3.妖精王への贖罪
形作る全てを人と同じくしながら、生気のない肌と整いすぎた容姿が別種であることを雄弁に語る。纏う白衣は白石の玉座と同化し、消え入りそうな儚さすら感じさせる。しかし、翡翠の双眸は力持つ者の眼力で来訪者を見下ろす。白銀の長髪が光に溶ける。色のない指先が青白い唇に触れる。
「申せ」
男の一言で室内に春が満ちる。陽光が注ぎ、風は凪ぎ、花開く。剣を持たない白い兵士たちに見守られ、琥珀色のドレスを纏う女が姿勢を正す。隣に立つ男は深紅のマントを翻し、頭を下げる。
ライオネル仕込みの凛とした声が純白の間に響き渡る。
「神獣国クレアチュール国王アデレイド・クレアチュール、及び宰相エランドール・クレアチュールが妖精王に拝謁します」
「うむ、苦しゅうない」
瞬間、春の色は立ち消え、元の石造りの城へと戻る。破顔した妖精王に、神獣国の王は頬を緩めた。
「リュニー、そんな言葉どこで学んだの?」
「会いたかった!」
アデレイドへのハグは隣の男に止められる。止めたエランドールを見た翡翠が輝く。リュニヴェールは不死鳥の胸に力強く抱きついた。
「エラン! 会いたかった!」
「そりゃ光栄だな」
あやされていた大きな子供が「あ」と口を開く。エランドールと並ぶ姿は絵になった。黙ってさえいれば、甘いマスクが二つ――赤いマントと白衣の貴公子だ。
「どうしたの、リュニー?」
「僕、アデレイドに謝罪してもらわないと」
「嘘はいけないものね」
アデレイドは笑う。
――アデレイド、貴様には月に一度の妖精国への来訪と、謝罪を要求する!
威厳たっぷりに言い放っていた妖精王と、目の前で悪戯に微笑む男はあまりにかけ離れていた。
「父が――ドラコニーが、迷惑をかけてごめんなさいね」
「ふふ、来月も待ってるよ」
繰り返されるやりとりは、神獣国と妖精国の国交がまだ回復し切っていないことを意味する。
同行者が王配――宰相であるエランドールと、数人のフェニクス騎士団だけとは言え、許しの言葉が「終わり」を意味する限り、妖精王への贖罪は続く。友人としての来訪が許されるようになるまでは。けれど、そんな人らしいことなど考えもせず、ただ楽しんでいるだけのようにも見えた。
笑い声の中に、二つの靴音が加わる。緋色の髪が揺れていた。妖精王と同じ翡翠の視線がアデレイドに注がれる。隣に立つ黒髪からは赤褐色の瞳が覗いた。
「早く自由に行き来できるようになるといいわね」
「……リリィ」
「『従属』を誓った私たちには無理だろうけど」
「リリィ!」
黒髪――オーネットが語気を強める。二人の元へ軽やかに歩み寄った白銀が広げた両腕を、リリアンはひらりと躱す。リュニヴェールが、縋るような翡翠をリリアンへ向けた。
「あれは言葉の綾だよ。分かってるでしょ?」
「ならもう少し父親らしく振る舞いなさい」
娘に諌められる父を見て、オーネットが微笑む。クレアチュール夫妻は視線を交わし、声を上げて笑った。
「月に一度の謝罪」と「リリアンとオーネットの妖精王への従属」。それを決めた妖精王とドラコニーの世紀の交渉――もとい茶番劇はアデレイドの耳打ちから始まった。
「それで……リリアンのことをお願いしたいの」
「いいよ」
あまりにあっさりとした返答にアデレイドが瞠目する。共に聞いていたエランドールは静かに頷いた。
「だってそうしないと君たちに会えないんでしょ?」
軽やかな妖精王に対し、ドラコニーの瞳はしばし逡巡する。
「……理由くらいは話しておかないとね」
「いいよ、別に」
「ならこれは私の自己満足ね」
リュニヴェールは決意めいたアデレイドの視線を真っ直ぐに受け止める。
「あの子はもう、この国にはいられないでしょう?」
「なぜそんなことを憂うのか、僕には理解できないな」
「人には逃げ道が必要なのよ」
言葉を区切ったアデレイドは、自嘲する。続けた告白は懺悔の色を帯びていた。
「私はあの子から居場所を奪ったから」
エランドールは口を挟まない。ただ労るような視線をアデレイドに送る。リュニヴェールが純粋に疑問を零す。
「そうなの?」
「ふふ、人ってね、物事を複雑にしたがるものなの」
「アデラも?」
「あら、私も人よ。……あの子を変えてしまったのは私かもしれないと、そう思わずにはいられないの」
ライオネルの瞳孔が遠く細められる。――父、サルゴンの策略に振り回された子供たち。けれど、オーネットとリリアンは彼ららしく幸せに暮らしていた。突然現れた「姉」の存在を疎ましく思うのも当然のことだった。傲慢、強欲、嫉妬。向けられた火の粉はもちろん払ったが、それがリリアンを燃え上がらせたのもまた事実だろう。
「君が拒絶しようと変わらなかったろう」
エランドールの温かな低音がアデレイドの鼓膜を揺らす。
「ライオネル公爵――義母が言っていた」
「随分気が早いわね」
「婚約者の立場でもそう呼んでいいはずだ」
笑い合う二人に、リュニヴェールの好奇心が割って入る。
「アデラの母親は何て?」
「残念ながら、君が娘だと分かった時からこの計画は進行していたらしい。詳細を知る間もなく『とにかく娘を連れて逃げた』と言っていたが」
――逃げた? あの母が?
アデレイドが向けた無意識の懐疑を、エランドールは肩を竦めて流す。
「確かにそう言った。苦虫を噛み潰したような顔でね」
「信じるわ」
「俺の言葉だけを信じてもらえなくて残念だ」
事実と母の性格を考え合わせた結論は、婚約者には不服だったらしい。
「あなたそんな感じだった?」
「ライオネルは人を変えるらしい」
「は?」
要領を得ないエランドールは珍しい。そして彼はそのまま説明を放棄した。
「つまり。その父と過ごしていた上、あの性格だ。ある程度は知っていただろう。それでもまだ温情を与えるのか?」
アデレイドは笑う。迷いはなかった。
「そうね。それでも私はあの子を生かすわ」
「分かった」
見つめ合う二人の間から白銀が顔を出す。
「なんで、エランが決めるの?」
「俺は事実を伝えただけだ」
「リュニーがいいなら、改めてお願いするわ」
「もちろん!」
「ありがとう」
快諾してくれたリュニヴェールへ。そして、傍らに立つ婚約者の耳元へ言葉を落とす。
「……ありがとう、エラン」
アデレイドが確と手を握れば、エランドールは破顔する。子供のような表情に、アデレイドの心音が早まる。彼女を救ったのはリュニヴェールだった。
「必ず会いに来て。『やり方』は任せるから」
「僕が会いに行くのは駄目なんでしょ?」。翡翠が茶化し、琥珀と深紅が交わる。婚約中の二人は、悪巧みするような顔で微笑んだ。
妖精王が声を上げて笑う。
「それにね、『娘』に興味があるんだ」
呆然とする二人を気にした様子もなく、続ける。
「一度くらい、『親子』ってやつをやってみてもいいかと思ってさ」
喜色満面のアデレイドがリュニヴェールを抱き締める。睨む琥珀を深紅と翡翠が揶揄うと、すぐさま引き離される。
「退屈も紛れそうだし?」
「やっぱりあなたはあなたね」
「あと百年ちょっとだから、ね」
エランドールとその腕に収まるアデレイドは、妖精王の成長――変化に微笑み合う。
「『贖罪』ってやつかな」
人らしい言葉を選ぶ妖精王に、頬が緩んだ。
「まま!」
駆けてきた小さな足音がリリアンの前で止まる。母は答える前にハンカチを取り出した。
「また泥だらけにして!」
からからと笑う汚れたままの幼子をリリアンが抱き締める。ドレスが汚れることも厭わずに。
アデレイドの口元が綻ぶ。睨みつけてくる翡翠はけれど、すぐにその勢いを失う。
「良かったわね、モンド」
「うん。まま、だいすき」
愛おしそうに息子を抱いたリリアンを、オーネットが抱き締める。リュニヴェールが広げた両腕はようやく娘にも届くが、鼻へ紅葉の泥も渡される。神獣国の二人が目配せをした。アデレイドが別れを告げる。
「じゃあ、また来月」
「もう来なくていいわよ」
「『契約』だから」
言いながら、アデレイドはリリアンの竜血の指輪を外す。怒り、説明を求める声を聞き流し、アデレイドは笑った。
「『お父様』からゆっくり聞いて」
「じっくり聞き出しておくわ。……ほら」
リリアンが我が子をアデレイドに抱かせる。「モンド」は妖精国の言葉で、「世界」を意味する。
「ふふ、かわいい」
「当然よ」
甥御を優しく母の元へ。勝ち誇ったように鳴らす母の鼻先に、いたずらっこの泥がついた。オーネットの指先が優しく拭う。
騒々しい祖父を笑う幼子の声が真っ白な城内に響いていた。




