ただいま
その日の午後。
アラタたちは、討伐者詰所へ戻っていた。
「家が決まったぞ」
そう告げると、子供たちの視線が一斉に集まった。
「家?」
一人が尋ねる。
「うむ。全員で住めるくらいには広い」
子供たちが顔を見合わせる。
もっと喜ぶかと思っていたが、すぐに声を上げる者はいなかった。
ベルガもそれに気づいたらしい。
「どうした」
ミナが小さく手を上げる。
「ベルガ姉ちゃんも?」
「当然だ」
「明日も?」
ベルガは一瞬だけ言葉を止めた。
「明日もおる。その次の日もな」
ミナはまだベルガを見ている。
「ずっと?」
ベルガは胸を張った。
「妾がそう簡単にいなくなると思うか」
ようやく、ミナの顔が少し緩んだ。
その隣にいた男の子がアラタを見る。
「アラタも?」
「わしもじゃ」
「みんな?」
「そうなるのう」
志乃と圭介も頷く。
弁慶も、何も言わず大きく頷いた。
子供たちの間から、ようやく小さな笑い声が漏れた。
◇
荷物は多くなかった。
むしろ、少なすぎた。
ベルガも子供たちも、持ってきた物は小さな袋に収まる程度しかない。
服や布、それに古びた小物がいくつか。
それだけだった。
志乃と圭介はそれぞれ自分の荷物を取りに行き、残った荷物は弁慶がまとめて持った。
「弁慶、それ全部持つのかの」
「この程度ならば何でもない」
両腕に荷物を抱え、背にもいくつか載せている。
その姿を見た子供が声を上げた。
「すごい」
弁慶がそちらを見る。
「そうか」
少し嬉しそうだった。
圭介が戻ってくる。
「弁慶さん、一人だけ引っ越し業者みたいになってますね」
「何だ、それは」
「いえ、気にしないでください」
新しい屋敷までの道を、子供たちは固まって歩いた。
ベルガの周囲から離れず、何度も行き先を確認するように前を見ている。
やがて石塀が見えてきた。
門の前で、子供たちの足が止まる。
「……ここ?」
ミナが見上げた。
ベルガが頷く。
「ここだ」
「大きい……」
「この人数で住むのだ。これくらいは必要であろう」
「さっきは子供らが走れる広さばかり見ておったではないか」
「細かい男だな、勇者アラタ」
「何が細かいんじゃ」
アラタが鍵を差し込み、門を開けた。
続いて屋敷の扉を開く。
「ほれ、入れ」
だが、誰もすぐには動かなかった。
子供たちは開いた扉の向こうを見ている。
ミナがベルガの服を掴んだ。
「入っていいの?」
「何を言っておる」
「怒られない?」
ベルガから笑みが消えた。
「誰にだ」
「……分かんない」
前の場所では、勝手に動けば怒鳴られることがあった。
その癖が、まだ残っている。
ベルガはミナの前へしゃがんだ。
「よいか」
ミナが顔を上げる。
「ここは、もうあの場所ではない」
他の子供たちも聞いている。
「腹が減れば言え。寒ければ言え。嫌なことがあれば妾に言え」
ベルガは開いた玄関を指した。
「勝手に殴る者もおらん。食べ物を取り上げる者もおらん」
そこで少し間を置く。
「まあ、竜王リーズが菓子を食い尽くす可能性はあるがな」
「誰が食い尽くす」
リーズが即座に返した。
ベルガの口元が上がる。
「食いつくところを見ると怪しいな」
「貴様……」
子供たちが笑った。
ベルガは再びミナを見る。
「入れ。ここは、お前たちが住む家だ」
ミナが恐る恐る一歩を踏み出した。
玄関へ入る。
何も起こらない。
その後ろから、一人、また一人と続いていく。
やがて子供たちは一階の居間へ駆け込んだ。
「広い!」
「庭ある!」
「二階行っていい!?」
「待て! 走るな!」
ベルガの声が飛ぶ。
だが、その声に怒気はなかった。
◇
部屋割りは、すぐには決まらなかった。
子供たちは何人かずつ同じ部屋を使う。
そこまでは決まった。
問題は、それ以外だった。
「我は我が主の隣を使う」
リーズが当然のように言った。
ベルガが横から顔を出す。
「ほう」
「何だ」
「まだ勇者アラタの部屋すら決まっておらぬぞ」
「ならば我が主が決めた後、その隣を使う」
「そこまでして隣がよいのか」
「当然だ」
ベルガはしばらくリーズを見る。
「ならば妾は反対側にするか」
リーズが振り返った。
「なぜだ!」
「何をそんなに慌てておる」
「慌てていない!」
「そうか? 随分と必死に見えるぞ、竜王リーズ」
「貴様……!」
ベルガは楽しそうだった。
「勇者アラタを二人で挟めばよかろう」
「よくない!」
「なぜだ?」
「よくないものはよくない!」
圭介が小さく呟く。
「完全に遊ばれてますね」
志乃が頷いた。
「ベルガさん、楽しそうです」
「聞こえているぞ」
リーズが二人を睨む。
ベルガは声を上げて笑った。
「わははは! 相変わらず面白いな、竜王リーズ!」
「後で覚えていろ、ベルガ」
「今でも構わんぞ?」
「二人とも家を壊すでないぞ」
アラタが口を挟む。
「まだ何もしていない!」
リーズの声だけが返ってきた。
志乃は廊下の奥を見る。
「私は空いているところで大丈夫です」
「俺もです」
弁慶は一階を見回した。
「拙僧は一階で構わぬ」
アラタが振り返る。
「二階でなくてよいのか?」
「この身体では、階段も狭かろう」
「それもそうじゃな」
さっき梁へ頭をぶつけた姿を思い出したのか、圭介が少し笑っていた。
結局、細かな部屋割りは後回しになった。
◇
夕方になると、役所側から当面の食料と、今夜使う寝具が届けられた。
毛布や敷物に加え、パン、野菜、肉、それに大きな鍋に入ったスープまである。
今日は引っ越したばかりだからと、必要なものをまとめて用意してくれたらしい。
大きな居間へ全員が集まった。
子供たちは最初こそ遠慮していたが、次第に隣の皿を覗いたり、欲しいものを取り合ったりしながら食べ始めた。
ベルガもその中に混じり、パンを片手に子供へ野菜を押しつけている。
「肉ばかり食うな。野菜も食え」
「ベルガ姉ちゃんも肉食べてる」
「妾はよいのだ」
「ずるい」
「大人には大人の事情がある」
アラタがベルガを見る。
「お主、今の見た目でそれを言うか」
「中身を見ろ、勇者アラタ」
「見た目の話をしておる」
「細かい男だな」
「さっきも聞いたぞ、それ」
圭介が笑う。
ベルガは気にした様子もなく、そのまま食事へ戻った。
◇
食事が終わる頃には、外は暗くなっていた。
ミナは眠そうに目を擦りながら、それでも居間から離れようとしない。
「眠いなら寝ろ」
ベルガが言う。
「……明日もここ?」
また同じことを聞いた。
今度は迷わない。
「そうだ」
「起きても?」
「おる」
「ベルガ姉ちゃんも?」
「何度言わせる。おるぞ」
ミナは小さく頷いた。
「おやすみ」
「うむ。おやすみ」
他の子供たちと一緒に、廊下の向こうへ消えていく。
ベルガはその後ろ姿をしばらく見送っていた。
やがて、小さく息を吐く。
アラタは何も聞かなかった。
ベルガも何も言わない。
その時だった。
リーズが自分の右手を見る。
「……またか」
指先が、薄く透け始めていた。
アラタも気づく。
「リーズ」
「せっかくここまで残れたというのに……」
リーズは消え始めた手を睨んだ。
右手だけではない。
指先から広がった淡い光が、少しずつ腕の輪郭を曖昧にしていく。
ベルガが一瞬だけ目を丸くする。
だが、すぐにリーズを見る。
「何だ、竜王リーズ。せっかく勇者アラタの隣を狙っておったというのに、もう帰るのか?」
「笑うな!」
「いや、これは少し面白い」
「貴様……!」
光は腕から肩へ広がっていった。
ベルガの笑みが少し薄れる。
「……本当に帰るようだな」
リーズはアラタを見る。
「我が主」
「何じゃ」
「何とかしてくれ」
「前にも言ったじゃろう。わしにも分からん」
「では、どうすればいい!」
「それが分かれば苦労せんわ!」
リーズは消えていく自分の腕を睨んだ。
「せっかく、我が主の隣に住めると思ったのだぞ」
ベルガが口を挟む。
「まだ隣とは決まっておらん」
「貴様は黙っていろ!」
「まだそれだけ元気なら大丈夫そうだな」
「ベルガ!」
ベルガは肩をすくめた。
「そんな顔をせずとも、また来るのであろう?」
リーズは一瞬だけ黙った。
「当然だ」
「ならばよい」
ベルガが胸を張る。
「戻ってくるまで、勇者アラタの隣は妾がもらっておこう」
「絶対に許さん!」
ベルガが声を上げて笑った。
「そう怒るな。冗談だ」
「貴様の場合、信用できん!」
「それはお互い様であろう?」
リーズの姿がさらに薄くなる。
向こう側の壁が、身体越しに見え始めていた。
リーズはベルガから視線を外す。
「我が主」
「うむ」
「隣は空けておけ」
「まだ言うか」
「我が使う」
「いつ戻れるかも分からんじゃろう」
「戻る」
迷いのない声だった。
「前も道を探して戻ってきた。今度も戻る」
「また皆を巻き込んで無茶をする気かのう」
「当然だ」
「当然ではない」
「次はもっと長くいる」
「今回も十分長かったと思うがのう」
「足りん」
ベルガが横から言う。
「勇者アラタも大変だな。随分と執念深い竜に好かれたものだ」
「貴様にだけは言われたくない!」
「それもそうだな」
「認めるのか……」
アラタが呟く。
リーズの身体を包む光が強くなった。
「我が主」
「何じゃ」
「待っていろ」
「うむ」
アラタは頷いた。
「また来い」
リーズはそれだけ聞くと、満足そうに笑った。
その姿が淡い光の中でほどけ、やがて完全に見えなくなった。
誰もいなくなった場所を、アラタはしばらく見ていた。
「……戻ったんですかね」
圭介が尋ねる。
「おそらくのう」
今回も、なぜ戻されたのかは分からない。
ただ、前より長く現世界にいられたことだけは確かだった。
ベルガが二階を見る。
「さて」
アラタが嫌な予感を覚える。
「何じゃ」
「竜王リーズが狙っておった場所、妾がもらってやろうか?」
「お主、本当に使う気か?」
「さすがにやめておこう。戻ってきた時が面倒だ」
「珍しく賢明じゃな」
「だが、少しくらい物を置いておくのは面白そうだ」
「やめい」
圭介が笑う。
「俺もちょっと見てみたいですけど」
「圭介まで煽るでない」
ベルガは楽しそうに笑っていた。
アラタは立ち上がると、癖のように腰へ手をやった。
安い予備剣が迷宮で折れてから、そこには何もない。
そこで、ふと思い出す。
「そういえば」
圭介が見る。
「何ですか?」
「正宗に預けた物じゃ」
迷宮から持ち帰った黒い金属。
そして、大蛇の尾から出てきた灰銀色の剣らしきもの。
アラタは空になった腰を軽く叩いた。
「そろそろ、見に行くかのう」




