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魔王ベルガ=スターク

「……そうか」


男の腕の中で、ベルガが小さく呟いた。


「何がだ」


背後の男が苛立ったように言う。


「黙ってろ。動くな」


ベルガは答えなかった。


首には刃がある。


腕を掴まれている。


力を入れても、今の身体では振りほどけない。


それは何一つ変わっていない。


ベルガは一度だけ目を閉じた。


そして、開く。


「先ほどの妾は、確かに怯えた」


アラタがベルガを見る。


男も一瞬、意味が分からないという顔をした。


「何を――」


「身体が勝手に固まった。声も出なかった」


ベルガは続ける。


「今も怖くないと言えば嘘になる」


リーズは黙っている。


「だが」


ベルガの声が変わった。


大きくなったわけではない。


それでも、その場にいた全員の耳へ届いた。


「それがどうした」


男の腕が僅かに強くなる。


「黙れって言ってんだ!」


「うるさい」


「何だと?」


「さっきから同じことしか言えぬのか」


ベルガが鼻で笑った。


「妾には力がない」


ベルガは言った。


「貴様一人、振りほどくこともできぬ。それも事実だ」


「だったら――」


「最後まで聞け」


今度は、男の言葉が止まった。


「妾は多くの命を奪った。その罪を忘れるつもりはない」


ベルガの視線が落ちる。


一瞬だけ。


そして、もう逸らさなかった。


「死ぬまで背負う」


倉庫の奥から、かすかな咳が聞こえる。


「だが、それと」


ベルガは自分を押さえつけている腕を見る。


「貴様らに踏みつけられてよいことは、別の話だ」


男の顔が険しくなった。


「このガキ――」


「誰がガキだ」


「どう見てもガキだろうが!」


「見た目だけで相手を決めるから、貴様はその程度なのだ」


「てめえ!」


男がベルガを引き寄せる。


刃が動いた。


アラタの足が僅かに前へ出る。


「動くな!」


男が叫ぶ。


アラタは止まった。


ベルガは男ではなく、倉庫の中を見た。


倒れている者。


立っている者。


奥の仕切り。


入口。


玄馬。


弁慶。


アラタ。


リーズ。


全部見える。


「……なるほど」


「何だ」


男が聞く。


ベルガは笑った。


今度は無理に作った笑みではなかった。


「妾が弱いから何だ。弱いなら、弱いなりの戦い方をすればよいだけのことだ」


「は?」


「アラタ」


「何じゃ」


「そのままじゃ」


アラタは動かない。


「玄馬。奥を見ておれ」


「……分かった」


玄馬が仕切り側の男たちへ視線を向ける。


「弁慶」


「何だ」


「入口を塞げ。一人も逃がすな」


「承知した」


男が怒鳴る。


「何勝手に仕切ってんだ!」


ベルガは無視した。


「リーズ」


「何だ」


「妾が合図したら……いいな?」


「分かった」


「お前ら、ふざけ――」


男がベルガを引きずるように下がろうとした。


その瞬間、ベルガが膝から力を抜いた。


「なっ」


小さな身体が一気に沈む。


男が反応するより先に、ベルガの首が刃の位置から外れた。


「今じゃ!」


リーズが消えた。


そう見えた。


次の瞬間には、ベルガの首元にあった男の手首を掴んでいる。


男が腕を引こうとする。


だが、びくともしない。


リーズが手首を捻る。


男の指が開き、短剣が床へ落ちた。


アラタが一気に距離を詰め、男の腹へ掌を当てた。


「ふん!」


男の身体が後ろへ吹き飛び、床を転がった。


ベルガはその場に尻餅をつく。


一瞬、静かになった。


リーズが見下ろす。


「無茶をするな、馬鹿」


ベルガが顔を上げる。


「誰に言っておる」


「貴様以外に誰がいる」


ベルガは立ち上がろうとした。


足に力が入りきらず、少しよろける。


リーズが手を出す。


ベルガはその手を見る。


「いらん」


「そうか」


リーズはあっさり引っ込めた。


ベルガは自分で立った。


服についた埃を払い、倉庫の奥を見る。


まだ男たちが残っている。


先ほどまでとは違い、誰もすぐには動けなかった。


ベルガが胸を張る。


小さな身体だった。


魔力もない。


軍勢もない。


それでも。


「よく聞け!」


声が倉庫の中へ響いた。


「妾はベルガ=スターク!」


リーズが静かにベルガを見る。


「魔族を統べた――魔王である!」


男たちが呆然とする。


誰かが小さく言った。


「……魔王?」


「そうだ!」


ベルガは笑った。


「わははは!」


久しぶりに聞く高笑いだった。


「ようやく戻ったかの」


アラタが言う。


「何を言う」


ベルガが振り返る。


「妾は最初から妾であったわ!」


リーズが返す。


「よく言う」


「うるさいぞ、馬鹿竜!」


「誰が馬鹿竜だ、淫乱魔王!」


「貴様以外に誰がおる!」


「その言葉、そのまま返してやる!」


アラタが額を押さえた。


「戻りすぎじゃろう……」


玄馬が呆れたように二人を見る。


「喧嘩は後にしろ!」


奥で男たちが動いた。


一人が右手の木箱の間を抜けようとする。


ベルガがすぐに気づく。


「馬鹿竜! 右を逃がすな!」


「誰が馬鹿竜だ!」


文句を言いながら、リーズが男の前へ回る。


逃げようとした男が急停止した。


「弁慶、左じゃ!」


「承知!」


弁慶が木箱の間を抜けようとした二人の前へ立つ。


男たちが止まる。


「アラタ! 中央の三人が動くぞ!」


「分かっておる!」


「さっきも聞いたぞ!」


「なら言わんでもよかろう!」


「妾が言いたいから言っておる!」


「理不尽じゃ!」


アラタが一人の棒をかわし、手首を取る。


そのまま身体を入れ替え、もう一人へぶつけた。


玄馬も奥へ回ろうとした男の足を払う。


戦いは長く続かなかった。


もともと力量が違う。


逃げ道を塞がれ、動きをベルガに読まれれば、数が残っていても意味はない。


最後の一人が床へ倒れる。


倉庫が静かになった。


ベルガはすぐ奥を見る。


「子供らじゃ」


仕切りの向こうを見据える。


「アラタ。先に見てこい」


「わしか」


「当たり前であろう。妾より頑丈じゃ」


アラタが仕切りへ向かう。


「戻った途端、人使いが荒いのう」


「何を今さら言っておる。急げ」


「はいはい」


アラタが板の仕切りへ近づく。


簡単な掛け金が付いていた。


外す。


扉を開く。


暗い一角の中に、小さな影がいくつもあった。


壁際に身を寄せ、怯えた顔でこちらを見ている。


ベルガがアラタの横から覗き込む。


「……おった」


子供たちはすぐには動かなかった。


見知らぬ大人たち。


倒れている男たち。


何が起きたのか分からないのだろう。


ベルガがしゃがむ。


「もう大丈夫である」


返事はない。


「迎えに来たぞ」


奥にいた小さな子が、恐る恐る顔を上げる。


ベルガは手を伸ばさなかった。


ただ、その場で待った。


やがて一人が立ち上がる。


続いて、隣の子も。


少しずつこちらへ近づいてくる。


ベルガはその姿を見ながら、ゆっくり息を吐いた。


子供たちの一人が、不思議そうにベルガを見る。


ベルガもその視線に気づいた。


そして。


ほんの少しだけ、笑った。

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