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「『フェニクスの地に城を建てよう』だなんてよくも言えたものね」
「君が頷けばすぐにでも準備したさ」
「そうでしょうね」
テラスの風が二人の間を吹き抜ける。
小さなテーブルの端と端に置かれたシャンパングラスの距離が二人の距離だった。
けれど、騒々しいホールから切り離された空間が妙に心地いい。
「『淑やかな令嬢ごっこ』はもうやめたのか?」
「『微笑みの貴公子』が幻だったからね」
顔を見合わせて笑う。こんなことなら早くこの男に聞いておくべきだったと考え、相変わらず思考の読めない琥珀色を見つめる。
「……無理ね」
「何の話だ?」
「ふふ。ねぇ、あなた婿入りする気はない?」
「父君との話を聞いていなかったのか?」
茶化して笑うエランドールを今度こそ睨みつける。
「『ライオネルのやり方』がお好み?」
「……やはりそうか」
「何の話?」
エランドールは沈黙した。
それ程長い時間ではなかったが、重い沈黙だった。
「君はドラコニーをどう思う」
真摯な琥珀色を見極める。飄々と軽やかな男はもういなかった。周囲の気配を探る。庭園でじゃれ合う男女の声がした。エランドールの意識もそちらへ向いた。
「私はライオネルであり、ドラコニーでもある。――答えになるかしら?」
「君が聡明であることは分かったよ」
庭園の男女の声が消えていく。視線を戻せば目の前に琥珀が迫る。エランドールの赤毛が頬を撫でた。
「本当にフェニクスに城を建てないか?」
あまりにも自然な仕草だった。気づかぬ内に腰を抱いていた逞しい腕を柔らかに解く。
「荒野に基地を築くのが私の望みよ」
テーブルからグラスを取る。一口含み、離れたところに置かれたままのグラスの真隣に下ろした。
二回りほど大きな手が自身のグラスを寄せる。
「……フェニクスの家訓を知っているか、アデラ」
「『不死鳥は何度でも甦る』」
「そうだ。フェニクスの辞書に『諦める』の文字はない」
見つめ合う二人に甘い空気はない。
「覚悟しろ」
「受けて立つわ」
互いにグラスを取り、合わせる。
始まりを告げる音が二人の間で静かに鳴った。
エランドールの「部屋まで送る」との申し出を丁重に断り、アデレイドは、一人庭園を歩いていた。
既に月は上り、男女の噂に最適な時間となっていた。今日の騒ぎを思えば大人しくしておくのが身のためだ。しかし、いっそ送ってもらった方が面白かったかもしれないと考え、アデレイドは一人笑った。
上機嫌なアデレイドの足が止まる。気分が急下降していく。
貴族子息が五名ほど、アデレイドの行く手に立ち塞がった。掲げる家門は、ドラコニーの分家。
「どいてちょうだい」
「ライオネルの田舎娘がドラコニー気取りだ」
下卑た笑みがアデレイドの体を上から下へと走る。ドラコニーの頂点の言葉は届いていなかったらしい。こういう手合いは無視に限る。
「なら、私が別の道を行くわ」
しかし、また通路が塞がれる。アデレイドはため息をつく。
あの騒ぎを聞き流し、力量差の判断もできない。余程の暗愚と見えるが、今後の面倒を減らせることを思えば、少しくらい付き合ってやってもいいのかもしれない。アデレイドは静かに口を開いた。
「……なぜドラコニーが中央都市を任されているか、考えたことがある?」
「強いからだ!」
「守られているのよ」
男たちはアデレイドの話を笑い飛ばす。ドラコニーはいつまで偏った教育を施すつもりなのだろう。
「ドラコニーが継いだ竜の力は炎だけ」
これには反論はない。フェニクスには羽根と治癒の力が。ライオネルには牙と爪が。けれど竜には羽根も爪もない。
「翼を持たない竜がどうやって獅子に勝つのかしら? 炎が効かないフェニクスを一体どう滅ぼすの?」
暗愚共が一歩、退いた。
ドラコニーは優秀な伴侶を得て婚姻で繁栄してきた一族。「妻を安全な場所に」。それがそもそものドラコニーによる中央統治の始まりなのだ。家訓もそれに属したものになっている。
父はドラコニーらしく傲慢ではあるが、正しく誇りを持っていた。「ライオネルの牙」――領主である母を最初の伴侶に選んだのだから。そして、後妻には最高ランクの魔法使いの家系、ベラドンナ家を選んでいる。
「ドラコニーは『雲となり竜となる』!」
「家訓くらいは知っているのね」
じっと思考に耽るアデレイドを男たちが囲む。魔法で隠匿していた武器を手に取って。
婚姻と繋子による混血の結果、偶然にも魔法使いが生まれたとされている。
その始まりが、外敵である「妖精」との混血の可能性については長年疑ってきた。真実は未だ定かではない。
「空はフェニクスのものではない! 竜のものだ!」
「本当に何も知らないのね。そして、学ばない。ドラコニーは飛べないと教えたところでしょう」
呆れたアデレイドが首を振る。
「『竜は好機を逃さない』」
「それは正解よ」
瞬間、アデレイドの炎が周囲を焼いた。最弱の火力だ。少々火傷を負う程度だろう。
「ヒッ……」
「どうぞ。逃げる時間くらいはあげるわ」
地を這う竜たちは、あっという間に消えていった。
乾いた拍手が庭園の夜に吸い込まれていく。
「驚いた。本当にドラコニーの血も引いているんだな」
――不死鳥ではなく覗き趣味の鴉なのでは?
「……フェニクス公爵」
「エランだ。少しくらい親しくなれたと思ったんだが」
「呼ばせてみせなさい」
正面から睨みつけると、エランドールは声を上げて笑った。
「俺は公爵だぞ」
「その前に婚約者でしょう?」
挑発すれば、琥珀色の瞳が瞬く。
「そう言うなら一度くらい呼んでくれてもいいと思うが?」
「あら、フェニクスは『時間の流れが遅い』というのは嘘だったのかしら」
「『ライオネルが野蛮』だというのもただの噂だったようだ」
――こいつ。アデレイドは腹の中で留め、微笑みを返す。
「私は今『ドラコニー』としてここにいるわ」
「そんなものに意味があるのか?」
アデレイドは一瞬何を言われているのか分からなかった。フェニクスの赤毛を靡かせ、純粋な琥珀色を持つ男が、血筋を無意味だと?
「……あなたには無意味でも、私は勝ち取らないといけない」
「『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』か? いい家訓だと思うが、ドラコニーで何を勝ち取れる」
「全てよ」
エランドールが息を飲む。そして、笑う。
「ドラコニーを食らって、その後は? 俺を婿入りさせて領主になるつもりか」
「あなたが婿入りするかどうかは関係ないわ」
領主になることは最初から決めていたが、丁寧に答えてやる義務はない。それに、アデレイドは今、ライオネルを名乗れなかった。
「だったらなおさら無意味だろう」
「は?」
エランドールは気にした様子もなく続ける。
「君は君を生きるつもりだ。なら、家門などどうでもいいことでは?」
そんな風に考えたことはなかった。
アデレイドはライオネルとドラコニーの間に生まれ、そのどちらもの力を強く継いだ。「力持つ者は適切に力を使え」。何度も言われてきた言葉だ。
ライオネルで暮らすのなら、ライオネルの牙を目指すのは当然だったし、それが失敗すれば、ドラコニーの領主を目指すつもりだった。今となっては後者は望みたくもないが。
となれば、アデレイドに残された道は一つ。アデレイドは生まれ持った血の中で、「導く者」としての自分の姿しか描いたことがなかった。
「何かおかしなことを言ったか?」
「……いいわ、エラン。少しだけあなたを認めてあげる」
「ははっ! 光栄です、アデレイド嬢?」
嫌味たらしく恭しく頭を下げた男には、「アデラと呼べ」とは言わない、絶対に。
エスコートに差し出された手を無視し、アデレイドは足早に庭園を去った。
誰もいなくなった庭園で、緋色の髪が揺れる。月光に、翡翠の瞳が照らされる。
「まさかエランドールがいるとはね」
リリアン・ドラコニーが庭園をゆったりと歩きながら、僅かに残った痕跡を「隠匿」する。
「あいつらは足止めにもならなかったし」
アデレイドが吐いた炎の痕を踏み潰し、高らかに笑った。
「いいわ、すぐに終わっちゃつまらないもの。――ねぇ、アデレイド?」
ギラギラと燃える翡翠がアデレイドの去った方角をじっと見つめる。
その左手の薬指には、竜を模した指輪がしっかりと嵌められていた。




