第二十九話 四枚目を裏返す
四枚の札は、同じ向きに置いたときだけつながった。
表には耀盌の手順。裏には持ち主の名と、最後に内容を確かめた日。どれか一枚を伏せると、銀線は途切れ、残りの札もただの焼き物へ戻る。
律はその晩、札を四か所へ分けたまま試した。
窯場に佐和。畑の小屋に夜番。乾物屋に安達。東の寺に置く分は律が持ち、寺の僧に見届けてもらう。四人が決めた時刻に、札の表へ水を一滴落とす。
離れていても銀線は光った。
律の右目に、三つの場所が重なる。佐和の背後では窯の火が落ちている。夜番の小屋では鼠が米袋をかじり、安達の店では吊した昆布が揺れている。未来ではない。四枚の札が今置かれている周囲だけだった。
「見られてる感じ、する?」
翌朝、佐和が聞いた。
「背中が少し寒かった」
「それ、あかんのと違う?」
「俺からは背中しか見えませんでした」
「顔ならええって話やない」
手順へ新しい一文が増えた。接続するときは、札の持ち主に何が見える可能性があるか伝える。持ち主は理由を言わずに札を伏せられる。伏せた者へ、再開を強要しない。
政一が首を傾げた。
「誰が伏せたか分かるんですか」
「今のところ、分かりません」
「じゃあ、一人が嫌がったら、残り三人は犯人捜しするかも」
律は犯人という言葉を消させた。だが問題は残る。止める権利があっても、使ったことで責められるなら、誰も止められない。
四人は、接続が切れた場合は理由を尋ねないと決めた。次に使うとき、四人全員が改めて札を表へ向ける。それまでは停止したままにする。
昼までに、警察へ報告する期限が近づいた。
銀片が四枚へ移った可能性を伝えれば、札も持っていかれるだろう。伝えなければ、提出時に変化した証拠を隠すことになる。
安達は報告に反対した。
「耀盌は渡した。向こうは力が移ったことに気づいていない。今なら、この町で使える」
「誰に隠して使うんです」律が聞く。
「役所にだ。人を救うためなら、多少のことは」
「昨日、その言い方を消しました」
安達は机を叩いた。「規則を守って、また災害が来たらどうする。器を奪った者が責任を取るのか」
「規則を捨てて、外れたら誰が取ります」
言い争いの途中で、四枚の札が鳴った。
誰も水を落としていない。
窯場の札から銀線が伸び、畑、乾物屋、寺の方向へ走る。律の右目に、自動車の荷台が映った。
耀盌を運ぶ車だ。
山際の道で止まり、制服姿の男が運転手へ紙を渡している。紙には橋が壊れたため北の旧道へ回れと書かれていた。片山は紙を読んでいる。三宅は先を急げと命じる。
旧道の先には、地震で崩れかけた木橋があった。
橋の下から緑の目が覗いている。
像はそこで切れた。
「今のは未来?」佐和が問う。
「分かりません。現在かもしれない」
「場所は」
「山と橋だけです」
安達が札をつかんだ。「見れば、もっと分かる」
「目的を書いていません」
「書いている間に車が落ちる!」
律も焦っていた。だが、無面は耀盌が空だと知らない。車を事故へ誘えば、警官も役場の書記も巻き込まれる。
佐和が紙へ一行書いた。
〈耀盌運搬車が、偽の迂回指示で危険な橋へ向かう可能性を確かめる〉
「これでええ?」
夜番と安達へ確認する時間はない。
それでも札をつなぐには、四枚が表を向いている必要がある。律が水を落とすと、銀線は二本だけ光った。
一枚が伏せられている。
「誰?」安達が叫んだ。
返事はない。
律は接続をやめた。
理由を尋ねないと決めたばかりだ。最初の危機で破れば、止める権利は最初からなかったことになる。
「駅へ行きます」
「盌なしで、どうするん」
「警察へ電話か電報を頼む。車の場所は向こうで分かります」
律と佐和は駅へ走った。
地震で電話線の一部が切れ、府まで直接つながらない。駅員は警察の用件ならと、次の駐在所へ電話を回してくれた。律は、北旧道への迂回命令を受けても、命令元と橋の状態を確認するよう伝言した。
「誰からの情報だ」
受話器の向こうで聞かれた。
律は一瞬迷った。
「佐々木窯の水城律です。片山巡査部長が知っています」
自分の名を使った。
受話器の向こうは、それだけでは伝言を受けなかった。
「水城律という名は、役場の仮名簿にない。本人だと確認できる者は」
名を消された影響が、ここでも残っている。
佐和が受話器を奪った。
「佐々木窯の佐和です。昨日、片山さんがうちへ来た記録を見て。同行した役場の書記も知ってる」
「姓は」
佐和は舌打ちし、自分の姓と住所を告げた。次に駅員が代わり、二人が目の前にいること、地震後の警告文を駅でも受け取ったことを説明する。さらに駅長が帳簿を開き、片山から前日に問い合わせがあった時刻を読み上げた。
一つの名では足りない。
四人の話をつないで、ようやく伝言は次の駐在所へ送られた。
「運搬車の現在地までは分からない」
電話の向こうの巡査が言った。「街道の二か所へ連絡する。だが片山巡査部長本人が乗っていなければ、車を止める権限はない」
「本人が乗っています」
「それを、こちらでは確認できん」
堂々巡りだった。
駅長が電報用紙を出した。
〈北旧道、橋損傷ノ恐レ。迂回命令ハ発信元ヲ照会セヨ。佐々木窯、役場田所、亀岡駅立会〉
短い文へ、駅の受付印を押す。田所は寺にいるため、すぐ署名をもらえない。そこで〈田所立会〉を消し、確認できた亀岡駅だけを残した。情報の信用を増やすために、いない人の名を借りれば、偽調書と変わらない。
電報が送られるまで、律と佐和は駅の待合室にいた。
線路点検で列車は止まり、帰れない人が十人ほど座っている。幼い子が泣き、母親が乾いた芋を少しずつ食べさせていた。律は、もし車が橋へ落ちればどうなるかを考え続けた。耀盌を使わなかったことを、後で責められるかもしれない。使った結果が偽道なら、もっと早く橋へ誘ったかもしれない。
佐和が待合室の時計を見た。
「今は、送った電報しかない」
「間に合わなかったら」
「間に合わんかった記録も残る」
慰めにはならなかった。それでも律は、もう一度札をつなぐため窯場へ引き返すことをやめた。
伝言が届く保証はない。電話を切ったあとも、律の耳には木橋の軋む音が残った。
窯場へ戻ると、伏せたのは夜番だった。
老人は謝らなかった。
「小屋で、死んだ女房が見えた」
札をつなぐ前、銀線の中に妻が立ち、表へ返せと言ったという。無面の罠かもしれない。天目の回声かもしれない。ただの記憶かもしれない。
「だから伏せた」
「それでいいです」律は言った。
安達は納得できず、老人を責めた。律と佐和が間へ入る。手順札は、その日の接続を停止したままにした。
夕方、片山から電話が入った。
運搬車は山道で迂回命令を受けた。三宅は旧道へ向かおうとしたが、片山が次の駐在所へ照会し、命令が存在しないと確認した。車は橋へ入る前に止まった。
「耀盌の箱から、人の声がする」
片山は電話口で言った。「三宅警部補は、君たちにもう一度立ち会えと言っている」
律は四枚の札を見た。
夜番の一枚だけが伏せられたまま、静かに冷えていた。




