で待っていた。晃貴と有寿が挨拶すると、
「まあ、遠江津神社の――」
鶴季は驚き、頭を下げる。遅くまですみませんでした、と二人が言って帰っていくと、鶴季は泰奈の背中に手を添えた。
「泰奈ちゃんに素敵なお友達ができて、安心したわ」
「ありがとう、おばあちゃん。心配かけてごめんね」
泰奈は鶴季とともに、玄関をくぐった。
このエピソードで第一章が終了しました。
次回から第二章、物語が本格的に動き始めます。
見守っていただけましたら幸いです。
よろしければ評価やブクマ、リアクションなどで応援していただければ励みになります!




