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安い愛憎劇はもう終わり  作者: 鉢
第二章 国家
5/17

5

 少しでも情報を得るため彷徨(うろつ)いていれば、予想通り、見慣れてしまった緋色が飛び込んでくる。


「お姉様……!」

 リリアンは既に涙目で、アデレイドに縋り付いた。


「どうしたの、リリアン。こんなに泣いて……」


「お姉様。私、オーネットと結婚するわ!」


 翡翠の瞳を揺らしながら微笑むリリアンは、どこからどう見ても幸せに溢れた新婦だった。左手の薬指には竜を模した指輪が嵌められている。


 サルゴンの話が真実だとして、リリアンが何かを知っているようにはやはり見えない。そうなると、アデレイドにはどうしても祝福することはできなかった。


「……あなた、本当にそれでいいの?」


「え?」


「オーネットと、あなたは兄妹よ。法律で保証されているとしても、フェニクスとライオネルはどう思うかしら。それに、サルゴンは一生あなたを――」


「ふふふ……あはははは! 悔しいの?」


 アデレイドの「純朴な妹」は、歪んだ笑みを浮かべた。緋色の髪と翡翠の目はまさに毒蛇だった。

――私は何を見ていたのだろう。


「悔しい? 私はエランドール様と結婚するのに、何が悔しいというの?」

 せめて目的が知りたい。無知な姉として言える精一杯の言葉だった。


「ふふ……」


 リリアンは勝ち誇ったような意味深な笑みを浮かべる。慎重に観察しようとしたアデレイドを、リリアンは嘲笑った。


「いや! お姉様……!」


 それから、「オーニーも自分のものにしたいんだわ!」と泣き出したリリアンと、「また妹を――俺の妻をいじめたな」と正義感を掲げるオーネットの相手をして、アデレイドは自室に戻った。


「考えを改めなさい、アデレイド」


――彼女は間違いなく「何か」を知っている。

 異常な疲労感を抱えながら、アデレイドは思考した。




 申し訳程度のノック音と共にフェニクスの気配を感じる。

「思うんだが、君はなぜあんな茶番に付き合っている?」


「エラン!」


 扉の傍らに背を預けて立つエランドールを見て、扉を閉め忘れていたことに気づく。


「あなた、どこにでも現れるのね」

「俺は『客人』だからな?」

「『客人』はもう少し大人しくしているものよ。まして婚姻前の女性の部屋に忍び込むなんて」

「扉は開いていたと記憶しているが。それより、どうなんだ」


 エランドールが距離を詰めてくる。この距離感は夫婦のものだ。けれど、二人は見つめ合うというより、睨み合っていた。


「情報が欲しいからよ」

 アデレイドの声は震えた。


「それで、あの女から何か得られたか?」

「『何か』知っている」

「だろうな」


 エランドールの軽薄な返答に苛立ちが募る。奥歯を噛み締め、睨みつけると、エランドールは口角を上げた。


「それだけのために、あんな茶番に付き合うのか?」


 全てを見透かす琥珀色を壊してやりたい気分になる。アデレイドは顔を背け、吐き捨てる。


「ここが『ドラコニー』だからよ」

「またそれか」

「家門には、その土地には、規律と法則がある」

「そのためにわざわざ自分を変えるのか」


「変えてないわ!」


 アデレイドは抑えようのない憤りを覚える。拳を強く握り、牙の射程に踏み込んだ。エランドールは距離を取らない。グルグルとアデレイドの喉が威嚇音を上げる。


「そうすればいい」

「は?」

「そうして威嚇してやればあいつら程度、尻尾を巻いて逃げ出すだろう」



 アデレイドの脳裏に一ヶ月前の記憶が蘇る。


「今私を侮ったわね!」

「ヒッ……怖いわ、兄様……」

「アデレイド! 今すぐその野蛮な牙をしまえ!」


 獅子の牙を剥き出したアデレイドを、オーネットは震えながら罵倒した。構わず食いちぎればいい。ライオネルではそうしてきた。しかし。


「お前の母もそうだったな」

「父様……!」リリアンは父に縋る。


「お前の母もそうやって、私に噛み付いてきた」


「ドラコニー公爵。ご自身のしてきたことの報いでは?」


 瞬間、竜の炎がアデレイドを灼いた。咄嗟の判断とライオネルの血がアデレイドの危機を救ったが、ふくらはぎの火傷は免れなかった。負傷した足が、一歩遅れる。


「『武力を誇るライオネル』、結構だ。脳も気品もない女が、ここで何ができるか見物だな」


 アデレイドは咆哮した。怯え、竦むオーネットとリリアンの傍らで竜が嘲笑う。ここでこの男を殺すことは容易い。けれど、それが真に「勝利」と言えるだろうか。



 アデレイドは視線を落とした。貴婦人の長いスカートに隠されたふくらはぎには、火傷の痕がまだ残っている。


「……『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』」


 アデレイドの深紅の瞳の奥で獅子の怒りが揺れる。ただ見つめてくる琥珀を見返し、アデレイドは続けた。


「私がここで得るのは『武力の勝利』ではないわ」


「勝ちは勝ちだ、違うか?」


「私は勝ってライオネルとなる。……あなたには分からないわ」


 戸惑うエランドールを押し出し、アデレイドは乱暴に扉を閉めた。





――ライオネル領、領主の間。

 床には巨大な虎の毛皮。石造りの机は一体何で加工されたものなのか。その答えは彼らが持つ鋼鉄の斧と、その強さにある。最高級の革をなめした柔らかなソファに、剛腕が並ぶ。


 机を囲む男たちは皆、筋肉を見せつける格好をしていた。その筋肉を豪華な毛皮のマントが彩る。女たちの体もまた、鍛え抜かれている。纏った毛皮は全て自ら手にした戦利品だ。一目で実力があらわになるのがライオネルの正装だった。


 一際荘厳で豪華なマントを付けた女は、鋭い牙で模した冠を被っていた。氷青の瞳の中で獣の瞳孔が細まる。伏せられた睫毛は憂いを帯びていた。


「珍しいな、シェンハ」

「領主様と呼びな!」


 彼女の持つ巨大な戦斧の柄が、男の腹に突き刺さる。床に付した大男を見て、周囲が笑いに包まれる。


「ちょうど娘を千尋の谷に突き落としたところでね」


 皆の顔色が変わる。隠れていた瞳孔が開き、色めき立つ。


「お嬢がどう暴れてくるか、楽しみだ」

「羽虫共が束になっても敵わねぇだろ」


「黙れ馬鹿共」

 領主の威嚇が場を制する。


「だから『野蛮だ』と罵られんだよ」


 威嚇時に足を乗せた石机に入ったヒビを見て、サー・ファング――ライオネルの牙たるシェンハ・ライオネルは、咳払いをした。


「アデラには『政治』を学んできてもらう」


「それこそ得意分野でしょう!」

「ほとんどお嬢が治め――」


「だから馬鹿だと言っている! いいか。私はもう、ライオネルを脳なしとは呼ばせない」


 獅子たちが声を上げる。ビリビリと皮膚に染み渡るそれを一身に受け、シェン八は波々と注がれたエールを一気に干した。


「『ライオネルは誰にでも門戸を開いている』」

 獅子の唸りが部屋を揺らす。


「だからこそ、舐められる訳にはいかないんだ」


 ガツンと大きな音を立て、石机が崩れる。シェンハの置いた木と鉄のジョッキは粉々に砕かれていた。


「全部食ってこい、アデラ。愚かな爬虫類共に飲まれんなよ」


 誇り高き領主は口元を拭った。

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