11
「いきなり婚約者を押し倒す男がいるかしら」
「だって目的は子種でしょ?」
押さえつけられた両腕をリュニヴェールへ押し返す。
豪華に誂えられたそこは、リリアンが用意した「二人の部屋」だという。リュニヴェールとアデレイドが入った途端、鍵を閉めるところまで、リリアンらしいやり方だった。彼女はどうしてもアデレイドを妖精王に売り渡したいようだ。
アデレイドは直系のドラコニーの女だ。ドラコニーを重んじるサルゴンの策略とは到底思えない。リリアンとオーネットは別の目的で動いていたと考えてまず間違いないだろう。
リュニヴェールの手が足に触れ、体が震え上がる。両腕は片手で纏め上げられていた。
「言ったはずよ、『あなたのことが知りたい』と!」
「なら、これが一番早い」
首筋に冷たい唇が触れた。もう、限界だった。
策略も、不確定な力も、全て、蹂躙すればいい。アデレイドは全身全霊でリュニヴェールを蹴り飛ばした。
壁にぶつかったリュニヴェールは顔を顰める。
「あら、攻撃は有効みたいね?」
「僕を蹴り飛ばす女の子がいるなんてね」
階下から社交の音楽が流れてくる。ドラコニーはいつだってドラコニーだ。
「『新しいドラコニー』」
「え?」
アデレイドはリュニヴェールの胸ぐらを掴み上げた。
「あなた言ったわよね。『今代は私だ』と」
「言ったね」
アデレイドの腕を払い、リュニヴェールはベッドに腰掛ける。手招きは無視し、扉の側に背を預けて立つ。
「オーネットはドラコニーではないのね」
「うん。彼は何者でもないよ」
「そう」
優雅な音楽が遠く聞こえてくる。それが軽快なものへと変わる。
「では今代ドラコニー公爵として言うわ。あなたのいう『契約』、破棄させてもらえる?」
「ははっ! 内容も知らないのに?」
「どうせろくなもんじゃないわよ」
アデレイドが吐き捨てるのを、リュニヴェールは心底愉快そうに笑った。そして。
「無理だね」
「なぜ?」
「僕は本気で君の番になりたいんだ」
白い靴先が、アデレイドに一歩ずつ近づいてくる。
「それは『契約』がないとできないこと?」
「少なくとも君は契約に縛られてる。破棄しなければ傍にいてくれるってことでしょ?」
再び触れる距離に美しい造形が迫る。
「『契約』は領主ではなくドラコニーのものということね。恐らく繋子に関するもので、あなたとドラコニーはそれに縛られる」
「……そうだね」
リュニヴェールの温度ない手がアデレイドの腰をなぞる。翡翠を正面から見つめ返す。
「あなたの目的は何?」
「君と交合うことだ」
「そう」
言うと同時に拳を繰り出す。リュニヴェールは霧のようにその場から消えた。そして、今度は背後に現れる。本能的な恐怖を振り払う。
「未知のものとの戦いをそんな風にしていいのかな?」
「触れられるなら倒せるわ」
アデレイドは目を閉じ、触れた部分に炎を放った。
「めちゃくちゃだよ、アデレイド!」
「あんたにだけは言われたくないわ!」
何度か繰り返す内、アデレイドは香りを覚える。動きを覚え、繰り返される「幻想」に思い至る。
「全て、まやかしね」
アデレイドは咆哮した。ベッドに押し倒された瞬間、体を反転させ、青白い喉笛に噛み付いた。
「千年生きる妖精に、そんなものが効くと思った?」
口内に粘液が流れ込む。気がつけば、アデレイドは天井とリュニヴェールを見上げていた。
高速を走る不死鳥が目的の場所へと降り立つ。
白に包まれた城内で、光り輝く黄金が溶ける。淡い焔に包まれながら現れたのはエランドール・フェニクスだった。
「よぉ、妖精王」
白い玉座でぼんやりと虚空を見つめていた翡翠の瞳が見開かれる。
「お前……何だ?」
「フェニクスだ。――いや、ライオネルとフェニクスの代表だと思ってくれ」
「何の話だ」
「悪いね。『なかったこと』になってくれ」
エランドールから黄金の光が放たれる。それが妖精王の中身を満たしていく。
「これは……治癒……不死鳥の……」
「期限付きのな」
エランドールがウインクを渡す。妖精王はそれを見て微笑んだ。
「ありがとう……」
エランドールの体が高速で引き摺られる。滾る力が抜けていく。皮膚が焼ける匂いがして、エランドールの視界が暗転した。
アデレイドの目の前でリュ二ヴェールが唐突に揺らぐ。体が動いているというよりは、存在そのものが揺るがされているに近い。
「う……」
アデレイドは瞬時に距離を取る。リュ二ヴェールからは目を離さない。すると、暖かい黄金が二人を包んだ。
「エラン……?」
アデレイドがエランドールの気配を感じ取ると同時に、リュニヴェールの表情が輝く。
「そうか、『書き換えた』んだね。……うん、分かったよ」
リュニヴェールはからからと笑った。
「僕は『有限』になった。終われるんだ……」
高らかに笑い始めたリュニヴェールが実態を持つ。妖しい気配が消え、暖かい気配が重なる。現れたエランドールがアデレイドを力強く抱き締めた。
アデレイドはそれに応えながら、フェニクスの――エランドールの香りを吸い込み、傷の度合いに見合った力で拳を下ろした。
「無茶をしたわね!」
「いきなり殴る奴があるか?」
「今代の当主が次期当主のために死ぬのも許されないわ!」
アデレイドは瞳に涙を溜めていた。エランドールは自身の爛れた皮膚を見て苦笑する。
一歩近づけば一歩退く婚約者に、跪く。
「アデラ、抱き締めさせてくれ」
「嫌よ!」
泣きながら怒るアデレイドをエランドールは抱き寄せた。
「嫌だと言ったわ!」
「そうは聞こえなかった」
「せめて傷を――」
アデレイドに応えるように、エランドールの体が黄金に包まれる。エランドールの爛れた皮膚がみるみる回復していく。
「十分だ、やめろ」
黄金を放っていたのはリュニヴェールだった。光が彼の中へと収束していく。
「なぜまだ生きてる」
「君の力が強かったからね。今少し返したからあと百年くらいかな」
その言葉に脱力したエランドールが、アデレイドにもたれかかり、二人で床に伏した。そのまま首筋に顔を埋めてくるエランドールを蹴り飛ばし、アデレイドは咆哮する。
「説明しなさい!」
ベッドに座ったアデレイドの足元で、男たちは跪いていた。
「『百年前に戻って妖精王に不死を継承した』ってことね。訳が分からないけど、分かったわ。で、結局あなたは何?」
エランドールの懸命な説明は一蹴される。
アデレイドの興味は既にリュニヴェールに移っていた。琥珀の瞳が不満げにアデレイドを見つめる。
「だから『妖精王』だって」
「それは我々の定義でしょう。神話の存在だとでも言いたい訳?」
「そうだよ」
「それは俺が調べたことと統合しよう」
すっかりいつもの調子に戻ったエランドールが、妖精王を紐解いていく。
妖精王は神話の生き物だった。千年生きたというのも、嘘ではなかった。彼は「退屈だった」と言った。退屈のため、現れた人間の「遺伝子研究」に興味を持ち、協力した。魔法使いは妖精とドラコニーの混血により生まれ、その能力は「幻惑」だという。そして。
「船に乗って仲間たちはずっとここにいた。皆飽きたからもう帰ってきたけど」
からからと何でもないことのように笑う。我々の外敵は既に内側に巣食ったあとだった。けれど。
「僕の子種が欲しいと言ってきたのはドラコニーだよ。僕たちの遺伝子がどう変化していくかに興味はあったけど、これ以上先はなかった。アデラが言った通り、僕の力はただの『まやかし』だから」
「アデラ」に反応したのはエランドールだった。
アデレイドは淡々と次の質問を口にする。
「では番とは何?」
「君のことだよ。さぁ、交合おう」
フェニクス、ライオネル二つの拳を受けたリュニヴェールは笑う。エランドールが声を荒らげる。
「どうなってる!」
「こっちが聞きたいわよ! 邪魔しないでちょうだい!」
大声を張り上げて言い合う二人を見て、妖精王が微笑む。
「ただの伝承だ。一度出逢えば離れられない、全てを捧げ、尽くしてしまう。そんな存在のことだよ」
エランドールは黙り込み、アデレイドを見つめる。アデレイドは率直にリュニヴェールに告げた。
「あなたにそんな感情はないわ」
「そうだね。僕もないよ。……あーあ、楽しかったのになぁ」
からからと笑い、妖精王は床に横たわる。
「他に聞きたいことは――」
突然扉が開き、兵士が駆け込んでくる。
「フェニクス公爵! ドラコニー公爵が……!」
「死んだ?」
リュニヴェールは無垢な笑みでそう宣った。
「なぜ分かる?」
すかさず聞いたエランドールに、リュニヴェールは笑みを深めた。
「『契約』だよ。どっちかなぁ。あぁ、子種はもうあげたから、僕のことしゃべっちゃったのかな?」
「リュニー。その契約、詳しく知りたいわ」
今日一番の笑顔でリュニヴェールの頭を撫でたアデレイドの目は一切笑っていなかった。
妖精王リュニヴェール・フェリークと、ドラコニーが交わした契約は、「繋子契約」だった。
――ドラコニーはリュ二ヴールから一代に一度、子種を授からなければならない。子種を授かる者はドラコニーが縁故と認める者に限る。そして、リュ二ヴェールはそれを拒絶することができない。
また、ドラコニーはリュ二ヴェールとの繋子契約を口外してはならない。これが破られた場合、死をもって契約と成す。
「今のドラコニーには子種を渡してあるから、僕のことを話したんでしょ?」
「『渡してある』?」
アデレイドが繰り返す。
「妻だって言ってたから奥さんじゃない?」
「つまり、リリアンはあなたの子ね?」
「リリアン? あぁ、君を番にすると言った女だね。あの子が僕の子供だったのか。そういえばそんなことを言ってたね」
エランドールとアデレイドが顔を見合わせる。
「何かおかしい? 僕は子種を渡しただけだよ」
「……『口外しない』としたのは?」
アデレイドが問えば当然だと吐き捨てる。
「だって面倒でしょ? 僕は子種を振り撒きたい訳じゃない」
「もう一つ聞きたい。お前はこんな契約に命を懸けたのか?」
エランドールの質問には、声を上げて笑った。
「ははっ! 別に命は懸けてないよ。僕は子種を差し出すだけだ。それにも飽きたら死ねる。ちょうどいいでしょ」
呆気に取られる二人と報告に来た兵士たちを置いて、リュニヴェールは言葉を続けた。
「あぁ! ドラコニーの前任は哀れだったね。一度目が失敗したんだ。子種がないから子種をくれと、二度目の要求をしてきたよ。断ったけど」
――ドラコニーの前任。それはサルゴンの兄だった。
「……オーネットは隠し子だったと言っていたけど」
「オーネット……あの子か。さっきも言ったでしょ。あれはドラコニーじゃないよ。というか、ライオネルでもフェニクスでも、魔法使いでもない。ドラコニーと魔法使いの中に一人だけ、何でもないのがいたから覚えてる」
静まり返る室内で、妖精王だけがゆったりと寛いでいた。
「そうだ、アデラ。君もドラコニーだった!」
「そうだけど」
「なら、早く契約を破棄しないと!」
「え?」
「契約のことを知らない人に話したら、アデラが死んじゃう!」
アデレイドの全身からさっと血の気が引く。契約はやはりろくなものではなかった。
「はい」
近くにいた兵士の懐にあったナイフを抜き取り、リュニヴェールが差し出す。その手には真っ白な契約書が握られていた。
「僕とドラコニーの契約は血の契約だ。ドラコニーの血にしか効果はないし、ドラコニーの血があれば解除できる」
では、オーネットとリリアンには効果はない。つまり。
「竜血の指輪はその効果をドラコニー以外の者にも及ぼすためのものね!」
「もうそんな力はない。ただの外せない指輪だよ。ほら、早く」
――「外せない指輪」?
リュニヴェールは迷いなくアデレイドの掌を刺す。契約書に落ちたのを確認するとすぐにエランドールの治癒の光が掌を包んだ。次いでリュニヴェールの体液が契約書に落ちる。
「我、リュニヴェールより竜の血に於いて、この契約を破棄する」
契約書は塵となって消えた。
「他には?」
子供のように笑ったリュニヴェールを連れ、アデレイドはホールへ向かう。あとを追ってきたエランドールの腕を引き、二人に耳打ちした。
「さぁ、落とし前をつけてもらいましょう」




