自分の金で食う飯 ①
町の通りに灯が入り始めた頃、アラタは巴と並んで歩いていた。
昼間の熱が石畳にわずかに残り、店先からは煮物や焼き魚の匂いが流れてくる。仕事帰りの者が増えたせいか、朝よりも通りは賑やかだった。
アラタの腰では、小さな革袋が歩くたびに鳴っている。
「さっきから何回それ触ってるんですか」
巴が呆れたように言った。
「そう何度も触ってはおらん」
「詰所を出てから四回目です」
「数えておったのか?」
「目につくんですよ」
アラタは袋から手を離した。
「嬉しいんですか?」
「少しな」
「素直ですね」
「嬉しいものを嬉しくないと言う歳でもない」
「見た目は十四、五歳ですけどね」
「そこはもうよかろう」
巴が笑った。
通りの角を曲がると、炭火の匂いが強くなった。
軒先で魚を焼いている食堂がある。昼間にも前を通った店だ。暖簾の向こうから椀の触れ合う音と話し声が聞こえる。
アラタの足が止まった。
「ここじゃな」
「迷いがないですね」
「朝から決めておった」
「朝から?」
「働いた後は魚と飯がよい」
「まだこの町に来て三日目なのに、そういうところだけ馴染むの早くないですか?」
「食える時に食うのは大切じゃぞ」
巴が腰の小袋を探る。
「食事券、今夜の分もありますよ?」
「今日は使わん」
「え?」
アラタは腰の革袋を軽く叩いた。
「せっかく自分で稼いだのじゃ。一度くらい、自分の金で食ってみたい」
巴は一瞬きょとんとして、それから笑った。
「じゃあ今日は贅沢ですね」
「魚一匹で贅沢とは世知辛いのう」
「昨日まで無一文だった人が言わないでください」
そう言われると返す言葉がなかった。
その時、後ろから声がした。
「アラタさん」
振り返ると、志乃と圭介がいた。
二人とも革具足は外している。志乃は短弓も預けてきたらしく、焦げ茶色の小袖だけになると、森にいた時より少し年若く見えた。圭介も槍を持っておらず、肩から力が抜けている。
「おお。まだ帰っておらんかったか」
「報酬を受け取った後、道具を返したりしてたので」
志乃が答える。
圭介は食堂の暖簾とアラタを見比べた。
「これから飯ですか?」
「うむ。初稼ぎでな」
アラタが腰の袋を軽く叩く。
圭介が少し笑った。
「さっきもすごい真剣な顔してましたもんね」
「それを言うな」
「じゃあ俺たちも一緒にいいですか?」
「わしの店ではないぞ」
「そうでした」
圭介が真顔で返し、志乃が小さく吹き出した。
四人で暖簾をくぐった。
店内は思ったより広かった。
低い卓がいくつも並び、奥では大きな釜から湯気が上がっている。壁際には木札が掛けられ、墨で料理の名が書かれていた。見慣れた料理に混じって、アラタの知らない名もある。
客の格好もばらばらだった。
作務衣のようなものを着た男。洋服姿の女。帯刀した武士風の二人組。その隣では、明らかに時代の違う上着を着た老人が飯をかき込んでいる。
三日目ともなると、この光景にも少し慣れてきた。
「何にします?」
巴が聞く。
アラタは壁の木札を眺めた。
焼き魚。
煮魚。
鶏と根菜の煮込み。
汁物。
漬物。
少し考える。
「焼き魚と飯。汁も欲しいのう」
「結局それなんですね」
「何が悪い」
「悪くないですけど」
志乃も壁を見る。
「私は煮込みにします」
「俺も」
圭介が即答する。
志乃が横を見る。
「自分で決めたんですか?」
「決めましたよ!」
「今、私の真似したように聞こえましたけど」
「違いますって」
また二人が始めた。
アラタは笑いながら空いた卓へ座った。
しばらくして、料理が運ばれてくる。
焼き魚は川魚らしい。皮に焦げ目がつき、箸を入れると白い身から湯気が立った。飯は炊きたてで、汁には豆腐と青菜が入っている。
「いただきます」
巴と志乃、圭介がほぼ同時に言った。
アラタも少し遅れて手を合わせる。
「いただきます」
魚を一口。
塩は薄めだった。
だが、その分だけ魚そのものの味がよく分かる。
「……うむ」
「またその顔」
巴が言った。
「何じゃ」
「ご飯食べてる時だけ本当に普通の子供みたいです」
「それは褒めておるのか?」
「半分くらいは」
「残り半分は?」
「森で七頭に囲まれてた時と同じ人には見えないなって」
その言葉に、圭介が勢いよく頷いた。
「それです。本当にそれなんですよ」
「お主まで何じゃ」
「俺、まだよく分かってないんですけど」
圭介は箸を置いた。
「アラタさんって、前にも討伐者みたいなことしてたんですか?」
志乃もアラタを見る。
当然の疑問だった。
アラタは飯を飲み込んでから答える。
「似たようなことはしておったよ」
「どこで?」
「前にいたところじゃ」
「日本じゃなくて?」
圭介の質問に、アラタは一瞬だけ箸を止めた。
巴は黙っている。
役所で話したことを思えば、ここで完全に隠す必要もない。
「日本を離れた後、別のところで長く暮らしておった」
「別のところ……」
志乃の目が少し細くなる。
「この世界へ来る前にも、別の場所で生きてたってことですか?」
「そうなるのう」
「じゃあ、本当に三回目……?」
圭介が呟く。
「数えるならな」
「何年くらい?」
「それは長い話になる」
「百年以上って言ってましたよ」
巴が横からさらりと言った。
圭介の箸が止まった。
志乃も止まった。
アラタが巴を見る。
「巴お嬢ちゃん」
「何です?」
「黙っておくという気遣いはないのか?」
「聞かれたら答えるって言ってたじゃないですか」
「わしは聞かれておらん」
「似たようなものです」
「全然違うと思うぞ」
圭介が口を挟んだ。
「百……?」
「そこだけ拾わんでよい」
「いや拾いますよ!」
店の何人かがこちらを見た。
圭介は慌てて声を落とした。
「すみません。でも、百って」
「細かく数えておらんが、そのくらいじゃ」
「なのに、見た目はどう見ても子供?」
「登録上は十五じゃ」
「意味が分からない……」
圭介が額を押さえる。
その横で、志乃はしばらくアラタを見ていた。
「だからですか」
「何がじゃ?」
「戦う時です。強いというより……慣れすぎてる感じがしたので」
アラタは少しだけ目を細めた。
力ではなく、そこを見るのか。
「よく見ておるな」
「弓は、見ないと当てられないので」
志乃はそう言って、煮込みを口へ運んだ。
それ以上は聞いてこなかった。
死んだ記憶を持つ者が集まる場所だ。
誰にでも、簡単には話したくない過去がある。
志乃自身もそうなのだろう。
圭介も何かを察したのか、「百かあ……」と小さく呟いただけで質問を止めた。
代わりに巴が魚を見た。
「それ、おいしいですか?」
「やらんぞ」
「まだ何も言ってません」
「顔に書いてある」
「一口だけ」
「自分で頼め」
「けち」
「初稼ぎの魚じゃ。今日は特別なのだ」
「百歳超えてる人の発言とは思えませんね」
「百を越えても魚は惜しい」
志乃が笑った。
圭介もつられて笑う。
アラタは結局、魚の腹の一番身が厚いところを少しだけ巴の皿へ置いた。
「ありがとうございます」
「一口じゃぞ」
「分かってますって」
そう言いながら巴は嬉しそうに食べた。
食事が終わる頃には、店の客も増えていた。
仕事帰りらしい男たちが酒を頼み、奥の卓では子供を連れた夫婦が夕食を取っている。店員が忙しそうに卓の間を行き来し、入口の暖簾が何度も揺れた。
遠くで戦争が続いているとは思えないほど、町は穏やかだった。
もっとも、戦争とはそういうものだ。
戦場から離れた場所では、誰かが飯を炊き、子を寝かせ、翌日の仕事を考える。
それを守るために前線がある。
アラタは汁を飲み干した。
西の方では、信長とアレキサンダー大王が戦っている。
どれほどの規模かは知らない。
だが、この町でこうして飯が食えるうちは、少なくとも戦線は破られていないのだろう。
「どうかしました?」
巴に聞かれた。
「いや。うまかったと思ってな」
「絶対それだけじゃない顔でしたよ」
「飯を食って難しいことを考えるのは体によくない」
「誤魔化しましたね」
「年寄りの知恵じゃ」
「見た目十四歳くらい」
「しつこいのう」
会計になると、アラタは自分の分を自分で払った。
硬貨を店員の掌へ置く。
受け取った釣りを確かめ、革袋へ戻す。
たったそれだけのことなのに、不思議と満足した。
圭介がその様子を見ている。
「そんなに嬉しいものですか?」
「お主も今日が初報酬ではないのか?」
「そうですけど」
「なら大事にせい。最初に自分で稼いだ金は、一度しかもらえん」
圭介は自分の袋を見る。
少し考えてから頷いた。
「じゃあ、何か残しておこうかな」
「使わん金は飯にならんぞ」
「どっちなんですか!」
「大事に使えということじゃ」
志乃が笑いながら立ち上がった。
店の前で志乃と圭介とは別れた。
「また詰所で」
志乃が言う。
「次はもうちょっと槍を練習してきます」
圭介も続く。
「無理はせんことじゃ」
「はい」
二人が人混みへ消えていく。




