10
「交合おう、アデレイド。愛は『重ねるもの』なんでしょう?」
妖精王リュニヴェールはそのままアデレイドに触れた。金糸に指先を通し、口づけを落とす。腰を抱き寄せ、頬を撫で、唇に――。
「ふざけないで」
テラスのガラス扉越しに、高らかに笑うリリアンが見えた。――とある偉大なお方。アデレイドは脳裏に浮かんだサルゴンの下卑た笑みに微笑み返す。
「……アデレイド?」
「あなたが欲しいのは私の体?」
両腕をリュニヴェールの首へと回す。彼の肌に触れたところから、凍えていくようだった。
「君が僕の子種を欲しているんじゃなかったの?」
なるほど。リリアンを視界に入れながら、リュニヴェールとの距離を詰める。
「あなたの仕事は『子種を与えること』?」
「仕事? 『契約』だよ」
リュニヴェールが引き寄せた分だけ、アデレイドは柔らかに距離を取る。
「そう。『ドラコニー』との?」
リュニヴェールが瞬きを繰り返す。端麗な顔立ちが笑みを形作る。
「君はドラコニーなのにドラコニーじゃないみたいだ」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
アデレイドの指先は冷えきっていた。さり気なく、けれど大きく距離を取る。緊張を続けた心身が悲鳴を上げている。
「では、なぜリリアンの言うことに従っているの?」
「リリアン?」
疑問符を浮かべるリュニヴェールに、窓を示す。
「あぁ、あの子か。いや、僕が従っているのはドラコニーだよ。新しい、ドラコニーだ」
この世のものとは思えぬ白い肌が、アデレイドを示す。全身を何かが不気味に這い上がる感触がした。避け損ねた腕が、アデレイドを抱く。
「今代は君なんでしょう。君自身が、僕の子を産む」
翡翠の瞳に迫られながら、アデレイドの頭は急速に回転した。繋子、リリアン、偉大なお方、子種、ドラコニー。そして、竜血の指輪。
「なら、あの子の指輪には何の意味が?」
震える指先が、熱を持たない掌に捉えられる。
「あんな指輪に、何の意味もないよ」
繋がりかけた思考が霧散した。
――十年前。フェニクス領、領主の間。
エランドール・フェニクスは机上に広げた資料を全て投げ捨てた。
「クソ! ドラコニーめ!」
「ほっほっほ……若い若い」
「父上! これは反逆です!」
「そう目くじらを立てるな。証拠がない」
ベッドの老爺の瞳孔は鋭い。ライオネルの瞳孔が隠せなくなってから、父は領主の間で過ごしていた。といってももう、起き上がることもできない。
父の中で同居するライオネルの血が父の寿命を削っていた。
「父上はなぜライオネルなんかに……」
「エランよ、『強さ』とは何だと思う」
エランドールは静かに思考した。同時に父は長くないと直感する。
「フェニクスです。フェニクスこそが――」
「そうだろう。不死の力は強力だ。不死であれば『秘術』を使い、万年の時を遡ることもできる。しかし、果たしてそれは『真の強さ』だろうか」
換気のため開けた窓から、北の冷気が流れ込む。
父はそれを目を細めて受け止めた。
「北は過酷だ。だからこそフェニクスが統べる。真正面からやり合えば、勝てる者などいないだろう。では、我らに荒野を治めることは可能だろうか。フェニクスのみで三領を統治して、王位に立つことが」
エランドールは首を振る。荒野には何度も連れられていた。ライオネルは気性が荒い。分かりやすい武力と「気質」でもって統治されていた。彼らの矜持と独特の気品はフェニクスにはないものだ。
フェニクスの力を行使すれば、ライオネルはたちまち敵と化すだろう。
「わしはな、エラン。驕っておったのだ。ライオネルすら飲み込めると」
「その結果がこれですか?」
「我が息子ながら嫌味な奴だ。わしはライオネルに魅入られた。彼らの気高さに、その気質に」
「だからライオネルになったと?」
「それは優勝したからじゃ」
父は誇らしげに笑う。それこそが「魅入られる」ということだろう。
「ではドラコニーはどうですか、父上」
「お前はドラコニーを欲しいと思うのか」
「はは!」
噎せた父を起こし、背を撫でる。送ろうとした治癒の力は拒絶された。いつものことだ。
「ドラコニーを支配下に置くのは容易い。だが、あそこを治めるのは骨が折れるぞ」
「同感です」
水差しを父へと手渡しながら、エランドールは満たされた心地だった。強風が吹き込み、窓を閉める。戻ると父は眠っていた。落とした資料を拾いながら、父の寝息を聞く。――ん?
「これは寝言だ」
「はい」
エランドールはクスクス笑う。
「お前はライオネルの娘をもらえ」
「……フッ」
「出来ればドラコニーの血を引いてる者がいい」
「それから?」
「存分に尻に敷かれろ。――何だ、不満か?」
「父上、寝言では?」
飛んでくる拳は避けなかった。現役の頃からは程遠いそれをエランドールは受け止める。
「お前のような男はそれが幸せじゃ」
「そうですかね」
不満を隠さず琥珀色の瞳を見つめる。ライオネルの瞳孔は、確かに美しかった。
「笑え、エラン。ずっと笑っていろ」
「……珍しく父のようなことを言いますね」
「わしはずっとお前の父だ、馬鹿者」
エランドールは飛んできたまま動かなくなった拳を握りしめる。
「ドラコニーは必ず尻尾を出す。長い長い、白い尻尾をな」
「父上?」
父は鋭い瞳孔でエランドールを射抜く。
「『妖精王』は不死身だ」
「何だって?」
「古の鏡が必要になる。お前が歴史を終わらせろ。わしの力を持っていけ――」
「父上!」
領主の部屋が黄金に包まれる。残されたのは有史以後初めての本物の不死鳥だった。
「盛り上がってきたわね! ほら、二人のために部屋を――」
「あぁ! リリアン。ちょうどいいところに!」
テラスを開け放ったリリアンに抱きつくと、リリアンは頬を引き攣らせる。アデレイドはそのまま縋った。
「やっぱり駄目よ! 私エランを裏切れないわ!」
涙ながらに訴えれば、妖精の魔力が解けた。
突然の婚約に疑問を持たなかった民衆は、目の前の男の容姿に囚われていたに違いない。
「婚約破棄の話は聞いたか?」
「いや。そもそもフェニクス公爵がいない中で」
「そうだ、ドラコニー公爵も不在だぞ」
周囲の疑念がリリアンとオーネット、そしてリュニヴェールに突き刺さる。
「ふふふ……あははは! 皆して私を馬鹿にして! 私はドラコニーよ! そして、次期ドラコニー公爵の妻となる女!」
リリアンの手にはアデレイドとリュニヴェールの繋子契約書が握られていた。そこには確とドラコニー公爵の印が押されている。
「そうか『繋子』だったのか!」
「それならフェニクス公爵とは」
「待て。でもリリアン嬢は彼のことを『婚約者』と言ったぞ」
ざわつく人々の目の前で、件の書類は引き裂かれる。そして――。
「これがあなたとフェニクス公爵の『婚約書』ね」
続けて取り出した書類にはドラコニー公爵とフェニクス公爵のサインと、双方の印があった。それ以外のものを確認する前にそれは紙片と化す。
「どういうつもり?」
アデレイドは冷静にこの局面を見ていた。
白銀の男は薄い笑みをたたえたまま、ただリリアンを見つめる。最初に動いたのはオーネットだった。
「ドラコニー公爵として命じる!」
その手には公爵位の移譲――正式な公爵位継承の書類が握られていた。
「これよりアデレイド・ドラコニーと、妖精王リュニヴェール・フェリークは婚約する!」
アデレイドに叩きつけられた書類はドラコニーの正式な書面に記された婚約書だった。ご丁寧に公爵印も押されている。
しかし、民衆が反応したのはそんなものに対してではない。
「妖精王……?」
「あの、外敵の――!」
瞬間パニックが起こる。うっとりと見つめていた人離れした容姿は恐怖に変わり、皆が妖精王に背を向けた。我先にと逃げ出す人々で出口という出口が滅茶苦茶になる。――このままでは。
アデレイドは咆哮した。持てるライオネル全ての力を振り絞り、天に向かって叫ぶ。
「聞け! この男は私の婚約者となった! あなたたちの敵にはしない!」
静まり返った城内に、体重を感じさせない靴音が響く。
「じゃあ、僕たちは正式に婚約者だね」
未知の力がアデレイドの全身を覆う。震え出す体を抱き締め、アデレイドは笑った。
「えぇ、いつまでも笑顔で隣に立てるように致しましょう」
差し出された人ならざるものの手を取るアデレイドを、リリアンとオーネットは拍手で送り出す。人々は訳も分からずそれに従う。
去り際、耳元でリリアンが落とす。
「アデレイド、私たちの勝ちよ」
無数の拍手に見送られながら、アデレイドは隣の男を静かに観察した。




