第六十三話 二時十三分の門
「三人やない。二人と一個や」
佐和が言った。
人間二人と器物一個。
執行体の三つ星が同じように光っても、同じ対象にはしない。
榊は治療を受ける人間で、律は自分で移動を選ぶ人間。耀盌は意思を確認できない保全物である。
言葉を変えただけで星が消えるとは、誰も期待しなかった。
それでも、助け方は変わる。
耀盌を救うため榊の治療を止めない。律を守るため器を破壊しない。榊を運ぶため律を縛らない。
午前一時五十五分。
執行体と耀盌を離す作業が始まった。
入口前に、保線用の短いレールを一本だけ戻す。その先は窯場の古い粘土採り穴へ向けた。正式な側線ではない。枕木の間隔も違い、継目板は片側しか留めない。
穴の縁には、焼成を終えた窯道具を積んだ無人の荷車を置く。
機関車の鎖で荷台を傾ければ、熱い陶板が穴へ落ちる。人は十五間以内へ入らない。蒸気は使わない。風向きが変わるか、執行体がレールを外れたら中止。
目的は空殻を焼き払うことではない。
すでに凍っている外殻へ不均一な熱を与え、亀裂を広げ、胸へ食い込んだ耀盌を落とす。
「器も割れるぞ」大橋が言った。
政一は耀盌を遠目に見た。
「割れるかもしれん。せやけど、あの器を完全なまま残すために人を取らせたら、保全やない」
三方の保全担当が確認する。
器物破損の可能性を受け入れる。人命へ危険が出たら作業を止める。落下後も、誰か一人の所有物にはしない。
律は決定へ加わらなかった。
自分が移送対象である以上、器の処置を自分の救命のために決めた形にしないためだった。
レールの先が入口へ触れる。
執行体が動いた。
右手の耀盌を胸へ抱え、白い足をレールへ載せる。凍った火の間を抜け、一歩、二歩と進む。
霜が鉄を覆う。
枕木の間隔が変わる場所で、一度止まった。
「標準軌道、不成立」
緑骨が足から伸び、次のレールまで自分で橋を作る。
碧の知らない機能だった。
「中止するか」駅長が聞く。
政一は風を見る。大橋は人の位置を見る。保線員は鎖の張りを見る。
それぞれ異常なし。
三人が別々に継続を答えた。
執行体が粘土穴の縁へ入る。
機関士が機関車を半間進めた。
鎖が張り、荷車の底が持ち上がる。
熱い陶板が一枚ずつ滑り落ちた。
一度に落とさない。
最初の一枚は執行体の左へ落ち、粘土から蒸気を上げた。二枚目は背後。三枚目が右脚へ触れる。
白い外殻に黒い筋が入った。
執行体は火を凍らせるときと同じように、陶板を〈熱源〉として固定しようとした。
しかし一枚は窯棚、一枚は失敗した甕の底、一枚は曲がった焼台。温度も厚さも違う。
全部を同じ速さでは冷やせない。
空殻の左側は凍ったまま、右脚だけが急に熱を受ける。
亀裂が腰へ走った。
執行体が腕を上げる。
緑の光が機関車へ伸びた。
〈牽引車両〉
機関車の車輪に霜が付く。
「鎖を切れ!」
機関士は汽罐のそばに残っていた。保線員が長柄の斧を振り下ろす。鎖は一撃で切れず、二撃目で外れた。
その間に、凍結した注水管が破裂した。
熱水が運転台へ噴く。
機関士は避けきれず、左肩を押さえて転がり降りた。駅員が筵を被せ、線路から引く。
荷車は半分傾いたまま止まった。
まだ陶板が三枚残っている。
「続けるな!」駅長が叫ぶ。
人命危険で中止するという条件が先にある。
政一も大橋も異議を出さない。
成功しかけていても止める。
消防組は機関士を産院へ運ぶ。左肩と首に熱傷。意識あり。仕事へ戻すかは志乃が決める。
執行体は粘土穴の中で立っていた。
外殻の半分が割れ、緑骨が露出している。胸の耀盌も縁まで見えたが、まだ落ちない。
午前二時二分。
町内組の男が、残りの荷車を手で押そうとした。
政一が前へ立つ。
「行かせてくれ。今なら落とせる」
「決めた距離より中や」
「あれを放っといたら全員——」
「全員いうて、あんた一人を数から外すな」
男は唇を噛んだ。
代わりの手段を探す。
機関車は使えない。人も近づけない。荷車を傾ける鎖は切れた。
学校の生徒が、校庭で使う綱引きの綱を持ってきた。一本では長さが足りない。寺の鐘綱、窯場の滑車綱、消防の麻縄を結ぶ。
同じ太さでも、同じ結び方でもない。
切れる可能性があるため、三本を別角度から掛ける。一本が切れたら全員が手を離す。引く者は直線上へ立たない。
午前二時七分。
三組が綱を引いた。
荷車が少しずつ傾く。
執行体が右手を伸ばした。霜が綱へ移る。
学校の綱が最初に硬くなる。
教師が手を離す。生徒も離す。
残り二本だけで荷台は戻りかけた。
寺の僧たちが歩幅を変え、窯場の組が滑車を一段送る。
最後の陶板が落ちた。
執行体の胸へ、正面から当たる。
白い空殻が砕けた。
耀盌が緑骨の間から外れ、粘土の上へ転がる。
割れてはいない。
器が空殻から離れた瞬間、軍帽の星が一つ消えた。
律の右目の痛みが軽くなる。
榊の素焼き片は光ったまま。
「一つ切れた」佐和が記す。「何の接続かは未確認」
空貨車では、春夫が碧の腕へ引いた炭線を確かめた。白い範囲は肘の手前で止まっているが、戻ってはいない。榊の脈は十六。律の右目から流れていた血は減ったものの、視界の緑線は残っていた。
耀盌と空殻を離せば、三者すべてが助かるわけではない。
ただ、執行体の胸に器がある状態と比べ、律の痛みだけが弱くなった。
片山は〈第一星は耀盌接続の可能性〉と書き、横に大きく〈未確認〉を添えた。碧の腕が止まったことは、時刻の経過、距離、筵で視線を切った影響かもしれない。
一つの好転を、三人分の因果へ広げない。
勝ったとは書かない。
空殻は上半身だけで動いている。緑骨の腕を粘土へ突き立て、耀盌へ這おうとする。
消防組は穴へ水を流さなかった。凍れば耀盌まで一本の面になる。
代わりに乾いた窯灰を上から落とす。器と空殻の間へ、不揃いな灰の山ができた。
午前二時十分。
駅の時計が、突然止まった。
長針は十。短針は二時を少し過ぎた位置。
止まっただけなら二時十分である。
ところが文字盤の内側に霜が生え、長針をゆっくり三分先へ押した。
二時十三分。
寺の時計は二時八分だった。鐘楼の歯車が逆に回り、五分進む。
志乃の腕時計は二時十一分。白い輪が手首から文字盤へ移り、秒針が二周した。
三つの時計が、同じ時刻に揃えられる。
「時刻標準化」
粘土穴の空殻が、割れた口で告げた。
人間がどの時計を信じるか選ばないなら、監察者が全部を同じ時刻にする。
「時計を壊せ!」誰かが叫んだ。
駅長は駅の時計を外さなかった。
寺も鐘楼へ走らない。
志乃は腕時計を投げなかった。
壊せば時刻表示は消える。だが、移送条件が止まったかは確認できない。監察者にとって時計が必要なのか、人間に二時十三分を信じさせるだけでよいのかも分からない。
三人は、揃えられる直前の時刻を別々に残した。
駅、二時十分。
寺、二時八分。
志乃、二時十一分。
その後、外力で二時十三分へ動いた。
同じ文字盤でも、同じ時間を過ごしたことにはしない。
午前二時十三分。
正しい時刻ではなく、三つの時計がそう表示した瞬間。
耀盌の上に、緑の円が開いた。
円の向こうに夜はない。
黒い大地と、氷の平原。空の彼方に、針先ほどの黄色い光がある。
石造りの門が一つ立っていた。
門前には、人の形をした影。
影が片手を上げる。
粘土穴から三本の緑線が飛び出した。
一本は耀盌へ。
一本は榊の物置へ。
最後の一本は、割れた器の山に立つ律の右目へ。
律の視界から、町が消えた。
代わりに、遠い黄色い太陽を背にした門が見える。
門の影が、地球では聞いたことのない声で告げた。
「第三観測片、帰還経路を確認」




