6 放課後の喫茶店
特高での初めての部活動を和やかに終え、帰宅しようとした泰奈を有寿が呼び止めた。
「泰奈ちゃん、良かったらもう少し話さない? 実は私、よく行く喫茶店があって、ぜひおすすめしたくて」
「いいんですか? じゃあ、ぜひ」
有寿はレトロなものを好むようだった。そして泰奈も、このご時世に紙の本にこだわるような趣味である。
連れ立って校舎を出て、往来の激しい通りを過ぎる。
有寿に導かれた閑静な通りに、そのこぢんまりした喫茶店は静かに佇んでいた。ドアを開けると、ドアベルがころん、と音を立てた。
「――おや、いらっしゃいませ」
カウンターの中から、白髪交じりのマスターが穏やかに出迎える。
「こんにちは、マスター」
「……こんにちは」
店内はそれほど広くない。奥の席に老婦人がいる以外は、客の姿はなかった。
有寿は慣れた様子で二人がけの席に進む。泰奈もそれを追い掛けた。
テーブルの上に置かれたメニュー表はシンプルそのもので、コーヒー、紅茶、本日のサンドウィッチ、ナポリタン、プリン、それだけだ――よく店として生き残っているものである。
「ふふ、びっくりするでしょう? でも、ここのプリンは絶品よ」
有寿は茶目っ気たっぷりに微笑んでそう言った。
「……有寿先輩は、何を注文するんですか?」
小声で問うと、
「私はいつも、この時間ならコーヒーとプリン。休みの日はランチで、サンドウィッチとかナポリタンも頼むけどね。もちろんこれも美味しいのよ。泰奈ちゃんは何にするか決めた?」
有寿は優しい笑みを浮かべた。
「じゃあ、私も、コーヒー……あ、やっぱり紅茶にします、紅茶とプリンで」
泰奈が答えると、有寿は頷いてからマスターに声を掛けた。大手のファミレスやカフェとは違い、端末で注文するわけではないようだ――店の規模を考えれば当然かもしれなかった。
「お決まりですか」
老マスターはしなやかな動作で有寿たちの席にやって来ると、落ち着いた声で言う。
「はい。コーヒーを一つ、紅茶を一つ、それからプリンを二つお願いします」
「ありがとうございます。すぐにご用意します」
丁寧に言って、カウンターの中へと戻っていく。
「……そう言えば」
マスターの背中を見送って、泰奈はその視線を有寿に向けた。
「有寿先輩は、どういう能力を……?」
「ああ、言ってなかったわね。私の能力は〈退魔〉よ。私は神社の――遠江津神社って知ってるかしら? そこの娘なのだけど、家系的にそういう能力を受け継ぎやすいみたい。ほら、昔は能力の発現って今とは少し違ったって、中学で習ったでしょう?」
有寿の言葉に、泰奈は頷く。神社の存在も知っていたし、中学で学習した知識もあった。
数十年前までは、十五歳になると何らかの能力に目覚める者がいる、という現在では当然の前提が、そもそも存在しなかったそうだ。それでも超能力と呼ばれる類のものの持ち主は存在していた。その多くは生まれつきであり、遺伝が関係している者もいれば、関係なく発現する者もいたとされている。中学一年の授業で習った。
それがいつしか、能力の発現は十五歳、という現在の常識に移り変わった、と教科書に記載があった。ゆるやかな人類の進化とも呼べるのだそうだ。
「そうそう。うちは、その生まれつきの能力者がたまに出る家系だったらしいの、元々」
有寿は頷きながら言った。
そこへ、マスターがトレーに載せた飲み物とプリンを運んできた。
「お待たせいたしました。こちらがコーヒーとプリン、こちらが紅茶とプリンですね」
「ありがとうございます」
有寿たちは会話を中断し、それらを受け取る。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
老マスターは柔和な笑みとともに言うと、またカウンターの中へと戻っていった。
「……まずは、冷める前に」
言って有寿は、コーヒーカップを手に取る。泰奈もそれに倣い、ティーカップを手に取った。ふわ、と芳醇な香りが広がる。いただきます、と小さく言うと、泰奈は一口飲んでみた。
「…………!」
思わず目を見開く。有寿は満足そうな微笑で、
「……ね、美味しいでしょう?」
「はい、すごく」
「マスターの仕事がとても丁寧なの。プリンも食べてみて、びっくりすると思うわ」
言われるままに泰奈はプリンをスプーンで掬い、口元に運ぶ。
固めのプリンは濃厚な味わいで、程よい弾力ののちにすっと溶けた。しっかりと焦がしたカラメルソースが、ちょうど良いアクセントになっていた。
泰奈が言葉にする前に、その表情で有寿は彼女の感動を読み取り、にこにこと笑う。
「ふふっ、泰奈ちゃんを連れて来て良かったわ」
「こんなに美味しいプリン、初めて食べました」
「安定した大量生産技術の発展もすごいんだけど……逆に貴重でしょう? こういうの」
有寿の言う通りだ、と泰奈は頷いて同意の意を示す。効率化が最重要視されがちだが、だからこそ古き良きものを求める層も存在する。泰奈はどちらかというとそちら側だし、有寿に関してもそうだと確信した。
「……あ、そうそう、それで、能力の話だったわね」
自分もプリンを一口味わってから、有寿は話を戻した。
「私の曾祖母なんかは、生まれつきの退魔能力持ちだったらしいわ。けどもちろん、当時はそういう異能については隠していたみたいね。異能に対する社会からの理解もなかったみたいだし。それで、巫女として神社に仕えていたと聞いてるわ」
泰奈はなるほど、と頷いた。
「確か20年くらい前までは、能力とか能力者の存在は社会に伏せられたまま、日本だと政府機関と警察庁の極秘の部署に、能力者が集められていたんでしたよね」
「そう。今ではすっかり公の存在だけどね。私の〈退魔〉に関連する歴史上の人物は、ほら、教科書にも出てきた――」
「確か、秩序の魔術師……警察庁に所属していたんでしたよね。けど、ある時期を境に記録が残っていないとか、それは意図的に残されなかった歴史だとか……」
「そうそう。私は彼女に憧れてて。だから特殊公務員として警察庁を目指すと決めたの。彼女が所属していた部署は、今では特殊公務員の花形だもの」
泰奈もそれは知っていた。能力に覚醒した少年少女たちがまず夢見る特殊公務員と言えば、政府直轄機関である特務課の職員か、警察庁特捜部への所属、あるいは異能を用いる医師、もしくは研究職である。
「すごいですね、有寿先輩」
文芸部で触れた彼女の童話はどことなく幻想的で柔らかいものだったが、彼女自身には心の強さがある、と泰奈は見た。
「別にすごくはないわ、まだただの夢だし」
ふふ、と有寿が笑う。
「……私は、本当に能力に覚醒したのかどうか、まだ不安です」
ぽつりと漏らした本音を、有寿は優しく包んだ。
「大丈夫よ、泰奈ちゃん。監督局はミスをしないし、自分に目覚めた能力を自覚するのにも、大抵はみんな時間がかかるものよ。焦る必要なんてないわ」
「そう、だといいんですけど……」
「そうよ……あら?」
有寿はそこで首を傾げる。
「……また、何かの気配……?」
「気配?」
「……けど、おかしいわね、さっきまで何も……」
「有寿先輩?」
「……! 泰奈ちゃん、それは……」
しばし怪訝そうな表情を浮かべていた有寿の目が、泰奈の制服のリボンに――否、これはリボンにではない――
「それは……ペンダント……?」
制服の下に隠れている、紅玉を包んだ布袋のペンダントを捉えた。




