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安い愛憎劇はもう終わり  作者: 鉢
第三章 力
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「妖精」は実在する。けれど、小さく飛び回る愛らしいものでは決してない。

「妖」は不気味な美しさを、「精」は混じり気のない根源的な生命力を――つまり「妖精」とは、自然の力を利用する別の種族のことを指している。





「妖精王が北に現れた」


 エランドール・フェニクス公爵の一言で、神獣国は厳戒態勢へと変わる。大陸の周囲は海で、豊かな資源と土地に恵まれた神獣国に、外敵はほぼいない。唯一、北の海を越えた先に広がる深い森に住む「妖精」たち――妖精国だけが、外敵だと言えた。


「しかし一度も攻め込んで来たことは」

「周囲は海ですぞ。本当に羽根が生えている訳でもあるまいに」


 妖精には羽根がないとされている。しかし。

 黄金の光が辺りを包む。エランドールの背に黄金の羽根が大きく広がっていた。その神々しさに、皆が息を飲む。


「本当に『羽根がない』とは言いきれないでしょう」


 エランドールはすぐに羽根をしまった。

「妖精」については分からないことが多い。


――数百年前。国を挙げて未開の探索に乗り出したことがあった。フェニクスを筆頭に漕ぎ出した船は空のまま戻ってきた。正確にはフェニクスの死体を乗せて。その全てに未知の力の痕跡が残っていた。

 二度目の航海を命からがら帰還したフェニクスの証言により、妖精の存在が明らかとなった――とされている。


「『奴らに羽根はない。ただ、万物を統べる力があった。炎は奴らのために燃え、水は奴らに従った。風は奴らと共に呻きを上げ、地は奴らの意志を知る。天は我らに味方しなかった』」


 エランドールの言葉に、皆が沈黙した。

 それから何度も船を出し、時には派兵したが、分かったことと言えば、「三家以外の新たな力」の存在と「妖精王」の存在だった。彼は歳を取らない。何年、何百年が過ぎても、現れる姿は同じだった。


 そして、ほどなくして、ドラコニーが「魔力」を発見する。リリアンの母が属するベラドンナ家を筆頭に「魔法」が新たな力として確立した。三家とも結びつき、その地位は強固なものとなったが、「魔力」を以てしても、妖精の秘密は分からなかった。


「『魔力』か……」


 エランドールは静かに零す。

 幸いだったのは、妖精側からは何の反応もなかったことだ。これまで、大陸内でその姿を見た者はいない。


――しかし、本当にそうか?


 エランドールとその隣に座るアデレイド・ドラコニーだけは、魔力と妖精の繋がりについて疑念を持っていた。また、ドラコニーにも。


「今、その妖精王が姿を現した。宣戦布告か、ただの散歩か。判断できない内は、備えるしかないだろう」





 エランドールは、フェニクス公爵として北の地に戻ることとなった。国家の危機に、婚約者の歓迎会になど、興じている場合ではないからだ。

 他にはドラコニー公爵、ライオネル公爵――つまり アデレイドの母が、同行することになっている。


「私も行くわ」

「駄目だ」


 それは有無を言わせぬフェニクス公爵としての言葉だった。


「私はあなたの婚約者で、次期ライオネル当主よ。知る権利がある。それでも足りないならドラコニーの娘であることも追加するわ」

「……それでも足りないことは分かるだろう」


 エランドールは目尻を下げた。慈愛に満ちたこの瞳を、アデレイドは知っている。母が荒野の奥地へ出征した時に見せたものだった。


「『次期当主は死地に赴いてはならない』」

 エランドールとアデレイドの声が重なる。


「……あなたもそう言うのね」

「悔しければ当主になれ。待っている」


 アデレイドの背を叩きながら、エランドールが耳打ちする。


「オーネットの件だが、『何も見つからなかった』」

「!」


 反応してしまったアデレイドをエランドールが抱き締める。婚約者との別れを惜しむように。


 エランドールの胸に顔を埋めていたアデレイドが唇を寄せる。頬に触れたエランドールの手がアデレイドの口元を隠す。


「孤児院だけでなく?」


 再びアデレイドを強く抱き締めたエランドールが、愛しい婚約者の耳へ口づけを落とす。


「どこにも記録は見つからなかった」


――つまり、全ての記録が消されているということか。

 抱擁を解き、見つめ合う。


「ありがとう、エラン」

「本当にキスしてくれても良かったんだが」

「冗談が言えるなら大丈夫ね。気をつけて」


 笑顔で送り出すアデレイドの頬に、柔らかな唇が触れる。


「俺はそういう冗談は言わない」


 狼狽えるアデレイドを置いて、エランドールは出発した。





 ドラコニーは変わらなかった。

 婚約者と父が出征したことで、アデレイドの歓迎会は終演したが、「オーネットとリリアンの前祝い」だと、連日連夜パーティに明け暮れた。

 その間、男は傲慢さを、女は美しさを競った。国の危機を、中央都市はこうして過ごすらしい。


 アデレイドは一度もパーティに出なかった。華やかなドレスを着る代わりに騎士の服を借り、日々鍛錬を続けた。

――強くならなければいけない。もっと、強く。


「あら、お姉様。今日も精が出るわね」


 緋色の髪はもう見たくない。アデレイドは無視して、鍛錬に戻る。彼女が何を知っていようと、国家の危機以上に重大なことはない。


「何も話す気がないなら、もう行って」

「ふふ……残念だったわね、旦那様がいなくなって」


――まだ婚約者だけど。

 訂正はせず、アデレイドは足を動かす。汗が首筋を流れる。


「気にもしないのね。だってあなたたち、愛し合ってなんていないもの」


 汗が目に入る。拭い、筋肉の動きに集中する。


「だから、私がもっといい相手を見つけてあげたわ」

「……何?」


「ようやく興味が湧いたのね。さ、そんな服は脱いで。今日はあなたが主役よ」


 いつぞやの自身の言葉が脳裏をよぎる。リリアンの翡翠の瞳が妖しく輝く。罠か、それとも――。

 考えるだけ無駄だと思った。


「いいわ。着飾っていくわね」


 笑顔で手を振り会う姉妹は、傍から見れば睦まじいものだったろう。妹を――婚約者を迎えに来たオーネットも満足げに頷く。


 リリアンとアデレイドの腹の底にはそれぞれの炎が燃え上がっていた。

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