染みついたもの
詰所の奥の部屋で、捕らえた男は椅子に座らされていた。
両手は後ろで縛られ、玄馬が机を挟んで向かいに座っている。アラタと弁慶も少し離れた場所から男を見ていた。
「もう一度聞く。あの建物を仕切っているのはお前か」
男は顔を背けた。
「違う。俺は見張りみたいなもんだ」
「誰の?」
「知らねえよ」
「知らない相手の言うことを聞いて、子供を殴ってたのか」
男が黙る。
玄馬は急かさなかった。
しばらくして、男が小さく舌打ちした。
「飯や金を持ってくる奴がいる。俺はそいつから言われた通りにしてただけだ」
アラタが壁際から口を挟む。
「その者が責任者か?」
「知らねえ。ただ、あそこじゃ一番偉そうにしてる」
「どれくらいの頻度で来る」
「決まってねえよ。何日か空くこともある」
玄馬がさらに聞く。
「今日は来るのか」
男の視線が僅かに揺れた。
「……夕方には来るかもしれない」
それだけで十分だった。
◇
日が傾き始める前に、アラタたちは再び建物へ戻った。
捕らえた男は詰所の者に見張らせ、子供たちもそこで休ませている。志乃と圭介には、そのまま子供たちの側に残ってもらうことになった。
ベルガだけは同行した。
本当なら彼女も残らせるつもりだったが、本人が首を縦に振らなかった。
「妾はここで暮らしておった。知らぬ者だけで調べるより役に立つ」
アラタはしばらく考えた末、条件を付けた。
「勝手に前へ出るな。危ないと思ったら下がれ」
「妾を誰だと思っておる」
「今は武器も力もない小娘じゃ」
ベルガの眉が跳ねる。
「言っておくが、妾は――」
「分かっておる」
アラタは笑わずに言った。
「だからこそ連れてきた」
ベルガは少し黙り、それ以上は反論しなかった。
リーズは腕を組んだまま、そのやり取りを聞いていた。
◇
建物の前には、見覚えのない荷車が止まっていた。荷台には空の木箱が三つと、太い縄が積まれている。
玄馬が小さく頷く。
「来てるな」
中へ入ると、一階の広間には三人の男がいた。
中央にいるのは五十前後の大柄な男で、他の二人より明らかに身なりがいい。机の前に座り、開いた帳面と革袋を並べている。
壁際には、棍棒を持った若い男が二人いた。
玄馬が先に進む。
「ここを預かっている責任者は誰だ」
大柄な男が顔を上げた。
「何だ、お前ら」
「質問に答えろ」
男は玄馬を見たあと、その後ろにいるアラタたちへ視線を移した。
そして、ベルガで止まった。
「お前」
ベルガの足が止まる。
「何で外にいる」
男の声が低くなった。
「誰が勝手に出ていいと言った!」
ベルガの肩が僅かに跳ねた。
ほんの一瞬だった。
「……チッ」
リーズが舌打ちする。
ベルガが振り向いた。
「何だ」
「別に」
それだけ答えると、リーズは男の方へ視線を戻した。
大柄な男が立ち上がる。
「戻れ。話はあとだ」
ベルガは男を見返した。
「断る」
声は出ている。
だが、アラタが知る以前のベルガほどの勢いはない。
男にもそれが分かったのか、口元に笑みを浮かべた。
「何だ、その口の利き方は」
ベルガの手が握られる。
「妾は――」
「黙れ!」
ベルガの身体が固まり、言い返しかけた言葉が喉で止まった。
アラタはそれを見たが、何も言わず大柄な男へ向き直った。
「その娘に命令する前に、こちらの話を聞いてもらおうかの」
「誰だ、てめえ」
「子供らを連れ出した者じゃ」
大柄な男の笑みが消える。
「勝手なことしやがって」
「勝手?」
玄馬が一歩前へ出た。
「飯もまともに食わせず、怪我をした子供も放置していた。あの状態を見て、そのまま置いておけると思うのか」
「うちのやり方に口を出すな」
「なら、そのやり方とやらを説明してもらおう」
玄馬が机へ視線を向ける。
そこには開いた帳面と革袋、その横にいくつかの紙束まで置かれていた。
大柄な男がすぐに帳面を閉じる。
アラタはその動きを見逃さなかった。
「見られると困るものか?」
「関係ねえ」
「そう言われると、余計に気になるのう」
若い男の一人が棍棒を持ち直した。
「帰れって言ってんだろ」
アラタがそちらを見ると、男の足が止まる。
もう一人が横から回ろうとしたが、その前へ弁慶が出た。
「それ以上近づかぬ方がよい」
大柄な男が舌打ちする。
「何なんだ、お前ら」
「それはこちらの台詞じゃ」
アラタが答えた。
「子供らを預かっておきながら、食わせもせず、殴る者までおる。しかも責任者らしき者は帳面を隠そうとする」
ベルガが机を見る。
その帳面には覚えがあった。
「それだ」
全員の視線が集まる。
「妾らの人数を数える時、いつもそれを持ってきておった」
玄馬が聞く。
「中身を見たことは?」
ベルガは首を振った。
「ない。近づけば怒鳴られた」
大柄な男が鼻で笑う。
「当たり前だ。ガキが見るもんじゃねえ」
ベルガの唇が僅かに開く。
何かを言い返そうとしたようだったが、言葉は出なかった。
アラタは男へ向き直る。
「では、そのガキに見られて困る理由もなさそうじゃな」
「てめえ……」
大柄な男が机の上の帳面へ手を伸ばす。
玄馬がすぐに動いた。
「触るな」
「俺のもんだ!」
「ならなおさら、話を聞く必要がある」
若い男の一人が棍棒を振り上げた。
アラタは身体をずらして手首を掴み、その勢いを横へ流す。棍棒が床へ落ちると、もう一人の男が横から踏み込もうとした。
弁慶が片手を出し、その胸を押さえる。
男は力を込めたが、一歩も前へ進めなかった。
「退け!」
「断る」
弁慶は静かだった。
大柄な男が周囲を見回す。
正面には玄馬、机の横にはアラタ。階段側を弁慶が塞ぎ、入口にはリーズとベルガがいる。
逃げ道を探すように視線を動かした男へ、玄馬が問いかける。
「裏にも出入口があるのか」
男の返事が一拍遅れた。
玄馬がアラタを見る。
「逃がすな」
「うむ」
その直後、二階から何かを蹴ったような鈍い音が響いた。
全員が天井を見る。
続いて、上の階を走る足音が聞こえてきた。
大柄な男が反射的に階段を見た。
ベルガもそちらへ顔を向ける。
「上に誰かおる」
「知っておるのか?」
「いや」
ベルガは首を振る。
「妾は二階へ上がるなと言われていた」
アラタが階段へ向かう。
「確かめるぞ」
ベルガも続こうとした。
「待て」
アラタが止める。
「妾も行く」
「危険かもしれん」
ベルガは反論しかけたが、すぐには言葉が続かなかった。
少しの間を置いて、顔を上げる。
「……それでも行く」
アラタはベルガを見た。
「分かった。わしの後ろから離れるな」
「……承知した」
ベルガはそのままアラタの後ろへ回った。
リーズは何も言わなかった。
ただ、機嫌の悪さを隠そうともせず、二人の後ろへ続いた。




