第三話
部屋の扉が重く、ゆっくりと閉まっていく。
一歩入るだけで心臓がぎゅっとなる。ああ、なんというか……久しぶりの感覚だ。
始めたての頃はこんな恐怖しょっちゅうあったな。
私は目を閉じ、呼吸を整える。顔を傾けて片目を細める。緊張しているのだろうか?少し偏頭痛がする。
目の前の敵は、とんでもない大きさだった。圧力に揺られる視界から見ても、白い胴体とそれ以上に皆を魅了する、美しい赤い目。そこから無尽蔵に溢れるとんでもない威圧感。ラスボスと同じぐらい、いやそれ以上かもしれない。
あれ使うか。
私はインベントリから一つのハンマーを選択する。手のひらから伸びるように光が集まる。
【ヘムビート】——普段は使わない本気武器だ。久しぶりに触る。
私は1度手でくるくると操る。うん、やっぱこいつが手に馴染む。
1番のお気に入り。だからこそ、気分が乗らないやつに本気を出したくない。最初は使ってたけど、あの時以来、暴れる機会がなかったから仕方なく封印していた。
今までかなりの新武器が出てきたが、これを超えるやつはなかった。唯一無二の私だけの武器。
そうして武器を強く握りしめ、構える。そういう時でないのはわかっているが、やっぱりこの武器を持つと安心するわ。
「さあやろう!」
力の入った足が地面を砕き、スピードを出す。私はボス目掛けて飛び出した。するとボスはその口から、周囲に咆哮をまき散らしてきた。どうやら向こうも私を敵と認識したようだ。
ボスは頭上に糸を集め鋭い刃を作り、こちらに放つ。放たれた刃は真っ直ぐこちらに向かってきた。安直で駆け引きもクソもない攻撃だった。
「こんなん余裕でよけれるわ!!」
私はすぐに体を翻し、かすることもなく刃は地面に衝突した。
しかし、その攻撃はそれだけではなかった。地面に刺さる刃を確認すると、
「はあ?」
なんと刃はほどけるように形を崩し、小さな蜘蛛になった。
着弾すると、小さい蜘蛛になって襲い掛かってくると?しかもこいつらダンジョン道中にいたのよりも早い。
刃から現れた蜘蛛をいなしながら体勢を立て直す。これは避けるだけじゃだめなやつだ。何とかして地面につく前か、蜘蛛になる前に叩き潰さないといけないのか。
こうしている間にもボスから大量の刃が放たれた。数本は私の元に、それ以上の数が地面に突き刺さった。
「もう邪魔ぁぁ!!」
めんどくさい!!なんてやつだ。攻撃を避けられた保険とかでもなく、小さい蜘蛛を出すスキルなのか?
そう思えるほど、小さな蜘蛛はどんどん増えていった。
何とか蜘蛛になる前に刃を叩くが、それに夢中になっていると——
「っぶな……!」
横から何かの攻撃がかすった。すぐさま距離をとる。地面に手をつけ顔を上げると……
見れば入り口のそこそこでかい蜘蛛じゃないか。
ボスは刃を作るものとは別の足を使い、同時にこいつらも作っていたようだ。
糸を操り、蜘蛛を生み出すでかいボスねぇ……
「さしずめ、ホワイトスパイダークイーンか?」
こういう奴は大体女王と呼ばれるんだよな。実際のこいつの名は?
そう思ってボスを見たとき、表示は〈BOSS〉だけで、名前は表示されなかった。
頭に?マークが現れる。この運営にしては荒い作りだな——と思った次の瞬間、ボスの表記にノイズが走る。すると突然【ホワイトスパイダークイーン】が浮かび出てきた。
——待て、今名前が追加された?
そんなこと、このゲームで一度もなかった。
マジでなんだ?ここは何かがおかしい。なにかが——
しかし、そんなことを考えている余裕もなかった。ボスはどんどん攻撃を強め、蜘蛛は数を増やしていった。
だがそれだけなら、まだマシだった。こいつは腹の先から糸を出し、ひとつに丸め始める。
「一体なんだ?」
まさかどデカい1発の準備だろうか。この状況ではまずい、止めなくては。
そう思っていると奴は、丸めた糸の集まりをかかげ、四方八方に噴射し始めた。
目の前に白銀の閃光が走り抜ける。
「なっ」
頭を全力で下げ、危機一髪で避ける。全方向広範囲に向けた攻撃だ。
しかしこれはまずい。
なんとその噴射された糸は壁床あちこち張り付き、まるで針金のようにこのステージを埋めつくした。
目の前にある糸は光を反射して銀色に輝き、どう見ても触れれば切れそうなほど細く鋭い。
私はいつもハンマーを大きく振り回す。
だが空間が制限された今、とてもじゃないが大振りの動作なんてできない!
急いで蜘蛛の居ない壁に張り付き時間を稼ぐ。
状況を1度整理しよう。下には多くの蜘蛛。目の前には、張り巡らされた糸の壁。そして、その奥に——堂々と構えるボス。糸は武器を変えればいいんだろうが、はなっからそんな選択肢はない。
そう、落ち着つけばいい。
「ほら。糸の隙間をしっかり見ればその間は思ったより空いているんだ。これならいける。
小さい蜘蛛のせいでめちゃくちゃ体がだるいが!!まずはこの蜘蛛どもを片付けよう」
私は【ヘムビート】を小さくした。
私の相棒ならこんぐらいできなきゃね。
スピードを出して壁をさらに駆け上り、上から地面に向かって糸の間を軽やかに抜けていく。
余裕ができた空中で小さくなったハンマーを軽く握り返し、狙いを定める。
【ゼロ・レイヤー】
ハンマーは地面をえぐり取り、蜘蛛たちはその衝撃に耐えきれず消滅していった。
これを1回、2回。回数を重ねていくにつれ、蜘蛛たちはまるで溶けていくように消える。
本領を出せたら1発なのに。
そんな不満もあったが、あれだけいた蜘蛛が今はボスだけだ。しかし無傷ではない。あれだけいたのだ。HPの三分の一が削られた。しかも体が重い。
このボスが作った蜘蛛のデバフは持続するようだ。さっきは気合で乗り切れはしたが、呼吸を整えた今、あのスピードは出せないだろう。
くそ。いつできたか分からない体中の傷口から、血の代わりにキラキラとした粒子が空中に消えていく。
HP残量を気にしながら、ボスとの睨み合いを続ける。
ボスは刃も蜘蛛も作ることをやめた。
私が疲れて体も重い状態から、簡単に踏みつぶせるとでも思っているのだろう。
糸も邪魔だと言わんばかりに巻きとっていく。
はっ、私も舐められてしまった。だが残念だったな。お前が相手にしている敵はそう簡単じゃない。
スピードを出せないなら、攻撃を正面から受ければいい。私にはそれができるのだから。
私は邪魔なマントをインベントリにしまい、
再び大きくしたハンマーを構え上から私目掛けてやってくる前足を受け止める。
なんて重い“重力”、これが隠しボスの力か。
私の体はまた熱が入り、思い切りこの足を跳ね返す。ボスは想像以上のカウンターにバランスを崩し、壁に衝突する。
巨体が壁にぶつかった衝撃で地面が大きく揺れる。何とかバランスを保ちながら顔を上げる。感情はわからないが、多分驚いてるんじゃないか?
自分は強い、こんなやつ簡単に倒せるとでも思っているのだろう。まるで私みたいだ。
ボーッとしてたらいけない、さらに追撃を加えなくては。
疲れで色々行動がなげやりになる。重い体でハンマーを引きずり、急いで近づく。
ボスの懐に入り込み、ハンマーを振るいあげた。
その時だった。
私の存在に反応したのかボスはまた咆哮し、衝撃波を放った。
「がっ......」
まずい、もろに受けてしまった。体は壁に衝突、心臓を中心に大きく痺れが全身に広がる。HPを削った上に、頭がくらくらする。咆哮によるスタンが入ってしまった。
弱っていく私とは対照的にボスはなにか技の準備をし始めた。
目の前に制限時間を示すバーが現れた。ボスがため攻撃を始めると出てくるやつだ。
ああ、私がスタンしている間に終わらせるつもりなんだろう。実際、スタンを終え、攻撃してもきっと間に合わない。
ボスはこちらに向き直る。光が最高潮に達した。
「来る」
そうして放たれた攻撃は地面をえぐり、岩を飲み込み、私に向かって一直線に放たれた。
それは淡く粒子を帯びた真っ白な光線だった。
攻撃はとても速かった。しかし私が見た目の前の攻撃は遅い。スタンで頭がいかれたのか、あまりの美しさに目が離せなかった。
しかし、スタンがなくなるとようやくこれが攻撃だということを思い出し、私は、これまた間一髪で避けることに成功した。
呼吸が荒くなる。震えが止まらない。
危なかった、死ぬかと思った。
これはボスが馬鹿正直にまっすぐに狙ってくれたおかげで助かった。
なんか、こういうとこもなんか似てるな。大事な部分で失敗しちゃうとこ。
だがやはり私とは違う。私はその後リカバリーを完璧に行うんだ。
私は一つの決心をした。
謎のメールにあったスキル【Change pick】、このスキルをこいつに使う。
このスキルを使うことは、負けの逃げになる。まあわかってはいるさ。
よく勘違いされるが今までデスがなかったのは、私が強く、他を圧倒してきたからではない。
常に存在する”負け”に、しっかり保険をかけてきたから。
躊躇はした。このスキルが何かはわからない、もしかしたら使えないかもしれないから。
だが生き残る選択肢が、あるなら使う。0デスに誇りはある。だが、こだわりはない。それで終わったとしてもそれが私の選んだ道なんだ。
そして今の私は死にそうだ。さっきは偶然避けたが正直、もうできる気がしない。
だがまだいくつも生き残る選択肢が残っている。その一つをここで使う。
あの存在はこのゲームどこを探しても存在しない隠しモンスター。そして何より強い。
私に似ているところも、なんだか愛着を感じる。何よりあの赤い目。どこかで見たような忘れられない瞳が、まるで私を選んでと言っていた。
「はは、面白い冗談だ」
しょうもない考えはやめよう。私はお前にする、そう決めたんだ。
スキル【Change pick】
使用するとモンスターの名前が表示され、選択ができるようだ。
私は目の前の【ホワイトスパイダークイーン】に照準を合わせる。そういえばさっきの攻撃からこいつは何もしてこない。
ただじっとこちらを見つめている。
──まるで、待っているかのように。
まあいいや。もうまさかなんて考えたくない。ミリのHPに状態異常モリモリで疲労マックスなんだ。
「頼むよ――」
そうして私はくらくらする頭で決定ボタンを捉え、押した。
ピコンと音が鳴りボスは光に包まれ、体からまた光がぽつぽつと溢れ出ていく。
これで……終わった。
ボスの体は段々と小さくなっていった。
そしてその真っ白い光は私の所までやってきて、全てを覆いつくした。何がどうなっているのか。
私は、その光に身を任せ、目をつぶった。さっきまで気を張っていたからか、この暖かさに心が落ち着く。疲れが溶けていく。全身から力が抜けていった。
しかし優しい時間の終わりは一瞬だった。突然視界が開けた。光の中から放り出され、少しよろけてしまう。
「な、なに???」
そして周囲の変化に驚いた。ここは石造りのダンジョンではない。
その時私は一面黒で覆われた謎の部屋にいた。
明かりは見当たらないが、周囲をしっかり確認できるほど明るい。床はふかふかのカーペットに周りはとても暖かった。さらにさっきの戦闘でたまった疲労を一切感じない。
場所が変わったという問題もそうだが、もっと大きい変化に気が付いた。
「なにこの姿……」
頭には、つばの広い帽子。
服は——どう考えても動きにくいマーメードドレス。
視線に入る髪の毛は胸前ほどの長さがある。
てるてるの私は帽子はつけず、動きやすいショートズボンだ。
共通点は髪の色だが、長さがどう見ても元々のショートと呼ばれる長さではない。
つまり、今の私はてるてるじゃない...?
急いでインベントリから鏡を取り出し確認する。
そこに写ったのはてるてるの時のような無邪気な幼さがなく、きりっとしながらどこか強さを感じる美人さんだった。
「どう考えてもおかしいわ!!」
このゲームはVRであるからアカウントは一人一個しか作ることができず、髪型や目の色は変えられるが、顔の形は変えられない。
なのに、今の私はどう見てもてるてるではない。
頭がぐるぐるする。突っ込みどころが多すぎて処理できない。
そんな時だった。ゆっくり、どこかからか足音が聞こえてきた。
そう。ずっと違和感はあった。
でも考えたくなかった。
これまでのすべて、この状況のために仕組まれていたのだろう。
私は足音が聞こえるほうにまたゆっくり顔を上げた。
そこには——一人の男がいた。
そいつはまるで最初からそこに存在していたかのように、空間に溶け込んでいた
黒いスーツを身にまとい、濃い紺と細い赤のストライプ柄のネクタイが覗き見える。背筋はしゃんと伸び、両手を太ももの前で重ねている。
口角は上がっているのに、その目はこちらを見据えていた。
あまりにこのゲームの世界観にあわない。
NPC、ではない。なんとなくわかる。これは生きている、人。
この男が私を弄んだやつか。私を...。文句を言わないと気が済まない。
そう口を開こうとしたとき、この男は声を上げた。
「おめでとうございます!最高の悪役てるてる様。あなたはイベントボスに選ばれました!」
でかい声と衝撃に体がピシッと石のように固まる。あっけにとられてしまった。
なにいってんだこいつ?




