2.フェニクス公爵の求婚相手
琥珀の瞳に、どこまでも輝く金髪が映る。愛らしい睫毛に縁取られた深紅の艷めきは、何度見ても飽きる気がしない。例えそれが不満に燃えていても。
「こんな求婚書がある?」
夫となったエランドールに、妻であるアデレイドが求婚書を掲げていた。修正だらけのそれを眺めた琥珀が笑う。夫婦の時間に相応しい話題だ。
「懐かしいものを掘り出してきたな」
眼前に迫る求婚書は時が違えば喜ばしいものだったろう。エランドールは結婚指輪の付いた左手で受け取りながら笑みを深めた。
「だからサルゴンは私に求婚書を見せなかったのね」
「はは! 往生際の悪いやつだ」
長身を横たえればベッドが軋む。修正だらけの求婚書は新たに書き直すべきだったが、互いに信用もなく時間もなかった。その場でサインをし、血の契約を交わした。改めて見れば不格好極まりない。
「本当に公爵位を下りるつもりだったの?」
顔を覗き込んでくるアデレイドの意外な問いに面食らう。
「そんな約束をした覚えはないな」
エランドールの言葉を受け、深紅の瞳がじっと求婚書に目を通す。真剣な眼差しを見ていると悪戯心が湧く。ベッドに座る妻に寄り添い、腰をそっと抱き寄せる。
「あのサルゴンを転がしたのね?」
揶揄うような視線と至近距離で交わる。頬を染め、逃げ出そうとする体を抱き留める。ライオネルの鍛え抜かれた肢体が、フェニクスの分厚い胸板に包まれていた。
「俺は『後任を見繕っておく』と言っただけだ。常にしていることだから、もちろん嘘ではない」
ライオネルとドラコニーを宿した女が、ただ腕の中で笑う。
「ひどい男!」
「ひどい? そもそも家門入りについても記載しなかったと思うが」
「最低ね!」
罵られながら抱き締められるフェニクスなど、己だけに違いない。エランドールはほくそ笑む。軽々とアデレイドを持ち上げ、ベッドに組み敷く。不服そうな視線を喜んで受け止めると、真っ直ぐに疑問を投げかけられた。
「なぜそんなに好戦的なの?」
「血筋だろうな」
「血筋? あなたは純粋なフェニクスでしょう」
「温厚で、臆病者な?」
困惑する妻を見つめているのも一興だが、本当に怒り出す前に答えを渡さねばなるまい。
「……ということになってるが、俺の父はフェニクスであり、ライオネルでもある」
「そんな話は――」
「『契約』だ」
武闘会の優勝者には、黄金の獅子像に触れる機会が与えられる。「ライオネルの一員として認められる」ための儀式は、真にライオネルの力を明け渡すものだ。そしてそれは血筋となり、継がれていく。
「あれは領主だけが……!」
「領主以外に知ることが出来る奴がいるだろう」
眉を上げて見せれば、困惑していた深紅が当然の事実に行き当たる。
「そういうことね。……随分口の軽い人をライオネルにしてしまったようだわ」
「違う。俺が直系だからだ。母も知らない」
すかさず否定し、逃げる瞳を捉える。優しいため息をつかれることに、安堵する。
「そう言えば赤毛の男がライオネルになったことがあったわね。祖父の代だったかしら。……ちょっと待って。あなた『父』って言った?」
急に起き上がった小さな額とぶつかる。幸い怪我はしていないようだった。互いに起き上がり、ベッドに腰掛ける。
「あなた二十代でしょう?」
「いや、今年四十二になる」
珍しく唖然とする口の中をまじまじと観察すれば、咳払いと共に見えなくなる。お決まりのやりとりも彼女となら悪くなかった。
「フェニクスだからな。まあ、もう血も薄まった。せいぜい一代分だろ? 気にするな」
すぐに飲み込めない様子のアデレイドは、年齢そのものに対してではなく、フェニクスについて考え込んでいるようだった。いつまでも合わない視線をもどかしく思う。
「父を知っているのか?」
「えぇ。すごく強くて、それに――」
ようやく交わった深紅はエランドールを見つめながら、どこか遠くに思いを馳せているようだった。細まるライオネルの瞳孔が、父と重なる。
「……それに?」
美しかった。唇がそう小さく動いた気がしたが、別の言葉が耳に届く。
「細かいことはいいじゃない。知っているけれど、どうしたの?」
輝く金髪をなぞる。色づく頬が想うのが、自分のことであればいい。愚かな思考に、エランドールは自嘲する。
――お前はライオネルの娘をもらえ。
――出来ればドラコニーの血を引いてる者がいい。
「ははは! やけに具体的だと思ったが、そういうことか」
「何?」
「恐らく父は君のことを知っていた」
そして、エランドールがこうなることを分かっていたのだろう。食えない男だ。エランドールは目の前の黄金にキスを落とし、しなやかな体を抱き寄せる。
「君と俺は一代ほど年の差があるが――」
無駄のない肢体をなぞる。滑らかにくびれた腰、弾力のある――胸元から手を離し、引き締まった首筋から頬へと触れる。
「フェニクスは四十代が一番精力が強いから、安心しろ」
「何の話よ!」
真っ赤になって胸を叩いてくる癖に、逃れようとはしない。
「知りたいか?」
無言のまま閉じられる瞳に唇を落とす。ベッドのスプリングが軋む。広がる金髪の先から爪先まで、余すところなく、キスの雨を降らせていく。
「そこは嫌」
「……仰せのままに」
止まった雨をまた降らせる。愛らしい唇が悦びだけを紡ぐように。
――存分に尻に敷かれろ。
――お前のような男はそれが幸せじゃ。
父の最期の寝言がこんな時までエランドールを揶揄うせいで、返さずにはいられなかった。
「まあ、笑ってるな」
聞き返そうとする赤い唇を奪う。今はただ、目の前のたった一人のことだけを想っていたかった。
不意に体が冷えていく感覚がして目を覚ます。外が白み始めている。聞き慣れた笑い声が控えめに鼓膜を揺らす。暖を求めた体は、温かい腕に抱かれていた。
「どこにも行かないわよ」
子供のように縋り付いていた腕を解く。けれど、体温は一向に離れる気配がない。白くしなやかな腕は赤毛を抱いたままだった。熱を持った耳を悪戯につつく指先を、手繰り寄せる。
「……永遠に?」
「もう誓ったでしょう」
髪を撫でられ目を細める。
――お前のような男はそれが幸せじゃ。
また聞こえる父の寝言には耳を塞ぐ。
「さっき何か言いかけてなかった?」
――まあ、笑ってるな。
急激に気恥ずかしくなり誤魔化そうとした唇を塞がれる。逃げ場などなかった。ならばと一層深く口づけて、深紅を見つめる。
「幸せだってことだ」
らしくないことを口にして、目の前の体温を思い切り抱き締める。抗議の代わりに顔を出した妻が、熱くなった夫の頬に触れる。
鈴のような笑い声はいつまでも鳴り止まなかった。




