1.フェニクス公爵の求婚書
家門を象徴する赤毛が北の冷風に攫われる。髪色と同じ銅色の睫毛が瞬く。開いた瞼から琥珀が煌めいた。
精悍な顔立ちは好戦的な色を帯びている。「温厚なフェニクス」らしさのないこの男こそ、エランドール・フェニクス公爵だった。
領主の間に、威厳のある低音が流れる。
「ドラコニーのご息女に求婚書を出した」
「まさか、リリアン・ドラコニーですか?」
「それは兄と噂になってる娘だろ。願い下げだね」
「では――」
執事は窓際に立つエランドールをじっと見つめる。窓が閉まると、書類を煽る風が止む。机の側にいる執事に近づく足取りは軽やかだ。
「もう一人、いたらしい」
机上に広げられたドラコニーの資料を、部屋の主が示す。「愛娘との感動の再会」――ドラコニー公爵の美談を報じた新聞の下には、エランドールの二十年分の資料があった。「懸命に調査を続けるフェニクスを隠れ蓑に、外敵を引き入れた国賊・ドラコニー」を明るみに出すのが、父の――フェニクスの悲願だった。
「ようやく息の根を止められそうだ」
ギラギラと揺らめく琥珀が黄金の熱を放つ。鋭く細まった瞳孔はライオネルのものだった。
「利用なさるおつもりで?」
「貴族の婚姻なんてそんなものだ」
「……心にもないことを」
目を逸らしたエランドールの手元には、ドラコニーの婚姻にまつわる書類があった。ドラコニーとフェニクスでは目指すべき指標が違う。同一国家の形を取ってはいるが、領地の法や制度は大きく異なる。
「『繋子』ってのは本当にクソだな」
「……エランドール様」
吐き捨てるエランドールを窘める執事の口調は厳しいものになりきれない。執事もまた、根っからのフェニクスだった。
「俺の妻が他の男と寝る? ふざけるな」
求婚相手であるアデレイド・ドラコニーが「ライオネル」で「ドラコニー」だったことも、エランドールが熱くなる理由の一つとなっていた。脳裏に父の遺言が浮かぶ。寝言だと言い訳をしたことまで思い出し、表情が緩む。
「エランドール様」
今度こそ強く諌める執事に、エランドールは微笑みを返す。
「大丈夫だ。その点は『明記』しておいたから」
「それでドラコニー公爵から呼び出されたのですね」
「まあ、そうだろうな」
鎧を纏い始めるエランドールを見て、執事は呆れ顔を作る。
「『正装』には変わりないだろ?」
主人が笑みを深めれば、ため息混じりにマントを整え、頭を下げた。誇り高きフェニクスへの最敬礼だった。不死鳥の家門を背負うエランドールが髪を掻き上げる。
「いってらっしゃいませ」
「あぁ。しっかり『ご挨拶』してくるぜ」
「お待ちください!」
執事は、扉ではなく窓に向かうエランドールを慌てて呼び戻す。
「『飛べるフェニクス』は今やあなただけなのです」
「こんな便利なもん、使わないでどうする」
「奥の手は隠しておくものですよ」
「そんな大層なもんか?」
面倒そうに扉へ向かったエランドールを見た執事が息をついた瞬間、不死鳥が舞う。黄金の羽根が高速で窓を飛び出して行った。
執事が覗き込んだ窓の下でフェニクス騎士団の面々が頭を搔く。彼らが共犯なのはいつものことだ。フェニクスの領主は馬を駆り、「戦場」へと向かっていった。
絢爛豪華な室内にフェニクスの鎧が鳴る。床には赤い絨毯が敷き詰められ、壁の意匠には金がふんだんに使われている。びっしりと並んだ絵画の前に華美な生花。そして、気高いドラコニーの使用人たちは、賓客への訝しげな視線を隠そうともしなかった。
「……なるほど?」
「これは失礼致しました」
サルゴン・ドラコニー公爵が手を挙げれば、不躾な視線は公爵のものだけとなる。フェニクス公爵は気にも留めず、勧められたソファへと腰掛ける。マホガニーで作られた高級品は鎧を着た体を預けてもびくともしない。注がれただけで香りが開く茶葉もまた「最高級品」だ。
「北部は随分お忙しいのですね」
「ええ。厳しい土地ですので」
高貴な笑みがぶつかり合う。北部の「事情」が中央都市に漏れ聞こえることはない。護衛を連れるな、早急に訪問を。「家族となるのですから」と柔らかな脅迫で結ばれた呼出状に応じたエランドールの服装を、指摘できるはずもない。もっとも、戦場帰りなどではなかったが。
給仕が一礼ののち、扉を出る。
「求婚書の件とお伺いしましたが?」
沈黙を破ったのはエランドールだった。控えをテーブルに出す。
「ええ、大切な娘の話ですので」
サルゴンは湯気の立つカップをゆったりと傾けた。手元の鈴を鳴らし、運ばれてきた書類をエランドールの置いたものの上へと広げる。そこには黒インクではっきりと抹消の線が引かれていた。
――アデレイド・ドラコニーをフェニクスの家門へ迎え入れる。
――婚姻後の子女として、第三者の血統は認めない。
「これならお受けします」
サルゴンは嗤う。失礼極まりない行為を、エランドールは深い微笑みで受け取る。
「では――」
懐からペンを取り出し、さらりと項目を追加する。流れるような美しい筆跡を、サルゴンに向けた。
「これならどうでしょう?」
――婚姻後の子女については、合意なく第三者の血統は認めない。
サルゴンの眉が上がる。ドラコニーの艶やかな黒髪から、深紅の瞳が覗く。
「ドラコニーの『繋子』を否定すると?」
「フェニクスへの家門入りの項目は抹消しましょう」
エランドールはすかさず答えた。サルゴンもすぐに応戦する。
「しかしこれではどちらの家門に入るか明確ではない」
「それはご息女と相談しますよ」
「こんな求婚書は認められない!」
勢いよく叩きつけたサルゴンの掌にインクが滲む。シルクのハンカチで拭き取るのを眺めながら、エランドールは求婚書を手に取り、投げ捨てる。
「では白紙に戻しましょう」
宙を舞う求婚書が赤い絨毯の上に音もなく落ちる。それを惜しむように見つめていたサルゴンが一転、腕を組み鼻を鳴らした。
「それでは貴殿はどの令嬢と婚姻するのだ」
エランドールは悠々と脚を組む。ドラコニーを探る権利はもちろん、喉から手が出るほど欲しかった。だからこそ、笑う。
「フェニクスは不死ではありませんが長寿です。あと十年ほどかけて素敵なご令嬢と知り合いますよ」
奥歯を噛み締めるサルゴンを琥珀が射抜く。
「ライオネルに回遊にでも行きましょうか」
エランドール・フェニクスは純粋なフェニクスだった。齢四十二にして、二十代半ばの容姿。その美貌だけでなく、フェニクスの力、公爵の地位を併せ持つ。現状、エランドール以上の結婚相手など、神獣王国には存在しない。エランドールは自らの価値を知っていた。
「ドラコニー公爵。記載がないということはどうとでもなるということです。ドラコニーに相応しい女性でしたら、私は喜んでドラコニーに入りますよ」
組んだ足を解き、エランドールが困ったような笑みを浮かべる。サルゴンが鋭く口火を切る。
「公爵の地位はどうするのだ」
「後任に相応しい者を何人か見繕っておきますよ」
琥珀の瞳に嘘はなかった。
「……よかろう」
「では、こちらにサインを」
「言われるまでもない」
ここに、エランドール・フェニクスとアデレイド・ドラコニーの婚約が成立した。
家族となる二人の男は柔らかな笑みの底で、自身の勝利を確信していた。
「ははははは! 『繋子』は消したぞ、ドラコニー」
一方は馬の上で笑い転げ、もう一方は――。
「あれが『臆病者』のフェニクスか……。まあよい。あれもいずれ私のものだ……」
こちらもまた高々と笑い声を上げるのだった。




