初仕事 ①
討伐者の詰所へ着いた時には、朝日が屋根の上まで昇っていた。
アラタの腰には、一本の剣が下がっている。
昨日までなかったものだ。
「それを選ぶとは思わなかったな」
受付台の向こうで玄馬が言った。
「何かおかしいか?」
「もっと長いのか、変わった武器を欲しがるかと思った」
アラタは腰の剣へ目を落とした。
詰所から貸し出された、ごく普通の鉄剣だった。
刃渡りも重さも特別ではない。
柄には使い込まれた革が巻かれ、鞘にも細かな傷がいくつもある。
「切れれば十分じゃよ」
「随分と安上がりだな」
「道具に合わせるのも腕のうちじゃろう」
玄馬は少しだけ目を細めたが、それ以上は何も言わなかった。
代わりに、アラタの隣へ立つ二人へ視線を向ける。
今日の仕事を共にする新人だった。
一人は、アラタより幾つか年上に見える女だった。
名は黒田志乃。
黒髪を首の後ろで一つに結び、やや切れ長の黒い瞳をしている。細い眉とすっきりした鼻筋の整った顔立ちだが、口元は少し硬く、緊張を表へ出すまいとしているのが分かった。
焦げ茶色の小袖の上から胸と肩だけを覆う革具足を着け、左手には短弓、腰には矢筒と小刀。
身体は細身だが、背筋は真っ直ぐに伸びている。
先ほど顔を合わせてから、必要なこと以外ほとんど喋っていなかった。
もう一人は斎藤圭介。
二十歳を少し越えたくらいに見える青年だった。
短く切った黒髪に、丸みのある黒い目。まだ少年らしさを少し残した顔立ちで、感情が表情へ出やすいらしい。緊張するたびに眉間へ薄く皺が寄っている。
体格は標準よりやや細め。
着慣れていない革鎧がまだ身体に馴染んでおらず、手にした槍も新品に近い。先ほどから何度も握る位置を直している。
志乃の視線が、一度アラタの顔で止まった。
「……この子もですか?」
「この子とは何じゃ」
「すみません。でも、どう見ても私より年下なので」
玄馬は特に気にした様子もなく答えた。
「腕は確認してある」
「そうですか……」
志乃はまだ少し気になるようだったが、それ以上は聞かなかった。
「斎藤圭介です。よろしくお願いします」
三度目の自己紹介だった。
「うむ。よろしくのう」
「す、すみません。緊張すると同じこと言う癖があって」
「分かりやすくてよい」
志乃が小さく息を吐いた。
「出発前からそんなに固くなっていたら、森に入る頃には疲れますよ」
「黒田さんは平気そうですね」
「平気そうに見せてるだけです」
「……そうなんですか」
「そういうのを真に受けるから緊張するんです」
二人のやり取りを聞きながら、アラタは口元を緩めた。
悪くない。
少なくとも、互いに無関心というわけではなさそうだ。
玄馬が依頼書を机に置いた。
「今日の対象は裂牙犬だ」
紙には、四足の獣を簡略化した絵が描かれている。
狼より一回り小さく、口から外へ飛び出した二本の牙が特徴らしい。
「町の北にある森で数が増えてる。薬草採りが二人追われた。今のところ死者はなし」
「群れか?」
アラタが聞く。
「ああ。三頭から五頭で動くことが多い。単体なら大した魔物じゃないが、囲んで足を狙う。転べば喉だ」
圭介の顔が少し青くなる。
玄馬は気にせず続けた。
「見つけたら無理に追うな。五頭までなら三人で対処していい。それ以上なら場所と数を確認して戻れ」
「倒さなくてもいいんですか?」
圭介が聞いた。
「依頼は討伐だ。だが、お前らの命より優先するほどじゃない」
即答だった。
「戻って報告すれば、人数を増やして出直す。それも仕事だ」
志乃が頷く。
アラタも同意した。
「よい判断じゃ」
「お前は特に覚えとけ」
「わし?」
「一人で片付けられそうでもだ」
玄馬の視線が、昨日の訓練場を思い出させる。
「今日は三人で行く仕事だ」
アラタは一拍置いてから頷いた。
「承知した」
顔合わせを終えた三人が詰所を出ると、門の近くで巴が待っていた。
朝のうちに玄馬から人数を聞いていたらしく、手には小さな包みを三つ持っている。
「はい」
アラタへ一つ差し出す。
「何じゃ?」
「お昼です。握り飯」
「おお」
声が少し弾んだ。
巴が半眼になる。
「昨日、魔物より昼飯の方が大事みたいなこと言ってたから」
「よく分かっておるではないか」
「褒めてません」
残りを志乃と圭介へ渡す。
「二人も気をつけてくださいね」
「ありがとうございます」
志乃が軽く頭を下げる。
圭介は両手で包みを受け取った。
「必ず三人で戻ってきてください」
その一言に、アラタは巴を見る。
いつもの軽い調子ではなかった。
「うむ」
短く答える。
「行ってくる」
町を離れてしばらくすると、道は次第に細くなった。
畑が減り、左右に木々が増える。
森へ入る頃には、足元も土と落ち葉に変わっていた。
志乃が先頭。
圭介が中央。
アラタが最後尾を歩く。
これは志乃が決めた。
「一応、私がこの森には何度か来てるので」
「新人ではないのか?」
「討伐者としてはまだ仮登録です。でも薬草採りの護衛で二回来ています」
「なるほど」
「アラタさんは?」
「初めてじゃ」
「そうですよね」
「この世界に来て三日目じゃからな」
前を歩いていた志乃の足が止まりかけた。
圭介も振り返る。
「三日目?」
「うむ」
「昨日登録したとは聞きましたけど……本当に来たばかりなんですか?」
「そうじゃよ」
圭介が心配そうに志乃を見る。
志乃も困った顔をした。
「玄馬さん、どういう組み方してるんだろう……」
「腕は見てもらったぞ」
「何をしたんです?」
「木剣で少し」
「少し?」
「二回ほど」
志乃は何か言いかけた。
だが。
すぐに右手を上げる。
「止まって」
声が低くなった。
三人が足を止める。
風が木の葉を揺らしている。
鳥の声。
遠くの水音。
アラタは黙って周囲を見る。
志乃がしゃがみ込み、地面へ触れた。
「跡があります」
湿った土に、獣の足跡が残っていた。
一つではない。
圭介が槍を握る。
「裂牙犬?」
「たぶん」
志乃は足跡を目で追った。
「北へ行ってます」
アラタも横から見る。
足跡の深さ。
向き。
間隔。
折れた小枝。
「四……いや、六かのう」
志乃が振り向いた。
「分かるんですか?」
「重なっておるが、一番小さい足跡が二つある。大きいのが四つ」
「六……」
圭介の声が硬くなる。
玄馬の指示は五頭まで。
志乃は迷わなかった。
「戻りましょう」
「うむ」
アラタも同意する。
圭介が少し驚いた顔をした。
「いいんですか?」
「何がじゃ?」
「いや、その……倒せそうとか言うのかと」
「玄馬殿は六なら戻れと言ったじゃろう」
「そうですけど」
「なら戻る」
当然の話だった。
強いか弱いかとは別だ。
初めて入る森で、知らない魔物を相手に、決められた基準まで無視する理由はない。
三人は来た道を戻り始めた。
十歩も進まないうちだった。
アラタが足を止める。
「待て」
今度は二人が振り返る。
森が静かだった。
先ほどまで鳴いていた鳥が消えている。
「剣を抜け」
声の調子が変わった。
志乃が即座に弓を構える。
圭介も槍を前へ出す。
「来るぞ」
左の茂みが弾けた。
低い獣が一頭、地面すれすれを這うような姿勢で飛び出してくる。
狼より一回り小さい。だが、細長い口の両脇から突き出した二本の白い牙は、その身体には不釣り合いなほど長かった。口を閉じていても牙の先だけが外へ露出し、走るたびに頭の左右で鋭く揺れる。
四肢は細いが、胴を低く沈めた走りには無駄がない。小柄な身体が落ち葉を蹴散らし、一息で間合いを詰めてくる。
裂牙犬。
依頼書の簡単な絵より、実物の方がずっと獣らしく、そして危険に見えた。
「圭介!」
志乃が叫ぶ。
「はい!」
槍が突き出される。
裂牙犬は直前で身体を捻った。
槍先が肩を掠める。
そこへ志乃の矢が飛ぶ。
脇腹へ刺さった。
獣が悲鳴を上げる。
だが倒れない。
その声に応えるように、右。
後ろ。
さらに前方。
茂みの中から影が現れた。
「六じゃないな」
アラタは剣を抜く。
七頭。
そのうち六頭は、最初の一頭とほぼ同じ大きさだった。
だが、少し離れた木立の陰にいる一頭だけは違う。
他の個体より一回り大きく、頭の位置もわずかに高い。その一頭だけは飛び込んでこなかった。
牙を剥くこともなく、低く構えたまま、こちらをじっと見ている。
まるで自分で襲うより先に、六頭がどう動くのかを見ているようだった。




