一つのパン
近づいてくる子供たちの顔を、ベルガは一人ずつ見ていた。
どれも知っている顔だった。
同じ建物で暮らし、ある日突然いなくなった子供たち。
その中に、奥で身を寄せている小さな少女がいた。
「……ミナ」
呼ばれた少女が顔を上げた。
しばらくベルガを見つめたあと、その目が大きく開く。
「ベルガ姉ちゃん……?」
「妾だ」
ミナはすぐには動かなかった。
本当にそこにいるのか確かめるように見つめてから、ゆっくり立ち上がる。
一歩。
もう一歩。
ベルガの前まで来ると、何も言わず服の裾を掴んだ。
ベルガも手を伸ばしかけたが、途中で止める。
ミナの方から身体を寄せてきた。
その小さな頭に、今度は静かに手を置いた。
「遅くなった」
「……うん」
「すまなかった」
ミナは首を振った。
ベルガはそれ以上何も言わず、しばらくそのままでいた。
アラタもリーズも口を挟まない。
やがて玄馬が倒れた男たちへ目を向けた。
「ここはこのままにはできないな。人を呼んで引き継ぐ」
「妾らは?」
「それまでは待つ。子供を連れて、こいつらまで抱えて戻る必要はない」
ベルガは今度は反論しなかった。
ほどなく玄馬が東門側から討伐者を連れて戻り、倉庫と男たちの見張りを引き継がせた。
子供たちの名前と帳面の照合は、落ち着いてから玄馬が行うことになった。
今は、ここから連れ出すことが先だった。
◇
討伐者詰所へ戻ると、先に保護されていた子供たちが入口まで飛び出してきた。
倉庫から連れてきた子供たちの姿を見つけ、あちこちから名前を呼ぶ声が上がる。
泣きながら抱きつく者もいれば、少し離れたところで笑っている者もいた。
ミナも、知っている顔を見つけたらしい。
ベルガの裾から手を離し、子供たちの輪へ入っていく。
ベルガはその背中を見送った。
「いたんですね」
志乃が隣まで来ていた。
「ああ」
玄馬が答える。
「ミナもいた。ほかにも、あの施設から移された子が何人か見つかった」
圭介が安堵したように息を吐く。
「よかった……」
「全部終わったわけじゃないけどな」
玄馬はそれだけ言うと、詰所の者たちへ子供の人数と怪我の確認を頼んだ。
アラタたちは口を挟まない。
事件の残りは、後で調べればいい。
今は戻ってきた子供たちを休ませる方が先だった。
しばらくして、奥の部屋に食事が運ばれてきた。
温かい汁物と、パン。
量は多くないが、人数分ある。
ベルガはいつものように年下の子供たちへ先に座るよう言い、器が行き渡っているかを確かめて回った。
「取り合うでないぞ。足りぬなら言え」
「ベルガ姉ちゃんも座って」
「分かっておる」
返事をしながらも、最後まで立ったままだった。
やがて空いた場所へ腰を下ろすと、ベルガの前にも一人分の器とパンが置かれた。
その瞬間だけ、動きが止まった。
以前も、同じように自分の前へ食事が置かれたことがある。
あの時は目を逸らした。
腹は減っていないと言った。
自分が食べるくらいなら、子供へ回した方がいいと思っていた。
ベルガはパンへ手を伸ばした。
持ち上げると、無意識に隣を見る。
そこに座っていた子供は、すでに自分のパンを両手で持っていた。
「どうしたの?」
「……何でもない」
ベルガは手を戻した。
少し離れたところでアラタがこちらを見ている。
リーズも気づいていた。
だが、二人とも何も言わない。
ベルガは小さく鼻を鳴らすと、パンを一口かじった。
隣の子供が笑う。
「おいしい?」
「普通である」
「じゃあ、いらない?」
ベルガはパンを持つ手を引いた。
「誰がやると言った」
「前はくれたよ」
言葉が止まる。
子供は悪気なく、自分のパンを食べている。
ベルガは手の中のパンを見た。
「……今日はやらん」
「うん」
あまりにも簡単に返され、ベルガの方が少しだけ困った顔をした。
アラタが笑いを堪えている。
「何がおかしい」
「何も言っておらんぞ」
「顔がうるさい」
「難しい注文じゃのう」
リーズがふっと笑った。
ベルガがそちらを見る。
「何だ、竜王リーズ」
「別に」
「なら笑うな」
「それは我の勝手だ」
ベルガは何か言い返そうとして、やめた。
代わりにもう一口、パンをかじる。
自分が犯した罪は消えない。
奪った命も、したことも、忘れるつもりはなかった。
これからも背負っていく。
けれど、背負うことと、自分まで捨てることは違う。
自分だけが腹を空かせ、自分だけが傷つき続ければ、何かが償えるわけでもない。
ベルガは手の中に残ったパンを見た。
今度は誰にも渡さなかった。
子供たちの声を聞きながら、最後まで自分で食べた。
食事が終わる頃、玄馬が部屋の入口から声をかけた。
「アラタ。少しいいか」
「何じゃ?」
玄馬は部屋の中にいる子供たちを見た。
「この子らの今後についてだ」




